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ひとから人からヒトへ一覧

  • 「ご縁」があり、今がある

    廣瀬 愛さん(1976年生まれ)

     「泣きそうでした、いや、泣いていましたね」。中学2年の夏、父の外国赴任で米国ニュージャージー州に家族で移住。9月に現地の高校1年に入学。「友だちも、知り合いも居ない、どこに行ったらいいの、何も分からないままのスタートでした」。その時の情景はいまも憶えているが、何
    も分からない現実が自分を育てた、とも思っている。
     現地の高校は4年制。3年生終了後、日本の大学に入るため自分だけ帰国。貿易関係の学部がある大学に入り、大学生活でレストランやファーストフード店でアルバイトを積む中で感じてきたのは「人と関わる面白さ」。卒業が迫る頃、大学の求人票の中に運命を決める会社を見つけた。
     「これも『ご縁』なのかなぁと思いますね。その会社は東京で入社面接を行い、それも縁のように感じます」。人材を求めたのは長野・湯田中温泉の老舗旅館。「人混みが嫌で、あの電車のラッシュは耐えられないと先ずは脱東京でした。暮らせる場所、働ける職場、人と関わる仕事などと決めていました。その条件にぴったりだった、ということですね」。
     この選択は、さらなる「ご縁」を生む。就職した旅館でパートナーと出会い翌年には結婚。横浜生まれ、中学高校4年間を米国で暮らし、東京の大学を卒業。「まさか自分が長野に来るとは…でしたね」。初めて長野の地を踏み早や24年。だが「ご縁」はさらに続く。福祉施設パート勤務の中で今の福祉施設「きぼう」立ち上げに関わる出会いが。「まさか自
    分が…この連続です。でも人と関わる、これは共通しています」。
     米国時代の学友とは今もSNSで交友している。
     ◆バトンタッチしま す。
     「早河史恵さん」

    2024年1月20日号

  • 太鼓と共に38年余

    島田 美香さん(1965年生まれ)

    東京の劇団時代に出会った「太鼓」。芝居をやりたい、その一心で入った劇団だったため、勧められた太鼓はあまり気乗りしなかった。習い始めると、その響きが体全体に伝わり、感性の琴線に何かが伝わってきた。
     劇団研究生の頃、太鼓メンバーで特養ホームで打ち鳴らした。演奏後の女性施設長の言葉が心に響いた。『入所されている方が、来年も演奏に来てくれるんなら、来年まで頑張って生きようかなと話していましたよ』。この言葉で、自分の中で何かのスイッチが入るのを感じた。
     その頃、中学校の音楽教諭の父から『中学生に太鼓を教えてくれ』と連絡が来た。東京から自費で日帰り指導。中学生から「私も太鼓やりたい」と毎年希望者が後を絶たず、小中学生による『栄ふるさと太鼓』がスポーツ少年団活動として始まる。そのメンバーが大人になり『榮太鼓』が立ち上がった。かつての教え子たちが、かけがえのない「仲間」になった。サンフランシスコ桜祭りで演奏、ハワイでも演奏した。今も毎週木曜、小学生から大人まで一緒に練習を続ける。 
     「芝居は小学4年の時に見た劇団四季のミュージカルに感動したからです。いまも芝居をしたい思いはありますよ」。「太鼓は叩けば誰でも音が出ます。その単純なものをいかに感動のレベルまで持っていくか、ですね。子どもたちの頑張りが大人たちのやる気になっています。でも、ゆるゆる雰囲気で、楽しみながらなんですよ」。
     ◆バトンタッチします。
     「廣瀬愛さん」

    2024年1月13日号

  • 「ご縁」があり、今がある

    廣瀬 愛さん(1976年生まれ)

     「泣きそうでした、いや、泣いていましたね」。中学2年の夏、父の外国赴任で米国ニュージャージー州に家族で移住。9月に現地の高校1年に入学。「友だちも、知り合いも居ない、どこに行ったらいいの、何も分からないままのスタートでした」。その時の情景はいまも憶えているが、何
    も分からない現実が自分を育てた、とも思っている。
     現地の高校は4年制。3年生終了後、日本の大学に入るため自分だけ帰国。貿易関係の学部がある大学に入り、大学生活でレストランやファーストフード店でアルバイトを積む中で感じてきたのは「人と関わる面白さ」。卒業が迫る頃、大学の求人票の中に運命を決める会社を見つけた。
     「これも『ご縁』なのかなぁと思いますね。その会社は東京で入社面接を行い、それも縁のように感じます」。人材を求めたのは長野・湯田中温泉の老舗旅館。「人混みが嫌で、あの電車のラッシュは耐えられないと先ずは脱東京でした。暮らせる場所、働ける職場、人と関わる仕事などと決めていました。その条件にぴったりだった、ということですね」。
     この選択は、さらなる「ご縁」を生む。就職した旅館でパートナーと出会い翌年には結婚。横浜生まれ、中学高校4年間を米国で暮らし、東京の大学を卒業。「まさか自分が長野に来るとは…でしたね」。初めて長野の地を踏み早や24年。だが「ご縁」はさらに続く。福祉施設パート勤務の中で今の福祉施設「きぼう」立ち上げに関わる出会いが。「まさか自
    分が…この連続です。でも人と関わる、これは共通しています」。
     米国時代の学友とは今もSNSで交友している。
     ◆バトンタッチしま す。
     「早河史恵さん」

    2024年1月20日号

  • 太鼓と共に38年余

    島田 美香さん(1965年生まれ)

    東京の劇団時代に出会った「太鼓」。芝居をやりたい、その一心で入った劇団だったため、勧められた太鼓はあまり気乗りしなかった。習い始めると、その響きが体全体に伝わり、感性の琴線に何かが伝わってきた。
     劇団研究生の頃、太鼓メンバーで特養ホームで打ち鳴らした。演奏後の女性施設長の言葉が心に響いた。『入所されている方が、来年も演奏に来てくれるんなら、来年まで頑張って生きようかなと話していましたよ』。この言葉で、自分の中で何かのスイッチが入るのを感じた。
     その頃、中学校の音楽教諭の父から『中学生に太鼓を教えてくれ』と連絡が来た。東京から自費で日帰り指導。中学生から「私も太鼓やりたい」と毎年希望者が後を絶たず、小中学生による『栄ふるさと太鼓』がスポーツ少年団活動として始まる。そのメンバーが大人になり『榮太鼓』が立ち上がった。かつての教え子たちが、かけがえのない「仲間」になった。サンフランシスコ桜祭りで演奏、ハワイでも演奏した。今も毎週木曜、小学生から大人まで一緒に練習を続ける。 
     「芝居は小学4年の時に見た劇団四季のミュージカルに感動したからです。いまも芝居をしたい思いはありますよ」。「太鼓は叩けば誰でも音が出ます。その単純なものをいかに感動のレベルまで持っていくか、ですね。子どもたちの頑張りが大人たちのやる気になっています。でも、ゆるゆる雰囲気で、楽しみながらなんですよ」。
     ◆バトンタッチします。
     「廣瀬愛さん」

    2024年1月13日号