「うちのココがいなくなったんです」、「我が地区で来週、移り住んだ家族の歓迎会をするんだが」、「あの人が選挙に出るらしいよ」…日々の情報はすべて新聞ネタになる、それが『新聞は人の暮しの記録』。誰の言葉か、この生業に就き知った言葉だ。そこにある人の暮らし、喜・怒・哀・楽を日々刻む時間に、人は右往左往する。その思いこそ記録であり、新聞の真価だろう。
五六豪雪は雪国住人に、生活に対する雪の重みを知らしめた。続く五九豪雪、さらに六〇豪雪で「ここは住む処ではない」とふるさとを後にする人がいた。だが「豪雪なんて慣れっこだ」、そう笑って話す独り暮しの丸山一雄さんに会ったのは「六〇豪雪ルポ」、昭和60年1月末だった。
街場から約6㌔の津南町樽田。『真実は現場にある』、駆け出し記者5年生はその現場へ。街への買出し後、家に帰る丸山さんを同行取材。積雪3㍍余、道なき雪山を歩き、急登の七曲りを登り、雪崩多発の谷を抜けて4時間後、雪原の向こうにポツンと一軒家が見えた。
雪と汗でびっしょりの服を囲炉裏で乾かす。あの温かいお茶は忘れない。『よそから見たら樽田の生活は大変だと見えるだろうが、何も知らない人がそう言うだけだ。朝が来れば夕方になる、冬があるから春になるんだ』。現場に行くからこそ、分かる真実がある。先日、樽田に行った。丸山さんの家の跡に立ち、あの声が…そんな気がした。
文字離れが進む。いや新聞離れと言うべきか。ネットニュース情報で事足りる社会は、薄っぺらな人間関係しか作れない。新聞記事を読む、読み込む。新聞社の多くがあえて長文記事を載せるようになっている。『行間に記者の思いがある』、深代惇郎は天声人語で読者をぐっと引きつけた。
この地に暮す人の息づかいを感じたい。「新聞は歴史の秒針」。