市町村合併から20年。二十歳を向かえている歳月の流れ。歴史に「if」は禁句だが、この20年の流れを想うと、「もし、あの時…」の場面が思い出される。
2005年4月、新生十日町市が誕生した。その前年、旧十日町市、旧中魚沼郡、旧東頸城郡の5市町村は、合併協議会で最後の詰めの協議に入っていた。その最大案件は「新市の名前」。前年2004年3月22日、松代総合センターで開いた合併協議会の議題は「新市名を決める」。当時の市町村長ら委員26人が投票で決めた。結果は「十日町市14票」、「美雪市12票」、わずか2票差。選外には「奥越後市」「妻有野市」などがあった。
当時の本紙は報じている。『傍聴席の十日町市関係者は一応に安堵の表情。対照的だったのは中里村や川西町関係者。じっと目を閉じたり、天井を見上げたり、落胆の表情を見せていた』。その表情は「課題の多さ」があった証左でもあった。
その一つが「周辺部が廃れる」。旧町村は「新市名だけでも変えてほしかった。結局、十日町市への吸収合併になってしまった」。この言葉、20年が経過し、どうなっているか見渡せば、その言葉の意味がストンと落ちる。
「たら・れば」は禁句、それが歴史の検証だ。だが…と考える、いや考えてしまう旧町村の住民の声がある。先月の市議選でも同じ住民の思いを聞いた。「結局、20年経って、十日町市の中心部だけが良くなり、私たちのような町村部は置いてけぼりだ。支所の職員数は減り、病院へ行くにも遠くなった。そのうち議員も居なくなるのでは。合併して良かったのか、どうか…」。
5選の関口市長にも同じような声は届いているのだろう。おそらく最後の4年間になるであろう市長職。合併から20年、いまだ「旧」が付く地域名を、「まるごと十日町市」にできるのか。