退職手続き代行業
松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)
この春、三番目の孫が社会人になった。先年就職した初孫も、二番目もそれぞれらしい職に就くことができ、じじ・ばばも一安心した。近頃のニュースを聞くと、最近は短期間で就職した企業を辞し、転職する傾向が強いとか? しかも、その手続きを代行する企業もあるという。
本人はもちろん、代行する企業も、退職を告げられる企業も、あれこれ斟酌することなく、極めてビジネスライクに手続するのみ。これには唖然とした。更に一度ご縁のできた企業に、定年まで勤め上げるなーんて考えている人は殆どいない。
そんな折、四六時中つけているラジオから『ああ、上野駅』の歌が流れてきた。♬どこかに故郷の香りを乗せて、入る列車の懐かしさ…♬
〈金の卵〉ともてはやされ、その実、安い労働力として使い捨てられた中卒の子どもたち。
中学生の頃、同級生が夜勤明けで倒れ亡くなった。義務教育も終えぬうちから、多くの弟妹や、病身の母親のために働いていたのだそうだ。
そして私自身の就職は、戦後15年位は経ってはいたが、まだまだ厳しい状況だった。それでもどの企業も経営状態の如何にかかわらず、新卒はたとえ一人でも採用して育て上げる風潮だった。おかげで片親だった私も採用してくれた会社があった。
電話を取るのは新入社員の仕事と決まっていたのに、家に電話はなかったので、電話が怖くて取れなかった。事ある毎に厳しく躾けられ、その上司に当てつけで、目の前で首を吊ってやる! と思ったほど。でも直後上司はショックでもそのうち忘れ去る。片や私は死んでしまう。そんなことはダメだ、ダメだ。ものになったかどうかは疑問だが、その後は何かにつけて色々任せていただいた。
我慢と耐え忍ぶのが精一杯であった昔。世の中が大きく変化し、いろんなノウハウがある。我々世代には想像すらできない方法で、働き方も大きく変わった。新入社員だけでなく、大人たちも副業が認められている企業が少なくないとか。
生涯をかけて会社を支える社員もいない、生涯をかけて面倒を見てくれる企業もない、いや出来なくなったのだろう。
数十年経ったとはいえ、やりたくない事、避けたい事をしないで済むのは、不要なエネルギーを使わないことのほうが、今どきなのかな? 昔人間には首をかしげることばかりだ。