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社説一覧

  • 争点は明快、「私でいいのか」

     ようやくなのか、やっとなのか、いまさらなのか…。十日町市の関口芳史市長が5選表明した。1ヵ月後の今度の市長選の争点は極めて明快だ。それを自ら言葉にしているのが関口市長だ。『私でいいのか』。今度の市長選はこの一点だ。これしかない、と明言できる。
     進退表明をしない時期。逡巡という言葉が当てはまるかどうか、幾度も問われても「熟慮」の二文字を繰り返した。その枕詞ともなったのが「私でいいのか」。自問したというが、これは明らかに市民へのメッセージだろう。そのメッセージが、5選出馬を決めたことで、この言葉がそのまま「市長選の争点」になった。これほど分かりやすく明快な争点の市長選はない。
     5期といえば任期満了で20年。オギャーと生まれた子が二十歳になる歳月を務める期間だ。2005年の市町村合併から今年で20年。その前年が中越地震、10年ひと昔ならばふた昔の20年。歳月人を待たず…だが、十日町の変わりようが、その歳月を物語る。
     進退表明の遅れに対し、様々な見方が噴出している。「誰か手を上げる人を待っていた」。もっともらしい見方だが、それでも名乗りを上げる人が出なかった現実は、そのまま十日町市の現実、実態ではないのか。個々に聞くと「意欲ある人たち」は居る。だが、一歩踏み出さない、いや踏み出せない十日町市の今がある、そういう見方も出来る。その最大要因は4期という絶大な実績を持つ現職の進退不明だったのだろう。果たして、そんな市政の十日町市のこの先は、どうなるのか、である。
     4月から始まる新年度。十日町市は骨格予算のためスタートダッシュができない。6月定例会で詳細予算を示す方針を先の市議会で述べていた関口市長。3ヵ月余のブランクを市民はどう受け止めるのか。
     「私でいいのか」。20日告示、27日投票の十日町市長選の争点はこれだ。

    2025年3月29日号

  • 小中学校を選べる時代に

     小学校から中学校へは、19年前に開校の県立津南中等学校が進路先の一つになっている。小学校も8年前に地元の熱意で開校した「まつのやま学園」は地域外から入学できる。さらに来年4月にはお隣、長野県栄村に開校の文科省認定の義務教育学校「さかえ小中学校」に入学できる。いずれも通学は保護者責任となっているが。
     さかえ小中学校は文科省認定の特任校指定を受け、独自カリキュラムによる特色化ができる小中一貫校だ。義務教育9年間を従来の6・3制ではない学制導入ができ、教科担任制による小学・中学の枠を超えた教育環境を作ることができる。英語など語学教育も充実が可能で、まさに「オリジナル教育」の場が誕生する。この教育の場は、津南町からでも十日町市からでも県外からでも、入学できる。
     小学校は長らく校区・学区制が取られ、居住エリアにある学校に通うのが当たり前だった。だが、子どもたちの多様性、教育の場の多様化などにより、私立以外でも公立小学校への入学も「選べる時代」になっている。この中山間地と呼ばれる地でも、3つのタイプが違う小学校から選び、入学できる時代になった。ただ前述した通り「通学は保護者責任」となっている。
     津南町は2年後、町立小学校を1校にする方針。「統合が決まっているなら、統合前から統合先の小学校に通わせたい」、もっともな親の思いだろう。だが、現ルールでは「特別事情」が許せば…となっている。昨年からの地域保護者の説明会では「統合先に通わせたい」の声は少なくない。再編統合に目途が付いたが、新たな課題が持ち上がっている津南町教育行政だ。声の中には、さかえ小中学校へ…もある。
     義務教育9年間。ようやくなのか、ついになのか、小学校教育の場が「選べる時代に」なってきた。教育行政は大きな転換期に来ている。

    2025年3月22日号

  • 続・出るのか、出ないのか

     なんとも言えない雰囲気が漂っている十日町市。3月定例市議会の10日からの一般質問、新年度骨格予算など議案審議で、政策論を含む関口市長とのやり取りで感じる空気だ。市議は議案質疑をしつつ、「妙な感じだ」と懐疑心の塊になっているのではないか。それは、「4月の市長選以降、この場にいるかどうか分からない市長に、その先の市政方針や政策論を問うても…」だろう。いまだ進退表明しない十日町市のトップは、こうした事態をどう考えているのか。再び問う、「出るのか、出ないのか」。
     議会質疑の関口市長の言葉は、聞きようによってはいつも通り。それも、任期満了以降に関わる市政には、これまでの市政の延長線上にある言葉で対応し、再度市政を担う踏み込んだ言葉はなく、この点でも「いましばらく熟慮を」と進退表明しない現状に対し、相当なる意識を使っている様子が読み取れる。
     関口市政のこの4年間。様々な視点で総括できるし、立場の違いで良くも、悪くも評価されるだろう。10日の一般質問に答えた関口市長の答弁の中に、今後4年間、「私でいいのか」という言葉があった。すぐに反応した声が飛んで来た。『良い、悪いは、市民が決めること。なにを勘違いしているのか』。市民は厳しく、相当に敏感になっており、十日町市にとって良からぬ事態に進んでいる現状を、関口市長は感じているはずである。
     開会中の3月定例会の最終日は21日の金曜。提案議案の審議が終わり、最後に市長挨拶がある。注目はこの場だろう。その翌週28日は市長選・市議選立候補予定者の説明会だ。市政の両輪といわれる市議会を重視するなら、この場が最後の表明の場となる。
     『関口市長、5選出馬表明』。この新聞見出しを用意しようか…。すでに意志は固まっているのではないか。

    2025年3月15日号

  • 出るのか、出ないのか

     「ここまで引っ張っておいて、なんと無責任な」、退任表明したらこんな言葉が飛んで来る。「何をいまさら、なんで、もっと早くに」、続投表明したら即座にこんな言葉が返ってくる、十日町市・関口芳史市長の進退表明の遅れに対する巷間話だ。「今しばらく熟慮を」。市議会3月定例会の施政方針表明で再び同じ言葉を重ねた。関口市長に何が起こっているのか、いや「一つのシナリオで動いている」など、巷は賑やかだ。
     それにしても、である。「らしくない」、この言葉が浮かぶ。4期16年の積年の経験値は、岐路に立った時の対処の答えは持ち合わせているはずであり、それをも上回る「事態」に直面している、のだろうか。人に言われてモノを申す、動くことを良しとしないトップ像を見てきただけに、らしくない、のである。
     10日、市議会一般質問のトップバッターが関口市長に進退を問う。以降も進退を問う場面はある。「聞かれたから、答える」、これまでの関口市長は、こうした受け身的な答弁は良しとせず、自ら作る場で明言してきたし、今回もそうではないのか。前々号社説「言葉なきメッセージ」に声を多数頂いた。ボールを投げられた十日町市民だが、いまだ投げ返されたボールはない。来月20日告示、あと43日と迫る。
     市長への厳しい言葉も届いている。「市民を愚弄している」、そう受け止めざるを得ない事態である。4年に一度の市長選は選挙期間7日間だけの問題ではない。市町村合併で誕生した新生・十日町市は今年20年を迎え、いわゆる成人の域に達している。そのトップリーダーを選ぶ4月20日告示、27日投票の十日町市長選の混迷、困惑を招いているのは、関口市長その人だ。その責任は重い。
     市民は待っている。新たな声が上がるのを。出るのか、出ないのか、その明言を聞きたい。

    2025年3月8日号

  • 時にはパフオーマンスも必要

     お隣、長野・木島平村の日臺(ひだい)正博村長の『68歳、初スノボチャレンジ』が話題だ。TikTok動画はアップから3週間で2万5千回を超えている。3期在職の日臺村長、村ウェブサイトでも「村長のひとこと」を連載中。やはり動画の反響は大きい。長野県紙・信濃毎日でも取り上げられ、さらに視聴回数が増しているようだ。時にはパフォーマンスも必要だ。
     連日の大雪ニュースで、新潟県では魚沼市守門と津南町が「トップ争い」。全国のダントツは青森市の八甲田山麓・酸ヶ湯温泉で、すでに5㍍を越えている。人口密度で比較すれば魚沼市守門と津南町が全国トップは間違いない。名刺交換すると、所在地を見た相手はほぼ全員が「あの津南町ですか」と、知名度はすでに全国ネットだ。
     この知名度を活用しない手はない。かつては「あんな豪雪地に、うちの嫁はやれない」などと縁談が成り立たなかった昭和30、40年代を知る世代は、もう少なくなったかもしれない。だが今は逆転の発想で「そんな大雪、ぜひ見てみたい」と雪なし国からの外国人観光客が増加している。まさに雪のインバウンド効果。国内ではどうなのか。やはり雪国からの発信力だろう。
     ふるさと納税の増額策が議会の場などで論じられる。その正攻法と共に、日臺村長のようなイメージ戦略も必要だ。津南町の中央部の津南小学校は1年生だけで下校する時、地域の方が見守り役で「下校ボランティア」が同行する。国道117号の車道と歩道の間には子どもの背丈の3倍近い250㌢余の雪壁があり、両側雪壁の谷間の歩道を子どもたちと下校ボラの大人が見守りながら歩く。まさに「これが雪国の子どもたち」。雪なし地域では想像すらできない映像だろう。
     どうですか、桑原町長。一緒に下校してみては。その動画は相当インパクトがあり、「呼び水」になるのでは。

    2025年3月1日号

  • 骨格予算、関口市長の「言葉なきメッセージ」

     その年度がスタートする4月に改選を向かえる市町村長は、新年度の予算編成を事業詳細予算ではなく、いわゆる「骨格」だけ予算編成する場合が多い。十日町市は市町村合併後、年度スタートの4月に市長選を毎回行い、その時の現職は「市政の継続」から改選後の新年度市政に滞りが無いように、事業詳細予算を組んできた。4期在職の関口市長も、改選時の新年度予算は「次の4年間はこうしたい」と市政方針を反映させ、予算編成した。 
     だが、今回発表した新年度予算は「骨格予算」。素直に受ければ「今期限りで引退」だが、どうも市長周辺を取材すると、ニュアンスが違う。「両面の構え」ではないのか。
     多選批判は「重々承知」しているであろう66歳の関口市長。今回の骨格予算は言葉にはしていないが、「どうぞ、バトンタッチの用意は出来ています」とも取れる。つまり『呼び水』ではないのか。 2期在職時、「トップは2期交代が良い」と行政長のあり方を一般論で述べたことがある関口市長。その倍の4期在職の現実は、自身の政治ポリシーとかけ離れた存在になり、その弊害を自覚しているのではないか。旧十日町市を含め十日町市では過去最多選の市長で、市民感情を肌感覚で感じる4期在職の心境が、今回の骨格予算によく現われている。
     もう一つのシナリオ。進退表明が遅れ、「もう1期してもらいたい」と市民から声が上がり、「最後の奉公」と5選出馬。事実、後援会周辺の動きがない現状が、その証左だろう。
     ならば、現職表明の前に『呼び水』に応える新人の出番ではないか。同時選の市議選。再出馬の現職市議はすでに臨戦態勢だ。「向かう先を市長選に」代えることはできる。関口市長の『言葉なきメッセージ』を受ける「誰か」はいないのか。市民の期待は増している。

    2025年2月22日号

  • 除排雪、冬の公共事業

     国県道、市町村道の除排雪は当たり前だ。土木分野の公共事業は冬期間、休眠状態が多く、その「事業力」をこの地に暮らす住民の暮らしを支える除排雪に導入する、それが「冬の公共事業」。建築・建設・土木の事業者の多くは、雪処理する小型から大型重機や除排雪機械を持つ。これを公共事業としてフル活用する方策はできないか。
     今回の大雪で十日町市、津南町は豪雪対策本部を立ち上げた。さらに国災害救助法の適用で除排雪費用など国費対応になる。ただ対象はいわゆる生活弱者、限られた世帯だ。一方で対象外の「準対象者」といえる除排雪困難者は多い。高齢者世帯、様々な事情で親子だけの世帯など救済対象外の世帯も大雪が生活を圧迫し、経済的な困窮度を増している。だが、なかなか声を上げられないのが現実だ。
     春になり雪が融けると、この苦しみを忘れてしまう雪国。昭和の56豪雪、59豪雪、平成の18年豪雪など過去の積雪記録を見れば、あの日・あの時の雪の労苦がよみがえるが、実感としては遠い過去になってしまう。だが、忘れてしまうとされる雪の苦労は今後、さらに増す状況にあるという。
     全国的な大雪ニュースで関心度が増しているのが今後の気象予測。地球温暖化が言われた当時、同時に小さなニュースが流れた。雪の降り方の将来予想だ。『雪そのものは少なくなる傾向だが、一方で日本海の海水温の上昇で水蒸気を含んだ雲が連続的に大量発生し、冬はそこに寒気が入り込むと、局地的にこれまで以上の大雪が度々発生する確率が高い』。今冬はまさにこれが大当たり。1週間余り降り続けた雪で、積雪3㍍超えの地域が続出している。来季も可能性が高いという。
     「冬の公共事業」、どうシステム化するか、行政の知恵の出し所だ。暮らしやすい雪国づくり、まさに国の地方創生事業になるのでは。

    2025年2月15日号

  • 流通の「動脈硬化」、その真相は

     流通は、その流れが正しく流れるから成り立っている。途中で目詰まりしたら「動脈硬化」、流れが滞る。昨秋から続く消費者が求める米価の高騰は、どうも動脈硬化があったようだ。いまさらの感があるが、国は備蓄米の放出方針を決めた。どこが動脈硬化したのか。管轄の農水省は「売り渋り」という表現で一部のコメ生産者を含めた集荷業者が「コメをため込んでいる」状況を、ようやく示した。昨秋は凶作ではなくほぼ平年並みの収量があり、例年通りなら消費者米価も例年通りのはずだった。だが、そうではなかった。
     流通は、その言葉通り生産品や商品が流れ通るプロセスであり、その流れは各段階の信頼関係が大前提でスムースに流れる。だが昨秋から続く米価の高騰は、明らかに「おかしい」と感じる出来事だった。
     店頭から米が姿を消し「お一人様一袋限定」のチラシが張られ、米不足に拍車を掛けた「コメ騒動」。その高値がその後も続き、高値状態はいまも続く。やっと国が動き出した結果が「備蓄米放出」。ならば並行して今回のコメ騒動の「真相究明」も、早急にすべきではないか。
     コメ騒動は新たな不安要素を流通市場にもたらしている。米と同じように生活必需品の流通段階のどこかで「商品を抱きかかえ」、一時的な品薄状態を生み出せば、その商品は価格高騰を招くだろう。いま、多くの販売品の値上ラッシュだが、こうした「内部事情」はないのか、疑心暗鬼になってしまう。
     かつて「キャベツの嬬恋」といわれ、その日の市場価格を左右する出荷量を誇った群馬県の産地。農産物では出荷調整し、価格暴落を防いでいるが、生活必需品で今回のコメ騒動のような「仕掛け」がないのか。流通という信頼関係で成り立つ経済構造のシステムが、一つの「動脈硬化」により、その信頼性が落ちているのでは。そう感じるコメ騒動の顛末だ。

    2025年2月8日号

  • 身近な選挙、なぜ、なぜ…

     今春4月、十日町市と栄村では行政の節目となる選挙がある。人口4万7126人の十日町市は市長選・市議選。村議選がある栄村は人口1560人。投票日は1週間違い。だがその選挙期間は十日町市7日間、栄村はわずか5日間。公選法の規定だが、これには毎回大きな疑問を抱く。選挙という同じ行為ながら市と町村で選挙期間が違う、この根本部分を問題視する言葉を、自治体議会で聞いたことがない。
     市長選と市議選の同時選の十日町市は4月20日告示、27日投票、選挙期間7日間。栄村は前週4月15日告示、20日投票、わずか5日間。津南町の町長選・町議選も5日間。国政選挙とはそのベースが違うので単純比較できないが、市町村選挙は同じ土俵だ。それが選挙期間が違うのは納得できない。憲法は選挙権を保障し、『選挙は自由に行われ、直接代表者を選ぶことができる』とある。区別化はおかしい。
     4年に一度の選挙のたび、この疑問を抱きつつも、なぜ? なぜ? と、選ばれる側から疑問の言葉は聞いたことがない。「民主主義のコスト・教室」とも形容される身近な選挙。形骸化する選挙期間中の運動の味気なさは、この期間設定にもあるのではないか。まず、ここを問題提起したい。
     告示まで3ヵ月を切っている両市村の選挙。前哨戦は低調だ。十日町市は現定数24を5人削減し、改選定数19という「狭き門」の市議選。だが女性新人の声が出ない。市内活動の多くが女性が源泉になっているなか、市政への関心は高く、十日町市の「元気印」の名乗りが待たれる。市長選は現職の5選表明のカウントダウンの段階で、新人との一騎打ちが濃厚。栄村議選は定数10、有権者すべての顔が見える地域事情だけに、難しい選挙でもあるが、女性新人の名乗りが近いようだ。
     身近な選挙はその自治体の元気印のバロメーターだ。春はもうすぐ。

    2025年2月1日号

  • 厳冬期の原発事故、すでに「想定内」

     不思議なものだ。年末の連続降雪、小正月前の低温と降雪、だがここ1週間ほど雪降りがない。「雪の苦労を忘れそう」、青空が広がり、長靴以外で道を歩ける、不思議と雪の苦労が薄らいでいく。だが道路脇の雪壁を見れば、すぐに現実に戻される妻有の冬だ。
     雪国は「もし災害が…」を常に考える必要がある。最たるは原発事故だろう。十日町市は30㌔圏UPZに一部が入り、津南町・栄村は50㌔圏だ。きょう25日、新潟県の原発事故避難訓練が十日町市川西地域である。再稼働論議が熱を帯びるなか、厳冬期の原発事故発生は、もはや「想定内」と考えるべきだろう。
     1年前の元日。能登半島地震が発生。甚大な被害、地震の直接犠牲者を災害関連死者数が上回った現実は、発生後の被災者救済の遅れを如実に物語っている。 国の責任は大きい。
     厳冬期の災害は、無雪期とは比較にならない数々の困難な障害を伴い、特に人命を奪う寒さは、それだけで深刻な命の危険性を増す。真冬に原発事故が発生した場合、避難路の確保は限られ、猛吹雪で車が立ち往生する以上に避難車両が集中し、渋滞で動かない車の中に居ること自体が危険で、多大な犠牲者を生み出しかねない深刻事態に陥る。
     柏崎刈羽原発の再稼働を県民投票で決める署名運動が続く。15万を超える見込みの署名の圧力は大きいが、県議会の条例制定可決が大前提だ。県内自治体トップから県民投票実施を期待する声が上がり始めている。十日町市・関口市長もその一人だ。
     新年度予算議会がこれから市町村で始まり、トップの見識・判断が問われる場面が多々あるだろう。花角知事は「信を問う」と再三、その姿勢を見せるが、内心ははかり知れない。だが県民投票が実施されれば、その結果が「県民の意志」と表明するだろう。原発問題は、いよいよ正念場を向かえている。

    2025年1月25日号

  • 争点は明快、「私でいいのか」

     ようやくなのか、やっとなのか、いまさらなのか…。十日町市の関口芳史市長が5選表明した。1ヵ月後の今度の市長選の争点は極めて明快だ。それを自ら言葉にしているのが関口市長だ。『私でいいのか』。今度の市長選はこの一点だ。これしかない、と明言できる。
     進退表明をしない時期。逡巡という言葉が当てはまるかどうか、幾度も問われても「熟慮」の二文字を繰り返した。その枕詞ともなったのが「私でいいのか」。自問したというが、これは明らかに市民へのメッセージだろう。そのメッセージが、5選出馬を決めたことで、この言葉がそのまま「市長選の争点」になった。これほど分かりやすく明快な争点の市長選はない。
     5期といえば任期満了で20年。オギャーと生まれた子が二十歳になる歳月を務める期間だ。2005年の市町村合併から今年で20年。その前年が中越地震、10年ひと昔ならばふた昔の20年。歳月人を待たず…だが、十日町の変わりようが、その歳月を物語る。
     進退表明の遅れに対し、様々な見方が噴出している。「誰か手を上げる人を待っていた」。もっともらしい見方だが、それでも名乗りを上げる人が出なかった現実は、そのまま十日町市の現実、実態ではないのか。個々に聞くと「意欲ある人たち」は居る。だが、一歩踏み出さない、いや踏み出せない十日町市の今がある、そういう見方も出来る。その最大要因は4期という絶大な実績を持つ現職の進退不明だったのだろう。果たして、そんな市政の十日町市のこの先は、どうなるのか、である。
     4月から始まる新年度。十日町市は骨格予算のためスタートダッシュができない。6月定例会で詳細予算を示す方針を先の市議会で述べていた関口市長。3ヵ月余のブランクを市民はどう受け止めるのか。
     「私でいいのか」。20日告示、27日投票の十日町市長選の争点はこれだ。

    2025年3月29日号

  • 小中学校を選べる時代に

     小学校から中学校へは、19年前に開校の県立津南中等学校が進路先の一つになっている。小学校も8年前に地元の熱意で開校した「まつのやま学園」は地域外から入学できる。さらに来年4月にはお隣、長野県栄村に開校の文科省認定の義務教育学校「さかえ小中学校」に入学できる。いずれも通学は保護者責任となっているが。
     さかえ小中学校は文科省認定の特任校指定を受け、独自カリキュラムによる特色化ができる小中一貫校だ。義務教育9年間を従来の6・3制ではない学制導入ができ、教科担任制による小学・中学の枠を超えた教育環境を作ることができる。英語など語学教育も充実が可能で、まさに「オリジナル教育」の場が誕生する。この教育の場は、津南町からでも十日町市からでも県外からでも、入学できる。
     小学校は長らく校区・学区制が取られ、居住エリアにある学校に通うのが当たり前だった。だが、子どもたちの多様性、教育の場の多様化などにより、私立以外でも公立小学校への入学も「選べる時代」になっている。この中山間地と呼ばれる地でも、3つのタイプが違う小学校から選び、入学できる時代になった。ただ前述した通り「通学は保護者責任」となっている。
     津南町は2年後、町立小学校を1校にする方針。「統合が決まっているなら、統合前から統合先の小学校に通わせたい」、もっともな親の思いだろう。だが、現ルールでは「特別事情」が許せば…となっている。昨年からの地域保護者の説明会では「統合先に通わせたい」の声は少なくない。再編統合に目途が付いたが、新たな課題が持ち上がっている津南町教育行政だ。声の中には、さかえ小中学校へ…もある。
     義務教育9年間。ようやくなのか、ついになのか、小学校教育の場が「選べる時代に」なってきた。教育行政は大きな転換期に来ている。

    2025年3月22日号

  • 続・出るのか、出ないのか

     なんとも言えない雰囲気が漂っている十日町市。3月定例市議会の10日からの一般質問、新年度骨格予算など議案審議で、政策論を含む関口市長とのやり取りで感じる空気だ。市議は議案質疑をしつつ、「妙な感じだ」と懐疑心の塊になっているのではないか。それは、「4月の市長選以降、この場にいるかどうか分からない市長に、その先の市政方針や政策論を問うても…」だろう。いまだ進退表明しない十日町市のトップは、こうした事態をどう考えているのか。再び問う、「出るのか、出ないのか」。
     議会質疑の関口市長の言葉は、聞きようによってはいつも通り。それも、任期満了以降に関わる市政には、これまでの市政の延長線上にある言葉で対応し、再度市政を担う踏み込んだ言葉はなく、この点でも「いましばらく熟慮を」と進退表明しない現状に対し、相当なる意識を使っている様子が読み取れる。
     関口市政のこの4年間。様々な視点で総括できるし、立場の違いで良くも、悪くも評価されるだろう。10日の一般質問に答えた関口市長の答弁の中に、今後4年間、「私でいいのか」という言葉があった。すぐに反応した声が飛んで来た。『良い、悪いは、市民が決めること。なにを勘違いしているのか』。市民は厳しく、相当に敏感になっており、十日町市にとって良からぬ事態に進んでいる現状を、関口市長は感じているはずである。
     開会中の3月定例会の最終日は21日の金曜。提案議案の審議が終わり、最後に市長挨拶がある。注目はこの場だろう。その翌週28日は市長選・市議選立候補予定者の説明会だ。市政の両輪といわれる市議会を重視するなら、この場が最後の表明の場となる。
     『関口市長、5選出馬表明』。この新聞見出しを用意しようか…。すでに意志は固まっているのではないか。

    2025年3月15日号

  • 出るのか、出ないのか

     「ここまで引っ張っておいて、なんと無責任な」、退任表明したらこんな言葉が飛んで来る。「何をいまさら、なんで、もっと早くに」、続投表明したら即座にこんな言葉が返ってくる、十日町市・関口芳史市長の進退表明の遅れに対する巷間話だ。「今しばらく熟慮を」。市議会3月定例会の施政方針表明で再び同じ言葉を重ねた。関口市長に何が起こっているのか、いや「一つのシナリオで動いている」など、巷は賑やかだ。
     それにしても、である。「らしくない」、この言葉が浮かぶ。4期16年の積年の経験値は、岐路に立った時の対処の答えは持ち合わせているはずであり、それをも上回る「事態」に直面している、のだろうか。人に言われてモノを申す、動くことを良しとしないトップ像を見てきただけに、らしくない、のである。
     10日、市議会一般質問のトップバッターが関口市長に進退を問う。以降も進退を問う場面はある。「聞かれたから、答える」、これまでの関口市長は、こうした受け身的な答弁は良しとせず、自ら作る場で明言してきたし、今回もそうではないのか。前々号社説「言葉なきメッセージ」に声を多数頂いた。ボールを投げられた十日町市民だが、いまだ投げ返されたボールはない。来月20日告示、あと43日と迫る。
     市長への厳しい言葉も届いている。「市民を愚弄している」、そう受け止めざるを得ない事態である。4年に一度の市長選は選挙期間7日間だけの問題ではない。市町村合併で誕生した新生・十日町市は今年20年を迎え、いわゆる成人の域に達している。そのトップリーダーを選ぶ4月20日告示、27日投票の十日町市長選の混迷、困惑を招いているのは、関口市長その人だ。その責任は重い。
     市民は待っている。新たな声が上がるのを。出るのか、出ないのか、その明言を聞きたい。

    2025年3月8日号

  • 時にはパフオーマンスも必要

     お隣、長野・木島平村の日臺(ひだい)正博村長の『68歳、初スノボチャレンジ』が話題だ。TikTok動画はアップから3週間で2万5千回を超えている。3期在職の日臺村長、村ウェブサイトでも「村長のひとこと」を連載中。やはり動画の反響は大きい。長野県紙・信濃毎日でも取り上げられ、さらに視聴回数が増しているようだ。時にはパフォーマンスも必要だ。
     連日の大雪ニュースで、新潟県では魚沼市守門と津南町が「トップ争い」。全国のダントツは青森市の八甲田山麓・酸ヶ湯温泉で、すでに5㍍を越えている。人口密度で比較すれば魚沼市守門と津南町が全国トップは間違いない。名刺交換すると、所在地を見た相手はほぼ全員が「あの津南町ですか」と、知名度はすでに全国ネットだ。
     この知名度を活用しない手はない。かつては「あんな豪雪地に、うちの嫁はやれない」などと縁談が成り立たなかった昭和30、40年代を知る世代は、もう少なくなったかもしれない。だが今は逆転の発想で「そんな大雪、ぜひ見てみたい」と雪なし国からの外国人観光客が増加している。まさに雪のインバウンド効果。国内ではどうなのか。やはり雪国からの発信力だろう。
     ふるさと納税の増額策が議会の場などで論じられる。その正攻法と共に、日臺村長のようなイメージ戦略も必要だ。津南町の中央部の津南小学校は1年生だけで下校する時、地域の方が見守り役で「下校ボランティア」が同行する。国道117号の車道と歩道の間には子どもの背丈の3倍近い250㌢余の雪壁があり、両側雪壁の谷間の歩道を子どもたちと下校ボラの大人が見守りながら歩く。まさに「これが雪国の子どもたち」。雪なし地域では想像すらできない映像だろう。
     どうですか、桑原町長。一緒に下校してみては。その動画は相当インパクトがあり、「呼び水」になるのでは。

    2025年3月1日号

  • 骨格予算、関口市長の「言葉なきメッセージ」

     その年度がスタートする4月に改選を向かえる市町村長は、新年度の予算編成を事業詳細予算ではなく、いわゆる「骨格」だけ予算編成する場合が多い。十日町市は市町村合併後、年度スタートの4月に市長選を毎回行い、その時の現職は「市政の継続」から改選後の新年度市政に滞りが無いように、事業詳細予算を組んできた。4期在職の関口市長も、改選時の新年度予算は「次の4年間はこうしたい」と市政方針を反映させ、予算編成した。 
     だが、今回発表した新年度予算は「骨格予算」。素直に受ければ「今期限りで引退」だが、どうも市長周辺を取材すると、ニュアンスが違う。「両面の構え」ではないのか。
     多選批判は「重々承知」しているであろう66歳の関口市長。今回の骨格予算は言葉にはしていないが、「どうぞ、バトンタッチの用意は出来ています」とも取れる。つまり『呼び水』ではないのか。 2期在職時、「トップは2期交代が良い」と行政長のあり方を一般論で述べたことがある関口市長。その倍の4期在職の現実は、自身の政治ポリシーとかけ離れた存在になり、その弊害を自覚しているのではないか。旧十日町市を含め十日町市では過去最多選の市長で、市民感情を肌感覚で感じる4期在職の心境が、今回の骨格予算によく現われている。
     もう一つのシナリオ。進退表明が遅れ、「もう1期してもらいたい」と市民から声が上がり、「最後の奉公」と5選出馬。事実、後援会周辺の動きがない現状が、その証左だろう。
     ならば、現職表明の前に『呼び水』に応える新人の出番ではないか。同時選の市議選。再出馬の現職市議はすでに臨戦態勢だ。「向かう先を市長選に」代えることはできる。関口市長の『言葉なきメッセージ』を受ける「誰か」はいないのか。市民の期待は増している。

    2025年2月22日号

  • 除排雪、冬の公共事業

     国県道、市町村道の除排雪は当たり前だ。土木分野の公共事業は冬期間、休眠状態が多く、その「事業力」をこの地に暮らす住民の暮らしを支える除排雪に導入する、それが「冬の公共事業」。建築・建設・土木の事業者の多くは、雪処理する小型から大型重機や除排雪機械を持つ。これを公共事業としてフル活用する方策はできないか。
     今回の大雪で十日町市、津南町は豪雪対策本部を立ち上げた。さらに国災害救助法の適用で除排雪費用など国費対応になる。ただ対象はいわゆる生活弱者、限られた世帯だ。一方で対象外の「準対象者」といえる除排雪困難者は多い。高齢者世帯、様々な事情で親子だけの世帯など救済対象外の世帯も大雪が生活を圧迫し、経済的な困窮度を増している。だが、なかなか声を上げられないのが現実だ。
     春になり雪が融けると、この苦しみを忘れてしまう雪国。昭和の56豪雪、59豪雪、平成の18年豪雪など過去の積雪記録を見れば、あの日・あの時の雪の労苦がよみがえるが、実感としては遠い過去になってしまう。だが、忘れてしまうとされる雪の苦労は今後、さらに増す状況にあるという。
     全国的な大雪ニュースで関心度が増しているのが今後の気象予測。地球温暖化が言われた当時、同時に小さなニュースが流れた。雪の降り方の将来予想だ。『雪そのものは少なくなる傾向だが、一方で日本海の海水温の上昇で水蒸気を含んだ雲が連続的に大量発生し、冬はそこに寒気が入り込むと、局地的にこれまで以上の大雪が度々発生する確率が高い』。今冬はまさにこれが大当たり。1週間余り降り続けた雪で、積雪3㍍超えの地域が続出している。来季も可能性が高いという。
     「冬の公共事業」、どうシステム化するか、行政の知恵の出し所だ。暮らしやすい雪国づくり、まさに国の地方創生事業になるのでは。

    2025年2月15日号

  • 流通の「動脈硬化」、その真相は

     流通は、その流れが正しく流れるから成り立っている。途中で目詰まりしたら「動脈硬化」、流れが滞る。昨秋から続く消費者が求める米価の高騰は、どうも動脈硬化があったようだ。いまさらの感があるが、国は備蓄米の放出方針を決めた。どこが動脈硬化したのか。管轄の農水省は「売り渋り」という表現で一部のコメ生産者を含めた集荷業者が「コメをため込んでいる」状況を、ようやく示した。昨秋は凶作ではなくほぼ平年並みの収量があり、例年通りなら消費者米価も例年通りのはずだった。だが、そうではなかった。
     流通は、その言葉通り生産品や商品が流れ通るプロセスであり、その流れは各段階の信頼関係が大前提でスムースに流れる。だが昨秋から続く米価の高騰は、明らかに「おかしい」と感じる出来事だった。
     店頭から米が姿を消し「お一人様一袋限定」のチラシが張られ、米不足に拍車を掛けた「コメ騒動」。その高値がその後も続き、高値状態はいまも続く。やっと国が動き出した結果が「備蓄米放出」。ならば並行して今回のコメ騒動の「真相究明」も、早急にすべきではないか。
     コメ騒動は新たな不安要素を流通市場にもたらしている。米と同じように生活必需品の流通段階のどこかで「商品を抱きかかえ」、一時的な品薄状態を生み出せば、その商品は価格高騰を招くだろう。いま、多くの販売品の値上ラッシュだが、こうした「内部事情」はないのか、疑心暗鬼になってしまう。
     かつて「キャベツの嬬恋」といわれ、その日の市場価格を左右する出荷量を誇った群馬県の産地。農産物では出荷調整し、価格暴落を防いでいるが、生活必需品で今回のコメ騒動のような「仕掛け」がないのか。流通という信頼関係で成り立つ経済構造のシステムが、一つの「動脈硬化」により、その信頼性が落ちているのでは。そう感じるコメ騒動の顛末だ。

    2025年2月8日号

  • 身近な選挙、なぜ、なぜ…

     今春4月、十日町市と栄村では行政の節目となる選挙がある。人口4万7126人の十日町市は市長選・市議選。村議選がある栄村は人口1560人。投票日は1週間違い。だがその選挙期間は十日町市7日間、栄村はわずか5日間。公選法の規定だが、これには毎回大きな疑問を抱く。選挙という同じ行為ながら市と町村で選挙期間が違う、この根本部分を問題視する言葉を、自治体議会で聞いたことがない。
     市長選と市議選の同時選の十日町市は4月20日告示、27日投票、選挙期間7日間。栄村は前週4月15日告示、20日投票、わずか5日間。津南町の町長選・町議選も5日間。国政選挙とはそのベースが違うので単純比較できないが、市町村選挙は同じ土俵だ。それが選挙期間が違うのは納得できない。憲法は選挙権を保障し、『選挙は自由に行われ、直接代表者を選ぶことができる』とある。区別化はおかしい。
     4年に一度の選挙のたび、この疑問を抱きつつも、なぜ? なぜ? と、選ばれる側から疑問の言葉は聞いたことがない。「民主主義のコスト・教室」とも形容される身近な選挙。形骸化する選挙期間中の運動の味気なさは、この期間設定にもあるのではないか。まず、ここを問題提起したい。
     告示まで3ヵ月を切っている両市村の選挙。前哨戦は低調だ。十日町市は現定数24を5人削減し、改選定数19という「狭き門」の市議選。だが女性新人の声が出ない。市内活動の多くが女性が源泉になっているなか、市政への関心は高く、十日町市の「元気印」の名乗りが待たれる。市長選は現職の5選表明のカウントダウンの段階で、新人との一騎打ちが濃厚。栄村議選は定数10、有権者すべての顔が見える地域事情だけに、難しい選挙でもあるが、女性新人の名乗りが近いようだ。
     身近な選挙はその自治体の元気印のバロメーターだ。春はもうすぐ。

    2025年2月1日号

  • 厳冬期の原発事故、すでに「想定内」

     不思議なものだ。年末の連続降雪、小正月前の低温と降雪、だがここ1週間ほど雪降りがない。「雪の苦労を忘れそう」、青空が広がり、長靴以外で道を歩ける、不思議と雪の苦労が薄らいでいく。だが道路脇の雪壁を見れば、すぐに現実に戻される妻有の冬だ。
     雪国は「もし災害が…」を常に考える必要がある。最たるは原発事故だろう。十日町市は30㌔圏UPZに一部が入り、津南町・栄村は50㌔圏だ。きょう25日、新潟県の原発事故避難訓練が十日町市川西地域である。再稼働論議が熱を帯びるなか、厳冬期の原発事故発生は、もはや「想定内」と考えるべきだろう。
     1年前の元日。能登半島地震が発生。甚大な被害、地震の直接犠牲者を災害関連死者数が上回った現実は、発生後の被災者救済の遅れを如実に物語っている。 国の責任は大きい。
     厳冬期の災害は、無雪期とは比較にならない数々の困難な障害を伴い、特に人命を奪う寒さは、それだけで深刻な命の危険性を増す。真冬に原発事故が発生した場合、避難路の確保は限られ、猛吹雪で車が立ち往生する以上に避難車両が集中し、渋滞で動かない車の中に居ること自体が危険で、多大な犠牲者を生み出しかねない深刻事態に陥る。
     柏崎刈羽原発の再稼働を県民投票で決める署名運動が続く。15万を超える見込みの署名の圧力は大きいが、県議会の条例制定可決が大前提だ。県内自治体トップから県民投票実施を期待する声が上がり始めている。十日町市・関口市長もその一人だ。
     新年度予算議会がこれから市町村で始まり、トップの見識・判断が問われる場面が多々あるだろう。花角知事は「信を問う」と再三、その姿勢を見せるが、内心ははかり知れない。だが県民投票が実施されれば、その結果が「県民の意志」と表明するだろう。原発問題は、いよいよ正念場を向かえている。

    2025年1月25日号