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社説一覧

  • 退けた民意、新潟県議会の矜持とは

     「自分の能力を信じて抱く誇り」と言葉解説にある『矜持』。新潟県議会の矜持とは、なんだったのか。いやいや、そもそも矜持はあったのか。県民代表の気概を抱くなら、その矜持を示すべきだった。だが、原発県民投票の条例制定議案を事もなく否決した新潟県議会。そこに矜持は感じない。否決誘因の花角知事の県議会前の発言、がっかりした県民は多い。『二者択一では把握できない』、原発問題を国策と一蹴した12年前の県議会論議と通底する論点であり、原発所在県の新潟県トップは民意から逃げた。意向調査は「意識の分断」を招くだけだ。いや、それが狙いなのか。さて第二幕はあるのか。
     第一幕の県民投票は、花角知事が本番ステージに登場する前演だった。「信を問う」と公言する知事が再稼働賛否を出す前に、県民投票で県民の総意を示し、知事の判断材料にする、そんなシナリオの県民投票実現だった。だが、主役の知事登場前に、自らステージ袖から「二者択一はなじまない」と小声ながら、それがスピーカー効果を生み、同時進行の別ステージの県民投票条例制定の舞台に流れ、県民代表を自負する県議、自民県議の数の力で、ステージに上がる前に退けられた、これが第一幕の顛末だろう。
     『信を問う』。幾度となく口にした花角知事のこの言葉。県民投票条例否決で、この言葉の前に「知事選で」が付くことが明確になってきた。次なる関心は知事選の時期である。今夏の参院選との同時選とする見方が有力だったが、県民条例否決後、来年7月の任期満了説が有力視される事態になっている。あと1年余、この間に国は様々な手法と言葉で「再稼働合意づくり」に向け、あの手、この手を打って来るだろう。アメとムチで。
     さて第二幕は、どう幕開きするのか。
    世界最大級の原発の存在賛否を自ら決める、これが新潟県民の矜持だろう。

    2025年4月26日号

  • 似た状況下での十日町市長選

     似たような局面が、頭を過ぎった。3・11のフクシマ原発事故の福島県で1994年から数年、30年前ほどに起こった発電事業者と地元福島県知事の攻防だ。東京電力の福島原発の電気はすべて首都圏に送られていた。地元福島県民は東北電力の電気を使い、いまもこの構図は変わっていない。ここ妻有の地と同じではないか。JR東・宮中取水ダムによる「JR東・信濃川発電所」で発電の電気は、首都圏の大動脈・山手線を動かしている。少し上流の東京電力・信濃川発電所の電気は、首都圏はじめ関東エリアを広くカバーしている。だが、妻有の人たちが使う電気は東北電力の電気。似たというより、全く同じ状況だ。
     30年余り前の福島県知事は佐藤栄佐久氏。今年3月に死去。1994年、東京電力は福島県にビッグプレゼントを公表した。130億円余のサッカースタジアム建設。これがあの「Jヴィレッジ」。当時、東京電力は福島第1原発の2基増設を計画。それには福島県・佐藤知事の事前同意が必須だった。だが、佐藤知事は積極的ではなく、むしろ距離を置く姿勢だった。そこで東京電力が打ち出した「地域貢献策」がサッカースタジアム建設。その後も東京電力は地域振興策の名目で財政支援など「知事合意」を求め次々と手を打ち、合意にこぎつけた。これを「ごね得」と見るなら、それは間違いだ。発電事業者にすれば、発電施設の莫大な固定資産税を納めていると開き直れるが、ならば首都圏に原発を建設すればいい、となり、事実当時そうした論議が噴出した。
     同じ構図が目の前で起きている。信濃川の水を使い発電するJR東と東京電力。その電気を首都圏に送り、経済行為として莫大な利益を生み出している。その発電の地元は、どうなっているのか、ここに似た状況を見る。
     十日町市長選がいよいよ告示だ。これも争点の一つだ。

    2025年4月19日号

  • 続く選挙、有権者意識が試される

     選挙は民主主義のコスト。今年から来年へと選挙が続く。今月は栄村議選、十日町市長選と市議選の同日選だ。7月は参院選。今月18日の県議会の結果によっては原発再稼働の賛否を問う県民投票もある。県議会が県民投票条例を否決した場合、花角知事は新たな手法で「信を問う」ことになる。知事選の前倒しもありうる状況になれば、7月の参院選にぶつける可能性もある。原発再稼働同意の姿勢を示し知事辞職、知事選で信を問う…、衆院選もあるかも…巷間のシナリオは勝手に描く。新年度がスタートしたが、上半期は激動の半年になる予感だ。
     まだ続く。来年春は統一地方選。4月には県議選がある。十日町市・津南町選挙区の現職2人は、いずれも自民。7期のベテランの進退に関心が集まるが、続投は色濃いが、与野党という色分けではない「新たな人材」を待望する雰囲気が漂い始めている。
     さらに続く。来年夏7月は津南町長選がある。全国最年少の女性町長は2期7年の現在進行形だ。懸案の保育園、小学校の再編方針が具体化し、住民説明で具体的なスケジュールを示し、今年6月の町議会で再編実現のための補正予算を提案するか、関心が集まる。
     人口減少は自治体運営のすべての分野に影響している。特に津南町は自治体が経営する町立病院を抱え、「町民の命を守るコスト」と、経営赤字を積み重ねることが許される状況にないことが、さらに行財政を圧迫している。さらに懸案は観光拠点、ニュー・グリーンピア津南の行方。先月、町長名で今後の方針資料が全町配布された。人口8500人余の自治体の中でのグリーンピアの位置づけは理解できるが、「どうするのか?」の疑問符への言葉は見つけられなかった。懸案が続く津南町は、来年夏、節目を迎える。
     選挙は連動する、という。まさに有権者意識が試される。

    2025年4月12日号

  • 原発再稼働、全国注視の新潟県議会

     どう判断するのか、原発再稼働。県民の直接請求の県民投票条例制定を決める県議会は16日開会し、条例制定の採決は18日金曜の予定だ。全県14万を超える条例制定を求める署名を、県議会・県議がどう考え、どう賛否を判断するか、最大の山場を向かえる。
     原点を考えたい。原発の存在の危険性は2011年の東日本大震災が実証している。巨大津波が原発を襲い、あのフクシマ事故が世界に発信され、いまも農林水産物の輸入規制が解かれていない国があるなど、14年経過するが、原発事故はまさに「昨日の事」状態が続いている。
     世界最大級の柏崎刈羽原発。その再稼働を問うのが県条例による県民投票。新潟県の花角知事は自分が判断を下し、「県民に信を問う」としている。その手法については依然明言せず、今度の県民署名による県民投票条例制定が、その信を問う場になる。だが、県議会が条例制定を否決すれば、信を問う場は別に用意されるか、来年の知事選まで持ち越されることになる。だが、国は原発再稼働を進める関連団体と連携し、再稼働には相当に前のめりだ。それにより新潟県の今回の県民投票条例制定は、全国注視の場になっている。それを決める新潟県議会の判断は、文字通り全国の関心を集め、県議ひとり一人が受けるプレッシャーは相当に強いだろう。
     原点の一つは、原発が使用の放射性廃棄物の最終処理先が、いぜん決まっていない、この1点だけでも「再稼働への疑問」が膨らむ現状は、原発が動き出した59年前から、全く変わっていない現実であり、これこそ原点の論議ではないのか。
     一方で専門分野を県民が判断するのには困難性が大きい、などと県議会判断を優先する意見があるが、県議がどれほど詳しいというのか、である。県議会の判断、それは県民、国民の命を守る判断である。その自覚があるのか。

    2025年4月5日号

  • 争点は明快、「私でいいのか」

     ようやくなのか、やっとなのか、いまさらなのか…。十日町市の関口芳史市長が5選表明した。1ヵ月後の今度の市長選の争点は極めて明快だ。それを自ら言葉にしているのが関口市長だ。『私でいいのか』。今度の市長選はこの一点だ。これしかない、と明言できる。
     進退表明をしない時期。逡巡という言葉が当てはまるかどうか、幾度も問われても「熟慮」の二文字を繰り返した。その枕詞ともなったのが「私でいいのか」。自問したというが、これは明らかに市民へのメッセージだろう。そのメッセージが、5選出馬を決めたことで、この言葉がそのまま「市長選の争点」になった。これほど分かりやすく明快な争点の市長選はない。
     5期といえば任期満了で20年。オギャーと生まれた子が二十歳になる歳月を務める期間だ。2005年の市町村合併から今年で20年。その前年が中越地震、10年ひと昔ならばふた昔の20年。歳月人を待たず…だが、十日町の変わりようが、その歳月を物語る。
     進退表明の遅れに対し、様々な見方が噴出している。「誰か手を上げる人を待っていた」。もっともらしい見方だが、それでも名乗りを上げる人が出なかった現実は、そのまま十日町市の現実、実態ではないのか。個々に聞くと「意欲ある人たち」は居る。だが、一歩踏み出さない、いや踏み出せない十日町市の今がある、そういう見方も出来る。その最大要因は4期という絶大な実績を持つ現職の進退不明だったのだろう。果たして、そんな市政の十日町市のこの先は、どうなるのか、である。
     4月から始まる新年度。十日町市は骨格予算のためスタートダッシュができない。6月定例会で詳細予算を示す方針を先の市議会で述べていた関口市長。3ヵ月余のブランクを市民はどう受け止めるのか。
     「私でいいのか」。20日告示、27日投票の十日町市長選の争点はこれだ。

    2025年3月29日号

  • 小中学校を選べる時代に

     小学校から中学校へは、19年前に開校の県立津南中等学校が進路先の一つになっている。小学校も8年前に地元の熱意で開校した「まつのやま学園」は地域外から入学できる。さらに来年4月にはお隣、長野県栄村に開校の文科省認定の義務教育学校「さかえ小中学校」に入学できる。いずれも通学は保護者責任となっているが。
     さかえ小中学校は文科省認定の特任校指定を受け、独自カリキュラムによる特色化ができる小中一貫校だ。義務教育9年間を従来の6・3制ではない学制導入ができ、教科担任制による小学・中学の枠を超えた教育環境を作ることができる。英語など語学教育も充実が可能で、まさに「オリジナル教育」の場が誕生する。この教育の場は、津南町からでも十日町市からでも県外からでも、入学できる。
     小学校は長らく校区・学区制が取られ、居住エリアにある学校に通うのが当たり前だった。だが、子どもたちの多様性、教育の場の多様化などにより、私立以外でも公立小学校への入学も「選べる時代」になっている。この中山間地と呼ばれる地でも、3つのタイプが違う小学校から選び、入学できる時代になった。ただ前述した通り「通学は保護者責任」となっている。
     津南町は2年後、町立小学校を1校にする方針。「統合が決まっているなら、統合前から統合先の小学校に通わせたい」、もっともな親の思いだろう。だが、現ルールでは「特別事情」が許せば…となっている。昨年からの地域保護者の説明会では「統合先に通わせたい」の声は少なくない。再編統合に目途が付いたが、新たな課題が持ち上がっている津南町教育行政だ。声の中には、さかえ小中学校へ…もある。
     義務教育9年間。ようやくなのか、ついになのか、小学校教育の場が「選べる時代に」なってきた。教育行政は大きな転換期に来ている。

    2025年3月22日号

  • 続・出るのか、出ないのか

     なんとも言えない雰囲気が漂っている十日町市。3月定例市議会の10日からの一般質問、新年度骨格予算など議案審議で、政策論を含む関口市長とのやり取りで感じる空気だ。市議は議案質疑をしつつ、「妙な感じだ」と懐疑心の塊になっているのではないか。それは、「4月の市長選以降、この場にいるかどうか分からない市長に、その先の市政方針や政策論を問うても…」だろう。いまだ進退表明しない十日町市のトップは、こうした事態をどう考えているのか。再び問う、「出るのか、出ないのか」。
     議会質疑の関口市長の言葉は、聞きようによってはいつも通り。それも、任期満了以降に関わる市政には、これまでの市政の延長線上にある言葉で対応し、再度市政を担う踏み込んだ言葉はなく、この点でも「いましばらく熟慮を」と進退表明しない現状に対し、相当なる意識を使っている様子が読み取れる。
     関口市政のこの4年間。様々な視点で総括できるし、立場の違いで良くも、悪くも評価されるだろう。10日の一般質問に答えた関口市長の答弁の中に、今後4年間、「私でいいのか」という言葉があった。すぐに反応した声が飛んで来た。『良い、悪いは、市民が決めること。なにを勘違いしているのか』。市民は厳しく、相当に敏感になっており、十日町市にとって良からぬ事態に進んでいる現状を、関口市長は感じているはずである。
     開会中の3月定例会の最終日は21日の金曜。提案議案の審議が終わり、最後に市長挨拶がある。注目はこの場だろう。その翌週28日は市長選・市議選立候補予定者の説明会だ。市政の両輪といわれる市議会を重視するなら、この場が最後の表明の場となる。
     『関口市長、5選出馬表明』。この新聞見出しを用意しようか…。すでに意志は固まっているのではないか。

    2025年3月15日号

  • 出るのか、出ないのか

     「ここまで引っ張っておいて、なんと無責任な」、退任表明したらこんな言葉が飛んで来る。「何をいまさら、なんで、もっと早くに」、続投表明したら即座にこんな言葉が返ってくる、十日町市・関口芳史市長の進退表明の遅れに対する巷間話だ。「今しばらく熟慮を」。市議会3月定例会の施政方針表明で再び同じ言葉を重ねた。関口市長に何が起こっているのか、いや「一つのシナリオで動いている」など、巷は賑やかだ。
     それにしても、である。「らしくない」、この言葉が浮かぶ。4期16年の積年の経験値は、岐路に立った時の対処の答えは持ち合わせているはずであり、それをも上回る「事態」に直面している、のだろうか。人に言われてモノを申す、動くことを良しとしないトップ像を見てきただけに、らしくない、のである。
     10日、市議会一般質問のトップバッターが関口市長に進退を問う。以降も進退を問う場面はある。「聞かれたから、答える」、これまでの関口市長は、こうした受け身的な答弁は良しとせず、自ら作る場で明言してきたし、今回もそうではないのか。前々号社説「言葉なきメッセージ」に声を多数頂いた。ボールを投げられた十日町市民だが、いまだ投げ返されたボールはない。来月20日告示、あと43日と迫る。
     市長への厳しい言葉も届いている。「市民を愚弄している」、そう受け止めざるを得ない事態である。4年に一度の市長選は選挙期間7日間だけの問題ではない。市町村合併で誕生した新生・十日町市は今年20年を迎え、いわゆる成人の域に達している。そのトップリーダーを選ぶ4月20日告示、27日投票の十日町市長選の混迷、困惑を招いているのは、関口市長その人だ。その責任は重い。
     市民は待っている。新たな声が上がるのを。出るのか、出ないのか、その明言を聞きたい。

    2025年3月8日号

  • 時にはパフオーマンスも必要

     お隣、長野・木島平村の日臺(ひだい)正博村長の『68歳、初スノボチャレンジ』が話題だ。TikTok動画はアップから3週間で2万5千回を超えている。3期在職の日臺村長、村ウェブサイトでも「村長のひとこと」を連載中。やはり動画の反響は大きい。長野県紙・信濃毎日でも取り上げられ、さらに視聴回数が増しているようだ。時にはパフォーマンスも必要だ。
     連日の大雪ニュースで、新潟県では魚沼市守門と津南町が「トップ争い」。全国のダントツは青森市の八甲田山麓・酸ヶ湯温泉で、すでに5㍍を越えている。人口密度で比較すれば魚沼市守門と津南町が全国トップは間違いない。名刺交換すると、所在地を見た相手はほぼ全員が「あの津南町ですか」と、知名度はすでに全国ネットだ。
     この知名度を活用しない手はない。かつては「あんな豪雪地に、うちの嫁はやれない」などと縁談が成り立たなかった昭和30、40年代を知る世代は、もう少なくなったかもしれない。だが今は逆転の発想で「そんな大雪、ぜひ見てみたい」と雪なし国からの外国人観光客が増加している。まさに雪のインバウンド効果。国内ではどうなのか。やはり雪国からの発信力だろう。
     ふるさと納税の増額策が議会の場などで論じられる。その正攻法と共に、日臺村長のようなイメージ戦略も必要だ。津南町の中央部の津南小学校は1年生だけで下校する時、地域の方が見守り役で「下校ボランティア」が同行する。国道117号の車道と歩道の間には子どもの背丈の3倍近い250㌢余の雪壁があり、両側雪壁の谷間の歩道を子どもたちと下校ボラの大人が見守りながら歩く。まさに「これが雪国の子どもたち」。雪なし地域では想像すらできない映像だろう。
     どうですか、桑原町長。一緒に下校してみては。その動画は相当インパクトがあり、「呼び水」になるのでは。

    2025年3月1日号

  • 骨格予算、関口市長の「言葉なきメッセージ」

     その年度がスタートする4月に改選を向かえる市町村長は、新年度の予算編成を事業詳細予算ではなく、いわゆる「骨格」だけ予算編成する場合が多い。十日町市は市町村合併後、年度スタートの4月に市長選を毎回行い、その時の現職は「市政の継続」から改選後の新年度市政に滞りが無いように、事業詳細予算を組んできた。4期在職の関口市長も、改選時の新年度予算は「次の4年間はこうしたい」と市政方針を反映させ、予算編成した。 
     だが、今回発表した新年度予算は「骨格予算」。素直に受ければ「今期限りで引退」だが、どうも市長周辺を取材すると、ニュアンスが違う。「両面の構え」ではないのか。
     多選批判は「重々承知」しているであろう66歳の関口市長。今回の骨格予算は言葉にはしていないが、「どうぞ、バトンタッチの用意は出来ています」とも取れる。つまり『呼び水』ではないのか。 2期在職時、「トップは2期交代が良い」と行政長のあり方を一般論で述べたことがある関口市長。その倍の4期在職の現実は、自身の政治ポリシーとかけ離れた存在になり、その弊害を自覚しているのではないか。旧十日町市を含め十日町市では過去最多選の市長で、市民感情を肌感覚で感じる4期在職の心境が、今回の骨格予算によく現われている。
     もう一つのシナリオ。進退表明が遅れ、「もう1期してもらいたい」と市民から声が上がり、「最後の奉公」と5選出馬。事実、後援会周辺の動きがない現状が、その証左だろう。
     ならば、現職表明の前に『呼び水』に応える新人の出番ではないか。同時選の市議選。再出馬の現職市議はすでに臨戦態勢だ。「向かう先を市長選に」代えることはできる。関口市長の『言葉なきメッセージ』を受ける「誰か」はいないのか。市民の期待は増している。

    2025年2月22日号

  • 退けた民意、新潟県議会の矜持とは

     「自分の能力を信じて抱く誇り」と言葉解説にある『矜持』。新潟県議会の矜持とは、なんだったのか。いやいや、そもそも矜持はあったのか。県民代表の気概を抱くなら、その矜持を示すべきだった。だが、原発県民投票の条例制定議案を事もなく否決した新潟県議会。そこに矜持は感じない。否決誘因の花角知事の県議会前の発言、がっかりした県民は多い。『二者択一では把握できない』、原発問題を国策と一蹴した12年前の県議会論議と通底する論点であり、原発所在県の新潟県トップは民意から逃げた。意向調査は「意識の分断」を招くだけだ。いや、それが狙いなのか。さて第二幕はあるのか。
     第一幕の県民投票は、花角知事が本番ステージに登場する前演だった。「信を問う」と公言する知事が再稼働賛否を出す前に、県民投票で県民の総意を示し、知事の判断材料にする、そんなシナリオの県民投票実現だった。だが、主役の知事登場前に、自らステージ袖から「二者択一はなじまない」と小声ながら、それがスピーカー効果を生み、同時進行の別ステージの県民投票条例制定の舞台に流れ、県民代表を自負する県議、自民県議の数の力で、ステージに上がる前に退けられた、これが第一幕の顛末だろう。
     『信を問う』。幾度となく口にした花角知事のこの言葉。県民投票条例否決で、この言葉の前に「知事選で」が付くことが明確になってきた。次なる関心は知事選の時期である。今夏の参院選との同時選とする見方が有力だったが、県民条例否決後、来年7月の任期満了説が有力視される事態になっている。あと1年余、この間に国は様々な手法と言葉で「再稼働合意づくり」に向け、あの手、この手を打って来るだろう。アメとムチで。
     さて第二幕は、どう幕開きするのか。
    世界最大級の原発の存在賛否を自ら決める、これが新潟県民の矜持だろう。

    2025年4月26日号

  • 似た状況下での十日町市長選

     似たような局面が、頭を過ぎった。3・11のフクシマ原発事故の福島県で1994年から数年、30年前ほどに起こった発電事業者と地元福島県知事の攻防だ。東京電力の福島原発の電気はすべて首都圏に送られていた。地元福島県民は東北電力の電気を使い、いまもこの構図は変わっていない。ここ妻有の地と同じではないか。JR東・宮中取水ダムによる「JR東・信濃川発電所」で発電の電気は、首都圏の大動脈・山手線を動かしている。少し上流の東京電力・信濃川発電所の電気は、首都圏はじめ関東エリアを広くカバーしている。だが、妻有の人たちが使う電気は東北電力の電気。似たというより、全く同じ状況だ。
     30年余り前の福島県知事は佐藤栄佐久氏。今年3月に死去。1994年、東京電力は福島県にビッグプレゼントを公表した。130億円余のサッカースタジアム建設。これがあの「Jヴィレッジ」。当時、東京電力は福島第1原発の2基増設を計画。それには福島県・佐藤知事の事前同意が必須だった。だが、佐藤知事は積極的ではなく、むしろ距離を置く姿勢だった。そこで東京電力が打ち出した「地域貢献策」がサッカースタジアム建設。その後も東京電力は地域振興策の名目で財政支援など「知事合意」を求め次々と手を打ち、合意にこぎつけた。これを「ごね得」と見るなら、それは間違いだ。発電事業者にすれば、発電施設の莫大な固定資産税を納めていると開き直れるが、ならば首都圏に原発を建設すればいい、となり、事実当時そうした論議が噴出した。
     同じ構図が目の前で起きている。信濃川の水を使い発電するJR東と東京電力。その電気を首都圏に送り、経済行為として莫大な利益を生み出している。その発電の地元は、どうなっているのか、ここに似た状況を見る。
     十日町市長選がいよいよ告示だ。これも争点の一つだ。

    2025年4月19日号

  • 続く選挙、有権者意識が試される

     選挙は民主主義のコスト。今年から来年へと選挙が続く。今月は栄村議選、十日町市長選と市議選の同日選だ。7月は参院選。今月18日の県議会の結果によっては原発再稼働の賛否を問う県民投票もある。県議会が県民投票条例を否決した場合、花角知事は新たな手法で「信を問う」ことになる。知事選の前倒しもありうる状況になれば、7月の参院選にぶつける可能性もある。原発再稼働同意の姿勢を示し知事辞職、知事選で信を問う…、衆院選もあるかも…巷間のシナリオは勝手に描く。新年度がスタートしたが、上半期は激動の半年になる予感だ。
     まだ続く。来年春は統一地方選。4月には県議選がある。十日町市・津南町選挙区の現職2人は、いずれも自民。7期のベテランの進退に関心が集まるが、続投は色濃いが、与野党という色分けではない「新たな人材」を待望する雰囲気が漂い始めている。
     さらに続く。来年夏7月は津南町長選がある。全国最年少の女性町長は2期7年の現在進行形だ。懸案の保育園、小学校の再編方針が具体化し、住民説明で具体的なスケジュールを示し、今年6月の町議会で再編実現のための補正予算を提案するか、関心が集まる。
     人口減少は自治体運営のすべての分野に影響している。特に津南町は自治体が経営する町立病院を抱え、「町民の命を守るコスト」と、経営赤字を積み重ねることが許される状況にないことが、さらに行財政を圧迫している。さらに懸案は観光拠点、ニュー・グリーンピア津南の行方。先月、町長名で今後の方針資料が全町配布された。人口8500人余の自治体の中でのグリーンピアの位置づけは理解できるが、「どうするのか?」の疑問符への言葉は見つけられなかった。懸案が続く津南町は、来年夏、節目を迎える。
     選挙は連動する、という。まさに有権者意識が試される。

    2025年4月12日号

  • 原発再稼働、全国注視の新潟県議会

     どう判断するのか、原発再稼働。県民の直接請求の県民投票条例制定を決める県議会は16日開会し、条例制定の採決は18日金曜の予定だ。全県14万を超える条例制定を求める署名を、県議会・県議がどう考え、どう賛否を判断するか、最大の山場を向かえる。
     原点を考えたい。原発の存在の危険性は2011年の東日本大震災が実証している。巨大津波が原発を襲い、あのフクシマ事故が世界に発信され、いまも農林水産物の輸入規制が解かれていない国があるなど、14年経過するが、原発事故はまさに「昨日の事」状態が続いている。
     世界最大級の柏崎刈羽原発。その再稼働を問うのが県条例による県民投票。新潟県の花角知事は自分が判断を下し、「県民に信を問う」としている。その手法については依然明言せず、今度の県民署名による県民投票条例制定が、その信を問う場になる。だが、県議会が条例制定を否決すれば、信を問う場は別に用意されるか、来年の知事選まで持ち越されることになる。だが、国は原発再稼働を進める関連団体と連携し、再稼働には相当に前のめりだ。それにより新潟県の今回の県民投票条例制定は、全国注視の場になっている。それを決める新潟県議会の判断は、文字通り全国の関心を集め、県議ひとり一人が受けるプレッシャーは相当に強いだろう。
     原点の一つは、原発が使用の放射性廃棄物の最終処理先が、いぜん決まっていない、この1点だけでも「再稼働への疑問」が膨らむ現状は、原発が動き出した59年前から、全く変わっていない現実であり、これこそ原点の論議ではないのか。
     一方で専門分野を県民が判断するのには困難性が大きい、などと県議会判断を優先する意見があるが、県議がどれほど詳しいというのか、である。県議会の判断、それは県民、国民の命を守る判断である。その自覚があるのか。

    2025年4月5日号

  • 争点は明快、「私でいいのか」

     ようやくなのか、やっとなのか、いまさらなのか…。十日町市の関口芳史市長が5選表明した。1ヵ月後の今度の市長選の争点は極めて明快だ。それを自ら言葉にしているのが関口市長だ。『私でいいのか』。今度の市長選はこの一点だ。これしかない、と明言できる。
     進退表明をしない時期。逡巡という言葉が当てはまるかどうか、幾度も問われても「熟慮」の二文字を繰り返した。その枕詞ともなったのが「私でいいのか」。自問したというが、これは明らかに市民へのメッセージだろう。そのメッセージが、5選出馬を決めたことで、この言葉がそのまま「市長選の争点」になった。これほど分かりやすく明快な争点の市長選はない。
     5期といえば任期満了で20年。オギャーと生まれた子が二十歳になる歳月を務める期間だ。2005年の市町村合併から今年で20年。その前年が中越地震、10年ひと昔ならばふた昔の20年。歳月人を待たず…だが、十日町の変わりようが、その歳月を物語る。
     進退表明の遅れに対し、様々な見方が噴出している。「誰か手を上げる人を待っていた」。もっともらしい見方だが、それでも名乗りを上げる人が出なかった現実は、そのまま十日町市の現実、実態ではないのか。個々に聞くと「意欲ある人たち」は居る。だが、一歩踏み出さない、いや踏み出せない十日町市の今がある、そういう見方も出来る。その最大要因は4期という絶大な実績を持つ現職の進退不明だったのだろう。果たして、そんな市政の十日町市のこの先は、どうなるのか、である。
     4月から始まる新年度。十日町市は骨格予算のためスタートダッシュができない。6月定例会で詳細予算を示す方針を先の市議会で述べていた関口市長。3ヵ月余のブランクを市民はどう受け止めるのか。
     「私でいいのか」。20日告示、27日投票の十日町市長選の争点はこれだ。

    2025年3月29日号

  • 小中学校を選べる時代に

     小学校から中学校へは、19年前に開校の県立津南中等学校が進路先の一つになっている。小学校も8年前に地元の熱意で開校した「まつのやま学園」は地域外から入学できる。さらに来年4月にはお隣、長野県栄村に開校の文科省認定の義務教育学校「さかえ小中学校」に入学できる。いずれも通学は保護者責任となっているが。
     さかえ小中学校は文科省認定の特任校指定を受け、独自カリキュラムによる特色化ができる小中一貫校だ。義務教育9年間を従来の6・3制ではない学制導入ができ、教科担任制による小学・中学の枠を超えた教育環境を作ることができる。英語など語学教育も充実が可能で、まさに「オリジナル教育」の場が誕生する。この教育の場は、津南町からでも十日町市からでも県外からでも、入学できる。
     小学校は長らく校区・学区制が取られ、居住エリアにある学校に通うのが当たり前だった。だが、子どもたちの多様性、教育の場の多様化などにより、私立以外でも公立小学校への入学も「選べる時代」になっている。この中山間地と呼ばれる地でも、3つのタイプが違う小学校から選び、入学できる時代になった。ただ前述した通り「通学は保護者責任」となっている。
     津南町は2年後、町立小学校を1校にする方針。「統合が決まっているなら、統合前から統合先の小学校に通わせたい」、もっともな親の思いだろう。だが、現ルールでは「特別事情」が許せば…となっている。昨年からの地域保護者の説明会では「統合先に通わせたい」の声は少なくない。再編統合に目途が付いたが、新たな課題が持ち上がっている津南町教育行政だ。声の中には、さかえ小中学校へ…もある。
     義務教育9年間。ようやくなのか、ついになのか、小学校教育の場が「選べる時代に」なってきた。教育行政は大きな転換期に来ている。

    2025年3月22日号

  • 続・出るのか、出ないのか

     なんとも言えない雰囲気が漂っている十日町市。3月定例市議会の10日からの一般質問、新年度骨格予算など議案審議で、政策論を含む関口市長とのやり取りで感じる空気だ。市議は議案質疑をしつつ、「妙な感じだ」と懐疑心の塊になっているのではないか。それは、「4月の市長選以降、この場にいるかどうか分からない市長に、その先の市政方針や政策論を問うても…」だろう。いまだ進退表明しない十日町市のトップは、こうした事態をどう考えているのか。再び問う、「出るのか、出ないのか」。
     議会質疑の関口市長の言葉は、聞きようによってはいつも通り。それも、任期満了以降に関わる市政には、これまでの市政の延長線上にある言葉で対応し、再度市政を担う踏み込んだ言葉はなく、この点でも「いましばらく熟慮を」と進退表明しない現状に対し、相当なる意識を使っている様子が読み取れる。
     関口市政のこの4年間。様々な視点で総括できるし、立場の違いで良くも、悪くも評価されるだろう。10日の一般質問に答えた関口市長の答弁の中に、今後4年間、「私でいいのか」という言葉があった。すぐに反応した声が飛んで来た。『良い、悪いは、市民が決めること。なにを勘違いしているのか』。市民は厳しく、相当に敏感になっており、十日町市にとって良からぬ事態に進んでいる現状を、関口市長は感じているはずである。
     開会中の3月定例会の最終日は21日の金曜。提案議案の審議が終わり、最後に市長挨拶がある。注目はこの場だろう。その翌週28日は市長選・市議選立候補予定者の説明会だ。市政の両輪といわれる市議会を重視するなら、この場が最後の表明の場となる。
     『関口市長、5選出馬表明』。この新聞見出しを用意しようか…。すでに意志は固まっているのではないか。

    2025年3月15日号

  • 出るのか、出ないのか

     「ここまで引っ張っておいて、なんと無責任な」、退任表明したらこんな言葉が飛んで来る。「何をいまさら、なんで、もっと早くに」、続投表明したら即座にこんな言葉が返ってくる、十日町市・関口芳史市長の進退表明の遅れに対する巷間話だ。「今しばらく熟慮を」。市議会3月定例会の施政方針表明で再び同じ言葉を重ねた。関口市長に何が起こっているのか、いや「一つのシナリオで動いている」など、巷は賑やかだ。
     それにしても、である。「らしくない」、この言葉が浮かぶ。4期16年の積年の経験値は、岐路に立った時の対処の答えは持ち合わせているはずであり、それをも上回る「事態」に直面している、のだろうか。人に言われてモノを申す、動くことを良しとしないトップ像を見てきただけに、らしくない、のである。
     10日、市議会一般質問のトップバッターが関口市長に進退を問う。以降も進退を問う場面はある。「聞かれたから、答える」、これまでの関口市長は、こうした受け身的な答弁は良しとせず、自ら作る場で明言してきたし、今回もそうではないのか。前々号社説「言葉なきメッセージ」に声を多数頂いた。ボールを投げられた十日町市民だが、いまだ投げ返されたボールはない。来月20日告示、あと43日と迫る。
     市長への厳しい言葉も届いている。「市民を愚弄している」、そう受け止めざるを得ない事態である。4年に一度の市長選は選挙期間7日間だけの問題ではない。市町村合併で誕生した新生・十日町市は今年20年を迎え、いわゆる成人の域に達している。そのトップリーダーを選ぶ4月20日告示、27日投票の十日町市長選の混迷、困惑を招いているのは、関口市長その人だ。その責任は重い。
     市民は待っている。新たな声が上がるのを。出るのか、出ないのか、その明言を聞きたい。

    2025年3月8日号

  • 時にはパフオーマンスも必要

     お隣、長野・木島平村の日臺(ひだい)正博村長の『68歳、初スノボチャレンジ』が話題だ。TikTok動画はアップから3週間で2万5千回を超えている。3期在職の日臺村長、村ウェブサイトでも「村長のひとこと」を連載中。やはり動画の反響は大きい。長野県紙・信濃毎日でも取り上げられ、さらに視聴回数が増しているようだ。時にはパフォーマンスも必要だ。
     連日の大雪ニュースで、新潟県では魚沼市守門と津南町が「トップ争い」。全国のダントツは青森市の八甲田山麓・酸ヶ湯温泉で、すでに5㍍を越えている。人口密度で比較すれば魚沼市守門と津南町が全国トップは間違いない。名刺交換すると、所在地を見た相手はほぼ全員が「あの津南町ですか」と、知名度はすでに全国ネットだ。
     この知名度を活用しない手はない。かつては「あんな豪雪地に、うちの嫁はやれない」などと縁談が成り立たなかった昭和30、40年代を知る世代は、もう少なくなったかもしれない。だが今は逆転の発想で「そんな大雪、ぜひ見てみたい」と雪なし国からの外国人観光客が増加している。まさに雪のインバウンド効果。国内ではどうなのか。やはり雪国からの発信力だろう。
     ふるさと納税の増額策が議会の場などで論じられる。その正攻法と共に、日臺村長のようなイメージ戦略も必要だ。津南町の中央部の津南小学校は1年生だけで下校する時、地域の方が見守り役で「下校ボランティア」が同行する。国道117号の車道と歩道の間には子どもの背丈の3倍近い250㌢余の雪壁があり、両側雪壁の谷間の歩道を子どもたちと下校ボラの大人が見守りながら歩く。まさに「これが雪国の子どもたち」。雪なし地域では想像すらできない映像だろう。
     どうですか、桑原町長。一緒に下校してみては。その動画は相当インパクトがあり、「呼び水」になるのでは。

    2025年3月1日号

  • 骨格予算、関口市長の「言葉なきメッセージ」

     その年度がスタートする4月に改選を向かえる市町村長は、新年度の予算編成を事業詳細予算ではなく、いわゆる「骨格」だけ予算編成する場合が多い。十日町市は市町村合併後、年度スタートの4月に市長選を毎回行い、その時の現職は「市政の継続」から改選後の新年度市政に滞りが無いように、事業詳細予算を組んできた。4期在職の関口市長も、改選時の新年度予算は「次の4年間はこうしたい」と市政方針を反映させ、予算編成した。 
     だが、今回発表した新年度予算は「骨格予算」。素直に受ければ「今期限りで引退」だが、どうも市長周辺を取材すると、ニュアンスが違う。「両面の構え」ではないのか。
     多選批判は「重々承知」しているであろう66歳の関口市長。今回の骨格予算は言葉にはしていないが、「どうぞ、バトンタッチの用意は出来ています」とも取れる。つまり『呼び水』ではないのか。 2期在職時、「トップは2期交代が良い」と行政長のあり方を一般論で述べたことがある関口市長。その倍の4期在職の現実は、自身の政治ポリシーとかけ離れた存在になり、その弊害を自覚しているのではないか。旧十日町市を含め十日町市では過去最多選の市長で、市民感情を肌感覚で感じる4期在職の心境が、今回の骨格予算によく現われている。
     もう一つのシナリオ。進退表明が遅れ、「もう1期してもらいたい」と市民から声が上がり、「最後の奉公」と5選出馬。事実、後援会周辺の動きがない現状が、その証左だろう。
     ならば、現職表明の前に『呼び水』に応える新人の出番ではないか。同時選の市議選。再出馬の現職市議はすでに臨戦態勢だ。「向かう先を市長選に」代えることはできる。関口市長の『言葉なきメッセージ』を受ける「誰か」はいないのか。市民の期待は増している。

    2025年2月22日号