選挙のたびに言われるのが投票率の低下。2015年から18、19歳が有権者となり9年経過。これまで数多くの選挙が行われたが18歳~20代、30代も含めてもこの世代の投票率は20%台、よくて30%台。一方で60代~90代はどの選挙も高い投票率を示す。
10代・20代・30代投票率を上げるにはこの世代が立候補するか、あるいは極論だが、この世代に絶大人気の俳優、あるいは音楽アーティストでも出馬すればこぞって投票する、かもしれない。投票率という数字を上げる方法は、結局は候補者への関心度に尽きるともいえる。
政治に直結する投票という行為は、そのまま端的に数字に表れる。『投票結果の一桁に自分がいる』といわれる。自分が入れた候補得票の最後の数字、一桁の数字は自分が入れた1票だ。自分が入れなければその数字は1票少なくなる。こう考えると、各候補の得票結果の一桁は、紛れもなく「自分の1票」。見える1票である。それが積み重なり、百になり千になり万になる。
その前提が重要だ。「1票を入れたい候補」「入れたい政党」でなければならない。だが、そこで投票所へ一歩踏み出せない有権者が多い、それが低投票率という現象を生み出している。今回の衆院選、全国の選挙区を見ると、かなり興味深い選挙区が多い。ただそれは投票したくなる選挙区というより、結果が興味深い選挙区だ。
ここ新潟新5区はどうか。自民と立憲の一騎打ちというこれ以上ない対決構図だが、関心の度合いが低いのは両前職とも「ルール違反」を犯した身。今度の選挙を「みそぎ」と考えているなら大間違いだ。うやむやのまま突入した衆院総選挙。選挙で決着をつけようにも、両前職以外に選択肢がなく、有権者の困惑はさらに増している。
だが選ばなくてはならない。両前職の政党の比較、ここに大きな差がある。
2024年10月19日号
衆院解散、総選挙は今月15日公示、27日投票で行うが、選挙区再編の新潟県小選挙区5つは、与野党伯仲の選挙戦になっている。特にここ新5区は、前回選で小選挙区勝者の立憲現職・梅谷守氏(50)と比例復活の自民現職・高鳥修一氏(63)との四度目の対決が濃厚。特に今回、自民本部が打ち出した「政治資金不記載問題」に牴触する現職の比例重複立候補を禁止したため、544万円の不記載が党本部規定に該当する高鳥氏は比例区立候補が出来ず、まさに「背水の陣」。一方の梅谷氏も今年早々の新年行事で有権者に日本酒を配り、公選法違反で告発を受けている身だ。新5区の現職2人は共に「傷負い」状態で、有権者の選択を困惑させている。両現職ともすでに選対を立ち上げ臨戦態勢に入っているが、新たに新5区入りの魚沼3市町7万9千人余の有権者への浸透が、勝敗に大きく影響すると見られ、両選対は魚沼エリアの攻勢に力を入れている。
2024年10月12日号
「夢を持つ、日常に感謝、過去に囚われない、自分をまず変える、敵は自分自身」。十日町市出身で東京オリンピックに出場した服部勇馬選手(31、トヨタ自動車)は故郷の中学生に自身が大事に思う5つの言葉を語り「夢を持つこと、これが一番。何のために走るのか、何のために勉強するのか、それを考えることが大切」と語った。
故郷に戻り、4日は吉田中学、7日に母校の中里中学で講演した服部選手。中里中学‐仙台育英高に進んだ。「小学時代はサッカーに熱中し、中学では母が保育士だったので、自分の将来の目標は保育士だった。まさかマラソンやオリンピックをめざすとは思ってもいなかった」と振り返る。「マラソンは42・195㌔を走る競技で、吉田中から長岡のリバーサイド千秋までを走る距離」。今は1日30㌔ほど走り、1ヵ月で1000㌔、3年で地球1周ほど走っていると語り「いまのところ、地球3周くらいはしている」と会場を驚かせた。
2024年10月12日号
『おいしい』、このひと言が食づくりのエネルギー源。「あれこれ組み合わせを想像してワクワクしちゃうんですよね。巾着の中にトロロをいれて蒸したり、豆腐と納豆を入れたり」。誰も思いつかないような組み合わせが次々と思い浮かび、「人にもその発想なかなかないよねぇ、
なんて驚かれます」。
こだわりを持った創作料理や、手作り弁当をつくる『自然食ぽのわ』を開き3年目になる。
『食』のルーツは小中学時代を過ごした南魚沼市五十沢の自然豊かな体験がベース。「何かを作るのが好きでした。小学校から帰ってきたら、友だち3人とケーキ作ったり、またそれをアレンジしてみたり料理作りを遊びのように楽しみました。当時は、そんなに簡単にお菓子なんて買えなかったのもあると思います」。
さらに五十沢中学ではアウトドア活動に魅力を持つ。「川がきれいで、イワナ、ヤマメ、カジカを突いて、その場で焼いて食べたりしていました。獲りたての魚の味は最高に美味しかったです」。
中3の時、十日町市に引っ越す。高卒後、幼少から夢だった保育士をめざし専門学校へ。だが…、「憧れが強かったのもあって、理想と現実の大きな違いに私のめざす保育ではないと感じ2年で十日町に帰ってきました」。
そこから人生が方向転換。大きく動き出した。弁当屋に始まり、様々な施設など「食」に関わる業務を次々と経験。「いつか、自分のお店が持ちたいなぁって思い始めたんです。夢が叶うといいなぁって」。
転機は、まつだい農舞台「里山食堂」勤務の時だった。「マクロビオティックという調理法との出会いでした」。玄米を主体に穀物を主菜として旬の地元食材の美味しさをそのまま提供する里山食堂。今までとは違った調理法、考え方に驚いた。「その時、息子が食物アレルギーでしたが、無農薬や無添加食品に代えたら症状が良くなったんです」。食の大切さを実体験として感じ、同時に、アレルギーや病気で食事制限に悩む人たちの力になりたい、その思いがさらに増し、「自分の店を持ちたい」と、開業への思いも強くなった。
そんな時だった。『空いている店舗があるけど、どう?』。その人が声を掛けてくれた。「いまだ、自分でやろう」と決意。弁当屋「七彩」を開業。29歳だった。
だが経営は難しい。「私は作ることは好きなんですが、思いだけじゃ継続できない。止めようかな…と考えたんです」。だが、あの人がまた声をかけてくれた。『いい人が居るよ、会ってみたら』。「不思議ですね、いつもそろそろ方向転換って思うと、その人が声をかけ連絡をくれるんです。いつも絶妙なタイミングで」と笑う。
紹介された人は、食に対して同じ価値観を持つ人だった。2021年8月に出会い、9月には店をオープン。スピード結婚のような出会いから事業パートナーとなった。
『自然食ぽのわ』。ハワイ語でポノは「ありのまま、精神、環境、物事、健康、全てのバランスが整った状態。正常な状態の事を言います」。それが広がっていく思いを「輪」という言葉に乗せ「ぽのわ」。子どもから大人まで喜ばれる安心安全の食の提供を二人三脚で経営、3年目を迎える。
「車麩や大豆をお肉料理に仕立てるなど、目で見て楽しみ、味付けも変え、煮る、揚げるなど調
理法を工夫し、変化をつけています。食材に固定概念を持ってほしくないですね」。オヤッと思う料理は、食を通して会話も弾む。「お客さんに、『これ何?』と、食からの話題の広がりも楽しみの一つです」。そんな楽しい雰囲気が口コミで広がり、来店者の幅が広がりに繋がっている。
「現在JAべジぱーくで弁当や総菜を置き、仕出しや弁当の注文を受けています。今後はアレルギーや食事制限に悩む方にも対応した出張料理代行も準備中です」。さらにハワイアン料理「レイ」を市内宮下町で金曜夜に限定営業。レイは感謝の言葉。
「食事は、自分で選んで自分の体内に入れるものです。なんでも手軽に入る時代だからこそ、自分で身体が喜ぶ食事を選んでほしいです。それは自然に良い身体が出来ていくことになりますから」。
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金谷日向さん
2024年10月12日号
秋山郷に来て30年近くが過ぎた。春と秋の二度ここでカメムシにいじめられ続けていた。伊勢湾台風後に、防風用に植えられ大きく成長した杉に囲まれた一軒家に昨年まで暮らし、中津川対岸の百㍍ほど先に昔からの旅館「仁成館」があるばかりで、川をはさんで共にカメムシには苦しめられていた。
中津川右岸の宿は季節ごとの登山客、釣り客、湯治客で雪のない時期は忙しくしていた。私のところはひとり暮らしの古い家で、木端葺きの上にトタンを張った屋根で、秋口になると風のない穏やかな日、カメムシが湧き出すように飛んでくるのだ。ヤマトクサギカメムシと呼ばれていた。この虫が廊下一面にへばりつき触ろうものならとにかく臭く、皮膚に触れると痛く肝を冷やしたものである。
そのうち「しょうがない」と観念すると、何となくどうにかなってしまうものなのか、その臭いにも慣れてしまったようで、まっ諦めたのだろう。この辺りの人と同じように掴まえた虫をストーブに放り込んだり、自家製のペットボトルに灯油を少し入れて投げこんだりしていた。虫が動く秋や春にはそれぞれ5、6㌔ほどの虫を取ったものである。
近頃になって旧仁成館も住む人がいなくなると、どうにも中津川左岸の一軒家でのひとり暮らしが面倒になり、対岸の集落で家を探し、見つけて改修工事をし移転をしたのが昨年のことで、そこも同じように虫の多いところだと聞いていた。
工事が終わって外壁のペンキを選んだのだが、目立たない小さな家でもあり、派手だったがベンガラの塗料を塗ることにした。家は小さな赤い家となって、それなりの存在感を嬉しく感じた。
昨年の今頃だが、隣の人がやって来て「ここには虫がいないな! みんなワシのところに来てしまったようだ」と笑っていた。そう言われて、はて! と考えると、確かにここではカメムシを見ないと感じた。人とは勝手なもので、ここで虫に気がつかないことに気がついた。見ぬもの清である。外壁に塗布したベンガラの塗料を虫が嫌ったように思えた。
さて、そうなると今年の秋に飛んでくる虫を強く意識することになる。そこで昨年のベンガラ塗料を取り寄せて考えるのだが、塗れば来ないと言うほど単純ではないだろと、科学する頭がない私にはその先が解らなかった。友人の農学部で教鞭をとる先生に訊くと「ベンガラは酸化鉄で、つまり鉄さびで木材を丈夫にし乾燥すると害虫やカビなどを防ぐ」と言う。塗布した表面が㏗12ほどのアルカリ性となるので酸性域を好む虫は寄り付きにくくなるとも言う。虫が酸性域を好むのかは分からないが、加えるに伝統技術的の柿渋と混ぜて使うとより効果的だろうとも御教授頂けた。
それならハッカ油なども良いのだろうと検証をしてみることにした。大きめのタッパーに仕切りを立て、塗料を塗布した板と白木の板を別々に置くのだ。飛びくる虫を素手で捕まえては放り込んでおよそ50匹ほども入れて観察してみると、当日から虫は白木の方に集まってベンガラ色の板には数匹の虫を見るだけになった。
まだまだ観察は続けるが確かにカメムシに対しては効果があるように思えた。昨年塗った外壁が今年も効果が続くのかと気を揉むのだが、な〜に虫が寄って来れば、またベンガラを塗るだけだ!こうなればひとつ、昔年の恨みを晴らしてみようと思った。
ただ、その矢先2回目の脳梗塞の患者となった私がいた!
2024年10月12日号
津南町に移住して、夜のコンビニに行くとさまざまな虫が看板の明かりや照明に集まっていることに驚いた。
都心では買ったり、わざわざ旅行先に出かけて捕るカブトムシやクワガタも夜の山に入るより簡単にコンビニ前で見つけられたりする。
それだけ虫たちも多種多様に生息する自然があるからなのだと思う一方、都心では考えられないほどの大きな虫に出会い大変驚いたことがある。
ある日の入浴中、誰かが窓をたたくような音がすると思い、窓の方を見ると誰もいない。
風か気のせいと思い、また湯船でくつろいでいるとまた同じような音が聞こえてくるのだ。
何だろうと思い、窓をずっと見ていると手のひらサイズの蛾が室内の明かり目掛けて窓ガラスに体当たりしていた。
大きさもさることながら、蛾の厚みと重量感に不気味さを感じ、こんなに大きな蛾が田舎にはいるのかと驚いたことをよく覚えている。
他にもオニヤンマやムカデなど都心では見かけない大きさの虫に驚くこともしばしばだが、これも都会にはない田舎の良さと今は思えている。
2024年10月12日号
これはチャンスかもしれない。衆院選・新5区に新たに加わる魚沼エリア。これまでも「魚沼」は南魚・北魚・中魚・十日町とされてきた。全国トップ銘柄の魚沼コシヒカリ人気から、魚沼は全国に知れ渡った。だが市町村の境はなかなか越えられず、八箇峠・十二峠の魚沼丘陵を境に人的・経済的交流はなかなか進まない。その魚沼が今回、衆院選というイベントで一つになる。これは好機だ。選挙という政治の場ではあるが、そこに関わるのは人。魚沼丘陵を越え、人と人が交流する場が、今度の衆院選でもある。
与野党激突の構図、真っ向勝負の一騎打ちだ。選挙活動は不思議なもので、選挙区エリアを自由に動け、行く先、行く先で初めて会う住民と挨拶でき、時には交流もできる。こういう場での出会いは、その後も続く場合が多い。ただ立場の違いは鮮明で、政党を越えての交流はなかなか難しい。だが、それはそれ、これはこれだ。今度の小選挙区再編後の初の選挙は、新たな出会いの場の創出でもあり、出会いにより思わぬ副産物が生まれる可能性がある。
ふるさと納税で新潟県上位の南魚沼市の魚沼コシヒカリを生み出す田園を目の当たりにできる。初めて十日町など妻有地域に入る南魚の人たちは、奥深い中山間地の実情を知ることになる。その先々に、必ず人の暮らしがあり、経済の営みがある。まさに「魚沼の運命共同体」を感じるのではないか。
事は選挙、勝負事だ。特に今回、自民現職は重複立候補できない「背水の陣」。地域を巡る活動に、交流などという余裕はとてもないだろうが、実は人と人との出会いが、一票につながる。関わる県議、市町議員は、今度の衆院選活動を、そうした視点で見てほしい。
そこに地域医療の課題、広域圏の道路問題、少子高齢化の現実が必ずや目の前に表出する。だからこそ、広域連携が求められる。
2024年10月12日号
〇…築150年余りの木造住宅で野草と小道具を組み合わせ生け花を飾る人気の「古民家で野の花展」。先月28、29日、第11回となる同展を十日町市松代地域の室野・奴奈川姫の家で開催。主催する岩田重信さん(74)と妻の金由起さん(69)はじめ、十日町市や津南町、柏崎市、上越市、小千谷市の10人が制作したオリジナル生け花が20点以上集結。たくさんの赤いザクロの実が付いた枝とサトイモの葉の合わせたもの、さらにはススキと竹を組み合わせ宙に浮かせたアート作品などが来場者の目を引いた。
2024年10月5日号
新潟県出身の歌手・小林幸子さんが2年前から子ども食堂支援や農業支援など行う「幸せプロジェクト」。その一環で小林さんと連携する立浪部屋ファーム(十日町市六箇中村)で5月に植えた稲が黄色く実った先月28日、同プロジェクトでコメ支援を受ける東京都荒川区の子ども食堂「サザンクロス」の子どもたちと、千葉県柏市の「柏力会」の相撲少年ら10人余りと共に鎌を使って稲刈り体験。子どもたちは小林さんの合図に合わせ、初めてながらも手際よく稲を刈っていた。
2024年10月5日号
中学2年、高校3年の娘2人との会話のやり取りは、年々少なくなってきている。「自分に話しかけてくるときは、送って、迎えきて、アイス買ってきて、ですかね」。少しずつ大人になっている2人の姿。「そういう年代に入ってきているんですね。娘専属の便利なタクシーですよ」と、笑う。
今はおもに長女の送迎担当。娘と2人の車中、この時間がかけがえのないものに感じるようになっている。「もう高校3年生ですよ。ほんと早いですね」。自分の高校時代と重なる。
県立十日町実業高校として最後の卒業生だった。翌年、カリキュラムを変更し十日町総合高校に改称。「カラオケでオールして遊んで、プリクラが流行ったんで写真部作ろうってなって。名前だけの部長になった事もありました」。高校時代、仲間と一緒に遊ぶ時間が楽しかった。だが、時間は過ぎていく。
卒業後はどうする、親からのプレッシャーを感じつつ、「これといってやりたいというものが無かったので、何か資格を取りたいと考え進んだんですが…」。
新潟テクノスクールの土木測量科を選び卒業。しかし、「測量の仕事がなくって、土木や配管をする仕事につきました」。
長岡の建設会社で働き始めるが土木や配管などの業務をこなし、早朝から時には夜遅くまで、ただ時間だけが過ぎていく、そんな日々が続いた。「これでいいのかと、だんだん疑問が大きくなって」、3年で見切りをつけ、十日町に帰った。
十日町で就職した住宅設備会社。
家の水回り全般を扱う。前職での業務経験は配管、その技術を生かしたいと次々と現場に出向いた。気が付くと17年が過ぎていた。「失敗も多くしました。それらすべてが経験値となり、自分の技術アップにつながってきました」。出来上がった時の達成感は大きく、仕事へのやりがいも増し、同時に責任ある業務を任されるようになった。
ある日、会社をたたむと聞いた。日々関わり世話になっていた関連会社から『うちに来ないか』と声がかかった。「ありがたかったですね。悩んだんですが、新しい挑戦をしてみようと思って住宅の水回り全てと電気、ガスも取り扱っている会社に決めました」。ガスの取り扱い資格や電気工事関連の資格を取得し、業務の幅を広げている。
「配管はその住居や建物により全て違います。難関な場所の配管が出来た時は嬉しいですね。排水管や水道管などは人間の身体では血管のようなものです。ですからきれいに正確につなぐ、これが一番大切なことです」。
経験値はさらにアップしている。今は後輩への確かな技術伝達を伝える立場だと感じている。「自分がいろいろ教えてもらって覚えてきた分。これからは自分の経験をしっかり次世代に伝え、さらに高い技術アップにつないでほしいですね」。
2人の娘の父。成長から月日を感じる。「娘たちはバスケットをやっていたり、推し活したりと忙しそうです。俺も何か趣味が欲しいなと思うんですけどね…」、「なんだかんだ娘の送迎が趣味なのか…。この時間、何気ない日常ですが、だんだん愛おしい時間になってきていますね」。
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関綾子さん
2024年10月5日号
選挙のたびに言われるのが投票率の低下。2015年から18、19歳が有権者となり9年経過。これまで数多くの選挙が行われたが18歳~20代、30代も含めてもこの世代の投票率は20%台、よくて30%台。一方で60代~90代はどの選挙も高い投票率を示す。
10代・20代・30代投票率を上げるにはこの世代が立候補するか、あるいは極論だが、この世代に絶大人気の俳優、あるいは音楽アーティストでも出馬すればこぞって投票する、かもしれない。投票率という数字を上げる方法は、結局は候補者への関心度に尽きるともいえる。
政治に直結する投票という行為は、そのまま端的に数字に表れる。『投票結果の一桁に自分がいる』といわれる。自分が入れた候補得票の最後の数字、一桁の数字は自分が入れた1票だ。自分が入れなければその数字は1票少なくなる。こう考えると、各候補の得票結果の一桁は、紛れもなく「自分の1票」。見える1票である。それが積み重なり、百になり千になり万になる。
その前提が重要だ。「1票を入れたい候補」「入れたい政党」でなければならない。だが、そこで投票所へ一歩踏み出せない有権者が多い、それが低投票率という現象を生み出している。今回の衆院選、全国の選挙区を見ると、かなり興味深い選挙区が多い。ただそれは投票したくなる選挙区というより、結果が興味深い選挙区だ。
ここ新潟新5区はどうか。自民と立憲の一騎打ちというこれ以上ない対決構図だが、関心の度合いが低いのは両前職とも「ルール違反」を犯した身。今度の選挙を「みそぎ」と考えているなら大間違いだ。うやむやのまま突入した衆院総選挙。選挙で決着をつけようにも、両前職以外に選択肢がなく、有権者の困惑はさらに増している。
だが選ばなくてはならない。両前職の政党の比較、ここに大きな差がある。
2024年10月19日号
衆院解散、総選挙は今月15日公示、27日投票で行うが、選挙区再編の新潟県小選挙区5つは、与野党伯仲の選挙戦になっている。特にここ新5区は、前回選で小選挙区勝者の立憲現職・梅谷守氏(50)と比例復活の自民現職・高鳥修一氏(63)との四度目の対決が濃厚。特に今回、自民本部が打ち出した「政治資金不記載問題」に牴触する現職の比例重複立候補を禁止したため、544万円の不記載が党本部規定に該当する高鳥氏は比例区立候補が出来ず、まさに「背水の陣」。一方の梅谷氏も今年早々の新年行事で有権者に日本酒を配り、公選法違反で告発を受けている身だ。新5区の現職2人は共に「傷負い」状態で、有権者の選択を困惑させている。両現職ともすでに選対を立ち上げ臨戦態勢に入っているが、新たに新5区入りの魚沼3市町7万9千人余の有権者への浸透が、勝敗に大きく影響すると見られ、両選対は魚沼エリアの攻勢に力を入れている。
2024年10月12日号
「夢を持つ、日常に感謝、過去に囚われない、自分をまず変える、敵は自分自身」。十日町市出身で東京オリンピックに出場した服部勇馬選手(31、トヨタ自動車)は故郷の中学生に自身が大事に思う5つの言葉を語り「夢を持つこと、これが一番。何のために走るのか、何のために勉強するのか、それを考えることが大切」と語った。
故郷に戻り、4日は吉田中学、7日に母校の中里中学で講演した服部選手。中里中学‐仙台育英高に進んだ。「小学時代はサッカーに熱中し、中学では母が保育士だったので、自分の将来の目標は保育士だった。まさかマラソンやオリンピックをめざすとは思ってもいなかった」と振り返る。「マラソンは42・195㌔を走る競技で、吉田中から長岡のリバーサイド千秋までを走る距離」。今は1日30㌔ほど走り、1ヵ月で1000㌔、3年で地球1周ほど走っていると語り「いまのところ、地球3周くらいはしている」と会場を驚かせた。
2024年10月12日号
『おいしい』、このひと言が食づくりのエネルギー源。「あれこれ組み合わせを想像してワクワクしちゃうんですよね。巾着の中にトロロをいれて蒸したり、豆腐と納豆を入れたり」。誰も思いつかないような組み合わせが次々と思い浮かび、「人にもその発想なかなかないよねぇ、
なんて驚かれます」。
こだわりを持った創作料理や、手作り弁当をつくる『自然食ぽのわ』を開き3年目になる。
『食』のルーツは小中学時代を過ごした南魚沼市五十沢の自然豊かな体験がベース。「何かを作るのが好きでした。小学校から帰ってきたら、友だち3人とケーキ作ったり、またそれをアレンジしてみたり料理作りを遊びのように楽しみました。当時は、そんなに簡単にお菓子なんて買えなかったのもあると思います」。
さらに五十沢中学ではアウトドア活動に魅力を持つ。「川がきれいで、イワナ、ヤマメ、カジカを突いて、その場で焼いて食べたりしていました。獲りたての魚の味は最高に美味しかったです」。
中3の時、十日町市に引っ越す。高卒後、幼少から夢だった保育士をめざし専門学校へ。だが…、「憧れが強かったのもあって、理想と現実の大きな違いに私のめざす保育ではないと感じ2年で十日町に帰ってきました」。
そこから人生が方向転換。大きく動き出した。弁当屋に始まり、様々な施設など「食」に関わる業務を次々と経験。「いつか、自分のお店が持ちたいなぁって思い始めたんです。夢が叶うといいなぁって」。
転機は、まつだい農舞台「里山食堂」勤務の時だった。「マクロビオティックという調理法との出会いでした」。玄米を主体に穀物を主菜として旬の地元食材の美味しさをそのまま提供する里山食堂。今までとは違った調理法、考え方に驚いた。「その時、息子が食物アレルギーでしたが、無農薬や無添加食品に代えたら症状が良くなったんです」。食の大切さを実体験として感じ、同時に、アレルギーや病気で食事制限に悩む人たちの力になりたい、その思いがさらに増し、「自分の店を持ちたい」と、開業への思いも強くなった。
そんな時だった。『空いている店舗があるけど、どう?』。その人が声を掛けてくれた。「いまだ、自分でやろう」と決意。弁当屋「七彩」を開業。29歳だった。
だが経営は難しい。「私は作ることは好きなんですが、思いだけじゃ継続できない。止めようかな…と考えたんです」。だが、あの人がまた声をかけてくれた。『いい人が居るよ、会ってみたら』。「不思議ですね、いつもそろそろ方向転換って思うと、その人が声をかけ連絡をくれるんです。いつも絶妙なタイミングで」と笑う。
紹介された人は、食に対して同じ価値観を持つ人だった。2021年8月に出会い、9月には店をオープン。スピード結婚のような出会いから事業パートナーとなった。
『自然食ぽのわ』。ハワイ語でポノは「ありのまま、精神、環境、物事、健康、全てのバランスが整った状態。正常な状態の事を言います」。それが広がっていく思いを「輪」という言葉に乗せ「ぽのわ」。子どもから大人まで喜ばれる安心安全の食の提供を二人三脚で経営、3年目を迎える。
「車麩や大豆をお肉料理に仕立てるなど、目で見て楽しみ、味付けも変え、煮る、揚げるなど調
理法を工夫し、変化をつけています。食材に固定概念を持ってほしくないですね」。オヤッと思う料理は、食を通して会話も弾む。「お客さんに、『これ何?』と、食からの話題の広がりも楽しみの一つです」。そんな楽しい雰囲気が口コミで広がり、来店者の幅が広がりに繋がっている。
「現在JAべジぱーくで弁当や総菜を置き、仕出しや弁当の注文を受けています。今後はアレルギーや食事制限に悩む方にも対応した出張料理代行も準備中です」。さらにハワイアン料理「レイ」を市内宮下町で金曜夜に限定営業。レイは感謝の言葉。
「食事は、自分で選んで自分の体内に入れるものです。なんでも手軽に入る時代だからこそ、自分で身体が喜ぶ食事を選んでほしいです。それは自然に良い身体が出来ていくことになりますから」。
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金谷日向さん
2024年10月12日号
秋山郷に来て30年近くが過ぎた。春と秋の二度ここでカメムシにいじめられ続けていた。伊勢湾台風後に、防風用に植えられ大きく成長した杉に囲まれた一軒家に昨年まで暮らし、中津川対岸の百㍍ほど先に昔からの旅館「仁成館」があるばかりで、川をはさんで共にカメムシには苦しめられていた。
中津川右岸の宿は季節ごとの登山客、釣り客、湯治客で雪のない時期は忙しくしていた。私のところはひとり暮らしの古い家で、木端葺きの上にトタンを張った屋根で、秋口になると風のない穏やかな日、カメムシが湧き出すように飛んでくるのだ。ヤマトクサギカメムシと呼ばれていた。この虫が廊下一面にへばりつき触ろうものならとにかく臭く、皮膚に触れると痛く肝を冷やしたものである。
そのうち「しょうがない」と観念すると、何となくどうにかなってしまうものなのか、その臭いにも慣れてしまったようで、まっ諦めたのだろう。この辺りの人と同じように掴まえた虫をストーブに放り込んだり、自家製のペットボトルに灯油を少し入れて投げこんだりしていた。虫が動く秋や春にはそれぞれ5、6㌔ほどの虫を取ったものである。
近頃になって旧仁成館も住む人がいなくなると、どうにも中津川左岸の一軒家でのひとり暮らしが面倒になり、対岸の集落で家を探し、見つけて改修工事をし移転をしたのが昨年のことで、そこも同じように虫の多いところだと聞いていた。
工事が終わって外壁のペンキを選んだのだが、目立たない小さな家でもあり、派手だったがベンガラの塗料を塗ることにした。家は小さな赤い家となって、それなりの存在感を嬉しく感じた。
昨年の今頃だが、隣の人がやって来て「ここには虫がいないな! みんなワシのところに来てしまったようだ」と笑っていた。そう言われて、はて! と考えると、確かにここではカメムシを見ないと感じた。人とは勝手なもので、ここで虫に気がつかないことに気がついた。見ぬもの清である。外壁に塗布したベンガラの塗料を虫が嫌ったように思えた。
さて、そうなると今年の秋に飛んでくる虫を強く意識することになる。そこで昨年のベンガラ塗料を取り寄せて考えるのだが、塗れば来ないと言うほど単純ではないだろと、科学する頭がない私にはその先が解らなかった。友人の農学部で教鞭をとる先生に訊くと「ベンガラは酸化鉄で、つまり鉄さびで木材を丈夫にし乾燥すると害虫やカビなどを防ぐ」と言う。塗布した表面が㏗12ほどのアルカリ性となるので酸性域を好む虫は寄り付きにくくなるとも言う。虫が酸性域を好むのかは分からないが、加えるに伝統技術的の柿渋と混ぜて使うとより効果的だろうとも御教授頂けた。
それならハッカ油なども良いのだろうと検証をしてみることにした。大きめのタッパーに仕切りを立て、塗料を塗布した板と白木の板を別々に置くのだ。飛びくる虫を素手で捕まえては放り込んでおよそ50匹ほども入れて観察してみると、当日から虫は白木の方に集まってベンガラ色の板には数匹の虫を見るだけになった。
まだまだ観察は続けるが確かにカメムシに対しては効果があるように思えた。昨年塗った外壁が今年も効果が続くのかと気を揉むのだが、な〜に虫が寄って来れば、またベンガラを塗るだけだ!こうなればひとつ、昔年の恨みを晴らしてみようと思った。
ただ、その矢先2回目の脳梗塞の患者となった私がいた!
2024年10月12日号
津南町に移住して、夜のコンビニに行くとさまざまな虫が看板の明かりや照明に集まっていることに驚いた。
都心では買ったり、わざわざ旅行先に出かけて捕るカブトムシやクワガタも夜の山に入るより簡単にコンビニ前で見つけられたりする。
それだけ虫たちも多種多様に生息する自然があるからなのだと思う一方、都心では考えられないほどの大きな虫に出会い大変驚いたことがある。
ある日の入浴中、誰かが窓をたたくような音がすると思い、窓の方を見ると誰もいない。
風か気のせいと思い、また湯船でくつろいでいるとまた同じような音が聞こえてくるのだ。
何だろうと思い、窓をずっと見ていると手のひらサイズの蛾が室内の明かり目掛けて窓ガラスに体当たりしていた。
大きさもさることながら、蛾の厚みと重量感に不気味さを感じ、こんなに大きな蛾が田舎にはいるのかと驚いたことをよく覚えている。
他にもオニヤンマやムカデなど都心では見かけない大きさの虫に驚くこともしばしばだが、これも都会にはない田舎の良さと今は思えている。
2024年10月12日号
これはチャンスかもしれない。衆院選・新5区に新たに加わる魚沼エリア。これまでも「魚沼」は南魚・北魚・中魚・十日町とされてきた。全国トップ銘柄の魚沼コシヒカリ人気から、魚沼は全国に知れ渡った。だが市町村の境はなかなか越えられず、八箇峠・十二峠の魚沼丘陵を境に人的・経済的交流はなかなか進まない。その魚沼が今回、衆院選というイベントで一つになる。これは好機だ。選挙という政治の場ではあるが、そこに関わるのは人。魚沼丘陵を越え、人と人が交流する場が、今度の衆院選でもある。
与野党激突の構図、真っ向勝負の一騎打ちだ。選挙活動は不思議なもので、選挙区エリアを自由に動け、行く先、行く先で初めて会う住民と挨拶でき、時には交流もできる。こういう場での出会いは、その後も続く場合が多い。ただ立場の違いは鮮明で、政党を越えての交流はなかなか難しい。だが、それはそれ、これはこれだ。今度の小選挙区再編後の初の選挙は、新たな出会いの場の創出でもあり、出会いにより思わぬ副産物が生まれる可能性がある。
ふるさと納税で新潟県上位の南魚沼市の魚沼コシヒカリを生み出す田園を目の当たりにできる。初めて十日町など妻有地域に入る南魚の人たちは、奥深い中山間地の実情を知ることになる。その先々に、必ず人の暮らしがあり、経済の営みがある。まさに「魚沼の運命共同体」を感じるのではないか。
事は選挙、勝負事だ。特に今回、自民現職は重複立候補できない「背水の陣」。地域を巡る活動に、交流などという余裕はとてもないだろうが、実は人と人との出会いが、一票につながる。関わる県議、市町議員は、今度の衆院選活動を、そうした視点で見てほしい。
そこに地域医療の課題、広域圏の道路問題、少子高齢化の現実が必ずや目の前に表出する。だからこそ、広域連携が求められる。
2024年10月12日号
〇…築150年余りの木造住宅で野草と小道具を組み合わせ生け花を飾る人気の「古民家で野の花展」。先月28、29日、第11回となる同展を十日町市松代地域の室野・奴奈川姫の家で開催。主催する岩田重信さん(74)と妻の金由起さん(69)はじめ、十日町市や津南町、柏崎市、上越市、小千谷市の10人が制作したオリジナル生け花が20点以上集結。たくさんの赤いザクロの実が付いた枝とサトイモの葉の合わせたもの、さらにはススキと竹を組み合わせ宙に浮かせたアート作品などが来場者の目を引いた。
2024年10月5日号
新潟県出身の歌手・小林幸子さんが2年前から子ども食堂支援や農業支援など行う「幸せプロジェクト」。その一環で小林さんと連携する立浪部屋ファーム(十日町市六箇中村)で5月に植えた稲が黄色く実った先月28日、同プロジェクトでコメ支援を受ける東京都荒川区の子ども食堂「サザンクロス」の子どもたちと、千葉県柏市の「柏力会」の相撲少年ら10人余りと共に鎌を使って稲刈り体験。子どもたちは小林さんの合図に合わせ、初めてながらも手際よく稲を刈っていた。
2024年10月5日号
中学2年、高校3年の娘2人との会話のやり取りは、年々少なくなってきている。「自分に話しかけてくるときは、送って、迎えきて、アイス買ってきて、ですかね」。少しずつ大人になっている2人の姿。「そういう年代に入ってきているんですね。娘専属の便利なタクシーですよ」と、笑う。
今はおもに長女の送迎担当。娘と2人の車中、この時間がかけがえのないものに感じるようになっている。「もう高校3年生ですよ。ほんと早いですね」。自分の高校時代と重なる。
県立十日町実業高校として最後の卒業生だった。翌年、カリキュラムを変更し十日町総合高校に改称。「カラオケでオールして遊んで、プリクラが流行ったんで写真部作ろうってなって。名前だけの部長になった事もありました」。高校時代、仲間と一緒に遊ぶ時間が楽しかった。だが、時間は過ぎていく。
卒業後はどうする、親からのプレッシャーを感じつつ、「これといってやりたいというものが無かったので、何か資格を取りたいと考え進んだんですが…」。
新潟テクノスクールの土木測量科を選び卒業。しかし、「測量の仕事がなくって、土木や配管をする仕事につきました」。
長岡の建設会社で働き始めるが土木や配管などの業務をこなし、早朝から時には夜遅くまで、ただ時間だけが過ぎていく、そんな日々が続いた。「これでいいのかと、だんだん疑問が大きくなって」、3年で見切りをつけ、十日町に帰った。
十日町で就職した住宅設備会社。
家の水回り全般を扱う。前職での業務経験は配管、その技術を生かしたいと次々と現場に出向いた。気が付くと17年が過ぎていた。「失敗も多くしました。それらすべてが経験値となり、自分の技術アップにつながってきました」。出来上がった時の達成感は大きく、仕事へのやりがいも増し、同時に責任ある業務を任されるようになった。
ある日、会社をたたむと聞いた。日々関わり世話になっていた関連会社から『うちに来ないか』と声がかかった。「ありがたかったですね。悩んだんですが、新しい挑戦をしてみようと思って住宅の水回り全てと電気、ガスも取り扱っている会社に決めました」。ガスの取り扱い資格や電気工事関連の資格を取得し、業務の幅を広げている。
「配管はその住居や建物により全て違います。難関な場所の配管が出来た時は嬉しいですね。排水管や水道管などは人間の身体では血管のようなものです。ですからきれいに正確につなぐ、これが一番大切なことです」。
経験値はさらにアップしている。今は後輩への確かな技術伝達を伝える立場だと感じている。「自分がいろいろ教えてもらって覚えてきた分。これからは自分の経験をしっかり次世代に伝え、さらに高い技術アップにつないでほしいですね」。
2人の娘の父。成長から月日を感じる。「娘たちはバスケットをやっていたり、推し活したりと忙しそうです。俺も何か趣味が欲しいなと思うんですけどね…」、「なんだかんだ娘の送迎が趣味なのか…。この時間、何気ない日常ですが、だんだん愛おしい時間になってきていますね」。
▼バトンタッチします
関綾子さん
2024年10月5日号