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妻有新聞掲載記事一覧

  • グローバルな視点促す「夢講演」、始まりは

    建学理念『夢の実現』 県立津南中等教育学校

    「都市との教育格差があってはならない」と初代校長・小熊さんの思い

     「夢の実現」を建学理念に掲げる県立津南中等教育学校(関口和之校長、387人)は、その夢のヒントを学生に提供する『夢講演』を開校時から毎年開いている。専門分野の研究者や世界で活躍するプロフェッショナルなどを講師に招き、将来を考える学生に刺激を与え、進学する大学選択やめざす分野への多様な価値判断の視点を育てている。「夢講演」はどう始まったのか。

    2024年4月27日号

  • 『居心地の良さ、住み続けたい』

    原 拓矢さん(1994年生まれ)

     「なにか、しっくりこない」。こんな風に感じる日々は誰にもある。その時、どう動くかで、その後の時間は大きく変わる。立教大で社会学を学び就職した会社は「全農パールライス」。米を扱う国内大手で輸出分野でも大きなシェアを持つ。2年ほど在職し、さらに数社で働くなかで「しっくりこない」と感じ始めた。そこで自分を動かしたのは「農業がしたい」という内なる声だった。だが、移住となると二の足を踏んだ。そこでさらに内なる声が聞こえた。「やりたいことをやらなきゃ、後悔する」。
     地域おこし協力隊制度を知り、リサーチを始めると福島や山梨、新潟で農業分野の協力隊を募集していた。「各地へ行き、いろいろ見ましたが、十日町の鉢や中手に来た時、直感的ですが、ピンときました。ここだと」。
     2022年1月、真冬のお試し体験に入った。「全くの初めての私を、いつも会っているように歓迎していただき、地元の皆さんの人の良さが決め手でした」。

     その年の4月、吉田地区の鉢・中手を担当する地域おこし協力隊で赴任。吉田地区には協力隊の先輩、山口洋樹さんが地域支援員として活動している。「中手集落は5世帯6人です。でも水田を耕作する人は3人、70代、80代の方です。この先を考えると担い手不足は明らかで、自分に何ができるのか、すこしでも力になりたい、という思いと農業がしたい、その結果の吉田地区でしょうか」。 いまは鉢集落に住み、来年3月の任期満了後も暮らし続け、中手の田んぼを受けて米づくりをするつもりだ。いまは40㌃ほどを手伝い耕作する。
     なぜ農業、米づくりなのか。全農パールライス時代に感じたのは、「自分で作ったものではなく、営業していてもしっくりこなかったんです。自分で作った米を、自信を持って提供していきたい、その思いが強くなっていきました」。時々、両親が暮らす埼玉・川越に帰るが、「どうも人がいっぱいいる所が苦手なんです。生まれ育った川越には友だちもいて、近所付き合いもありますが、ここで2年間暮らし、感じているのは『いざという時の強さ』でしょうか。災害など起こった時も、こちらでは生きていける強さがあります。これは生きる安心感にもつながります。それに居心地の良さですね」。

     今夏は第9回大地の芸術祭。暮らす鉢集落には絵本作家・田島征三氏の『絵本と木の実の美術館』がある。芸術祭で人気トップ級の拠点だ。「田島さんには何度もお会いしていますが、あの飾らない、いつも自然体の人柄はいいですね」。
     昨年初めて自作の米を自炊で食べた。「美味しかったですね。中手は山からの水でコメ作りをしていますから、標高も400㍍余りで良いコメができるようです。もうご飯だけでも充分です」。
     自炊生活も3年目、レトルトや冷凍品などからは遠ざかり、「近所の方が玄関先に野菜を置いていってくれたり、ありがたいです」。身長188㌢は、高い所の用事など何かと声もかかる。
     「毎日が仕事で、毎日がプライベートの時間、そんな毎日ですが、居心地の良さは、なにものにも代えがたいですね」。
    ◆バトンタッチします。
     「小林舞さん」

    2024年4月27日号

  • 日本人の忘れ方、日本人の忘れ物

    都はるみを唄い…

    長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)

     日本の総理大臣が、自民党の裏金問題の結着を中堅議員に押し付けて、国賓として招待されている米国に、そそくさと逃げるように飛び立った。気が楽になったのかAIが作った画像と見まがうような表情で、饒舌に大統領や米議会で気楽なスピーチを行なって、笑いを取ってエヘン、プイプイといった感じで帰国した。
     ただ、持って行ったお土産は国防予算の増額だった。この11月にアメリカ・ファーストの候補者が当選してしまえば何のことはない、日本の自衛隊が最前線に取り残される可能性も出て来る。
     戦後の平和を当たり前と感じている場渡り的な日本の保守政治家の忘れ方である。それを取材し報じるメディアも、上からの指示なのか裏金問題のニュースも少なくなったように思う。
     そういえば発生から4ヵ月近く過ぎた能登半島地震のニュースも減ったような気がする。輪島の朝市が場所を変えて復興したとか、能登を走るJRが復旧したと良いことばかりが目立つ。
     あの3・11東日本大震災の時も時間をかけて震災報道が少なくなって、明日に向けてのイベントが始り、平常に戻りつつあり、災害が過去の出来事のようなニュースが、ある時から多くなったように思った。
     もっとも、悲しくて辛いことは忘れなければ生きて行けないのだろう。が、それらの災害で大切な人を失くした者にとって、忘れられる事ではないはずだ。一方、身近に亡くした人が居なかった人たちにしてみれば、一刻も早く忘れたい記憶なのだろう。
     壊れた家は時間をかければ建て直せるが、亡くした父母や子供は何年経ったって忘れられるものではない。前の大戦、戦地で2人の子供を失くした祖母の心から笑った表情の写真は一枚もない。
     戦後になって70年80年と寿命が延びても、悲しい思いは重い記憶となって付いて回るのである。そんな悲しみの本質をメディアに携わる記者だからこそ、忘れてはいけないことなのだ。
     この春から自民党派閥の裏金問題も総理訪米の成功(?)の裏で、補欠選挙の結果までは、おとなしく忘れたふりをすることになるのだろう。これもひとつの忘れ方で、江戸の昔から続く臭い物に蓋的な対処のようだ。 その挙句、明治になってから日清日露、世界大戦、太平洋戦争と戦争漬けの国になってしまったのだ。
     それでも日本の政治家が太平洋戦争の敗戦、広島・長崎への原爆投下を知っている内は良かったが、戦争を知らないボンボン二世議員の登場となると、実に気楽に、貰えるものは貰っちゃえと安気に過ごすようになるものらしい。世襲の呑気な殿様のように、世襲の政治家たちが忘れた正義や理念の軽さなのだろう。
     私も後期高齢者になってしまったけれど、思えば幾つもの間違いや失敗をして来た。だけれども自分がやられて嫌だと思うことはやらなかった。同時に裏切らない! で暮らして来た。
     口喧嘩や恨んだり妬んだり、僻んだり嫉みはいつもあったが それは自分の腹のなかで呑み込んで貧乏を通して来た。私の場合の忘れ方は少し多めに酒を飲んで、都はるみの歌を唄って、ぐすんと涙を流せば、それでいいのだ。大切な忘れ物は、伝えられなかった言葉くらいなもので、年齢を重ねてみると、首相も大臣もそれぞれの指導者も皆私よりも年下になりつつある今は、悪い時も、少し良かった時も、平気な顔だけして酔ったふりして思い出せる記憶があるだけだ。
     な~に、5年もすればきれいさっぱり忘れられるのだし…。

    2024年4月27日号

  • 米粒の道のり

    照井 麻美(津南星空写真部)

     朝、目を覚まして窓を開けるとベランダの手すりに米粒が立っていた。
     不思議に思い眼鏡をかけ直し、寝起きの開き切らない目を凝らしてみるとやはり小さな玄米が手すりの縁にチョンと立っているのだ。
     ベランダに米なんて持っていくわけないし、昨日まで無かった米粒。一体どこからやってきたのだろうと、じっくり観察していると鳥の糞ではないか。きっとスズメだろう。
     普段ならまた糞をしていったなと忌々しく思うこともあるのだが、なぜかここに春を感じてしまった。
     我が家は木造の家で数カ所スズメが巣をかけている場所がある。冬の間、鳴くこともほとんどせずにどこに行ったのかと思っていれば、暖かくなると、どこからともなくチュンチュンとスズメたちが帰ってくる。
     彼らも春になり活発に動くようになり、どこかで米を食べたのであろう。他の鳥に食べられないように慌てて飲み込んだのか、米粒は消化されずそのまま排出されたのだ。私にはこの米粒がどこから来たのか、本当のことは知らないが、我が家のベランダまで来た米粒の物語を想像することは、何とも言えない微笑ましい時間だった。

    2024年4月27日号

  • なぜ動かなかった津南町

     逃がしたビジネスチャンスは大きいのではないか。良品計画ブランドの「無印良品」の直売店が今週26日、十日町クロステン内に開業した。その5日前、その無印良品の直売店は津南町にあった。それも国道117号沿い、ショッピングセンター内だ。68日の営業日数に約6600人が来訪し、それも県外からも来店していた。「津南店」は無印津南キャンプ場が開業するまでの限定店ではあったが、その場所は津南町観光協会事務局が入る場所でもあった。
     ここで大きな疑問が湧く。なぜ継続出来なかったのか。まして観光協会という来訪拠点であり、そこに良品計画の無印良品があることのメリットに、気付かなかったわけではないだろう。感度が鈍すぎる、のではないか。
     良品計画と連携協定を結ぶ十日町市。前回の大地の芸術祭への出展から、クロステン隣接のキナーレ回廊活用にも積極的だ。当然、十日町側からのアプローチがあり、それは事務レベルのことで、良品計画からの積極出展だろう。
     同様に連携協定を結ぶ津南町の場合、東日本最大級の無印良品津南キャンプ場の開業までの販売店出展は、キャンプシーズン前のPR拠点でもあったのだろう。津南町観光協会の事務局移転が決まった昨秋、移転するまでの空き施設を無印良品の商品販売に活用したい申出があり、わずか68日間だったが、津南町に無印良品「津南店」が誕生した。
     その効果は68日間で6600人余の来店があったことで明らかだ。期間限定ながら、その先の「継続」は、地元津南町の出番だったはず。アプローチがあったのか、知りたい。その「津南店」閉店の5日後、クロステン内に「十日町店」がオープン、この現実を津南町はどう受け止めているのか。逃がしたビジネスチャンスは、相当に大きい。民間との連携が、これからの自治体の命運を決める、そういう時代だ。

    2024年4月27日号

  • 村政継続か、返り咲きか

    栄村長選21日投票

     「いまの村政でいいのか。それとも…」。4年前と同じ選択を迫られている栄村の人たち。任期満了(5月14日)に伴う栄村長選は16日告示、21日投票。元職・森川浩市氏(64、雪坪)、現職・宮川幹雄氏(70、野田沢)の一騎打ちは、挑戦者は変わったが同じ候補同士の争い。森川氏は「村民が安心できる村づくりを進める。私一人では何もできない。皆様方の力を貸してほしい」と出陣式で80人余を前に、村民総力での村政運営を前面に出す。一方、宮川氏は出陣式で50人余に「4年間、確実で安定した運営に力を注いだ。財政健全化に取り組み土台は固まりつつある。またここで以前の村政に戻すことは絶対にできない」と村政継続の必要性を強調。宮川氏は今回自民系や建設業界などの支援を受けるが、森川氏が挑戦者の勢いで猛追している。人口1600人余の栄村。まさに顔が見える選挙戦になっており、縁戚や地域性などが強く、浮動票が少なく、21日投開票の行方に大きな関心が集まる。15日の付有権者数1414人(男676、女738)。                (関連記事5面)

    2024年4月20日号

  • 鏡面世界に咲く

    津南町「中子の桜」

     先週末から気温が上がり、いっきに開花した妻有地域の桜。標高450㍍余の少し高い地にある津南町の春の名勝「中子の桜」は今週から咲き始め17日から見頃を迎えている。残雪はほぼないが、湖面に桜が写りこみ、この地だけでしか見られない幻想空間を求め多くのカメラマンが足を運ぶ。見頃は今週末まで続きそうだ。

    2024年4月20日号

  • 頑張りすぎない、我慢しすぎない

    春の『木の芽どき』に要注意

    Vol 96

     先週は市内のあちこちの桜が満開で、春が来たな~と気温の上昇と共に心も温かくなりました。我が家の玄関先にある、いつからか根付いたのか分からないアケビの木からも木の芽が伸びてそろそろ収穫を迎えます。
     この時期まさに『木(こ)の芽どき』といいます。正確には立春から春分までの期間を指します。ざっくりいうなら、この冬から春にかけての季節の変わり目は気温の変化が大きく体調を崩しやすい時期のため、昔の人たちは代々、病気に注意するよう言い伝えてきたわけです。
     春先はなんだか眠くて仕方がない、天気は良いのに布団から出るのが億劫で「春眠暁を覚えず」という方も多いのではないでしょうか。これも季節の変わり目で気圧や気温の大きな変化が大きく、自律神経のバランスを乱すためです。
     春先は自律神経のうち、体を休めるための副交感神経の方が、活発に動くための交感神経より働きが強まるため、眠気が強まるのです。また、気圧や湿度の関係で頭痛を感じやすくなりますので、外来診療をしていても、頭痛薬をくださいと言われる方が多いのは確かです。
     そして気持ちが落ち込むなどの症状を訴える方も増えてきますので、もともとメンタル不調をお持ちの方は、あえて調子が良くても薬の変更は延期するなど注意が必要です。
     この気持ちの面での不調は、季節の変わり目の気候の大きな変動が影響するだけでなく、転居、転勤、異動、入学、就職などの環境の変化も大きく影響をします。気持ちの不調が体調の不調症状を引き起こす方もいます。 
     ですので、これからやってくるゴールデンウィークは天気も良く家族や友人が出かけようとお誘いをかけてくるかもしれませんが、気持ちが乗らない時には体も心も疲れている証拠ですので、勇気をもって断って自宅でしっかり休む、自分の気持ちに素直に行動する、ということを大事にしていただきたいと思います。
     というのも、この『木の芽どき』にかかった負担をそのままにしておくと、ゴールデンウィークが終わった5月にうつ病に進んでしまうことがあります。いわゆる『5月病』です。なので、今この時期に頑張りすぎない、我慢しすぎない、自分がリラックスできる時間をなるべく持つ、ということはとても大事なのです。 
     特に「~しなくちゃ」を口にしたり考えてしまった人は、その言葉を思い浮かべた時点で自分にかなり負担がかかっていると気づいて欲しいなと思います。
     あとは何度もお話したことがありますが、うつ病にならないために大事なことは「つながること」です。信頼できる人に自分のつらい気持ちを伝えること、もしくは病院などを受診して相談するのも良いでしょう。
     眠れない、寝てもすぐ目が覚める、食欲がない、食べ物を美味しいと感じない、笑うことが無くなった、楽しみを見つけられない、人に会うのが億劫、そんなことが少しでもあったら早めにお気軽にご相談くださいね。
     (たかき医院・仲栄美子院長)

    2024年4月20日号

  • 『クワガタに魅せられ』

    髙木 良輔さん(1994年生まれ)

     その体験が、いまもベースにある。小学2年の夏休み、祖父と兄、2人の従兄と一緒に早朝のクワガタ・カブトムシ採りに行った。母の実家、茨城・古河市の自然は、小学生には魅力的な地だった。
     「もともと、一つのものに対して執着心を持って、深めていくことが好きな子でしたので、虫を長い時間じっと見ていたりしていました」。
     クワガタ。その生態をどんどん知りたくなり、小学時代で専門誌や昆虫図鑑を見て情報を集め、家族旅行の行先も自然を求めての旅。飼育と養殖にも取り組んだ。だが中学生になり、「周りは音楽や不良カルチャーが関心でしたから、友だちには分からないように話題にはせず、ひっそりと自分だけでやっていました」。 さらに高校時代も進学先に生物部がなく、ここでも「ひとりの世界」だった。だが「自宅から高校まで往復26㌔、自転車通学していましたから、把握できる地点が多くなり、あそこに行けばクワガタがいるなど通学が自然散策でした。帰りが夜8時を過ぎることもありました」。
     クワガタへの関心と共に、鉄道を通じて全国の地名への関心も並行して高まり、進んだ専修大・環境地理学科では各地へ演習に行くことで、さらにクワガタとのつながりが濃くなっていった。「全国を旅しました。これまでに47都道府県のうち山口、宮崎以外の45都道府県に行っています。その先々で、知らないことへの関心がさらに深まっています」。 その学生時代。飼育・養殖をアパートで行い、百匹近くを飼育。整然と積み上げられた収納箱を見た学友は「こんな部屋は初めて」と驚かれたというが、いまはさらに種類も数も増えている。

     『クワガタを身近に観察できる環境に暮らしたい』。その契機は2020年6月に訪れた。一つの場所で一夜で50匹以上のミヤマクワガタと出会った。その地は湯沢町だったが、魚沼エリアを調べると十日町地域にはさらに魅力的な自然環境があることが分かった。2021年4月から地域おこし協力隊で十日町に入り、松代中部地区(松代田沢・小荒戸・菅刈・太平・千年・青葉・池尻の7集落)を担当、今春3月で退任。旧松代町内に定住している。
     協力隊の3年目、2023年8月。十日町市と友好交流する世田谷区民祭で「クワガタ・カブトムシ」を出品した。「対面販売をしたんですが、子どもたちの反応がとてもよく、その時、クワガタを求めた家族とは今も交流が続いています」。 この時の好感触で「クワガタでやれるかも」と飼育・養殖・販売の強い手応えを掴んだ。前年の2022年度の十日町ビジネスプラン審査会で最優秀賞も受け、現在は外国種30種、国内15種を飼育・養殖している。

     「この地域の自然環境は、クワガタ生息に合っています。ミヤマクワガタは標高百㍍以下に生息し、ヒメオオクワガタは標高7百㍍以上に。関東地方では前者は3百㍍、後者は千㍍級に生息しています。当地域は山地の標高が低い割に冷涼な気温で、生息環境が良いからです」。 この魅力的な自然環境を子どもたちの体験の場にしたいと考える。「市内のキャンプ場と連携し、クワガタ生息地での自然体験ツアーを計画したいです。世田谷の子どもたちとの交流のように、子どもたちにこの自然を体験してほしいです」。

     クワガタに魅せられている自分の存在以上に、この地に生息するクワガタの存在感が、さらに増している。
    ◆バトンタッチします。
     「原 拓矢さん」

    2024年4月20日号

  • この道はいつか来た道 …

    ドヤ顔に頭がクラクラ

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     先週、岸田首相は米国で首脳会談と議会での演説をして拍手に得意満面だった。「国際社会は歴史的な転換点にある。今こそ日米両国がグローバルパートナーとして真価を発揮すべき時である」「米国は一人ではない、なすべき準備はできている」「戦争可能な正常国家(一流国家)になる」とドヤ顔だったけど私は頭がクラクラした。
     これはもうどう解釈しても憲法違反で、こんなこと自国の国会で討論されましたか? 憲法改正する国民投票ありましたか? バイデン大統領は「我々はともに、防衛・安全保障協力を強化するための重要なステップを踏み、指揮・統制を現代化する」と発言。これね、米軍と自衛隊の情報共有システムを構築して共に行動する(自衛隊が米軍の指揮下にもなり得る)ということですよ。自衛隊は軍隊ではない!
     戦後平和憲法下の77年、歴代自民党首相が戦地を紛争当事国と言い換え自衛隊を派遣し、安保3文書を備えて集団的自衛権行使を規定した。専守防衛原則から逸脱して詭弁を重ね敵基地攻撃能力まで可能とし、武器輸出を防衛装備品移転と言い換え平和憲法は無力化した。岸田首相の訪米は、米国と一緒に喜んで戦争に参加します! と宣言したようなものだと私は思った。
     だからロシアは米日同盟強化のこの宣言にすぐ反応し「米日はすでに事実上軍事同盟関係だ」と発言。これで日本全土が反米側の標的になる。再稼働の地元合意もないまま燃料を装填した柏崎刈羽原発は、ウクライナのザポリージャ原発と同様に常に爆撃やサイバー攻撃に怯えなければならない。私には岸田首相が言う「歴史的な転換点」とは国民や国土を新たな危険に晒す転換点としか思えない。
     イラン、イスラエルの攻撃の応酬で世界大戦の始まりを感じるきな臭いこんな時に、わざわざ渦中に飛び込むとは…この後どんな未来があるのか想像してみてください。私の予想では疫病や地震など災害を期に危機感を煽り、国民の考える力を押さえて同じ方向を向くようにするでしょう。
     敵国の脅威を言い、より強力な武器(核兵器)の保有を正当化。私のように異を唱える人は非国民で、国防・国益優先で人権や言論の自由は無くなる。自衛隊、志願兵、徴兵… この道はいつか来た道… そう、3百万人が犠牲になった過去の日本だ。
     決して戦争をしてはいけない。近いうちに解散総選挙になるでしょう。今はまだこの国の主権者は私たち国民です。選ぶことができます。どうか戦争の道だけは歩まないように。

    2024年4月20日号

  • グローバルな視点促す「夢講演」、始まりは

    建学理念『夢の実現』 県立津南中等教育学校

    「都市との教育格差があってはならない」と初代校長・小熊さんの思い

     「夢の実現」を建学理念に掲げる県立津南中等教育学校(関口和之校長、387人)は、その夢のヒントを学生に提供する『夢講演』を開校時から毎年開いている。専門分野の研究者や世界で活躍するプロフェッショナルなどを講師に招き、将来を考える学生に刺激を与え、進学する大学選択やめざす分野への多様な価値判断の視点を育てている。「夢講演」はどう始まったのか。

    2024年4月27日号

  • 『居心地の良さ、住み続けたい』

    原 拓矢さん(1994年生まれ)

     「なにか、しっくりこない」。こんな風に感じる日々は誰にもある。その時、どう動くかで、その後の時間は大きく変わる。立教大で社会学を学び就職した会社は「全農パールライス」。米を扱う国内大手で輸出分野でも大きなシェアを持つ。2年ほど在職し、さらに数社で働くなかで「しっくりこない」と感じ始めた。そこで自分を動かしたのは「農業がしたい」という内なる声だった。だが、移住となると二の足を踏んだ。そこでさらに内なる声が聞こえた。「やりたいことをやらなきゃ、後悔する」。
     地域おこし協力隊制度を知り、リサーチを始めると福島や山梨、新潟で農業分野の協力隊を募集していた。「各地へ行き、いろいろ見ましたが、十日町の鉢や中手に来た時、直感的ですが、ピンときました。ここだと」。
     2022年1月、真冬のお試し体験に入った。「全くの初めての私を、いつも会っているように歓迎していただき、地元の皆さんの人の良さが決め手でした」。

     その年の4月、吉田地区の鉢・中手を担当する地域おこし協力隊で赴任。吉田地区には協力隊の先輩、山口洋樹さんが地域支援員として活動している。「中手集落は5世帯6人です。でも水田を耕作する人は3人、70代、80代の方です。この先を考えると担い手不足は明らかで、自分に何ができるのか、すこしでも力になりたい、という思いと農業がしたい、その結果の吉田地区でしょうか」。 いまは鉢集落に住み、来年3月の任期満了後も暮らし続け、中手の田んぼを受けて米づくりをするつもりだ。いまは40㌃ほどを手伝い耕作する。
     なぜ農業、米づくりなのか。全農パールライス時代に感じたのは、「自分で作ったものではなく、営業していてもしっくりこなかったんです。自分で作った米を、自信を持って提供していきたい、その思いが強くなっていきました」。時々、両親が暮らす埼玉・川越に帰るが、「どうも人がいっぱいいる所が苦手なんです。生まれ育った川越には友だちもいて、近所付き合いもありますが、ここで2年間暮らし、感じているのは『いざという時の強さ』でしょうか。災害など起こった時も、こちらでは生きていける強さがあります。これは生きる安心感にもつながります。それに居心地の良さですね」。

     今夏は第9回大地の芸術祭。暮らす鉢集落には絵本作家・田島征三氏の『絵本と木の実の美術館』がある。芸術祭で人気トップ級の拠点だ。「田島さんには何度もお会いしていますが、あの飾らない、いつも自然体の人柄はいいですね」。
     昨年初めて自作の米を自炊で食べた。「美味しかったですね。中手は山からの水でコメ作りをしていますから、標高も400㍍余りで良いコメができるようです。もうご飯だけでも充分です」。
     自炊生活も3年目、レトルトや冷凍品などからは遠ざかり、「近所の方が玄関先に野菜を置いていってくれたり、ありがたいです」。身長188㌢は、高い所の用事など何かと声もかかる。
     「毎日が仕事で、毎日がプライベートの時間、そんな毎日ですが、居心地の良さは、なにものにも代えがたいですね」。
    ◆バトンタッチします。
     「小林舞さん」

    2024年4月27日号

  • 日本人の忘れ方、日本人の忘れ物

    都はるみを唄い…

    長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)

     日本の総理大臣が、自民党の裏金問題の結着を中堅議員に押し付けて、国賓として招待されている米国に、そそくさと逃げるように飛び立った。気が楽になったのかAIが作った画像と見まがうような表情で、饒舌に大統領や米議会で気楽なスピーチを行なって、笑いを取ってエヘン、プイプイといった感じで帰国した。
     ただ、持って行ったお土産は国防予算の増額だった。この11月にアメリカ・ファーストの候補者が当選してしまえば何のことはない、日本の自衛隊が最前線に取り残される可能性も出て来る。
     戦後の平和を当たり前と感じている場渡り的な日本の保守政治家の忘れ方である。それを取材し報じるメディアも、上からの指示なのか裏金問題のニュースも少なくなったように思う。
     そういえば発生から4ヵ月近く過ぎた能登半島地震のニュースも減ったような気がする。輪島の朝市が場所を変えて復興したとか、能登を走るJRが復旧したと良いことばかりが目立つ。
     あの3・11東日本大震災の時も時間をかけて震災報道が少なくなって、明日に向けてのイベントが始り、平常に戻りつつあり、災害が過去の出来事のようなニュースが、ある時から多くなったように思った。
     もっとも、悲しくて辛いことは忘れなければ生きて行けないのだろう。が、それらの災害で大切な人を失くした者にとって、忘れられる事ではないはずだ。一方、身近に亡くした人が居なかった人たちにしてみれば、一刻も早く忘れたい記憶なのだろう。
     壊れた家は時間をかければ建て直せるが、亡くした父母や子供は何年経ったって忘れられるものではない。前の大戦、戦地で2人の子供を失くした祖母の心から笑った表情の写真は一枚もない。
     戦後になって70年80年と寿命が延びても、悲しい思いは重い記憶となって付いて回るのである。そんな悲しみの本質をメディアに携わる記者だからこそ、忘れてはいけないことなのだ。
     この春から自民党派閥の裏金問題も総理訪米の成功(?)の裏で、補欠選挙の結果までは、おとなしく忘れたふりをすることになるのだろう。これもひとつの忘れ方で、江戸の昔から続く臭い物に蓋的な対処のようだ。 その挙句、明治になってから日清日露、世界大戦、太平洋戦争と戦争漬けの国になってしまったのだ。
     それでも日本の政治家が太平洋戦争の敗戦、広島・長崎への原爆投下を知っている内は良かったが、戦争を知らないボンボン二世議員の登場となると、実に気楽に、貰えるものは貰っちゃえと安気に過ごすようになるものらしい。世襲の呑気な殿様のように、世襲の政治家たちが忘れた正義や理念の軽さなのだろう。
     私も後期高齢者になってしまったけれど、思えば幾つもの間違いや失敗をして来た。だけれども自分がやられて嫌だと思うことはやらなかった。同時に裏切らない! で暮らして来た。
     口喧嘩や恨んだり妬んだり、僻んだり嫉みはいつもあったが それは自分の腹のなかで呑み込んで貧乏を通して来た。私の場合の忘れ方は少し多めに酒を飲んで、都はるみの歌を唄って、ぐすんと涙を流せば、それでいいのだ。大切な忘れ物は、伝えられなかった言葉くらいなもので、年齢を重ねてみると、首相も大臣もそれぞれの指導者も皆私よりも年下になりつつある今は、悪い時も、少し良かった時も、平気な顔だけして酔ったふりして思い出せる記憶があるだけだ。
     な~に、5年もすればきれいさっぱり忘れられるのだし…。

    2024年4月27日号

  • 米粒の道のり

    照井 麻美(津南星空写真部)

     朝、目を覚まして窓を開けるとベランダの手すりに米粒が立っていた。
     不思議に思い眼鏡をかけ直し、寝起きの開き切らない目を凝らしてみるとやはり小さな玄米が手すりの縁にチョンと立っているのだ。
     ベランダに米なんて持っていくわけないし、昨日まで無かった米粒。一体どこからやってきたのだろうと、じっくり観察していると鳥の糞ではないか。きっとスズメだろう。
     普段ならまた糞をしていったなと忌々しく思うこともあるのだが、なぜかここに春を感じてしまった。
     我が家は木造の家で数カ所スズメが巣をかけている場所がある。冬の間、鳴くこともほとんどせずにどこに行ったのかと思っていれば、暖かくなると、どこからともなくチュンチュンとスズメたちが帰ってくる。
     彼らも春になり活発に動くようになり、どこかで米を食べたのであろう。他の鳥に食べられないように慌てて飲み込んだのか、米粒は消化されずそのまま排出されたのだ。私にはこの米粒がどこから来たのか、本当のことは知らないが、我が家のベランダまで来た米粒の物語を想像することは、何とも言えない微笑ましい時間だった。

    2024年4月27日号

  • なぜ動かなかった津南町

     逃がしたビジネスチャンスは大きいのではないか。良品計画ブランドの「無印良品」の直売店が今週26日、十日町クロステン内に開業した。その5日前、その無印良品の直売店は津南町にあった。それも国道117号沿い、ショッピングセンター内だ。68日の営業日数に約6600人が来訪し、それも県外からも来店していた。「津南店」は無印津南キャンプ場が開業するまでの限定店ではあったが、その場所は津南町観光協会事務局が入る場所でもあった。
     ここで大きな疑問が湧く。なぜ継続出来なかったのか。まして観光協会という来訪拠点であり、そこに良品計画の無印良品があることのメリットに、気付かなかったわけではないだろう。感度が鈍すぎる、のではないか。
     良品計画と連携協定を結ぶ十日町市。前回の大地の芸術祭への出展から、クロステン隣接のキナーレ回廊活用にも積極的だ。当然、十日町側からのアプローチがあり、それは事務レベルのことで、良品計画からの積極出展だろう。
     同様に連携協定を結ぶ津南町の場合、東日本最大級の無印良品津南キャンプ場の開業までの販売店出展は、キャンプシーズン前のPR拠点でもあったのだろう。津南町観光協会の事務局移転が決まった昨秋、移転するまでの空き施設を無印良品の商品販売に活用したい申出があり、わずか68日間だったが、津南町に無印良品「津南店」が誕生した。
     その効果は68日間で6600人余の来店があったことで明らかだ。期間限定ながら、その先の「継続」は、地元津南町の出番だったはず。アプローチがあったのか、知りたい。その「津南店」閉店の5日後、クロステン内に「十日町店」がオープン、この現実を津南町はどう受け止めているのか。逃がしたビジネスチャンスは、相当に大きい。民間との連携が、これからの自治体の命運を決める、そういう時代だ。

    2024年4月27日号

  • 村政継続か、返り咲きか

    栄村長選21日投票

     「いまの村政でいいのか。それとも…」。4年前と同じ選択を迫られている栄村の人たち。任期満了(5月14日)に伴う栄村長選は16日告示、21日投票。元職・森川浩市氏(64、雪坪)、現職・宮川幹雄氏(70、野田沢)の一騎打ちは、挑戦者は変わったが同じ候補同士の争い。森川氏は「村民が安心できる村づくりを進める。私一人では何もできない。皆様方の力を貸してほしい」と出陣式で80人余を前に、村民総力での村政運営を前面に出す。一方、宮川氏は出陣式で50人余に「4年間、確実で安定した運営に力を注いだ。財政健全化に取り組み土台は固まりつつある。またここで以前の村政に戻すことは絶対にできない」と村政継続の必要性を強調。宮川氏は今回自民系や建設業界などの支援を受けるが、森川氏が挑戦者の勢いで猛追している。人口1600人余の栄村。まさに顔が見える選挙戦になっており、縁戚や地域性などが強く、浮動票が少なく、21日投開票の行方に大きな関心が集まる。15日の付有権者数1414人(男676、女738)。                (関連記事5面)

    2024年4月20日号

  • 鏡面世界に咲く

    津南町「中子の桜」

     先週末から気温が上がり、いっきに開花した妻有地域の桜。標高450㍍余の少し高い地にある津南町の春の名勝「中子の桜」は今週から咲き始め17日から見頃を迎えている。残雪はほぼないが、湖面に桜が写りこみ、この地だけでしか見られない幻想空間を求め多くのカメラマンが足を運ぶ。見頃は今週末まで続きそうだ。

    2024年4月20日号

  • 頑張りすぎない、我慢しすぎない

    春の『木の芽どき』に要注意

    Vol 96

     先週は市内のあちこちの桜が満開で、春が来たな~と気温の上昇と共に心も温かくなりました。我が家の玄関先にある、いつからか根付いたのか分からないアケビの木からも木の芽が伸びてそろそろ収穫を迎えます。
     この時期まさに『木(こ)の芽どき』といいます。正確には立春から春分までの期間を指します。ざっくりいうなら、この冬から春にかけての季節の変わり目は気温の変化が大きく体調を崩しやすい時期のため、昔の人たちは代々、病気に注意するよう言い伝えてきたわけです。
     春先はなんだか眠くて仕方がない、天気は良いのに布団から出るのが億劫で「春眠暁を覚えず」という方も多いのではないでしょうか。これも季節の変わり目で気圧や気温の大きな変化が大きく、自律神経のバランスを乱すためです。
     春先は自律神経のうち、体を休めるための副交感神経の方が、活発に動くための交感神経より働きが強まるため、眠気が強まるのです。また、気圧や湿度の関係で頭痛を感じやすくなりますので、外来診療をしていても、頭痛薬をくださいと言われる方が多いのは確かです。
     そして気持ちが落ち込むなどの症状を訴える方も増えてきますので、もともとメンタル不調をお持ちの方は、あえて調子が良くても薬の変更は延期するなど注意が必要です。
     この気持ちの面での不調は、季節の変わり目の気候の大きな変動が影響するだけでなく、転居、転勤、異動、入学、就職などの環境の変化も大きく影響をします。気持ちの不調が体調の不調症状を引き起こす方もいます。 
     ですので、これからやってくるゴールデンウィークは天気も良く家族や友人が出かけようとお誘いをかけてくるかもしれませんが、気持ちが乗らない時には体も心も疲れている証拠ですので、勇気をもって断って自宅でしっかり休む、自分の気持ちに素直に行動する、ということを大事にしていただきたいと思います。
     というのも、この『木の芽どき』にかかった負担をそのままにしておくと、ゴールデンウィークが終わった5月にうつ病に進んでしまうことがあります。いわゆる『5月病』です。なので、今この時期に頑張りすぎない、我慢しすぎない、自分がリラックスできる時間をなるべく持つ、ということはとても大事なのです。 
     特に「~しなくちゃ」を口にしたり考えてしまった人は、その言葉を思い浮かべた時点で自分にかなり負担がかかっていると気づいて欲しいなと思います。
     あとは何度もお話したことがありますが、うつ病にならないために大事なことは「つながること」です。信頼できる人に自分のつらい気持ちを伝えること、もしくは病院などを受診して相談するのも良いでしょう。
     眠れない、寝てもすぐ目が覚める、食欲がない、食べ物を美味しいと感じない、笑うことが無くなった、楽しみを見つけられない、人に会うのが億劫、そんなことが少しでもあったら早めにお気軽にご相談くださいね。
     (たかき医院・仲栄美子院長)

    2024年4月20日号

  • 『クワガタに魅せられ』

    髙木 良輔さん(1994年生まれ)

     その体験が、いまもベースにある。小学2年の夏休み、祖父と兄、2人の従兄と一緒に早朝のクワガタ・カブトムシ採りに行った。母の実家、茨城・古河市の自然は、小学生には魅力的な地だった。
     「もともと、一つのものに対して執着心を持って、深めていくことが好きな子でしたので、虫を長い時間じっと見ていたりしていました」。
     クワガタ。その生態をどんどん知りたくなり、小学時代で専門誌や昆虫図鑑を見て情報を集め、家族旅行の行先も自然を求めての旅。飼育と養殖にも取り組んだ。だが中学生になり、「周りは音楽や不良カルチャーが関心でしたから、友だちには分からないように話題にはせず、ひっそりと自分だけでやっていました」。 さらに高校時代も進学先に生物部がなく、ここでも「ひとりの世界」だった。だが「自宅から高校まで往復26㌔、自転車通学していましたから、把握できる地点が多くなり、あそこに行けばクワガタがいるなど通学が自然散策でした。帰りが夜8時を過ぎることもありました」。
     クワガタへの関心と共に、鉄道を通じて全国の地名への関心も並行して高まり、進んだ専修大・環境地理学科では各地へ演習に行くことで、さらにクワガタとのつながりが濃くなっていった。「全国を旅しました。これまでに47都道府県のうち山口、宮崎以外の45都道府県に行っています。その先々で、知らないことへの関心がさらに深まっています」。 その学生時代。飼育・養殖をアパートで行い、百匹近くを飼育。整然と積み上げられた収納箱を見た学友は「こんな部屋は初めて」と驚かれたというが、いまはさらに種類も数も増えている。

     『クワガタを身近に観察できる環境に暮らしたい』。その契機は2020年6月に訪れた。一つの場所で一夜で50匹以上のミヤマクワガタと出会った。その地は湯沢町だったが、魚沼エリアを調べると十日町地域にはさらに魅力的な自然環境があることが分かった。2021年4月から地域おこし協力隊で十日町に入り、松代中部地区(松代田沢・小荒戸・菅刈・太平・千年・青葉・池尻の7集落)を担当、今春3月で退任。旧松代町内に定住している。
     協力隊の3年目、2023年8月。十日町市と友好交流する世田谷区民祭で「クワガタ・カブトムシ」を出品した。「対面販売をしたんですが、子どもたちの反応がとてもよく、その時、クワガタを求めた家族とは今も交流が続いています」。 この時の好感触で「クワガタでやれるかも」と飼育・養殖・販売の強い手応えを掴んだ。前年の2022年度の十日町ビジネスプラン審査会で最優秀賞も受け、現在は外国種30種、国内15種を飼育・養殖している。

     「この地域の自然環境は、クワガタ生息に合っています。ミヤマクワガタは標高百㍍以下に生息し、ヒメオオクワガタは標高7百㍍以上に。関東地方では前者は3百㍍、後者は千㍍級に生息しています。当地域は山地の標高が低い割に冷涼な気温で、生息環境が良いからです」。 この魅力的な自然環境を子どもたちの体験の場にしたいと考える。「市内のキャンプ場と連携し、クワガタ生息地での自然体験ツアーを計画したいです。世田谷の子どもたちとの交流のように、子どもたちにこの自然を体験してほしいです」。

     クワガタに魅せられている自分の存在以上に、この地に生息するクワガタの存在感が、さらに増している。
    ◆バトンタッチします。
     「原 拓矢さん」

    2024年4月20日号

  • この道はいつか来た道 …

    ドヤ顔に頭がクラクラ

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     先週、岸田首相は米国で首脳会談と議会での演説をして拍手に得意満面だった。「国際社会は歴史的な転換点にある。今こそ日米両国がグローバルパートナーとして真価を発揮すべき時である」「米国は一人ではない、なすべき準備はできている」「戦争可能な正常国家(一流国家)になる」とドヤ顔だったけど私は頭がクラクラした。
     これはもうどう解釈しても憲法違反で、こんなこと自国の国会で討論されましたか? 憲法改正する国民投票ありましたか? バイデン大統領は「我々はともに、防衛・安全保障協力を強化するための重要なステップを踏み、指揮・統制を現代化する」と発言。これね、米軍と自衛隊の情報共有システムを構築して共に行動する(自衛隊が米軍の指揮下にもなり得る)ということですよ。自衛隊は軍隊ではない!
     戦後平和憲法下の77年、歴代自民党首相が戦地を紛争当事国と言い換え自衛隊を派遣し、安保3文書を備えて集団的自衛権行使を規定した。専守防衛原則から逸脱して詭弁を重ね敵基地攻撃能力まで可能とし、武器輸出を防衛装備品移転と言い換え平和憲法は無力化した。岸田首相の訪米は、米国と一緒に喜んで戦争に参加します! と宣言したようなものだと私は思った。
     だからロシアは米日同盟強化のこの宣言にすぐ反応し「米日はすでに事実上軍事同盟関係だ」と発言。これで日本全土が反米側の標的になる。再稼働の地元合意もないまま燃料を装填した柏崎刈羽原発は、ウクライナのザポリージャ原発と同様に常に爆撃やサイバー攻撃に怯えなければならない。私には岸田首相が言う「歴史的な転換点」とは国民や国土を新たな危険に晒す転換点としか思えない。
     イラン、イスラエルの攻撃の応酬で世界大戦の始まりを感じるきな臭いこんな時に、わざわざ渦中に飛び込むとは…この後どんな未来があるのか想像してみてください。私の予想では疫病や地震など災害を期に危機感を煽り、国民の考える力を押さえて同じ方向を向くようにするでしょう。
     敵国の脅威を言い、より強力な武器(核兵器)の保有を正当化。私のように異を唱える人は非国民で、国防・国益優先で人権や言論の自由は無くなる。自衛隊、志願兵、徴兵… この道はいつか来た道… そう、3百万人が犠牲になった過去の日本だ。
     決して戦争をしてはいけない。近いうちに解散総選挙になるでしょう。今はまだこの国の主権者は私たち国民です。選ぶことができます。どうか戦争の道だけは歩まないように。

    2024年4月20日号