どちらもマツブサ科の蔓性の樹木である。種子の他に、地下茎を這わせて繁殖する。
出会いはいつも深山だが、苗場山麓では超がつくほどの希少種だ。
見つかるのは若木が多く、蔓を伸ばして絡みついているものは少ない。花を咲かせる株など尚更だ。
花期は6~7月で、雌花と雄花があり、別々の株につく。雄株の方が多いが、雌雄同株を見かけたこともある。同株で性転換するとも言われているが…。(写真はマツブサ雄株・左、チョウセンゴミシ雌株・右)。
花は似ているが、房状に成長する果実の色は全く違ってくる。マツブサは青黒色に、チョウセンゴミシは赤色に熟すのだ。
蔓や果実には薬効があることが知られている。茶や入浴剤として利用すれば、血行促進、強壮などの作用がある。
名は、蔓に松脂のような匂いがあることからと、朝鮮から種子を輸入し、果実に甘、苦など5つの味があること(五味子)から。
2024年7月6日号
「住んでいるのは雪国、勤務地は都市部。この地に拠点を置きながら、都市で稼ぐ。ひとつの働き方の提案でもあるかな」。都市型バーベキュー(BBQ)事業の全国展開を始めているタイシステム(本社・津南町)の清水太志社長(47)は話す。昨期の売上高は約11億円で過去最高。さらに食品スーパー『ロピア』を展開するOIC(オイシー)グループ(本社・川崎市)と連携。5月末にタイシステムは同社の子会社となった。都市部出店が多いロピアにBBQ場を併設し、店舗で買った厳選食材をすぐその場で楽しめるサービスを来春スタートする計画。「単独でもやっていけたが、ロピアの理念に共感した。大きな資本力を得ることでさらに事業展開を進めたい。全国100店舗、売上100億円の企業をめざす」と目標を話している。
2024年7月6日号
窓を開けると、目の前が公園。休日には子どもと楽しそうに過ごす子育て世代が大勢集まってくる。「この世代が地域に根ざして増えてくれることが一番。そのための公園にしたい」。廃墟同然だった桂交通公園を年間2万人が訪れる公園によみがえらせたNPO法人桂公園こどもランドの福原久八郎事務局長(68)。 公園の目玉は園内を走るゴーカートやラジコンカーで、今では目にすることが少なくなった懐かしい遊具もある。先月中旬には子どもたちに人気の水遊び広場を設けた。NPOとして新たな歩みを始めて10年。子育て世代に密着した運営でこれまで三度の全国表彰を受けている。「経営は厳しいが、これからも子育て世代に愛される公園にしていきたい」。思いは尽きない。
2024年7月6日号
アートの力を信じたい。先駆けの大地の芸術祭は回を重ねるごとに関心を集め、いまや全国300以上の芸術祭的なアートイベントがある。その本家本元、大地の芸術祭は来週13日、第9回展の開幕だ。本紙先週号のトップ、芸術祭・総合ディレクターの北川フラム氏の言葉が、9回展までの歴史を端的に物語っている。『…バスで空気を運んでいると言われた時代から、ここまで来た…』。第1回展の2000年以降、2回、3回と重ねるまでは、作品巡りバスは「空気を運んでいる」と揶揄された。それがコロナ禍の厳しい時期を経験しつつも、大地の芸術祭は世界ブランドに育ち、開幕の9回展では外国から多くの来訪者が、ここ妻有をめざすだろう。「アートの力」を感じる。
注目はロシア侵攻が続くウクライナの作家たちの出展だろう。アートの力は、「過疎と過密」、「都市と山間地」のキーワードから、2000年の第1回展から変わらない理念『人間は自然に内包される』が、いま世界で起こる紛争につながり、そこには「平和」への強いメッセージが込められ、越後妻有から世界に向けて、さらに強く打ち出される9回展になるだろう。
87日間の大地の芸術祭。アーティスト275組は41の国と地域から妻有で作品展開する。野外アート、空き家や閉校舎活用のアートなど、その作品が発するメッセージを、目で、耳で、皮膚で、嗅覚で、心で、まさに5感で体感してほしい。その地に居る自分と、その地に存在する作品、この関係性こそ越後妻有からのメッセージだろう。
「ここはどこ、私はだれ、どこから来て、どこへ行くのか…」、その先の視野にウクライナがあり、ガザがあり、アフリカがある。
来訪者数が芸術祭の成否になる時代ではない、と考える。最終日11月10日、ここ越後妻有から世界に向け、どんなメッセージが発せられるのか。
2024年7月6日号
「日本の文化は極東の島国であり、吹き溜まりのような場所に世界からいろんなモノが入って来たから面白い。21世紀の美術は越後妻有から始まっているかもしれないと言われている。関わった地域の方、先人の努力、手伝ってくれる方の繋がりで、バスで空気を運んでいると言われた時代からここまで来た」。
大地の芸術祭を構想段階から30年余、牽引し続けてきた北川フラム総合ディレクターはこれまでを振り返り、そしてこれから始まる第9回展(7月13日~11月10日のうち87日間)のメイン作品を参集の関係者170人余に説明。「歓待する美術」「感幸」「五感全開で楽しめる芸術」などキーワードを語った。
2024年6月29日号
再稼働をめざす動きが加速化している柏崎刈羽原発。今月13日は7号機で燃料装填に伴う検査を全て終えたと東京電力は発表。原子炉機動の準備を進めるが、「地元同意」が再稼働の最大の焦点。柏崎市や刈羽村は再稼働に前向きな意向を示すが、県は複合災害時の避難に懸念を示しており、花角知事は「県民に信を問う」姿勢を崩していない。
2024年6月29日号
運命は、どう動くか分からない。長野・松本市で大学生活を送るが、コロナ禍でオンライン授業が多くなり、そんな時、「なにか違う」と感じた。佐渡にある実家が営む旅館を手伝うなかで、父がSNSで懐石料理店の人材募集を見つけ「こんなのがあるよ」と見せられ、行こうと即決。その地が十日町市。
あれから2年、この地で運命の出会い。今年2月、地元の消防士と結婚。それも「初めての地でしたから、飲み友だちがほしい…」と、妻有地域限定のマッチングアプリに登録、そこで出会ったのが消防士。とんとんと、結婚にまで至った。
佐渡・真野湾に面した地で両親が営む『伊藤屋旅館』。父で6代目の老舗宿だ。「小さい頃から海に潜っていました。仕入れに行く父や、山野に行く母にいつもついて行き、海も山も好きになり、特に食べることが大好きで、それは今も変わっていません」。
幼少期から「女将」として動き回る母の姿を見て育ち、「かっこいい。私も女将になりたい」と小学生の頃から口に出し始めた。その思いは、中学、高校、そして大学に至るなかで、次第に「将来的な予感」となり、料理の世界に入り、それは「確信」に変わった。その決定打が十日町市での出会いだった。
飲み友だちを求めた結果が、人生のパートナーに至った。「私は条件を出しました。食で好き嫌いが全く無い人、一緒にコーヒーとお酒を飲んでくれる人」。でも、「実は私は結婚できないんじゃないかと思っていました。我が強いので。私の意見を受け入れてくれ、どんな時も支えになると約束してくれました。それに誠実さでしょうか」。これこそ運命の導きか。
「食」への探求心は人一倍強い。「美味しいものが好き過ぎて、食材への関心がいまも高まっています」。特に「きのこ」。佐渡には松林があり「高校時代、よく松茸を採っていましたし、世界三大きのこのトリュフ、ポルチーニなども佐渡では採れます」。当然きのこ料理にも関心深い。昨年12月の誕生日祝いには、結婚前の彼に分厚い『きのこ図鑑』をリクエスト、念願の大図鑑を手に入れた。きのこは今の仕事にも通じる。十日町から八箇峠越えで六日町の雪国まいたけに通勤している。
「佐渡は食材が豊かです。海のもの、山のもの、さらにフルーツも豊富で、りんご・みかん・ぶどう・さくらんぼなど、いろいろ採れます」。父は旅館と併設の「レストランこさど」のシェフでありパティシエとしてスイーツも担当する。「十日町も山菜など豊富ですね。この時期もきのこが出ますよ。ウスヒラタケなど。休日には山へよく行きます」。植物知識は母との山野遊びからだ。
この行動力の原動力は「思い立ったらすぐに動きます」。大学在学中、「やりたいことは出来ました」。それは外国への留学。コロナ直前の2019年8月、夏休みを使い1ヵ月間、オーストラリアのニューカッスル大学に短期留学、ホームスティしながら外国体験。この留学でも食への関心が増した。「様々な料理方法の食材を食べました。勉強になりました」。
振り返ると体験のすべてが「女将」への道につながる。小学時代は水泳に取り組み、中学ではバレーボールと陸上・駅伝。高校では一転、書道と茶道、吹奏楽部ではクラリネットを。「茶道は15年ほど続けました。美味しいお菓子が食べられるから、と始めましたが、もともと抹茶が好きでしたから」。
いまも水泳は毎週1時間ほど泳ぎ、スポーツジムで筋トレやランニングをする。先月の新潟市ハーフマラソンに出場。体力づくり、体形づくり、さらに健康維持と、これもすべて「女将」につながっている。
「そうですね、30歳までには佐渡に戻ります。彼が佐渡の消防士に入るための準備期間も必要ですから」。経営を引き継ぐと7代目になる。「食にはこだわりたいです。佐渡でしか食べられないものを提供したい。まだまだ知らないことが多く、皆さんから教えて頂いています」。
何年か後、佐渡の伊藤屋旅館で「萌女将」に会えるだろう。
▼バトンタッチします。
伊藤隆汰さん
2024年6月29日号
6月23日は、沖縄での組織的戦闘が終わった日で、のちに沖縄慰霊の日と定められた。79回目だ。
父はその日までは生きていなかった。とは言えあの激戦が続き、何もかも焼き尽くされ、破壊尽くされたなかで、よく記録が残されていたなーと正直思う。
命日とされる日・場所等は定かでなくとも当然だ。ただ沖縄で戦死したのだけは事実だろう。
記念の日前後の、島民インタビューでは、幼くして戦争を体験した人々の声が聞かれた。私と同年齢の人々の声。「日本軍は決して島民を守ってはくれなかった」、この声が痛かった、父は軍人であったから。
島民から食料を奪い、より安全な場所から島民を追いやり、軍人の安全を図ったのだろう。
80年近く経った今、同じことを思う。米軍は決して日本を守るために、沖縄に基地を多く持っている訳ではない。都合の良いように、日本を利用しているだけだと確信している。
現在は禁止されているドローン撮影映画を、九条の会の学習会で見た。冊子も見た。沖縄本島から繋がる先島諸島は、琉球弧として、台湾・中国に合い対峙している。その先島諸島に軍事基地が既に完成している。
中国・台湾が何かのきっかけで紛争が起きれば、近距離にある沖縄は巻き込まれると、島民は恐れ、かつての戦前の状態に似ていると懸念し戦々恐々の様子だった。
よく夢に死んだ人が出てきて、思いを聞いたことがあるというが、私は未だかつて一度も経験がない。父も母も他の人も、どんなに会いたいと思っていても、夢で会った試しがない。
父とも幼くして分かれたので、どんなことを考え、話す人なのかさっぱりわからない。「おとーたん」と呼び、たばことマッチ・灰皿をそろえて父の所へ持っていく子どもだったと母から聞いたことはある。
敗戦末期、極限状態の中でどんな事を考えていたのか。飢えと下痢の日々、何も考えられない状態だったのか。部下を持つ大尉として指揮をしなければという使命感が残っていたのか…。
青森県下北半島には、霊感のあるイタコと言われる人々が居て、死者の声を聞かせてくれるという。なんとか聞いてみたいと願っているが、実現できるだろうか。
父を失うということは、単に大黒柱を失うだけでなく、社会的な立場も失い、世の中の端っこへ押しやられ、人間扱いされなくなるという感じだった。
沖縄だけで二十万人、大戦中では三百万人の戦死者がいる。戦争は敗者ばかりで勝者はいない。戦争を止められる人が勝者だという言葉もある。
2024年6月29日号
県営妙法育成牧場で土の中から出てきた古いビール瓶を持っているという大割野の内山孝行さんを訪ね、収集した経緯をお聞きし、実物まで頂いて来ました。
内山さんは昭和40年代に妙法牧場の工事に入り、道路脇の牧草地の中から出てきたビール瓶などを見たところ、知らない銘柄だったので持ち帰ったといいます。
瓶には「サクラビール」や「大日本麦酒鉱泉株式会社」などの浮き文字があり、大正時代のハイカラな文化がこの山奥にも入って来たことが伺えます。ビールは一般家庭ではまだ贅沢品な飲み物で、大衆向けの日本酒や焼酎の瓶が見当たらないことから工事に関わった方の贅沢な生活が垣間見えます。また小さな瓶には「神薬資生堂」の文字の入った瓶や「ホーカー液」と刻まれた小瓶があり、調べてみると美白化粧水を謳ったモダンガールの必需品でした。
内山氏の話では、他にも化粧瓶や子供の玩具があったとのことで、女性や子供も一緒に生活していたことが伺えます。こういった嗜好品や食料は注文をすれば配給所まで届き、代金は給料から天引きされていたとの記録もあります。
厳しい労働の後には癒しの時間もあったようで、一生懸命稼いだ金を女性たちに巻き上げられ、その日暮らしの人夫の姿が目に浮かぶようです。また、前倉の飯場跡でも畑を耕すと瓶がたくさん出てきたということなので、当時の生活を知る上で貴重なものを頂きました。
2024年6月29日号
俳優であり、映像作家であり、ミュージシャンデビューするなど、多彩な活動を行っている十日町市在住のシュンスケフクザキさん(33、エスディーコーポレーショ所属)。出演とプロデュースを兼ねたオール十日町ロケ映画『十日と永遠』(倉田健次監督)が今月、アジア最大級の短編映画祭「ショートショートフェスティバル&アジア2024」で『ホッピーハッピーアワード』を受賞するなど注目を集める。一方で、ミュージシャンとして初楽曲となる『Teru Teru Bouzu』を今年3月16日に各種音楽配信サービスでリリース。作詞作曲、さらに監督を兼ねミュージックビデオを撮影。ドバイ国際映画祭などヨーロッパや中近東、アジアなど15映画祭にノミネートされ、うち7優秀賞と3特別賞を獲得するなど関心を呼んでいる。「作らなきゃいけないではなく、いま作りたいなと思うアイデアや作品を純粋に楽しみながら制作していきたい」と話す。
2024年6月29日号
どちらもマツブサ科の蔓性の樹木である。種子の他に、地下茎を這わせて繁殖する。
出会いはいつも深山だが、苗場山麓では超がつくほどの希少種だ。
見つかるのは若木が多く、蔓を伸ばして絡みついているものは少ない。花を咲かせる株など尚更だ。
花期は6~7月で、雌花と雄花があり、別々の株につく。雄株の方が多いが、雌雄同株を見かけたこともある。同株で性転換するとも言われているが…。(写真はマツブサ雄株・左、チョウセンゴミシ雌株・右)。
花は似ているが、房状に成長する果実の色は全く違ってくる。マツブサは青黒色に、チョウセンゴミシは赤色に熟すのだ。
蔓や果実には薬効があることが知られている。茶や入浴剤として利用すれば、血行促進、強壮などの作用がある。
名は、蔓に松脂のような匂いがあることからと、朝鮮から種子を輸入し、果実に甘、苦など5つの味があること(五味子)から。
2024年7月6日号
「住んでいるのは雪国、勤務地は都市部。この地に拠点を置きながら、都市で稼ぐ。ひとつの働き方の提案でもあるかな」。都市型バーベキュー(BBQ)事業の全国展開を始めているタイシステム(本社・津南町)の清水太志社長(47)は話す。昨期の売上高は約11億円で過去最高。さらに食品スーパー『ロピア』を展開するOIC(オイシー)グループ(本社・川崎市)と連携。5月末にタイシステムは同社の子会社となった。都市部出店が多いロピアにBBQ場を併設し、店舗で買った厳選食材をすぐその場で楽しめるサービスを来春スタートする計画。「単独でもやっていけたが、ロピアの理念に共感した。大きな資本力を得ることでさらに事業展開を進めたい。全国100店舗、売上100億円の企業をめざす」と目標を話している。
2024年7月6日号
窓を開けると、目の前が公園。休日には子どもと楽しそうに過ごす子育て世代が大勢集まってくる。「この世代が地域に根ざして増えてくれることが一番。そのための公園にしたい」。廃墟同然だった桂交通公園を年間2万人が訪れる公園によみがえらせたNPO法人桂公園こどもランドの福原久八郎事務局長(68)。 公園の目玉は園内を走るゴーカートやラジコンカーで、今では目にすることが少なくなった懐かしい遊具もある。先月中旬には子どもたちに人気の水遊び広場を設けた。NPOとして新たな歩みを始めて10年。子育て世代に密着した運営でこれまで三度の全国表彰を受けている。「経営は厳しいが、これからも子育て世代に愛される公園にしていきたい」。思いは尽きない。
2024年7月6日号
アートの力を信じたい。先駆けの大地の芸術祭は回を重ねるごとに関心を集め、いまや全国300以上の芸術祭的なアートイベントがある。その本家本元、大地の芸術祭は来週13日、第9回展の開幕だ。本紙先週号のトップ、芸術祭・総合ディレクターの北川フラム氏の言葉が、9回展までの歴史を端的に物語っている。『…バスで空気を運んでいると言われた時代から、ここまで来た…』。第1回展の2000年以降、2回、3回と重ねるまでは、作品巡りバスは「空気を運んでいる」と揶揄された。それがコロナ禍の厳しい時期を経験しつつも、大地の芸術祭は世界ブランドに育ち、開幕の9回展では外国から多くの来訪者が、ここ妻有をめざすだろう。「アートの力」を感じる。
注目はロシア侵攻が続くウクライナの作家たちの出展だろう。アートの力は、「過疎と過密」、「都市と山間地」のキーワードから、2000年の第1回展から変わらない理念『人間は自然に内包される』が、いま世界で起こる紛争につながり、そこには「平和」への強いメッセージが込められ、越後妻有から世界に向けて、さらに強く打ち出される9回展になるだろう。
87日間の大地の芸術祭。アーティスト275組は41の国と地域から妻有で作品展開する。野外アート、空き家や閉校舎活用のアートなど、その作品が発するメッセージを、目で、耳で、皮膚で、嗅覚で、心で、まさに5感で体感してほしい。その地に居る自分と、その地に存在する作品、この関係性こそ越後妻有からのメッセージだろう。
「ここはどこ、私はだれ、どこから来て、どこへ行くのか…」、その先の視野にウクライナがあり、ガザがあり、アフリカがある。
来訪者数が芸術祭の成否になる時代ではない、と考える。最終日11月10日、ここ越後妻有から世界に向け、どんなメッセージが発せられるのか。
2024年7月6日号
「日本の文化は極東の島国であり、吹き溜まりのような場所に世界からいろんなモノが入って来たから面白い。21世紀の美術は越後妻有から始まっているかもしれないと言われている。関わった地域の方、先人の努力、手伝ってくれる方の繋がりで、バスで空気を運んでいると言われた時代からここまで来た」。
大地の芸術祭を構想段階から30年余、牽引し続けてきた北川フラム総合ディレクターはこれまでを振り返り、そしてこれから始まる第9回展(7月13日~11月10日のうち87日間)のメイン作品を参集の関係者170人余に説明。「歓待する美術」「感幸」「五感全開で楽しめる芸術」などキーワードを語った。
2024年6月29日号
再稼働をめざす動きが加速化している柏崎刈羽原発。今月13日は7号機で燃料装填に伴う検査を全て終えたと東京電力は発表。原子炉機動の準備を進めるが、「地元同意」が再稼働の最大の焦点。柏崎市や刈羽村は再稼働に前向きな意向を示すが、県は複合災害時の避難に懸念を示しており、花角知事は「県民に信を問う」姿勢を崩していない。
2024年6月29日号
運命は、どう動くか分からない。長野・松本市で大学生活を送るが、コロナ禍でオンライン授業が多くなり、そんな時、「なにか違う」と感じた。佐渡にある実家が営む旅館を手伝うなかで、父がSNSで懐石料理店の人材募集を見つけ「こんなのがあるよ」と見せられ、行こうと即決。その地が十日町市。
あれから2年、この地で運命の出会い。今年2月、地元の消防士と結婚。それも「初めての地でしたから、飲み友だちがほしい…」と、妻有地域限定のマッチングアプリに登録、そこで出会ったのが消防士。とんとんと、結婚にまで至った。
佐渡・真野湾に面した地で両親が営む『伊藤屋旅館』。父で6代目の老舗宿だ。「小さい頃から海に潜っていました。仕入れに行く父や、山野に行く母にいつもついて行き、海も山も好きになり、特に食べることが大好きで、それは今も変わっていません」。
幼少期から「女将」として動き回る母の姿を見て育ち、「かっこいい。私も女将になりたい」と小学生の頃から口に出し始めた。その思いは、中学、高校、そして大学に至るなかで、次第に「将来的な予感」となり、料理の世界に入り、それは「確信」に変わった。その決定打が十日町市での出会いだった。
飲み友だちを求めた結果が、人生のパートナーに至った。「私は条件を出しました。食で好き嫌いが全く無い人、一緒にコーヒーとお酒を飲んでくれる人」。でも、「実は私は結婚できないんじゃないかと思っていました。我が強いので。私の意見を受け入れてくれ、どんな時も支えになると約束してくれました。それに誠実さでしょうか」。これこそ運命の導きか。
「食」への探求心は人一倍強い。「美味しいものが好き過ぎて、食材への関心がいまも高まっています」。特に「きのこ」。佐渡には松林があり「高校時代、よく松茸を採っていましたし、世界三大きのこのトリュフ、ポルチーニなども佐渡では採れます」。当然きのこ料理にも関心深い。昨年12月の誕生日祝いには、結婚前の彼に分厚い『きのこ図鑑』をリクエスト、念願の大図鑑を手に入れた。きのこは今の仕事にも通じる。十日町から八箇峠越えで六日町の雪国まいたけに通勤している。
「佐渡は食材が豊かです。海のもの、山のもの、さらにフルーツも豊富で、りんご・みかん・ぶどう・さくらんぼなど、いろいろ採れます」。父は旅館と併設の「レストランこさど」のシェフでありパティシエとしてスイーツも担当する。「十日町も山菜など豊富ですね。この時期もきのこが出ますよ。ウスヒラタケなど。休日には山へよく行きます」。植物知識は母との山野遊びからだ。
この行動力の原動力は「思い立ったらすぐに動きます」。大学在学中、「やりたいことは出来ました」。それは外国への留学。コロナ直前の2019年8月、夏休みを使い1ヵ月間、オーストラリアのニューカッスル大学に短期留学、ホームスティしながら外国体験。この留学でも食への関心が増した。「様々な料理方法の食材を食べました。勉強になりました」。
振り返ると体験のすべてが「女将」への道につながる。小学時代は水泳に取り組み、中学ではバレーボールと陸上・駅伝。高校では一転、書道と茶道、吹奏楽部ではクラリネットを。「茶道は15年ほど続けました。美味しいお菓子が食べられるから、と始めましたが、もともと抹茶が好きでしたから」。
いまも水泳は毎週1時間ほど泳ぎ、スポーツジムで筋トレやランニングをする。先月の新潟市ハーフマラソンに出場。体力づくり、体形づくり、さらに健康維持と、これもすべて「女将」につながっている。
「そうですね、30歳までには佐渡に戻ります。彼が佐渡の消防士に入るための準備期間も必要ですから」。経営を引き継ぐと7代目になる。「食にはこだわりたいです。佐渡でしか食べられないものを提供したい。まだまだ知らないことが多く、皆さんから教えて頂いています」。
何年か後、佐渡の伊藤屋旅館で「萌女将」に会えるだろう。
▼バトンタッチします。
伊藤隆汰さん
2024年6月29日号
6月23日は、沖縄での組織的戦闘が終わった日で、のちに沖縄慰霊の日と定められた。79回目だ。
父はその日までは生きていなかった。とは言えあの激戦が続き、何もかも焼き尽くされ、破壊尽くされたなかで、よく記録が残されていたなーと正直思う。
命日とされる日・場所等は定かでなくとも当然だ。ただ沖縄で戦死したのだけは事実だろう。
記念の日前後の、島民インタビューでは、幼くして戦争を体験した人々の声が聞かれた。私と同年齢の人々の声。「日本軍は決して島民を守ってはくれなかった」、この声が痛かった、父は軍人であったから。
島民から食料を奪い、より安全な場所から島民を追いやり、軍人の安全を図ったのだろう。
80年近く経った今、同じことを思う。米軍は決して日本を守るために、沖縄に基地を多く持っている訳ではない。都合の良いように、日本を利用しているだけだと確信している。
現在は禁止されているドローン撮影映画を、九条の会の学習会で見た。冊子も見た。沖縄本島から繋がる先島諸島は、琉球弧として、台湾・中国に合い対峙している。その先島諸島に軍事基地が既に完成している。
中国・台湾が何かのきっかけで紛争が起きれば、近距離にある沖縄は巻き込まれると、島民は恐れ、かつての戦前の状態に似ていると懸念し戦々恐々の様子だった。
よく夢に死んだ人が出てきて、思いを聞いたことがあるというが、私は未だかつて一度も経験がない。父も母も他の人も、どんなに会いたいと思っていても、夢で会った試しがない。
父とも幼くして分かれたので、どんなことを考え、話す人なのかさっぱりわからない。「おとーたん」と呼び、たばことマッチ・灰皿をそろえて父の所へ持っていく子どもだったと母から聞いたことはある。
敗戦末期、極限状態の中でどんな事を考えていたのか。飢えと下痢の日々、何も考えられない状態だったのか。部下を持つ大尉として指揮をしなければという使命感が残っていたのか…。
青森県下北半島には、霊感のあるイタコと言われる人々が居て、死者の声を聞かせてくれるという。なんとか聞いてみたいと願っているが、実現できるだろうか。
父を失うということは、単に大黒柱を失うだけでなく、社会的な立場も失い、世の中の端っこへ押しやられ、人間扱いされなくなるという感じだった。
沖縄だけで二十万人、大戦中では三百万人の戦死者がいる。戦争は敗者ばかりで勝者はいない。戦争を止められる人が勝者だという言葉もある。
2024年6月29日号
県営妙法育成牧場で土の中から出てきた古いビール瓶を持っているという大割野の内山孝行さんを訪ね、収集した経緯をお聞きし、実物まで頂いて来ました。
内山さんは昭和40年代に妙法牧場の工事に入り、道路脇の牧草地の中から出てきたビール瓶などを見たところ、知らない銘柄だったので持ち帰ったといいます。
瓶には「サクラビール」や「大日本麦酒鉱泉株式会社」などの浮き文字があり、大正時代のハイカラな文化がこの山奥にも入って来たことが伺えます。ビールは一般家庭ではまだ贅沢品な飲み物で、大衆向けの日本酒や焼酎の瓶が見当たらないことから工事に関わった方の贅沢な生活が垣間見えます。また小さな瓶には「神薬資生堂」の文字の入った瓶や「ホーカー液」と刻まれた小瓶があり、調べてみると美白化粧水を謳ったモダンガールの必需品でした。
内山氏の話では、他にも化粧瓶や子供の玩具があったとのことで、女性や子供も一緒に生活していたことが伺えます。こういった嗜好品や食料は注文をすれば配給所まで届き、代金は給料から天引きされていたとの記録もあります。
厳しい労働の後には癒しの時間もあったようで、一生懸命稼いだ金を女性たちに巻き上げられ、その日暮らしの人夫の姿が目に浮かぶようです。また、前倉の飯場跡でも畑を耕すと瓶がたくさん出てきたということなので、当時の生活を知る上で貴重なものを頂きました。
2024年6月29日号
俳優であり、映像作家であり、ミュージシャンデビューするなど、多彩な活動を行っている十日町市在住のシュンスケフクザキさん(33、エスディーコーポレーショ所属)。出演とプロデュースを兼ねたオール十日町ロケ映画『十日と永遠』(倉田健次監督)が今月、アジア最大級の短編映画祭「ショートショートフェスティバル&アジア2024」で『ホッピーハッピーアワード』を受賞するなど注目を集める。一方で、ミュージシャンとして初楽曲となる『Teru Teru Bouzu』を今年3月16日に各種音楽配信サービスでリリース。作詞作曲、さらに監督を兼ねミュージックビデオを撮影。ドバイ国際映画祭などヨーロッパや中近東、アジアなど15映画祭にノミネートされ、うち7優秀賞と3特別賞を獲得するなど関心を呼んでいる。「作らなきゃいけないではなく、いま作りたいなと思うアイデアや作品を純粋に楽しみながら制作していきたい」と話す。
2024年6月29日号