『毎朝書く「あ」、その日の始まり』

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田邊 武さん(1960年生まれ)

 毎朝、15分ほどひたすら『あ』を書く。梵字。アジアをルーツの古代インド・サンスクリット語に由来を持つという。書ではあるが「書く」というより「描く」世界観から、仏教国以外でもその形状の妙で、外国でも関心を集める「書」だ。
 梵字『あ』
は、これ。書
くことで自分の体調や精神のありようが分かる。「時間がない時は自分の手のひらに書き、その時の自分が分かります。体調が悪い時は、思うように書けないし、何か気になることがある時も、やはり出来は良くないです」。20年前から自宅で梵字教室を開き、昨年9月には小千谷市街地でも教室を開く。「初めの頃は数人でした。いまは20人を超える方々が梵字と向き合っています。写経に通じるものがありますが、梵字には独特の世界観と精神性があります」。

 小学時代から書道が好きだった。書の面白さと奥深さに取りつかれ、30代の時、十日町市展で市展賞を取った。だが、「なんと言えばいいのでしょうか、市展賞を取ったことへの妬みでしょうか、そんな声が回りから聞こえ、嫌な感じを受けました。競うコンテストはもう止めようと、自分の世界を求めていこうと、そんな思いの時、梵字に出会いました」。
 書は続けた。川西なかまの家での書道指導は20年余り続け、いまも子どもたち向け書道教室を川西・野口の自宅で開く。 一方で梵字は、自分の思いが放たれたように、繋
がりの世界を広げている。 すべてのモノの始まりの「あ(阿)」、すべてのモノの終わりの「うん(吽)」から、神羅万象の世界観を求め、梵字工房 「阿吽(あうん)」を主宰。号は『田邊奝武(ちょうぶ)』。国際梵字佛協会講師、梵字佛書道家であり書家である。

 今春3月25日から4月24日まで、インド南北3000㌔を旅した。インド洋・アラビア海・ベンガル湾の三つの海が交わるインド最南端「コモリン岬」から最北地カシミールまで梵字奉納の旅。インドの大学留学経験を持つ研究者と同行。南部はヒンドゥー教、いまも紛争地になっている北部カシミールはイスラム教の地。インドの国情の複雑さを肌で感じた。
 カシミールで14歳の少年、というより大人の雰囲気を持つ学生と出会った。「自分たちの言葉を含め英語など3ヵ国語を話します。彼らは生きるために言葉を覚えます。私たちを迎えてくれた人は英語はじめ地元の言葉など10ヵ国語を話します。話せなければ商売も取引もできない。生きるために言葉を身につける、日本との違いは大きいですね」。
 インド旅の道中、持参した自書の梵字『あ』と意味を英訳した資料を、出会う人たちに手渡した。その形が少しアラビア語に似ているためか関心を示した。14歳の少年は、アラビア語で書かれた「コーラン」のハンドブックを譲ってくれた。「私たちの前で、コーランを詠んでくれました。独特の抑揚の声と言葉でした。イスラム教の精神性を感じました」。
 2022年にはネパールへ梵字奉納で訪れた。「長野の小児科医の先生が、現地の乾燥地に100万本の木を植える活動を長年続け、先生が高齢で行けないため、代わりに活動支援する方と一緒に現地を訪ねました。乾燥の荒廃地が緑に変わっていて、子どもたちの病気も少なくなっていると聞きました。100万本の木運動で緑の土地に変わっていました」。
 
 梵字がつなぐ不思議な縁は、日本でも出会いを生み出している。2011東日本大震災地の地、福島・会津若松で震災供養を込め梵字展を開いた。そのギャラリー・オーナーが宇宙開発機構JAXA勤務退職の人で、ロケット開発者で奝円流梵字を広めた三井奝円氏の導きを感じている。
 一昨年は奈良・大神(おおみや)神社や三条市で梵字展を開き、今年も今月4日から21日まで大神神社で日本画などと展示会を開き、9月14日から22日までは十日町情報館で梵字展を開く。
 
 「梵字を学ぶ人が増えていることは、自分と向き合う時間を求める人が増えている証しでもあります。筆を動かし、和紙に書く、その所作の中に高い精神性があります。特に梵字はその形ひとつ一つに意味がありますから」。
 梵字奉納の国内巡りを続けている。「そうですね、まだ20都府県ちょっとでしょうか。全国を回るつもりです」。
  
◆バトンタッチします。
 「北村フミ子さん」