秋山郷和山集落の対岸にあった「もっきりや」は昨年から和山集落に引っ越しましたが、冬季間の行き来は中津川にワイヤーを渡し、小さな籠を吊るした籠渡し「野猿」でした。
野猿に乗ってロープを引っ張ると野猿は中津川の上空に飛び出します。中間地点に差し掛かると上流に白い饅頭のような雪形が見えてきます。何処にでもあるようで、これだけ形の整った雪型は見たことがありません。私はこれを「雪繭」と名付け、絵や写真で創作しましたが、昨年苗場酒造の新銘柄に「雪繭」として提案したところ、なんと一番の売れ筋の「醸す森」のリブランドとして「ゆきのまゆ」の銘柄で売り出されることになりました。
ブランド名がひらがなになった理由として「繭」の漢字が女性向けでなかったことが想像できますが、この漢字には草冠の下で糸と虫が仲良く並び、まさにまゆのイメージにピッタリの漢字になっています。新宿にあるモード学園コク―ンタワーはこれから世界に飛び出す学生たちを繭の外観でイメージしました。新ブランドの「ゆきのまゆ」が日本一雪の降る町のお酒として世界に向けて旅立つことを期待します。
2025年2月15日号
1月27日に津南町立上郷小学校で大井平和紙の紙漉きが行われた。小学生たちは自分の卒業証書を自分で漉くことで思い出も残り、大井平和紙の文化継承に一役かっている。
紙漉き当日私も見学させていただいたのだが、大井平和紙保存会の山岸さんの漉き方はダイナミックで水しぶきは生き物のような躍動感を感じた。
大井平和紙のようなこの地域に昔からある伝統文化、祭りや風習はこれからも残していきたいと思う一方、後継者不足や継ぎ手がいないことから伝統文化を守り続ける難しさも感じている。
例えば、漬物など昔はどの家庭でも大きな漬け樽があり、野沢菜や大根などを漬け、保存食としていたが、今では少しずつ樽が小さくなり、漬けることさえしなくなっている家庭が多いのではないだろうか。
山菜もそうだ。食料が世の中に飽和し、いつでもお金を出せば買える時代とともに山に入る人も減り、手間暇のかかるものは少しずつ廃れてしまっている。
和紙を漉きながら、伝統工芸品のように名前が上がらないような小さな文化や慣習も、雪国の伝統文化として後世に残していきたいと思いを巡らせるのであった。
2025年2月8日号
この時期の夕方の8時頃になると冬の星座の明るい星々がそろい踏みとなるが、今年は明るい惑星が2個紛れ込んでいる。
撮影時には少し薄雲があり、あちこちに白いカスミのような感じで写っている。この時期はなかなか綺麗に晴れなくて晴れても雲がある事も多い。
そんな星空の中、画像の上にある明るい星が惑星の王者の木星。左側にあるやや赤っぽい明るい星が火星だが、冬の星座には明るい一等星が多すぎてあまり目立たないかもしれない。
木星は毎年星占いの星座を一個ずつ移動しているので今年はおうし座にいるが来年はふたご座。火星は2年2ヵ月毎に地球に接近するので、この次の接近は再来年の春になる。
2月になると移動性の高気圧に覆われる事も多くなるので星空も見やすくはなるが1月はなかなか星空の好機には恵まれない、谷川連峰を超えた方面は連日晴れが続くけれど。
冬の星空は晴れれば本当に綺麗ですので月の無い夜に晴れたらぜひ眺めて頂きたい。ただし風邪ひかないように…。
2025年2月1日号
昨年の11月初め、栄村の知人からクロメンガタスズメという蛾
の幼虫(写真)を譲り受けた。お尻にある尾角と呼ばれる部分が湾曲し細かい突起がつくのが可愛い。
この蛾は東南アジア、インド、中国中南部などの熱帯が起源で、日本では九州以南でしか繁殖していなかった。それが2000年頃から生息域が北上し始め、現在では本州の東北地方にまで記録されるようになった。
成虫の背に人面のように見える模様があるのが特徴で、ずっと出会いたかった昆虫のひとつである。
家に来たときの幼虫は体長5センチほどだったが、11月中旬には10センチを超し、土の中に潜って蛹となり越冬状態に入った。
食草はナス科、ゴマ科などで、作物に被害を与えることもある。体がでかいから、食べる量が半端じゃないのだ。
晩秋の餌集めはちょっと大変だったが、春がきて無事に成虫となって土中から出てきてくれるのを願うばかりである。
2025年1月25日号
見玉不動尊に初詣を兼ねて新年初撮影に出かけました。境内は雪に覆われ滝の音だけが響き渡ります。雪を踏みしめ7段の滝の一番滝を拝み、今年も素敵な発見と出逢い、そして良い写真が撮れることを祈りました。
見玉不動尊は文治2(1186)年、壇ノ浦の戦いの後、平清盛の家臣宮本清佐エ門がお告げにより不動明王を安置したことが始まりという霊験あらたかな古刹で、本山でもある比叡山延暦寺が織田信長による焼き討ちから逃れた5大明王のうち、西方守護神 大威明王と南方守護神 軍茶利明王の2体が安置されているという大変な由緒のある古寺です。
2025年1月18日号
雪国の生活で驚いたことはどんなに雪が降っても学校は休校にならないし、電車もバスも普通に動いていることだ。東京で10センチの降雪があれば公共交通のダイヤは乱れ、更に降り積もれば物流も何もかもがストップする。
ただし、この地域の公共交通機関は30センチ降ったところでいつも通りの運行を行っている。それは本当にすごいことだと思うし、公共交通を担う各社の仕事には感謝と尊敬の念しかない。
特に冬の飯山線は日本でも過酷な路線の一つだと思う。線路脇は雪壁ができ、雪庇がせり出し、線路には雪が降り積もる。
そこで力強い味方は線路除雪のロータリ車だ。路線を一時運休にして道路と同じように雪を巻き上げ積もった雪をあっという間にきれいにしていく。
道路除雪とは一味違った重厚感と車両が駆け抜ける風景は豪雪地の力強さを感じる一面である。
今年は青森に大雪を降らせているようだが、どんな寒波が来ても安心して生活できるこの地域の冬は、未明から除雪をしてくれる方やその関係企業の人たちによって支えられているんだなぁと除雪車を見かけるたびに思うのでした。
2025年1月11日号
少し暖かい日の雪の上にはいろんな昆虫を見かける事がある。写真はカマドウマのカゲロウの仲間だが、なぜ雪の上にいるんだろうか…
蜘蛛の仲間も晴れている雪の上にはよく見かけるが、もちろん雪の上だから動きは相当遅い。
ケムシの仲間のカケカレハなども雪の上でよく見かける種である。動きが悪いところに雪が積もったらいったいどうなるんだろうかと、余計なお世話とは思うが命があるものだから少し気にかかる。
もちろん春先になればセッケイカワゲラなどの定番の昆虫が出てくるが、それならば理解できる。セッケイカワゲラが仲間の死骸を数匹で食べていたのを見た事もあるし。
しかしやはの雪国で暮らしている昆虫たちは、雪の中でもなにかしらの生きる術を持っているんだろうなとも思う。
2025年1月4日号
秋も深まった頃、草やぶの中で着衣にいろんな植物の果実や種子がくっついてくる。それらの愛称を「ひっつきむし」と呼ぶ。
その中でもお馴染みさんがアメリカセンダングサである。名のとおり北アメリカ原産の外来種だ。
田畑の周りや道端など身近で見られ、群生することが多い。
果実はそう果と呼ばれ(写真左)、扁平で先に2本の突起がつく。その突起に逆刺があってそれでくっつくのだ。釣り針の返しみたいで取るのに厄介だが、子供達には「バカ」の名で人気の遊び相手である。
それに似た果実をつけるのがコセンダングサだ。こちらも北アメリカ原産の外来種で、関東以西に多いが、苗場山麓でも見かけるようになった。
そう果(写真右)には2~4本の突起がつくが、それに逆刺があるところは前者と同じ。
どちらも一年草で、たくさんの種子を蒔き散らし勢力拡大に余念がない。
2024年12月21日号
反里口から中津川に降りる川原の崖にポッカリと開いた隧道の出口付近は土砂の崩壊で完全に埋まっていますが、その先に軌道の痕跡が残っているかと斜面を探索していると、なんと反里口頭首工の直ぐ傍に軌道跡の盛り土と、併設された灌漑用水路の石組がしっかりと残っていました。
この辺りは今でも斜面が崩落し中津川まで押してきますので、当時も軌道や水路の確保に大変な場所だったと思います。その原因となるのが太古の昔、笹葉峰の大崩落により、幅2.5キロ長さ4.5キロ、落差300㍍で太田新田・見玉方面へ押し出し、大量の土砂が中津川を堰き止めた地域といわれております。
その崩落地形に大正8年に中津川発電所工事の輸送路として軌道が敷かれ、穴藤のダムから正面ヶ原開田地業に引く中津川幹線水路も開通しましたが、昭和24・25年の台風で地山もろとも大崩落し農家を落胆させました。
現在の頭首工は昭和43年に完成し広大な圃場を潤していますが、その傍に残された稲作への熱い想いを忘れてはなりません。
2024年12月14日号
ロータリ除雪車やタイヤショベルを乗りこなし、私たちが朝出かけるまでの間に町中の道路を通れるようにしてくれている「豪雪地帯のヒーロー」除雪隊。
全国の除雪隊の始まりは北海道札幌市が始まりとされ、青森空港の除雪隊は『ホワイトインパルス』と呼ばれ、滑走路などの冬季でも滞りなく飛行機が離発着できるよう完璧なまでの除雪を行い全国的にも有名だ。
この地域の除雪は北の雪とは違い、重く湿っていて、扱いが難しいが、これだけキレイに除雪されている地域はほとんどない。
私が初めて目にした津南・十日町の冬道はスノータイヤじゃなくても走れるのではないかと思うほどきれいだった。
この地域に住んでいると当たり前の光景かもしれないが、民家の前やすぐ近くの道にあんな大きな重機が走り回って、大量の雪を退けていく。
私はそんな除雪隊がカッコイイなぁと早朝の作業を見るのがこれからの日課。
人口減少問題の中、除雪隊の人手不足も深刻な問題となっているが、昼夜問わず、生活に欠かせない必要不可欠な仕事に冬のヒーローとして、次の世代の除雪隊が増えることを切に願っている。
2024年12月7日号
秋山郷和山集落の対岸にあった「もっきりや」は昨年から和山集落に引っ越しましたが、冬季間の行き来は中津川にワイヤーを渡し、小さな籠を吊るした籠渡し「野猿」でした。
野猿に乗ってロープを引っ張ると野猿は中津川の上空に飛び出します。中間地点に差し掛かると上流に白い饅頭のような雪形が見えてきます。何処にでもあるようで、これだけ形の整った雪型は見たことがありません。私はこれを「雪繭」と名付け、絵や写真で創作しましたが、昨年苗場酒造の新銘柄に「雪繭」として提案したところ、なんと一番の売れ筋の「醸す森」のリブランドとして「ゆきのまゆ」の銘柄で売り出されることになりました。
ブランド名がひらがなになった理由として「繭」の漢字が女性向けでなかったことが想像できますが、この漢字には草冠の下で糸と虫が仲良く並び、まさにまゆのイメージにピッタリの漢字になっています。新宿にあるモード学園コク―ンタワーはこれから世界に飛び出す学生たちを繭の外観でイメージしました。新ブランドの「ゆきのまゆ」が日本一雪の降る町のお酒として世界に向けて旅立つことを期待します。
2025年2月15日号
1月27日に津南町立上郷小学校で大井平和紙の紙漉きが行われた。小学生たちは自分の卒業証書を自分で漉くことで思い出も残り、大井平和紙の文化継承に一役かっている。
紙漉き当日私も見学させていただいたのだが、大井平和紙保存会の山岸さんの漉き方はダイナミックで水しぶきは生き物のような躍動感を感じた。
大井平和紙のようなこの地域に昔からある伝統文化、祭りや風習はこれからも残していきたいと思う一方、後継者不足や継ぎ手がいないことから伝統文化を守り続ける難しさも感じている。
例えば、漬物など昔はどの家庭でも大きな漬け樽があり、野沢菜や大根などを漬け、保存食としていたが、今では少しずつ樽が小さくなり、漬けることさえしなくなっている家庭が多いのではないだろうか。
山菜もそうだ。食料が世の中に飽和し、いつでもお金を出せば買える時代とともに山に入る人も減り、手間暇のかかるものは少しずつ廃れてしまっている。
和紙を漉きながら、伝統工芸品のように名前が上がらないような小さな文化や慣習も、雪国の伝統文化として後世に残していきたいと思いを巡らせるのであった。
2025年2月8日号
この時期の夕方の8時頃になると冬の星座の明るい星々がそろい踏みとなるが、今年は明るい惑星が2個紛れ込んでいる。
撮影時には少し薄雲があり、あちこちに白いカスミのような感じで写っている。この時期はなかなか綺麗に晴れなくて晴れても雲がある事も多い。
そんな星空の中、画像の上にある明るい星が惑星の王者の木星。左側にあるやや赤っぽい明るい星が火星だが、冬の星座には明るい一等星が多すぎてあまり目立たないかもしれない。
木星は毎年星占いの星座を一個ずつ移動しているので今年はおうし座にいるが来年はふたご座。火星は2年2ヵ月毎に地球に接近するので、この次の接近は再来年の春になる。
2月になると移動性の高気圧に覆われる事も多くなるので星空も見やすくはなるが1月はなかなか星空の好機には恵まれない、谷川連峰を超えた方面は連日晴れが続くけれど。
冬の星空は晴れれば本当に綺麗ですので月の無い夜に晴れたらぜひ眺めて頂きたい。ただし風邪ひかないように…。
2025年2月1日号
昨年の11月初め、栄村の知人からクロメンガタスズメという蛾
の幼虫(写真)を譲り受けた。お尻にある尾角と呼ばれる部分が湾曲し細かい突起がつくのが可愛い。
この蛾は東南アジア、インド、中国中南部などの熱帯が起源で、日本では九州以南でしか繁殖していなかった。それが2000年頃から生息域が北上し始め、現在では本州の東北地方にまで記録されるようになった。
成虫の背に人面のように見える模様があるのが特徴で、ずっと出会いたかった昆虫のひとつである。
家に来たときの幼虫は体長5センチほどだったが、11月中旬には10センチを超し、土の中に潜って蛹となり越冬状態に入った。
食草はナス科、ゴマ科などで、作物に被害を与えることもある。体がでかいから、食べる量が半端じゃないのだ。
晩秋の餌集めはちょっと大変だったが、春がきて無事に成虫となって土中から出てきてくれるのを願うばかりである。
2025年1月25日号
見玉不動尊に初詣を兼ねて新年初撮影に出かけました。境内は雪に覆われ滝の音だけが響き渡ります。雪を踏みしめ7段の滝の一番滝を拝み、今年も素敵な発見と出逢い、そして良い写真が撮れることを祈りました。
見玉不動尊は文治2(1186)年、壇ノ浦の戦いの後、平清盛の家臣宮本清佐エ門がお告げにより不動明王を安置したことが始まりという霊験あらたかな古刹で、本山でもある比叡山延暦寺が織田信長による焼き討ちから逃れた5大明王のうち、西方守護神 大威明王と南方守護神 軍茶利明王の2体が安置されているという大変な由緒のある古寺です。
2025年1月18日号
雪国の生活で驚いたことはどんなに雪が降っても学校は休校にならないし、電車もバスも普通に動いていることだ。東京で10センチの降雪があれば公共交通のダイヤは乱れ、更に降り積もれば物流も何もかもがストップする。
ただし、この地域の公共交通機関は30センチ降ったところでいつも通りの運行を行っている。それは本当にすごいことだと思うし、公共交通を担う各社の仕事には感謝と尊敬の念しかない。
特に冬の飯山線は日本でも過酷な路線の一つだと思う。線路脇は雪壁ができ、雪庇がせり出し、線路には雪が降り積もる。
そこで力強い味方は線路除雪のロータリ車だ。路線を一時運休にして道路と同じように雪を巻き上げ積もった雪をあっという間にきれいにしていく。
道路除雪とは一味違った重厚感と車両が駆け抜ける風景は豪雪地の力強さを感じる一面である。
今年は青森に大雪を降らせているようだが、どんな寒波が来ても安心して生活できるこの地域の冬は、未明から除雪をしてくれる方やその関係企業の人たちによって支えられているんだなぁと除雪車を見かけるたびに思うのでした。
2025年1月11日号
少し暖かい日の雪の上にはいろんな昆虫を見かける事がある。写真はカマドウマのカゲロウの仲間だが、なぜ雪の上にいるんだろうか…
蜘蛛の仲間も晴れている雪の上にはよく見かけるが、もちろん雪の上だから動きは相当遅い。
ケムシの仲間のカケカレハなども雪の上でよく見かける種である。動きが悪いところに雪が積もったらいったいどうなるんだろうかと、余計なお世話とは思うが命があるものだから少し気にかかる。
もちろん春先になればセッケイカワゲラなどの定番の昆虫が出てくるが、それならば理解できる。セッケイカワゲラが仲間の死骸を数匹で食べていたのを見た事もあるし。
しかしやはの雪国で暮らしている昆虫たちは、雪の中でもなにかしらの生きる術を持っているんだろうなとも思う。
2025年1月4日号
秋も深まった頃、草やぶの中で着衣にいろんな植物の果実や種子がくっついてくる。それらの愛称を「ひっつきむし」と呼ぶ。
その中でもお馴染みさんがアメリカセンダングサである。名のとおり北アメリカ原産の外来種だ。
田畑の周りや道端など身近で見られ、群生することが多い。
果実はそう果と呼ばれ(写真左)、扁平で先に2本の突起がつく。その突起に逆刺があってそれでくっつくのだ。釣り針の返しみたいで取るのに厄介だが、子供達には「バカ」の名で人気の遊び相手である。
それに似た果実をつけるのがコセンダングサだ。こちらも北アメリカ原産の外来種で、関東以西に多いが、苗場山麓でも見かけるようになった。
そう果(写真右)には2~4本の突起がつくが、それに逆刺があるところは前者と同じ。
どちらも一年草で、たくさんの種子を蒔き散らし勢力拡大に余念がない。
2024年12月21日号
反里口から中津川に降りる川原の崖にポッカリと開いた隧道の出口付近は土砂の崩壊で完全に埋まっていますが、その先に軌道の痕跡が残っているかと斜面を探索していると、なんと反里口頭首工の直ぐ傍に軌道跡の盛り土と、併設された灌漑用水路の石組がしっかりと残っていました。
この辺りは今でも斜面が崩落し中津川まで押してきますので、当時も軌道や水路の確保に大変な場所だったと思います。その原因となるのが太古の昔、笹葉峰の大崩落により、幅2.5キロ長さ4.5キロ、落差300㍍で太田新田・見玉方面へ押し出し、大量の土砂が中津川を堰き止めた地域といわれております。
その崩落地形に大正8年に中津川発電所工事の輸送路として軌道が敷かれ、穴藤のダムから正面ヶ原開田地業に引く中津川幹線水路も開通しましたが、昭和24・25年の台風で地山もろとも大崩落し農家を落胆させました。
現在の頭首工は昭和43年に完成し広大な圃場を潤していますが、その傍に残された稲作への熱い想いを忘れてはなりません。
2024年12月14日号
ロータリ除雪車やタイヤショベルを乗りこなし、私たちが朝出かけるまでの間に町中の道路を通れるようにしてくれている「豪雪地帯のヒーロー」除雪隊。
全国の除雪隊の始まりは北海道札幌市が始まりとされ、青森空港の除雪隊は『ホワイトインパルス』と呼ばれ、滑走路などの冬季でも滞りなく飛行機が離発着できるよう完璧なまでの除雪を行い全国的にも有名だ。
この地域の除雪は北の雪とは違い、重く湿っていて、扱いが難しいが、これだけキレイに除雪されている地域はほとんどない。
私が初めて目にした津南・十日町の冬道はスノータイヤじゃなくても走れるのではないかと思うほどきれいだった。
この地域に住んでいると当たり前の光景かもしれないが、民家の前やすぐ近くの道にあんな大きな重機が走り回って、大量の雪を退けていく。
私はそんな除雪隊がカッコイイなぁと早朝の作業を見るのがこれからの日課。
人口減少問題の中、除雪隊の人手不足も深刻な問題となっているが、昼夜問わず、生活に欠かせない必要不可欠な仕事に冬のヒーローとして、次の世代の除雪隊が増えることを切に願っている。
2024年12月7日号