これから作る公共施設は「全て防災拠点」、過言ではないだろう。学校や保育園の増改築、地域公民館や集会施設の更新、さらに役所の改修など、その全てが「防災・減災」を重点的に取り入れた公共施設が求められる。それは時代の要請と共に、まさに「住民の生命を守る拠点」だからだ。
9月議会が十日町市、津南町、栄村で始まっている。関心の一つは津南町が方向性を示した小学校再編統合による町立小学校1校化、さらに保育園統合による1園化。その校舎や園舎の増改築における防災拠点化の取り組みだ。
少子化による複式学級など、小学校の教育環境の改善に伴う学びの場・校舎の改築は、その目的の教育環境整備と共に公共施設のあり方も行政課題として併存する。それが「防災拠点化」。施設の改増築では当然、防災備品などの充実に取り組むだろうが、ことは備品の充実程度ではどうしようもない。
その公共施設の必然性、その場所の有効性、その施設が持つ機能と防災効果、さらに可動性など検討が必要だ。それは地震や風水害など災害発生時、どう機動力が発揮でき、住民の拠り所になれるのかなど多角的な視点、広い機能効果を考えた防災拠点が求められる。現役所庁舎と同等に併用できる施設が求められる。それが「これから作る公共施設の防災拠点化」である。
津南町は、小学校の再編統合を『中央部の津南小、長野県境の上郷小、赤沢台地の芦ヶ崎小の3校統合』により新たな町立小学校を現津南小学校に誕生させる方針だ。保育園も同様。ならば全面改築を含む津南町唯一の小学校・保育園の改築場所、公共施設としての防災拠点化を考えるべきだ。保育園・小学校とも理念は吸収統合ではないはずで、新設の公共施設である。
人口減少が進む津南町。今後新たな公共施設建設は少ないだろう。これは、十日町市の先行モデルにもなる。
2024年9月7日号
十日町市議会と栄村議会で議員報酬を模索する動きが同時進行している。人口4万7470人(1万9423世帯)の市、1584人(782世帯)の村では「比較にならない」、そんな声が聞こえる。十日町市の議員報酬月額30万円、栄村議員12万9千円。「数字の比較は無理がある」、当然の声が聞こえる。
だが、議員活動はその自治体の大小、人口の多少に関係なく「議会・議員の活動」。報酬は「議員活動の質」が問われる。極論と言われるが、市町村議員の報酬を規定する根拠は極めて不明瞭であり、換言すれば「報酬額は自由裁量」となる。
十日町市の議会改革特別委員会は、来年4月改選の議員報酬を現額4万円アップの月額34万円に改定する方針を固めた。その根拠理由にあげているのが「29年間据え置いている」「市行政課長級を基準」など報酬引上げの理由を列挙している。
この理由を考えたい。据え置き29年間は、その時々の市議の判断であり、長期間の据え置きは引上げ理由にならない。課長級という。市行政職員の課長職に就くまでの苦節の歳月と、市議の在任期間はどう考えても同列に論じられない。議員報酬の引き上げが必要と、時の議会・議員が判断するなら、堂々と議員提案で本会議審議し、採決すればよい、それだけの事だ。
長野県最下位の議員報酬の栄村議会。人口は十日町市の3%余。同列に論じるのは無謀、と大声が聞こえるが、議員活動は同じ。そこに暮らす住民と向き合う議員活動そのものは同列。責務、住民付託は同じ重さを持つ。市議会と村議会、同じ議会だ。いや、より身近な活動を求められる村議会、住民との距離感は相当近い。当然、議員活動は幅広く、深く、住民要望は公私にわたる。
その命題、「議員報酬とは」。ますます疑問符が膨らむ。
2024年8月31日号
地域経済の低迷が続く。元気のなさが地元商店街や観光誘客の温泉施設などに見られる。シャッター通り化が進む十日町市本町通りと津南町中央商店街。深刻度は空き家問題と共に大きな地域課題になっている。
「民間企業が元気な時代は、空き店舗や閉館した観光施設を受け継ぎ、地域を元気にしたものだ」。経済成長期の時代を知る世代から聞こえる声だ。きもの産業の隆盛期は、地元企業主導の地域づくりだった。だが、その勢いが鈍り出した頃から行政による「まちづくり」が台頭し、国・県・市町村という繋がりの補助金まちづくりが急増。その流れは今も続くが、その活動財源は我々住民が納めた税である。これでは真の元気は出ないし、「枠をはみ出す」熱きエネルギーは育たない。
気になる存在の一つ、津南町の日帰り温泉施設「竜ヶ窪温泉・龍神の館」。昨年9月閉館後、再開の動きは見えない。だが国道117号の観光案内板には、方向矢印と共に竜ヶ窪温泉は明記され、休館中の表記もない。このお盆期間中、「ひまわり広場」へ行き、竜ヶ窪温泉に向かい「閉館」で引き返した人は多い。なにもメッセージがない取り組み不足、対応の鈍さはそのまま元気のなさに通じる。地元で経営者募集の動きがあるが具体化していない。
集客スポットの拠点の閑散さは、地域経済のバロメーターでもある。地域の民間企業、そこにリーディング・カンパニーが育っていれば、見える地域経済の景色は変ってくるだろう。行政のまちづくり、その要は賑わい空間創出と共に地域経済のテコ入れ。「特定の企業支援はできない」と行政は言うが、企業を育てることは人材を育てること、地域納税を増やすこと、牽引する企業の存在が地域の元気印になる。
2024年度も早や半期。農業産業が基盤なら、それも地域経済。強いテコ入れ、これも待ったなしだ。
2024年8月24日号
人口がいつもの2倍、3倍に増えたお盆シーズン。それだけ「情報」も数多、交わされたことだろう。聞き流すにはもったいない情報もあっただろう。「流動人口」、「関係人口」というなら、情報の「流動・関係」もあり、ここ妻有地域にとって有益な情報も多かったろう。さて、どう情報収集するかだ。
「うちのゼミの教授が、大地の芸術祭に関心があり、アートという判断が一つではない分野に、どう住民が関わっているか知りたがっている」、どうぞどうぞ、いつでもお越しください。「そういえば、うちの会社の営業担当が十日町や津南の農産物を取り入れたいと話していたなぁ。上越新幹線で東京に直送できるというじゃないか」、そうなんです、JR東との連携が深まり、このパイプをもっと太くしたいんです。
「人口が減っていると聞くが、それは東京以外、全国どこも同じこと。問題は人口が減ることより、そこに暮らす人たちの満足度というのか、ここで暮らしていて良かったと思う気持ちが強いかどうかでしょ」、そうですね、人口減少を嘆いていても問題解決に至りませんね。ここに暮らす人たちの満足度、まさにここが課題です。「自然豊かというが、そんなの全国の農山村、山間地に行けば皆同じことを言う。それより、これからは水だ。あの豪雪が湧水となって湧き出るわけで、この水こそ、この地域の最大資源ではないのか」、その通りです。豪雪は大変ですが、その雪が大切な水資源を生み出しています。
企業進出の話も、移住希望の話も、妻有地域の特産品の活用の話も、大学や研究機関の進出の話も、さらにさらに「情報」は数多く溢れたであろう。
繰り返すが、それを聞き流したのではもったいない。どう情報を集め、どう共有できるか、この人口倍増のお盆シーズン対策だ。先ずは行政だろう。その感度のボリュームは上がっているだろうか。「情報」は資源である。
2024年8月17日号
先週3日の新聞各紙に注目した。前日2日、この国の政府の「地震調査研究推進本部」(地震本部)が公表した日本海・新潟県上越沖から兵庫県北方沖にかけての海域活断層の「長期評価」を初公表し、各新聞が翌日報じた。県紙・新潟日報トップ見出し「上越沖M8の断層帯」が衝撃的だ。地震本部のねらいは「前倒し公表で自治体の速やかな防災対策に活用するため」とし、この中では関心が高い地震発生率は評価せず、来年中頃に公表する方針だ。
柏崎刈羽原発の中越沖は今回の公表には含まれず、今後公表としているが、隣接地に存在する海域活断層の評価は、大きな意味を持つ。
公表の海域活断層は、これまでに公表されている範囲内で新たな活断層は含まれていない。だが、地震本部は「断層の有無が確認できていない場所がある」として、今回公表の活断層が全てではないとしている点に注目したい。
さらに中越沖、下越沖も今後公表されるが、最大の関心事は中越沖の海域活断層だろう。同じ2日に原子力規制委員会は日本原電(日本原子力発電)の敦賀原発の重要施設が活断層の上にあり、国の新基準で原発設置を禁じている事項に該当し、「審査不適合」を示し、事実上、敦賀原発の運転不許可を出した。
この事実は大きく、今後公表される中越沖の海域活断層の存在が明らかになり、それが柏崎刈羽原発に影響する場所となると、事はさらに重要局面を向えることになる。
これまで手薄だった日本海の海域活断層の調査が、ようやく表に出るようになり、これが世界最大級の原発、柏崎刈羽原発の存在に大きく影響していくことが想定される。地震本部が今回公表した意図を再度考えたい。『速やかな防災対策に…』、さらに『断層の有無が確認できていない場所がある』、ここに自治体、住民の防災意識を集中する必要がある。これも待ったなしだ。
2024年8月10日号
十日町市、津南町、栄村は、期せずして同じ課題に直面している。それは教育。表面的には学校再編だが、その取り組みに通底するのは、「どうする教育」だろう。国が規定する6・3・3制など教育行政、教育システムは制度疲労を見せ、その現場では現状に合わない事態が続発している。教育行政は10年後、20年後という表現を多用するが、それはその時の「ご都合」の場合が多い。ここはまさに「教育は百年の計」で、抜本改革が求められる。
人口千5百人余、年間出生数がひと桁に落ち込んでいる栄村は、2年後の実現をめざし、小中の義務教育課程を一体化する文科省認可・義務教育学校の開校をめざす。人口規模、子の推移から当然の帰結に見える。だが、これまでのプロセスには自治体の大小を超えた「熱い取り組み」がある。自主参加の子育て世代が「未来の子たちに最高の教育環境を創ろう」とワークショップを定期開催。その意見の出し合いがまもなく結実する。
津南町は保育園再編を通じ小学校再編を視野に入れる。「地元の意見が第一」と今週29日から保育園・小学校エリアを対象に住民説明会・意見交換会を開いている。年間出生数30人前後と1クラスに満たない現状から相当な改革が必要だ。義務教育学校、文科省の教育特区活用で学年を超えた教科授業の導入、特認校で町外通学の受入れなど「実践的な津南町教育」を提唱してほしい。
中学校再編で課題に直面する十日町市。自治体合併の余波が出ている。児童生徒数は年々減少、地域意識を超えた視点が求められ、それを上回る「教育の質の提唱」が求められる。県立高校との連携、専門教科教諭の相互交流、小中高の一貫教育システムなど、十日町市の規模だから出来る教育改革に果敢に挑んでほしい。
制度疲労する教育行政。その影響を受ける児童生徒、待ったなしである。
2024年8月3日号
『歳月人を待たず』。年月は人の都合など考えずに、どんどん過ぎ去ってゆく、という言葉だが、そんな簡単じゃないよ、という声も聞こえてきそうだ。
そうです、十日町市長選です。任期満了まで1年後の今春4月23日、4期在任の関口芳史市長は定例会見で翌年の市長選への思いとして言葉を重ねた。
「今はまだ、そういうことを考えるようなタイミングではないと思う」と述べ、「目の前の課題をしっかり解決するため全力を尽くしたい。どこかのタイミングで、また次のことを考えるような時期があったら、またしっかり皆様に示す」。無難な言葉を並べたが、この中でタイミングという言葉を2回使っている。便利な言葉ではあるが、「自分が決める」その時がタイミングであり、人に勧められる時もタイミングだ。そのタイミングは、すでに過ぎているのではないのか。
あれから3ヵ月、まさに歳月人を待たずだ。関口市長の都合など考えずに、時間は刻々と流れ、人の思いや思惑とは関係なしに、そのタイミングは次々と変化し、時間は過ぎ去り、そこから浮かび上がる「再出馬」という時間の流れが始まっている。
一つのシナリオがある。7月13日、大地の芸術祭が始まった。この2週間の印象は「人が来ている」。夏休みに入り、この妻有の夏は、この大地の芸術祭の夏は、人の入込みで相当に熱い夏になるだろう。平日でも街を往来する人の流れは各段に多く、このまま推移すれば過去最高の入込みが見込める。11月10日、フィナーレを迎え、その余韻が残る12月定例市議会で「出馬表明」…。これは妻有新聞のオリジナル・シナリオ。さて、関口市長のシナリオは…、そこが聞きたい。
来週は早や8月。政治の世界でよく使う「秋風が吹く頃に…」だが、十日町市の皆さんは、そこまで待ってくれるのか。今年の残暑は厳しそうだ。
2024年7月27日号
この3年間で中学卒業生が803人、さらに8年後には2885人減少する新潟県。県教委は今月初め、2024年から向こう8年間の中学卒業生数の推移を公表した。これは県立高校等再編整備計画、いわゆる3ヵ年計画だ。衝撃的な減少数だ。全県ではこの3年間で全日制学級を12学級減少の計画。全県6エリアごとに再編計画を示すが、数字以上に厳しい現実が、各エリアの地元にあることが読み取れる。
魚沼エリア(十日町市・南魚沼市・魚沼市・津南町・湯沢町)。この3年間で減少は100人余。学級減は2クラスと県教委は示している。来年2025年度は再編整備の対象高校はないが、2026年度には十日町高校に大学進学重視の「学究型コース」を設ける。ただ十高は来年2025年度に1学級減となり、その翌年2026年度から学究型コースを新設し、学級は1学年5クラスに戻る。だが次年2027年度は普通学級が1クラス減となり、全体学級は1学年4クラス編成になる。かつての8クラス編成から見ると、半減になる厳しい現実になっている。
この学究型コース。進学重視と県教委は示すが、同じエリアに県内有数の国公立大進学の実績を積む津南中等教育学校がある。県教委は3ヵ年計画では県立中高一貫校について「中等教育のあり方について検討する」と抽象的な方針を示す。先の検討段階では『県立中高一貫校の役割は終わった』と言い切ったが、津南中等の県内トップクラスの国公立大進学の現状を見れば、そう軽々に津南中等の今後には触れられないはずだ。だが、地元から、そう言わせない発信がないのはなぜか。
妻有エリア内に、高校再編への多様な声がある。だが、それは一つとして公式的な発言や示された言葉は出ていない。失礼ながら「コソコソ言ってないで、堂々と述べよ」だ。それが議論のスタートではないか。
2024年7月20日号
これも「劇場型」なのだろう。換言すれば「注目至上主義のSNSの世界観が公共空間にあふれ出てしまった選挙」。役者の言葉より、舞台のパフォーマンスぶりに目が、耳がいき、「面白そうだ」と魅かれ…投票につながった、これが都知事選から見える一つの側面だ。政を託す選択の選挙が、政治を見世物として操る術を選ぶ選挙に、これも都知事選の結果から見えてくる。
この「注目至上主義選挙」が次期衆院選にどう影響するかだ。本号オピニオン・藤ノ木信子氏が指摘する。今回の都知事選の得票モデルを次期衆院選に持ち込まれたら、選挙は「選ぶ選挙」から「パフォーマンスの良し悪し」を選ぶ、文字通りの祭になってしまう。
都知事選結果を招いたのは「有権者の劣化」、とは言い過ぎだろうか。だが、その背後には「庶民の声を拾えない政党への不信感」がある。積み重なる政治不信、言い逃れのその場しのぎが、無所属を掲げた候補を2番手に押し上げたのは事実だろう。
だが、考えたいのはその中身だ。ネット選挙を全面展開した無所属新人は、得票で2番になったが、それは「大衆迎合型の政治手法。厳しい言葉で批判し、論破する姿をSNSに晒すことで、庶民の鬱積を晴らしてくれる、と思わせる手法」だった。選ぶ選挙から「不満をぶつける」投票行動になっている現実を都知事選で見た思いだ。これも率直な投票行動であるのは事実だろう。
さらに、政党政治への辟易感が、既成政党への嫌悪感として増幅し、無所属を標榜した若い候補に集まった、端的に見る都知事選の構図だ。
今回の都知事選は今後全国である「選挙」に大きく影響するだろう。有権者の1票は大きい。だが有権者の目を引く「注目主義選挙」が横行する危惧を抱く。手段を選ばない関心集めの選挙手法、そこには「政治」がないからだ。有権者意識がさらに問われる。
2024年7月13日号
アートの力を信じたい。先駆けの大地の芸術祭は回を重ねるごとに関心を集め、いまや全国300以上の芸術祭的なアートイベントがある。その本家本元、大地の芸術祭は来週13日、第9回展の開幕だ。本紙先週号のトップ、芸術祭・総合ディレクターの北川フラム氏の言葉が、9回展までの歴史を端的に物語っている。『…バスで空気を運んでいると言われた時代から、ここまで来た…』。第1回展の2000年以降、2回、3回と重ねるまでは、作品巡りバスは「空気を運んでいる」と揶揄された。それがコロナ禍の厳しい時期を経験しつつも、大地の芸術祭は世界ブランドに育ち、開幕の9回展では外国から多くの来訪者が、ここ妻有をめざすだろう。「アートの力」を感じる。
注目はロシア侵攻が続くウクライナの作家たちの出展だろう。アートの力は、「過疎と過密」、「都市と山間地」のキーワードから、2000年の第1回展から変わらない理念『人間は自然に内包される』が、いま世界で起こる紛争につながり、そこには「平和」への強いメッセージが込められ、越後妻有から世界に向けて、さらに強く打ち出される9回展になるだろう。
87日間の大地の芸術祭。アーティスト275組は41の国と地域から妻有で作品展開する。野外アート、空き家や閉校舎活用のアートなど、その作品が発するメッセージを、目で、耳で、皮膚で、嗅覚で、心で、まさに5感で体感してほしい。その地に居る自分と、その地に存在する作品、この関係性こそ越後妻有からのメッセージだろう。
「ここはどこ、私はだれ、どこから来て、どこへ行くのか…」、その先の視野にウクライナがあり、ガザがあり、アフリカがある。
来訪者数が芸術祭の成否になる時代ではない、と考える。最終日11月10日、ここ越後妻有から世界に向け、どんなメッセージが発せられるのか。
2024年7月6日号
これから作る公共施設は「全て防災拠点」、過言ではないだろう。学校や保育園の増改築、地域公民館や集会施設の更新、さらに役所の改修など、その全てが「防災・減災」を重点的に取り入れた公共施設が求められる。それは時代の要請と共に、まさに「住民の生命を守る拠点」だからだ。
9月議会が十日町市、津南町、栄村で始まっている。関心の一つは津南町が方向性を示した小学校再編統合による町立小学校1校化、さらに保育園統合による1園化。その校舎や園舎の増改築における防災拠点化の取り組みだ。
少子化による複式学級など、小学校の教育環境の改善に伴う学びの場・校舎の改築は、その目的の教育環境整備と共に公共施設のあり方も行政課題として併存する。それが「防災拠点化」。施設の改増築では当然、防災備品などの充実に取り組むだろうが、ことは備品の充実程度ではどうしようもない。
その公共施設の必然性、その場所の有効性、その施設が持つ機能と防災効果、さらに可動性など検討が必要だ。それは地震や風水害など災害発生時、どう機動力が発揮でき、住民の拠り所になれるのかなど多角的な視点、広い機能効果を考えた防災拠点が求められる。現役所庁舎と同等に併用できる施設が求められる。それが「これから作る公共施設の防災拠点化」である。
津南町は、小学校の再編統合を『中央部の津南小、長野県境の上郷小、赤沢台地の芦ヶ崎小の3校統合』により新たな町立小学校を現津南小学校に誕生させる方針だ。保育園も同様。ならば全面改築を含む津南町唯一の小学校・保育園の改築場所、公共施設としての防災拠点化を考えるべきだ。保育園・小学校とも理念は吸収統合ではないはずで、新設の公共施設である。
人口減少が進む津南町。今後新たな公共施設建設は少ないだろう。これは、十日町市の先行モデルにもなる。
2024年9月7日号
十日町市議会と栄村議会で議員報酬を模索する動きが同時進行している。人口4万7470人(1万9423世帯)の市、1584人(782世帯)の村では「比較にならない」、そんな声が聞こえる。十日町市の議員報酬月額30万円、栄村議員12万9千円。「数字の比較は無理がある」、当然の声が聞こえる。
だが、議員活動はその自治体の大小、人口の多少に関係なく「議会・議員の活動」。報酬は「議員活動の質」が問われる。極論と言われるが、市町村議員の報酬を規定する根拠は極めて不明瞭であり、換言すれば「報酬額は自由裁量」となる。
十日町市の議会改革特別委員会は、来年4月改選の議員報酬を現額4万円アップの月額34万円に改定する方針を固めた。その根拠理由にあげているのが「29年間据え置いている」「市行政課長級を基準」など報酬引上げの理由を列挙している。
この理由を考えたい。据え置き29年間は、その時々の市議の判断であり、長期間の据え置きは引上げ理由にならない。課長級という。市行政職員の課長職に就くまでの苦節の歳月と、市議の在任期間はどう考えても同列に論じられない。議員報酬の引き上げが必要と、時の議会・議員が判断するなら、堂々と議員提案で本会議審議し、採決すればよい、それだけの事だ。
長野県最下位の議員報酬の栄村議会。人口は十日町市の3%余。同列に論じるのは無謀、と大声が聞こえるが、議員活動は同じ。そこに暮らす住民と向き合う議員活動そのものは同列。責務、住民付託は同じ重さを持つ。市議会と村議会、同じ議会だ。いや、より身近な活動を求められる村議会、住民との距離感は相当近い。当然、議員活動は幅広く、深く、住民要望は公私にわたる。
その命題、「議員報酬とは」。ますます疑問符が膨らむ。
2024年8月31日号
地域経済の低迷が続く。元気のなさが地元商店街や観光誘客の温泉施設などに見られる。シャッター通り化が進む十日町市本町通りと津南町中央商店街。深刻度は空き家問題と共に大きな地域課題になっている。
「民間企業が元気な時代は、空き店舗や閉館した観光施設を受け継ぎ、地域を元気にしたものだ」。経済成長期の時代を知る世代から聞こえる声だ。きもの産業の隆盛期は、地元企業主導の地域づくりだった。だが、その勢いが鈍り出した頃から行政による「まちづくり」が台頭し、国・県・市町村という繋がりの補助金まちづくりが急増。その流れは今も続くが、その活動財源は我々住民が納めた税である。これでは真の元気は出ないし、「枠をはみ出す」熱きエネルギーは育たない。
気になる存在の一つ、津南町の日帰り温泉施設「竜ヶ窪温泉・龍神の館」。昨年9月閉館後、再開の動きは見えない。だが国道117号の観光案内板には、方向矢印と共に竜ヶ窪温泉は明記され、休館中の表記もない。このお盆期間中、「ひまわり広場」へ行き、竜ヶ窪温泉に向かい「閉館」で引き返した人は多い。なにもメッセージがない取り組み不足、対応の鈍さはそのまま元気のなさに通じる。地元で経営者募集の動きがあるが具体化していない。
集客スポットの拠点の閑散さは、地域経済のバロメーターでもある。地域の民間企業、そこにリーディング・カンパニーが育っていれば、見える地域経済の景色は変ってくるだろう。行政のまちづくり、その要は賑わい空間創出と共に地域経済のテコ入れ。「特定の企業支援はできない」と行政は言うが、企業を育てることは人材を育てること、地域納税を増やすこと、牽引する企業の存在が地域の元気印になる。
2024年度も早や半期。農業産業が基盤なら、それも地域経済。強いテコ入れ、これも待ったなしだ。
2024年8月24日号
人口がいつもの2倍、3倍に増えたお盆シーズン。それだけ「情報」も数多、交わされたことだろう。聞き流すにはもったいない情報もあっただろう。「流動人口」、「関係人口」というなら、情報の「流動・関係」もあり、ここ妻有地域にとって有益な情報も多かったろう。さて、どう情報収集するかだ。
「うちのゼミの教授が、大地の芸術祭に関心があり、アートという判断が一つではない分野に、どう住民が関わっているか知りたがっている」、どうぞどうぞ、いつでもお越しください。「そういえば、うちの会社の営業担当が十日町や津南の農産物を取り入れたいと話していたなぁ。上越新幹線で東京に直送できるというじゃないか」、そうなんです、JR東との連携が深まり、このパイプをもっと太くしたいんです。
「人口が減っていると聞くが、それは東京以外、全国どこも同じこと。問題は人口が減ることより、そこに暮らす人たちの満足度というのか、ここで暮らしていて良かったと思う気持ちが強いかどうかでしょ」、そうですね、人口減少を嘆いていても問題解決に至りませんね。ここに暮らす人たちの満足度、まさにここが課題です。「自然豊かというが、そんなの全国の農山村、山間地に行けば皆同じことを言う。それより、これからは水だ。あの豪雪が湧水となって湧き出るわけで、この水こそ、この地域の最大資源ではないのか」、その通りです。豪雪は大変ですが、その雪が大切な水資源を生み出しています。
企業進出の話も、移住希望の話も、妻有地域の特産品の活用の話も、大学や研究機関の進出の話も、さらにさらに「情報」は数多く溢れたであろう。
繰り返すが、それを聞き流したのではもったいない。どう情報を集め、どう共有できるか、この人口倍増のお盆シーズン対策だ。先ずは行政だろう。その感度のボリュームは上がっているだろうか。「情報」は資源である。
2024年8月17日号
先週3日の新聞各紙に注目した。前日2日、この国の政府の「地震調査研究推進本部」(地震本部)が公表した日本海・新潟県上越沖から兵庫県北方沖にかけての海域活断層の「長期評価」を初公表し、各新聞が翌日報じた。県紙・新潟日報トップ見出し「上越沖M8の断層帯」が衝撃的だ。地震本部のねらいは「前倒し公表で自治体の速やかな防災対策に活用するため」とし、この中では関心が高い地震発生率は評価せず、来年中頃に公表する方針だ。
柏崎刈羽原発の中越沖は今回の公表には含まれず、今後公表としているが、隣接地に存在する海域活断層の評価は、大きな意味を持つ。
公表の海域活断層は、これまでに公表されている範囲内で新たな活断層は含まれていない。だが、地震本部は「断層の有無が確認できていない場所がある」として、今回公表の活断層が全てではないとしている点に注目したい。
さらに中越沖、下越沖も今後公表されるが、最大の関心事は中越沖の海域活断層だろう。同じ2日に原子力規制委員会は日本原電(日本原子力発電)の敦賀原発の重要施設が活断層の上にあり、国の新基準で原発設置を禁じている事項に該当し、「審査不適合」を示し、事実上、敦賀原発の運転不許可を出した。
この事実は大きく、今後公表される中越沖の海域活断層の存在が明らかになり、それが柏崎刈羽原発に影響する場所となると、事はさらに重要局面を向えることになる。
これまで手薄だった日本海の海域活断層の調査が、ようやく表に出るようになり、これが世界最大級の原発、柏崎刈羽原発の存在に大きく影響していくことが想定される。地震本部が今回公表した意図を再度考えたい。『速やかな防災対策に…』、さらに『断層の有無が確認できていない場所がある』、ここに自治体、住民の防災意識を集中する必要がある。これも待ったなしだ。
2024年8月10日号
十日町市、津南町、栄村は、期せずして同じ課題に直面している。それは教育。表面的には学校再編だが、その取り組みに通底するのは、「どうする教育」だろう。国が規定する6・3・3制など教育行政、教育システムは制度疲労を見せ、その現場では現状に合わない事態が続発している。教育行政は10年後、20年後という表現を多用するが、それはその時の「ご都合」の場合が多い。ここはまさに「教育は百年の計」で、抜本改革が求められる。
人口千5百人余、年間出生数がひと桁に落ち込んでいる栄村は、2年後の実現をめざし、小中の義務教育課程を一体化する文科省認可・義務教育学校の開校をめざす。人口規模、子の推移から当然の帰結に見える。だが、これまでのプロセスには自治体の大小を超えた「熱い取り組み」がある。自主参加の子育て世代が「未来の子たちに最高の教育環境を創ろう」とワークショップを定期開催。その意見の出し合いがまもなく結実する。
津南町は保育園再編を通じ小学校再編を視野に入れる。「地元の意見が第一」と今週29日から保育園・小学校エリアを対象に住民説明会・意見交換会を開いている。年間出生数30人前後と1クラスに満たない現状から相当な改革が必要だ。義務教育学校、文科省の教育特区活用で学年を超えた教科授業の導入、特認校で町外通学の受入れなど「実践的な津南町教育」を提唱してほしい。
中学校再編で課題に直面する十日町市。自治体合併の余波が出ている。児童生徒数は年々減少、地域意識を超えた視点が求められ、それを上回る「教育の質の提唱」が求められる。県立高校との連携、専門教科教諭の相互交流、小中高の一貫教育システムなど、十日町市の規模だから出来る教育改革に果敢に挑んでほしい。
制度疲労する教育行政。その影響を受ける児童生徒、待ったなしである。
2024年8月3日号
『歳月人を待たず』。年月は人の都合など考えずに、どんどん過ぎ去ってゆく、という言葉だが、そんな簡単じゃないよ、という声も聞こえてきそうだ。
そうです、十日町市長選です。任期満了まで1年後の今春4月23日、4期在任の関口芳史市長は定例会見で翌年の市長選への思いとして言葉を重ねた。
「今はまだ、そういうことを考えるようなタイミングではないと思う」と述べ、「目の前の課題をしっかり解決するため全力を尽くしたい。どこかのタイミングで、また次のことを考えるような時期があったら、またしっかり皆様に示す」。無難な言葉を並べたが、この中でタイミングという言葉を2回使っている。便利な言葉ではあるが、「自分が決める」その時がタイミングであり、人に勧められる時もタイミングだ。そのタイミングは、すでに過ぎているのではないのか。
あれから3ヵ月、まさに歳月人を待たずだ。関口市長の都合など考えずに、時間は刻々と流れ、人の思いや思惑とは関係なしに、そのタイミングは次々と変化し、時間は過ぎ去り、そこから浮かび上がる「再出馬」という時間の流れが始まっている。
一つのシナリオがある。7月13日、大地の芸術祭が始まった。この2週間の印象は「人が来ている」。夏休みに入り、この妻有の夏は、この大地の芸術祭の夏は、人の入込みで相当に熱い夏になるだろう。平日でも街を往来する人の流れは各段に多く、このまま推移すれば過去最高の入込みが見込める。11月10日、フィナーレを迎え、その余韻が残る12月定例市議会で「出馬表明」…。これは妻有新聞のオリジナル・シナリオ。さて、関口市長のシナリオは…、そこが聞きたい。
来週は早や8月。政治の世界でよく使う「秋風が吹く頃に…」だが、十日町市の皆さんは、そこまで待ってくれるのか。今年の残暑は厳しそうだ。
2024年7月27日号
この3年間で中学卒業生が803人、さらに8年後には2885人減少する新潟県。県教委は今月初め、2024年から向こう8年間の中学卒業生数の推移を公表した。これは県立高校等再編整備計画、いわゆる3ヵ年計画だ。衝撃的な減少数だ。全県ではこの3年間で全日制学級を12学級減少の計画。全県6エリアごとに再編計画を示すが、数字以上に厳しい現実が、各エリアの地元にあることが読み取れる。
魚沼エリア(十日町市・南魚沼市・魚沼市・津南町・湯沢町)。この3年間で減少は100人余。学級減は2クラスと県教委は示している。来年2025年度は再編整備の対象高校はないが、2026年度には十日町高校に大学進学重視の「学究型コース」を設ける。ただ十高は来年2025年度に1学級減となり、その翌年2026年度から学究型コースを新設し、学級は1学年5クラスに戻る。だが次年2027年度は普通学級が1クラス減となり、全体学級は1学年4クラス編成になる。かつての8クラス編成から見ると、半減になる厳しい現実になっている。
この学究型コース。進学重視と県教委は示すが、同じエリアに県内有数の国公立大進学の実績を積む津南中等教育学校がある。県教委は3ヵ年計画では県立中高一貫校について「中等教育のあり方について検討する」と抽象的な方針を示す。先の検討段階では『県立中高一貫校の役割は終わった』と言い切ったが、津南中等の県内トップクラスの国公立大進学の現状を見れば、そう軽々に津南中等の今後には触れられないはずだ。だが、地元から、そう言わせない発信がないのはなぜか。
妻有エリア内に、高校再編への多様な声がある。だが、それは一つとして公式的な発言や示された言葉は出ていない。失礼ながら「コソコソ言ってないで、堂々と述べよ」だ。それが議論のスタートではないか。
2024年7月20日号
これも「劇場型」なのだろう。換言すれば「注目至上主義のSNSの世界観が公共空間にあふれ出てしまった選挙」。役者の言葉より、舞台のパフォーマンスぶりに目が、耳がいき、「面白そうだ」と魅かれ…投票につながった、これが都知事選から見える一つの側面だ。政を託す選択の選挙が、政治を見世物として操る術を選ぶ選挙に、これも都知事選の結果から見えてくる。
この「注目至上主義選挙」が次期衆院選にどう影響するかだ。本号オピニオン・藤ノ木信子氏が指摘する。今回の都知事選の得票モデルを次期衆院選に持ち込まれたら、選挙は「選ぶ選挙」から「パフォーマンスの良し悪し」を選ぶ、文字通りの祭になってしまう。
都知事選結果を招いたのは「有権者の劣化」、とは言い過ぎだろうか。だが、その背後には「庶民の声を拾えない政党への不信感」がある。積み重なる政治不信、言い逃れのその場しのぎが、無所属を掲げた候補を2番手に押し上げたのは事実だろう。
だが、考えたいのはその中身だ。ネット選挙を全面展開した無所属新人は、得票で2番になったが、それは「大衆迎合型の政治手法。厳しい言葉で批判し、論破する姿をSNSに晒すことで、庶民の鬱積を晴らしてくれる、と思わせる手法」だった。選ぶ選挙から「不満をぶつける」投票行動になっている現実を都知事選で見た思いだ。これも率直な投票行動であるのは事実だろう。
さらに、政党政治への辟易感が、既成政党への嫌悪感として増幅し、無所属を標榜した若い候補に集まった、端的に見る都知事選の構図だ。
今回の都知事選は今後全国である「選挙」に大きく影響するだろう。有権者の1票は大きい。だが有権者の目を引く「注目主義選挙」が横行する危惧を抱く。手段を選ばない関心集めの選挙手法、そこには「政治」がないからだ。有権者意識がさらに問われる。
2024年7月13日号
アートの力を信じたい。先駆けの大地の芸術祭は回を重ねるごとに関心を集め、いまや全国300以上の芸術祭的なアートイベントがある。その本家本元、大地の芸術祭は来週13日、第9回展の開幕だ。本紙先週号のトップ、芸術祭・総合ディレクターの北川フラム氏の言葉が、9回展までの歴史を端的に物語っている。『…バスで空気を運んでいると言われた時代から、ここまで来た…』。第1回展の2000年以降、2回、3回と重ねるまでは、作品巡りバスは「空気を運んでいる」と揶揄された。それがコロナ禍の厳しい時期を経験しつつも、大地の芸術祭は世界ブランドに育ち、開幕の9回展では外国から多くの来訪者が、ここ妻有をめざすだろう。「アートの力」を感じる。
注目はロシア侵攻が続くウクライナの作家たちの出展だろう。アートの力は、「過疎と過密」、「都市と山間地」のキーワードから、2000年の第1回展から変わらない理念『人間は自然に内包される』が、いま世界で起こる紛争につながり、そこには「平和」への強いメッセージが込められ、越後妻有から世界に向けて、さらに強く打ち出される9回展になるだろう。
87日間の大地の芸術祭。アーティスト275組は41の国と地域から妻有で作品展開する。野外アート、空き家や閉校舎活用のアートなど、その作品が発するメッセージを、目で、耳で、皮膚で、嗅覚で、心で、まさに5感で体感してほしい。その地に居る自分と、その地に存在する作品、この関係性こそ越後妻有からのメッセージだろう。
「ここはどこ、私はだれ、どこから来て、どこへ行くのか…」、その先の視野にウクライナがあり、ガザがあり、アフリカがある。
来訪者数が芸術祭の成否になる時代ではない、と考える。最終日11月10日、ここ越後妻有から世界に向け、どんなメッセージが発せられるのか。
2024年7月6日号