だから、と聞き返したくなる。JR東は衆院選が終わった2日後の先月29日、管内の地方赤字路線の収支状況を公表した。5年前から収支公表しており、予想通り飯山線の路線名が赤字ローカル線の代名詞として新聞やメディアに流れた。「百円の収入を得るのにかかる費用」をJRは『営業係数』と表示する。公表72路線で営業係数1万円を超えるのは4路線区間ある。「飯山線・戸狩野沢温泉―津南」は1万316円。だから、どうした、と聞き返したくなる。利用者が少ない現実はあるが、一方で経済活動から見れば「営業努力が足りない」となる。沿線に暮らす我々、さて、どうする。数字が続くが現実がよく分かる。
営業係数1万円を超える4路線区間で最多は1万3580円の「久留里線・久留里―上総亀山」。次が陸羽線・鳴子温泉―最上で1万3465円、さらに花輪線・荒屋新町―鹿角花輪の1万916円、その次が飯山線。このデータには興味深い数字も出ている。
37年前の1987年度と2023年度の一日乗者数(平均通過数)の比較だ。1万円を超える飯山線同区間の37年前は822人、昨年度は84人、実に90%の減少率。JR東が調査区間とする飯山線4区間では、豊野―飯山の減少率58%(37年前3368人、2023年度1398人)。津南―越後川口は減少率64%(37年前949人、2023年度342人)。公表72路線区間では減少率が少ない部類に入る。だが飯山―戸狩野沢温泉81%、戸狩野沢温泉―津南90%と深刻な数字を示す。まさに人口減少がそのまま具体化している。
サイクルトレイン、おいこっと、企画列車など経営努力の取り組みは見られ、最たるは8年前のSL運行だろう。人口減少、特に少子化で列車通学者が激減している現実だ。県を超え連携する飯山線沿線協議会がある。JR東と、とことん話してはどうか。
2024年11月9日号
自民全敗。衆院選小選挙区の新潟県5区は全て立憲が独占。安倍政治から岸田政権、この11年間で引き起こした政治資金に絡む不祥事の数々、その解決を放置したままバトンタッチされた石破首相。総裁選での言葉をひっくり返し、豹変した石破政権に有権者は手痛い審判を下したのが今度の衆院選。安倍政権からの政治不信は何も解決しておらず、その最たる結果が全国的に注目を集めた新潟県小選挙区の立憲の独占。隣の群馬県5区すべて自民が勝利、この対照的な結果は単なる県民意識の相違ばかりではないだろう。田中角栄政権はじめ保守王国と呼ばれた新潟県は、大きな変革の時代に入った、といえる。
衆院選の新潟県結果は、次なる劇場の幕開きのゴングだろうか。花角知事が6年前から言う『県民に信を問う』。この言葉がもたらす原発再稼働問題が新潟県にとって第二幕だろう。衆院選投票日の翌28日から本格始動している「柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民投票で決める会」の署名運動。60日間で全県有権者の50分の1以上、約3万6400人以上の署名集めだ。今回の衆院選結果で弾みがつくだろう。決める会は20万人署名を目標にしている。ただ衆院小選挙区を独占した立憲の原発への姿勢は明確な「脱原発」ではないだけに、署名運動の取り組みの課題は多い。だが原発再稼働の是非を誰が決めるのか、この一点の是非を問う署名運動である。ただ次なるハードルは自民多数の県議会だが…。
政治は数という。自民政権が数の論理で取り組んできた結果が、最たる政治不信を招いた。今月11日の特別国会でこの国の政権が決まるが、これからの国政はさらに二幕、三幕もあるのか。際立つ国民民主の躍進が何を意味し、玉木代表の政治感覚で国政をどう動かせ、この国の政治はどう動くのか、まさに「一寸先は闇」だ。
2024年11月2日号
「その場限り」。今度の衆院選をその場限りにするのはもったいない。選挙区再編で新たに誕生した新潟5区。衆院選小選挙区だが、新たな生活圏でもあり、いわば魚沼広域だ。十日町市・津南町の十日町広域圏、南魚・北魚の広域圏、これが衆院選の選挙区再編で一つになった。まさに魚沼広域圏だ。
この括り、選挙以上に今後連携が求められる広域エリアだろう。魚沼コシヒカリの産地には小千谷市も入るが、事実上の魚沼米の産地だ。魚沼イコール5区となった今回の衆院選は、住民に「運命共同体」を印象づけたのではないか。ならば、この好機を逃がす手はない。
歴史に「たら・れば」は禁句だが、選挙中よく聞いた言葉だ。田中角栄の時代に今回の選挙区が誕生していたら、上越新幹線ルート、関越高速道整備、ほくほく線など鉄道整備、いわゆる交通インフラはいまと相当違っていただろう。まさに「政治の力」が及んだだろう、と。
妄想は限りないが、今回の選挙区再編で魚沼が一体化したことの意義を、このエリア住民で共有したい。市町行政の連携、経済活動の連動、文化活動など住民同士の連携は今後起こる予感がする、いや起こす必要がある。ならばこの好機を逃す手はない。選挙は結果がでればノーサイド。先ずは主導する行政が、魚沼広域圏を常に念頭に事業展開することが求められる。
先ずは地域医療だろう。3次医療の拠点は魚沼基幹病院、2次医療は県立十日町病院、さらに地域に密着した医療活動する自治体病院や開業医院がある。すでに広域医療圏の協議テーブルはあるだろうが、この選挙を大きな契機にしてはどうか。
経済活動も同様だ。雪国観光圏があり、県境を含む奥信越観光圏もある。選挙結果に影響を受けない自治体こそ、いま動き出す時だ。
2024年10月26日号
選挙のたびに言われるのが投票率の低下。2015年から18、19歳が有権者となり9年経過。これまで数多くの選挙が行われたが18歳~20代、30代も含めてもこの世代の投票率は20%台、よくて30%台。一方で60代~90代はどの選挙も高い投票率を示す。
10代・20代・30代投票率を上げるにはこの世代が立候補するか、あるいは極論だが、この世代に絶大人気の俳優、あるいは音楽アーティストでも出馬すればこぞって投票する、かもしれない。投票率という数字を上げる方法は、結局は候補者への関心度に尽きるともいえる。
政治に直結する投票という行為は、そのまま端的に数字に表れる。『投票結果の一桁に自分がいる』といわれる。自分が入れた候補得票の最後の数字、一桁の数字は自分が入れた1票だ。自分が入れなければその数字は1票少なくなる。こう考えると、各候補の得票結果の一桁は、紛れもなく「自分の1票」。見える1票である。それが積み重なり、百になり千になり万になる。
その前提が重要だ。「1票を入れたい候補」「入れたい政党」でなければならない。だが、そこで投票所へ一歩踏み出せない有権者が多い、それが低投票率という現象を生み出している。今回の衆院選、全国の選挙区を見ると、かなり興味深い選挙区が多い。ただそれは投票したくなる選挙区というより、結果が興味深い選挙区だ。
ここ新潟新5区はどうか。自民と立憲の一騎打ちというこれ以上ない対決構図だが、関心の度合いが低いのは両前職とも「ルール違反」を犯した身。今度の選挙を「みそぎ」と考えているなら大間違いだ。うやむやのまま突入した衆院総選挙。選挙で決着をつけようにも、両前職以外に選択肢がなく、有権者の困惑はさらに増している。
だが選ばなくてはならない。両前職の政党の比較、ここに大きな差がある。
2024年10月19日号
これはチャンスかもしれない。衆院選・新5区に新たに加わる魚沼エリア。これまでも「魚沼」は南魚・北魚・中魚・十日町とされてきた。全国トップ銘柄の魚沼コシヒカリ人気から、魚沼は全国に知れ渡った。だが市町村の境はなかなか越えられず、八箇峠・十二峠の魚沼丘陵を境に人的・経済的交流はなかなか進まない。その魚沼が今回、衆院選というイベントで一つになる。これは好機だ。選挙という政治の場ではあるが、そこに関わるのは人。魚沼丘陵を越え、人と人が交流する場が、今度の衆院選でもある。
与野党激突の構図、真っ向勝負の一騎打ちだ。選挙活動は不思議なもので、選挙区エリアを自由に動け、行く先、行く先で初めて会う住民と挨拶でき、時には交流もできる。こういう場での出会いは、その後も続く場合が多い。ただ立場の違いは鮮明で、政党を越えての交流はなかなか難しい。だが、それはそれ、これはこれだ。今度の小選挙区再編後の初の選挙は、新たな出会いの場の創出でもあり、出会いにより思わぬ副産物が生まれる可能性がある。
ふるさと納税で新潟県上位の南魚沼市の魚沼コシヒカリを生み出す田園を目の当たりにできる。初めて十日町など妻有地域に入る南魚の人たちは、奥深い中山間地の実情を知ることになる。その先々に、必ず人の暮らしがあり、経済の営みがある。まさに「魚沼の運命共同体」を感じるのではないか。
事は選挙、勝負事だ。特に今回、自民現職は重複立候補できない「背水の陣」。地域を巡る活動に、交流などという余裕はとてもないだろうが、実は人と人との出会いが、一票につながる。関わる県議、市町議員は、今度の衆院選活動を、そうした視点で見てほしい。
そこに地域医療の課題、広域圏の道路問題、少子高齢化の現実が必ずや目の前に表出する。だからこそ、広域連携が求められる。
2024年10月12日号
「高市氏にならなくてよかった」。支持者から、何を言ってるんだ、と大声が飛んできそうだが、新総裁決定後の世論に多く見られ、聞かれた言葉だ。だが、その新首相・石破氏の言動には落胆した。総裁選の勢いはどこへ行ったのか。やはり自民体質は変わっていない、その印象を強くさせる石破新首相の「豹変ぶり」。持論をぶつけ合う、石破氏の得意とする舞台ではないのか。野田氏の言葉を借りれば、「なぜ逃げる」。
独特の言い回しは、煙に巻く論法とはちょっと違う石破話術。結論にたどり着くまでの言葉の羅列は、相当なる多分野から言葉を引っ張り出し、結論へと導いていく。この話法は、実は野田氏も得意とする。だけに、「がっぷり四つに組んで」議論したかったのだろう。だが自民首脳陣は石破氏の個人的な思いを押さえつけ、政治資金不記載問題の追及、統一教会問題などの論争舞台を避ける道を選び、早期解散、今月27日投開票を決めてしまった。あれだけ言葉に勢いを持たせ、モヤモヤを抱いていたこの国の人たちの溜飲を下げてくれると思ったが、全くの見当違いだった。
まさに政治の秋となった。ここ新5区はさらに事情が複雑だ。2人の現職は共に「傷負い」。新たに選挙区に入った魚沼エリアの南魚沼市・魚沼市・湯沢町の有権者の思いを考えると、なんともやりきれない。「いったい、誰の名前を書けばいいんだ。いや、書きたい名前が無いじゃないか」。そうだろう。選挙区再編後の初めての衆院選のステージは、あまりにもお粗末だ。
だが、選ばなくてはならないのが有権者の責務。魚沼圏の課題は明確だ。地域医療体制、高規格道整備、雪対策、さらに魚沼米。この4点の課題には政治力が不可欠だ。政治は継続、だが政権政党の政治は人で変わる。政権交代の先の姿が見えない現実もある。短期決戦の選挙、選択肢を見極めたい。
2024年10月5日号
秋は政治の季節、いつ頃からか呼称が付いた。与野党対決、その代名詞は衆院総選挙。特に小選挙区制になってから対決の構図はより鮮明になっている。だが、この小選挙区制、政権与党にとっては政権維持の最良の選挙制度だ。事実、自民・公明の自公政権の維持・継続はこの小選挙区制が後押ししているといえる。まして比例復活、惜敗率復活など、救済措置が議席維持、政権維持を支えている。選挙制度改正は、そうそう簡単には出来ないが、この秋、初秋になるか晩秋になるかは不確定だが、衆院選は確実にある。それも現行制度の小選挙区制で。自公政権に対抗する野党、立憲民主を軸にした野党戦力が、どれだけ集結できるか、この一点に掛かっている。
一足早く立憲民主の代表が決まった。その顔は、自民・安倍首相との党首討論で「売られたケンカを買ってしまった」野田氏が返り就いた。あの時、政治の流れが急展開し、その時の衆院選で民主は下野し、自公政権が復活し、その後は安倍政治が続き、次々と「解釈変更」や「制度改悪」で国の行政システムを変え、政権者の都合が良い国のシステムが出来上がってしまった。その弊害多き政治状況を、今度の衆院選でどう改善できるか、それもこれも獲得する議席数で全てが決まる。やはり、現行の小選挙区制は時の政権維持のための選挙制度だ。
注目は野党共闘・協力の実現の進度だろう。衆院新潟新5区。現状は共に現職の立憲・梅谷守氏と自民・高鳥修一氏の4度目の対決が濃厚だ。だが、両氏とも「傷」を持つ身だ。第三の候補が手を上げれば、ここ新5区は全国注視の選挙区になるだろう。見渡せば、居ないことはないようだ。
政治の秋。全山紅葉のように熱く燃えるのか、秋冷のように有権者の視線は冷え冷えするのか。次の時代の選択の選挙、それが今度の衆院選だ。
2024年9月28日号
これほど茶番を見せられると、うんざりを通り越し、いいかげんにせい、などと大声を返したくなる。自民総裁選だ。かつてない候補乱立と話題にされ、囃し立てられている。その候補の言葉に共通して「ない言葉」がある。
政権政党に席を置く自覚はあるのか。バラ色政策を次々に掲げ、あれもします、これもします…。ならば聞きたい。政権政党の自民の中枢にいながら、なぜその政策が実現できなかったのか、その言葉が9人には、全くない。
耳ざわりの良い言葉の羅列を連日TVや新聞で目にする。なぜ、それが実現できなかったのか、その言葉があれば少なくとも信頼感の回復に結び付き、総裁選での太い選択肢になる可能性があり、シナリオにある衆院選への有権者心理への大きなアピールになるだろう。だが、全くない。
ならば言いたい。9人が掲げる政策・公約を、誰が総裁・首相になってもすべて実現する、そう国民に約束してほしい。それが政権政党の総裁選の最低限の責任ではないのか。薄いバラ色政策が、より現実味を帯びた生活者支援の大きな国の政策になる。
連日報道される総裁候補の言動は、生活者に寄り添う姿勢を見せるが、すぐに馬脚を露す軽さが目立つ。さらに見えるのは、新総裁選びは直後に執行するであろう衆院選の集票シンボル選びの様相だ。「選挙の顔」選びだろう。これこそ有権者を見下した取り組みだ。だからこそ、選ばれた新総裁・首相は9人が掲げる政策全てを実現する、この約束の言葉を求めたい。
それにしても頼りない顔ぶれだ。あの激動期にこの国を作り上げた「角大福時代」を知る世代は感じているだろう。政局が混乱すると必ず出る待望論が「角さんのような政治家」。中卒の大蔵大臣が東大卒の官僚の心を鷲づかみにした言葉が、いま求められている。政治家は言葉だ。さて、さて…。
2024年9月21日号
津南町の桑原悠町長は、いまある保育園5施設を統合し、5年後に1園化し町立保育園を一つにする方針を示した。構想は、現ひまわり保育園を増築する考えだが、移転し全面改築を考えてほしい。 その地は自然環境が良く、広大な町有地である。「なじょもん」のエリアだ。旧中津小を改修し、町埋蔵文化財センターができ、現なじょもん機能の多くがセンターに移る。あの一帯の町有地は、子どもたちの最高の遊び場、保育の場になる。
「財政的に無理」、そう言葉が返ってくるだろう。だが、考えてほしいのは「目先の整備」ではなく30年後、50年後だ。先週号の本欄で「公共施設は防災拠点」と指摘した。あの地はドクターヘリのランデブーポイント、救急搬送の緊急離発着に活用されている。河岸段丘地の突端にあり、地形的にも視野が良く、広大な町有地の活用がそのままできる優位性は大きい。
さらに芽出し論議が出ている町立津南病院の全面改築との関係性も浮上する。現場所での病院改築は、周辺の用地事情から相当なる困難性が伴うだろう。ならば、統合保育園を全面移転改築し、その跡地を町立病院改築に充てる方策は、ある意味で合理性がある。
保育園改築は人口政策にも直結する。充分な用地、自然環境も良い、防災拠点化も可能だ。さらに全面改築を総木造で作り上げれば、それだけで津南町の子育てシンボルになる。あの保育園に入れたい、必ずや親は思うだろう。そう思わせる保育園が津南町に出来れば、若い子育て世代は移住を考えるだろう。保育士もあの保育園で働きたいと町外、県外から応募があるだろう。トップは「夢を語る」、さらに「夢を実現する」ことが行政ではないか。
条件は整っている。紆余曲折の歩みをしてきた津南町の保育園再編整備、ここは発想の転換による行政事業の集中と選択だろう。どうですか、悠さん。
2024年9月14日号
これから作る公共施設は「全て防災拠点」、過言ではないだろう。学校や保育園の増改築、地域公民館や集会施設の更新、さらに役所の改修など、その全てが「防災・減災」を重点的に取り入れた公共施設が求められる。それは時代の要請と共に、まさに「住民の生命を守る拠点」だからだ。
9月議会が十日町市、津南町、栄村で始まっている。関心の一つは津南町が方向性を示した小学校再編統合による町立小学校1校化、さらに保育園統合による1園化。その校舎や園舎の増改築における防災拠点化の取り組みだ。
少子化による複式学級など、小学校の教育環境の改善に伴う学びの場・校舎の改築は、その目的の教育環境整備と共に公共施設のあり方も行政課題として併存する。それが「防災拠点化」。施設の改増築では当然、防災備品などの充実に取り組むだろうが、ことは備品の充実程度ではどうしようもない。
その公共施設の必然性、その場所の有効性、その施設が持つ機能と防災効果、さらに可動性など検討が必要だ。それは地震や風水害など災害発生時、どう機動力が発揮でき、住民の拠り所になれるのかなど多角的な視点、広い機能効果を考えた防災拠点が求められる。現役所庁舎と同等に併用できる施設が求められる。それが「これから作る公共施設の防災拠点化」である。
津南町は、小学校の再編統合を『中央部の津南小、長野県境の上郷小、赤沢台地の芦ヶ崎小の3校統合』により新たな町立小学校を現津南小学校に誕生させる方針だ。保育園も同様。ならば全面改築を含む津南町唯一の小学校・保育園の改築場所、公共施設としての防災拠点化を考えるべきだ。保育園・小学校とも理念は吸収統合ではないはずで、新設の公共施設である。
人口減少が進む津南町。今後新たな公共施設建設は少ないだろう。これは、十日町市の先行モデルにもなる。
2024年9月7日号
だから、と聞き返したくなる。JR東は衆院選が終わった2日後の先月29日、管内の地方赤字路線の収支状況を公表した。5年前から収支公表しており、予想通り飯山線の路線名が赤字ローカル線の代名詞として新聞やメディアに流れた。「百円の収入を得るのにかかる費用」をJRは『営業係数』と表示する。公表72路線で営業係数1万円を超えるのは4路線区間ある。「飯山線・戸狩野沢温泉―津南」は1万316円。だから、どうした、と聞き返したくなる。利用者が少ない現実はあるが、一方で経済活動から見れば「営業努力が足りない」となる。沿線に暮らす我々、さて、どうする。数字が続くが現実がよく分かる。
営業係数1万円を超える4路線区間で最多は1万3580円の「久留里線・久留里―上総亀山」。次が陸羽線・鳴子温泉―最上で1万3465円、さらに花輪線・荒屋新町―鹿角花輪の1万916円、その次が飯山線。このデータには興味深い数字も出ている。
37年前の1987年度と2023年度の一日乗者数(平均通過数)の比較だ。1万円を超える飯山線同区間の37年前は822人、昨年度は84人、実に90%の減少率。JR東が調査区間とする飯山線4区間では、豊野―飯山の減少率58%(37年前3368人、2023年度1398人)。津南―越後川口は減少率64%(37年前949人、2023年度342人)。公表72路線区間では減少率が少ない部類に入る。だが飯山―戸狩野沢温泉81%、戸狩野沢温泉―津南90%と深刻な数字を示す。まさに人口減少がそのまま具体化している。
サイクルトレイン、おいこっと、企画列車など経営努力の取り組みは見られ、最たるは8年前のSL運行だろう。人口減少、特に少子化で列車通学者が激減している現実だ。県を超え連携する飯山線沿線協議会がある。JR東と、とことん話してはどうか。
2024年11月9日号
自民全敗。衆院選小選挙区の新潟県5区は全て立憲が独占。安倍政治から岸田政権、この11年間で引き起こした政治資金に絡む不祥事の数々、その解決を放置したままバトンタッチされた石破首相。総裁選での言葉をひっくり返し、豹変した石破政権に有権者は手痛い審判を下したのが今度の衆院選。安倍政権からの政治不信は何も解決しておらず、その最たる結果が全国的に注目を集めた新潟県小選挙区の立憲の独占。隣の群馬県5区すべて自民が勝利、この対照的な結果は単なる県民意識の相違ばかりではないだろう。田中角栄政権はじめ保守王国と呼ばれた新潟県は、大きな変革の時代に入った、といえる。
衆院選の新潟県結果は、次なる劇場の幕開きのゴングだろうか。花角知事が6年前から言う『県民に信を問う』。この言葉がもたらす原発再稼働問題が新潟県にとって第二幕だろう。衆院選投票日の翌28日から本格始動している「柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民投票で決める会」の署名運動。60日間で全県有権者の50分の1以上、約3万6400人以上の署名集めだ。今回の衆院選結果で弾みがつくだろう。決める会は20万人署名を目標にしている。ただ衆院小選挙区を独占した立憲の原発への姿勢は明確な「脱原発」ではないだけに、署名運動の取り組みの課題は多い。だが原発再稼働の是非を誰が決めるのか、この一点の是非を問う署名運動である。ただ次なるハードルは自民多数の県議会だが…。
政治は数という。自民政権が数の論理で取り組んできた結果が、最たる政治不信を招いた。今月11日の特別国会でこの国の政権が決まるが、これからの国政はさらに二幕、三幕もあるのか。際立つ国民民主の躍進が何を意味し、玉木代表の政治感覚で国政をどう動かせ、この国の政治はどう動くのか、まさに「一寸先は闇」だ。
2024年11月2日号
「その場限り」。今度の衆院選をその場限りにするのはもったいない。選挙区再編で新たに誕生した新潟5区。衆院選小選挙区だが、新たな生活圏でもあり、いわば魚沼広域だ。十日町市・津南町の十日町広域圏、南魚・北魚の広域圏、これが衆院選の選挙区再編で一つになった。まさに魚沼広域圏だ。
この括り、選挙以上に今後連携が求められる広域エリアだろう。魚沼コシヒカリの産地には小千谷市も入るが、事実上の魚沼米の産地だ。魚沼イコール5区となった今回の衆院選は、住民に「運命共同体」を印象づけたのではないか。ならば、この好機を逃がす手はない。
歴史に「たら・れば」は禁句だが、選挙中よく聞いた言葉だ。田中角栄の時代に今回の選挙区が誕生していたら、上越新幹線ルート、関越高速道整備、ほくほく線など鉄道整備、いわゆる交通インフラはいまと相当違っていただろう。まさに「政治の力」が及んだだろう、と。
妄想は限りないが、今回の選挙区再編で魚沼が一体化したことの意義を、このエリア住民で共有したい。市町行政の連携、経済活動の連動、文化活動など住民同士の連携は今後起こる予感がする、いや起こす必要がある。ならばこの好機を逃す手はない。選挙は結果がでればノーサイド。先ずは主導する行政が、魚沼広域圏を常に念頭に事業展開することが求められる。
先ずは地域医療だろう。3次医療の拠点は魚沼基幹病院、2次医療は県立十日町病院、さらに地域に密着した医療活動する自治体病院や開業医院がある。すでに広域医療圏の協議テーブルはあるだろうが、この選挙を大きな契機にしてはどうか。
経済活動も同様だ。雪国観光圏があり、県境を含む奥信越観光圏もある。選挙結果に影響を受けない自治体こそ、いま動き出す時だ。
2024年10月26日号
選挙のたびに言われるのが投票率の低下。2015年から18、19歳が有権者となり9年経過。これまで数多くの選挙が行われたが18歳~20代、30代も含めてもこの世代の投票率は20%台、よくて30%台。一方で60代~90代はどの選挙も高い投票率を示す。
10代・20代・30代投票率を上げるにはこの世代が立候補するか、あるいは極論だが、この世代に絶大人気の俳優、あるいは音楽アーティストでも出馬すればこぞって投票する、かもしれない。投票率という数字を上げる方法は、結局は候補者への関心度に尽きるともいえる。
政治に直結する投票という行為は、そのまま端的に数字に表れる。『投票結果の一桁に自分がいる』といわれる。自分が入れた候補得票の最後の数字、一桁の数字は自分が入れた1票だ。自分が入れなければその数字は1票少なくなる。こう考えると、各候補の得票結果の一桁は、紛れもなく「自分の1票」。見える1票である。それが積み重なり、百になり千になり万になる。
その前提が重要だ。「1票を入れたい候補」「入れたい政党」でなければならない。だが、そこで投票所へ一歩踏み出せない有権者が多い、それが低投票率という現象を生み出している。今回の衆院選、全国の選挙区を見ると、かなり興味深い選挙区が多い。ただそれは投票したくなる選挙区というより、結果が興味深い選挙区だ。
ここ新潟新5区はどうか。自民と立憲の一騎打ちというこれ以上ない対決構図だが、関心の度合いが低いのは両前職とも「ルール違反」を犯した身。今度の選挙を「みそぎ」と考えているなら大間違いだ。うやむやのまま突入した衆院総選挙。選挙で決着をつけようにも、両前職以外に選択肢がなく、有権者の困惑はさらに増している。
だが選ばなくてはならない。両前職の政党の比較、ここに大きな差がある。
2024年10月19日号
これはチャンスかもしれない。衆院選・新5区に新たに加わる魚沼エリア。これまでも「魚沼」は南魚・北魚・中魚・十日町とされてきた。全国トップ銘柄の魚沼コシヒカリ人気から、魚沼は全国に知れ渡った。だが市町村の境はなかなか越えられず、八箇峠・十二峠の魚沼丘陵を境に人的・経済的交流はなかなか進まない。その魚沼が今回、衆院選というイベントで一つになる。これは好機だ。選挙という政治の場ではあるが、そこに関わるのは人。魚沼丘陵を越え、人と人が交流する場が、今度の衆院選でもある。
与野党激突の構図、真っ向勝負の一騎打ちだ。選挙活動は不思議なもので、選挙区エリアを自由に動け、行く先、行く先で初めて会う住民と挨拶でき、時には交流もできる。こういう場での出会いは、その後も続く場合が多い。ただ立場の違いは鮮明で、政党を越えての交流はなかなか難しい。だが、それはそれ、これはこれだ。今度の小選挙区再編後の初の選挙は、新たな出会いの場の創出でもあり、出会いにより思わぬ副産物が生まれる可能性がある。
ふるさと納税で新潟県上位の南魚沼市の魚沼コシヒカリを生み出す田園を目の当たりにできる。初めて十日町など妻有地域に入る南魚の人たちは、奥深い中山間地の実情を知ることになる。その先々に、必ず人の暮らしがあり、経済の営みがある。まさに「魚沼の運命共同体」を感じるのではないか。
事は選挙、勝負事だ。特に今回、自民現職は重複立候補できない「背水の陣」。地域を巡る活動に、交流などという余裕はとてもないだろうが、実は人と人との出会いが、一票につながる。関わる県議、市町議員は、今度の衆院選活動を、そうした視点で見てほしい。
そこに地域医療の課題、広域圏の道路問題、少子高齢化の現実が必ずや目の前に表出する。だからこそ、広域連携が求められる。
2024年10月12日号
「高市氏にならなくてよかった」。支持者から、何を言ってるんだ、と大声が飛んできそうだが、新総裁決定後の世論に多く見られ、聞かれた言葉だ。だが、その新首相・石破氏の言動には落胆した。総裁選の勢いはどこへ行ったのか。やはり自民体質は変わっていない、その印象を強くさせる石破新首相の「豹変ぶり」。持論をぶつけ合う、石破氏の得意とする舞台ではないのか。野田氏の言葉を借りれば、「なぜ逃げる」。
独特の言い回しは、煙に巻く論法とはちょっと違う石破話術。結論にたどり着くまでの言葉の羅列は、相当なる多分野から言葉を引っ張り出し、結論へと導いていく。この話法は、実は野田氏も得意とする。だけに、「がっぷり四つに組んで」議論したかったのだろう。だが自民首脳陣は石破氏の個人的な思いを押さえつけ、政治資金不記載問題の追及、統一教会問題などの論争舞台を避ける道を選び、早期解散、今月27日投開票を決めてしまった。あれだけ言葉に勢いを持たせ、モヤモヤを抱いていたこの国の人たちの溜飲を下げてくれると思ったが、全くの見当違いだった。
まさに政治の秋となった。ここ新5区はさらに事情が複雑だ。2人の現職は共に「傷負い」。新たに選挙区に入った魚沼エリアの南魚沼市・魚沼市・湯沢町の有権者の思いを考えると、なんともやりきれない。「いったい、誰の名前を書けばいいんだ。いや、書きたい名前が無いじゃないか」。そうだろう。選挙区再編後の初めての衆院選のステージは、あまりにもお粗末だ。
だが、選ばなくてはならないのが有権者の責務。魚沼圏の課題は明確だ。地域医療体制、高規格道整備、雪対策、さらに魚沼米。この4点の課題には政治力が不可欠だ。政治は継続、だが政権政党の政治は人で変わる。政権交代の先の姿が見えない現実もある。短期決戦の選挙、選択肢を見極めたい。
2024年10月5日号
秋は政治の季節、いつ頃からか呼称が付いた。与野党対決、その代名詞は衆院総選挙。特に小選挙区制になってから対決の構図はより鮮明になっている。だが、この小選挙区制、政権与党にとっては政権維持の最良の選挙制度だ。事実、自民・公明の自公政権の維持・継続はこの小選挙区制が後押ししているといえる。まして比例復活、惜敗率復活など、救済措置が議席維持、政権維持を支えている。選挙制度改正は、そうそう簡単には出来ないが、この秋、初秋になるか晩秋になるかは不確定だが、衆院選は確実にある。それも現行制度の小選挙区制で。自公政権に対抗する野党、立憲民主を軸にした野党戦力が、どれだけ集結できるか、この一点に掛かっている。
一足早く立憲民主の代表が決まった。その顔は、自民・安倍首相との党首討論で「売られたケンカを買ってしまった」野田氏が返り就いた。あの時、政治の流れが急展開し、その時の衆院選で民主は下野し、自公政権が復活し、その後は安倍政治が続き、次々と「解釈変更」や「制度改悪」で国の行政システムを変え、政権者の都合が良い国のシステムが出来上がってしまった。その弊害多き政治状況を、今度の衆院選でどう改善できるか、それもこれも獲得する議席数で全てが決まる。やはり、現行の小選挙区制は時の政権維持のための選挙制度だ。
注目は野党共闘・協力の実現の進度だろう。衆院新潟新5区。現状は共に現職の立憲・梅谷守氏と自民・高鳥修一氏の4度目の対決が濃厚だ。だが、両氏とも「傷」を持つ身だ。第三の候補が手を上げれば、ここ新5区は全国注視の選挙区になるだろう。見渡せば、居ないことはないようだ。
政治の秋。全山紅葉のように熱く燃えるのか、秋冷のように有権者の視線は冷え冷えするのか。次の時代の選択の選挙、それが今度の衆院選だ。
2024年9月28日号
これほど茶番を見せられると、うんざりを通り越し、いいかげんにせい、などと大声を返したくなる。自民総裁選だ。かつてない候補乱立と話題にされ、囃し立てられている。その候補の言葉に共通して「ない言葉」がある。
政権政党に席を置く自覚はあるのか。バラ色政策を次々に掲げ、あれもします、これもします…。ならば聞きたい。政権政党の自民の中枢にいながら、なぜその政策が実現できなかったのか、その言葉が9人には、全くない。
耳ざわりの良い言葉の羅列を連日TVや新聞で目にする。なぜ、それが実現できなかったのか、その言葉があれば少なくとも信頼感の回復に結び付き、総裁選での太い選択肢になる可能性があり、シナリオにある衆院選への有権者心理への大きなアピールになるだろう。だが、全くない。
ならば言いたい。9人が掲げる政策・公約を、誰が総裁・首相になってもすべて実現する、そう国民に約束してほしい。それが政権政党の総裁選の最低限の責任ではないのか。薄いバラ色政策が、より現実味を帯びた生活者支援の大きな国の政策になる。
連日報道される総裁候補の言動は、生活者に寄り添う姿勢を見せるが、すぐに馬脚を露す軽さが目立つ。さらに見えるのは、新総裁選びは直後に執行するであろう衆院選の集票シンボル選びの様相だ。「選挙の顔」選びだろう。これこそ有権者を見下した取り組みだ。だからこそ、選ばれた新総裁・首相は9人が掲げる政策全てを実現する、この約束の言葉を求めたい。
それにしても頼りない顔ぶれだ。あの激動期にこの国を作り上げた「角大福時代」を知る世代は感じているだろう。政局が混乱すると必ず出る待望論が「角さんのような政治家」。中卒の大蔵大臣が東大卒の官僚の心を鷲づかみにした言葉が、いま求められている。政治家は言葉だ。さて、さて…。
2024年9月21日号
津南町の桑原悠町長は、いまある保育園5施設を統合し、5年後に1園化し町立保育園を一つにする方針を示した。構想は、現ひまわり保育園を増築する考えだが、移転し全面改築を考えてほしい。 その地は自然環境が良く、広大な町有地である。「なじょもん」のエリアだ。旧中津小を改修し、町埋蔵文化財センターができ、現なじょもん機能の多くがセンターに移る。あの一帯の町有地は、子どもたちの最高の遊び場、保育の場になる。
「財政的に無理」、そう言葉が返ってくるだろう。だが、考えてほしいのは「目先の整備」ではなく30年後、50年後だ。先週号の本欄で「公共施設は防災拠点」と指摘した。あの地はドクターヘリのランデブーポイント、救急搬送の緊急離発着に活用されている。河岸段丘地の突端にあり、地形的にも視野が良く、広大な町有地の活用がそのままできる優位性は大きい。
さらに芽出し論議が出ている町立津南病院の全面改築との関係性も浮上する。現場所での病院改築は、周辺の用地事情から相当なる困難性が伴うだろう。ならば、統合保育園を全面移転改築し、その跡地を町立病院改築に充てる方策は、ある意味で合理性がある。
保育園改築は人口政策にも直結する。充分な用地、自然環境も良い、防災拠点化も可能だ。さらに全面改築を総木造で作り上げれば、それだけで津南町の子育てシンボルになる。あの保育園に入れたい、必ずや親は思うだろう。そう思わせる保育園が津南町に出来れば、若い子育て世代は移住を考えるだろう。保育士もあの保育園で働きたいと町外、県外から応募があるだろう。トップは「夢を語る」、さらに「夢を実現する」ことが行政ではないか。
条件は整っている。紆余曲折の歩みをしてきた津南町の保育園再編整備、ここは発想の転換による行政事業の集中と選択だろう。どうですか、悠さん。
2024年9月14日号
これから作る公共施設は「全て防災拠点」、過言ではないだろう。学校や保育園の増改築、地域公民館や集会施設の更新、さらに役所の改修など、その全てが「防災・減災」を重点的に取り入れた公共施設が求められる。それは時代の要請と共に、まさに「住民の生命を守る拠点」だからだ。
9月議会が十日町市、津南町、栄村で始まっている。関心の一つは津南町が方向性を示した小学校再編統合による町立小学校1校化、さらに保育園統合による1園化。その校舎や園舎の増改築における防災拠点化の取り組みだ。
少子化による複式学級など、小学校の教育環境の改善に伴う学びの場・校舎の改築は、その目的の教育環境整備と共に公共施設のあり方も行政課題として併存する。それが「防災拠点化」。施設の改増築では当然、防災備品などの充実に取り組むだろうが、ことは備品の充実程度ではどうしようもない。
その公共施設の必然性、その場所の有効性、その施設が持つ機能と防災効果、さらに可動性など検討が必要だ。それは地震や風水害など災害発生時、どう機動力が発揮でき、住民の拠り所になれるのかなど多角的な視点、広い機能効果を考えた防災拠点が求められる。現役所庁舎と同等に併用できる施設が求められる。それが「これから作る公共施設の防災拠点化」である。
津南町は、小学校の再編統合を『中央部の津南小、長野県境の上郷小、赤沢台地の芦ヶ崎小の3校統合』により新たな町立小学校を現津南小学校に誕生させる方針だ。保育園も同様。ならば全面改築を含む津南町唯一の小学校・保育園の改築場所、公共施設としての防災拠点化を考えるべきだ。保育園・小学校とも理念は吸収統合ではないはずで、新設の公共施設である。
人口減少が進む津南町。今後新たな公共施設建設は少ないだろう。これは、十日町市の先行モデルにもなる。
2024年9月7日号