早いもので2025年(令和7年)が幕を開けてから半月がたちました。
年初には様々な方々や専門家が、その年の予測をします。そのなかで、『S I N I C(サイニック、Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic Evolution)理論が描く未来』が、注目を集めています。
これは、京都に本社がある血圧計で有名なオムロンの創業者が1970年に提唱したもので、そこでの予測が当たり続けていると言われています。S I N I C理論は約50年前に考えられたものですが、2025年に新しい社会が始まると予測しているのです。
ちなみに、これまで、2005年から2024年の20年間は「最適化社会」、その前の1974年から2004年は「情報化社会」が来ると予測して的中させました。そして、2025年からの「自律社会」、さらに2033年からの「自然社会」を予測しています。
「自律社会」では、世の中の価値観が、これまでの利便性や快適性、分業化といったものから大きく変化し、心の豊かさを求め、自立した個が相互に支えあう社会へ移行するとしています。そこでは、個の心とそのつながりにより、新しいものが創造される、としています。
『いま大きな転換期を迎えている』という感覚を持っていらっしゃる方々は多いと思います。そのためか、最近、『グレート・リセット』などという言葉を耳にするようになりました。
ただ、そのような大きな変化が、今年からすでに始まっているのかというと、まだ早いように思うのですが、大学で20歳前後の若者を見ていると、若者の行動というのはこれからの時代をすでに体現しているのでしょうか、利便性を重視するより、個の心を大切にしているように見受けられます。
「自律社会」の次に来るとされている「自然社会」は、一段高いレベルに発展を遂げた、ハイパー原始社会とのことですが、さすがにそこまで想像が追いつきません。とはいえ、それも8年後の2033年から始まると予測されており、もしそうだとしたら、これから何が起こるのだろう…と思ってしまいます。
映画の中だけでの話だろうと思っていたパンデミックが実際に起き、それにより多くの人々の意識が変わったことを考えると、何が起きるかは分からないような気もします。
そのようなことを思う2025年の始まりでした。
2025年1月18日号
大雪の屋根掘りを栄村救助員の方に助けてもらって、脳梗塞後、自身の状態を東京の従兄弟達に伝え、今後、何時会えなくなるか分からないので別離の挨拶をしに出た。
移動しながら見る、東京あたりの電車のほぼ90%の乗客はスマホを手にして動画を見ていたようだ。なかには画面を両指で叩きながらドアの閉まる間際に車両から降りる人もいた。度々東京には出なくなったせいもあるが、出る度に都会の人たちの性向が過激になっているように感じた。多分スマホを手にする時間が増え、その分、電子機械に馴染んでくるのだろう。
しかし今では髪の白い老人も、綺麗に和服を着た奥様も、みんなスマホに視線を落としている。もっともパソコンを使い始めて10年以上経って、「こんなの分かるものか!」と匙を投げていた60歳だった私も、分からないなりに人差し指一本でキーボードを叩いている。
もちろん、分かっているのではないが指を動かしながら、間違いながら年賀状もできるようになる。あれだけ嫌がっていたのに、時間がそれに慣れさせ、受け入れざるを得なくさせたのだ。今では分からないまま新聞を拡げるように付き合っている。
秋山郷でトイレ用の落とし紙などない頃の話だから70年以上前になるのだろうが、新聞も届かない時はシダ類の山取りゼンマイを冬になる前に取って、玉にして冬の便所で使う落とし紙代わりにしていたという。相当の量で子供の仕事だった。
春に若芽は食用にするからか(カクマ)と呼んで区別していたのかも知らん? 春近くなるとそのカクマの玉も乾いて便が手に付いたりして嫌なものだったという。すると、そのカクマの玉は荒縄に代わっていき、僕の子供の頃になって便所には新聞紙が手のひらサイズに切られて、便器の脇に置かれてそれを揉んで使っていた。柔らかい落とし紙になったのは多分10歳くらいの頃だろう。
スマホと落とし紙を一緒に論じては申し訳ないが、何だってそうですが、そこで暮らして慣習が嫌だと思いながら、慣れてしまうもののようです。思えば時代が進むと今までのものが、ご破算になって変わっていき、新しい道具や器械に慣れるしかないのでしょう。
今では固定電話は消えつつあり、携帯電話も少なくなりパソコンだってそのうち無くなるだろうし、wi-fiも日本全国で普通に使えるようになる。列車の改札も切符も無くなるというのだし、むかし携帯のメールが打てず苛立ってぶち投げたこともあった私の思い出が、笑い話になるまでの時間は、時が進むにつれ、どんどん短くなるようだ。ただカクマの落とし紙が延々と続いて無くなるまでの時間と、今の携帯電話の消滅との対比に慣れるか、慣れずに超老人になるかなのだろう。
これからもどんどん新しい物に囲まれて、今の若者も中年、老人になる事だし、そのうちに宇宙の住宅が売りに出される日もあるのだろう。でもそんなものに気を使わず放っているうちに、驚いたり呆れたり間違いながらも、慣れていくのだろう。
ただ、今ようやく賀状がPCで打てるようになった者として、年賀状じまいなどしないで100枚を目標に師走の25日までにちゃんと投函して、郵便局がそれで利益を出した時代があったのだから、局が潰れるまで元旦の年賀状を届ける義務があると思う。届かない時は、局に文句を言い続けることにする。それが国の時代を越えた仕事の責任なのだから。
2025年1月11日号
謹賀新年、心清々しく深呼吸。おめでたい新年第一原稿だが、大人の都合でこの原稿を書いているのはせわしい師走、世の中は何故か華やいだ気分になれないニュースばかりだ。ざっと縦読みすると…
*復興の進まない苦労の一年が過ぎようとしている能登(住民のお正月を思うと心が痛む)
*何一つ解明されず変わりない裏金問題と官房機密費の選挙流用(脱税・公金流用だよ)
*増税+物価高(ガソリンどうにかして~トリガー条項どこ行った?)
*円安…完全に行き詰まる日銀(出口なき金融政策)
*コロナ・インフルエンザ・マイコプラズマのトリプル流行と薬不足。
*年末に続いた強盗や殺傷事件
*増え続ける子ども食堂
*三菱UFJ銀行の貸金庫窃盗事件(銀行の信頼の底が抜けたなあと思った。ご先祖様は江戸時代から続く信用で成り立つ鴻池両替商なのに)
*島根県では農家が食料安全保障と持続可能な農業を訴えてトラクターデモ。一方、国会を見てみると「国民の皆さま方は輸入した物が食べたいんです」って農水大臣が答弁していて目が点(自給率上げようとしている農家さんに大臣席に座って欲しい)
*手のひら返しのエネルギー基本計画。原子力を「依存度を低減する」としてきた素案が、「最大限活用していく」方針に変わってしまい、すっかり原発回帰(何億円も企業献金もらっただろうなあ…)
*総理大臣は衆議院のマイナ保険証の質疑で「当選したからといって私の掲げた公約通りやりません」と言う有り様…いやはや政治家もお役人も検察も裁判官も医療も銀行も報道も、日本中が私利私欲で法治と倫理の底が抜けた国になってしまったなあ…
世界に目を向けるとトランプ氏の再登場するアメリカ、アサド政権終焉後のシリアやウクライナ情勢、韓国や台湾など一斉に変わり目を感じる。 経済はドル基軸からBRICSの拡大で変わるし、エネルギーやIT、医療の技術も主導国が移り、いつまでも利権を奪い合っている日本は追米従属の立ち位置のまま後進国になっていくのか。国民生活はギリギリ、沈没寸前の泥船に乗っている気分だ。
おっと、ボヤキばかりじゃ暗くなる。新年くらい宝船に乗らないと…と言うわけで冬至の日、冬至点の時刻に一足お先に新年の願い事をした。
どうか皆様が明るく穏やかに健やかに笑って暮らせますように。そう言えば新年はちょうど昭和100年、節目のようで大きく世の中が変わる気がする。昭和生まれの私も、ボケてはいられないな…。
2025年1月4日号
17日、経済産業省は「エネルギー基本計画」改定案を公表した。東電福島第一原発事故以降、明記してきた「原発依存度を低減する」という文言を削除し、原発建て替えの要件も緩和する。
原発は核のごみを生み、過酷事故のリスクがある。原発建設費は安全対策で高騰し、新増設は現実的でない。この改正案は問題があると言わざるを得ない。
県内各地で「日本のエネルギー情勢と柏崎刈羽原発に係る説明会」が開催されている。第1回の説明会が10日にクロステンで開催されたので、参加してきた。主催は資源エネルギー庁で、参加者は40人くらい。
初めにエネ庁原子力立地政策室長が、国のエネルギー・原子力政策について、続いて柏崎刈羽原発7号炉の審査、東電の事業者適格性、屋内退避などについて説明した。厚い資料を配り、ひたすらしゃべりたおす。
国の説明は簡単にいうと、こうだ。
「エネルギー問題を考える視点は、安全性を前提に、①安定供給、②電気料の抑制、③脱炭素の3点。3つの課題を満たすエネルギー源はなく、再エネと原子力を含む複数電源でバランスよく対処する。日本の電力需要は今後増加する見通しで、特に東日本で需給バランスが不安定。柏崎刈羽原発の再稼働が求められる。
原子力規制委員会は、7号炉は基準に適合、東電は原子力事業者として適格と認めた。安全性や緊急時対応についても議論が進められている。
説明後、エネ庁の方針・説明に批判的な質問や意見が相次ぎ、1時間半の予定を30分くらい超過して時間切れ、閉会となった。
参加者の一人はテレビ取材に「10年、20年という単位で説明、勉強していかなければ理解はされないと思うな」とつぶやいた。それでも、国は「丁寧に説明した」というのだろうか。
私たちは、柏崎刈羽原発の再稼働を知事や議員といった一握りの人で決めるのでなく、県民投票で決めようという署名活動をしている。県民一人ひとりが考え、判断して決めることが最も民主的だと思うからである。
次のお店等で署名できるので、ぜひお願いします。12月28日まで。
カラオケ喫茶宵待草(宮下町東)、内山美容院(袋町中)、岡村商店(本町7―2)、ふるさと食堂(中条上町)、理容ふるさわ(北鐙坂3)、高野理容所(馬場2)、休み処ちょこっと(中里ユーモール1階)、古美術美宝堂(津南町割野)
2024年12月21日号
12月4日は中村哲医師の命日、何者かに銃撃されて崇高な命が失われた。アフガン難民キャンプで巡回医療を開始し、91年から、山岳地域に診療所を相次いで開いた。その活動を支援する人たちもどんどん増えた。次に続く医師たちも増えた。活動はペシャワール会として日本からも多大の支援がなされている。
しかし生活環境が改善されなければ、病や怪我を直す事だけでは、解決にはならないと砂漠地帯に灌漑事業を展開する。哲医師は医療従事者から工事事業者になった。住民達も生活費となる報酬が得られることもあって進んで協力し、砂漠地帯が緑豊かな地域に変わっていくのは、それはそれは見事だった。いまだに犯行の詳細は判明していないが、何時でも何所でも、良くなっていく地域に、格差を感じ、羨望?妬み? 殺されてしまった。
彼に魅了され、DVDを3巻も買ったり、心から尊敬している。
声高に叫ぶわけでもなく、誰彼に支援を頼むわけでもなく、黙々と一人でコツコツと取り組んでいる。周囲が自ずとかかわる事になる本物の説得力。足元にも及ばないが、見習いたいとは強く思っている。
この原稿に取り組んでいる昨日今日、ノーベル平和賞受賞式に出席する被団協の方々。つい微笑みが浮かび、誇らしい気持ちになり、画面に見とれる。最高齢の92歳の代表に続いて、若い平和大使達も一緒だ。今までも受賞者たちは大勢いらっしゃるが、こんなに克明に報道されるのは、あまりなかったような気がする。世界中で、核兵器の使用が懸念されている事の表れか? そして12月10日は授賞式。
次期米大統領が、トランプ氏に決まって以来何か世界中が騒がしい、日々驚きの報道がある。アサド政権が崩壊しロシアに亡命。韓国でも突然戒厳令が出たりしてびっくりした。ヨーロッパの大国でも、政権が揺れているようだ。何も分かっていないド素人の私がとやかく言える程ではないが。何かのきっかけがあれば戦になりそう! それほど愚かではないと思いたい。
そこで、戦争放棄を声高らかに謳っている、我が憲法九条が、一段と存在感を増すと思いませんか? それには如何なる文言も加筆・削除しないことが大前提。何とか有効な文言を加筆して、戦争ができる国にしたい政権を注視していく事を諦めてはならない。
中村哲医師や日本被団協の皆さんの長く続ける努力をお手本にして。
2024年12月14日号
十日町の音楽文化は素晴らしい! 筆者は音楽好きではありますが、普段クラシック音楽は聞かないし、むしろクラシック嫌いです。そんな筆者でも知っている超有名曲、ベートーベンの交響曲第九番「合唱付き」のコンサートが、十日町市文化協会設立30周年記念ということで開かれました。
それも市民から百人の歌手を募って合唱するというではありませんか。初めて募集の話を聞いたときは、そんな人数が集まるのかと野次馬根性丸出しでしたが、杞憂に終わりました。女性に比べ男性が少ないものの百人以上の合唱団が見事に勢揃い。独唱の後の合唱が始まった瞬間、百人を超える合唱の音圧が二階席にいた筆者の体にドーンと届き、思わず鳥肌が立ちました。
半年以上の練習をやり通した合唱団員と素人集団をまとめ上げて本番に臨んだ指導者の苦労が喜びに代わり、聴衆と一体になった瞬間でした。
もう一つ、ステージにどうやって百人の合唱団とオーケストラを乗せるのか、これも興味津々でしたが、花道も使って打楽器を配し、ステージの前面に張り出しをつけ、見事に合唱団とオーケストラが一体化しておりました。
ところで、日本人なら多分だれでも歌える「よろこびの歌」~晴れたるあおぞら ただよう雲よ~の部分は全曲のうちのごく一部です。合唱だけが話題になりがちですが、全曲を通すと70分以上の大曲なんですね。はたして居眠りをせずに全曲聴き通せるのか、オーケストラ演奏の部分はどんな曲なのか。全曲通しては未聴だったため、予習のためCDを購入し、毎朝のように家族の迷惑も顧みずこの曲を流すようにしました。
まったく興味のない音楽でも聞く毎に親しみを覚え、聴き通すことも楽しみに変わるんですね。まさに名曲というべきでしょうか。こんなことを書くとクラシックファンには顰蹙を買うこと必至ですが、合唱部以外もとても素晴らしい。
さて、演奏したJR東日本交響楽団は、なんと発足30年を超えるアマチュアのオーケストラ。JR東日本の社員有志が仕事終了後に集まって定期的に練習を行っているそうです。オーケストラの演奏の良し悪しもよくわからない筆者ですが、プロの指揮者がまとめ上げた演奏は合唱に劣らず本当に聴きごたえがありました。
この素晴らしいコンサートを企画実行した主催者や裏方の皆さん、ホールのスタッフの仕事にも大きな拍手を送りたいと思います。5年後の35周年の演奏会も大いに期待しております。
2024年12月7日号
今年は、世界中で多くの選挙が行われた注目の年で、米国、ロシア、台湾、韓国、インド、インドネシア、メキシコ、EUなどで、選挙が実施された選挙イヤーでした。
今年の初めごろは、日本では選挙の予定がなく、安定した政権が続くと余裕を感じていましたが、急転直下、10月に解散による衆議院選挙が行われ、結果は与党が負け、政権が一気に不安定化してしまいました。
そこに、アメリカ・ファーストを掲げるトランプ氏が米国の大統領選挙に勝利して復活。うまく対峙するため、日本の首相には、今まで以上のリーダーシップが求められています。
トランプ次期大統領の今後の政策を知るため、選挙中に行われた演説を、フルで聞きなおしてみました。
演説で、最初に最も時間をかけて話がなされたのは、不法移民の問題でした。メキシコ国境からの不法移民により多くの国民が職を奪われ、侵略という言葉まで出るほど、大きな問題として捉えられていました。来年1月20日の就任1日目に、国境の壁の建設を強化すると発言しています。
次に演説で力が入っていたのは、物価高に対する政策でした。具体的な対策について述べられており、物価高の主な原因は、太陽光などの自然エネルギーや電気自動車の利用にコストがかかりすぎていることとし、それならば米国の石油産業を復活させることで、コストを下げるとしています。
これらの移民と物価高の問題は、日本でも問題になり始めており、半歩あるいは一歩先をいく米国で、思い切った対策を打ち出すとされるトランプ次期大統領の動きや、それによりもたらされる成果を、十分に参考としていくことが重要と思います。
さらに気になるのが、いま米国にとっての最大の貿易赤字国である中国に対する強硬姿勢が、どのくらいになるかということです。今後、経済面と安全保障面の両面において、世界や東アジアでの緊張感が増すことになるかもしれません。
また、国内産業を守るため、トランプ次期大統領は、国外からの輸入品に今までより高い関税を、どの国に対しても課すのではないかとされています。日本の輸出産業にどれくらいの影響がでるか…ディール(取引)外交を得意とするトランプ次期大統領ですので、ハードな交渉が考えられます。
大きな時代の転換点を迎えているとされているいま、来年はそのことがより感じられ表面化してくる年になるかもしれないと思いました。
2024年11月30日号
9月の入院から検査が続き、心臓も大きな問題を抱えているようで、ふたつの手術をこなさなければならなくなった。全国の老人達と同じように私も満身創痍の後期高齢者と認められた。
私の心臓は無症侯性と言うことで、痛みを感じないまま何年も過ごして来た訳です。病院に入って何回も採血だ、CTだ、MRIだ、エコーだ、造影剤CTだと検査漬けの日々が続きます。
健康保険制度は病気を見つけて病名を冠して、検査をしないと保険が下りないという。病院としては患者の病気を治すために検査し国から費用を頂き、病院の財源にし、経営が維持されるということのようです。
話は逸れますが、病院にすれば病気を特定できない高齢者の老衰患者に検査は無用で、必要もないということになるのでしょう? ベッドの稼働率からしても効率は悪いことになります。
回復する患者が大事なお客さんで保険の適用が出来ない患者は、以前は3ヵ月を越えると退院させられることがありました。今は分かりませんが、私の父もそんなことを言われたせいか、ちゃんと3ヵ月目に亡くなりました。私は後期高齢者として手術が出来る分、病院にとっては良い患者と言うことになるのです。そこのところは良かったのでしょう。変な話ですが。
「右頸部内頸動脈高度狭窄症」という病名を頂いて立派な病人ということになりました。脳梗塞という病気は頸動脈が細くなり血流が滞って血管に血栓が生じ、それが剥がれ脳に飛ぶことによって起こる症状と説明を受けました。
専門的な説明でよく理解できず、多分で申し訳ないが、血管を詰まらせ起こる病状で老化による症状と似ているように感じます。色々と検査をしていくうちに、心臓にも狭窄箇所が見つかって続けての手術ということになりました。
先週、脳梗塞の手術をしたのですが、心臓に影響もなく無事にそれは終えました。次に2試合目の心臓が待っています。もう、まな板の鯉で、どうにでもなれと腹を括るより致し方がありません。
先日、手術の検査に行く時のことですが、この頃どうも車の運転が下手になって、高速道や夜の運転に支障をきたしていて、殊に八箇峠トンネルが苦手で避けていましたが、脳梗塞手術後の運転になんの違和感もなく制限速度いっぱいまで速度を上げて呑気に走っていました。
もしかして手術で、何らかの作用が起き、バランスを司る脳の個所に良い影響を与えたのではないだろうかとひとり感じているのです。
もしそうだとすれば、病気を悪く捉えて過敏に反応するのもいけないようにも思いますが、ただそのあと私のお小水の回数が増えたこともあり、それも手術の影響かしら? と思っても関連性は分かりません。例え有ったとしても、お医者は認めないだろうし、そう簡単なことでは無いのでしょう。
入院して、たった10日間でもベットに臥せって、トイレに動くだけになると、まず脚膝腰に影響が出ます。朝昼晩の食事を待つだけの暮らしは、身体に良いわけはありません。退院出来て冬の準備にかかろうとすると、思うように身体は動いてくれません。でも少しずつでも冬の準備にかからないと、心の病気になりそうです。病気は次から次へと連鎖を生み、なかなか面倒です。
ところで、妻有新聞がこの地方の病院の栄養士を取材し、病院食の特集でもしてもらえないだろうか。老人が調子を崩し入院して食べる食事は、どんなものか教えて欲しい人は多いようです。
(11月16日和山にて)
2024年11月23日号
原点に戻って考えよう。湯沢砂防事務所はスリット堰堤と集落付近の護岸整備をセットにする案だけを住民に提示している。で、やるのかやらないのかと問われれば、住民はイエスしか選択できない。
本来は複数の案があってメリットデメリットを比較し、住民が考えて決めるのが河川自治だ。
堰堤を造るとスリットがあると言っても、下流は河床が下がり、上流は流れが滞留し砂利が溜まり河床が上がる。一つの集落を二分するような案しか方法はないのだろうか?
多くの山間地での共通問題だが、清津峡地区も高齢化が進んで世帯数が減り、もうすぐ地図上から消えるかも? と思うほど過疎化が進んでいる。
私はこの治水の課題は集落存続のチャンスなのでは? と思っている。どうして? と聞かれるだろう。…ここからは単なる私の妄想だと読んでほしい。
仮に湯沢砂防の計画通りスリット堰堤と護岸工事ができても、大きな台風が近づくとやっぱり川沿いの住人は心配で自主避難するだろう。安全度は上がっても災害は想定を超えてくる。川沿いの家は10軒くらいだ。もしできるなら川沿いの住民が地域内の少し川から離れた道上へ移るというのはダメだろうか?
山の中でよく見る小さな砂防堰堤の費用は一基4~5億円と言われている。清津川本流に計画されているスリット堰堤はその何倍もある。土地確保と住宅建設や引っ越しその他の費用を10軒分見積もっても、堰堤を造るよりずっと安い。
住民も十分な補償があれば、築50年超えの大きな家より、こぢんまりした耐雪、省エネ、バリアフリーの家のほうが暮らしやすいのではないだろうか? 高齢者世帯が後に家を手放す時が来ても、雪始末の楽な家は買い手が見つかり易く集落に新しいメンバーが加わる可能性もできる。古く大きな家は取り壊しにも費用がかかり空き家問題の原因になる。
川沿いの土地は大切な生命財産を置かなければいいだけだから、護岸工事をして農地に転用してもいいし公園にしてもいい。漁協に協力頂いて釣り堀でもいいし、ウドやタラの木を植えて山菜農園にしてもいい。きれいな蓮の花を植えても、アヒルが泳いでいてもいい。
村の形は変わるけど、年間何十万人も集客する清津峡の入り口だから、考えようで集落活性化になるのでは? 最もいいことは、堰堤を造るより移転のほうが早くできることだ。
この国では近い将来、通貨危機や南海トラフや戦争といった大きな惨事が起こる可能性は否定できず、そうなったら国は地方の小さな清津川の治水などできなくなる…だから何年もかかる治水事業より早く確実な移転がいい。
先祖代々住み続けた家、地域の内情、高齢化…代えがたいものがあるのはわかるけど…非力な私には提案しかできない。地域の人が自分で決めることだと思う。
2024年11月16日号
10月27日の衆院選では、自民・公明が大幅に議席を減らし、立憲、国民が躍進しました。気がかりなのは、「護憲、反戦・反核・反原発」を掲げる勢力が伸びなかったこと。本来、これらも大きな争点になるべきだったのに、「裏金」と「経済」に絞られてしまったのは、マスコミの責任でもあります。
これを書いている11月6日夜、米国大統領選は、トランプ氏の当選が確実となったようです。どちらが勝っても、米国はガザで虐殺を続けるイスラエルへの支援を継続するでしょう。私が米国大統領選に興味を持てない理由はこれです。
さて、新潟県内では柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民投票で決めるため、条例制定を求める署名活動が始まりました。
世界最大級の柏崎刈羽原発は、1~7号機とも運転停止中です。東京電力は2013年に6・7号機の再稼働の審査を原子力規制委員会に申請し、2023年12月にようやく再稼働準備ができるようになりました。
再稼働にあたっては、規制委員会の審査のほか、柏崎市、刈羽村、新潟県の同意が必要です。柏崎市と刈羽村は、議会、首長とも再稼働に同意する意向のようです。
一方、新潟県では、花角知事は18年に、柏崎刈羽原発の再稼働について「自ら判断し、県民に信を問う」と公約に掲げて当選しました。しかし、「信を問う」具体的な方法や時期は明確にしないまま今日に至っています。
柏崎刈羽原発の再稼働は、県民のいのちや暮らしに関わる大きな問題です。県知事や県議会に任せるのでなく、県民の一人ひとりが、県政の主人公として意思表示するべきではないでしょうか。
私たちは、地方自治法に基づき、「柏崎刈羽原発の再稼働の是非を問う県民投票条例」の制定を請求することにしました。請求のためには、新潟県民有権者の50分の1以上の署名が必要です。「条例を制定してください」という署名で、原発反対署名ではありません。
①県民のすべてが柏崎刈羽原発の再稼働の問題に向き合い、賛成・反対の立場を超えて話し合うこと、②柏崎刈羽原発の再稼働の是非を県民投票で問い、投票の結果を県の方針に反映させることが、新潟の民主主義を育て、未来をひらくことにつながると確信しています。どうか署名をお願いします。
署名と署名集めをしてくださる方は、齋木までご連絡ください。電話090‒4946‒7570。
2024年11月9日号
早いもので2025年(令和7年)が幕を開けてから半月がたちました。
年初には様々な方々や専門家が、その年の予測をします。そのなかで、『S I N I C(サイニック、Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic Evolution)理論が描く未来』が、注目を集めています。
これは、京都に本社がある血圧計で有名なオムロンの創業者が1970年に提唱したもので、そこでの予測が当たり続けていると言われています。S I N I C理論は約50年前に考えられたものですが、2025年に新しい社会が始まると予測しているのです。
ちなみに、これまで、2005年から2024年の20年間は「最適化社会」、その前の1974年から2004年は「情報化社会」が来ると予測して的中させました。そして、2025年からの「自律社会」、さらに2033年からの「自然社会」を予測しています。
「自律社会」では、世の中の価値観が、これまでの利便性や快適性、分業化といったものから大きく変化し、心の豊かさを求め、自立した個が相互に支えあう社会へ移行するとしています。そこでは、個の心とそのつながりにより、新しいものが創造される、としています。
『いま大きな転換期を迎えている』という感覚を持っていらっしゃる方々は多いと思います。そのためか、最近、『グレート・リセット』などという言葉を耳にするようになりました。
ただ、そのような大きな変化が、今年からすでに始まっているのかというと、まだ早いように思うのですが、大学で20歳前後の若者を見ていると、若者の行動というのはこれからの時代をすでに体現しているのでしょうか、利便性を重視するより、個の心を大切にしているように見受けられます。
「自律社会」の次に来るとされている「自然社会」は、一段高いレベルに発展を遂げた、ハイパー原始社会とのことですが、さすがにそこまで想像が追いつきません。とはいえ、それも8年後の2033年から始まると予測されており、もしそうだとしたら、これから何が起こるのだろう…と思ってしまいます。
映画の中だけでの話だろうと思っていたパンデミックが実際に起き、それにより多くの人々の意識が変わったことを考えると、何が起きるかは分からないような気もします。
そのようなことを思う2025年の始まりでした。
2025年1月18日号
大雪の屋根掘りを栄村救助員の方に助けてもらって、脳梗塞後、自身の状態を東京の従兄弟達に伝え、今後、何時会えなくなるか分からないので別離の挨拶をしに出た。
移動しながら見る、東京あたりの電車のほぼ90%の乗客はスマホを手にして動画を見ていたようだ。なかには画面を両指で叩きながらドアの閉まる間際に車両から降りる人もいた。度々東京には出なくなったせいもあるが、出る度に都会の人たちの性向が過激になっているように感じた。多分スマホを手にする時間が増え、その分、電子機械に馴染んでくるのだろう。
しかし今では髪の白い老人も、綺麗に和服を着た奥様も、みんなスマホに視線を落としている。もっともパソコンを使い始めて10年以上経って、「こんなの分かるものか!」と匙を投げていた60歳だった私も、分からないなりに人差し指一本でキーボードを叩いている。
もちろん、分かっているのではないが指を動かしながら、間違いながら年賀状もできるようになる。あれだけ嫌がっていたのに、時間がそれに慣れさせ、受け入れざるを得なくさせたのだ。今では分からないまま新聞を拡げるように付き合っている。
秋山郷でトイレ用の落とし紙などない頃の話だから70年以上前になるのだろうが、新聞も届かない時はシダ類の山取りゼンマイを冬になる前に取って、玉にして冬の便所で使う落とし紙代わりにしていたという。相当の量で子供の仕事だった。
春に若芽は食用にするからか(カクマ)と呼んで区別していたのかも知らん? 春近くなるとそのカクマの玉も乾いて便が手に付いたりして嫌なものだったという。すると、そのカクマの玉は荒縄に代わっていき、僕の子供の頃になって便所には新聞紙が手のひらサイズに切られて、便器の脇に置かれてそれを揉んで使っていた。柔らかい落とし紙になったのは多分10歳くらいの頃だろう。
スマホと落とし紙を一緒に論じては申し訳ないが、何だってそうですが、そこで暮らして慣習が嫌だと思いながら、慣れてしまうもののようです。思えば時代が進むと今までのものが、ご破算になって変わっていき、新しい道具や器械に慣れるしかないのでしょう。
今では固定電話は消えつつあり、携帯電話も少なくなりパソコンだってそのうち無くなるだろうし、wi-fiも日本全国で普通に使えるようになる。列車の改札も切符も無くなるというのだし、むかし携帯のメールが打てず苛立ってぶち投げたこともあった私の思い出が、笑い話になるまでの時間は、時が進むにつれ、どんどん短くなるようだ。ただカクマの落とし紙が延々と続いて無くなるまでの時間と、今の携帯電話の消滅との対比に慣れるか、慣れずに超老人になるかなのだろう。
これからもどんどん新しい物に囲まれて、今の若者も中年、老人になる事だし、そのうちに宇宙の住宅が売りに出される日もあるのだろう。でもそんなものに気を使わず放っているうちに、驚いたり呆れたり間違いながらも、慣れていくのだろう。
ただ、今ようやく賀状がPCで打てるようになった者として、年賀状じまいなどしないで100枚を目標に師走の25日までにちゃんと投函して、郵便局がそれで利益を出した時代があったのだから、局が潰れるまで元旦の年賀状を届ける義務があると思う。届かない時は、局に文句を言い続けることにする。それが国の時代を越えた仕事の責任なのだから。
2025年1月11日号
謹賀新年、心清々しく深呼吸。おめでたい新年第一原稿だが、大人の都合でこの原稿を書いているのはせわしい師走、世の中は何故か華やいだ気分になれないニュースばかりだ。ざっと縦読みすると…
*復興の進まない苦労の一年が過ぎようとしている能登(住民のお正月を思うと心が痛む)
*何一つ解明されず変わりない裏金問題と官房機密費の選挙流用(脱税・公金流用だよ)
*増税+物価高(ガソリンどうにかして~トリガー条項どこ行った?)
*円安…完全に行き詰まる日銀(出口なき金融政策)
*コロナ・インフルエンザ・マイコプラズマのトリプル流行と薬不足。
*年末に続いた強盗や殺傷事件
*増え続ける子ども食堂
*三菱UFJ銀行の貸金庫窃盗事件(銀行の信頼の底が抜けたなあと思った。ご先祖様は江戸時代から続く信用で成り立つ鴻池両替商なのに)
*島根県では農家が食料安全保障と持続可能な農業を訴えてトラクターデモ。一方、国会を見てみると「国民の皆さま方は輸入した物が食べたいんです」って農水大臣が答弁していて目が点(自給率上げようとしている農家さんに大臣席に座って欲しい)
*手のひら返しのエネルギー基本計画。原子力を「依存度を低減する」としてきた素案が、「最大限活用していく」方針に変わってしまい、すっかり原発回帰(何億円も企業献金もらっただろうなあ…)
*総理大臣は衆議院のマイナ保険証の質疑で「当選したからといって私の掲げた公約通りやりません」と言う有り様…いやはや政治家もお役人も検察も裁判官も医療も銀行も報道も、日本中が私利私欲で法治と倫理の底が抜けた国になってしまったなあ…
世界に目を向けるとトランプ氏の再登場するアメリカ、アサド政権終焉後のシリアやウクライナ情勢、韓国や台湾など一斉に変わり目を感じる。 経済はドル基軸からBRICSの拡大で変わるし、エネルギーやIT、医療の技術も主導国が移り、いつまでも利権を奪い合っている日本は追米従属の立ち位置のまま後進国になっていくのか。国民生活はギリギリ、沈没寸前の泥船に乗っている気分だ。
おっと、ボヤキばかりじゃ暗くなる。新年くらい宝船に乗らないと…と言うわけで冬至の日、冬至点の時刻に一足お先に新年の願い事をした。
どうか皆様が明るく穏やかに健やかに笑って暮らせますように。そう言えば新年はちょうど昭和100年、節目のようで大きく世の中が変わる気がする。昭和生まれの私も、ボケてはいられないな…。
2025年1月4日号
17日、経済産業省は「エネルギー基本計画」改定案を公表した。東電福島第一原発事故以降、明記してきた「原発依存度を低減する」という文言を削除し、原発建て替えの要件も緩和する。
原発は核のごみを生み、過酷事故のリスクがある。原発建設費は安全対策で高騰し、新増設は現実的でない。この改正案は問題があると言わざるを得ない。
県内各地で「日本のエネルギー情勢と柏崎刈羽原発に係る説明会」が開催されている。第1回の説明会が10日にクロステンで開催されたので、参加してきた。主催は資源エネルギー庁で、参加者は40人くらい。
初めにエネ庁原子力立地政策室長が、国のエネルギー・原子力政策について、続いて柏崎刈羽原発7号炉の審査、東電の事業者適格性、屋内退避などについて説明した。厚い資料を配り、ひたすらしゃべりたおす。
国の説明は簡単にいうと、こうだ。
「エネルギー問題を考える視点は、安全性を前提に、①安定供給、②電気料の抑制、③脱炭素の3点。3つの課題を満たすエネルギー源はなく、再エネと原子力を含む複数電源でバランスよく対処する。日本の電力需要は今後増加する見通しで、特に東日本で需給バランスが不安定。柏崎刈羽原発の再稼働が求められる。
原子力規制委員会は、7号炉は基準に適合、東電は原子力事業者として適格と認めた。安全性や緊急時対応についても議論が進められている。
説明後、エネ庁の方針・説明に批判的な質問や意見が相次ぎ、1時間半の予定を30分くらい超過して時間切れ、閉会となった。
参加者の一人はテレビ取材に「10年、20年という単位で説明、勉強していかなければ理解はされないと思うな」とつぶやいた。それでも、国は「丁寧に説明した」というのだろうか。
私たちは、柏崎刈羽原発の再稼働を知事や議員といった一握りの人で決めるのでなく、県民投票で決めようという署名活動をしている。県民一人ひとりが考え、判断して決めることが最も民主的だと思うからである。
次のお店等で署名できるので、ぜひお願いします。12月28日まで。
カラオケ喫茶宵待草(宮下町東)、内山美容院(袋町中)、岡村商店(本町7―2)、ふるさと食堂(中条上町)、理容ふるさわ(北鐙坂3)、高野理容所(馬場2)、休み処ちょこっと(中里ユーモール1階)、古美術美宝堂(津南町割野)
2024年12月21日号
12月4日は中村哲医師の命日、何者かに銃撃されて崇高な命が失われた。アフガン難民キャンプで巡回医療を開始し、91年から、山岳地域に診療所を相次いで開いた。その活動を支援する人たちもどんどん増えた。次に続く医師たちも増えた。活動はペシャワール会として日本からも多大の支援がなされている。
しかし生活環境が改善されなければ、病や怪我を直す事だけでは、解決にはならないと砂漠地帯に灌漑事業を展開する。哲医師は医療従事者から工事事業者になった。住民達も生活費となる報酬が得られることもあって進んで協力し、砂漠地帯が緑豊かな地域に変わっていくのは、それはそれは見事だった。いまだに犯行の詳細は判明していないが、何時でも何所でも、良くなっていく地域に、格差を感じ、羨望?妬み? 殺されてしまった。
彼に魅了され、DVDを3巻も買ったり、心から尊敬している。
声高に叫ぶわけでもなく、誰彼に支援を頼むわけでもなく、黙々と一人でコツコツと取り組んでいる。周囲が自ずとかかわる事になる本物の説得力。足元にも及ばないが、見習いたいとは強く思っている。
この原稿に取り組んでいる昨日今日、ノーベル平和賞受賞式に出席する被団協の方々。つい微笑みが浮かび、誇らしい気持ちになり、画面に見とれる。最高齢の92歳の代表に続いて、若い平和大使達も一緒だ。今までも受賞者たちは大勢いらっしゃるが、こんなに克明に報道されるのは、あまりなかったような気がする。世界中で、核兵器の使用が懸念されている事の表れか? そして12月10日は授賞式。
次期米大統領が、トランプ氏に決まって以来何か世界中が騒がしい、日々驚きの報道がある。アサド政権が崩壊しロシアに亡命。韓国でも突然戒厳令が出たりしてびっくりした。ヨーロッパの大国でも、政権が揺れているようだ。何も分かっていないド素人の私がとやかく言える程ではないが。何かのきっかけがあれば戦になりそう! それほど愚かではないと思いたい。
そこで、戦争放棄を声高らかに謳っている、我が憲法九条が、一段と存在感を増すと思いませんか? それには如何なる文言も加筆・削除しないことが大前提。何とか有効な文言を加筆して、戦争ができる国にしたい政権を注視していく事を諦めてはならない。
中村哲医師や日本被団協の皆さんの長く続ける努力をお手本にして。
2024年12月14日号
十日町の音楽文化は素晴らしい! 筆者は音楽好きではありますが、普段クラシック音楽は聞かないし、むしろクラシック嫌いです。そんな筆者でも知っている超有名曲、ベートーベンの交響曲第九番「合唱付き」のコンサートが、十日町市文化協会設立30周年記念ということで開かれました。
それも市民から百人の歌手を募って合唱するというではありませんか。初めて募集の話を聞いたときは、そんな人数が集まるのかと野次馬根性丸出しでしたが、杞憂に終わりました。女性に比べ男性が少ないものの百人以上の合唱団が見事に勢揃い。独唱の後の合唱が始まった瞬間、百人を超える合唱の音圧が二階席にいた筆者の体にドーンと届き、思わず鳥肌が立ちました。
半年以上の練習をやり通した合唱団員と素人集団をまとめ上げて本番に臨んだ指導者の苦労が喜びに代わり、聴衆と一体になった瞬間でした。
もう一つ、ステージにどうやって百人の合唱団とオーケストラを乗せるのか、これも興味津々でしたが、花道も使って打楽器を配し、ステージの前面に張り出しをつけ、見事に合唱団とオーケストラが一体化しておりました。
ところで、日本人なら多分だれでも歌える「よろこびの歌」~晴れたるあおぞら ただよう雲よ~の部分は全曲のうちのごく一部です。合唱だけが話題になりがちですが、全曲を通すと70分以上の大曲なんですね。はたして居眠りをせずに全曲聴き通せるのか、オーケストラ演奏の部分はどんな曲なのか。全曲通しては未聴だったため、予習のためCDを購入し、毎朝のように家族の迷惑も顧みずこの曲を流すようにしました。
まったく興味のない音楽でも聞く毎に親しみを覚え、聴き通すことも楽しみに変わるんですね。まさに名曲というべきでしょうか。こんなことを書くとクラシックファンには顰蹙を買うこと必至ですが、合唱部以外もとても素晴らしい。
さて、演奏したJR東日本交響楽団は、なんと発足30年を超えるアマチュアのオーケストラ。JR東日本の社員有志が仕事終了後に集まって定期的に練習を行っているそうです。オーケストラの演奏の良し悪しもよくわからない筆者ですが、プロの指揮者がまとめ上げた演奏は合唱に劣らず本当に聴きごたえがありました。
この素晴らしいコンサートを企画実行した主催者や裏方の皆さん、ホールのスタッフの仕事にも大きな拍手を送りたいと思います。5年後の35周年の演奏会も大いに期待しております。
2024年12月7日号
今年は、世界中で多くの選挙が行われた注目の年で、米国、ロシア、台湾、韓国、インド、インドネシア、メキシコ、EUなどで、選挙が実施された選挙イヤーでした。
今年の初めごろは、日本では選挙の予定がなく、安定した政権が続くと余裕を感じていましたが、急転直下、10月に解散による衆議院選挙が行われ、結果は与党が負け、政権が一気に不安定化してしまいました。
そこに、アメリカ・ファーストを掲げるトランプ氏が米国の大統領選挙に勝利して復活。うまく対峙するため、日本の首相には、今まで以上のリーダーシップが求められています。
トランプ次期大統領の今後の政策を知るため、選挙中に行われた演説を、フルで聞きなおしてみました。
演説で、最初に最も時間をかけて話がなされたのは、不法移民の問題でした。メキシコ国境からの不法移民により多くの国民が職を奪われ、侵略という言葉まで出るほど、大きな問題として捉えられていました。来年1月20日の就任1日目に、国境の壁の建設を強化すると発言しています。
次に演説で力が入っていたのは、物価高に対する政策でした。具体的な対策について述べられており、物価高の主な原因は、太陽光などの自然エネルギーや電気自動車の利用にコストがかかりすぎていることとし、それならば米国の石油産業を復活させることで、コストを下げるとしています。
これらの移民と物価高の問題は、日本でも問題になり始めており、半歩あるいは一歩先をいく米国で、思い切った対策を打ち出すとされるトランプ次期大統領の動きや、それによりもたらされる成果を、十分に参考としていくことが重要と思います。
さらに気になるのが、いま米国にとっての最大の貿易赤字国である中国に対する強硬姿勢が、どのくらいになるかということです。今後、経済面と安全保障面の両面において、世界や東アジアでの緊張感が増すことになるかもしれません。
また、国内産業を守るため、トランプ次期大統領は、国外からの輸入品に今までより高い関税を、どの国に対しても課すのではないかとされています。日本の輸出産業にどれくらいの影響がでるか…ディール(取引)外交を得意とするトランプ次期大統領ですので、ハードな交渉が考えられます。
大きな時代の転換点を迎えているとされているいま、来年はそのことがより感じられ表面化してくる年になるかもしれないと思いました。
2024年11月30日号
9月の入院から検査が続き、心臓も大きな問題を抱えているようで、ふたつの手術をこなさなければならなくなった。全国の老人達と同じように私も満身創痍の後期高齢者と認められた。
私の心臓は無症侯性と言うことで、痛みを感じないまま何年も過ごして来た訳です。病院に入って何回も採血だ、CTだ、MRIだ、エコーだ、造影剤CTだと検査漬けの日々が続きます。
健康保険制度は病気を見つけて病名を冠して、検査をしないと保険が下りないという。病院としては患者の病気を治すために検査し国から費用を頂き、病院の財源にし、経営が維持されるということのようです。
話は逸れますが、病院にすれば病気を特定できない高齢者の老衰患者に検査は無用で、必要もないということになるのでしょう? ベッドの稼働率からしても効率は悪いことになります。
回復する患者が大事なお客さんで保険の適用が出来ない患者は、以前は3ヵ月を越えると退院させられることがありました。今は分かりませんが、私の父もそんなことを言われたせいか、ちゃんと3ヵ月目に亡くなりました。私は後期高齢者として手術が出来る分、病院にとっては良い患者と言うことになるのです。そこのところは良かったのでしょう。変な話ですが。
「右頸部内頸動脈高度狭窄症」という病名を頂いて立派な病人ということになりました。脳梗塞という病気は頸動脈が細くなり血流が滞って血管に血栓が生じ、それが剥がれ脳に飛ぶことによって起こる症状と説明を受けました。
専門的な説明でよく理解できず、多分で申し訳ないが、血管を詰まらせ起こる病状で老化による症状と似ているように感じます。色々と検査をしていくうちに、心臓にも狭窄箇所が見つかって続けての手術ということになりました。
先週、脳梗塞の手術をしたのですが、心臓に影響もなく無事にそれは終えました。次に2試合目の心臓が待っています。もう、まな板の鯉で、どうにでもなれと腹を括るより致し方がありません。
先日、手術の検査に行く時のことですが、この頃どうも車の運転が下手になって、高速道や夜の運転に支障をきたしていて、殊に八箇峠トンネルが苦手で避けていましたが、脳梗塞手術後の運転になんの違和感もなく制限速度いっぱいまで速度を上げて呑気に走っていました。
もしかして手術で、何らかの作用が起き、バランスを司る脳の個所に良い影響を与えたのではないだろうかとひとり感じているのです。
もしそうだとすれば、病気を悪く捉えて過敏に反応するのもいけないようにも思いますが、ただそのあと私のお小水の回数が増えたこともあり、それも手術の影響かしら? と思っても関連性は分かりません。例え有ったとしても、お医者は認めないだろうし、そう簡単なことでは無いのでしょう。
入院して、たった10日間でもベットに臥せって、トイレに動くだけになると、まず脚膝腰に影響が出ます。朝昼晩の食事を待つだけの暮らしは、身体に良いわけはありません。退院出来て冬の準備にかかろうとすると、思うように身体は動いてくれません。でも少しずつでも冬の準備にかからないと、心の病気になりそうです。病気は次から次へと連鎖を生み、なかなか面倒です。
ところで、妻有新聞がこの地方の病院の栄養士を取材し、病院食の特集でもしてもらえないだろうか。老人が調子を崩し入院して食べる食事は、どんなものか教えて欲しい人は多いようです。
(11月16日和山にて)
2024年11月23日号
原点に戻って考えよう。湯沢砂防事務所はスリット堰堤と集落付近の護岸整備をセットにする案だけを住民に提示している。で、やるのかやらないのかと問われれば、住民はイエスしか選択できない。
本来は複数の案があってメリットデメリットを比較し、住民が考えて決めるのが河川自治だ。
堰堤を造るとスリットがあると言っても、下流は河床が下がり、上流は流れが滞留し砂利が溜まり河床が上がる。一つの集落を二分するような案しか方法はないのだろうか?
多くの山間地での共通問題だが、清津峡地区も高齢化が進んで世帯数が減り、もうすぐ地図上から消えるかも? と思うほど過疎化が進んでいる。
私はこの治水の課題は集落存続のチャンスなのでは? と思っている。どうして? と聞かれるだろう。…ここからは単なる私の妄想だと読んでほしい。
仮に湯沢砂防の計画通りスリット堰堤と護岸工事ができても、大きな台風が近づくとやっぱり川沿いの住人は心配で自主避難するだろう。安全度は上がっても災害は想定を超えてくる。川沿いの家は10軒くらいだ。もしできるなら川沿いの住民が地域内の少し川から離れた道上へ移るというのはダメだろうか?
山の中でよく見る小さな砂防堰堤の費用は一基4~5億円と言われている。清津川本流に計画されているスリット堰堤はその何倍もある。土地確保と住宅建設や引っ越しその他の費用を10軒分見積もっても、堰堤を造るよりずっと安い。
住民も十分な補償があれば、築50年超えの大きな家より、こぢんまりした耐雪、省エネ、バリアフリーの家のほうが暮らしやすいのではないだろうか? 高齢者世帯が後に家を手放す時が来ても、雪始末の楽な家は買い手が見つかり易く集落に新しいメンバーが加わる可能性もできる。古く大きな家は取り壊しにも費用がかかり空き家問題の原因になる。
川沿いの土地は大切な生命財産を置かなければいいだけだから、護岸工事をして農地に転用してもいいし公園にしてもいい。漁協に協力頂いて釣り堀でもいいし、ウドやタラの木を植えて山菜農園にしてもいい。きれいな蓮の花を植えても、アヒルが泳いでいてもいい。
村の形は変わるけど、年間何十万人も集客する清津峡の入り口だから、考えようで集落活性化になるのでは? 最もいいことは、堰堤を造るより移転のほうが早くできることだ。
この国では近い将来、通貨危機や南海トラフや戦争といった大きな惨事が起こる可能性は否定できず、そうなったら国は地方の小さな清津川の治水などできなくなる…だから何年もかかる治水事業より早く確実な移転がいい。
先祖代々住み続けた家、地域の内情、高齢化…代えがたいものがあるのはわかるけど…非力な私には提案しかできない。地域の人が自分で決めることだと思う。
2024年11月16日号
10月27日の衆院選では、自民・公明が大幅に議席を減らし、立憲、国民が躍進しました。気がかりなのは、「護憲、反戦・反核・反原発」を掲げる勢力が伸びなかったこと。本来、これらも大きな争点になるべきだったのに、「裏金」と「経済」に絞られてしまったのは、マスコミの責任でもあります。
これを書いている11月6日夜、米国大統領選は、トランプ氏の当選が確実となったようです。どちらが勝っても、米国はガザで虐殺を続けるイスラエルへの支援を継続するでしょう。私が米国大統領選に興味を持てない理由はこれです。
さて、新潟県内では柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民投票で決めるため、条例制定を求める署名活動が始まりました。
世界最大級の柏崎刈羽原発は、1~7号機とも運転停止中です。東京電力は2013年に6・7号機の再稼働の審査を原子力規制委員会に申請し、2023年12月にようやく再稼働準備ができるようになりました。
再稼働にあたっては、規制委員会の審査のほか、柏崎市、刈羽村、新潟県の同意が必要です。柏崎市と刈羽村は、議会、首長とも再稼働に同意する意向のようです。
一方、新潟県では、花角知事は18年に、柏崎刈羽原発の再稼働について「自ら判断し、県民に信を問う」と公約に掲げて当選しました。しかし、「信を問う」具体的な方法や時期は明確にしないまま今日に至っています。
柏崎刈羽原発の再稼働は、県民のいのちや暮らしに関わる大きな問題です。県知事や県議会に任せるのでなく、県民の一人ひとりが、県政の主人公として意思表示するべきではないでしょうか。
私たちは、地方自治法に基づき、「柏崎刈羽原発の再稼働の是非を問う県民投票条例」の制定を請求することにしました。請求のためには、新潟県民有権者の50分の1以上の署名が必要です。「条例を制定してください」という署名で、原発反対署名ではありません。
①県民のすべてが柏崎刈羽原発の再稼働の問題に向き合い、賛成・反対の立場を超えて話し合うこと、②柏崎刈羽原発の再稼働の是非を県民投票で問い、投票の結果を県の方針に反映させることが、新潟の民主主義を育て、未来をひらくことにつながると確信しています。どうか署名をお願いします。
署名と署名集めをしてくださる方は、齋木までご連絡ください。電話090‒4946‒7570。
2024年11月9日号