人と向き合い、人を撮る

contents section

古田島雅さん(1988年生まれ)

 「悩んでいる時間がもったいない」。7年前、自分の直感を信じ、飛び込んだ新たな世界。「毎日の景色が違って、とっても刺激的です」、きょうもカメラを手に、被写体と向き合う。 
 コンビニエンスストアの接客から一転、人生の舵を大きく切った。7年前の29歳の時。その舵を受けとめてくれたのは「スタジオ・ハトヤ」の羽鳥宏史社長。あの時のスタートの言葉は怖いもの知らずだった。『カメラマンになりたいんです。私を雇ってください』。勢いだけの若造を受けとめてもらい、いまがある。

 生まれは南魚沼市。高卒後、「人と接することが好きで、高校時代にバイトしていたコンビニ業をもっと深めたい」と地元就職。責任感や勤勉さが認められ、資格取得後に店長や新店舗立ち上げにも携わった。だが、業務が軌道にのると、「同じような毎日が、つまらなくなってしまって…」。12年勤務したが、ふと立ち止まり、自問した。「大好きな接客だったのに、今は人に会いたくないーって」。 
 モンモンとした日々が続いたある日。行きつけの美容室で「写真モデルやってみない? って、声を掛けられたんです」。写されるのは苦手だった。「でも、何か変わるかもって、トライしたんです」。その時、声掛けしてくれたのがハトヤ・羽鳥社長。「とても面白くてパワフルでした。写真を撮られることで、こんな素敵な気持ちになるんだって。カメラマンの仕事って凄い。そこからです」。

 カメラマンになりたい。その思いが募り、即行動に。「思い立ったら…でしたから、悩んでいる時間が惜しく、仕事を辞めて、羽鳥社長に雇ってくださいって、直接電話してました」。だが、「募集してないから少し待って」と冷却期間を与えられた。だが、「カメラの勉強をしながら、バイトしながら待ちました」。思いが通じて3ヵ月後、入社した。
 自分の直感を信じ、飛び込んだ新たな世界。だが、そんなに甘くない世界が待っていた。「カメラやパソコンの使い方も分からず、写真やカメラの専門用語も…。とっても苦戦しました」。ここで負けず嫌いな自分が奏功した。「このままでは仕事についていけない」、決断したのは『断酒』、「大好きなお酒を断ちましたよ。本気でした」。1年余り酒絶ちし、いくつもの現場を踏み、経験値を重ねた。帰宅後の夜は猛勉強。「大変だったけど、知らない世界を知っていくことの面白さを実感し、辛かったですが、楽しい時間でした」。
 師匠の羽鳥社長に付き、現場で師匠の撮影や言葉掛けなどを見て学び、自分の腕を磨いた。最近では婚礼から出産後に撮影のニューボーン(誕生)など幅広い分野を担当する。
 「七五三や婚礼、カジュアル撮影、ニューボーン撮影は『おめでとう』があふれていて、私たちも幸せを頂いています」。写真はまさに『一期一会』。「一人ひとり違い、一回一回違います。そのつど刺激を受け、その人が持つ空気感を大切に、ベストショットが撮れるように臨んでいます」。
 写真を見た方から『あの時の空気感が蘇りますね』や『この子を産んでよかった』と声がかかる。「もう最高に嬉しいです。毎年撮影に来てくれる方もいて、親せき付き合いの気分です。人の人生の歩みを写真という記録にに残す。大切で、充実感を感じる仕事です」。

 プロの仕事の面白さとやりがいを伝える活動にも取り組む。美容室オーナーやビデオグラファーなど各分野のプロが集まり、高校生対象の『B・C PROJECT』講座を南魚沼市で月2回開いている。プロが次代を担う人材を育てるきっかけづくりの場だ。「専門分野まで踏み込んだ内容で体験もできるワークショップ的な場です。目的意識を抱いてもらう良い機会になっています。体験を通じて自分に合った職種が探せますから」。生徒の卒業制作は生徒同士でヘアメイクし撮影する。今年はハトヤで撮影だ。「生徒たちの頑張る姿は、大きな励みになりますね」。
「カメラマン」という肩書の名刺を持って7年。「あの時、自分を信じて良かった、そう実感します。この仕事をして、やっぱり人が好きなんだなって」。

▼バトンタッチします
 熊木裕哉さん