都はるみを唄い…
長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)
日本の総理大臣が、自民党の裏金問題の結着を中堅議員に押し付けて、国賓として招待されている米国に、そそくさと逃げるように飛び立った。気が楽になったのかAIが作った画像と見まがうような表情で、饒舌に大統領や米議会で気楽なスピーチを行なって、笑いを取ってエヘン、プイプイといった感じで帰国した。
ただ、持って行ったお土産は国防予算の増額だった。この11月にアメリカ・ファーストの候補者が当選してしまえば何のことはない、日本の自衛隊が最前線に取り残される可能性も出て来る。
戦後の平和を当たり前と感じている場渡り的な日本の保守政治家の忘れ方である。それを取材し報じるメディアも、上からの指示なのか裏金問題のニュースも少なくなったように思う。
そういえば発生から4ヵ月近く過ぎた能登半島地震のニュースも減ったような気がする。輪島の朝市が場所を変えて復興したとか、能登を走るJRが復旧したと良いことばかりが目立つ。
あの3・11東日本大震災の時も時間をかけて震災報道が少なくなって、明日に向けてのイベントが始り、平常に戻りつつあり、災害が過去の出来事のようなニュースが、ある時から多くなったように思った。
もっとも、悲しくて辛いことは忘れなければ生きて行けないのだろう。が、それらの災害で大切な人を失くした者にとって、忘れられる事ではないはずだ。一方、身近に亡くした人が居なかった人たちにしてみれば、一刻も早く忘れたい記憶なのだろう。
壊れた家は時間をかければ建て直せるが、亡くした父母や子供は何年経ったって忘れられるものではない。前の大戦、戦地で2人の子供を失くした祖母の心から笑った表情の写真は一枚もない。
戦後になって70年80年と寿命が延びても、悲しい思いは重い記憶となって付いて回るのである。そんな悲しみの本質をメディアに携わる記者だからこそ、忘れてはいけないことなのだ。
この春から自民党派閥の裏金問題も総理訪米の成功(?)の裏で、補欠選挙の結果までは、おとなしく忘れたふりをすることになるのだろう。これもひとつの忘れ方で、江戸の昔から続く臭い物に蓋的な対処のようだ。 その挙句、明治になってから日清日露、世界大戦、太平洋戦争と戦争漬けの国になってしまったのだ。
それでも日本の政治家が太平洋戦争の敗戦、広島・長崎への原爆投下を知っている内は良かったが、戦争を知らないボンボン二世議員の登場となると、実に気楽に、貰えるものは貰っちゃえと安気に過ごすようになるものらしい。世襲の呑気な殿様のように、世襲の政治家たちが忘れた正義や理念の軽さなのだろう。
私も後期高齢者になってしまったけれど、思えば幾つもの間違いや失敗をして来た。だけれども自分がやられて嫌だと思うことはやらなかった。同時に裏切らない! で暮らして来た。
口喧嘩や恨んだり妬んだり、僻んだり嫉みはいつもあったが それは自分の腹のなかで呑み込んで貧乏を通して来た。私の場合の忘れ方は少し多めに酒を飲んで、都はるみの歌を唄って、ぐすんと涙を流せば、それでいいのだ。大切な忘れ物は、伝えられなかった言葉くらいなもので、年齢を重ねてみると、首相も大臣もそれぞれの指導者も皆私よりも年下になりつつある今は、悪い時も、少し良かった時も、平気な顔だけして酔ったふりして思い出せる記憶があるだけだ。
な~に、5年もすればきれいさっぱり忘れられるのだし…。