「やっぱり、パンを作りたい」

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金谷 日向さん(1989年生まれ)

 歩み続けて来た人生、その度、その度、自分の気持ちと向き合ってきた。「何をしたいのか、将来何をして生きていきたいのか。その時々、自分の気持ちと向き合いました。食のこと、飲食に関わることへの思いが強くなっていきました」。
 そのきっかけは大地の芸術祭だった。首都圏の大学で心理学を学んでいた4年の夏休み。2012年帰省した時、父からの言葉だった。「大地の芸術祭巡りに行こうと父から誘われました。生まれ育った妻有ですが、地域を巡りながら、改めて妻有の素晴らしさを感じたんです」。自然の心地良さ、リラックスできる地域環境、生まれ育った地を離れて分かったこの地の解放感だった。「芸術祭もきっかけでしたが、帰ろうと決めました」。

 十日町生活が始まったある日。「本屋に行ったんです。たまたま目に留まったのが『手ごねパン』の作り方の本でした」。その本の作り方を見ながらパンを自作した。何度も何度も作り、次第に夢中になっていく自分を感じ、さらに打ち込んだ。
 「これは面白い、楽しいと、市外のパン作り教室にも通いました」。この時、26歳。友だちや周囲から結婚や出産の話しが次々と聞こえた。「自分は何がしたいのか、その時も自分と向き合い、考えました。これも出会いなんですね、パンづくりがしたい、これでした」。20代最後のチャレンジ、これも自分の人生、どんな経験も無駄な経験はないと、自分で探し、首都圏のパン屋に就職した。
 厳しい現実が待っていた。予想以上に過酷でハードな業務。「朝暗いうちから夜遅くまで働きました。振り返ると辛かった気持ちも正直大きいですね」。 
 ただ経験から一つの確信を得た。「パンづくりがさらに好きになり、職人の世界に触れることができ、とっても勉強になったと思っています」。職人が手慣れた作業を淡々とこなすが、そこには秒刻みの手順やしっかりした準備と段取りが必要、その基本の基本を体感できた。「あの経験は本当に大変でしたが、それが今に活かされています」。

 早朝から夜遅くまで1年間、みっちりパンづくりを学んだ。その後、販売経験を積むためカフェへ転職。2018年大地の芸術祭の年だった。「カフェ転職までの1ヵ月間、大地の芸術祭に行こうと調べていたら、里山食堂の短期アルバイト募集があり、すぐに応募しました」。
 玄米を主体に、主菜の穀類に旬の地元食材の美味しさをそのまま提供する里山食堂。「毎日まさに目の回る忙しさでしたが、スタッフの皆さんがとても温かくって、パワフルで楽しく、あっという間の1ヵ月でした」。 都内へ戻ったが、大地の芸術祭の食関係の仕事をしたい思いが募り、2019年、二度目のUターン。再び十日町生活が始まった。
 市内の飲食店で働き始めた頃、里山食堂から声が掛かった。帰っているという情報が流れたらしい。アルバイトから正規職員になり、やりがいや責任感が増していった。
「経験も積み、30歳を超えて、もう一度自分と向き合ったんです」。歩みを振り返ると、自分の気持ちが見えて来た。『パンづくりをしたい。自分のお店を持ちたい』だった。2023年3月退職。

 様々なイベントなどに自作パンを出店しながら自分の店づくりの準備を進めた。今年4月、『パンと暮らしとヤナギヤ』を開店。そのお店は自宅である津南町鹿渡新田の古民家。店名は屋号『柳』から。「柳の家の雰囲気を活かせるパン屋ができれば素敵だなって思って、そのまま店名にしました」。 築100年余、太い柱や梁が雰囲気を作り出す古民家。そのひと部屋を改修し、古民家に残る民具や家具など活用。丹精込めて作ったパンは、古道具店で一目ぼれしたアンティークなショーケースに並ぶ。
 北海道産小麦を使用し、ぶどうやりんごなど様々な素材による自家製酵母で焼き上げるこだわりパン。「地元で採れた季節が感じられる旬の食材をパンにアレンジし、彩りを考え、目でも楽しめ、美味しそうなものをと考えています」。
 思いを込め、こだわりぬいたパンは評判を呼び、地元はじめ十日町市や南魚沼市、県外からの芸術祭や行楽客などネットを通じて広範囲から多くの人が足を運ぶ。
 「旬のもの、季節の野菜を活かす料理は前職の里山食堂で学んだことが生きています。できるだけ手作りで、季節のものを使ってお客様に届けたいですね」。

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 太島勝重さん