あの頃の学生気質は
長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)
面白いもので年齢を重ねると、不意に若かった時のことを思い出すことが多くなるようだ。
先日、津南中等教育学校の脇を抜けて秋山へ向かっていた時のことだが、 ちょうど下校時間だったようで、三々五々、学生が校門を出て来るのにぶつかった。きちんと制服を着た真面目そうな学生だった。私服の学生は見当たらなかったが、おとなしそうで純粋なタイプのように感じた。そんな時に笑っちゃうが、60年も前の自分の通学姿が目に浮かんで来た。
通った学校は男子校だった。学生たちは制服を自分の好みに合わせて、学帽を油でテカテカに固めたり学生服の第一ボタンを外したりして、校門をくぐると少し与太った歩き方で国電の最寄りの駅までよく歩いた。近くに大学もあったせいか、駅までの道すがら古本屋とかラーメン屋、喫茶店も多く、路地裏には映画館やレコード店まであった。友達とワイワイ話しながら必ず寄り道をして帰った。
ぼくは中学からそのまま高校へ上がったのだが、その都市にある大学の継続校になったせいか、公立の有名校を落ちた学生の滑り止めになったようで、勉強のできる学生が入学して来た。それがなかなか面白い連中で、外から来た学生と馬が合ったのだろう、よく遊んだものである。
そんな友人達はとにかく変わった連中で、英語で教師に食ってかかる奴がいたり、ジャズやクラシックに詳しかったり、暇さえあれば美術館に通い、小説が好きで作家の癖をよく知っていた。演劇に狂っていたり、旅に目がなかったり、泳いだり、山を駆けたりと私の知らない世界を飛び回っているようだった。
その内に学校を抜け出し、落語や映画を見に塀を越えたものである。私は帰宅して勉強などしなかったから、いつまでも下から数えたほうが早い成績だったが、彼らは何時もそれなりの成績なのだ。
あの頃のぼく等はどちらかというと不良学生で、一見ちゃらんぽらんなことばかりして面白がっていた。ぼくにしてみればそんな不良っぽさが新鮮だったし、知らない世界を教えてもらった。不良であってもよいが、非行少年にはならないし、成績はいつもトップクラスなのだ。
何と云うのか生き方、暮らし方の強弱を彼等はわきまえていたのだろう。青春は好きなことに向かって狂っていればよかった時代だった。ただ授業中にちゃんと集中して、ちゃっかり復習までしていたのだろうことは想像できた。
今の津南の学生は近辺には映画館もない、レコード屋もありゃしない、喫茶店や書店すらないのだから せめてスマホのなかに潜り込んでSNSを駆使して超現実にワープしているのかも知らん。ぼくの時代にはそれぞれの好きなことに特化した不良学生が学校を、社会を面白くしてくれた。
今時の学生がきちんと制服を着て登下校する姿を見ると、学校の勉強だけで個性は作られるものではないのだがな~と昔を思い出した。
昨年だったか同窓会があって、元気でいる当時の担任の教師に聞いてみたことがある。現在あの学校はどうなっているのかと…。
「君らの時はいろんな学生がいて一番面白い時代だったが、今は学校が少し有名になったせいなのか、勉強が出来る学生ばかりになってしまった。親が子供に勉強しろ、勉強しろとばかり言うようになったのだろう」。
校則が金科玉条になってそれを破ると退学だ! 推薦は出来ない、と学校が現代の管理社会のモデルのようになってしまったとは思いたくはないが、まだ固まっていない若い学生たちというのは、いろんな個性が集まって不良でも出来が悪くても、良くても玉石混交で、それが交じり合って議論をして、喧嘩をして面白がって幅の厚い社会を支えられるものだと思う。だから教師にも個性豊かな学生を陰に回って支えて欲しいものだ!
昔の頃の元気はないが少し知恵を出して、今時の学生に不良老人からのエールでも送ってみたら面白いかなと思いつつ、布団をかぶった!