髙橋直幸さん(1984年生まれ)
静かな佇(たたず)まい、だが秘める思いは熱い。マイクを握ると心のスイッチが入り、思いの丈が熱唱になる。「いやぁー、小っちゃい頃から口下手で」。ふたりの姉に抑えられていた。「7つ上と5つ上の姉ふたりです。いたずらすると『なおゆきー』って叱られていたので、だんだん無口になっていきましたね」。
松代中時代、野球部と駅伝部を兼任、自分と向き合い、自分を鍛えた。「でも、高校では帰宅部で、バイクを乗り回して、よくドライブして楽しんでいました」。卒業後の進路に悩んだ。「親元から一度は離れてみたくて、神奈川県内で就職を決め、上京しました」。
社員寮がある電気工事会社へ就職。「朝早く5時に出て、帰りは夜10時。体力的にも精神的にもしんどかったですね」。休日はひたすら寝て休むだけ。子ども時代怖かった次姉が良き相談相手に。「姉が都内に住んでいたので、遊びに行っていました」。姉弟の絆は固い。
淡々と時間が過ぎる毎日に疑問を抱く。1年半頑張ったが退職。都内の古本屋でアルバイト生活。その時だった。「バイト先の先輩から、バンド組むから一緒にやらない? って声を掛けてもらったんです」。バイト仲間とよく行ったカラオケ店。結成バンドでは声の良さをかわれ、ボーカル担当に。「男に魂って書いて、メンソールという屋号でした」。
都内のスタジオを借り、週1回の練習。「楽曲はギター担当の方の自作です。先輩はグリーン・デイが好きなので、そのような曲調ですね」。3ヵ月に一度ライブハウスで演奏。「観客は皆知り合いばかりでしたが、人前で歌うのは最高に気持ち良いです。口下手で人前で話すのは苦手ですが、歌だと気持ちを乗せ歌えるんです」。
4年余り活動し、それぞれ思い思いの進路があり解散。電気店で2年余り勤務したが、「やりたいことも無いし、帰ろうかなぁ思い、地元に戻りました」。26歳の時。そんな時、またまた声が掛かった。「松代の地元バンドづくりに誘われたんです」。同級生4人バンド『CANBALL8』を結成。ボーカルを担当。松代観音祭、松代町商工会関係イベントなどで演奏。「やっぱりライブで歌うのは、本当に気持ちがいいですね」。
職探しでも出会いが。「人と関わる仕事が良いなと思って」、松之山の介護施設・介護助手で働き始める。「全く初めての仕事で、覚えるまで大変でしたが先輩方に優しく指導していただきました」。勤めて3年目で介護福祉士の資格を取得。さらに声が掛かった。30歳で地元介護施設に転職。「来ないか? って声掛けを頂き、地元貢献できると思い転職しました。介護職は大変ですが、おじいちゃん、おばあちゃんの話を聞くのは楽しいですね」。
円(まどか)さんとは友だちの紹介で出会った。29歳で結婚。小学4、3年と4歳、3人娘に囲まれる。「パパ、パパって呼んでくれるのが嬉しいし、可愛くて仕方ないですね。でも歌の練習をしていると、うるさーいって言われるので、車を走らせながら発声練習していますよ」。
声量と声質を保つには日々の発声が大切。その練習方法も自分で編み出している。
最近、自作の曲、詞にも挑戦。「家族への想いです。妻や子へ思いを込め、作っています」。
ベイビー ありがとう
ありったけの愛をくれて ベイビー 感謝してる
私のすべてなんだ
最近の作詞の一節だ。
「楽しいことは何歳になっても共有できるので、仲間と音楽に関わり続けたいですね。各地のバンドとも仲間の輪を広げ、地域を盛り上げたいです。一緒にやりませんか?」。
▼バトンタッチします
深井裕司さん