「音楽、そして家族へ」

contents section

深井裕司さん(1982年生まれ)

 没頭すると寝食を忘れてのめり込む。「30代の初めまでは音楽に没頭していました。集中すると止まらなくなるので、家族ができてから、音楽は封印しています」。

 31歳の時、同じ職場が縁で出会った里花さんと結婚。「娘が1歳にな
った時、自然の中で子育てをしたいという妻の希望で、松代に引っ越しました」。2015年、加茂市から家族3人で移住。妻の両親と二世代で暮らす。

 生まれも育ちも加茂市。「加茂小、加茂中、加茂高、でしたねー」。8歳上の兄、6歳上に姉がいる。「兄がバンド活動でエレキギターをやっていて、触らせてもったのがきっかけです」。
 兄への憧れからエレキギターを初め、独自でテクニックを研究、のめり込んだ。「末っ子だったので、兄や姉の後を追う引っ付き虫でしたね。だから引っ込み思案だった。でもギターは、やりたいと自分で始めたものです」。 
 高校時代は授業が終わると家へ直行。同級生4人と毎日ギター練習。「兄がボーカル担当でライブハウスで演奏もしました。あの頃はグレイが流行っていて、毎日練習し18曲くらいを2時間通して演奏してましたね。今思うと、よく怒られなかったなぁーと思います」。
 県内大学へ進学、新潟市内就職後も大学時代のバンド仲間とライブハウスで定期的に演奏し、ソロ活動では作詞作曲にも挑戦。さらに音楽を深めていった。「仕事が終わって、家に帰ってすぐ音楽制作。朝まで寝ないで没頭し、そのまま仕事へ行くとか、夢中でしたね」。
 ギターテクニックを磨きたいと様々な音楽動画など見て学んだ。腕を見込まれ、「県内ソロシンガーのバックでギターを弾いたこともあります」。ソロ活動でCDを出したことも。「今でも楽曲の1つがカラオケに登録されています」。
 新潟市で働いていた頃、職場で出会いがあり結婚を決意。「音楽はスパッと辞めました。家族に全集中です。いま思うと、あの頃は音楽に没頭しすぎていて、何歳の時に何してたっけ?って、時系列がぐちゃぐちゃです」。

 小学3年、5年の娘と年少の息子の3人の父。「加茂市と違って雪は多いですが、地域の皆さんはとっても優しいですね」。松之山・松涛園に勤務。「介護職は大変なイメージもあり、初めは実家の親にも反対されたんです。でも、仕事をしなくてはいけないし、そんなことも言ってられなかったですね」。
 4年余の実務を経て介護福祉士資格を取得。9年目に知人の紹介で不老閣へ転職。「タイミングでした。大変なことも楽しいことも勿論あります。ただ、関わったお年寄りの方がリハビリで機能向上すると嬉しく思いますね。どうしたら機能が上がるかを考え、突き詰めるのが好きなんでしょうか」。
 音楽は封印しているが、新しく手にしたものがある。「家族。それと、家族の歴史を記録するカメラですね」。義母がキャノンを持っていた。シャッターを押すといい音が響く。「あの感触、カメラっていいなって。家族貢献にもなりますし」。
 現在の愛器はニコンD780。「今までいろいろなカメラを更新してきましたが、D780はフルサイズだから室内に強く、子どもたちの何気ないしぐさやイベントに役立ちます。カメラの趣味をさせてもらって感謝です」。撮影した写真は家では勿論、子どもや愛猫の写真は職場にも飾られ入所者に喜ばれている。
 「我が子が生まれ、人生がガラッと変わりました。音楽にのめり込んだことは、自分の糧でもありますし、音楽があったから自分の自信にもなっています。日々成長する子どもたち、その姿をカメラで撮る、楽しいですねぇ」。

▼バトンタッチします
 田邉孝一さん