「8月ジャーナリズム」

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社説

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 「8月ジャーナリズム」。戦後80年の今年、この言葉をさらに目にし、耳にするだろう。「8月15日」を意識する世代は、歳月と共に薄れてきているが、決して忘れてはならない歴史の刻印である。それをどうメディアは記録し、伝えていくのか、その時々のマスコミ人に課せられた責務でもある。
 なぜ、8月になると「戦争」記事が多く出るのか…、戦争はいまも世界のどこかで人殺し行為が行われ、何の罪もない多くの子たちの命が奪われている。その通りだ。紙面、TV、ネットなど発達したメディア社会では、瞬時にその惨状が世界に発信され、まさにライブ感覚の「戦争」がそこにある。
 だが、それは「傍観者である自分」がここに居る、ことである。その悲惨な映像を見て「自分はなにが出来るのか」であろう。戦後80年、毎年めぐる「あの日、あの時」を考え、受け止めることは、二度と…につながる継続すべき反省の刻印なのだろう。
 忘れられない言葉がある。1985年から始めた本紙・戦争体験記「語り継がねば」の取材で出会った当時70代の女性。自慢の兄を戦地で亡くした。戦闘機の空中戦の最中、撃ち落され海に没した。自分が目撃したわけではないが、兄の最期をそう聞かされ、それを信じてきた。「夏の空を飛行機が飛んで行くと、空に向かって『畜生、畜生』と叫んでいた母の姿がいまも忘れられない」。心魂の言葉、それは80年を経ても変わらないだろう。
 戦争反対、声高に叫ぶ声はどこまで届いているのだろう。「だが、言い続けなければ、必ずや『いつか来た道』になってしまう」。戦後生まれが人口の9割を占める今、あの刻印をどう語り継いでいけるのか、考える夏がまた来た。
 「8月ジャーナリズム」は時として揶揄される言葉だが、それでも「8月」は、意識すべき「歴史の刻印」であり、いまも続く戦争への「反戦」だ。

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