投票結果の一桁は、自分の1票

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社説

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 選挙のたびに言われるのが投票率の低下。2015年から18、19歳が有権者となり9年経過。これまで数多くの選挙が行われたが18歳~20代、30代も含めてもこの世代の投票率は20%台、よくて30%台。一方で60代~90代はどの選挙も高い投票率を示す。
 10代・20代・30代投票率を上げるにはこの世代が立候補するか、あるいは極論だが、この世代に絶大人気の俳優、あるいは音楽アーティストでも出馬すればこぞって投票する、かもしれない。投票率という数字を上げる方法は、結局は候補者への関心度に尽きるともいえる。
 政治に直結する投票という行為は、そのまま端的に数字に表れる。『投票結果の一桁に自分がいる』といわれる。自分が入れた候補得票の最後の数字、一桁の数字は自分が入れた1票だ。自分が入れなければその数字は1票少なくなる。こう考えると、各候補の得票結果の一桁は、紛れもなく「自分の1票」。見える1票である。それが積み重なり、百になり千になり万になる。
 その前提が重要だ。「1票を入れたい候補」「入れたい政党」でなければならない。だが、そこで投票所へ一歩踏み出せない有権者が多い、それが低投票率という現象を生み出している。今回の衆院選、全国の選挙区を見ると、かなり興味深い選挙区が多い。ただそれは投票したくなる選挙区というより、結果が興味深い選挙区だ。
 ここ新潟新5区はどうか。自民と立憲の一騎打ちというこれ以上ない対決構図だが、関心の度合いが低いのは両前職とも「ルール違反」を犯した身。今度の選挙を「みそぎ」と考えているなら大間違いだ。うやむやのまま突入した衆院総選挙。選挙で決着をつけようにも、両前職以外に選択肢がなく、有権者の困惑はさらに増している。
 だが選ばなくてはならない。両前職の政党の比較、ここに大きな差がある。

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