近代的な飯場

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小林 幸一(津南案内人)

 写真は百年前の発電所工事で賑わった前倉飯場の全景です。前倉の山田益雄さんが親から聞いた話では、冬になると沢山の人夫が村まで来るので道が凍り滑って歩けないほどだったといいます。何も無かった村に近代的な飯場が忽然と現れ、村の生活は一変しました。
 手前に線路を歩く村人らしき人物が写っていますが、これが切明まで伸びる工事用の軌道で、山道より歩きやすかったことでしょう。現在この軌道跡を歩こうとしても雑木が生い茂り、対岸の見倉の焼き畑も見えません。
 この写真は十日町市の建設会社であった旧「高幸」の5代目当主、高橋訓彦氏から提供していただきました。十日町の山内写真館の技師が「高幸」の依頼で釜落から電車に乗りここまで写真を撮りに来たと思われます。
 たった1枚の写真でも「親から口伝えで聞いてきた発電所工事のことが、この1枚の写真で納得が出来た。畑を耕すと空き瓶がいっぱい出て来て飯場があったことは知っていたが、当時としては立派な建物が建ち並びでびっくりした!」と益雄さんは驚いていました。
 工事の飯場というともっとバラック小屋のような建物をイメージしていましたが、医者や巡査も常駐し、衣食住は地元より良かったのかもしれません。