故郷の津南町で撮影した映画発信の協力を求めている。昨秋自身初の長編映画を津南町で撮影した、鴨井奨平さん(31、津南町上郷出身)。映画『書けないんじゃない、書かないんだ』。約60分の映画がもうすぐ完成する。作品は津南町の上映会はじめ、国内外の映画祭に出品する。最終目標はミニシアターを主とした劇場公開をめざすなか、クラウドファンディング(CF)で活動支援を求めている。
2024年2月10日号
2024年が始まってから一ヶ月、節分が過ぎ立春を迎え、新しい年が本格的に動き出しました。
4月の入学や就職に向け、大学に進学しようとする高校生は入試で希望する先を決めて個別試験に、小学校に上がるお子さんのいるご家庭では、ランドセルを何色にしようか選び始めている頃と思います。
節分(毎年2月3日)は、各季節の始まりの前日のことを指し、今は一般的に、春の節分のことをいうようになりました。
この日に神社などでは、「節分祭」と称するお祓いの行事が行われ、一緒に豆撒きも行われます。「♪ 鬼わーそと ふくわーうち」「♪ ふくわーうち ふくわーうち」と豆を投げ、最近は家庭で恵方巻きを食することとセットで行われるようになりました。豆撒きをすると、気分が高揚するようで、大人も子供も大声を出して盛り上がります。
節分祭のほかにも、6月30日に半年分のケガレをとる「夏越(なごし)のお祓い」があります。神社の境内に、茅(ちがや)という草で編んだ「茅の輪」が準備され、それをくぐると、和気あいあいとした雰囲気となります。
和気あいあいと言えば、家族や友達と食事をしながら楽しめる花火大会も、もともとは「火」によるお祓いの意味合いを含むことが多くあります。花火にお祓いの意味があるのを知らなかったとしても、花火が終わったあと、周りの空気に清々しさを感じるのは私だけでしょうか。
おそらく世界のなかをみても、このように日常の行事のなかに「お祓い」があり、埃やケガレを祓い、清々しさを感じる空間が広がっているのは、日本が群を抜いてのことかもしれません。
外国の方が初めて日本に来たとき、成田空港や羽田空港の施設を〝ピカピカ〟と表現するくらいにきれいと言い、掃除が行き届いていることに驚きの声があがっていると聞きます。
空港をあとにして街に出ても、行き交う道のほとんどにごみは落ちておらず、奇跡と思うようなレベルとして映っているようです。
実際には、日本でも上下水道などのインフラが整備されてからのことかもしれませんが、このように気持ちのよい空間を共有し維持がされていることは、素晴しいことだと思います。
私たちはそれを教え込まれるというわけではなく、日常生活のなかで、行事などに触れ、自然と身に付いているところがあるように感じます。
最近よくないニュースを耳にすることが増えるなか、原点に戻って、よいなと思う話をしました。
2024年2月10日号
「卒業式で9年生(中学3年)と別れるのが嫌で、小学1年生が泣くんですよ。この学園の良さが分かりますね」。小中一貫校『まつのやま学園』、我が子4人が通う。放課後、いつもは通学バスですぐに帰宅するが、「道草」して2時間かかることもある。それをサポートするのが
『まつのやま基地』。拠
点は松之山支所前の空き家を活用。オリジナル旗が目印。コロナ禍前の2019年、思いを同じくする仲間たちと立上げ、今春から新たな体制で活動を再スタートする。運営スタッフは同じく子育て中のママさん仲間4人、地域と繋いでくれる世話役が3人。昨年、プレイベントを年間通じて開き、今春からの活動の感触をつかんだ。
「この手作り箒(ほうき)は、ホウキモロコシで作ったんです。地元の箒名人の方と一緒に子どもたちも収穫から作りました。自分で作った箒ですから愛着がわき使いたくなりますよね。家の掃除を自分からやりますよ」。米作りは世話役メンバーが手植えからアドバイスし、稲刈り・ハゼ掛け・脱穀を体験。「自分たちがやりたいことを、出来る人たちとつながり、子どもたちと一緒にやります。今度あれしたいね、次はあれしよう
よ…など次々とやりたいことが湧いてきます」。
親の転勤で県庁所在地を転々と動いたが、「小さい頃から田舎で暮らしたい、その思いはずっとありました」。地域おこし協力隊など地域活動の経験の中で「松之山は人の暮しの繋がりの中に拠り所があります。その繋がりが薄くなりつつあり、ならば誰でも世代を超えて気軽に寄れるコミュニティをと。それがまつのやま基地です。子どもたちは保育園から中学卒業まで少ないながらも一緒に体験を積み重ねています。これは社会に出て行くなかで、大きな強みになるはずです」。
◆バトンタッチします。
「森田れなさん」
2024年2月10日号
先日、5年以上ぶりに高校時代の同級生と土市の松海寿司さんで食事をした後、近くの「音鳴り」さんで二次会、カラオケで大きな声で笑って楽しみました。店内でご一緒させていただいた土市町内の皆さんとの昭和の名曲リレーで若かりし頃のエネルギーを思い出し、元気になりました。ありがとうございます!
美空ひばりさんの名曲・みだれ髪を聴きながら姉がポツリ「美空ひばりほど歌えたらいいのになぁ。でも、プライベートはあまり幸せではなかったんだよね」とつぶやいたので、「人生において良いことと悪いことは同じだけやってきて最後はプラスマイナスゼロになるんだよ」と私が答えると、姉が最後に「でも自分の今はプラスの方が多い気がするな」と言ったので、妹としては良かったなと思った次第です。
誰でも幸せになりたいと思いますよね。そして人生においてプラスが多い方が良いと思うのは当然です。果たして「幸せ」とは?「幸せ」とはどういう状態を指し、その「幸せ」とは、どうしたらやってくるのでしょう? みなさんにとっての「幸せ」とは何ですか?
精神科医の樺沢紫苑さんは、幸せを得るためには順番がある、と言います。まず幸せになる第一歩は「自分の体と心の安定」が保たれていることから始まる、と。自分が平らで穏やかな状態であるということが基本として無ければ、本当の幸せは訪れないという意味です。
そして第二歩は「人間関係の安定」があること。自分だけでなく周囲の状態が平らで穏やかである状態が本当に幸せになるには必要です。そして最後に「金銭的な安定」がある、という順番です。 別の視点から言えば、金銭的な幸せを得たくても、自身の心身の安定と周囲の人間関係の安定が無いところには、金銭的な幸せはやってこないということになります。なかなかシビアな話だなと思います。
次に、私たちの脳の中にある「幸せを感じさせる」物質、という視点で「幸せ」を見てみます。すると、まず幸せになる第一歩に必要なのはセロトニンという物質です。体や心が気持ちいいと感じる時に出る物質で、不足するとうつ状態になります。うつ状態になれば「自分の体と心の安定」から離れてしまいますし、周囲との良い人間関係を構築するのは困難な状態になります。
では充足された場合、第二歩で必要なのはオキシトシンという物質です。赤ちゃんにおっぱいをあげる、恋人と触れ合う、友人とハグする、子どもを抱っこする、などで多く分泌されるため、「人間関係の安定」に重要な物質といえます。そして最後にドーパミンという物質です。目標を達成したり、成功や昇給、褒められたりした時に出る物質で意欲につながります。「金銭的な安定」あるいは言い換えると、自分にとって最終的に到達したいゴール、自分にとっての最終的な「幸せ」につながる物質といえるかもしれません。
この3つの物質のどれかが欠けても幸せを感じることはできないので、「幸せを感じさせる」物質という視点でも、幸せになるための順番というのはあるのかもしれません。
私はよく中学生たちに「幸せは自分の手の中にあるんだよ」と話をします。そしてまずは「自分を大事にするというのを忘れないでね(そこから幸せは始まるよ)」とも話しています。理屈では分かっていても「幸せ」を感じにくいという方は、次回の続きをまた楽しみにしていてください。待ちきれない方はどうぞお気軽に医院までご相談くださいね。
(たかき医院・仲栄美子医師)
2024年2月10日号
大正13(1924)年10月、秋山郷電源開発の象徴ともいえる中津川第一発電所が首都圏に向けて送電を開始して今年で百周年を迎えます。
水力発電所の立地条件には雪解け水を貯える広大な原生林と、何度も発電出来る落差のある地形、まさに苗場山麓ジオパークのエリアが発電の教科書に載っているような適地でした。
苗場山麓ジオパークガイド部会では昨年から発電所工事で開削された軌道跡や船着き場跡などを巡り、今年は運用開始百周年の記念事業として新たな探索コースを考えています。
その中でも町の中心部に近い芦ヶ崎の波止場では、護岸や岸に打ち込まれた係留金具や、岩の上で焼かれた燃えカスが、高熱で溶けガラス状のコーティングによって閉じ込められた焼却跡が見つかりました。中には小さな鉄くずやステンレス製の注射針のようなものが閉じ込められて、百年前のタイムカプセルのようです。
せっかく見つけた痕跡や護岸も大水が出ると流出してしまいます。「苗場山麓の自然に親しむ会」では、一昨年の黒石の波止場の調査に続き、昨年は芦ヶ崎の波止場の現地測量を実施しました。これを機に近代化遺産の保存活動が始まることを期待します。
2024年2月10日号
この現実をどう考えたらいいのか。政治不信、いや政権不信だろう。国政、県政、市町村政、この繋がりの中で我々は政治を信頼し、この国の住人として納税義務を果たしている。だが、これほどの不信感が募ると、その義務感すら怪しくなってしまう。
政権トップが連日繰り返す言葉の羅列を聞くと、その場をしのげばいい、とする感覚が見え見えだ。これほどまでに不信感を与える政治に対し、我々は何ができるか。国政選挙はまだない、国会前でデモる、納税しない…そこまで考えてしまう、それほどの政権不信だ。羅列の言葉の垂れ流しを連日聞かされる現実は、もはや国を司る体をなくしている。
信頼されない政権は、即刻去るべきだが、ことはそう簡単ではない。このままズルズル政権を引きずりながら、来たるべきタイミングを見ているのだろうが、その無為な時間の流れは、さらに信頼感の欠如を助長させ、不信感を増幅させる。時は新年度予算が固まり、国会・県会・市町村議会で審議が始まる時期。
だが、先ずこの不信感を払拭することだ。この醜態では新年度予算が空虚に聞こえ、大切な事業が盛り込まれる予算が、なんとも軽く薄い、まさに軽薄な印象を受けてしまう。
政治と金、この関係性と付随する種々の問題は、過去の政治の歴史が物語るが、少なくとも歴史に残る政治が示すのは、そこに政権の「潔さ」がある。言葉での言い逃れが限界に来れば、政権トップは辞し、政権の大掃除をする。だが、今回の一連の政治がらみの問題に対する政権の姿勢は、これとは真逆で、言い逃れの連続ではないか。これほどの醜態を見せつけられては、もはや信頼関係は失せ、不信感ばかりが募り、この国に暮らす住人の義務さえ、怪しくなる。
事は深刻だ。国政・県政・市町村政の繋がりは大切だ。だが、その信頼感が無ければ、その関係性さえ危うい。
2024年2月10日号
全国トップブランド米『魚沼産コシヒカリ』の生産量50%余を取り扱う「JA魚沼」が今月1日に発足。魚沼エリア4JA(十日町、津南町、北魚沼、越後おぢや)が合併。県内13JAのうち、組合員数は県内3位(3月にJAえちご上越が合併・誕生すると県内4位)となるJA魚沼。本店機能と金融部と共済部は十日町、営農部は北魚沼、機械販売など行う経済部は越後おぢやが拠点となる。新JAの米販売総額は67億円。農産物販売額の4割を占める。
初代経営管理委員会会長を務める柄澤和久氏(68、前JA十日町会長)と実務を取り仕切る代表理事理事長・大平透氏(61、前魚沼地区JA合併協議会事務局長)は25日に発足報告会見を十日町本店で開催。柄澤会長は「十日町のキノコ類、津南の高原野菜、津南と北魚沼のユリなどそれぞれのJAの特徴がある。稲作プラスアルファの複合営農を進める必要がある。それには組織基盤がゆるぎないものにしなければならない組合のため、地域のための農協のあり方を考える」。
2024年2月3日号
JR東日本職員の誤誘導により通行中の列車と乗用車が衝突する死亡事故から13年目となる今月1日、事故現場である津南町寺石の飯山線・大根原踏切に深澤祐二社長や新潟支社・白山弘子支社長、木村法雄常務ら役員7人が現地を来訪。踏切付近にある『安全誓いの碑』に献花し、冥福を祈った。
2024年2月3日号
大寒の翌日、中津川に水が出て、川岸の雪を払って下って行った。本来なら1月の20日ということは まだ春浅く集落の廻り全体が雪に埋もれている時であり、秋山では2月の12日頃が最も寒い時期で、一番荒れると云い伝えられている。
ここ数十年に渡る地球環境の変化によって気候も予測がつかなくなってしまったようだ。
昨年の冬も左程雪が降ったという記憶はない。その代わり暑い春夏秋を過ごした。今年の冬にしたって雪は、降るには降るのだが地球の気温上昇のためか例年のような冬の寒さは少ない。春夏秋冬の四季も変わってしまい暑い時期と寒い時期の二極化で1年が過ぎるのではないかと余計なことを心配してしまう。
樹木にも意志があるというレポートを見た。大木は立っているだけではなく、陽の指す方向に向けて年に1㍉でも移動している。人間と同じで目立ちたがり屋の木もあればおっとりした性格の木もあるのだろう。
師走に飯山の千曲川土手に数本、桜が恥らいながらも咲いていたし、上野の桜も花をつけているのを見た。今年の冬はちょっと違うなと感じていた頃に見た中津川大寒の日の大水だった。
そう云えば昨年は秋山で夏場に水が減って困ったことがあった。その後も水の量は増えていない。作物の生産者にしても、都市で暮らす人間にしても水が無くなることは暮らしに直結することでもある。
能登半島地震で被災した人たちが身を寄せる避難所で、水不足に苦しんでいる映像を見る。そんなことが日本中何処でも起こるのかも知れない。
平凡な暮らしがだんだん難しくなって、当たり前に感じていることが出来なくなるのじゃないだろうか。
地球環境の変化が日々の日常のなかで実感できる現実になって飛び込んで来る。小雪だった冬の付けが夏に押しかけて来ないためにも、やはり冬は寒く、雪が積もり春になって暖かい日差しが雪を融かし、水に変えて流れなければ地球のリズムが狂うことになる。地球環境を今守らなければこれからの私達の先が見えなくなってしまう。
そんな差し迫った状況でもある世界には、長くなりそうな戦争が続き、大国の権威主義的な指導者は同じように自国の正当性を主張し、自国が滅びでもすれば世界が滅んでも構わないと言わんばかりだ。
日本でも政治をつかさどる保守党議員は二世議員ばかり目立つようになって、順々と親がやって来た政治を踏襲するだけのように見える。
環境を心配する農業者や学者達の心配をよそに「な~に冬の餅代、夏の氷代を止める」と言って派閥を解散すれば裏金問題をやり過ごし、当座をしのげると思っているだけなのだろうか? 今この時、世界で起こっている問題は根が深く、こうなればしようがない国民が舵を取るしかない、次の選挙の結果でだ!
樹木に意志があると云うのなら、地球にこそ意志があって80億にも増えた人類が、戦争や開発の名目で勝手に地球を荒らし廻る行為に対して怒っているはずだ。地殻変動やエイズ、コロナなど新種のウイルスで人間に反省を求め、環境を厳しく変えて人類に猛省を促しているようだ。
私が生きて来た時代が問題で、それに加担した責任をどうしたらいいのか分らないのだ。
何となればこれからを生きる現在の文明にさらされていない新しい世代を信じて、もう少し息を詰めて暮らすしかない…。
2024年2月3日号
まさに人から人へのつながりが、いまの『ママのおやつ』を築き上げている。東京・新宿生まれと神奈川・藤沢生まれが広告代理店で出会い、アメリカで1年余り暮し、人と人のつながりから津南町の住人になり、早や26年余の歳月を刻む。仕事関係で出会った農業者などの協力でユリ栽培、コメ作り、野菜栽培など全くの未経験ながら挑む。
そんなある日、夫が言った。「一本足では、ダメになった時、どうしようもない。おまえ、お菓子作りが好きだろう」、このひと言から全てが動き出した。
ちょうど6次産業化による事業起しが全国的に始まる頃。「お菓子作りが好きだったと言っても、我が子たちの誕生ケーキを作るような家で作る程度。できる? まあ、なんとかなるかなぁ」。このポジティブさが次々と人から人につながり、「日本の洋菓子界を作り上げてきたお師匠様との出会い」が契機となり、自己研鑽を積み上げ、その師匠からは今も指導、アドバイスを受けている。
師匠からは基本から叩き込まれ、何度も壁にぶち当たりながらも、友だちや仲間たちの声掛けや笑顔に支えられ、今がある。師匠の『厳しくも優しい言葉』をいつも胸に秘める。『こんな田舎だけど、時代の最先端なものがあっていい。常にお客様と向き合い、一番良いものを作る、これだよ』。
地元産米の米粉、地元農業者の新潟地鶏の卵、ニンジン、アスパラ、カボチャ、サツマイモなど素材を積極使用している。毎月の先生来訪の日は「ドキドキ、ワクワクの時間です」。
ポジティブ満開の笑顔が、今日も出迎えてくれる。「今年9月で10年になるんですよ。ほんと、あっという間、信じられないですね」。
◆バトンタッチします。
「佐藤美保子さん」
2024年2月3日号
故郷の津南町で撮影した映画発信の協力を求めている。昨秋自身初の長編映画を津南町で撮影した、鴨井奨平さん(31、津南町上郷出身)。映画『書けないんじゃない、書かないんだ』。約60分の映画がもうすぐ完成する。作品は津南町の上映会はじめ、国内外の映画祭に出品する。最終目標はミニシアターを主とした劇場公開をめざすなか、クラウドファンディング(CF)で活動支援を求めている。
2024年2月10日号
2024年が始まってから一ヶ月、節分が過ぎ立春を迎え、新しい年が本格的に動き出しました。
4月の入学や就職に向け、大学に進学しようとする高校生は入試で希望する先を決めて個別試験に、小学校に上がるお子さんのいるご家庭では、ランドセルを何色にしようか選び始めている頃と思います。
節分(毎年2月3日)は、各季節の始まりの前日のことを指し、今は一般的に、春の節分のことをいうようになりました。
この日に神社などでは、「節分祭」と称するお祓いの行事が行われ、一緒に豆撒きも行われます。「♪ 鬼わーそと ふくわーうち」「♪ ふくわーうち ふくわーうち」と豆を投げ、最近は家庭で恵方巻きを食することとセットで行われるようになりました。豆撒きをすると、気分が高揚するようで、大人も子供も大声を出して盛り上がります。
節分祭のほかにも、6月30日に半年分のケガレをとる「夏越(なごし)のお祓い」があります。神社の境内に、茅(ちがや)という草で編んだ「茅の輪」が準備され、それをくぐると、和気あいあいとした雰囲気となります。
和気あいあいと言えば、家族や友達と食事をしながら楽しめる花火大会も、もともとは「火」によるお祓いの意味合いを含むことが多くあります。花火にお祓いの意味があるのを知らなかったとしても、花火が終わったあと、周りの空気に清々しさを感じるのは私だけでしょうか。
おそらく世界のなかをみても、このように日常の行事のなかに「お祓い」があり、埃やケガレを祓い、清々しさを感じる空間が広がっているのは、日本が群を抜いてのことかもしれません。
外国の方が初めて日本に来たとき、成田空港や羽田空港の施設を〝ピカピカ〟と表現するくらいにきれいと言い、掃除が行き届いていることに驚きの声があがっていると聞きます。
空港をあとにして街に出ても、行き交う道のほとんどにごみは落ちておらず、奇跡と思うようなレベルとして映っているようです。
実際には、日本でも上下水道などのインフラが整備されてからのことかもしれませんが、このように気持ちのよい空間を共有し維持がされていることは、素晴しいことだと思います。
私たちはそれを教え込まれるというわけではなく、日常生活のなかで、行事などに触れ、自然と身に付いているところがあるように感じます。
最近よくないニュースを耳にすることが増えるなか、原点に戻って、よいなと思う話をしました。
2024年2月10日号
「卒業式で9年生(中学3年)と別れるのが嫌で、小学1年生が泣くんですよ。この学園の良さが分かりますね」。小中一貫校『まつのやま学園』、我が子4人が通う。放課後、いつもは通学バスですぐに帰宅するが、「道草」して2時間かかることもある。それをサポートするのが
『まつのやま基地』。拠
点は松之山支所前の空き家を活用。オリジナル旗が目印。コロナ禍前の2019年、思いを同じくする仲間たちと立上げ、今春から新たな体制で活動を再スタートする。運営スタッフは同じく子育て中のママさん仲間4人、地域と繋いでくれる世話役が3人。昨年、プレイベントを年間通じて開き、今春からの活動の感触をつかんだ。
「この手作り箒(ほうき)は、ホウキモロコシで作ったんです。地元の箒名人の方と一緒に子どもたちも収穫から作りました。自分で作った箒ですから愛着がわき使いたくなりますよね。家の掃除を自分からやりますよ」。米作りは世話役メンバーが手植えからアドバイスし、稲刈り・ハゼ掛け・脱穀を体験。「自分たちがやりたいことを、出来る人たちとつながり、子どもたちと一緒にやります。今度あれしたいね、次はあれしよう
よ…など次々とやりたいことが湧いてきます」。
親の転勤で県庁所在地を転々と動いたが、「小さい頃から田舎で暮らしたい、その思いはずっとありました」。地域おこし協力隊など地域活動の経験の中で「松之山は人の暮しの繋がりの中に拠り所があります。その繋がりが薄くなりつつあり、ならば誰でも世代を超えて気軽に寄れるコミュニティをと。それがまつのやま基地です。子どもたちは保育園から中学卒業まで少ないながらも一緒に体験を積み重ねています。これは社会に出て行くなかで、大きな強みになるはずです」。
◆バトンタッチします。
「森田れなさん」
2024年2月10日号
先日、5年以上ぶりに高校時代の同級生と土市の松海寿司さんで食事をした後、近くの「音鳴り」さんで二次会、カラオケで大きな声で笑って楽しみました。店内でご一緒させていただいた土市町内の皆さんとの昭和の名曲リレーで若かりし頃のエネルギーを思い出し、元気になりました。ありがとうございます!
美空ひばりさんの名曲・みだれ髪を聴きながら姉がポツリ「美空ひばりほど歌えたらいいのになぁ。でも、プライベートはあまり幸せではなかったんだよね」とつぶやいたので、「人生において良いことと悪いことは同じだけやってきて最後はプラスマイナスゼロになるんだよ」と私が答えると、姉が最後に「でも自分の今はプラスの方が多い気がするな」と言ったので、妹としては良かったなと思った次第です。
誰でも幸せになりたいと思いますよね。そして人生においてプラスが多い方が良いと思うのは当然です。果たして「幸せ」とは?「幸せ」とはどういう状態を指し、その「幸せ」とは、どうしたらやってくるのでしょう? みなさんにとっての「幸せ」とは何ですか?
精神科医の樺沢紫苑さんは、幸せを得るためには順番がある、と言います。まず幸せになる第一歩は「自分の体と心の安定」が保たれていることから始まる、と。自分が平らで穏やかな状態であるということが基本として無ければ、本当の幸せは訪れないという意味です。
そして第二歩は「人間関係の安定」があること。自分だけでなく周囲の状態が平らで穏やかである状態が本当に幸せになるには必要です。そして最後に「金銭的な安定」がある、という順番です。 別の視点から言えば、金銭的な幸せを得たくても、自身の心身の安定と周囲の人間関係の安定が無いところには、金銭的な幸せはやってこないということになります。なかなかシビアな話だなと思います。
次に、私たちの脳の中にある「幸せを感じさせる」物質、という視点で「幸せ」を見てみます。すると、まず幸せになる第一歩に必要なのはセロトニンという物質です。体や心が気持ちいいと感じる時に出る物質で、不足するとうつ状態になります。うつ状態になれば「自分の体と心の安定」から離れてしまいますし、周囲との良い人間関係を構築するのは困難な状態になります。
では充足された場合、第二歩で必要なのはオキシトシンという物質です。赤ちゃんにおっぱいをあげる、恋人と触れ合う、友人とハグする、子どもを抱っこする、などで多く分泌されるため、「人間関係の安定」に重要な物質といえます。そして最後にドーパミンという物質です。目標を達成したり、成功や昇給、褒められたりした時に出る物質で意欲につながります。「金銭的な安定」あるいは言い換えると、自分にとって最終的に到達したいゴール、自分にとっての最終的な「幸せ」につながる物質といえるかもしれません。
この3つの物質のどれかが欠けても幸せを感じることはできないので、「幸せを感じさせる」物質という視点でも、幸せになるための順番というのはあるのかもしれません。
私はよく中学生たちに「幸せは自分の手の中にあるんだよ」と話をします。そしてまずは「自分を大事にするというのを忘れないでね(そこから幸せは始まるよ)」とも話しています。理屈では分かっていても「幸せ」を感じにくいという方は、次回の続きをまた楽しみにしていてください。待ちきれない方はどうぞお気軽に医院までご相談くださいね。
(たかき医院・仲栄美子医師)
2024年2月10日号
大正13(1924)年10月、秋山郷電源開発の象徴ともいえる中津川第一発電所が首都圏に向けて送電を開始して今年で百周年を迎えます。
水力発電所の立地条件には雪解け水を貯える広大な原生林と、何度も発電出来る落差のある地形、まさに苗場山麓ジオパークのエリアが発電の教科書に載っているような適地でした。
苗場山麓ジオパークガイド部会では昨年から発電所工事で開削された軌道跡や船着き場跡などを巡り、今年は運用開始百周年の記念事業として新たな探索コースを考えています。
その中でも町の中心部に近い芦ヶ崎の波止場では、護岸や岸に打ち込まれた係留金具や、岩の上で焼かれた燃えカスが、高熱で溶けガラス状のコーティングによって閉じ込められた焼却跡が見つかりました。中には小さな鉄くずやステンレス製の注射針のようなものが閉じ込められて、百年前のタイムカプセルのようです。
せっかく見つけた痕跡や護岸も大水が出ると流出してしまいます。「苗場山麓の自然に親しむ会」では、一昨年の黒石の波止場の調査に続き、昨年は芦ヶ崎の波止場の現地測量を実施しました。これを機に近代化遺産の保存活動が始まることを期待します。
2024年2月10日号
この現実をどう考えたらいいのか。政治不信、いや政権不信だろう。国政、県政、市町村政、この繋がりの中で我々は政治を信頼し、この国の住人として納税義務を果たしている。だが、これほどの不信感が募ると、その義務感すら怪しくなってしまう。
政権トップが連日繰り返す言葉の羅列を聞くと、その場をしのげばいい、とする感覚が見え見えだ。これほどまでに不信感を与える政治に対し、我々は何ができるか。国政選挙はまだない、国会前でデモる、納税しない…そこまで考えてしまう、それほどの政権不信だ。羅列の言葉の垂れ流しを連日聞かされる現実は、もはや国を司る体をなくしている。
信頼されない政権は、即刻去るべきだが、ことはそう簡単ではない。このままズルズル政権を引きずりながら、来たるべきタイミングを見ているのだろうが、その無為な時間の流れは、さらに信頼感の欠如を助長させ、不信感を増幅させる。時は新年度予算が固まり、国会・県会・市町村議会で審議が始まる時期。
だが、先ずこの不信感を払拭することだ。この醜態では新年度予算が空虚に聞こえ、大切な事業が盛り込まれる予算が、なんとも軽く薄い、まさに軽薄な印象を受けてしまう。
政治と金、この関係性と付随する種々の問題は、過去の政治の歴史が物語るが、少なくとも歴史に残る政治が示すのは、そこに政権の「潔さ」がある。言葉での言い逃れが限界に来れば、政権トップは辞し、政権の大掃除をする。だが、今回の一連の政治がらみの問題に対する政権の姿勢は、これとは真逆で、言い逃れの連続ではないか。これほどの醜態を見せつけられては、もはや信頼関係は失せ、不信感ばかりが募り、この国に暮らす住人の義務さえ、怪しくなる。
事は深刻だ。国政・県政・市町村政の繋がりは大切だ。だが、その信頼感が無ければ、その関係性さえ危うい。
2024年2月10日号
全国トップブランド米『魚沼産コシヒカリ』の生産量50%余を取り扱う「JA魚沼」が今月1日に発足。魚沼エリア4JA(十日町、津南町、北魚沼、越後おぢや)が合併。県内13JAのうち、組合員数は県内3位(3月にJAえちご上越が合併・誕生すると県内4位)となるJA魚沼。本店機能と金融部と共済部は十日町、営農部は北魚沼、機械販売など行う経済部は越後おぢやが拠点となる。新JAの米販売総額は67億円。農産物販売額の4割を占める。
初代経営管理委員会会長を務める柄澤和久氏(68、前JA十日町会長)と実務を取り仕切る代表理事理事長・大平透氏(61、前魚沼地区JA合併協議会事務局長)は25日に発足報告会見を十日町本店で開催。柄澤会長は「十日町のキノコ類、津南の高原野菜、津南と北魚沼のユリなどそれぞれのJAの特徴がある。稲作プラスアルファの複合営農を進める必要がある。それには組織基盤がゆるぎないものにしなければならない組合のため、地域のための農協のあり方を考える」。
2024年2月3日号
JR東日本職員の誤誘導により通行中の列車と乗用車が衝突する死亡事故から13年目となる今月1日、事故現場である津南町寺石の飯山線・大根原踏切に深澤祐二社長や新潟支社・白山弘子支社長、木村法雄常務ら役員7人が現地を来訪。踏切付近にある『安全誓いの碑』に献花し、冥福を祈った。
2024年2月3日号
大寒の翌日、中津川に水が出て、川岸の雪を払って下って行った。本来なら1月の20日ということは まだ春浅く集落の廻り全体が雪に埋もれている時であり、秋山では2月の12日頃が最も寒い時期で、一番荒れると云い伝えられている。
ここ数十年に渡る地球環境の変化によって気候も予測がつかなくなってしまったようだ。
昨年の冬も左程雪が降ったという記憶はない。その代わり暑い春夏秋を過ごした。今年の冬にしたって雪は、降るには降るのだが地球の気温上昇のためか例年のような冬の寒さは少ない。春夏秋冬の四季も変わってしまい暑い時期と寒い時期の二極化で1年が過ぎるのではないかと余計なことを心配してしまう。
樹木にも意志があるというレポートを見た。大木は立っているだけではなく、陽の指す方向に向けて年に1㍉でも移動している。人間と同じで目立ちたがり屋の木もあればおっとりした性格の木もあるのだろう。
師走に飯山の千曲川土手に数本、桜が恥らいながらも咲いていたし、上野の桜も花をつけているのを見た。今年の冬はちょっと違うなと感じていた頃に見た中津川大寒の日の大水だった。
そう云えば昨年は秋山で夏場に水が減って困ったことがあった。その後も水の量は増えていない。作物の生産者にしても、都市で暮らす人間にしても水が無くなることは暮らしに直結することでもある。
能登半島地震で被災した人たちが身を寄せる避難所で、水不足に苦しんでいる映像を見る。そんなことが日本中何処でも起こるのかも知れない。
平凡な暮らしがだんだん難しくなって、当たり前に感じていることが出来なくなるのじゃないだろうか。
地球環境の変化が日々の日常のなかで実感できる現実になって飛び込んで来る。小雪だった冬の付けが夏に押しかけて来ないためにも、やはり冬は寒く、雪が積もり春になって暖かい日差しが雪を融かし、水に変えて流れなければ地球のリズムが狂うことになる。地球環境を今守らなければこれからの私達の先が見えなくなってしまう。
そんな差し迫った状況でもある世界には、長くなりそうな戦争が続き、大国の権威主義的な指導者は同じように自国の正当性を主張し、自国が滅びでもすれば世界が滅んでも構わないと言わんばかりだ。
日本でも政治をつかさどる保守党議員は二世議員ばかり目立つようになって、順々と親がやって来た政治を踏襲するだけのように見える。
環境を心配する農業者や学者達の心配をよそに「な~に冬の餅代、夏の氷代を止める」と言って派閥を解散すれば裏金問題をやり過ごし、当座をしのげると思っているだけなのだろうか? 今この時、世界で起こっている問題は根が深く、こうなればしようがない国民が舵を取るしかない、次の選挙の結果でだ!
樹木に意志があると云うのなら、地球にこそ意志があって80億にも増えた人類が、戦争や開発の名目で勝手に地球を荒らし廻る行為に対して怒っているはずだ。地殻変動やエイズ、コロナなど新種のウイルスで人間に反省を求め、環境を厳しく変えて人類に猛省を促しているようだ。
私が生きて来た時代が問題で、それに加担した責任をどうしたらいいのか分らないのだ。
何となればこれからを生きる現在の文明にさらされていない新しい世代を信じて、もう少し息を詰めて暮らすしかない…。
2024年2月3日号
まさに人から人へのつながりが、いまの『ママのおやつ』を築き上げている。東京・新宿生まれと神奈川・藤沢生まれが広告代理店で出会い、アメリカで1年余り暮し、人と人のつながりから津南町の住人になり、早や26年余の歳月を刻む。仕事関係で出会った農業者などの協力でユリ栽培、コメ作り、野菜栽培など全くの未経験ながら挑む。
そんなある日、夫が言った。「一本足では、ダメになった時、どうしようもない。おまえ、お菓子作りが好きだろう」、このひと言から全てが動き出した。
ちょうど6次産業化による事業起しが全国的に始まる頃。「お菓子作りが好きだったと言っても、我が子たちの誕生ケーキを作るような家で作る程度。できる? まあ、なんとかなるかなぁ」。このポジティブさが次々と人から人につながり、「日本の洋菓子界を作り上げてきたお師匠様との出会い」が契機となり、自己研鑽を積み上げ、その師匠からは今も指導、アドバイスを受けている。
師匠からは基本から叩き込まれ、何度も壁にぶち当たりながらも、友だちや仲間たちの声掛けや笑顔に支えられ、今がある。師匠の『厳しくも優しい言葉』をいつも胸に秘める。『こんな田舎だけど、時代の最先端なものがあっていい。常にお客様と向き合い、一番良いものを作る、これだよ』。
地元産米の米粉、地元農業者の新潟地鶏の卵、ニンジン、アスパラ、カボチャ、サツマイモなど素材を積極使用している。毎月の先生来訪の日は「ドキドキ、ワクワクの時間です」。
ポジティブ満開の笑顔が、今日も出迎えてくれる。「今年9月で10年になるんですよ。ほんと、あっという間、信じられないですね」。
◆バトンタッチします。
「佐藤美保子さん」
2024年2月3日号