「地域の伝統を守り、つなぐ」

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雲野 誠さん(1981年生まれ)

 小さな頃から身近に家づくり職人がいて、その技を間近で見ていた。「いつか自分も大工になりたい、ずっと思っていました」。十日町市八箇に生まれ、祖父は大工職人。鋸(のこぎり)や鉋(かんな)
鑿(のみ)で
木を切り、
木を刻む姿を、憧れの眼差しで見ていた。「おじいちゃんのような職人になりたいと、その道に進みました」。
 八海高校体育科を卒業後、迷いなく大工の道へ。津南町の工務店に勤務。「まさに職人気質の現場でした。憧れと現実は違いました」。3年間頑張って働き転職。建築や土木関連の塗装会社へ。「手に職をつけたいし、何かを創り上げる仕事に携わりたかったんです」。十日町市の新装へ。
 塗装は見た目と共に保護や保存効果が高い。屋根や壁など住宅全般から野外の公共物など幅広い。「形も大きさも色も全て違います。それだけに奥が深く技術的な難しさもあり、日々学びでした。特に色の配合は、求められた色がぴったり合った時は本当に嬉しいですね」。
 どんな職も、その道のプロからは学ぶことが多く、人としてのあり方も学んだ。「厳しく、優しく教えていただき、それが今の自分につながっています」。19年間、地道に実績を積んだ。先輩から「そろそろ自分の力を試してみたらどうだ」と進言を受け、40歳で独立を決意。『雲野塗装』を立ち上げた。妻・美恵さんの後押しも大きかった。
 「事務を妻が担当してくれ、新装さんからのご支援も受けやっています」。誠実な仕事ぶりが人から人へとつながりを生み、市内外から声がかかる。「やりがいと不安の両方がありますが、いい仕事がしたい、これだけです。お客さんが喜んでくれる顔が私のやりがいです」。

 祖父の職人ぶりを間近で見て育ったが、それに通じる地域の伝統活動、『八箇太鼓』に八箇小学校時代、6年間みっちり取り組んだ。卒業後、ご無沙汰していたが26歳の時、母校の閉校を聞く。同時に「小学校が無くなると地域との関わりが途絶えてしまう。なんとか八箇太鼓を復活させてくれないか、と頼まれたんです」。
 すぐに当時の仲間たちと動き、2007年にメンバー10人余で『八箇太鼓』を復活。その年、世界で活躍する太鼓集団『鼓童』公演を見て、さらに刺激を受けた。
 「よしっ、やろうぜ、やろう…だったんですが…」、始めると「温度差を感じたんです」。3年が過ぎた時、「十日町大太鼓の『雪花会』から、生誕地祭りの助っ人に来ないか、と声を掛けられました」。3㍍の大太鼓。本町メインストリートを叩きながら練り歩く生誕地祭りの大太鼓だ。これまでにない高揚感を体感、魅了された。
 コロナ禍で活動自粛が続き、昨年4年半ぶりに再開。「私からそろそろ始めませんかって声を掛けたんです。そしたら、そのまま代表になってしまいました」。『雪花会』代表として活動する。メンバーの異動もあったが、いま子どもたちも含め16人で活動している。

 先輩から受け継いだ伝統を次代へ伝える責務を感じている。「曲、動き、一つ一つ細かい所の習得には苦労しますが、太鼓の音が合い、仲間との思いが一つになった時は最高ですし、演奏への声援や拍手は最高の励みですね。これまで頂いたご恩に、今度は我々が恩返しです。太鼓で地域を元気に盛り上げたいですね」。

▼バトンタッチします
 佐藤弘祐さん

続きは本誌2024年11月9日号を御覧ください