飯塚 隆行さん(1963年生まれ)
創業61年、市街地の本町通りに店舗を構える『飯塚テレビ電化』。創業者の父からバトンを受け早や37年。「地域の方々から利用していただき、人から人へと口コミで紹介してもらい、本当にありがたいです」。商店街の『便利な電気屋』。家電販売から電気工事など様々な業務をこなす。
市内田川町生まれ。元気印を絵に描いたような子どもだった。「小学校の時、バク転、バク中がしたくて、何度も何度も友だちと練習したんですよ。でもね、結局できなかったんだけどね」。
十中時代にギターと出会う。「従兄が弾いていて、かっこよくてねぇ」。親にねだりエレキギターを求め練習に打ち込んだ。「好きなのは洋楽だったな。ロックの激しい演奏のなかで、サビになると、メロディアスになる曲調が、ビビッと心に響いて…」。
高校ではバンドを組む。5人編成で、あのロックバンド・KⅠSSに憧れ、バンド名『KASS(かす)』を結成。だが、「音楽性の違いでメンバーが入れ替わり、『紗羅々(しゃらら)』に改名し、文化祭や雪まつりの音楽会などに出た。人前で演奏するのは気持ちよかったなぁ」。
高卒後の進路は、長男でもあり「家業を継ごう」と決め、首都圏の専門学校へ。一度は東京生活を経験しようというのもあった。進んだ日本工学院。「電気屋のせがればかりで、話も合って楽しい2年間でしたね」。
卒業後は長岡市の電気店に修行を兼ねて就職。「あの頃は夜の訪問セールス活動もあって大変でしたが、いい勉強になりましたね」。日常業務のほか営業活動で、社会の厳しさを体感。「適度に、いい意味で力を抜きながら、という感覚の大切さを学びました」。
社会経験を3年積み、「飯塚テレビ電化」に入る。両親と3人での経営となり、店の代表として切り盛りした。営業の心得を知る契機になる出会いがあった。
いまはパナソニック傘下に入る三洋電機の紹介で「五洋電器グループ」に所属。東京本社研修などで経営の厳しさと営業のポイント、経営理念を学んだ。「なにか頼まれたら、先ず『はい分かりました』、ここから全てが始まります」。「頼まれたら先ず受け止める。そうしないと信用は得られない。自分の考えや感じ方ではなく、お客様の立場で考え、対応する。さらに日頃からのコミュニケーションが大切」などなど。まさに、「目からウロコでした。当たり前ですが約束は必ず守ることなど、厳しさの中に、多くの学びがあり、それは今でも生きていますね」。
学びは、いまの店舗経営にすべてつながっている。『些細なこと、細かい仕事ほど、その積み重ねがとても大切。その積み重ねが大きな仕事につながる』。この言葉は今もしっかり胸に刻んでいる。「誰かも言っていましたが、小さなことからコツコツと。お客様との関りを大切に取り組んでいます。お客様がさらに人から人へと声掛けをしていただいています。本当にありがたいことです」。
時には本業以外でも、保育園や小学校など行事のビデオ撮影を頼まれることも。「頼まれたことや、自分で出来ることはなんでも受けています」。
頼もしきパートナー、聰子さんと出会い32年目。2人の息子たちは自分の道を歩んでいる。夫婦で切り盛りする飯塚テレビ電化。「91歳の父も現役ですが、力仕事でもあるので困った時は知り合いの電気工事店さんや高校の同級生に協力してもらっています」。
事業承継を視野に一昨年法人化。「後継ぎが居ないので、誰か継いでくれればなと思います。ぜひ、気軽に声を掛けてください」。
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古田島雅さん