先日意を決して魚野川の水門の遺構を調査しました。
水門は完成した当時は9本の柱が上部で連結し洪水で水嵩が増した時の捌け口だったようですが、現在は右半分ほど残り、あとは土砂崩の中に埋まっていいます。
石柱は割石にセメントを充填したつくりで2本の溝が切られています。溝には厚い板を2重に落とし込む方式で柱の両側に刻まれています。
現場はガレ場で大変危険な所です。また河川敷以外は私有地で立ち入ことは出来ません。
続く。次回は水門の裏にある不気味な…。
写真:100年前の水門(東京電力ホールディングス株式会社電気の史料館より借用)