岡村さやかさん(1968年生まれ)
昆布巻き、煮豆…伝統の郷土食を受け継いでいる。「お料理するお母さんの横で、見て味わって習ってきました。私の得意分野も取り入れ、品揃えが増えています」。義母・ヨキさんは1931生まれながら、手作り品を次々と生み出し、お店に並べ、次代につないでいる。「クリスマスには自家製タレに漬け、ローストしたチキンを毎年40本ほど用意し、お客様に喜んでもらっています」。
東京世田谷生まれ。手細工が好きな子だった。「バック作りとかお料理とか、何かしら手を動かして作るのが好きでした」。世田谷・東横学園卒後、服飾関連の『エス モードジャポン東京校』に進学。「父方の母、祖母は和装助士でした。その影響が大きいかもしれません」。
服飾のパターンやデザインを総合的に学び、日々の課題に取り組む。「スタイル画やデザインを描き、縫物は持ち帰り、気が付くとスズメが鳴き始めて朝だっーって。大変だ
ったけど楽しかったですね」。
卒業後はアパレルメーカー・NICOLEに専門職・パタンナーアシスタントで入社、21歳だった。「1枚の布に服の型紙をパズルみたいにはめて印刷していく仕事で、ペアでの業務でしたが次第に息があって楽しかったですよ」。印刷の生地を裁断しボディーにピンを止め洋服に仕立てるよう調整していく。「生地を合わせるために多くのピンを使うので、ボディーの下はピンだらけで、後の片付けが大変でした」と笑う。
上司のパタンナーの紹介でスタイリスト・アシスタントに転職。その頃、専門学校時代から付き合っていた十日町市出身の亨さんと結婚、25歳。「アシスタントは体力勝負でしたね、ショップにプレス用の洋服を取りに行って、また返して、コレクション前は泊まりで仕事して、まるで合宿みたいで楽しかったなぁ」。
33歳の時、長女出産。「娘が7ヵ月の時でした。自然の中で子育てしたいと夫が話し、私もそう思い、十日町に来ました」。
時々来訪していた十日町、「移り住んだのは11月でした。雪が降る前で、雪国生活は初めてでしたが、子どもと雪遊びしながら冬を乗り越えましたね」。
春を迎え、出会いがあった。「娘と散歩していたら、同じくらいの子を抱っこしている方と会い、話すと同じ11月に長岡から引っ越してきた方で、近所に住んでいると知りました」。ママ友同士、話題には事欠かない。「もう子どもたちは成人しましたが、その方とは今も仲良くしてもらっています」。
長男出産後、夫の実家の商店の手伝いを始める。お客さん対応では方言に困ったことも。「お母さんや地域の人が教えてくれました。着物も十日町に住まなかったら着る機会はなかったかも、ですね」。娘の入学式に着物をと相談すると、多くの人が世話してくれた。「着付は出会ったママ友のお母さんでしたが、本当に地域の皆さんが優しくて、支えて頂きながらここまで来ています」。
服飾の経験から洋服直し『GOOD REPAIRS(グッド リペアーズ)』を始め、口コミで広がっている。「直し技術をもっと深めたいです。主人やお客様が色々なアイディアを出してくれるので、意見を参考にしながら取り組んでいます。人と人のつながりが幸せを運んでくれていると感じ、本当にありがたいです」。
▼バトンタッチします
太田留美さん