「生きるとは…」、支えます

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寒河江 健さん(1986年生まれ)

 「自分は何をしたいのか…、生きるとは…」、その自問自答から見出し、進んだ思想や哲学、心理学の分野。学んだ同志社大神学部で出会い、クリスチャンに。
「保育園も幼稚園もキリスト教の教えから始まりました」。昨年4月、日本基督教団・十日町教会に赴任し、牧師と共に併設の十日町幼児園園長を務める。人の誕生から人の最期まで向き合う。「両親も親戚にもクリスチャンはいなかったんです。これも巡り合わせですね」。

 宮城・仙台市生まれ。高卒後の予備校時代の講師の言葉で考えた。『勉強のモチベーションを1年間維持するには、自分が何をしたいか、どうなりたいのか、それをしっかり考えることが大切』。このアドバイスが心に響いた。  
 「目標を2つ持ちました。実学ではなく思想や哲学、心理学を学び、国際的に活動したいと」。進んだのは京都の同志社大神学部。決め手は大学紹介資料の言葉だった。『世界では宗教を信じる人は多いが、日本は無神論の人が多い。グローバル化していく世の中で、国際的に活躍したいなら宗教的素養や知識は不可欠で、神学部は専門的に学ぶことが出来る』。

 頭では分かっていたが、その光景を目にして「宗教」を体感。入学式早々、神学部だけ始業礼拝。「初めての教会、礼拝の独特な雰囲気、讃美歌や主の祈りを皆が一斉に唱えだした時、わぁー宗教だーっ、これから大学生活どうしよう…。実は本気で後悔したんです。今では笑い話ですが」。
 講義が進むなかで、若く親しみを感じていた講師の授業。「キリスト教と社会福祉の講義で、保育園も幼稚園もキリスト教の教えから始まったなど歴史を学び、興味が増してきたんです」。だが、その講師が突然死去。「人を救い、支える宗教」に疑問を抱く出来事だった。

 転機は大学3年の時。「リーマンショックで一気に就職氷河期に。一般企業に就職をと活動しましたが全く決まらなくて」。
 再び自分と向き合う時間に。「生きるとは…、長い歴史の中で考えてきたのが宗教と思った時、私には教会がある、その時からです」。大学4年の夏、毎週日曜礼拝に教会へ通った。
 礼拝説教の言葉がストンと胸に入った。『日本では年間2万人余の人が自死している。人生は思い通りにいかないことが多いが、思い通りにいかない人生の中で、神に支えられ、それぞれが人生を全うした証拠が聖書には書かれている』、さらに『私たちが聖書を読み、聖書を信じるのは、必ずしも思い通りにいかない人生で、困難を生き抜く力をいただくためではないか』。その年のクリスマスの日、洗礼を受けクリスチャンに。

 その後、同志社大大学院へ。教会に住み込みで働く。教会には幼児から高齢者まで多くが集まる。「人の誕生から最期まで関わることってすごいと、牧師になる決意をしました」。
 千葉教会では牧師助手の伝道師。その頃、大学時代に出会った妻と結婚。3年後、牧師として愛知・豊田教会、千葉・四街道教会など赴任。教会礼拝に訪れる人の人生と共に歩む。「結婚や出産など、皆さんが人生を歩む姿と共に私があり、共に喜びを感じます。人生の最期を向える家族と共に悲しみがあり、少し手助けができれば私の存在の意味があるのかなと思っています」。昨年4月十日町教会へ。1歳の娘と小3の息子、妻の4人で移住。

 十日町教会赴任の橋渡しは前々任の新井純園長からの声掛け。「家族で雪堀キャンプに来たことがあり、雰囲気の良さと保育園がある教会でしたから、ここだと決めました」。  
 山登りが趣味。「自然豊かで美しく、子どもが大きくなったら一緒に山登りがしたいですね」。親しみある教会をと、分かりやすい言葉掛けを心がけている。人の一生に間近で向き合う日々。十日町幼児園は「子ども第一ですね。その良さを強みに伸ばしていきたいです」。

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  大津富士夫さん