太田留美さん(1984年生まれ)
東京丸の内のイタリアン店での経験が、今につながっている。朝4時の始発から、終電11時過ぎまでシフト制ながらの勤務。20歳での
経験は、質的にも量的にも、すべて自分の糧になっている。
両親が経営する『きっちん愚留米』(市内田中町)。「赤ちゃんの頃から店内にベビ
ーカーを置いて過ごしていたようです。常連さんに見守ってもらい、育てていただきました」。マスターの父・廣田正男さん、母・清さんのお店、創業42年。「自分の年齢より歴史があります。幼稚園の頃に腕まくりして、見よう見まねで皿洗いの手伝いをしようと、いつも親の側にいましたね」。
高校進学を目前の十日町中学3年の時、英語に興味が向き担任に相談。「外国語をメインにしている学校があるよと紹介していただきました」。外国人教諭が揃った新潟市のアメリカンハイスクールへ進学。「授業はすべて英語。大変でしたが、覚える楽しさがありました」。だが、その高校は日本の高校卒業資格が取れないことが分かり、地元に戻り大学検定受験資格(高卒資格)に挑み取得。その間、両親手伝いをしながら受験勉強に励んだ。
この手伝いを通じて新たな思いが芽生えた。「人と交わる接客業っていいなぁって。その関心がどんどん増して、他のお店でも経験を積んでみたいと父と相談しました」。
20歳の時。東京丸の内のイタリアン店に就職。モーニングからディナーまでシフト制で対応。早朝の始発で出勤、夜は終電に駆け込む日々。「忙しかったですが、接客や料理など毎日がすべて勉強でしたね」。
ここでの4年間の経験は、専門店だけにワインやチーズへの知見を多く蓄積できた。「プライベートではとても飲めないような高級ワインやそれ合うチーズなど、専門分野を体験を通じて知ることができ、自分の大きな経験値になっています」。
充実した日々を送っているなか、母が手首の手根管症候群で使えない状態になったと連絡が来た。「これもタイミングでした。帰ろうと決めました」。24歳になった時だった。経験を積み、ちょっと成長した自分を感じつつ、再び『愚留米』で働き始める。
「お客様一人ひとりに配慮を出来るような接客対応を学び、その方個人をどこまで知り、対応できるか、考えるようになりました」。丸の内での経験で「人を見る力が少しできたかな、ですね。『この前食べたカレーの辛さ、なんだっけね』などと聞かれて、この前はこれ食べましたよーなんて、即答できれば、お客様との関係性が増し、喜ばれて、私も嬉しいです」。
両親と働く日々の中で、出会いが待っていた。「地元にいる小学生時代の同級生4人と、遊んだり飲み会をしていました。そのひとりです」。夫・隆史さんと出会い、2010年に結婚。小学1年から中学1年の3人の子たちもお店で育った。「お店の経営と子育て、大変でしたが、自分の時と同じように、常連さんや周りの人たちに支えていただいています」。
経験を積む中で経営や調理のライセンスの必要性を感じた。「食品衛生管理士を取り、父から料理を学び、調理師資格も取得しました」。資格の受験勉強は長女を懐妊しながら。「つわりで大変でしたが、もう、やるしかない、でしたね」。父をサポートするまでになり、いまでは「きっちん愚留米」の顔。メニューから経営まで担当している。
「父や母といつまで一緒に仕事ができるか分かりませんが、毎日が学びです。まだまだ両親に頼っていますから」。
▼バトンタッチします。
寒河江健さん