「自分だったらと、患者の立場に立ち」

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山本 陽向子さん(2001年生まれ)

 小さい頃、『かんごしさんになりたいです』と願い事を七夕の短冊に書き、毎年竹に飾っていた。その思いをずっと抱き続け、いまその職にある。 厚生連・柏崎総合医療センターの内科病棟の看護師として日々、病と向き合う患者に寄り添っている。「まだまだ知識、経験、技術が足りていません」。
看護師として医療現場に立って3年、率直な思いだが、常に前を向いている。
 看護師で助産師も務めた母の姿を、幼少期に「かっこいい」と見つめ、そのまま憧れの対象となり、小学・中学と具体的な目標になり、高校では「この道しかない」と看護学校への進学を早くから決めていた。
 「夜勤の時には母は夜いませんでしたし、大晦日でも仕事に出かけ、災害など発生するとすぐに駆けつけました。そんな日々の母の姿がかっこよかったんです。私がケガをしてもすぐに手当してくれ、かっこよさと共に頼もしく感じました」。
 さらに4歳違いの姉も看護師。自分が進む道の先を、母と姉が前を歩んでおり、その姿が明確な目標として常にあった。いま勤務する医療機関はそれぞれ違うが、共通の看護師として、母と娘という固い絆以上の連帯感でつながっている。
 「母と姉、私の3人だけで旅行に行ったりします。父と兄は留守番です。旅先では仕事の話ばかりです。職場ではなかなか話せない事も、母と姉には気軽に話せて、私のリセットにもなっています」。現在の内科病棟では消化器内科・腎臓内科・血液内科の入院患者を担当。夜勤を含め、1ヵ月単位の勤務ローテーションが組まれている。 
 「自分だったら、自分の家族だったらと思って、いつも患者さんと向き合っています。どうしてほしいのか、退院後、家で過ごす時の事なども考えて、いつも接しています」。
 
 辛い経験も多くしている。「人が亡くなる場面に初めて立ち会った時や、長い入院の中で亡くなってしまった時など、考えてしまうこともあります。先輩や母や姉と話すことで切り替えています。いまは仕事と家に帰った時などオン・オフのスイッチを切り替えています」。
 病で困っている人の一番身近に居る存在でもある看護師。感謝の言葉は大きなエネルギー源になっている。「ありがとうという言葉を頂くと、看護師をしていて良かったと思います。入退院を繰り返す方が『今度も山本さんで良かった』と言っていただくと嬉しくなります。退院される時は、良かったと思うと同時に、家で大丈夫だろうかなどと心配な面もあります。もっともっと経験を積んでいきたいです」。
 この先も見ている。いまの病棟の看護師婦長はガン医療の専門看護師でもあり、見習いたい先輩看護師でもある。さらに各種医療機器を扱う臨床工学技士への道も視野に入れている。「日々の経験を通じて、自分がさらに関心を持て、興味が深まるものを、医療看護の経験を積みながら見つけていきたいです」。

 命と向き合う日々。「ためない」ようにしている。海を見ながら、「ボーとするのが好きなんです」。海が近い柏崎、時々海を見に行く。
 
▼バトンタッチします。
 黒島有彩さん