「音楽の力、助けられています」

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酒井 彩音さん(1996年生まれ)

 『社会に出て、孤独を感じたり、つまずいた時、近くの楽団に足を運んでみなさい。楽器があれば、どこにいても、つながることができるから』。 
六日町高校3年の時、吹奏楽部の外部講師で指導してくれた魚沼吹奏楽団の指揮者の人が、卒業の時、送り出してくれた言葉だ。「いま、この言葉を実感しています」。

 吹奏楽との出会いは十日町中学入学の時。小学時代に音楽部でクラリネットを演奏していた友だちが、中学で同じ吹奏楽部に入り、「私もクラリネットを…」と同じ楽器を選んだ。当時の部員は50人ほどの大所帯。この年に赴任してきた指導の音楽教諭は厳しかった。
 「とにかく怖かったです。ですから余計なことなど考えず、私たちにとっては恐怖の対象ですから、みんなで団結して頑張ろうと、部活、部活の毎日でした」。そのチームワークが奏功し3年の時、十中は県大会を勝ち抜き、5年ぶりの西関東大会に出場。だが、この県大会では忘れられない思い出がある。
 練習では一度もしたことがないタイプのミスをした。「曲の最初の方でクラリネットパートだけの部分があり、私は音を外してしまいました。明らかに分かるミスです。でもその後、メンバーみんなが何もなかったかのように、普段通りの良い演奏をしてくれました。いまもその時のことは鮮明に覚えています」。練習を通じても初めての痛恨のミスだった。だが結果は西関東出場。「ほんとに忘れられない、あの日、あの時です」。

 高校進学。ここでも出会いが待っていた。進学先を考えていた中3の5月の連休。六日町高校吹奏楽部の定期演奏会があった。聴きに行くと、そこに十中時代の吹奏楽部の先輩の姿が。真っ白なブレザーに蝶ネクタイ姿で、ユーフォニュームを奏でていた。「なんて、かっこいいんだ」、進学先を決める大きな出会いだった。その年の秋には六高・吹奏楽部のクラリネットパートがアンサンブルコンテストで西関東大会出場を決め、「六高」に進学先を決めた。
 「六高に入って、山を越えるとなにかが違う、そんな雰囲気を感じる時もありました」。だが、あの先輩の姿を追いかけ、すぐに吹奏楽部に入る。新たな環境での高校生活は、学業と部活の両立を迫られた。 
 1年の時、練習のし過ぎで腕に炎症を起し、1ヵ月ほど休部。「やめようかとも思いましたが、仲間に救われました」。休部中に県大会があり親が聴きに連れて行ってくれた。その日の夜、部活の友だちから『明日の部活に来なよ』と一本のメール。翌日部活に行くと、いつものように迎え入れてくれ、その1ヵ月後には、西関東大会に仲間たちと出場した。
 転機はさらに来た。2年の冬。メンタル的に「もうやめよう」と思い詰めた時、自分の中で声が聞こえた。『仲間や顧問が悲しむだろうな。辞めたらきっと後悔するだろうなぁ』。いや、人のためにしているんじゃない、自分はどうなんだ? もう一人の自分の声が。『好きでいいんだ、やっぱり好きなんだ』。クラリネットへの自分の素直な気持ちに気がついた。

 20歳の時、十日町市民吹奏楽団に正式入団。高校3年の時から市吹から声がかかり演奏会には参加していた。当時クラリネットは1人、いまでは9人まで増えている。「クラリネットは木管ですから、あったかい、丸い音です。音域が広く、伴奏もメロディーもできます。曲によっていろいろな役割を見せる楽器で、とても奥深いです。自分はクラリネットが好きなんだと、改めて最近感じています」。
 六高の外部講師の言葉が、最近、実感としてよみがえる。「本当にそうだなぁと思います。音楽の力でしょうか、助けられています」。

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 早川紅音さん