『建築は芸術』、たまたまの出会い

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神内 隆伍さん(2000年生まれ)

 環境問題を議論した国際会議の場で、「京都議定書締結」会場として世界に知られる国立京都国際会館。その建物の造形が気になりだしたのは高校時代。「あの建物の前に周囲1・5㌔もある大きな池があります。国際会館とその池、あの風景は自然の中に巨大な人工物があるという異物感があると思いますが、私はあの建物と池があるから、あの風景の雰囲気があると感じています」。でも、と続ける。「高校時代は、なんとなく気になる建物であり、風景でした。こうして言語化できるようになったのは、大学に行ってからですね」。国際会館も、あの池「宝ヶ池」も、『たまたま』家の近くにあった。
 『建築は芸術』。
この視点のままに多摩美術大に進み、環境デザイン学科で建築を専攻。一般的な住宅も「芸術」として見ると、暮らしまで見えてくる。学生時代、東北以外のほぼ全国を巡り、行く先々で「建築」を見た。在学中の作品制作は、自分のルーツや育ちを振り返る契機にもなり、その中から出てきたのが卒論テーマ『自然と人間』。卒業設計ではテーマを具現化した図面と模型を製作。その理念は「『人間』以後の自然/人の関係性」ー自然との一体化をめざしてー。この論点が卒業後、迷いなく『米づくり』へとつながった。
 十日町行きも「たまたま」だった。米づくり、協力隊、このキーワードで検索すると「十日町市」が出てきた。「大地の芸術祭は知っていましたから、先ずは行ってみるか、でした」。入った地域は「北山地区」。田野倉、仙納、莇平の3集落を担当。1年目から思い描いた米づくりが実現。「田んぼ4枚で2畝(2㌃)を、最初の年は耕運しないで、そのまま手で苗を植えました。地元の人たちがとっても温かく迎えてくれ、米づくりも教えて頂き、2年目には少しコツをつかみましたが一朝一夕にはいかないことが、実感として分かりました」。
 だが、苦しい・疲れる・大変の農作業から、「そういう行為からしか得られない快楽が得られた、これはこの作業をしない限り分からなかったことでした」。『建築は芸術』に通じる感覚でもあり、米づくりを「ライフワーク」とするつもりだ。それも、無心で土と向き合う、その行為でなければ得ることができない『快楽』を求めて。
 3月末で地域おこし協力隊を退任。「建築は芸術」に通じる家づくり、こだわり設計の津南町の工務店「大平木工」で5月から働く。「近代以前の建築は、大工さんが自分で設計し家を建てていましたが、最近は設計と建築が分業化されてしまいました。近代以前の建築のあり方に関心があり、先ずは現場から入ります」。

 美大で抱いた「建築は芸術」。その方向性に向かう自分がいる。「これも、たまたま、その方向に向かい始めている、ですね。これからも、たまたま、に出会うことを楽しみにしたいです」。
 協力隊で暮らした田野倉。ここでも「たまたま」の出会いがあり、築後150年余の古民家を譲り受けることになった。地域の「旦那様」の家で、長らく空き家だった。「どう手を入れようかという設計は出来ています。自分でリノベーションしていきます。まさか24歳で家と土地を持つとは思ってなかったですね。これも、たまたまの出会いでしょうか」。
 取材の3日前、突然友だちが家に来て『髪、染めたら』と染め始め、人生初の「ゴールド髪」に。「有無を言わせず、いきなり髪染めが始まったんです」。取材が終わり、「この後、このまま東北の旅に出ます。ノープラン、5月までに帰るつもりです」。
 きっと、旅の先々で新たな「たまたま」が待っているのだろう。
◆バトンタッチします。
 「高木良輔さん」