『自分の興味エネルギーのままに』

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廣田 伸子さん(1983年生まれ)

 16歳の時、北海道・紋別でファームスティで牧場で働いた。夕食会の時、その言葉と出会った。『自分の興味に素直になったほうがいいよ』。牧場経営者の友だちも一緒の食事会で、その人はNHKを退職し、夫婦で紋別で暮らしていた。中学を出たばかりの16歳には、興味深い話ばかりだった。小学卒業後、親に長文の手紙を書いて願った埼玉の「自由の森学園」に入り、卒業後、東京の劇団やタイへのバックパックの旅などを話すと、その人は『自分の興味に…』と話した。「そういうことなのか…」と、ストンと胸に落ちる言葉だった。
 十日町生まれ。
17歳の時には沖縄の高校に通い、沖縄の歴史、習俗や文化に触れ、民俗の研究者になろうとひらめく。「ちょっと違う角度で見ると、こんなにも違う世界があるんだと。それを見つけ出すことをしたい」と文化人類学をめざし、高校の英語教諭の橋渡しでネパールへ。フィールドワークがある現地の大学に入り、村々を回った。
 大学3年間でネパール語を習得、卒業後に一端帰国するが、海外協力隊に応募するとネパール担当にすぐ決まり、2年間の活動後、JICA(ジャイカ)に就職。日本のNGOと現地NGOをつなぐコーディネイト役を担いカトマンズに3年間駐在。「山が最高にきれいでしたね」。現地ではセーブ・ザ・チルドレンなど両国での9件のプロジェクトに取り組んだ。
 探求はさらに続く。日本財団の奨学生に受かり、フィリピンとコスタリカの国連大学で国際政治学や持続可能経済開発学を学ぶ。「キャリアアップをめざしたんですが、それ以上に人と接するのが好きで、現地の人たちとの出会いや交流が最高でした」。
 自分を突き動かすエネルギーのままに国外での活動を続けるなかで、ふと感じた。「キャリアを積んでいくと、そのキャリアに引っ張られてしまう。本当にやりたいことから外れていくような感じがしたんです」。違う何かへの興味が湧いてくるのを感じた。北海道で出会った、あの言葉がよみがえった。
 十日町に帰った時、ち
ょうど大地の芸術祭開催の年だった。実家の農家民宿を手伝う中で、「自分でプロジェクトを立ち上げるのも楽しそうだな」、さらに「自分で好きなようにしてみたい」。 清津峡入口の小出集落に空き家を見つけた。「人から人につながり、この家のリノベーションには本当に様々な人たちが関わってくれ、皆さんほぼ手弁当でした。亡くなっちゃいましたが、棟梁・樋口武さんも病気を推して最後まで『こだわり』で作り続け、この家の随所に見られますよ」。
 『Tani House Itaya』(谷ハウスいたや)。清津峡渓谷の谷、その清流、清津川の脇に立つ。屋根裏まで吹き抜け、黒光りする階段を登ると中二階の廊下から囲炉裏がある居間が見下ろせる。歴史を感じる太い梁に漆喰壁、「ずっと居たくなる空間」がそこにある。
 「昨年の夏、オランダからの家族が1ヵ月滞在し、台湾の家族も1週間居ました。国内からも家族が来て、ここの自然を楽しんでいます」。宿泊は『1棟貸し』。まるごと家を借りられ、我が家のようにリラックスして過ごせる魅力は大きい。
 13歳で家を離れ、自分の興味エネルギーのままに動いてきた。「ふりきった、かなぁ、ですね」。10代からの歩みは相当な振れ幅の時間。まだ振れは続いているようだ。「来年は、ここに居ないかもしれませんねぇ」、冗談の笑顔は、まだエネルギーでいっぱいだ。
◆バトンタッチします。
 「神内隆伍さん」