あの時の恩を、今

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石沢 陽一さん(1978年生まれ)

 『フランスに行くか、娘を選ぶか』。この言葉が人生のターニングポイントになった。
 高卒後、好きな音楽をめざしギターの専門学校に上京しその後は、ブランド商品を扱う会社に入り、バイヤーを担当。その会社で上司に言われたのが『フランスで一緒に仕事をしないか』。だが、その時付き合っていた女性が居た。思い切って父親に会うと、言われたのが、あの言葉だ。
 返事は、「結婚します」。生まれ、育ててくれた十日町市に戻り、所帯を持つと共に、魚沼木材協同組合に入り、建築業を下支えしている。

 全く未知の業界の建築業。若い自分にとって何も分からない業界なだけに、がむしゃらになれた。早や20数年、建築業界に身を置きながら、厳しい現実と向き合う日々だ。
 「職人不足」、
「なり手不足」…人の暮らしを支える根源的な業種・職人が激減している現実を目の当たりにしている。魚沼木材協同組合は製材業者が共同で丸太を購入する為に設立。しかし時代の流れで今では工務店が9割を占める事業体。初心者にとって大工職人との付き合いは、なかなか厳しいものだった。
 『なにやってらんだ、こんな事もしらねぇんか、出直して来い』…など、職人気質がむき出しの業界だが、そのぶっきらぼうの中に、いつも「愛情」を感じていた。『いいか、分からなければ、聞くことだ。そうすれば教えてやら』。その言葉の通り、何度も何度も聞くと、ていねいに教えてくれ、それが自分の自信・知識につながった。商品の配達から営業まで担当するようになり、少しずつ信頼関係が出来ていった。
 家づくりも時代と共に変わって来た。だが、「一人ひとりの思いは違っていても、家づくりという事は同じです。でも、その家は一つとして同じものはありません。職人の皆さんは、そこをとても大事にしています」。人口減少で家づくりは減少し、中魚沼地域では25年前に比べ新築着工棟数は4分の1まで落ち込んでいる。「家づくりから、新たな需要を掘り起こす取り組みが必要になっています」。

 役員になり、組合加盟60社余りを回る。各社の事情は様々だが、共通する一つが職人不足。「若い人たちは建築という仕事には関心がありますが、年間通じての安定性や福利厚生の部分を先ず考えるようで、雇用体制が課題です」。
 5月から11月が建築ラッシュ。大工職人は時には昼夜なく働く。だが冬季は「休業状態」。出稼ぎや冬季解雇、スキー場で働く人も。苦い経験もある。「入組2年目の冬でした。大工さんの工場へ行くと車の塗装をしてました。『おい石、どっかに仕事ねぇーか、大工してぇーよ』と言われたんですが、自分には何もできない、それが悔しかったですね」。だがその時思った。「いつか必ずお世話になった恩を返したい」と。
 伝統業である建築をなんとかしたい思いは人一倍強い。「新築やリフォームのほかに、他の形でこの伝統業、大工職人の技を使った仕事が作れないかと考えています。特に冬場の空く時間で出来る事が無いかとアイデアを出し合い、伝統ある建築業をもっと元気にしたいと今は動いています」。それは市外、県外、国外へも視野を広げている。「先ずはチャレンジです。何事も挑戦しなければ始まらないですから」。

 次代を担う子どもたちから建築に目を向ける場を創り出している。木工教室、まちの産業発見塾、建前体験などの各催事に出店しPR。「小さい時のモノ創り体験の喜びは、大きくなった時に記憶がよみがえり、将来の仕事の選択肢になってもらえれば嬉しい。大工職人の技術の素晴らしさ、その魅力を多くの人からもっと知ってもらいたいですね」。
 地震など災害による住宅被害は年々増している。「頼りになるのは身近な大工さんですよ。職人不足は地域の防災にもつながります。この伝統業、大工職人を後世につなげる取り組み、皆さんで取り組みませんか」。
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 斉木宏幸さん