ベンガラの効能
長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)
秋山郷に来て30年近くが過ぎた。春と秋の二度ここでカメムシにいじめられ続けていた。伊勢湾台風後に、防風用に植えられ大きく成長した杉に囲まれた一軒家に昨年まで暮らし、中津川対岸の百㍍ほど先に昔からの旅館「仁成館」があるばかりで、川をはさんで共にカメムシには苦しめられていた。
中津川右岸の宿は季節ごとの登山客、釣り客、湯治客で雪のない時期は忙しくしていた。私のところはひとり暮らしの古い家で、木端葺きの上にトタンを張った屋根で、秋口になると風のない穏やかな日、カメムシが湧き出すように飛んでくるのだ。ヤマトクサギカメムシと呼ばれていた。この虫が廊下一面にへばりつき触ろうものならとにかく臭く、皮膚に触れると痛く肝を冷やしたものである。
そのうち「しょうがない」と観念すると、何となくどうにかなってしまうものなのか、その臭いにも慣れてしまったようで、まっ諦めたのだろう。この辺りの人と同じように掴まえた虫をストーブに放り込んだり、自家製のペットボトルに灯油を少し入れて投げこんだりしていた。虫が動く秋や春にはそれぞれ5、6㌔ほどの虫を取ったものである。
近頃になって旧仁成館も住む人がいなくなると、どうにも中津川左岸の一軒家でのひとり暮らしが面倒になり、対岸の集落で家を探し、見つけて改修工事をし移転をしたのが昨年のことで、そこも同じように虫の多いところだと聞いていた。
工事が終わって外壁のペンキを選んだのだが、目立たない小さな家でもあり、派手だったがベンガラの塗料を塗ることにした。家は小さな赤い家となって、それなりの存在感を嬉しく感じた。
昨年の今頃だが、隣の人がやって来て「ここには虫がいないな! みんなワシのところに来てしまったようだ」と笑っていた。そう言われて、はて! と考えると、確かにここではカメムシを見ないと感じた。人とは勝手なもので、ここで虫に気がつかないことに気がついた。見ぬもの清である。外壁に塗布したベンガラの塗料を虫が嫌ったように思えた。
さて、そうなると今年の秋に飛んでくる虫を強く意識することになる。そこで昨年のベンガラ塗料を取り寄せて考えるのだが、塗れば来ないと言うほど単純ではないだろと、科学する頭がない私にはその先が解らなかった。友人の農学部で教鞭をとる先生に訊くと「ベンガラは酸化鉄で、つまり鉄さびで木材を丈夫にし乾燥すると害虫やカビなどを防ぐ」と言う。塗布した表面が㏗12ほどのアルカリ性となるので酸性域を好む虫は寄り付きにくくなるとも言う。虫が酸性域を好むのかは分からないが、加えるに伝統技術的の柿渋と混ぜて使うとより効果的だろうとも御教授頂けた。
それならハッカ油なども良いのだろうと検証をしてみることにした。大きめのタッパーに仕切りを立て、塗料を塗布した板と白木の板を別々に置くのだ。飛びくる虫を素手で捕まえては放り込んでおよそ50匹ほども入れて観察してみると、当日から虫は白木の方に集まってベンガラ色の板には数匹の虫を見るだけになった。
まだまだ観察は続けるが確かにカメムシに対しては効果があるように思えた。昨年塗った外壁が今年も効果が続くのかと気を揉むのだが、な〜に虫が寄って来れば、またベンガラを塗るだけだ!こうなればひとつ、昔年の恨みを晴らしてみようと思った。
ただ、その矢先2回目の脳梗塞の患者となった私がいた!