小林 幸一(津南案内人)
反里口から中津川に降りる川原の崖にポッカリと開いた隧道の出口付近は土砂の崩壊で完全に埋まっていますが、その先に軌道の痕跡が残っているかと斜面を探索していると、なんと反里口頭首工の直ぐ傍に軌道跡の盛り土と、併設された灌漑用水路の石組がしっかりと残っていました。
この辺りは今でも斜面が崩落し中津川まで押してきますので、当時も軌道や水路の確保に大変な場所だったと思います。その原因となるのが太古の昔、笹葉峰の大崩落により、幅2.5キロ長さ4.5キロ、落差300㍍で太田新田・見玉方面へ押し出し、大量の土砂が中津川を堰き止めた地域といわれております。
その崩落地形に大正8年に中津川発電所工事の輸送路として軌道が敷かれ、穴藤のダムから正面ヶ原開田地業に引く中津川幹線水路も開通しましたが、昭和24・25年の台風で地山もろとも大崩落し農家を落胆させました。
現在の頭首工は昭和43年に完成し広大な圃場を潤していますが、その傍に残された稲作への熱い想いを忘れてはなりません。