長崎・平和式典で
斎木 文夫 (年金生活者)
8月は鎮魂の月。今年の広島市の平和記念式典と長崎市の平和祈念式典では大きな違いが出た。広島市は、イスラエルを招待し、パレスチナを招待しなかった。長崎市はその逆である。その結果日本を除くG7とEUの駐日大使は長崎市の平和祈念式典に出席せず、格下の公使らを送った。
長崎市の鈴木市長は、政治的な理由ではない、抗議活動など不測の事態が起きる可能性を考え招待しなかったと説明した。長崎市は6月に「即時停戦」を求める書簡をイスラエルに送り、状況が改善すれば招待すると伝えていたという。
イスラエルのガザ攻撃は今も続いている。学校や病院などへの攻撃もやまず、4万人に上る犠牲者の大半は子どもや女性である。イスラエルが主張する「自衛権」を逸脱しており、国連事務総長も「明確な国際人道法違反」と強く非難している。
長崎市の平和祈念式典は、この地を人類最後の戦争被爆地にと誓い、市民を無差別に殺りくする核兵器の非人道性を訴えてきた。市民を虐殺している国は招待しないという長崎市の判断は筋が通っている。
ロシアを非難する一方でイスラエルを擁護・支持する米欧の姿勢こそが二重基準で、中東諸国を含む「グローバル・サウス」との間には大きな溝が生じている。それは、米欧が望むウクライナに対する国際協力を困難にするともいわれている。
ロシアもイスラエルも分け隔てなく招待すべきだったという意見、米欧の対応は大人げないという意見、せめて原爆を投下した米国大使からは出席してもらいたかったという声など、町の声も様々だった。
私は、主催者である長崎市や長崎市民の意向が最優先されるべきと思う。情けないのが日本政府だ。外務省は水面下で長崎市に、イスラエルを招待するよう働きかけていたという。
昨年9月、国連総会で「核軍縮は、被爆地広島出身の私のライフワークです」と演説した岸田首相、あなたは、お友達のG7の6カ国とEUに大使出席を働きかけるべきではなかったか。
ついでに一言。一昨年9月の国連総会一般討論演説で「日本は、国際社会における法の支配を推進する国連の実現に尽力する」と述べた岸田首相、あなたが「国際社会における法の支配」と言うのは、ロシア非難、中国牽制の場面だけのような気がします。イスラエルによるパレスチナ入植、ガザ侵攻の文脈の中でも使ってみませんか。