『病人になって見えること』
長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)
9月の入院から検査が続き、心臓も大きな問題を抱えているようで、ふたつの手術をこなさなければならなくなった。全国の老人達と同じように私も満身創痍の後期高齢者と認められた。
私の心臓は無症侯性と言うことで、痛みを感じないまま何年も過ごして来た訳です。病院に入って何回も採血だ、CTだ、MRIだ、エコーだ、造影剤CTだと検査漬けの日々が続きます。
健康保険制度は病気を見つけて病名を冠して、検査をしないと保険が下りないという。病院としては患者の病気を治すために検査し国から費用を頂き、病院の財源にし、経営が維持されるということのようです。
話は逸れますが、病院にすれば病気を特定できない高齢者の老衰患者に検査は無用で、必要もないということになるのでしょう? ベッドの稼働率からしても効率は悪いことになります。
回復する患者が大事なお客さんで保険の適用が出来ない患者は、以前は3ヵ月を越えると退院させられることがありました。今は分かりませんが、私の父もそんなことを言われたせいか、ちゃんと3ヵ月目に亡くなりました。私は後期高齢者として手術が出来る分、病院にとっては良い患者と言うことになるのです。そこのところは良かったのでしょう。変な話ですが。
「右頸部内頸動脈高度狭窄症」という病名を頂いて立派な病人ということになりました。脳梗塞という病気は頸動脈が細くなり血流が滞って血管に血栓が生じ、それが剥がれ脳に飛ぶことによって起こる症状と説明を受けました。
専門的な説明でよく理解できず、多分で申し訳ないが、血管を詰まらせ起こる病状で老化による症状と似ているように感じます。色々と検査をしていくうちに、心臓にも狭窄箇所が見つかって続けての手術ということになりました。
先週、脳梗塞の手術をしたのですが、心臓に影響もなく無事にそれは終えました。次に2試合目の心臓が待っています。もう、まな板の鯉で、どうにでもなれと腹を括るより致し方がありません。
先日、手術の検査に行く時のことですが、この頃どうも車の運転が下手になって、高速道や夜の運転に支障をきたしていて、殊に八箇峠トンネルが苦手で避けていましたが、脳梗塞手術後の運転になんの違和感もなく制限速度いっぱいまで速度を上げて呑気に走っていました。
もしかして手術で、何らかの作用が起き、バランスを司る脳の個所に良い影響を与えたのではないだろうかとひとり感じているのです。
もしそうだとすれば、病気を悪く捉えて過敏に反応するのもいけないようにも思いますが、ただそのあと私のお小水の回数が増えたこともあり、それも手術の影響かしら? と思っても関連性は分かりません。例え有ったとしても、お医者は認めないだろうし、そう簡単なことでは無いのでしょう。
入院して、たった10日間でもベットに臥せって、トイレに動くだけになると、まず脚膝腰に影響が出ます。朝昼晩の食事を待つだけの暮らしは、身体に良いわけはありません。退院出来て冬の準備にかかろうとすると、思うように身体は動いてくれません。でも少しずつでも冬の準備にかからないと、心の病気になりそうです。病気は次から次へと連鎖を生み、なかなか面倒です。
ところで、妻有新聞がこの地方の病院の栄養士を取材し、病院食の特集でもしてもらえないだろうか。老人が調子を崩し入院して食べる食事は、どんなものか教えて欲しい人は多いようです。
(11月16日和山にて)