太島 勝重さん(1982年生まれ)
思ったらまずは行動。その先にあったのは『空に一番近い所で仕事をする』、特殊伐採師『空師(そらし)』だ。「英語が話したいと思って、ワーキングホリデーに行ったことがきっかけです。不思議ですね」。
生まれは十日町市中里。
高卒後、
地元に就職。「あの
頃は、これがやりたいというものが無かったなぁ」。19歳のお盆休みの頃だった。「友だちが夏休みで帰省し、一緒に遊んでいたら、友だちの携帯電話が鳴り、ちょっとごめんと、電話に出たと思ったら英語で話しはじめて…かっこいいなって。そこからでした」。
英語を話せるようになりたい。思ったら即行動。「叔父がアメリカのシアトルで飲食店をしていると聞いて、19歳の時に、雇ってもらいたいとアメリカまで言いに行きました」。しかし、「アメリカの失業率は高く、優先的に失業者を雇いたい、英語を話せない私を雇う必要性が見つからないと言われましたが、ワーキングホリデーという制度を教えてもらいました」。
日本に戻り、英語を独学で勉強しながら3年間資金を貯め、2007年、カナダ・バンクーバーへ。「高級住宅地の芝や木の剪定などガーデニングの仕事をしたのですが、その時にツリークライミングで特殊伐採をする職人と一緒に仕事する機会があったんです」。 木に登り、木の上から順に幹を切り、伐採木はロープを使って下す。日本では見たことがない伐り方だった。木登りして遊ぶツリークライミング技術の応用と知り、「伐採だけでなく、何百年も生きた巨木の調査もその技術を使います。自分の体一つで樹の手入れをする姿に憧れを抱きました」。
1年後に帰国。「木を切るには、チェーンソーを使いこなせる技術が必要」、チェーンソー技術を学ぶため津南町森林組合で5年間働く。山奥に入り間伐や造林などに取り組み技術を磨いた。
2013年、再びワーキングホリデーでニュージーランドへ。特殊伐採技術やボーンカービングアクセサリー、パーマカルチャーにも興味があり、その先進国だ。「あの『ネピア』の原材料のパルプ材も伐採しました。このパルプ材などは通常の木の8倍も育つのが早い。1日150本くらいチェーンソーで切り、大きな木を山から山へワイヤーを張って運びました」。林業の奥深さを体感。同時に自然への畏敬の念の深さも感じた。「ニュージーランドは自然をとても大切にしている国。自然に感謝し、楽しんで生活に取り入れている姿に『自然と共に生きる』ことの意味を実感したんです」。2014年に十日町に戻った。
山と共に生きる、山や木に生かされる実感を抱き、現代の木こり業『木こり屋八十八』を立ち上げる。商号はコメどころにちなむ。「米づくりには八十八の手間がかかると言われ、私たちもていねいな仕事をしよう、という思いです」。2017年、35歳の時。
大型重機を使わず、狭い場所やクレーン車が入れない所でもツリークライミング技術で木をコントロールし、上部から大切に切る。「時間と手間はかかりますが、木や森と向き合い、山にダメージを与えない低負荷の伐採を心がけています」。この確かな技術が求められ、関東圏など県外からも声がかかる。
昨年結婚。「私を含め3人の従業員と妻が協力してくれています。木を切るだけではなく、切った木は余すことなく使いたいですね。杉から精油を作ったり、地域流通活用をめざしています」。
自然環境には特に目を向ける。「人は自然の恵みに生かされ、自然を大切にしてきました。しかし、今は人間社会と自然とが離れつつあります。山は人の手が入らなくなると荒廃していきます」。
「先人たちが受け継いできた文化を今に活かし、自然の中にいる人間のあるべき姿を考え、何ができるかその間に立ち、私たちの社会の土台である自然という大切なモノを木こりとして発信し、人と自然を結び直す活動をしていきたいですね」。
▼バトンタッチします
髙橋拓也さん