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ひとから人からヒトへ一覧

  • 『生きる力、これでしょ』

    南雲真樹さん(1983年生まれ)

     この春、七度目の米作りだ。耕作放棄田は茅など茫々の草だらけだったが、すべて手作業で除去。米作りもすべて手作業。「当たり前、これが普通だと思う。化学肥料や農薬を使うことで、大事なものを失っていることは、今の人たちが罹る病気を見れば分かるはず」。
    「そもそも生きるために必要なものは何か。その大切なものは皆が大事にする。だが、今はお金に振り回されている。生きる力とは、なにかでしょ」。
     横浜生まれ、横浜育ち。「こうじゃなければならない」的な『予定調和』の生き方を嫌い、5回ほど行ったインド滞在で『人間くささ、人間として』の観念的な体験、ガンジス川源流までの徒歩行など、その後の生き方に影響している。生きるために必要なもの、その一つの米作りをしたいと。「呼んでいた」、全く知らない十日町に7年前に移り住んだ。いまは松代・仙納に妻と暮らす。
     どこへ行くにも一緒の相棒はあひるの「チャイ」。全て手作りの米、地元の清水、松之山温泉で作る塩、生きる力を商品化している。『あひる屋』を掲げ口コミ販売。今月17日に十日町駅「コンコース・マルシェ」で販売する。  
     無農薬・無化学肥料の米『玄天快氣』(げんてんかいき)。「今の日本は全て出来レースの世界。取り繕いやうわべだけの世界であり、まさに原点回帰が求められている。これほどの消費社会、いいかげんに消費者は気づくべきだ」。販売は『量り売り』をする。「一人の一歩は小さな一歩だが、皆で踏み出せば大きな一歩になる」。
     春からの米作り。すでに残雪を割り、天水田に水を貯め始めている。「この先、なにが起きるか分からない、そのアクシデントが面白い」。
    ◆バトンタッチします。
     「会田法行さん」

    2024年3月9日号

  • 『ここ松代には全てがあります』

    中村 紀子さん(1974年生まれ)

     仕事や旅で30ヵ国余を巡った。「その国、その国の良さがありましたが、ここに来たら、その良さのすべてがあり、『出会った』という感じです」。早期退職した2022年、大地の芸術祭で訪れた十日町。印象は「こんな良いところがあるんだ」。暮らしてみたいと検索すると『竹所シェアハウス』を知り、生活を始める。それはカール・
    ベンクスさんとの出会いでもあった。
     「いつか本当に好きになったところで暮らしたい」、その思いは飼料用微生物を扱う仕事で外国を転々とする中で募っ
    ていった。だが、生まれ育った新潟県内には目が向かなかった。その契機になったのが大地の芸術祭。さらにカールさんの存在。「ここに住み続けたい」、その思いが増した。
     古民家を雰囲気たっぷりのゲストハウスに改修し、カールさんが運営していた宿『カールベンクス古民家ゲストハウス』を昨年12月引き継いだ。
     1927年建築、まもなく百年を迎える古民家はカールさんの手により、太い梁、漆喰の壁など伝統の和を生かし、そこにドイツ風のヨーロピアン雰囲気を取り入れ、「和を感じ、洋を感じ、なんとも居心地が良い空間です」。2階のゲストルーム2室は、松代の自然と生活が体感できる雰囲気たっぷりの空間だ。
     「人と人の出会いですね。自然はもちろんですが、ここに暮らす人たちの温かさがいいですね。芸術祭で様々な方が訪れているためでしょうか、ここの人たちはいつも温かく付き合っていただき、その雰囲気がとても居心地の良さを出していますね」。さらに「私はここへ来て地域の人に本当にお世話になったので、今後は自分の事業以外でも地域のお役に立てる存在になりたいです」。
    ◆バトンタッチします。
     「南雲真樹さん」

    2024年3月2日号

  • 『果実は命をつなぐ』

    大出 恭子さん(1971年生まれ)

     朝起きて、家の側の木から熟れた桃を取り、食べ、その種は土に返す…
    ニュージーランドでお世話になったガイトン家族
    は、自然と共にある暮しの日々。
     「これだっ」、漠然と求めていたものが目の前にあった。言葉にすると『フードフォレスト』。果樹を植え、完熟果物を食べ、その種は土に返し、種から新たな木が育ち、鳥や動物、人間に果実を与え、その種は再び土に帰り、また新たな果樹が育つ。
     8年前、その思いを形にした。『フード・フォレスト・ジャパン』を立ち上げる。松代や松之山に求めた土地や借地に15種、5百本の果樹を植える。「密植です。山の自然の木々は様々な樹種が密植しています。同じように果樹も自然の中で育ち、雪や風雨などで自然剪定され、育っていきます。実った果物は鳥や動物が食べ、その実はまた自然に帰ります。この鳥や動物は、私のスタッフと思っています」。
     いま会員100人余のフード・フォレスト・ジャパン。毎年植樹を行い、面積を増やしている。「まだ私たちの口に入る果物は少ないですが、明日採ろうかなと思うと、翌日には全て果物がなくなっていたなど、鳥や動物の感覚はすごいですね。でもそれも自然ですね」。
     大学卒業後、南魚沼の国際大学に就職し、英語の熟度が増し、今は新潟県農業大学校の英語講師。大学校で農業分野の知見が深まり、福岡正信著『わら一本の革命』に出会う。十日町に移住し始めた農業、ニュージーランドでの体験、フード・フォレスト・ジャパンの立上げ、すべてがつながっている。食と貧困問題にも取り組みNPOにいがたNGOネットワークのメンバー。「果実は世界の貧困を救います。種はゴミではありません。土に返すことで命をつないでくれます」。
    ◆バトンタッチします。
     「中村紀子さん」

    2024年2月24日号

  • 『ナチュラルライフ』

    森田 れなさん(1988年生まれ)

     東京のマンション暮らし。「隣り近所に迷惑をかけないように気をつかう毎日で、窮屈さを感じていました」。元気盛りの男の子2人を自由に遊ばせたい。東京生まれの夫・淳さんと、これからの暮し方を話し合った。
     祖母が松之山生まれで千葉に暮らす。ならば十日町市から探してみようと、空き家バンクを見ると古民家があった。「訪ねて見たら、これだっと、夫と決めました」。築100年余の家は天井が高く、むき出しの太い梁が歴史を感じさせると同時に、安心感を与える。
     来月には四度目の春を迎える。広い居間を活用し、13年余り取り組む「ヨガ」を指導し、同じくらい取り組むハーブやアロマによる食養生や自然療法を伝える。どちらも指導者の資格を持ち、暮しの中で心と身体をリラックスしてくれる。
     「ここには宝物がいっぱいありますね」。自生するドクダミ、ヨモギ、スギナなど薬草の高い効能を伝え、広めている。移り住んだ年から米作りにも取り組む。農業機械が入らない棚田を借り受け、「前からやってみたかったんです」と、肥料も農薬も使わず、子どもたちと泥んこになりながらのコメ作りを続ける。 
     言葉にすれば「ナチュラルライフ」だが、力みはない。子どもをテーマに映画制作するオオタヴィン監督の『いただきます』など作品上映を通じて、暮しへの思いが少しずつ広がっている。東京生まれの男の子2人、松代生まれの1歳半の長女、子たち3人と日々の生活を楽しむ。「自然の素材がいっぱいです。この子たちにつないでいきたいですね」。
    ◆バトンタッチします。
     「大出恭子さん」

    2024年2月17日号

  • 『まつのやま基地』

    佐藤美保子さん(1978年生まれ)

     「卒業式で9年生(中学3年)と別れるのが嫌で、小学1年生が泣くんですよ。この学園の良さが分かりますね」。小中一貫校『まつのやま学園』、我が子4人が通う。放課後、いつもは通学バスですぐに帰宅するが、「道草」して2時間かかることもある。それをサポートするのが
    『まつのやま基地』。拠
    点は松之山支所前の空き家を活用。オリジナル旗が目印。コロナ禍前の2019年、思いを同じくする仲間たちと立上げ、今春から新たな体制で活動を再スタートする。運営スタッフは同じく子育て中のママさん仲間4人、地域と繋いでくれる世話役が3人。昨年、プレイベントを年間通じて開き、今春からの活動の感触をつかんだ。
     「この手作り箒(ほうき)は、ホウキモロコシで作ったんです。地元の箒名人の方と一緒に子どもたちも収穫から作りました。自分で作った箒ですから愛着がわき使いたくなりますよね。家の掃除を自分からやりますよ」。米作りは世話役メンバーが手植えからアドバイスし、稲刈り・ハゼ掛け・脱穀を体験。「自分たちがやりたいことを、出来る人たちとつながり、子どもたちと一緒にやります。今度あれしたいね、次はあれしよう
    よ…など次々とやりたいことが湧いてきます」。
     親の転勤で県庁所在地を転々と動いたが、「小さい頃から田舎で暮らしたい、その思いはずっとありました」。地域おこし協力隊など地域活動の経験の中で「松之山は人の暮しの繋がりの中に拠り所があります。その繋がりが薄くなりつつあり、ならば誰でも世代を超えて気軽に寄れるコミュニティをと。それがまつのやま基地です。子どもたちは保育園から中学卒業まで少ないながらも一緒に体験を積み重ねています。これは社会に出て行くなかで、大きな強みになるはずです」。
    ◆バトンタッチします。
     「森田れなさん」

    2024年2月10日号

  • 「なんとかなる、ですね」

    早河 史恵さん(1971年生まれ)

     まさに人から人へのつながりが、いまの『ママのおやつ』を築き上げている。東京・新宿生まれと神奈川・藤沢生まれが広告代理店で出会い、アメリカで1年余り暮し、人と人のつながりから津南町の住人になり、早や26年余の歳月を刻む。仕事関係で出会った農業者などの協力でユリ栽培、コメ作り、野菜栽培など全くの未経験ながら挑む。 
     そんなある日、夫が言った。「一本足では、ダメになった時、どうしようもない。おまえ、お菓子作りが好きだろう」、このひと言から全てが動き出した。
     ちょうど6次産業化による事業起しが全国的に始まる頃。「お菓子作りが好きだったと言っても、我が子たちの誕生ケーキを作るような家で作る程度。できる? まあ、なんとかなるかなぁ」。このポジティブさが次々と人から人につながり、「日本の洋菓子界を作り上げてきたお師匠様との出会い」が契機となり、自己研鑽を積み上げ、その師匠からは今も指導、アドバイスを受けている。
     師匠からは基本から叩き込まれ、何度も壁にぶち当たりながらも、友だちや仲間たちの声掛けや笑顔に支えられ、今がある。師匠の『厳しくも優しい言葉』をいつも胸に秘める。『こんな田舎だけど、時代の最先端なものがあっていい。常にお客様と向き合い、一番良いものを作る、これだよ』。
     地元産米の米粉、地元農業者の新潟地鶏の卵、ニンジン、アスパラ、カボチャ、サツマイモなど素材を積極使用している。毎月の先生来訪の日は「ドキドキ、ワクワクの時間です」。 
     ポジティブ満開の笑顔が、今日も出迎えてくれる。「今年9月で10年になるんですよ。ほんと、あっという間、信じられないですね」。
    ◆バトンタッチします。
     「佐藤美保子さん」

    2024年2月3日号

  • 「ご縁」があり、今がある

    廣瀬 愛さん(1976年生まれ)

     「泣きそうでした、いや、泣いていましたね」。中学2年の夏、父の外国赴任で米国ニュージャージー州に家族で移住。9月に現地の高校1年に入学。「友だちも、知り合いも居ない、どこに行ったらいいの、何も分からないままのスタートでした」。その時の情景はいまも憶えているが、何
    も分からない現実が自分を育てた、とも思っている。
     現地の高校は4年制。3年生終了後、日本の大学に入るため自分だけ帰国。貿易関係の学部がある大学に入り、大学生活でレストランやファーストフード店でアルバイトを積む中で感じてきたのは「人と関わる面白さ」。卒業が迫る頃、大学の求人票の中に運命を決める会社を見つけた。
     「これも『ご縁』なのかなぁと思いますね。その会社は東京で入社面接を行い、それも縁のように感じます」。人材を求めたのは長野・湯田中温泉の老舗旅館。「人混みが嫌で、あの電車のラッシュは耐えられないと先ずは脱東京でした。暮らせる場所、働ける職場、人と関わる仕事などと決めていました。その条件にぴったりだった、ということですね」。
     この選択は、さらなる「ご縁」を生む。就職した旅館でパートナーと出会い翌年には結婚。横浜生まれ、中学高校4年間を米国で暮らし、東京の大学を卒業。「まさか自分が長野に来るとは…でしたね」。初めて長野の地を踏み早や24年。だが「ご縁」はさらに続く。福祉施設パート勤務の中で今の福祉施設「きぼう」立ち上げに関わる出会いが。「まさか自
    分が…この連続です。でも人と関わる、これは共通しています」。
     米国時代の学友とは今もSNSで交友している。
     ◆バトンタッチしま す。
     「早河史恵さん」

    2024年1月20日号

  • 太鼓と共に38年余

    島田 美香さん(1965年生まれ)

    東京の劇団時代に出会った「太鼓」。芝居をやりたい、その一心で入った劇団だったため、勧められた太鼓はあまり気乗りしなかった。習い始めると、その響きが体全体に伝わり、感性の琴線に何かが伝わってきた。
     劇団研究生の頃、太鼓メンバーで特養ホームで打ち鳴らした。演奏後の女性施設長の言葉が心に響いた。『入所されている方が、来年も演奏に来てくれるんなら、来年まで頑張って生きようかなと話していましたよ』。この言葉で、自分の中で何かのスイッチが入るのを感じた。
     その頃、中学校の音楽教諭の父から『中学生に太鼓を教えてくれ』と連絡が来た。東京から自費で日帰り指導。中学生から「私も太鼓やりたい」と毎年希望者が後を絶たず、小中学生による『栄ふるさと太鼓』がスポーツ少年団活動として始まる。そのメンバーが大人になり『榮太鼓』が立ち上がった。かつての教え子たちが、かけがえのない「仲間」になった。サンフランシスコ桜祭りで演奏、ハワイでも演奏した。今も毎週木曜、小学生から大人まで一緒に練習を続ける。 
     「芝居は小学4年の時に見た劇団四季のミュージカルに感動したからです。いまも芝居をしたい思いはありますよ」。「太鼓は叩けば誰でも音が出ます。その単純なものをいかに感動のレベルまで持っていくか、ですね。子どもたちの頑張りが大人たちのやる気になっています。でも、ゆるゆる雰囲気で、楽しみながらなんですよ」。
     ◆バトンタッチします。
     「廣瀬愛さん」

    2024年1月13日号

  • 心と体、癒される場に

    ◎...ひだまりサロン・清水さとみさん

     のどかな田園風景が広がる十日町市川西地区上野に「ひだまりサロン」がある。自宅の一室を改装して代表の清水さとみさん(62)がフェイシャルエステ、皮膚や筋肉、神経、腱をしなやかにするピーナッツオイルを使ったオイルリンパ・ケアなどを行い、利用者から好評を得ている。

    2023年11月11日号

  • 『生きる力、これでしょ』

    南雲真樹さん(1983年生まれ)

     この春、七度目の米作りだ。耕作放棄田は茅など茫々の草だらけだったが、すべて手作業で除去。米作りもすべて手作業。「当たり前、これが普通だと思う。化学肥料や農薬を使うことで、大事なものを失っていることは、今の人たちが罹る病気を見れば分かるはず」。
    「そもそも生きるために必要なものは何か。その大切なものは皆が大事にする。だが、今はお金に振り回されている。生きる力とは、なにかでしょ」。
     横浜生まれ、横浜育ち。「こうじゃなければならない」的な『予定調和』の生き方を嫌い、5回ほど行ったインド滞在で『人間くささ、人間として』の観念的な体験、ガンジス川源流までの徒歩行など、その後の生き方に影響している。生きるために必要なもの、その一つの米作りをしたいと。「呼んでいた」、全く知らない十日町に7年前に移り住んだ。いまは松代・仙納に妻と暮らす。
     どこへ行くにも一緒の相棒はあひるの「チャイ」。全て手作りの米、地元の清水、松之山温泉で作る塩、生きる力を商品化している。『あひる屋』を掲げ口コミ販売。今月17日に十日町駅「コンコース・マルシェ」で販売する。  
     無農薬・無化学肥料の米『玄天快氣』(げんてんかいき)。「今の日本は全て出来レースの世界。取り繕いやうわべだけの世界であり、まさに原点回帰が求められている。これほどの消費社会、いいかげんに消費者は気づくべきだ」。販売は『量り売り』をする。「一人の一歩は小さな一歩だが、皆で踏み出せば大きな一歩になる」。
     春からの米作り。すでに残雪を割り、天水田に水を貯め始めている。「この先、なにが起きるか分からない、そのアクシデントが面白い」。
    ◆バトンタッチします。
     「会田法行さん」

    2024年3月9日号

  • 『ここ松代には全てがあります』

    中村 紀子さん(1974年生まれ)

     仕事や旅で30ヵ国余を巡った。「その国、その国の良さがありましたが、ここに来たら、その良さのすべてがあり、『出会った』という感じです」。早期退職した2022年、大地の芸術祭で訪れた十日町。印象は「こんな良いところがあるんだ」。暮らしてみたいと検索すると『竹所シェアハウス』を知り、生活を始める。それはカール・
    ベンクスさんとの出会いでもあった。
     「いつか本当に好きになったところで暮らしたい」、その思いは飼料用微生物を扱う仕事で外国を転々とする中で募っ
    ていった。だが、生まれ育った新潟県内には目が向かなかった。その契機になったのが大地の芸術祭。さらにカールさんの存在。「ここに住み続けたい」、その思いが増した。
     古民家を雰囲気たっぷりのゲストハウスに改修し、カールさんが運営していた宿『カールベンクス古民家ゲストハウス』を昨年12月引き継いだ。
     1927年建築、まもなく百年を迎える古民家はカールさんの手により、太い梁、漆喰の壁など伝統の和を生かし、そこにドイツ風のヨーロピアン雰囲気を取り入れ、「和を感じ、洋を感じ、なんとも居心地が良い空間です」。2階のゲストルーム2室は、松代の自然と生活が体感できる雰囲気たっぷりの空間だ。
     「人と人の出会いですね。自然はもちろんですが、ここに暮らす人たちの温かさがいいですね。芸術祭で様々な方が訪れているためでしょうか、ここの人たちはいつも温かく付き合っていただき、その雰囲気がとても居心地の良さを出していますね」。さらに「私はここへ来て地域の人に本当にお世話になったので、今後は自分の事業以外でも地域のお役に立てる存在になりたいです」。
    ◆バトンタッチします。
     「南雲真樹さん」

    2024年3月2日号

  • 『果実は命をつなぐ』

    大出 恭子さん(1971年生まれ)

     朝起きて、家の側の木から熟れた桃を取り、食べ、その種は土に返す…
    ニュージーランドでお世話になったガイトン家族
    は、自然と共にある暮しの日々。
     「これだっ」、漠然と求めていたものが目の前にあった。言葉にすると『フードフォレスト』。果樹を植え、完熟果物を食べ、その種は土に返し、種から新たな木が育ち、鳥や動物、人間に果実を与え、その種は再び土に帰り、また新たな果樹が育つ。
     8年前、その思いを形にした。『フード・フォレスト・ジャパン』を立ち上げる。松代や松之山に求めた土地や借地に15種、5百本の果樹を植える。「密植です。山の自然の木々は様々な樹種が密植しています。同じように果樹も自然の中で育ち、雪や風雨などで自然剪定され、育っていきます。実った果物は鳥や動物が食べ、その実はまた自然に帰ります。この鳥や動物は、私のスタッフと思っています」。
     いま会員100人余のフード・フォレスト・ジャパン。毎年植樹を行い、面積を増やしている。「まだ私たちの口に入る果物は少ないですが、明日採ろうかなと思うと、翌日には全て果物がなくなっていたなど、鳥や動物の感覚はすごいですね。でもそれも自然ですね」。
     大学卒業後、南魚沼の国際大学に就職し、英語の熟度が増し、今は新潟県農業大学校の英語講師。大学校で農業分野の知見が深まり、福岡正信著『わら一本の革命』に出会う。十日町に移住し始めた農業、ニュージーランドでの体験、フード・フォレスト・ジャパンの立上げ、すべてがつながっている。食と貧困問題にも取り組みNPOにいがたNGOネットワークのメンバー。「果実は世界の貧困を救います。種はゴミではありません。土に返すことで命をつないでくれます」。
    ◆バトンタッチします。
     「中村紀子さん」

    2024年2月24日号

  • 『ナチュラルライフ』

    森田 れなさん(1988年生まれ)

     東京のマンション暮らし。「隣り近所に迷惑をかけないように気をつかう毎日で、窮屈さを感じていました」。元気盛りの男の子2人を自由に遊ばせたい。東京生まれの夫・淳さんと、これからの暮し方を話し合った。
     祖母が松之山生まれで千葉に暮らす。ならば十日町市から探してみようと、空き家バンクを見ると古民家があった。「訪ねて見たら、これだっと、夫と決めました」。築100年余の家は天井が高く、むき出しの太い梁が歴史を感じさせると同時に、安心感を与える。
     来月には四度目の春を迎える。広い居間を活用し、13年余り取り組む「ヨガ」を指導し、同じくらい取り組むハーブやアロマによる食養生や自然療法を伝える。どちらも指導者の資格を持ち、暮しの中で心と身体をリラックスしてくれる。
     「ここには宝物がいっぱいありますね」。自生するドクダミ、ヨモギ、スギナなど薬草の高い効能を伝え、広めている。移り住んだ年から米作りにも取り組む。農業機械が入らない棚田を借り受け、「前からやってみたかったんです」と、肥料も農薬も使わず、子どもたちと泥んこになりながらのコメ作りを続ける。 
     言葉にすれば「ナチュラルライフ」だが、力みはない。子どもをテーマに映画制作するオオタヴィン監督の『いただきます』など作品上映を通じて、暮しへの思いが少しずつ広がっている。東京生まれの男の子2人、松代生まれの1歳半の長女、子たち3人と日々の生活を楽しむ。「自然の素材がいっぱいです。この子たちにつないでいきたいですね」。
    ◆バトンタッチします。
     「大出恭子さん」

    2024年2月17日号

  • 『まつのやま基地』

    佐藤美保子さん(1978年生まれ)

     「卒業式で9年生(中学3年)と別れるのが嫌で、小学1年生が泣くんですよ。この学園の良さが分かりますね」。小中一貫校『まつのやま学園』、我が子4人が通う。放課後、いつもは通学バスですぐに帰宅するが、「道草」して2時間かかることもある。それをサポートするのが
    『まつのやま基地』。拠
    点は松之山支所前の空き家を活用。オリジナル旗が目印。コロナ禍前の2019年、思いを同じくする仲間たちと立上げ、今春から新たな体制で活動を再スタートする。運営スタッフは同じく子育て中のママさん仲間4人、地域と繋いでくれる世話役が3人。昨年、プレイベントを年間通じて開き、今春からの活動の感触をつかんだ。
     「この手作り箒(ほうき)は、ホウキモロコシで作ったんです。地元の箒名人の方と一緒に子どもたちも収穫から作りました。自分で作った箒ですから愛着がわき使いたくなりますよね。家の掃除を自分からやりますよ」。米作りは世話役メンバーが手植えからアドバイスし、稲刈り・ハゼ掛け・脱穀を体験。「自分たちがやりたいことを、出来る人たちとつながり、子どもたちと一緒にやります。今度あれしたいね、次はあれしよう
    よ…など次々とやりたいことが湧いてきます」。
     親の転勤で県庁所在地を転々と動いたが、「小さい頃から田舎で暮らしたい、その思いはずっとありました」。地域おこし協力隊など地域活動の経験の中で「松之山は人の暮しの繋がりの中に拠り所があります。その繋がりが薄くなりつつあり、ならば誰でも世代を超えて気軽に寄れるコミュニティをと。それがまつのやま基地です。子どもたちは保育園から中学卒業まで少ないながらも一緒に体験を積み重ねています。これは社会に出て行くなかで、大きな強みになるはずです」。
    ◆バトンタッチします。
     「森田れなさん」

    2024年2月10日号

  • 「なんとかなる、ですね」

    早河 史恵さん(1971年生まれ)

     まさに人から人へのつながりが、いまの『ママのおやつ』を築き上げている。東京・新宿生まれと神奈川・藤沢生まれが広告代理店で出会い、アメリカで1年余り暮し、人と人のつながりから津南町の住人になり、早や26年余の歳月を刻む。仕事関係で出会った農業者などの協力でユリ栽培、コメ作り、野菜栽培など全くの未経験ながら挑む。 
     そんなある日、夫が言った。「一本足では、ダメになった時、どうしようもない。おまえ、お菓子作りが好きだろう」、このひと言から全てが動き出した。
     ちょうど6次産業化による事業起しが全国的に始まる頃。「お菓子作りが好きだったと言っても、我が子たちの誕生ケーキを作るような家で作る程度。できる? まあ、なんとかなるかなぁ」。このポジティブさが次々と人から人につながり、「日本の洋菓子界を作り上げてきたお師匠様との出会い」が契機となり、自己研鑽を積み上げ、その師匠からは今も指導、アドバイスを受けている。
     師匠からは基本から叩き込まれ、何度も壁にぶち当たりながらも、友だちや仲間たちの声掛けや笑顔に支えられ、今がある。師匠の『厳しくも優しい言葉』をいつも胸に秘める。『こんな田舎だけど、時代の最先端なものがあっていい。常にお客様と向き合い、一番良いものを作る、これだよ』。
     地元産米の米粉、地元農業者の新潟地鶏の卵、ニンジン、アスパラ、カボチャ、サツマイモなど素材を積極使用している。毎月の先生来訪の日は「ドキドキ、ワクワクの時間です」。 
     ポジティブ満開の笑顔が、今日も出迎えてくれる。「今年9月で10年になるんですよ。ほんと、あっという間、信じられないですね」。
    ◆バトンタッチします。
     「佐藤美保子さん」

    2024年2月3日号

  • 「ご縁」があり、今がある

    廣瀬 愛さん(1976年生まれ)

     「泣きそうでした、いや、泣いていましたね」。中学2年の夏、父の外国赴任で米国ニュージャージー州に家族で移住。9月に現地の高校1年に入学。「友だちも、知り合いも居ない、どこに行ったらいいの、何も分からないままのスタートでした」。その時の情景はいまも憶えているが、何
    も分からない現実が自分を育てた、とも思っている。
     現地の高校は4年制。3年生終了後、日本の大学に入るため自分だけ帰国。貿易関係の学部がある大学に入り、大学生活でレストランやファーストフード店でアルバイトを積む中で感じてきたのは「人と関わる面白さ」。卒業が迫る頃、大学の求人票の中に運命を決める会社を見つけた。
     「これも『ご縁』なのかなぁと思いますね。その会社は東京で入社面接を行い、それも縁のように感じます」。人材を求めたのは長野・湯田中温泉の老舗旅館。「人混みが嫌で、あの電車のラッシュは耐えられないと先ずは脱東京でした。暮らせる場所、働ける職場、人と関わる仕事などと決めていました。その条件にぴったりだった、ということですね」。
     この選択は、さらなる「ご縁」を生む。就職した旅館でパートナーと出会い翌年には結婚。横浜生まれ、中学高校4年間を米国で暮らし、東京の大学を卒業。「まさか自分が長野に来るとは…でしたね」。初めて長野の地を踏み早や24年。だが「ご縁」はさらに続く。福祉施設パート勤務の中で今の福祉施設「きぼう」立ち上げに関わる出会いが。「まさか自
    分が…この連続です。でも人と関わる、これは共通しています」。
     米国時代の学友とは今もSNSで交友している。
     ◆バトンタッチしま す。
     「早河史恵さん」

    2024年1月20日号

  • 太鼓と共に38年余

    島田 美香さん(1965年生まれ)

    東京の劇団時代に出会った「太鼓」。芝居をやりたい、その一心で入った劇団だったため、勧められた太鼓はあまり気乗りしなかった。習い始めると、その響きが体全体に伝わり、感性の琴線に何かが伝わってきた。
     劇団研究生の頃、太鼓メンバーで特養ホームで打ち鳴らした。演奏後の女性施設長の言葉が心に響いた。『入所されている方が、来年も演奏に来てくれるんなら、来年まで頑張って生きようかなと話していましたよ』。この言葉で、自分の中で何かのスイッチが入るのを感じた。
     その頃、中学校の音楽教諭の父から『中学生に太鼓を教えてくれ』と連絡が来た。東京から自費で日帰り指導。中学生から「私も太鼓やりたい」と毎年希望者が後を絶たず、小中学生による『栄ふるさと太鼓』がスポーツ少年団活動として始まる。そのメンバーが大人になり『榮太鼓』が立ち上がった。かつての教え子たちが、かけがえのない「仲間」になった。サンフランシスコ桜祭りで演奏、ハワイでも演奏した。今も毎週木曜、小学生から大人まで一緒に練習を続ける。 
     「芝居は小学4年の時に見た劇団四季のミュージカルに感動したからです。いまも芝居をしたい思いはありますよ」。「太鼓は叩けば誰でも音が出ます。その単純なものをいかに感動のレベルまで持っていくか、ですね。子どもたちの頑張りが大人たちのやる気になっています。でも、ゆるゆる雰囲気で、楽しみながらなんですよ」。
     ◆バトンタッチします。
     「廣瀬愛さん」

    2024年1月13日号

  • 心と体、癒される場に

    ◎...ひだまりサロン・清水さとみさん

     のどかな田園風景が広がる十日町市川西地区上野に「ひだまりサロン」がある。自宅の一室を改装して代表の清水さとみさん(62)がフェイシャルエステ、皮膚や筋肉、神経、腱をしなやかにするピーナッツオイルを使ったオイルリンパ・ケアなどを行い、利用者から好評を得ている。

    2023年11月11日号