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妻有新聞掲載記事一覧

  • 理想の看護の道、28人が誓う

     「最善の看護を提供できる看護師になることを誓います」、「何があっても折れない芯のある看護師をめざします」。これから本格的な実習に向かう、看護師の卵たちがナイチンゲール像の前から灯りを受け取り、理想の看護の道を進む誓いの言葉を語った。

    2024年6月1日号

  • 『毎朝書く「あ」、その日の始まり』

    田邊 武さん(1960年生まれ)

     毎朝、15分ほどひたすら『あ』を書く。梵字。アジアをルーツの古代インド・サンスクリット語に由来を持つという。書ではあるが「書く」というより「描く」世界観から、仏教国以外でもその形状の妙で、外国でも関心を集める「書」だ。
     梵字『あ』
    は、これ。書
    くことで自分の体調や精神のありようが分かる。「時間がない時は自分の手のひらに書き、その時の自分が分かります。体調が悪い時は、思うように書けないし、何か気になることがある時も、やはり出来は良くないです」。20年前から自宅で梵字教室を開き、昨年9月には小千谷市街地でも教室を開く。「初めの頃は数人でした。いまは20人を超える方々が梵字と向き合っています。写経に通じるものがありますが、梵字には独特の世界観と精神性があります」。

     小学時代から書道が好きだった。書の面白さと奥深さに取りつかれ、30代の時、十日町市展で市展賞を取った。だが、「なんと言えばいいのでしょうか、市展賞を取ったことへの妬みでしょうか、そんな声が回りから聞こえ、嫌な感じを受けました。競うコンテストはもう止めようと、自分の世界を求めていこうと、そんな思いの時、梵字に出会いました」。
     書は続けた。川西なかまの家での書道指導は20年余り続け、いまも子どもたち向け書道教室を川西・野口の自宅で開く。 一方で梵字は、自分の思いが放たれたように、繋
    がりの世界を広げている。 すべてのモノの始まりの「あ(阿)」、すべてのモノの終わりの「うん(吽)」から、神羅万象の世界観を求め、梵字工房 「阿吽(あうん)」を主宰。号は『田邊奝武(ちょうぶ)』。国際梵字佛協会講師、梵字佛書道家であり書家である。

     今春3月25日から4月24日まで、インド南北3000㌔を旅した。インド洋・アラビア海・ベンガル湾の三つの海が交わるインド最南端「コモリン岬」から最北地カシミールまで梵字奉納の旅。インドの大学留学経験を持つ研究者と同行。南部はヒンドゥー教、いまも紛争地になっている北部カシミールはイスラム教の地。インドの国情の複雑さを肌で感じた。
     カシミールで14歳の少年、というより大人の雰囲気を持つ学生と出会った。「自分たちの言葉を含め英語など3ヵ国語を話します。彼らは生きるために言葉を覚えます。私たちを迎えてくれた人は英語はじめ地元の言葉など10ヵ国語を話します。話せなければ商売も取引もできない。生きるために言葉を身につける、日本との違いは大きいですね」。
     インド旅の道中、持参した自書の梵字『あ』と意味を英訳した資料を、出会う人たちに手渡した。その形が少しアラビア語に似ているためか関心を示した。14歳の少年は、アラビア語で書かれた「コーラン」のハンドブックを譲ってくれた。「私たちの前で、コーランを詠んでくれました。独特の抑揚の声と言葉でした。イスラム教の精神性を感じました」。
     2022年にはネパールへ梵字奉納で訪れた。「長野の小児科医の先生が、現地の乾燥地に100万本の木を植える活動を長年続け、先生が高齢で行けないため、代わりに活動支援する方と一緒に現地を訪ねました。乾燥の荒廃地が緑に変わっていて、子どもたちの病気も少なくなっていると聞きました。100万本の木運動で緑の土地に変わっていました」。
     
     梵字がつなぐ不思議な縁は、日本でも出会いを生み出している。2011東日本大震災地の地、福島・会津若松で震災供養を込め梵字展を開いた。そのギャラリー・オーナーが宇宙開発機構JAXA勤務退職の人で、ロケット開発者で奝円流梵字を広めた三井奝円氏の導きを感じている。
     一昨年は奈良・大神(おおみや)神社や三条市で梵字展を開き、今年も今月4日から21日まで大神神社で日本画などと展示会を開き、9月14日から22日までは十日町情報館で梵字展を開く。
     
     「梵字を学ぶ人が増えていることは、自分と向き合う時間を求める人が増えている証しでもあります。筆を動かし、和紙に書く、その所作の中に高い精神性があります。特に梵字はその形ひとつ一つに意味がありますから」。
     梵字奉納の国内巡りを続けている。「そうですね、まだ20都府県ちょっとでしょうか。全国を回るつもりです」。
      
    ◆バトンタッチします。
     「北村フミ子さん」

    2024年6月1日号

  • 中津川発電所と正面ヶ原開田

    小林 幸一(津南案内人)

     中津川電源開発は、都市に送る電力以外に地元の開田にも利用されました。大正8年正面ヶ原の開田事業の水源として県が発注し、用水が不足した際には、補給をするという目的で、穴藤の中津川第2発電所の取水口から従来の秋成の古田用に合流するよう灌漑用水路が引かれました。
     この灌漑用水路は、発電所工事の軌道と併設してつくられたため度々問題を起こし、地元に設立された水利組合は引き渡しを拒否し、維持管理は昭和26年まで電力側が行っていました。
     津南町史や反里口の頭首口に建立された石碑によれば、取水口から中深見の合流地点までには8か所の隧道があり、管理が大変でした。また水路の開閉権は電力会社が握っており、充分な用水は供給できませんでした。
     中津川第一発電所が完成した大正13年夏には水不足が生じ、開墾が進んだ大正15年には、正面ヶ原の5分の4の水田が枯れ死寸前になり、電力会社の利害に振り回されました。また軌道脇に併設されたことから中津川の氾濫をもろに受け、昭和23年アイオン、24年にキティと立て続きに来襲した台風で地山もろとも決壊し水田への用水は途絶えました。
     そこで多方面に陳情し、下流の石坂から揚水設備を設けたものの水路全体の老朽化が甚だしく現在の反り口頭首工工事に取り掛かりました。
    このエリアは秋山林道のような戦後の開発から外れ、土砂崩壊した場所以外は百年前の姿が残っている貴重なエリアです。

    2024年6月1日号

  • 【ありたけの金を御国へ捧げませう】

    これって開戦前夜

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     内閣官房の国民保護ポータルサイトには武力攻撃から身を守る事態への対処として全国の緊急時避難施設が載っている。例えば私の住んでいる集落なら清津峡小学校になっていて、ミサイルなどの飛来時には避難することになる。う~ん… これって戦争の準備じゃないの? でも地下構造物と違って、校舎は窓が多い造りで危なくない? と一人でブツブツ…
     他にも化学物質や生物兵器、核兵器の対処法も書いてあるが、どれも同じ口と鼻をハンカチでふさいで逃げ、避難した部屋で窓を目張りするイラストが描いてある。国民の命を守る方法としてこれで大丈夫? つまり命を守る具体策を国は自治体に丸投げして予算をつけてないのではないか? 一方で今年度の防衛費と防衛力強化関連経費の合計額は約8兆900億円(GDP比で約1・6%)に上る。【ありたけの金を御国へ捧げませう】 【黙って働き笑って納税】 先週、国会衆院本会議では有事で食料危機に陥ったとき、農家に増産を指示する食料供給困難事態対策法が可決した。これも戦争の準備では?今まで減反や農作物輸入や種苗法など農家をいじめて食料自給率を落としておいて、今度は生産計画に従わないと氏名を公表して罰金ですよ。いやはや既に戦争は始まっているのかもしれない。【増産は土の戦士の殊勲甲】
     27日の夜、沖縄県では「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中や地下に避難して下さい」とJアラートが響いた。2日前に予め北朝鮮から海上保安庁に対し、人工衛星を打ち上げると通報があった。冷静に見ればミサイルと人工衛星が同じ警報? わざと戦争の危機感を煽ってない? と思う。警報慣れしてしまうよ。【敵より怖い心のゆるみ】
     憲法改正をめぐって岸田総理は、「緊急事態・混乱の中で、国会などの機能を維持できるのかは、今まさに国民に問うべきテーマ。時代にそぐわない部分、不足している部分については、果断に見直しを行っていかなければならない」と言う。いやいや緊急時には現行法でも対処できる。緊急事態条項を含む憲法改変は必要ない。憲法遵守義務を負う立場の総理が拙速に改変を言い出すのは戦争準備のため? 緊急時となれば国民の権利や自由は制限され、権限は政府に集められる。【進め一億火の玉だ】
     このところのニュースを見ていると昔の戦争標語が頭の中をグルグル回って開戦前夜みたいな気分になってしまう。さて一杯飲んで気分転換しようかなあ…【酒で乱すな銃後の護り】 

    2024年6月1日号

  • 人の心を動かす「天狗」に

    赤澤神楽7年ぶり本舞台

    バトン受け継ぐ滝沢了さん

     郷土芸能『赤澤神楽』を現代に繋ぐ、津南町赤沢集落(123世帯)。2010年に町無形文化財指定を受けている。地元の赤澤神楽保存会(滝沢正男会長、19人)が伝統を継ぐなか、今夏8月18日、7年ぶりの本舞台公演が決まっている。演者の世代交代があるなか、赤澤神楽のエースといえる天狗を28年間務めた演者から昨年バトンを受け、令和の新たな天狗となった滝沢了さん(39)。昨秋の津南芸能フェスティバルで初舞台。

    2024年6月1日号

  • 再エネの源、それは「雪」

     再生可能エネルギーの分野は広い。太陽光・風力・地熱・有機質バイオマス、さらに自然の力を活用の再エネは多分野ある。だが、安定性から再注目は「水力発電」。昭和初期、国家事業で全国の河川で発電事業に取り組み、電力会社再編で関東エリアの東京電力はじめ、東北電力、北海道電力など全国をエリア分けした電力会社が誕生、今に至る。余談だが、東京電力だけが特定地名の社名だ。財閥のドンの一声で決まったという。「将来日本の中心は東京になる。世界に向けて日本の代表は東京。だから東京電力」なのだそうだ。
     水力発電は、ここ妻有地域にとって「共存共栄」の関係だ。発電事業者はこの国を代表する企業の東京電力・東北電力・JR東日本だ。さらに注目は、妻有の地は信濃川が創り出した日本有数の河岸段丘の地。つまり水力発電に欠かせない落差を自然が創り出し、その段丘ごとに小河川が流れている。これは「水力発電をしなさい」と天の声が言っているような地形だ。
     津南町は民間企業と組み、この段丘地を活用した小水力発電を新たに2基設ける。その発電は「地産地消」を名目に売電する。いまの東北電力より安価で提供できるかどうか、それが課題だが取組みの可能性は広がる。それはこの河岸段丘の地形が物語っている。
     その課題になるのが「水利権」の存在。今回は農業用水を活用した小水力発電だが、さらにスケールアップするには水利権が大きな課題になる。だが、様々な分野で規制緩和が進むなかで見えてくる分野がある。それは「雪」。水の前の姿である。雪が融けて水になり、流れて川になり、その水の流れがエネルギーを生む。ならば、この有り余る「雪」の権利主張をしてはどうか。
     山に降る雪、段丘地が蓄える雪、すべて水エネルギーの源である。「この雪は我が自治体の雪です」、そんな主張をしても、もういい時代ではないか。

    2024年6月1日号

  • 小水力の適地、電気「地産地消」を

    みらい・パートナーズが2発電所建設

    津南町農業用水活用

     福島第一原発事故後、より関心を集める自然エネルギー。国は温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させる「2050年カーボンニュートラル」実現を掲げている。各自治体も国目標に合わせ活動を進めるなか、昨年に「ゼロカーボン戦略」を策定した津南町で、新たな小水力発電事業がスタートする。津南原高原地内に、水力発電所の開発など手がける株式会社みらい・パートナーズ」(東京・中央区、資本金8800万円。以下みらい社)が農業用水活用の水力発電所を2ヵ所(最大出力計965㌔㍗)新設する。町内の小水力発電は、農業用水活用の町直営「雑水山第二発電所」(同39㌗、2015稼働)、砂防ダム活用の関電工「上結東水力発電所」(同990㌗、2020年稼働)に続き3ヵ所目になる。

    2024年5月25日号

  • 技術力アップで備え

    信濃川水防訓練

    国県消防ら連携で

     〇…水災害を防げ―。国交省や県、十日町市や津南町、さらに十日町地域消防や消防団などの連携を深め備える「信濃川水防訓練」は16日夜、津南町の中津川運動公園で行い、総勢140人余が参加。少し雨が降る悪天候の中で、河川水位上昇が長期間継続で堤防盛土が緩くなった時の応急処置「木流し工法」や堤防を越水する危険性がある時にビニールシートを敷いた上に土のうを積む「改良積み土のう工法」、さらに専門業者による「ブロック投入工法」の3訓練を行った。

    2024年5月25日号

  • 辻井伸行さんのピアノ演奏に思う

    たかき医院と魚沼基幹病院、新大病院が連携

    Vol 98

     「泣きながら歯を食いしばってなんてしていません。毎日笑いながらやっています」。先月、全国の産婦人科医が一堂に集まる日本産婦人科学会に行って来ました。今回、学会内の特別プログラムとして辻井伸行さんのピアノコンサートがあると聞き、こんな機会は無いと自分の休診を利用して、主にコンサートに参加してきました。
     コンサートは圧巻! 久しぶりにライブ演奏を聴いたというのもあるのでしょう。彼作曲のオリジナル曲から、よく知られているクラシックの曲まで、60分という短い時間の中でトークを交え、立て続けに10曲近く演奏してくださいました。あまりに感激して、しばらくの間YouTubeなどでプログラムにあったピアノ曲を何度も何度も聴きました。
     なぜ辻井伸行さんが学会でピアノコンサートを演奏して下さったかというと、彼のおじいさん、おじさん、お父さんは産婦人科医なのです。そのつながりで出演依頼があり、今回のコンサート開催に至ったのだと思います。
     コンサートに先立ち、会場にお父さんからの挨拶動画が流れました。自分の結婚から辻井伸行さんの誕生、目が見えないと分かった時、音楽が好きでおもちゃのピアノを与えたら、3歳でお母さんの歌うジングルベルに合わせて伴奏を弾いたこと、そこからピアノの道へ、などのお話をお聞きしました。
     その話の中で以前取材に来た記者さんが「歯を食いしばって1日に何時間も血へどを吐くような練習をされているのでしょうね?」と聞いてきた時に、お父さんが「1日に8時間も練習していますが、彼がそんな苦しい様子で練習している様子は、一度も見たこと無いですよ」と冒頭の話をしたとか。このお父さんの言葉はとても印象に残りました。
     私は、先月4月より院長に就任し、毎週木曜日は魚沼基幹病院より経験豊かな先生方と一緒に仕事を、さらに月に一度は週末には新潟大学病院からの先生をお招きして仕事のサポートをお願いすることになりました。
     私が過労でたかき医院を続けられなくなり、地域のお産できる病院を一つ潰してしまわない様にとの各方面からのご配慮です。
     気が小さい私は、どんな毎日になるのだろうかと、4月初めは原因の分からない胃の痛みに苛まれましたが、始まって見れば外部からいらっしゃる先生方に最新の医療技術のお話を聞いたり、患者様のことで気軽に相談出来たりと良いことばかりでした。
     特に基幹病院の先生方は優しく丁寧な先生ばかりで安心しました。患者様もわざわざ峠を越えなくても専門的な診療が受けられ、手術の相談やセカンドオピニオンなどが自宅近くで出来ることになったので、本当に良かったのではないかと思っています。
     3重苦のヘレン・ケラーの生前の言葉に「友達がいれば、毎日世界は変わります」があります。引っ込み思案な私ですが、新たな扉を開けてたくさんの方と知り合い、その手を借りながら毎日楽しく仕事を続けていきたいと思っています。
     ぜひその手を貸してくださるという方は、たかき医院の健闘を「産声を上げた働き方改革~医療現場のジレンマ~」、NST新潟総合テレビ5月25日午後2時からのドキュメンタリー番組でご覧ください! (たかき医院・仲栄美子院長)

    2024年5月25日号

  • 『四国八十八霊場、お遍路で「荷」を置く』

    高橋 勇さん(1953年生まれ)

     高校2年の夏。
    「自転車で友だちと大阪万博へ行っていいか」
    『だめだ』
    「校長がいいと言えば、行ってもいいか」

     時は1970年、大阪万博開催。父にダメ出しされたが、すぐに動いた。県立十日町高校、当時の校長は歴代に名を残す名物校長の深田虎雄校長。万博行きを直接聞いた。「いましか出来ないことだ、行ってこい」、それは明快だった。
     高校2年の夏休み。友と2人で自転車にテント、自炊道具、食糧など積み、早朝出発。野宿をしながら長野から木曽路、岐阜、滋賀を通り大阪へ。「行きに6日かかった。友だちの親戚が大阪に居るというので、そこに泊まるつもりで行ったが、なんと引っ越していた。不動産屋に頼み込んで、その空き家に泊めてもらったが、電気はストップ、水風呂に入った」。夏休み後半の高校の北海道修学旅行に間に合わなくなり、「仕方なく、列車で帰ってきた」。
     十高生徒会役員の時、校則廃止を求め直談判へ。その時の問答。
    「喫茶店に行ったことがあるか」
    『はい、行きました』
    「校則違反だな。今日か
    ら3日間停学だ」
     その日は金曜日。この日午後から停学となり、金曜、土曜、日曜の3日間の停学。これが後世に伝わる『深田裁定』。十高時代の出会いが、その後の人生観に影響している。当時の倫理社会の教諭・髙橋竹雄先生(現勝又)の影響で「倫社の高校教諭」をめざす。
     進学先は國學院大哲学科。学内を歩いていると少林寺拳法部の勧誘を受け入部。「そこは、あの漫画『花の応援団』そのままでした。オスッの毎日。理不尽、不条理、そんな世界だったが、自分が上になるようになり、そんな体質は変えた」。
     大学4年、新潟県教員試験を受けるが採用ならず。そんな時「父から連絡が来て、駐在さんが誘いにきたぞと、試験だけでも受けてみろと言われ、受験した」。当初、学生運動に対する機動隊に良いイメージはなかったが新卒で入る。そこで良い同期、尊敬できる教官と出会い不安は払拭した。

     警察官37年間、刑事畑を歩む。警察学校の指導巡査、関東管区機動隊なども勤務。「年間百体くらいの検死をした。先輩から『身内と思え』と繰り返し言われた」。事件はもちろん病死、溺死、事故死などあらゆる現場を経験。「退職したら遍路に行こうと決めていた」。それは現職時代に抱え背負った荷、まとわりついた『情念』を置いて来たかったから。
     10年前に退職。すぐに四国八十八霊場・遍路の旅に出た。退職の春、4月中旬から6月上旬まで、すべてを歩き通した。高野山での出会いは忘れがたい。「御朱印を推す職員の方だったが『高野山から歩き始め、再び高野山まで歩き通す遍路はほとんどいない。本当にやる気か』と親身になって教えてくれた。この人との出会いがなければ、歩き通せなかったかもしれない」。今もこの人とは交友が続いている。
     
     出会いは続く。現職もあと5年ほどになった頃。小出署勤務時代に通った英会話教室で活動を知る。浦佐・国際大学のベトナム留学生の「日本語チューター」(補佐指導者)活動をボランティアで務め、いまも続ける。
    ある日、自宅に女子留学生3人を招く。ベトナム料理を作ってくれ食卓を囲む。「私の母は恥ずかしがって食卓に来なかった。すると『なぜおばあさんはここに来ないのですか』と」。呼びに行き食卓に一緒に着くと「母に次々と言葉を掛け、すっかり打ち解けた。あ~こういう事かと分かりましたね」。年配者を大切にする、その気持ちを強く感じた。その後、結婚式に招待され、二度もベトナムへ行った。日本語チューターはもう15年目になる。
     さらに縁を感じる出会いは続く。地元川西・千手神社の奉賛会役員の誘いを受けた。県神社庁中魚沼支部の総代会副会長を務める。「でも、これ以上いろいろな役は引き受けない方がいいと家族に言われ、その日の朝、入会を断った。その日の昼、大学時代の友人で東京日野市の八坂神社の神主をしている友だちから本が贈られてきた。家族はそれを見て『これは何かの印、お告げかも』と言い、奉賛会役員を受けたんです。不思議な巡り合わせがあるもんですね。それにしても出会いは、おもしろい」。

    ◆バトンタッチします。「田邊武さん」

    2024年5月25日号

  • 理想の看護の道、28人が誓う

     「最善の看護を提供できる看護師になることを誓います」、「何があっても折れない芯のある看護師をめざします」。これから本格的な実習に向かう、看護師の卵たちがナイチンゲール像の前から灯りを受け取り、理想の看護の道を進む誓いの言葉を語った。

    2024年6月1日号

  • 『毎朝書く「あ」、その日の始まり』

    田邊 武さん(1960年生まれ)

     毎朝、15分ほどひたすら『あ』を書く。梵字。アジアをルーツの古代インド・サンスクリット語に由来を持つという。書ではあるが「書く」というより「描く」世界観から、仏教国以外でもその形状の妙で、外国でも関心を集める「書」だ。
     梵字『あ』
    は、これ。書
    くことで自分の体調や精神のありようが分かる。「時間がない時は自分の手のひらに書き、その時の自分が分かります。体調が悪い時は、思うように書けないし、何か気になることがある時も、やはり出来は良くないです」。20年前から自宅で梵字教室を開き、昨年9月には小千谷市街地でも教室を開く。「初めの頃は数人でした。いまは20人を超える方々が梵字と向き合っています。写経に通じるものがありますが、梵字には独特の世界観と精神性があります」。

     小学時代から書道が好きだった。書の面白さと奥深さに取りつかれ、30代の時、十日町市展で市展賞を取った。だが、「なんと言えばいいのでしょうか、市展賞を取ったことへの妬みでしょうか、そんな声が回りから聞こえ、嫌な感じを受けました。競うコンテストはもう止めようと、自分の世界を求めていこうと、そんな思いの時、梵字に出会いました」。
     書は続けた。川西なかまの家での書道指導は20年余り続け、いまも子どもたち向け書道教室を川西・野口の自宅で開く。 一方で梵字は、自分の思いが放たれたように、繋
    がりの世界を広げている。 すべてのモノの始まりの「あ(阿)」、すべてのモノの終わりの「うん(吽)」から、神羅万象の世界観を求め、梵字工房 「阿吽(あうん)」を主宰。号は『田邊奝武(ちょうぶ)』。国際梵字佛協会講師、梵字佛書道家であり書家である。

     今春3月25日から4月24日まで、インド南北3000㌔を旅した。インド洋・アラビア海・ベンガル湾の三つの海が交わるインド最南端「コモリン岬」から最北地カシミールまで梵字奉納の旅。インドの大学留学経験を持つ研究者と同行。南部はヒンドゥー教、いまも紛争地になっている北部カシミールはイスラム教の地。インドの国情の複雑さを肌で感じた。
     カシミールで14歳の少年、というより大人の雰囲気を持つ学生と出会った。「自分たちの言葉を含め英語など3ヵ国語を話します。彼らは生きるために言葉を覚えます。私たちを迎えてくれた人は英語はじめ地元の言葉など10ヵ国語を話します。話せなければ商売も取引もできない。生きるために言葉を身につける、日本との違いは大きいですね」。
     インド旅の道中、持参した自書の梵字『あ』と意味を英訳した資料を、出会う人たちに手渡した。その形が少しアラビア語に似ているためか関心を示した。14歳の少年は、アラビア語で書かれた「コーラン」のハンドブックを譲ってくれた。「私たちの前で、コーランを詠んでくれました。独特の抑揚の声と言葉でした。イスラム教の精神性を感じました」。
     2022年にはネパールへ梵字奉納で訪れた。「長野の小児科医の先生が、現地の乾燥地に100万本の木を植える活動を長年続け、先生が高齢で行けないため、代わりに活動支援する方と一緒に現地を訪ねました。乾燥の荒廃地が緑に変わっていて、子どもたちの病気も少なくなっていると聞きました。100万本の木運動で緑の土地に変わっていました」。
     
     梵字がつなぐ不思議な縁は、日本でも出会いを生み出している。2011東日本大震災地の地、福島・会津若松で震災供養を込め梵字展を開いた。そのギャラリー・オーナーが宇宙開発機構JAXA勤務退職の人で、ロケット開発者で奝円流梵字を広めた三井奝円氏の導きを感じている。
     一昨年は奈良・大神(おおみや)神社や三条市で梵字展を開き、今年も今月4日から21日まで大神神社で日本画などと展示会を開き、9月14日から22日までは十日町情報館で梵字展を開く。
     
     「梵字を学ぶ人が増えていることは、自分と向き合う時間を求める人が増えている証しでもあります。筆を動かし、和紙に書く、その所作の中に高い精神性があります。特に梵字はその形ひとつ一つに意味がありますから」。
     梵字奉納の国内巡りを続けている。「そうですね、まだ20都府県ちょっとでしょうか。全国を回るつもりです」。
      
    ◆バトンタッチします。
     「北村フミ子さん」

    2024年6月1日号

  • 中津川発電所と正面ヶ原開田

    小林 幸一(津南案内人)

     中津川電源開発は、都市に送る電力以外に地元の開田にも利用されました。大正8年正面ヶ原の開田事業の水源として県が発注し、用水が不足した際には、補給をするという目的で、穴藤の中津川第2発電所の取水口から従来の秋成の古田用に合流するよう灌漑用水路が引かれました。
     この灌漑用水路は、発電所工事の軌道と併設してつくられたため度々問題を起こし、地元に設立された水利組合は引き渡しを拒否し、維持管理は昭和26年まで電力側が行っていました。
     津南町史や反里口の頭首口に建立された石碑によれば、取水口から中深見の合流地点までには8か所の隧道があり、管理が大変でした。また水路の開閉権は電力会社が握っており、充分な用水は供給できませんでした。
     中津川第一発電所が完成した大正13年夏には水不足が生じ、開墾が進んだ大正15年には、正面ヶ原の5分の4の水田が枯れ死寸前になり、電力会社の利害に振り回されました。また軌道脇に併設されたことから中津川の氾濫をもろに受け、昭和23年アイオン、24年にキティと立て続きに来襲した台風で地山もろとも決壊し水田への用水は途絶えました。
     そこで多方面に陳情し、下流の石坂から揚水設備を設けたものの水路全体の老朽化が甚だしく現在の反り口頭首工工事に取り掛かりました。
    このエリアは秋山林道のような戦後の開発から外れ、土砂崩壊した場所以外は百年前の姿が残っている貴重なエリアです。

    2024年6月1日号

  • 【ありたけの金を御国へ捧げませう】

    これって開戦前夜

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     内閣官房の国民保護ポータルサイトには武力攻撃から身を守る事態への対処として全国の緊急時避難施設が載っている。例えば私の住んでいる集落なら清津峡小学校になっていて、ミサイルなどの飛来時には避難することになる。う~ん… これって戦争の準備じゃないの? でも地下構造物と違って、校舎は窓が多い造りで危なくない? と一人でブツブツ…
     他にも化学物質や生物兵器、核兵器の対処法も書いてあるが、どれも同じ口と鼻をハンカチでふさいで逃げ、避難した部屋で窓を目張りするイラストが描いてある。国民の命を守る方法としてこれで大丈夫? つまり命を守る具体策を国は自治体に丸投げして予算をつけてないのではないか? 一方で今年度の防衛費と防衛力強化関連経費の合計額は約8兆900億円(GDP比で約1・6%)に上る。【ありたけの金を御国へ捧げませう】 【黙って働き笑って納税】 先週、国会衆院本会議では有事で食料危機に陥ったとき、農家に増産を指示する食料供給困難事態対策法が可決した。これも戦争の準備では?今まで減反や農作物輸入や種苗法など農家をいじめて食料自給率を落としておいて、今度は生産計画に従わないと氏名を公表して罰金ですよ。いやはや既に戦争は始まっているのかもしれない。【増産は土の戦士の殊勲甲】
     27日の夜、沖縄県では「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中や地下に避難して下さい」とJアラートが響いた。2日前に予め北朝鮮から海上保安庁に対し、人工衛星を打ち上げると通報があった。冷静に見ればミサイルと人工衛星が同じ警報? わざと戦争の危機感を煽ってない? と思う。警報慣れしてしまうよ。【敵より怖い心のゆるみ】
     憲法改正をめぐって岸田総理は、「緊急事態・混乱の中で、国会などの機能を維持できるのかは、今まさに国民に問うべきテーマ。時代にそぐわない部分、不足している部分については、果断に見直しを行っていかなければならない」と言う。いやいや緊急時には現行法でも対処できる。緊急事態条項を含む憲法改変は必要ない。憲法遵守義務を負う立場の総理が拙速に改変を言い出すのは戦争準備のため? 緊急時となれば国民の権利や自由は制限され、権限は政府に集められる。【進め一億火の玉だ】
     このところのニュースを見ていると昔の戦争標語が頭の中をグルグル回って開戦前夜みたいな気分になってしまう。さて一杯飲んで気分転換しようかなあ…【酒で乱すな銃後の護り】 

    2024年6月1日号

  • 人の心を動かす「天狗」に

    赤澤神楽7年ぶり本舞台

    バトン受け継ぐ滝沢了さん

     郷土芸能『赤澤神楽』を現代に繋ぐ、津南町赤沢集落(123世帯)。2010年に町無形文化財指定を受けている。地元の赤澤神楽保存会(滝沢正男会長、19人)が伝統を継ぐなか、今夏8月18日、7年ぶりの本舞台公演が決まっている。演者の世代交代があるなか、赤澤神楽のエースといえる天狗を28年間務めた演者から昨年バトンを受け、令和の新たな天狗となった滝沢了さん(39)。昨秋の津南芸能フェスティバルで初舞台。

    2024年6月1日号

  • 再エネの源、それは「雪」

     再生可能エネルギーの分野は広い。太陽光・風力・地熱・有機質バイオマス、さらに自然の力を活用の再エネは多分野ある。だが、安定性から再注目は「水力発電」。昭和初期、国家事業で全国の河川で発電事業に取り組み、電力会社再編で関東エリアの東京電力はじめ、東北電力、北海道電力など全国をエリア分けした電力会社が誕生、今に至る。余談だが、東京電力だけが特定地名の社名だ。財閥のドンの一声で決まったという。「将来日本の中心は東京になる。世界に向けて日本の代表は東京。だから東京電力」なのだそうだ。
     水力発電は、ここ妻有地域にとって「共存共栄」の関係だ。発電事業者はこの国を代表する企業の東京電力・東北電力・JR東日本だ。さらに注目は、妻有の地は信濃川が創り出した日本有数の河岸段丘の地。つまり水力発電に欠かせない落差を自然が創り出し、その段丘ごとに小河川が流れている。これは「水力発電をしなさい」と天の声が言っているような地形だ。
     津南町は民間企業と組み、この段丘地を活用した小水力発電を新たに2基設ける。その発電は「地産地消」を名目に売電する。いまの東北電力より安価で提供できるかどうか、それが課題だが取組みの可能性は広がる。それはこの河岸段丘の地形が物語っている。
     その課題になるのが「水利権」の存在。今回は農業用水を活用した小水力発電だが、さらにスケールアップするには水利権が大きな課題になる。だが、様々な分野で規制緩和が進むなかで見えてくる分野がある。それは「雪」。水の前の姿である。雪が融けて水になり、流れて川になり、その水の流れがエネルギーを生む。ならば、この有り余る「雪」の権利主張をしてはどうか。
     山に降る雪、段丘地が蓄える雪、すべて水エネルギーの源である。「この雪は我が自治体の雪です」、そんな主張をしても、もういい時代ではないか。

    2024年6月1日号

  • 小水力の適地、電気「地産地消」を

    みらい・パートナーズが2発電所建設

    津南町農業用水活用

     福島第一原発事故後、より関心を集める自然エネルギー。国は温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させる「2050年カーボンニュートラル」実現を掲げている。各自治体も国目標に合わせ活動を進めるなか、昨年に「ゼロカーボン戦略」を策定した津南町で、新たな小水力発電事業がスタートする。津南原高原地内に、水力発電所の開発など手がける株式会社みらい・パートナーズ」(東京・中央区、資本金8800万円。以下みらい社)が農業用水活用の水力発電所を2ヵ所(最大出力計965㌔㍗)新設する。町内の小水力発電は、農業用水活用の町直営「雑水山第二発電所」(同39㌗、2015稼働)、砂防ダム活用の関電工「上結東水力発電所」(同990㌗、2020年稼働)に続き3ヵ所目になる。

    2024年5月25日号

  • 技術力アップで備え

    信濃川水防訓練

    国県消防ら連携で

     〇…水災害を防げ―。国交省や県、十日町市や津南町、さらに十日町地域消防や消防団などの連携を深め備える「信濃川水防訓練」は16日夜、津南町の中津川運動公園で行い、総勢140人余が参加。少し雨が降る悪天候の中で、河川水位上昇が長期間継続で堤防盛土が緩くなった時の応急処置「木流し工法」や堤防を越水する危険性がある時にビニールシートを敷いた上に土のうを積む「改良積み土のう工法」、さらに専門業者による「ブロック投入工法」の3訓練を行った。

    2024年5月25日号

  • 辻井伸行さんのピアノ演奏に思う

    たかき医院と魚沼基幹病院、新大病院が連携

    Vol 98

     「泣きながら歯を食いしばってなんてしていません。毎日笑いながらやっています」。先月、全国の産婦人科医が一堂に集まる日本産婦人科学会に行って来ました。今回、学会内の特別プログラムとして辻井伸行さんのピアノコンサートがあると聞き、こんな機会は無いと自分の休診を利用して、主にコンサートに参加してきました。
     コンサートは圧巻! 久しぶりにライブ演奏を聴いたというのもあるのでしょう。彼作曲のオリジナル曲から、よく知られているクラシックの曲まで、60分という短い時間の中でトークを交え、立て続けに10曲近く演奏してくださいました。あまりに感激して、しばらくの間YouTubeなどでプログラムにあったピアノ曲を何度も何度も聴きました。
     なぜ辻井伸行さんが学会でピアノコンサートを演奏して下さったかというと、彼のおじいさん、おじさん、お父さんは産婦人科医なのです。そのつながりで出演依頼があり、今回のコンサート開催に至ったのだと思います。
     コンサートに先立ち、会場にお父さんからの挨拶動画が流れました。自分の結婚から辻井伸行さんの誕生、目が見えないと分かった時、音楽が好きでおもちゃのピアノを与えたら、3歳でお母さんの歌うジングルベルに合わせて伴奏を弾いたこと、そこからピアノの道へ、などのお話をお聞きしました。
     その話の中で以前取材に来た記者さんが「歯を食いしばって1日に何時間も血へどを吐くような練習をされているのでしょうね?」と聞いてきた時に、お父さんが「1日に8時間も練習していますが、彼がそんな苦しい様子で練習している様子は、一度も見たこと無いですよ」と冒頭の話をしたとか。このお父さんの言葉はとても印象に残りました。
     私は、先月4月より院長に就任し、毎週木曜日は魚沼基幹病院より経験豊かな先生方と一緒に仕事を、さらに月に一度は週末には新潟大学病院からの先生をお招きして仕事のサポートをお願いすることになりました。
     私が過労でたかき医院を続けられなくなり、地域のお産できる病院を一つ潰してしまわない様にとの各方面からのご配慮です。
     気が小さい私は、どんな毎日になるのだろうかと、4月初めは原因の分からない胃の痛みに苛まれましたが、始まって見れば外部からいらっしゃる先生方に最新の医療技術のお話を聞いたり、患者様のことで気軽に相談出来たりと良いことばかりでした。
     特に基幹病院の先生方は優しく丁寧な先生ばかりで安心しました。患者様もわざわざ峠を越えなくても専門的な診療が受けられ、手術の相談やセカンドオピニオンなどが自宅近くで出来ることになったので、本当に良かったのではないかと思っています。
     3重苦のヘレン・ケラーの生前の言葉に「友達がいれば、毎日世界は変わります」があります。引っ込み思案な私ですが、新たな扉を開けてたくさんの方と知り合い、その手を借りながら毎日楽しく仕事を続けていきたいと思っています。
     ぜひその手を貸してくださるという方は、たかき医院の健闘を「産声を上げた働き方改革~医療現場のジレンマ~」、NST新潟総合テレビ5月25日午後2時からのドキュメンタリー番組でご覧ください! (たかき医院・仲栄美子院長)

    2024年5月25日号

  • 『四国八十八霊場、お遍路で「荷」を置く』

    高橋 勇さん(1953年生まれ)

     高校2年の夏。
    「自転車で友だちと大阪万博へ行っていいか」
    『だめだ』
    「校長がいいと言えば、行ってもいいか」

     時は1970年、大阪万博開催。父にダメ出しされたが、すぐに動いた。県立十日町高校、当時の校長は歴代に名を残す名物校長の深田虎雄校長。万博行きを直接聞いた。「いましか出来ないことだ、行ってこい」、それは明快だった。
     高校2年の夏休み。友と2人で自転車にテント、自炊道具、食糧など積み、早朝出発。野宿をしながら長野から木曽路、岐阜、滋賀を通り大阪へ。「行きに6日かかった。友だちの親戚が大阪に居るというので、そこに泊まるつもりで行ったが、なんと引っ越していた。不動産屋に頼み込んで、その空き家に泊めてもらったが、電気はストップ、水風呂に入った」。夏休み後半の高校の北海道修学旅行に間に合わなくなり、「仕方なく、列車で帰ってきた」。
     十高生徒会役員の時、校則廃止を求め直談判へ。その時の問答。
    「喫茶店に行ったことがあるか」
    『はい、行きました』
    「校則違反だな。今日か
    ら3日間停学だ」
     その日は金曜日。この日午後から停学となり、金曜、土曜、日曜の3日間の停学。これが後世に伝わる『深田裁定』。十高時代の出会いが、その後の人生観に影響している。当時の倫理社会の教諭・髙橋竹雄先生(現勝又)の影響で「倫社の高校教諭」をめざす。
     進学先は國學院大哲学科。学内を歩いていると少林寺拳法部の勧誘を受け入部。「そこは、あの漫画『花の応援団』そのままでした。オスッの毎日。理不尽、不条理、そんな世界だったが、自分が上になるようになり、そんな体質は変えた」。
     大学4年、新潟県教員試験を受けるが採用ならず。そんな時「父から連絡が来て、駐在さんが誘いにきたぞと、試験だけでも受けてみろと言われ、受験した」。当初、学生運動に対する機動隊に良いイメージはなかったが新卒で入る。そこで良い同期、尊敬できる教官と出会い不安は払拭した。

     警察官37年間、刑事畑を歩む。警察学校の指導巡査、関東管区機動隊なども勤務。「年間百体くらいの検死をした。先輩から『身内と思え』と繰り返し言われた」。事件はもちろん病死、溺死、事故死などあらゆる現場を経験。「退職したら遍路に行こうと決めていた」。それは現職時代に抱え背負った荷、まとわりついた『情念』を置いて来たかったから。
     10年前に退職。すぐに四国八十八霊場・遍路の旅に出た。退職の春、4月中旬から6月上旬まで、すべてを歩き通した。高野山での出会いは忘れがたい。「御朱印を推す職員の方だったが『高野山から歩き始め、再び高野山まで歩き通す遍路はほとんどいない。本当にやる気か』と親身になって教えてくれた。この人との出会いがなければ、歩き通せなかったかもしれない」。今もこの人とは交友が続いている。
     
     出会いは続く。現職もあと5年ほどになった頃。小出署勤務時代に通った英会話教室で活動を知る。浦佐・国際大学のベトナム留学生の「日本語チューター」(補佐指導者)活動をボランティアで務め、いまも続ける。
    ある日、自宅に女子留学生3人を招く。ベトナム料理を作ってくれ食卓を囲む。「私の母は恥ずかしがって食卓に来なかった。すると『なぜおばあさんはここに来ないのですか』と」。呼びに行き食卓に一緒に着くと「母に次々と言葉を掛け、すっかり打ち解けた。あ~こういう事かと分かりましたね」。年配者を大切にする、その気持ちを強く感じた。その後、結婚式に招待され、二度もベトナムへ行った。日本語チューターはもう15年目になる。
     さらに縁を感じる出会いは続く。地元川西・千手神社の奉賛会役員の誘いを受けた。県神社庁中魚沼支部の総代会副会長を務める。「でも、これ以上いろいろな役は引き受けない方がいいと家族に言われ、その日の朝、入会を断った。その日の昼、大学時代の友人で東京日野市の八坂神社の神主をしている友だちから本が贈られてきた。家族はそれを見て『これは何かの印、お告げかも』と言い、奉賛会役員を受けたんです。不思議な巡り合わせがあるもんですね。それにしても出会いは、おもしろい」。

    ◆バトンタッチします。「田邊武さん」

    2024年5月25日号