津南町の季節がやって来た。毎日の天気予報、全国の積雪状況が流れ、「津南町では…」と冬型が強いほどその呼称が頻繁に流れる。このチャンスを生かさない手はない。これまでも「好機」は毎冬訪れていたが、その動きはまだ見られない。労せずして…ではないが、このネームバリュー効果、津南町という名を売る宣伝効果を大きい。今冬、雪が多い予報だけに、またチャンスが巡って来た。
「ふるさと納税」。自治体間競争がさらに過熱気味だ。この「津南町では…」を、ふるさと納税につなげる方策を考える価値があるのでは。あの「平成18年豪雪」、2006年の冬、津南町の呼称は世界に流れた。フランス・ルモンド紙が取り上げ、通信社や個人配信を経由しアメリカにも流れた。ふるさと納税開始の2年前だったが津南町は「人が暮らす大豪雪地」として世界に知られ、その地は、世界から来訪者が集う大地の芸術祭の地でもある。
事業実現の資金確保のCF・クラウドファンディングにも役立ちそうだ。雪で困る豪雪地という側面より、雪を産業につなぐ事業化ならばCFへの関心度は高く、あの津南町という知名度が奏功するだろう。その先に明確なビジネスプランがあれば、継続的な事業展開も可能だし、関心度は高い。
桑原悠町長は2期目就任後、他分野の事業民間や実業家と連携協定を結び、津南町という自治体の可能性を広げている。その分野の先にどう経済が見えて来るのか、どう道筋をどう付けるのか、そこの真価が問われている。すでに37歳町長の町は、知られる存在となり、次なる関心の視点は「次は何をするのか」だろう。
この冬、冬型が強まれば連日のように「津南町」が出るだろう。まさに「好機」だ。このチャンスを逃す手はない。
知恵とアイデアの出し所だ。
さて、どう出るか津南町。
2024年12月21日号
県立高校再編、津南中等校は生き残れるか―。県教委は8日、クロステンで『県立高校の将来構想―中長期を見据えた魅力と活力ある学校づくり―』説明会を開き、少子化で県立高校を10年後の令和16年度(2034)に現行の86校から64校と22校削減する方針を示した。この中で十日町市や津南町など魚沼エリアに位置する津南中等校の「実施形態の転換」に言及。現行の「中等教育学校」から「併設型」「連携型」の実施形態を案として挙げている。ただ「地元自治体との意見交換を重視」して進める方針で今後、地元自治体の本気度が求められる。将来構想の策定は来年3月を予定している。
2024年12月14日号
人口8471人・高齢化率44・51%(11月末)、常勤医師や看護師確保が困難で、近年は再び一般会計からの繰入額が4億円近くなっている自治体病院を抱える津南町。町立津南病院の課題解決模索をと、新潟県イノベーター育成臨床コース主催のリクルートイベント「津南医療未来会議」は10月26日に開催。新潟大学などの医学生や県内勤務の研修医など13人が参加。町立津南病院の林裕作院長が地域医療の実状、さらに今春から非常勤医で週3回勤務と東京などでコンサルタント業の二刀流で働く宮城禎弥医師(27、岐阜県出身)と木村真依医師(27、神奈川県出身)のふたりから今の働き方など聞く時間を用意。参加者同士で病院改革案など議論し、課題山積みの地域病院の現実と向き合いながら、中山間地医療の未来を考える時間となった。第2回は14~15日に「地域医療体感ツアー」と題し、秋山郷の医療課題など議論するワークショップ、大根つぐら作り講習など行う計画だ。
2024年12月14日号
芸は身を助く、それを実感する日々だ。観光ツアーの添乗員歴33年。全都道府県、25ヵ国の国を飛び回り、バス旅行ではツアー参加者の年代に合った歌を車中で披露し、旅行の雰囲気を盛り上げる。「人を楽しませたい」、その思いを込め、今日も旅先まで添乗している。
父は民謡大会に出場、母は台所で家事をしながら演歌を口ずさむ姿を、幼い頃からいつも見てきた。「唄好きの血が私にも流れているのかなぁと思います」。中学は剣道、高校では野球に取り組む。一方で井上陽水のモノマネなど歌の上手さが評判を呼んだ。野球部では「先輩のフォームのモノマネすると、みんなが大笑いしました。でも、マネはうまいのに何で野球はうまくならねぇーんだ、なんて言われていましたね」。
野球に打ち込んだ高校時代、卒業後の進路で親とぶつかった。「どうしても東京へ行きたかった」自分。長男を置いておきたい両親は猛反対。最後は「好きにしろっと言われ、学費を自分で稼ぐため新聞奨学生となり、都内の旅行専門学校へ進みました」。
初めての東京はカルチャーショックの連続。一方で新聞販売所の寮生活は想像以上にハードだった。「朝2時に起きて新聞配達。朝食後、学校へ。寮に帰り夕食後は夜9時まで新聞勧誘という毎日。年間9日くらいしか休みが無かったですね」。このハードの生活を野球部で培った根性で立ち向かい、学校の勉強にも集中。まさに螢雪の功だった。「頑張った分、学校の成績は良かったですよ」。この新聞販売所で1年間、頑張った。
翌年には別の新聞販売所へ転職。再び寮生活。週休2日、読者勧誘はなく自分の時間ができた。「自分の甘さが出ましたね。学校の成績がガタ落ち、時間が無いは言い訳だなと実感しました。今も教訓にしています」。専門学校卒業後はアメリカ行きを思ったが、専門学校の同級生の誘いで都内の旅行会社に就職。会社勤務の疲れをいやす居酒屋で、伴侶「ひろみ」さんと出会い結婚。20歳の時だった。
国内外の添乗員経験を5年積み、国家資格を取得。しかし、さらに自分への課題を課した。「もっと自分を成長させたい」と転職。夜の飲食店、さらに体を動かしたいと佐川急便なども。だが、わが子の誕生で人生観を見直した。28歳の時。「様々な仕事を経験し、我が子は自然の中で育てたいと、生まれたふるさとに帰りました」。今は5人の子の父であり、9人の孫のおじいちゃんである。
再び旅行添乗員の業務に戻り、越後交通で13年ほど働く。業務経験を積むと業務管理のポストに。「お客さんの喜ぶ顔を間近で見たい」と南魚沼市・昭和観光へ転職。バス旅行で添乗すると評判を知っている方々から歌のリクエストがある。楽曲は年代に合わせるためレパートリーを増やしている。「三橋美智也さんの曲などお客さんに喜んでもらうことが、私も嬉しいですね」。企業の社員旅行では若い年代のリズム感ある楽曲も披露する。
そんな時、声が掛かった。十日町市でNHKのど自慢大会の開催が決まり、出てみればと。「話のタネになるかなぁーと思って」、さっそく応募。会場は中里アリーナ。7百人の応募から書類選考で250人に絞り、本選出場は20人、その中に選ばれた。「ゲストは細川たかしさんでした。難しい『望郷じょんがら』を歌ってアピールし、チャンピオン授賞でした」。
出場後、各地の祭りやイベントへの出場依頼が舞い込んだ。だが、「人前で歌う自分の歌声を録音して聞いてみたら、自分はまだまだだなって」。ここからさらに自分を磨いた。「毎日の車での通勤時間や一人カラオケで7時間くらい練習。まだまだ納得できる歌になっていませんよ。お客さんが喜んでくれる顔を、いつも思い描いて練習しています」。
今日も旅に添乗している。「リクエストがあれば、歌います。あくまでも楽しい旅のお手伝いですから。お客様の笑顔が第一です」。
▼バトンタッチします
岡村さやかさん
2024年12月14日号
12月4日は中村哲医師の命日、何者かに銃撃されて崇高な命が失われた。アフガン難民キャンプで巡回医療を開始し、91年から、山岳地域に診療所を相次いで開いた。その活動を支援する人たちもどんどん増えた。次に続く医師たちも増えた。
2024年12月14日号
反里口から中津川に降りる川原の崖にポッカリと開いた隧道の出口付近は土砂の崩壊で完全に埋まっていますが、その先に軌道の痕跡が残っているかと斜面を探索していると、なんと反里口頭首工の直ぐ傍に軌道跡の盛り土と、併設された灌漑用水路の石組がしっかりと残っていました。
この辺りは今でも斜面が崩落し中津川まで押してきますので、当時も軌道や水路の確保に大変な場所だったと思います。その原因となるのが太古の昔、笹葉峰の大崩落により、幅2.5キロ長さ4.5キロ、落差300㍍で太田新田・見玉方面へ押し出し、大量の土砂が中津川を堰き止めた地域といわれております。
その崩落地形に大正8年に中津川発電所工事の輸送路として軌道が敷かれ、穴藤のダムから正面ヶ原開田地業に引く中津川幹線水路も開通しましたが、昭和24・25年の台風で地山もろとも大崩落し農家を落胆させました。
現在の頭首工は昭和43年に完成し広大な圃場を潤していますが、その傍に残された稲作への熱い想いを忘れてはなりません。
2024年12月14日号
「美容師免許の国家資格を取ってからが本番」と業界内でいわれ、シャンプーやカラーリングから始まり、すべて一人でできるまで2~4年かかるとされる美容師。
2024年12月14日号
来年4月末に市長選がある十日町市。来年6月末に許可権が満了するJR東・宮中取水ダムの水利権。市長選と同じく任期満了となる十日町市議会。動きがピタッと止まっている。時計の針を止めているのは誰か。いやいや、そもそも「十日町の時計」は動いていたのか…など、巷間話しは様々な憶測を呼んでいる。
JR東の水利権更新は、今回は10年前と事を大きく異にしている。不正取水による水利権取り消し後、新たに取得した水利権。来年の更新期はいわゆる「一般的な更新」、関係者はこれを「単純更新」と言う。いやいや単純なことなどこの案件にはない、というのが多くの市民感情だろう。来年の更新は、新規取得に比べ格段に事務手続きが簡素で、許可権者の国交省が地元新潟県知事に意見を求め、知事がOKを出せば、そのまま更新許可される。知事は地元の意見を聞くことができるが、聞く必要が無いと判断すれば、十日町市の意見は求めなくていい、そういう「単純更新」だ。
「発電の地元還元を」。来年4月の市長選に挑む新人が掲げる政策だ。JR東・宮中取水ダムで発電する信濃川発電所(小千谷市)。その関係する両自治体への「地元還元」を求め、両市関係者が連携して動いている。市民の間には「そうだよなぁ」と、ジワリと共感が広がりつつある。この論議もない十日町市議会の12月定例会だ。
任期満了の市長に対し、その進退を問うこともしない市議会だ。9日から12日までの一般質問では、誰もその進退を問わない、これはどうしたことか。ここでも「十日町の時計」は止まっている。いや止められているのか。
改選迫る市議会。動き始めているが、新人の名乗りがない。やはり時計が止まっている。大丈夫か、十日町市。
アナログ時計はネジを巻く。昨今のデジタル時計は止まっても分からない。
2024年12月14日号
どう守る会員―。来年4月の合併に向け十日町市の川西、水沢、中里、松之山、松代町の5商工会長は4日、川西・千手中央コミュニティセンターで開かれた合併契約書調印式に臨み署名、捺印した。合併推進協議会長の瀬沼伸彦松代町商工会長は「3年半の協議は長く、これで止めようと思ったこともあった。いくつか問題もあると思うが、お互いにサポートしながら会員一筋にやっていきたい」と合併後の取り組み姿勢を話している。
県の財政再建に伴い4年前『商工会は1自治体1商工会に集約』、県補助金は『小規模事業者100未満は補助対象外』とする方針が示され、県商工会連合会の合併推進決議を受け協議を続けて来た。新たに発足する「十日町市商工会」は来年4月1日スタート。会員数は648事業所で、県内48商工会(来年4月合併後)のうち会員数は11番目。初年の令和7年度(2025)予算は約1億6200万円を予定する。
新事務所は旧十日町市社会福祉協議会川西支所を改修して設置。川西以外の商工会は5年後の令和12年度(2029)まで支所として2~3人の職員を置く予定だが、その後どうなるかは未定。「合併しても地域の小規模事業者を守ってほしい」という声にどう応えるか注目される。
2024年12月7日号
「50日間の時はもう大変だったが、今回はお店もギュッとならず、いい間隔だったと思う。今回の形の方が、前回より、その前よりみんなが幸せだったのでは」。関口市長は第9回大地の芸術祭の入込数54万5931人(前回展比4・9%減)を2日の定例会見で発表。入込数は減少だが、ランチタイム時間の飲食店混雑や人気作品が密になり過ぎない状況だったことを指摘し「長期開催によるお客様の分散が、経済効果が地域に得られた」と見解を示している。
2024年12月7日号
津南町の季節がやって来た。毎日の天気予報、全国の積雪状況が流れ、「津南町では…」と冬型が強いほどその呼称が頻繁に流れる。このチャンスを生かさない手はない。これまでも「好機」は毎冬訪れていたが、その動きはまだ見られない。労せずして…ではないが、このネームバリュー効果、津南町という名を売る宣伝効果を大きい。今冬、雪が多い予報だけに、またチャンスが巡って来た。
「ふるさと納税」。自治体間競争がさらに過熱気味だ。この「津南町では…」を、ふるさと納税につなげる方策を考える価値があるのでは。あの「平成18年豪雪」、2006年の冬、津南町の呼称は世界に流れた。フランス・ルモンド紙が取り上げ、通信社や個人配信を経由しアメリカにも流れた。ふるさと納税開始の2年前だったが津南町は「人が暮らす大豪雪地」として世界に知られ、その地は、世界から来訪者が集う大地の芸術祭の地でもある。
事業実現の資金確保のCF・クラウドファンディングにも役立ちそうだ。雪で困る豪雪地という側面より、雪を産業につなぐ事業化ならばCFへの関心度は高く、あの津南町という知名度が奏功するだろう。その先に明確なビジネスプランがあれば、継続的な事業展開も可能だし、関心度は高い。
桑原悠町長は2期目就任後、他分野の事業民間や実業家と連携協定を結び、津南町という自治体の可能性を広げている。その分野の先にどう経済が見えて来るのか、どう道筋をどう付けるのか、そこの真価が問われている。すでに37歳町長の町は、知られる存在となり、次なる関心の視点は「次は何をするのか」だろう。
この冬、冬型が強まれば連日のように「津南町」が出るだろう。まさに「好機」だ。このチャンスを逃す手はない。
知恵とアイデアの出し所だ。
さて、どう出るか津南町。
2024年12月21日号
県立高校再編、津南中等校は生き残れるか―。県教委は8日、クロステンで『県立高校の将来構想―中長期を見据えた魅力と活力ある学校づくり―』説明会を開き、少子化で県立高校を10年後の令和16年度(2034)に現行の86校から64校と22校削減する方針を示した。この中で十日町市や津南町など魚沼エリアに位置する津南中等校の「実施形態の転換」に言及。現行の「中等教育学校」から「併設型」「連携型」の実施形態を案として挙げている。ただ「地元自治体との意見交換を重視」して進める方針で今後、地元自治体の本気度が求められる。将来構想の策定は来年3月を予定している。
2024年12月14日号
人口8471人・高齢化率44・51%(11月末)、常勤医師や看護師確保が困難で、近年は再び一般会計からの繰入額が4億円近くなっている自治体病院を抱える津南町。町立津南病院の課題解決模索をと、新潟県イノベーター育成臨床コース主催のリクルートイベント「津南医療未来会議」は10月26日に開催。新潟大学などの医学生や県内勤務の研修医など13人が参加。町立津南病院の林裕作院長が地域医療の実状、さらに今春から非常勤医で週3回勤務と東京などでコンサルタント業の二刀流で働く宮城禎弥医師(27、岐阜県出身)と木村真依医師(27、神奈川県出身)のふたりから今の働き方など聞く時間を用意。参加者同士で病院改革案など議論し、課題山積みの地域病院の現実と向き合いながら、中山間地医療の未来を考える時間となった。第2回は14~15日に「地域医療体感ツアー」と題し、秋山郷の医療課題など議論するワークショップ、大根つぐら作り講習など行う計画だ。
2024年12月14日号
芸は身を助く、それを実感する日々だ。観光ツアーの添乗員歴33年。全都道府県、25ヵ国の国を飛び回り、バス旅行ではツアー参加者の年代に合った歌を車中で披露し、旅行の雰囲気を盛り上げる。「人を楽しませたい」、その思いを込め、今日も旅先まで添乗している。
父は民謡大会に出場、母は台所で家事をしながら演歌を口ずさむ姿を、幼い頃からいつも見てきた。「唄好きの血が私にも流れているのかなぁと思います」。中学は剣道、高校では野球に取り組む。一方で井上陽水のモノマネなど歌の上手さが評判を呼んだ。野球部では「先輩のフォームのモノマネすると、みんなが大笑いしました。でも、マネはうまいのに何で野球はうまくならねぇーんだ、なんて言われていましたね」。
野球に打ち込んだ高校時代、卒業後の進路で親とぶつかった。「どうしても東京へ行きたかった」自分。長男を置いておきたい両親は猛反対。最後は「好きにしろっと言われ、学費を自分で稼ぐため新聞奨学生となり、都内の旅行専門学校へ進みました」。
初めての東京はカルチャーショックの連続。一方で新聞販売所の寮生活は想像以上にハードだった。「朝2時に起きて新聞配達。朝食後、学校へ。寮に帰り夕食後は夜9時まで新聞勧誘という毎日。年間9日くらいしか休みが無かったですね」。このハードの生活を野球部で培った根性で立ち向かい、学校の勉強にも集中。まさに螢雪の功だった。「頑張った分、学校の成績は良かったですよ」。この新聞販売所で1年間、頑張った。
翌年には別の新聞販売所へ転職。再び寮生活。週休2日、読者勧誘はなく自分の時間ができた。「自分の甘さが出ましたね。学校の成績がガタ落ち、時間が無いは言い訳だなと実感しました。今も教訓にしています」。専門学校卒業後はアメリカ行きを思ったが、専門学校の同級生の誘いで都内の旅行会社に就職。会社勤務の疲れをいやす居酒屋で、伴侶「ひろみ」さんと出会い結婚。20歳の時だった。
国内外の添乗員経験を5年積み、国家資格を取得。しかし、さらに自分への課題を課した。「もっと自分を成長させたい」と転職。夜の飲食店、さらに体を動かしたいと佐川急便なども。だが、わが子の誕生で人生観を見直した。28歳の時。「様々な仕事を経験し、我が子は自然の中で育てたいと、生まれたふるさとに帰りました」。今は5人の子の父であり、9人の孫のおじいちゃんである。
再び旅行添乗員の業務に戻り、越後交通で13年ほど働く。業務経験を積むと業務管理のポストに。「お客さんの喜ぶ顔を間近で見たい」と南魚沼市・昭和観光へ転職。バス旅行で添乗すると評判を知っている方々から歌のリクエストがある。楽曲は年代に合わせるためレパートリーを増やしている。「三橋美智也さんの曲などお客さんに喜んでもらうことが、私も嬉しいですね」。企業の社員旅行では若い年代のリズム感ある楽曲も披露する。
そんな時、声が掛かった。十日町市でNHKのど自慢大会の開催が決まり、出てみればと。「話のタネになるかなぁーと思って」、さっそく応募。会場は中里アリーナ。7百人の応募から書類選考で250人に絞り、本選出場は20人、その中に選ばれた。「ゲストは細川たかしさんでした。難しい『望郷じょんがら』を歌ってアピールし、チャンピオン授賞でした」。
出場後、各地の祭りやイベントへの出場依頼が舞い込んだ。だが、「人前で歌う自分の歌声を録音して聞いてみたら、自分はまだまだだなって」。ここからさらに自分を磨いた。「毎日の車での通勤時間や一人カラオケで7時間くらい練習。まだまだ納得できる歌になっていませんよ。お客さんが喜んでくれる顔を、いつも思い描いて練習しています」。
今日も旅に添乗している。「リクエストがあれば、歌います。あくまでも楽しい旅のお手伝いですから。お客様の笑顔が第一です」。
▼バトンタッチします
岡村さやかさん
2024年12月14日号
12月4日は中村哲医師の命日、何者かに銃撃されて崇高な命が失われた。アフガン難民キャンプで巡回医療を開始し、91年から、山岳地域に診療所を相次いで開いた。その活動を支援する人たちもどんどん増えた。次に続く医師たちも増えた。
2024年12月14日号
反里口から中津川に降りる川原の崖にポッカリと開いた隧道の出口付近は土砂の崩壊で完全に埋まっていますが、その先に軌道の痕跡が残っているかと斜面を探索していると、なんと反里口頭首工の直ぐ傍に軌道跡の盛り土と、併設された灌漑用水路の石組がしっかりと残っていました。
この辺りは今でも斜面が崩落し中津川まで押してきますので、当時も軌道や水路の確保に大変な場所だったと思います。その原因となるのが太古の昔、笹葉峰の大崩落により、幅2.5キロ長さ4.5キロ、落差300㍍で太田新田・見玉方面へ押し出し、大量の土砂が中津川を堰き止めた地域といわれております。
その崩落地形に大正8年に中津川発電所工事の輸送路として軌道が敷かれ、穴藤のダムから正面ヶ原開田地業に引く中津川幹線水路も開通しましたが、昭和24・25年の台風で地山もろとも大崩落し農家を落胆させました。
現在の頭首工は昭和43年に完成し広大な圃場を潤していますが、その傍に残された稲作への熱い想いを忘れてはなりません。
2024年12月14日号
「美容師免許の国家資格を取ってからが本番」と業界内でいわれ、シャンプーやカラーリングから始まり、すべて一人でできるまで2~4年かかるとされる美容師。
2024年12月14日号
来年4月末に市長選がある十日町市。来年6月末に許可権が満了するJR東・宮中取水ダムの水利権。市長選と同じく任期満了となる十日町市議会。動きがピタッと止まっている。時計の針を止めているのは誰か。いやいや、そもそも「十日町の時計」は動いていたのか…など、巷間話しは様々な憶測を呼んでいる。
JR東の水利権更新は、今回は10年前と事を大きく異にしている。不正取水による水利権取り消し後、新たに取得した水利権。来年の更新期はいわゆる「一般的な更新」、関係者はこれを「単純更新」と言う。いやいや単純なことなどこの案件にはない、というのが多くの市民感情だろう。来年の更新は、新規取得に比べ格段に事務手続きが簡素で、許可権者の国交省が地元新潟県知事に意見を求め、知事がOKを出せば、そのまま更新許可される。知事は地元の意見を聞くことができるが、聞く必要が無いと判断すれば、十日町市の意見は求めなくていい、そういう「単純更新」だ。
「発電の地元還元を」。来年4月の市長選に挑む新人が掲げる政策だ。JR東・宮中取水ダムで発電する信濃川発電所(小千谷市)。その関係する両自治体への「地元還元」を求め、両市関係者が連携して動いている。市民の間には「そうだよなぁ」と、ジワリと共感が広がりつつある。この論議もない十日町市議会の12月定例会だ。
任期満了の市長に対し、その進退を問うこともしない市議会だ。9日から12日までの一般質問では、誰もその進退を問わない、これはどうしたことか。ここでも「十日町の時計」は止まっている。いや止められているのか。
改選迫る市議会。動き始めているが、新人の名乗りがない。やはり時計が止まっている。大丈夫か、十日町市。
アナログ時計はネジを巻く。昨今のデジタル時計は止まっても分からない。
2024年12月14日号
どう守る会員―。来年4月の合併に向け十日町市の川西、水沢、中里、松之山、松代町の5商工会長は4日、川西・千手中央コミュニティセンターで開かれた合併契約書調印式に臨み署名、捺印した。合併推進協議会長の瀬沼伸彦松代町商工会長は「3年半の協議は長く、これで止めようと思ったこともあった。いくつか問題もあると思うが、お互いにサポートしながら会員一筋にやっていきたい」と合併後の取り組み姿勢を話している。
県の財政再建に伴い4年前『商工会は1自治体1商工会に集約』、県補助金は『小規模事業者100未満は補助対象外』とする方針が示され、県商工会連合会の合併推進決議を受け協議を続けて来た。新たに発足する「十日町市商工会」は来年4月1日スタート。会員数は648事業所で、県内48商工会(来年4月合併後)のうち会員数は11番目。初年の令和7年度(2025)予算は約1億6200万円を予定する。
新事務所は旧十日町市社会福祉協議会川西支所を改修して設置。川西以外の商工会は5年後の令和12年度(2029)まで支所として2~3人の職員を置く予定だが、その後どうなるかは未定。「合併しても地域の小規模事業者を守ってほしい」という声にどう応えるか注目される。
2024年12月7日号
「50日間の時はもう大変だったが、今回はお店もギュッとならず、いい間隔だったと思う。今回の形の方が、前回より、その前よりみんなが幸せだったのでは」。関口市長は第9回大地の芸術祭の入込数54万5931人(前回展比4・9%減)を2日の定例会見で発表。入込数は減少だが、ランチタイム時間の飲食店混雑や人気作品が密になり過ぎない状況だったことを指摘し「長期開催によるお客様の分散が、経済効果が地域に得られた」と見解を示している。
2024年12月7日号