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妻有新聞掲載記事一覧

  • 「昭和の常識」、現代の非常識だそうだが…

    我が子育てを想う

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     最近、幼子への虐待のニュースが痛ましい。毒を飲ませたとか、冬の浴室に水を浴びせて閉じ込めたとか! 改めてここに書くのもおぞましい。宝物である子どもに、よくもまあ酷い事が出来るなあと思う。
     でも思い出してみると、自分も我が子に手を挙げたことがあった。一人っ子で育ち、幼くして共に育った経験がない。訳も解らず泣き叫ぶ子どもに、どう対応してよいか分からず理性を失う。長女はお父さん子で、父親が居ないと不安になるらしくむずかしかった。
     当時は戦後の高度成長期で、企業戦士と言われ、男親はろくに家にいない。家庭は母親が守るのが当然とされた。夫は兄の事業を手伝うべく、十日町への転職を進めていたので、月の半分を東京と十日町を掛け持ちしていた。 
     幼児期の娘は父親が留守になると、途端に体調を崩しぐずり出す。自家中毒との事。未熟だった私は、娘より私の方が泣きたい位で、思わず頬を平手打ちした。娘も痛かっただろうが、打った私のほうも嫌な思いと痛みが心に残っている。
     次女はもう少し成長した頃、三~四年生頃だったろうか、普段から食べ物に関しては特に厳しくしていた。ある日、その次女が思わず一言「食うものがねぇ」といったのだ。即座に平手打ちをした。そんなに強くしたつもりは無かったのに、次女はすとんと尻もちをついて座り込んだ。これには私も驚いたし、傍にいた姉・兄ともにびっくりして恐れおののいた。
     何十年もたったある時、次女が話した。自分でもすぐにまずい!! と思ったが、即、平手が飛んできたとか。当人もそばにいた姉・兄も決して食べ物には不平を以前にもまして言わなくなった。
     女の子に挟まれた息子は、悪さをしなかったわけでもなく、叱られるようなことも言ったにも拘わらず、罰を与えられなかった。いたずら盛りの頃、空手を習っていた息子は、私が頬を打とうとしても、拳を握った手をさっと自分の顔と頭をかばうように私の手を遮った。さすがに頭や顔は打ってはいけないと思って、彼のお尻に手を回すとその手首を握って押さえつけられた。目的は果たせないままだった。
     そのうえ今は、パソコンだ、スマホだと、何かにつけて彼に頼っていて、叱られるのはこちらばかり。ついこの間も「そんな暗いところで小さな字を見ていると、目を悪くするよ」と注意すると、さっそくスマホ開いて【そんなことはない、読めてさえいれば明るさは関係ない】とのたまう。
    昭和の常識、現代の非常識だそうだ。時代も変わったものだ。

    2024年2月24日号

  • 『果実は命をつなぐ』

    大出 恭子さん(1971年生まれ)

     朝起きて、家の側の木から熟れた桃を取り、食べ、その種は土に返す…
    ニュージーランドでお世話になったガイトン家族
    は、自然と共にある暮しの日々。
     「これだっ」、漠然と求めていたものが目の前にあった。言葉にすると『フードフォレスト』。果樹を植え、完熟果物を食べ、その種は土に返し、種から新たな木が育ち、鳥や動物、人間に果実を与え、その種は再び土に帰り、また新たな果樹が育つ。
     8年前、その思いを形にした。『フード・フォレスト・ジャパン』を立ち上げる。松代や松之山に求めた土地や借地に15種、5百本の果樹を植える。「密植です。山の自然の木々は様々な樹種が密植しています。同じように果樹も自然の中で育ち、雪や風雨などで自然剪定され、育っていきます。実った果物は鳥や動物が食べ、その実はまた自然に帰ります。この鳥や動物は、私のスタッフと思っています」。
     いま会員100人余のフード・フォレスト・ジャパン。毎年植樹を行い、面積を増やしている。「まだ私たちの口に入る果物は少ないですが、明日採ろうかなと思うと、翌日には全て果物がなくなっていたなど、鳥や動物の感覚はすごいですね。でもそれも自然ですね」。
     大学卒業後、南魚沼の国際大学に就職し、英語の熟度が増し、今は新潟県農業大学校の英語講師。大学校で農業分野の知見が深まり、福岡正信著『わら一本の革命』に出会う。十日町に移住し始めた農業、ニュージーランドでの体験、フード・フォレスト・ジャパンの立上げ、すべてがつながっている。食と貧困問題にも取り組みNPOにいがたNGOネットワークのメンバー。「果実は世界の貧困を救います。種はゴミではありません。土に返すことで命をつないでくれます」。
    ◆バトンタッチします。
     「中村紀子さん」

    2024年2月24日号

  • 冬鳥イスカ

    南雲 敏夫(県自然観察指導員)

     赤い冬鳥のイスカ、尾根上のアカマツ林などに多く飛来していて、マツボックリなどかいっばい落ちていたらこの鳥がいると考えて良い。
     このイスカの最大の特徴はくちばしが上下に綺麗に合わさっていない事で、先端が大きく交差しています。鳥のくちばしの形もいろいろとありますが先が交差しているのには訳があります。
     この形はマツ類の球果から種子を取り出しやすいように進化したとも言われています。
     オスは真っ赤の体が鮮やかですが、メスはオスに比べたらとても地味な色合い。
     この仲間のベニマシコやオオマシコ、ナキイスカなどはオスは艶やかな赤色、メスは地味な黄褐色系の色合い。大きさは羽を広げると約28センチもあるので大きめに感じますね。
     冬場は他の鳥も一緒にいる事も多くて撮影時にはマヒワの群れやシジュウカラ、ヒガラ、ヤマガラなども近くにいてとても賑やかな状態でした。
     まだ見る事が可能ですので是非アカマツの周辺を捜して見てください。

    2024年2月24日号

  • 盲点、未調査の海底活断層、原発に影響大

     日本活断層学会の会長・鈴木康弘氏(名古屋大減災連携研究センター教授)は、「過去100年の間で、日本で起きた活断層地震の最大規模が能登半島地震(マグニチュード7・6)だった」と、今年元日発生の地震を月刊誌・世界3月号の「能登半島地震と活断層」で述べている。
     この中で今回の地震を「想定外?」と大きな疑問符を付けている。その疑問符は、震源地の海底活断層において、産業技術総合研究所が認定していた海底活断層が、長さ20数㌔の短い断層としているのに対し、鈴木氏は今回の能登半島地震は「90㌔を超える長い活断層が活動した」と調査結果で指摘。この先には佐渡がある。つまり、柏崎刈羽原発の沖合に近い場所になり、認定されている海域の海底活断層への影響が視野に入り、原発と海底活断層の関係がクローズアップしている。
     原発と活断層は、原発建設前の立地場所問題の前から論議され、研究者によって見解の相違が起き、発電事業者は「影響はない」知見を取り上げ、原発事業を進めてきた歴史がある。今回の能登半島地震により、これまであまり詳細データがない海底活断層に関心が集まり、早急な調査が必要な事態になっている。詳細調査はこれからの原発が立地するのは海岸沿いだけに、海底部分の活断層の存在の有無が、原子力防災の大きな要素になっている。
     原子力防災の不備の一つは、事故時の避難方法にある。今冬は小雪で実感が湧きにくいが、ここ多雪地域の冬場の道路事情は「大雪が降ればひと昔前の世界」に様変わりする。無雪期には幹線道以外の農道や集落道も通れるが、雪が降ればそれらは通行不能、国県道など幹線道も車1台の立ち往生で、深刻な渋滞が発生する。とても避難どころではなくなる現実は、この雪国住人はよく知っている。だからこそ、絵空事の避難方法は、問題外なのである。

    2024年2月24日号

  • 北川氏「妻有に心を寄せる」

    十日町市議会と初直接対話、「ここまで来たのが重要」

    大地の芸術祭

    十日町市議会と大地の芸術祭・北川フラム総合ディレクターが車座で直接意見交換した。市議会主催の「大地の芸術祭の今後の展開についての懇談会」は7日、越後妻有文化ホール段十ろうで開催。「子どもたちが芸術に関わる環境づくりを」や「明石の湯と大地の芸術祭を結びつける方法は」など、市議一人ひとりが北川氏に疑問をぶつける形で進んだ。

    2024年2月17日号

  • 「当たり前のこと」

    ダイワ電気工事の3人

    冬道遭難の男性救助で感謝状

     行方不明だった70代男性を雪道で保護し、命を守った除雪事業者3人の功績を称えた。十日町署(山岸信行署長)は9日、ダイワ電気工事(十日町市松代)の古田島周二取締役部長(48、高田町)、田辺謙一取締役(67、寺田)、臨時社員の小山勝正さん(80、蒲生)の3人に感謝状を贈った。3人は先月25日の早朝~午前にかけ、国道353号線を車でさまよっていた70代男性を不審に思い保護。男性は行方不明で家族が捜索しており、適切な対応で男性の命を守った。

    2024年2月17日号

  • 『ナチュラルライフ』

    森田 れなさん(1988年生まれ)

     東京のマンション暮らし。「隣り近所に迷惑をかけないように気をつかう毎日で、窮屈さを感じていました」。元気盛りの男の子2人を自由に遊ばせたい。東京生まれの夫・淳さんと、これからの暮し方を話し合った。
     祖母が松之山生まれで千葉に暮らす。ならば十日町市から探してみようと、空き家バンクを見ると古民家があった。「訪ねて見たら、これだっと、夫と決めました」。築100年余の家は天井が高く、むき出しの太い梁が歴史を感じさせると同時に、安心感を与える。
     来月には四度目の春を迎える。広い居間を活用し、13年余り取り組む「ヨガ」を指導し、同じくらい取り組むハーブやアロマによる食養生や自然療法を伝える。どちらも指導者の資格を持ち、暮しの中で心と身体をリラックスしてくれる。
     「ここには宝物がいっぱいありますね」。自生するドクダミ、ヨモギ、スギナなど薬草の高い効能を伝え、広めている。移り住んだ年から米作りにも取り組む。農業機械が入らない棚田を借り受け、「前からやってみたかったんです」と、肥料も農薬も使わず、子どもたちと泥んこになりながらのコメ作りを続ける。 
     言葉にすれば「ナチュラルライフ」だが、力みはない。子どもをテーマに映画制作するオオタヴィン監督の『いただきます』など作品上映を通じて、暮しへの思いが少しずつ広がっている。東京生まれの男の子2人、松代生まれの1歳半の長女、子たち3人と日々の生活を楽しむ。「自然の素材がいっぱいです。この子たちにつないでいきたいですね」。
    ◆バトンタッチします。
     「大出恭子さん」

    2024年2月17日号

  • セツブンソウ

    中沢 英正(県自然観察保護員)

     2月、陽射しにぬくもりを感じるようになると、野草好きの人にとって落ち着かない日々の始まりである。各地から花の便りが聞こえてくるからだ。そんな人たちの琴線をいち早く刺激するのがセツブンソウである。
     花期は早い。2月中旬から3月中旬で、それが名の由来となっている。
     分布は本州の関東以西で、残念ながら苗場山麓では見ることができない。この花に逢いたければ近場でも群馬県、栃木県、埼玉県や長野県の南部まで足を運ぶことになる。
     落葉広葉樹の疎林下で、礫が混じる場所を好む。夏には地上部が枯れてしまうスプリング・エフェメラル(春のはかない命)だ。
     草丈は5~10センチ、小さくて可愛い。花は径2センチほど、白い花びらに見えるのは萼片。花びらはしべを囲むように並ぶ黄色い部分で、先が二裂して蜜腺となる面白い形をしている(写真)。
     温暖化の影響で、新潟県でもいつか自生が見られるようになるのかも…。

    2024年2月17日号

  • これは「決意」か、津南町予算案を見る

     津南町の新年度予算案が13日発表され、一つの決意表明が見えた。建設から38年経過、施設設備の大幅更新期を向かえるニュー・グリーンピア津南(NGP津南)。予算案にスキー場施設・ホテル棟の修繕が計上され、一般会計予算額は1億5166万円余。毎年、施設修繕に取り組むが、1億を超える予算は最近では多額だ。なぜ「決意表明」なのか。それは来年、10年間の民間委託契約が満了を向かえ、契約更新の行方に関心が集まるなか、この億単位の施設改修。津南町所有のNGP津南を町は今後も維持する「意志」がそこに見えるのだが…。
     ただ、容易ではないこの先の状況だ。来年の契約満了期に、新たな経営者を視野に入れているのか、あるいは現在の経営者「津南高原開発」が契約更新し、今後も老朽化するホテル経営を続けるのか、その判断の時期が迫っている現実がある。全国的に施設更新期を向えるホテルなど観光施設が、中国資本などに委ねられるケースが多く見られるなか、370㌶の広大な自然たっぷりの敷地のNGP津南である。その敷地面積だけでも大きな魅力であるのは間違いない。すでに交渉が始まっているのか、いや契約更新のための新年度予算案なのか、である。
     今はないが国の年金福祉業団が270億円の巨費を投じて設置したグリーンピア津南。だが38年の歳月は施設全体の更新が待ったなしの状態で、その多額の改修費の捻出に困窮している経営状況だ。町有施設だけに、維持継続するか、新たな活路を見出すか、その判断だろう。その意味で新年度予算案の施設修繕費は、一つの決意表明と見るが、早計だろうか。
     津南町議会は今月29日、新年度予算案を審議する定例議会が開会する。初日、町のトップ・桑原悠町長の施政方針表明がある。ここで、NGP津南への決意が聞かれるか、どうか。

    2024年2月17日号

  • 箱根から世界へ、ロス五輪に照準

    城西大4年 山本唯翔選手(松代・犬伏出身)

    「山の妖精」ふるさと凱旋、「五輪で表彰台に」

     マラソンでオリンピックをめざす―。五輪の登竜門・箱根駅伝の5区山登りで2年連続区間新をマークし最優秀選手賞・金栗四三杯を獲得した『山の妖精』山本唯翔選手(城西大4年)が5日、母校の松代中と松代小を凱旋。歓迎を受けた山本選手は児童生徒に「目標を持ち、その目標に向かって努力してほしい」と諦めずに努力することの大切さを伝えた。山本選手は「服部勇馬選手のようにマラソンでオリンピックをめざし、表彰台に立ちたい」と卒業後は自動車メーカーSUBARU(スバル)に入社、実業団選手として2028アメリカ・ロサンゼルス五輪をめざす。『箱根駅伝から世界へ』。山本選手が世界の舞台へと翔び立つ。

    2024年2月10日号

  • 「昭和の常識」、現代の非常識だそうだが…

    我が子育てを想う

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     最近、幼子への虐待のニュースが痛ましい。毒を飲ませたとか、冬の浴室に水を浴びせて閉じ込めたとか! 改めてここに書くのもおぞましい。宝物である子どもに、よくもまあ酷い事が出来るなあと思う。
     でも思い出してみると、自分も我が子に手を挙げたことがあった。一人っ子で育ち、幼くして共に育った経験がない。訳も解らず泣き叫ぶ子どもに、どう対応してよいか分からず理性を失う。長女はお父さん子で、父親が居ないと不安になるらしくむずかしかった。
     当時は戦後の高度成長期で、企業戦士と言われ、男親はろくに家にいない。家庭は母親が守るのが当然とされた。夫は兄の事業を手伝うべく、十日町への転職を進めていたので、月の半分を東京と十日町を掛け持ちしていた。 
     幼児期の娘は父親が留守になると、途端に体調を崩しぐずり出す。自家中毒との事。未熟だった私は、娘より私の方が泣きたい位で、思わず頬を平手打ちした。娘も痛かっただろうが、打った私のほうも嫌な思いと痛みが心に残っている。
     次女はもう少し成長した頃、三~四年生頃だったろうか、普段から食べ物に関しては特に厳しくしていた。ある日、その次女が思わず一言「食うものがねぇ」といったのだ。即座に平手打ちをした。そんなに強くしたつもりは無かったのに、次女はすとんと尻もちをついて座り込んだ。これには私も驚いたし、傍にいた姉・兄ともにびっくりして恐れおののいた。
     何十年もたったある時、次女が話した。自分でもすぐにまずい!! と思ったが、即、平手が飛んできたとか。当人もそばにいた姉・兄も決して食べ物には不平を以前にもまして言わなくなった。
     女の子に挟まれた息子は、悪さをしなかったわけでもなく、叱られるようなことも言ったにも拘わらず、罰を与えられなかった。いたずら盛りの頃、空手を習っていた息子は、私が頬を打とうとしても、拳を握った手をさっと自分の顔と頭をかばうように私の手を遮った。さすがに頭や顔は打ってはいけないと思って、彼のお尻に手を回すとその手首を握って押さえつけられた。目的は果たせないままだった。
     そのうえ今は、パソコンだ、スマホだと、何かにつけて彼に頼っていて、叱られるのはこちらばかり。ついこの間も「そんな暗いところで小さな字を見ていると、目を悪くするよ」と注意すると、さっそくスマホ開いて【そんなことはない、読めてさえいれば明るさは関係ない】とのたまう。
    昭和の常識、現代の非常識だそうだ。時代も変わったものだ。

    2024年2月24日号

  • 『果実は命をつなぐ』

    大出 恭子さん(1971年生まれ)

     朝起きて、家の側の木から熟れた桃を取り、食べ、その種は土に返す…
    ニュージーランドでお世話になったガイトン家族
    は、自然と共にある暮しの日々。
     「これだっ」、漠然と求めていたものが目の前にあった。言葉にすると『フードフォレスト』。果樹を植え、完熟果物を食べ、その種は土に返し、種から新たな木が育ち、鳥や動物、人間に果実を与え、その種は再び土に帰り、また新たな果樹が育つ。
     8年前、その思いを形にした。『フード・フォレスト・ジャパン』を立ち上げる。松代や松之山に求めた土地や借地に15種、5百本の果樹を植える。「密植です。山の自然の木々は様々な樹種が密植しています。同じように果樹も自然の中で育ち、雪や風雨などで自然剪定され、育っていきます。実った果物は鳥や動物が食べ、その実はまた自然に帰ります。この鳥や動物は、私のスタッフと思っています」。
     いま会員100人余のフード・フォレスト・ジャパン。毎年植樹を行い、面積を増やしている。「まだ私たちの口に入る果物は少ないですが、明日採ろうかなと思うと、翌日には全て果物がなくなっていたなど、鳥や動物の感覚はすごいですね。でもそれも自然ですね」。
     大学卒業後、南魚沼の国際大学に就職し、英語の熟度が増し、今は新潟県農業大学校の英語講師。大学校で農業分野の知見が深まり、福岡正信著『わら一本の革命』に出会う。十日町に移住し始めた農業、ニュージーランドでの体験、フード・フォレスト・ジャパンの立上げ、すべてがつながっている。食と貧困問題にも取り組みNPOにいがたNGOネットワークのメンバー。「果実は世界の貧困を救います。種はゴミではありません。土に返すことで命をつないでくれます」。
    ◆バトンタッチします。
     「中村紀子さん」

    2024年2月24日号

  • 冬鳥イスカ

    南雲 敏夫(県自然観察指導員)

     赤い冬鳥のイスカ、尾根上のアカマツ林などに多く飛来していて、マツボックリなどかいっばい落ちていたらこの鳥がいると考えて良い。
     このイスカの最大の特徴はくちばしが上下に綺麗に合わさっていない事で、先端が大きく交差しています。鳥のくちばしの形もいろいろとありますが先が交差しているのには訳があります。
     この形はマツ類の球果から種子を取り出しやすいように進化したとも言われています。
     オスは真っ赤の体が鮮やかですが、メスはオスに比べたらとても地味な色合い。
     この仲間のベニマシコやオオマシコ、ナキイスカなどはオスは艶やかな赤色、メスは地味な黄褐色系の色合い。大きさは羽を広げると約28センチもあるので大きめに感じますね。
     冬場は他の鳥も一緒にいる事も多くて撮影時にはマヒワの群れやシジュウカラ、ヒガラ、ヤマガラなども近くにいてとても賑やかな状態でした。
     まだ見る事が可能ですので是非アカマツの周辺を捜して見てください。

    2024年2月24日号

  • 盲点、未調査の海底活断層、原発に影響大

     日本活断層学会の会長・鈴木康弘氏(名古屋大減災連携研究センター教授)は、「過去100年の間で、日本で起きた活断層地震の最大規模が能登半島地震(マグニチュード7・6)だった」と、今年元日発生の地震を月刊誌・世界3月号の「能登半島地震と活断層」で述べている。
     この中で今回の地震を「想定外?」と大きな疑問符を付けている。その疑問符は、震源地の海底活断層において、産業技術総合研究所が認定していた海底活断層が、長さ20数㌔の短い断層としているのに対し、鈴木氏は今回の能登半島地震は「90㌔を超える長い活断層が活動した」と調査結果で指摘。この先には佐渡がある。つまり、柏崎刈羽原発の沖合に近い場所になり、認定されている海域の海底活断層への影響が視野に入り、原発と海底活断層の関係がクローズアップしている。
     原発と活断層は、原発建設前の立地場所問題の前から論議され、研究者によって見解の相違が起き、発電事業者は「影響はない」知見を取り上げ、原発事業を進めてきた歴史がある。今回の能登半島地震により、これまであまり詳細データがない海底活断層に関心が集まり、早急な調査が必要な事態になっている。詳細調査はこれからの原発が立地するのは海岸沿いだけに、海底部分の活断層の存在の有無が、原子力防災の大きな要素になっている。
     原子力防災の不備の一つは、事故時の避難方法にある。今冬は小雪で実感が湧きにくいが、ここ多雪地域の冬場の道路事情は「大雪が降ればひと昔前の世界」に様変わりする。無雪期には幹線道以外の農道や集落道も通れるが、雪が降ればそれらは通行不能、国県道など幹線道も車1台の立ち往生で、深刻な渋滞が発生する。とても避難どころではなくなる現実は、この雪国住人はよく知っている。だからこそ、絵空事の避難方法は、問題外なのである。

    2024年2月24日号

  • 北川氏「妻有に心を寄せる」

    十日町市議会と初直接対話、「ここまで来たのが重要」

    大地の芸術祭

    十日町市議会と大地の芸術祭・北川フラム総合ディレクターが車座で直接意見交換した。市議会主催の「大地の芸術祭の今後の展開についての懇談会」は7日、越後妻有文化ホール段十ろうで開催。「子どもたちが芸術に関わる環境づくりを」や「明石の湯と大地の芸術祭を結びつける方法は」など、市議一人ひとりが北川氏に疑問をぶつける形で進んだ。

    2024年2月17日号

  • 「当たり前のこと」

    ダイワ電気工事の3人

    冬道遭難の男性救助で感謝状

     行方不明だった70代男性を雪道で保護し、命を守った除雪事業者3人の功績を称えた。十日町署(山岸信行署長)は9日、ダイワ電気工事(十日町市松代)の古田島周二取締役部長(48、高田町)、田辺謙一取締役(67、寺田)、臨時社員の小山勝正さん(80、蒲生)の3人に感謝状を贈った。3人は先月25日の早朝~午前にかけ、国道353号線を車でさまよっていた70代男性を不審に思い保護。男性は行方不明で家族が捜索しており、適切な対応で男性の命を守った。

    2024年2月17日号

  • 『ナチュラルライフ』

    森田 れなさん(1988年生まれ)

     東京のマンション暮らし。「隣り近所に迷惑をかけないように気をつかう毎日で、窮屈さを感じていました」。元気盛りの男の子2人を自由に遊ばせたい。東京生まれの夫・淳さんと、これからの暮し方を話し合った。
     祖母が松之山生まれで千葉に暮らす。ならば十日町市から探してみようと、空き家バンクを見ると古民家があった。「訪ねて見たら、これだっと、夫と決めました」。築100年余の家は天井が高く、むき出しの太い梁が歴史を感じさせると同時に、安心感を与える。
     来月には四度目の春を迎える。広い居間を活用し、13年余り取り組む「ヨガ」を指導し、同じくらい取り組むハーブやアロマによる食養生や自然療法を伝える。どちらも指導者の資格を持ち、暮しの中で心と身体をリラックスしてくれる。
     「ここには宝物がいっぱいありますね」。自生するドクダミ、ヨモギ、スギナなど薬草の高い効能を伝え、広めている。移り住んだ年から米作りにも取り組む。農業機械が入らない棚田を借り受け、「前からやってみたかったんです」と、肥料も農薬も使わず、子どもたちと泥んこになりながらのコメ作りを続ける。 
     言葉にすれば「ナチュラルライフ」だが、力みはない。子どもをテーマに映画制作するオオタヴィン監督の『いただきます』など作品上映を通じて、暮しへの思いが少しずつ広がっている。東京生まれの男の子2人、松代生まれの1歳半の長女、子たち3人と日々の生活を楽しむ。「自然の素材がいっぱいです。この子たちにつないでいきたいですね」。
    ◆バトンタッチします。
     「大出恭子さん」

    2024年2月17日号

  • セツブンソウ

    中沢 英正(県自然観察保護員)

     2月、陽射しにぬくもりを感じるようになると、野草好きの人にとって落ち着かない日々の始まりである。各地から花の便りが聞こえてくるからだ。そんな人たちの琴線をいち早く刺激するのがセツブンソウである。
     花期は早い。2月中旬から3月中旬で、それが名の由来となっている。
     分布は本州の関東以西で、残念ながら苗場山麓では見ることができない。この花に逢いたければ近場でも群馬県、栃木県、埼玉県や長野県の南部まで足を運ぶことになる。
     落葉広葉樹の疎林下で、礫が混じる場所を好む。夏には地上部が枯れてしまうスプリング・エフェメラル(春のはかない命)だ。
     草丈は5~10センチ、小さくて可愛い。花は径2センチほど、白い花びらに見えるのは萼片。花びらはしべを囲むように並ぶ黄色い部分で、先が二裂して蜜腺となる面白い形をしている(写真)。
     温暖化の影響で、新潟県でもいつか自生が見られるようになるのかも…。

    2024年2月17日号

  • これは「決意」か、津南町予算案を見る

     津南町の新年度予算案が13日発表され、一つの決意表明が見えた。建設から38年経過、施設設備の大幅更新期を向かえるニュー・グリーンピア津南(NGP津南)。予算案にスキー場施設・ホテル棟の修繕が計上され、一般会計予算額は1億5166万円余。毎年、施設修繕に取り組むが、1億を超える予算は最近では多額だ。なぜ「決意表明」なのか。それは来年、10年間の民間委託契約が満了を向かえ、契約更新の行方に関心が集まるなか、この億単位の施設改修。津南町所有のNGP津南を町は今後も維持する「意志」がそこに見えるのだが…。
     ただ、容易ではないこの先の状況だ。来年の契約満了期に、新たな経営者を視野に入れているのか、あるいは現在の経営者「津南高原開発」が契約更新し、今後も老朽化するホテル経営を続けるのか、その判断の時期が迫っている現実がある。全国的に施設更新期を向えるホテルなど観光施設が、中国資本などに委ねられるケースが多く見られるなか、370㌶の広大な自然たっぷりの敷地のNGP津南である。その敷地面積だけでも大きな魅力であるのは間違いない。すでに交渉が始まっているのか、いや契約更新のための新年度予算案なのか、である。
     今はないが国の年金福祉業団が270億円の巨費を投じて設置したグリーンピア津南。だが38年の歳月は施設全体の更新が待ったなしの状態で、その多額の改修費の捻出に困窮している経営状況だ。町有施設だけに、維持継続するか、新たな活路を見出すか、その判断だろう。その意味で新年度予算案の施設修繕費は、一つの決意表明と見るが、早計だろうか。
     津南町議会は今月29日、新年度予算案を審議する定例議会が開会する。初日、町のトップ・桑原悠町長の施政方針表明がある。ここで、NGP津南への決意が聞かれるか、どうか。

    2024年2月17日号

  • 箱根から世界へ、ロス五輪に照準

    城西大4年 山本唯翔選手(松代・犬伏出身)

    「山の妖精」ふるさと凱旋、「五輪で表彰台に」

     マラソンでオリンピックをめざす―。五輪の登竜門・箱根駅伝の5区山登りで2年連続区間新をマークし最優秀選手賞・金栗四三杯を獲得した『山の妖精』山本唯翔選手(城西大4年)が5日、母校の松代中と松代小を凱旋。歓迎を受けた山本選手は児童生徒に「目標を持ち、その目標に向かって努力してほしい」と諦めずに努力することの大切さを伝えた。山本選手は「服部勇馬選手のようにマラソンでオリンピックをめざし、表彰台に立ちたい」と卒業後は自動車メーカーSUBARU(スバル)に入社、実業団選手として2028アメリカ・ロサンゼルス五輪をめざす。『箱根駅伝から世界へ』。山本選手が世界の舞台へと翔び立つ。

    2024年2月10日号