「泣きそうでした、いや、泣いていましたね」。中学2年の夏、父の外国赴任で米国ニュージャージー州に家族で移住。9月に現地の高校1年に入学。「友だちも、知り合いも居ない、どこに行ったらいいの、何も分からないままのスタートでした」。その時の情景はいまも憶えているが、何
も分からない現実が自分を育てた、とも思っている。
現地の高校は4年制。3年生終了後、日本の大学に入るため自分だけ帰国。貿易関係の学部がある大学に入り、大学生活でレストランやファーストフード店でアルバイトを積む中で感じてきたのは「人と関わる面白さ」。卒業が迫る頃、大学の求人票の中に運命を決める会社を見つけた。
「これも『ご縁』なのかなぁと思いますね。その会社は東京で入社面接を行い、それも縁のように感じます」。人材を求めたのは長野・湯田中温泉の老舗旅館。「人混みが嫌で、あの電車のラッシュは耐えられないと先ずは脱東京でした。暮らせる場所、働ける職場、人と関わる仕事などと決めていました。その条件にぴったりだった、ということですね」。
この選択は、さらなる「ご縁」を生む。就職した旅館でパートナーと出会い翌年には結婚。横浜生まれ、中学高校4年間を米国で暮らし、東京の大学を卒業。「まさか自分が長野に来るとは…でしたね」。初めて長野の地を踏み早や24年。だが「ご縁」はさらに続く。福祉施設パート勤務の中で今の福祉施設「きぼう」立ち上げに関わる出会いが。「まさか自
分が…この連続です。でも人と関わる、これは共通しています」。
米国時代の学友とは今もSNSで交友している。
◆バトンタッチしま す。
「早河史恵さん」
2024年1月20日号
11日、自民党は派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受け、政治刷新本部の初会合を開きました。メンバー38人の中で主要派閥の会長が要職を占め、「ドリル優子」や、問題の安倍派議員が10人も含まれているあたり、本気で「刷新」する気がないことが見え見えです。
12月16日付けの本紙社説では、国民のさらなる政治不信の増大を憂い、「自民党支持の皆さん、なぜ怒らないのか」と書いています。
2万9千人ほどの市区町村議会議員の所属党派を見ると、自民党が2千人余で、無所属が2万人余(令和4年12月31日現在、総務省)。私は、無所属のほとんどが自民党籍を持つか、自民党支持者なのではないかと思っています。地方議員の皆さん、なぜ怒らないのか。その気があれば、議会としての態度表明だってできるのに。
まあ、怒らないのも分かります。「政治とカネ」の問題は自民党に伝わる伝統芸能みたいなもの。政治資金パーティーは十八番ですからね。
私たちは人を愛するとき、その人の良いところも悪いところも全部ひっくるめて、愛してしまいます。自民党を愛している人もそうなのです。きっと、「またしくじっちゃったね」と笑って許してる。「いいのよ。私の愛は変わらない。今度はもっとうまくやろうね」と思ってる。
そうじゃないとしたら、すごく忘れっぽい人たちなのでしょう。自民党の偉い人は、仲間が失敗するたびに「調査する」、「丁寧に説明をさせる」と言ってきました。しかし、私は丁寧な説明を受けた覚えがありません。偉い人は、経験的に「そうこうしているうちに国民は忘れてくれる」と思っています。
刷新本部の設置によって国民の関心は自民党の派閥解消に移ってしまいましたが、今やるべきは実態の解明ではないでしょうか。安倍派だけでなく、自民党全体の裏金作りの実態を明らかにするのが先では。
検察のリーク頼りのマスコミも本気を出してもらいたい。検察は安倍派幹部の立件を断念したとか。だとしたら、真相は闇の中に消えます。
そして、刷新本部では、パーティー券収入を裏金でない合法的な金にするためのルール改正が進められるのでしょうか。
でも、自民党支持でない国民は忘れません。モリ、カケ、サクラ、旧統一教会……。年配の人は、ロッキード、リクルート、東京佐川急便……。今後もお忘れなきよう。
2024年1月20日号
森を歩くのは楽しい。冬は観察するものは限られるが嬉しい出会いもある。積雪が少ないと切り株や落枝についたキノコが目につく。
お気に入りはカワラタケ(写真右)やチャウロコタケ(写真左)。革質のかたい傘を持ち、年中見ることができる。幾重にも重なって生える様子を瓦や鱗に見立てたものだ。
どちらも白色腐朽菌と呼ばれ、材を白く腐らせる役目を担っている。
このキノコたちに興味をひかれるのは傘の模様。傘は半円形や扇形で、同心円状に縞模様が入る。カワラタケの傘色は黒が多いが、茶、青、灰、黄などさまざまだ。チャウロコタケの傘は名前の通り茶系統である。双方とも個体によって縞模様に変化があるところが
面白い。
傘の模様は単なるおしゃれ…? それとも何か重要な意味が隠されているのだろうか。
2024年1月20日号
「明日は我が身」。能登半島の惨事は、インフラの遅れ、過疎化、住民の高齢化、山間地の地形事情…などこの国の山間地の多くが抱える地域問題が地震により、一気に噴出している。救援・支援活動は最優先だが、あの惨状をTVで見て、大変だねぇ、可哀そうだねぇ、と井戸端会議をしている場合ではない。十日町市・津南町、栄村が「もし」になれば、あの惨状は我が身の事。何ができるか、考える時だ。
大地の芸術祭で率直に感じたのは「この地で生活しているんだ」と思える辺境地の奥の深さだ。北川フラム氏は芸術祭スタート時、「なるべくこの地域の辺地、奥の奥で作品展開したい」と語り、その通りの作品展開している。うぶすなの家の願入、峠のてっぺんの清水、秋山郷の大赤沢、浦田の奥の奥、などなど「人間は自然に内包される」、まさにこの理念そのままの大地の芸術祭。その芸術祭で連携深い「奥能登国際芸術祭」の地が、甚大な被害を受けた能登半島だ。同じ惨事がここ妻有で、とは考えたくないが、「いつ・どこで」起きても不思議でない活断層帯の上に我々は暮らしている。これは常に頭に置くべき事実だ。
能登で救援活動を遮っているのが海岸部の山間地をくねくねうねりながら走る道路の寸断だ。妻有に目を落とすと、まさに同じ条件下にある山間地が多いことに気付く。とはいえ、あの崖を、あの川を、あの山を…改修するのはまさに至難だ。ならば、整備が進むまでの住民対応が急務だろう。
20年前の中越地震後、各地に国補助で集落単位の「自主防災組織」を作り、災害時に必要な発電機や照明、テント、ストーブなど防災備品を整えている。いま、それはどうなっているのか。自治体は防災訓練を行政主導で毎年行っているが、肝心の集落単位の防災活動は、かなり危ういのが実情だろう。ここは行政が動く時だ。
2024年1月20日号
十日町産魚沼コシヒカリの米粉を台湾へ―。台湾の事業所と輸出入の事業を展開している十日町市のエスディーコーポレーション(福崎勝幸会長)は、新たな産品交流事業としてパンやお菓子の原材料となる魚沼コシの米粉『繁蔵(しげぞう)』の販売計画をスタートした。将来は月500㌔の輸出に拡大したい計画で、国内でのコメ販売が頭打ち状態のなか、米粉にすることにより台湾で活路を見出したい考えだ。
2024年1月13日号
津南町の各界合同年賀交歓会は4日、ニュー・グリーンピア津南で開催。桑原町長は「10年後を見据えた時、目先のことを重視するあまり、大きな取り組みを何もせず、衰退を選ぶのか、あるいはそうじゃない道を選ぶのか、町は大きな分岐点に立たされている」と強調。「子どもに寄り添った町、特色ある産業が持続的に育つ町、津南病院を軸に子どもからお年寄りまで安心できる医療介護生活支援を届ける町、町民に寄り添い地域コミュニティが育つ町を重点項目として町政を運営したい」と語った。
2024年1月13日号
○…「エイッ」という気合と共に「ビシッ、ビシッ」と道着の音が響く。日本空手道西空館(西野弘幸館長)新春恒例の合同初稽古が8日、十日町市武道館で行われた。集まった成人から児童生徒の道場生28人は西野館長と樋口紀行師範、有段者の福島徳治さんから呼吸の仕方、突きや蹴り、防御の要点などの指導を受けて稽古に臨んだ。
2024年1月13日号
新年あけましておめでとうございます。雪の少ない年末年始で、初詣に行くにも良い塩梅だと思っていた矢先に大地震と飛行機事故。なんだか不穏な1年の幕開けとなりました。
ある筋の方々からよく言われていたのは、2023年から3年間は大きく自分や社会が変わる、いわゆる「激動の年」の真っただ中にいるのだということ。それを踏まえると、いつもと違う年明けになっているのも当然なのかもしれません。
大きく変わるなんてなんだか嫌だなぁ、1週間後に何が起きているか分からないのは不安、すでに変化に巻き込まれて起きてしまったことから立ち直れず悲しみにふさぎ込んでいる、そんな方がおおいのではないでしょうか。でも、私たちは命がある限り前へ進んでいかなければなりません。
今日は、そんな自分たちの一歩が明るい未来につながる話をしてみたいと思います。
皆さんは「歩幅」というのを意識したことがありますか? 私たちが歩くとき、歩幅の平均は「身長×0・45」と言われています。つまり私は154㌢ですので、154㌢×0・45=69・3㌢が私の歩幅の平均です。横断歩道の白線の幅は約45㌢なので、意識しなくても白線をまたげるくらいで歩けると良いようです。
歩幅が広がると何に良いかというと、主に次の4つがあげられます。①下半身の筋力がアップするとメラニン生成を抑制する物質が増えます。血行や代謝が上がって皮膚のターンオーバーが整って透明感のある肌になります。②体の中の大きな筋肉である腰、太もも、お尻の筋肉を動かすので消費エネルギーが増え痩せやすい体になります。さらに骨盤を立てて歩くとポッコリお腹や反り腰が改善します。③良い姿勢で歩くと目からの光を取り込みやすくなり、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンの分泌が増えてポジティブ思考になる上に睡眠の質も上がります。④骨盤を立てた良い姿勢で歩くことで骨盤底筋を鍛えることができ、尿もれ・腰痛・便秘・冷え性・胃の不調などが改善します。
ちなみに女性の8割は反り腰になっているといわれていますが、反り腰でいると巻き肩・肩こり、ストレートネック、ネガティブ思考、口角が下がって二重アゴで老け見え、腰痛、ポッコリお腹、ヒップのたるみ、骨盤底筋の筋力低下を引き起こします。
壁に後頭部、肩甲骨、お尻、かかとの4点をつけて立った時に腰と壁の間に手のひらが2枚以上入る人は反り腰です。全身が映る姿見がある方は是非自分の立ち姿勢を横から見て、耳の穴、肩の中央、くるぶしの3点が地面に垂直な一直線になるように立ち、その姿勢を保ったまま3分間腹式呼吸をするだけで、かなり体の痛みや肌の不調が改善するはずです。
歩くことに余裕がある方は、お尻に軽く両手を当ててお尻の筋肉が動くのを感じながら1分歩き、次に下腹部のお肉を両手で軽く押し込みながら1分歩き、最後の1分は足と腕をリズミカルに動かしながらリラックスして歩く、この3分ウォークを1日1回で良いのでやると、歩幅が広がり、痩せやすい体になり、反り腰も改善されるそうです。「おさんぽ整体」といわれる方法だそうです。
良い姿勢で大きく一歩を踏み出し、ポジティブ思考で激動の年を体も心も軽く乗り切っていきましょう!立つのも歩くのもしんどいという方は、座っているだけで同じような効果を得られる当院のエムセラを是非お試しくださいね。(たかき医院・仲栄美子医師)
2024年1月13日号
気持ちよく晴れ上がって、すがすがしい新年の幕開けであった。年越しを一緒に過ごした子ども・孫たちとお祝いを済ませて初詣に出かけた。何事もなくこんな穏やかな時間がありがたいねと言いつつ。
せめてお正月はこれが一番と思っていたところ、けたたましい携帯の緊急メール。マナーモードにしていない人の分が鳴り出した。ゆらーん、ゆらーんと揺れている。結構長く感じるほど揺れた。テレビが石川県能登地方の激震を叫んでいる。
長男のお嫁さんは石川県小松の人。皆で青くなった。何とか連絡が取れて、被害はあったものの、命の支障はないとの事でホッとはした。いつまでもいつまでも緊急地震速報ばかり、十日町は大丈夫か? あの人この人と次々心配になる。電話に飛びつきたいが、回線を塞ぐ事になるのもやってはいけない。
2004年10月の中越地震が甦る。30年近く前の阪神淡路大地震、次々思い出される。神戸で育ち、離れてから40年近く経っているとはいえ生まれ故郷だ。当時は携帯などなく電話をかけ続けるが、全然繋がらない。公衆電話がつながりやすいと聞いて、近くのNTTへ飛んで行ったりした。
能登半島の形が竜の頭に見え、しっぽのあたりであろう千葉でも大ゆれだ。竜神さまは何にお怒りなのだろう⁉、不遜傲慢な人間どもに鉄槌を下されたのか? 我が身を振り返っても、ずいぶん楽な生き方をしていると気になってはいた。つつましさに欠けた昨今だと自覚はしている。では鉄槌は私に下されなければならない。今回の地域の人に下されるのは理不尽だ。
世の中を不幸にする原因は多々ある。大別してみると、天災と人災に分けられるかも。人災のトップは何といっても戦争だ。何時までも無くなることなく、むしろ広がっている。世界中で平和を希求しているというのに。人災に比べて天災は人知の及ぶところでない。
一番怖いのは地震であろう。地震がなければ津波はないのでは? それだけではない風水害、異常気象、数えていると呼び込みそうで怖くなる。 心配で心配での筈なのに、時間が経つと談笑している。翌日は箱根駅伝で山の妖精と呼ばれている評判の山本さんを応援している有様。
成人になったばかりの孫は、東日本大震災のことを話す。戦後の情景が身に沁みついている私は、全国国中が壊滅状態だった当時より、支援ができる地域のほうが多いことを救いだと思っている。
2024年1月13日号
東京の劇団時代に出会った「太鼓」。芝居をやりたい、その一心で入った劇団だったため、勧められた太鼓はあまり気乗りしなかった。習い始めると、その響きが体全体に伝わり、感性の琴線に何かが伝わってきた。
劇団研究生の頃、太鼓メンバーで特養ホームで打ち鳴らした。演奏後の女性施設長の言葉が心に響いた。『入所されている方が、来年も演奏に来てくれるんなら、来年まで頑張って生きようかなと話していましたよ』。この言葉で、自分の中で何かのスイッチが入るのを感じた。
その頃、中学校の音楽教諭の父から『中学生に太鼓を教えてくれ』と連絡が来た。東京から自費で日帰り指導。中学生から「私も太鼓やりたい」と毎年希望者が後を絶たず、小中学生による『栄ふるさと太鼓』がスポーツ少年団活動として始まる。そのメンバーが大人になり『榮太鼓』が立ち上がった。かつての教え子たちが、かけがえのない「仲間」になった。サンフランシスコ桜祭りで演奏、ハワイでも演奏した。今も毎週木曜、小学生から大人まで一緒に練習を続ける。
「芝居は小学4年の時に見た劇団四季のミュージカルに感動したからです。いまも芝居をしたい思いはありますよ」。「太鼓は叩けば誰でも音が出ます。その単純なものをいかに感動のレベルまで持っていくか、ですね。子どもたちの頑張りが大人たちのやる気になっています。でも、ゆるゆる雰囲気で、楽しみながらなんですよ」。
◆バトンタッチします。
「廣瀬愛さん」
2024年1月13日号
「泣きそうでした、いや、泣いていましたね」。中学2年の夏、父の外国赴任で米国ニュージャージー州に家族で移住。9月に現地の高校1年に入学。「友だちも、知り合いも居ない、どこに行ったらいいの、何も分からないままのスタートでした」。その時の情景はいまも憶えているが、何
も分からない現実が自分を育てた、とも思っている。
現地の高校は4年制。3年生終了後、日本の大学に入るため自分だけ帰国。貿易関係の学部がある大学に入り、大学生活でレストランやファーストフード店でアルバイトを積む中で感じてきたのは「人と関わる面白さ」。卒業が迫る頃、大学の求人票の中に運命を決める会社を見つけた。
「これも『ご縁』なのかなぁと思いますね。その会社は東京で入社面接を行い、それも縁のように感じます」。人材を求めたのは長野・湯田中温泉の老舗旅館。「人混みが嫌で、あの電車のラッシュは耐えられないと先ずは脱東京でした。暮らせる場所、働ける職場、人と関わる仕事などと決めていました。その条件にぴったりだった、ということですね」。
この選択は、さらなる「ご縁」を生む。就職した旅館でパートナーと出会い翌年には結婚。横浜生まれ、中学高校4年間を米国で暮らし、東京の大学を卒業。「まさか自分が長野に来るとは…でしたね」。初めて長野の地を踏み早や24年。だが「ご縁」はさらに続く。福祉施設パート勤務の中で今の福祉施設「きぼう」立ち上げに関わる出会いが。「まさか自
分が…この連続です。でも人と関わる、これは共通しています」。
米国時代の学友とは今もSNSで交友している。
◆バトンタッチしま す。
「早河史恵さん」
2024年1月20日号
11日、自民党は派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受け、政治刷新本部の初会合を開きました。メンバー38人の中で主要派閥の会長が要職を占め、「ドリル優子」や、問題の安倍派議員が10人も含まれているあたり、本気で「刷新」する気がないことが見え見えです。
12月16日付けの本紙社説では、国民のさらなる政治不信の増大を憂い、「自民党支持の皆さん、なぜ怒らないのか」と書いています。
2万9千人ほどの市区町村議会議員の所属党派を見ると、自民党が2千人余で、無所属が2万人余(令和4年12月31日現在、総務省)。私は、無所属のほとんどが自民党籍を持つか、自民党支持者なのではないかと思っています。地方議員の皆さん、なぜ怒らないのか。その気があれば、議会としての態度表明だってできるのに。
まあ、怒らないのも分かります。「政治とカネ」の問題は自民党に伝わる伝統芸能みたいなもの。政治資金パーティーは十八番ですからね。
私たちは人を愛するとき、その人の良いところも悪いところも全部ひっくるめて、愛してしまいます。自民党を愛している人もそうなのです。きっと、「またしくじっちゃったね」と笑って許してる。「いいのよ。私の愛は変わらない。今度はもっとうまくやろうね」と思ってる。
そうじゃないとしたら、すごく忘れっぽい人たちなのでしょう。自民党の偉い人は、仲間が失敗するたびに「調査する」、「丁寧に説明をさせる」と言ってきました。しかし、私は丁寧な説明を受けた覚えがありません。偉い人は、経験的に「そうこうしているうちに国民は忘れてくれる」と思っています。
刷新本部の設置によって国民の関心は自民党の派閥解消に移ってしまいましたが、今やるべきは実態の解明ではないでしょうか。安倍派だけでなく、自民党全体の裏金作りの実態を明らかにするのが先では。
検察のリーク頼りのマスコミも本気を出してもらいたい。検察は安倍派幹部の立件を断念したとか。だとしたら、真相は闇の中に消えます。
そして、刷新本部では、パーティー券収入を裏金でない合法的な金にするためのルール改正が進められるのでしょうか。
でも、自民党支持でない国民は忘れません。モリ、カケ、サクラ、旧統一教会……。年配の人は、ロッキード、リクルート、東京佐川急便……。今後もお忘れなきよう。
2024年1月20日号
森を歩くのは楽しい。冬は観察するものは限られるが嬉しい出会いもある。積雪が少ないと切り株や落枝についたキノコが目につく。
お気に入りはカワラタケ(写真右)やチャウロコタケ(写真左)。革質のかたい傘を持ち、年中見ることができる。幾重にも重なって生える様子を瓦や鱗に見立てたものだ。
どちらも白色腐朽菌と呼ばれ、材を白く腐らせる役目を担っている。
このキノコたちに興味をひかれるのは傘の模様。傘は半円形や扇形で、同心円状に縞模様が入る。カワラタケの傘色は黒が多いが、茶、青、灰、黄などさまざまだ。チャウロコタケの傘は名前の通り茶系統である。双方とも個体によって縞模様に変化があるところが
面白い。
傘の模様は単なるおしゃれ…? それとも何か重要な意味が隠されているのだろうか。
2024年1月20日号
「明日は我が身」。能登半島の惨事は、インフラの遅れ、過疎化、住民の高齢化、山間地の地形事情…などこの国の山間地の多くが抱える地域問題が地震により、一気に噴出している。救援・支援活動は最優先だが、あの惨状をTVで見て、大変だねぇ、可哀そうだねぇ、と井戸端会議をしている場合ではない。十日町市・津南町、栄村が「もし」になれば、あの惨状は我が身の事。何ができるか、考える時だ。
大地の芸術祭で率直に感じたのは「この地で生活しているんだ」と思える辺境地の奥の深さだ。北川フラム氏は芸術祭スタート時、「なるべくこの地域の辺地、奥の奥で作品展開したい」と語り、その通りの作品展開している。うぶすなの家の願入、峠のてっぺんの清水、秋山郷の大赤沢、浦田の奥の奥、などなど「人間は自然に内包される」、まさにこの理念そのままの大地の芸術祭。その芸術祭で連携深い「奥能登国際芸術祭」の地が、甚大な被害を受けた能登半島だ。同じ惨事がここ妻有で、とは考えたくないが、「いつ・どこで」起きても不思議でない活断層帯の上に我々は暮らしている。これは常に頭に置くべき事実だ。
能登で救援活動を遮っているのが海岸部の山間地をくねくねうねりながら走る道路の寸断だ。妻有に目を落とすと、まさに同じ条件下にある山間地が多いことに気付く。とはいえ、あの崖を、あの川を、あの山を…改修するのはまさに至難だ。ならば、整備が進むまでの住民対応が急務だろう。
20年前の中越地震後、各地に国補助で集落単位の「自主防災組織」を作り、災害時に必要な発電機や照明、テント、ストーブなど防災備品を整えている。いま、それはどうなっているのか。自治体は防災訓練を行政主導で毎年行っているが、肝心の集落単位の防災活動は、かなり危ういのが実情だろう。ここは行政が動く時だ。
2024年1月20日号
十日町産魚沼コシヒカリの米粉を台湾へ―。台湾の事業所と輸出入の事業を展開している十日町市のエスディーコーポレーション(福崎勝幸会長)は、新たな産品交流事業としてパンやお菓子の原材料となる魚沼コシの米粉『繁蔵(しげぞう)』の販売計画をスタートした。将来は月500㌔の輸出に拡大したい計画で、国内でのコメ販売が頭打ち状態のなか、米粉にすることにより台湾で活路を見出したい考えだ。
2024年1月13日号
津南町の各界合同年賀交歓会は4日、ニュー・グリーンピア津南で開催。桑原町長は「10年後を見据えた時、目先のことを重視するあまり、大きな取り組みを何もせず、衰退を選ぶのか、あるいはそうじゃない道を選ぶのか、町は大きな分岐点に立たされている」と強調。「子どもに寄り添った町、特色ある産業が持続的に育つ町、津南病院を軸に子どもからお年寄りまで安心できる医療介護生活支援を届ける町、町民に寄り添い地域コミュニティが育つ町を重点項目として町政を運営したい」と語った。
2024年1月13日号
○…「エイッ」という気合と共に「ビシッ、ビシッ」と道着の音が響く。日本空手道西空館(西野弘幸館長)新春恒例の合同初稽古が8日、十日町市武道館で行われた。集まった成人から児童生徒の道場生28人は西野館長と樋口紀行師範、有段者の福島徳治さんから呼吸の仕方、突きや蹴り、防御の要点などの指導を受けて稽古に臨んだ。
2024年1月13日号
新年あけましておめでとうございます。雪の少ない年末年始で、初詣に行くにも良い塩梅だと思っていた矢先に大地震と飛行機事故。なんだか不穏な1年の幕開けとなりました。
ある筋の方々からよく言われていたのは、2023年から3年間は大きく自分や社会が変わる、いわゆる「激動の年」の真っただ中にいるのだということ。それを踏まえると、いつもと違う年明けになっているのも当然なのかもしれません。
大きく変わるなんてなんだか嫌だなぁ、1週間後に何が起きているか分からないのは不安、すでに変化に巻き込まれて起きてしまったことから立ち直れず悲しみにふさぎ込んでいる、そんな方がおおいのではないでしょうか。でも、私たちは命がある限り前へ進んでいかなければなりません。
今日は、そんな自分たちの一歩が明るい未来につながる話をしてみたいと思います。
皆さんは「歩幅」というのを意識したことがありますか? 私たちが歩くとき、歩幅の平均は「身長×0・45」と言われています。つまり私は154㌢ですので、154㌢×0・45=69・3㌢が私の歩幅の平均です。横断歩道の白線の幅は約45㌢なので、意識しなくても白線をまたげるくらいで歩けると良いようです。
歩幅が広がると何に良いかというと、主に次の4つがあげられます。①下半身の筋力がアップするとメラニン生成を抑制する物質が増えます。血行や代謝が上がって皮膚のターンオーバーが整って透明感のある肌になります。②体の中の大きな筋肉である腰、太もも、お尻の筋肉を動かすので消費エネルギーが増え痩せやすい体になります。さらに骨盤を立てて歩くとポッコリお腹や反り腰が改善します。③良い姿勢で歩くと目からの光を取り込みやすくなり、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンの分泌が増えてポジティブ思考になる上に睡眠の質も上がります。④骨盤を立てた良い姿勢で歩くことで骨盤底筋を鍛えることができ、尿もれ・腰痛・便秘・冷え性・胃の不調などが改善します。
ちなみに女性の8割は反り腰になっているといわれていますが、反り腰でいると巻き肩・肩こり、ストレートネック、ネガティブ思考、口角が下がって二重アゴで老け見え、腰痛、ポッコリお腹、ヒップのたるみ、骨盤底筋の筋力低下を引き起こします。
壁に後頭部、肩甲骨、お尻、かかとの4点をつけて立った時に腰と壁の間に手のひらが2枚以上入る人は反り腰です。全身が映る姿見がある方は是非自分の立ち姿勢を横から見て、耳の穴、肩の中央、くるぶしの3点が地面に垂直な一直線になるように立ち、その姿勢を保ったまま3分間腹式呼吸をするだけで、かなり体の痛みや肌の不調が改善するはずです。
歩くことに余裕がある方は、お尻に軽く両手を当ててお尻の筋肉が動くのを感じながら1分歩き、次に下腹部のお肉を両手で軽く押し込みながら1分歩き、最後の1分は足と腕をリズミカルに動かしながらリラックスして歩く、この3分ウォークを1日1回で良いのでやると、歩幅が広がり、痩せやすい体になり、反り腰も改善されるそうです。「おさんぽ整体」といわれる方法だそうです。
良い姿勢で大きく一歩を踏み出し、ポジティブ思考で激動の年を体も心も軽く乗り切っていきましょう!立つのも歩くのもしんどいという方は、座っているだけで同じような効果を得られる当院のエムセラを是非お試しくださいね。(たかき医院・仲栄美子医師)
2024年1月13日号
気持ちよく晴れ上がって、すがすがしい新年の幕開けであった。年越しを一緒に過ごした子ども・孫たちとお祝いを済ませて初詣に出かけた。何事もなくこんな穏やかな時間がありがたいねと言いつつ。
せめてお正月はこれが一番と思っていたところ、けたたましい携帯の緊急メール。マナーモードにしていない人の分が鳴り出した。ゆらーん、ゆらーんと揺れている。結構長く感じるほど揺れた。テレビが石川県能登地方の激震を叫んでいる。
長男のお嫁さんは石川県小松の人。皆で青くなった。何とか連絡が取れて、被害はあったものの、命の支障はないとの事でホッとはした。いつまでもいつまでも緊急地震速報ばかり、十日町は大丈夫か? あの人この人と次々心配になる。電話に飛びつきたいが、回線を塞ぐ事になるのもやってはいけない。
2004年10月の中越地震が甦る。30年近く前の阪神淡路大地震、次々思い出される。神戸で育ち、離れてから40年近く経っているとはいえ生まれ故郷だ。当時は携帯などなく電話をかけ続けるが、全然繋がらない。公衆電話がつながりやすいと聞いて、近くのNTTへ飛んで行ったりした。
能登半島の形が竜の頭に見え、しっぽのあたりであろう千葉でも大ゆれだ。竜神さまは何にお怒りなのだろう⁉、不遜傲慢な人間どもに鉄槌を下されたのか? 我が身を振り返っても、ずいぶん楽な生き方をしていると気になってはいた。つつましさに欠けた昨今だと自覚はしている。では鉄槌は私に下されなければならない。今回の地域の人に下されるのは理不尽だ。
世の中を不幸にする原因は多々ある。大別してみると、天災と人災に分けられるかも。人災のトップは何といっても戦争だ。何時までも無くなることなく、むしろ広がっている。世界中で平和を希求しているというのに。人災に比べて天災は人知の及ぶところでない。
一番怖いのは地震であろう。地震がなければ津波はないのでは? それだけではない風水害、異常気象、数えていると呼び込みそうで怖くなる。 心配で心配での筈なのに、時間が経つと談笑している。翌日は箱根駅伝で山の妖精と呼ばれている評判の山本さんを応援している有様。
成人になったばかりの孫は、東日本大震災のことを話す。戦後の情景が身に沁みついている私は、全国国中が壊滅状態だった当時より、支援ができる地域のほうが多いことを救いだと思っている。
2024年1月13日号
東京の劇団時代に出会った「太鼓」。芝居をやりたい、その一心で入った劇団だったため、勧められた太鼓はあまり気乗りしなかった。習い始めると、その響きが体全体に伝わり、感性の琴線に何かが伝わってきた。
劇団研究生の頃、太鼓メンバーで特養ホームで打ち鳴らした。演奏後の女性施設長の言葉が心に響いた。『入所されている方が、来年も演奏に来てくれるんなら、来年まで頑張って生きようかなと話していましたよ』。この言葉で、自分の中で何かのスイッチが入るのを感じた。
その頃、中学校の音楽教諭の父から『中学生に太鼓を教えてくれ』と連絡が来た。東京から自費で日帰り指導。中学生から「私も太鼓やりたい」と毎年希望者が後を絶たず、小中学生による『栄ふるさと太鼓』がスポーツ少年団活動として始まる。そのメンバーが大人になり『榮太鼓』が立ち上がった。かつての教え子たちが、かけがえのない「仲間」になった。サンフランシスコ桜祭りで演奏、ハワイでも演奏した。今も毎週木曜、小学生から大人まで一緒に練習を続ける。
「芝居は小学4年の時に見た劇団四季のミュージカルに感動したからです。いまも芝居をしたい思いはありますよ」。「太鼓は叩けば誰でも音が出ます。その単純なものをいかに感動のレベルまで持っていくか、ですね。子どもたちの頑張りが大人たちのやる気になっています。でも、ゆるゆる雰囲気で、楽しみながらなんですよ」。
◆バトンタッチします。
「廣瀬愛さん」
2024年1月13日号