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妻有新聞掲載記事一覧

  • 大地の芸術祭、メッセージを感じる

     アートの力を信じたい。先駆けの大地の芸術祭は回を重ねるごとに関心を集め、いまや全国300以上の芸術祭的なアートイベントがある。その本家本元、大地の芸術祭は来週13日、第9回展の開幕だ。本紙先週号のトップ、芸術祭・総合ディレクターの北川フラム氏の言葉が、9回展までの歴史を端的に物語っている。『…バスで空気を運んでいると言われた時代から、ここまで来た…』。第1回展の2000年以降、2回、3回と重ねるまでは、作品巡りバスは「空気を運んでいる」と揶揄された。それがコロナ禍の厳しい時期を経験しつつも、大地の芸術祭は世界ブランドに育ち、開幕の9回展では外国から多くの来訪者が、ここ妻有をめざすだろう。「アートの力」を感じる。
     注目はロシア侵攻が続くウクライナの作家たちの出展だろう。アートの力は、「過疎と過密」、「都市と山間地」のキーワードから、2000年の第1回展から変わらない理念『人間は自然に内包される』が、いま世界で起こる紛争につながり、そこには「平和」への強いメッセージが込められ、越後妻有から世界に向けて、さらに強く打ち出される9回展になるだろう。
     87日間の大地の芸術祭。アーティスト275組は41の国と地域から妻有で作品展開する。野外アート、空き家や閉校舎活用のアートなど、その作品が発するメッセージを、目で、耳で、皮膚で、嗅覚で、心で、まさに5感で体感してほしい。その地に居る自分と、その地に存在する作品、この関係性こそ越後妻有からのメッセージだろう。 
     「ここはどこ、私はだれ、どこから来て、どこへ行くのか…」、その先の視野にウクライナがあり、ガザがあり、アフリカがある。
     来訪者数が芸術祭の成否になる時代ではない、と考える。最終日11月10日、ここ越後妻有から世界に向け、どんなメッセージが発せられるのか。

    2024年7月6日号

  • 「21世紀の美術、妻有から」

    第9回大地の芸術祭 来月13日開幕

    311作品、ウクライナウィーク、秋山郷アート関心

     「日本の文化は極東の島国であり、吹き溜まりのような場所に世界からいろんなモノが入って来たから面白い。21世紀の美術は越後妻有から始まっているかもしれないと言われている。関わった地域の方、先人の努力、手伝ってくれる方の繋がりで、バスで空気を運んでいると言われた時代からここまで来た」。
     大地の芸術祭を構想段階から30年余、牽引し続けてきた北川フラム総合ディレクターはこれまでを振り返り、そしてこれから始まる第9回展(7月13日~11月10日のうち87日間)のメイン作品を参集の関係者170人余に説明。「歓待する美術」「感幸」「五感全開で楽しめる芸術」などキーワードを語った。

    2024年6月29日号

  • 核ごみ処分適地「ない」

    「脱原発が一番の安全策」と大野隆一郎氏

    十日町・津南地域 自治研究所講座

     再稼働をめざす動きが加速化している柏崎刈羽原発。今月13日は7号機で燃料装填に伴う検査を全て終えたと東京電力は発表。原子炉機動の準備を進めるが、「地元同意」が再稼働の最大の焦点。柏崎市や刈羽村は再稼働に前向きな意向を示すが、県は複合災害時の避難に懸念を示しており、花角知事は「県民に信を問う」姿勢を崩していない。

    2024年6月29日号

  • 『女将への道、高まる食への関心』

    伊藤 萌さん(2000年生まれ)

     運命は、どう動くか分からない。長野・松本市で大学生活を送るが、コロナ禍でオンライン授業が多くなり、そんな時、「なにか違う」と感じた。佐渡にある実家が営む旅館を手伝うなかで、父がSNSで懐石料理店の人材募集を見つけ「こんなのがあるよ」と見せられ、行こうと即決。その地が十日町市。
     あれから2年、この地で運命の出会い。今年2月、地元の消防士と結婚。それも「初めての地でしたから、飲み友だちがほしい…」と、妻有地域限定のマッチングアプリに登録、そこで出会ったのが消防士。とんとんと、結婚にまで至った。

     佐渡・真野湾に面した地で両親が営む『伊藤屋旅館』。父で6代目の老舗宿だ。「小さい頃から海に潜っていました。仕入れに行く父や、山野に行く母にいつもついて行き、海も山も好きになり、特に食べることが大好きで、それは今も変わっていません」。
     幼少期から「女将」として動き回る母の姿を見て育ち、「かっこいい。私も女将になりたい」と小学生の頃から口に出し始めた。その思いは、中学、高校、そして大学に至るなかで、次第に「将来的な予感」となり、料理の世界に入り、それは「確信」に変わった。その決定打が十日町市での出会いだった。
     飲み友だちを求めた結果が、人生のパートナーに至った。「私は条件を出しました。食で好き嫌いが全く無い人、一緒にコーヒーとお酒を飲んでくれる人」。でも、「実は私は結婚できないんじゃないかと思っていました。我が強いので。私の意見を受け入れてくれ、どんな時も支えになると約束してくれました。それに誠実さでしょうか」。これこそ運命の導きか。

     「食」への探求心は人一倍強い。「美味しいものが好き過ぎて、食材への関心がいまも高まっています」。特に「きのこ」。佐渡には松林があり「高校時代、よく松茸を採っていましたし、世界三大きのこのトリュフ、ポルチーニなども佐渡では採れます」。当然きのこ料理にも関心深い。昨年12月の誕生日祝いには、結婚前の彼に分厚い『きのこ図鑑』をリクエスト、念願の大図鑑を手に入れた。きのこは今の仕事にも通じる。十日町から八箇峠越えで六日町の雪国まいたけに通勤している。
     「佐渡は食材が豊かです。海のもの、山のもの、さらにフルーツも豊富で、りんご・みかん・ぶどう・さくらんぼなど、いろいろ採れます」。父は旅館と併設の「レストランこさど」のシェフでありパティシエとしてスイーツも担当する。「十日町も山菜など豊富ですね。この時期もきのこが出ますよ。ウスヒラタケなど。休日には山へよく行きます」。植物知識は母との山野遊びからだ。

     この行動力の原動力は「思い立ったらすぐに動きます」。大学在学中、「やりたいことは出来ました」。それは外国への留学。コロナ直前の2019年8月、夏休みを使い1ヵ月間、オーストラリアのニューカッスル大学に短期留学、ホームスティしながら外国体験。この留学でも食への関心が増した。「様々な料理方法の食材を食べました。勉強になりました」。

     振り返ると体験のすべてが「女将」への道につながる。小学時代は水泳に取り組み、中学ではバレーボールと陸上・駅伝。高校では一転、書道と茶道、吹奏楽部ではクラリネットを。「茶道は15年ほど続けました。美味しいお菓子が食べられるから、と始めましたが、もともと抹茶が好きでしたから」。
     いまも水泳は毎週1時間ほど泳ぎ、スポーツジムで筋トレやランニングをする。先月の新潟市ハーフマラソンに出場。体力づくり、体形づくり、さらに健康維持と、これもすべて「女将」につながっている。
     「そうですね、30歳までには佐渡に戻ります。彼が佐渡の消防士に入るための準備期間も必要ですから」。経営を引き継ぐと7代目になる。「食にはこだわりたいです。佐渡でしか食べられないものを提供したい。まだまだ知らないことが多く、皆さんから教えて頂いています」。
     何年か後、佐渡の伊藤屋旅館で「萌女将」に会えるだろう。

    ▼バトンタッチします。
    伊藤隆汰さん

    2024年6月29日号

  • 「日本軍は決して島民を守ってはくれなかった」

    沖縄から恐山、父を思う

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     6月23日は、沖縄での組織的戦闘が終わった日で、のちに沖縄慰霊の日と定められた。79回目だ。
    父はその日までは生きていなかった。とは言えあの激戦が続き、何もかも焼き尽くされ、破壊尽くされたなかで、よく記録が残されていたなーと正直思う。
     命日とされる日・場所等は定かでなくとも当然だ。ただ沖縄で戦死したのだけは事実だろう。
     記念の日前後の、島民インタビューでは、幼くして戦争を体験した人々の声が聞かれた。私と同年齢の人々の声。「日本軍は決して島民を守ってはくれなかった」、この声が痛かった、父は軍人であったから。
     島民から食料を奪い、より安全な場所から島民を追いやり、軍人の安全を図ったのだろう。
     80年近く経った今、同じことを思う。米軍は決して日本を守るために、沖縄に基地を多く持っている訳ではない。都合の良いように、日本を利用しているだけだと確信している。
     現在は禁止されているドローン撮影映画を、九条の会の学習会で見た。冊子も見た。沖縄本島から繋がる先島諸島は、琉球弧として、台湾・中国に合い対峙している。その先島諸島に軍事基地が既に完成している。
     中国・台湾が何かのきっかけで紛争が起きれば、近距離にある沖縄は巻き込まれると、島民は恐れ、かつての戦前の状態に似ていると懸念し戦々恐々の様子だった。
     よく夢に死んだ人が出てきて、思いを聞いたことがあるというが、私は未だかつて一度も経験がない。父も母も他の人も、どんなに会いたいと思っていても、夢で会った試しがない。
     父とも幼くして分かれたので、どんなことを考え、話す人なのかさっぱりわからない。「おとーたん」と呼び、たばことマッチ・灰皿をそろえて父の所へ持っていく子どもだったと母から聞いたことはある。
     敗戦末期、極限状態の中でどんな事を考えていたのか。飢えと下痢の日々、何も考えられない状態だったのか。部下を持つ大尉として指揮をしなければという使命感が残っていたのか…。
     青森県下北半島には、霊感のあるイタコと言われる人々が居て、死者の声を聞かせてくれるという。なんとか聞いてみたいと願っているが、実現できるだろうか。
     父を失うということは、単に大黒柱を失うだけでなく、社会的な立場も失い、世の中の端っこへ押しやられ、人間扱いされなくなるという感じだった。
     沖縄だけで二十万人、大戦中では三百万人の戦死者がいる。戦争は敗者ばかりで勝者はいない。戦争を止められる人が勝者だという言葉もある。

    2024年6月29日号

  • 高野山でモガとビール?

    小林 幸一(津南案内人)

     県営妙法育成牧場で土の中から出てきた古いビール瓶を持っているという大割野の内山孝行さんを訪ね、収集した経緯をお聞きし、実物まで頂いて来ました。
     内山さんは昭和40年代に妙法牧場の工事に入り、道路脇の牧草地の中から出てきたビール瓶などを見たところ、知らない銘柄だったので持ち帰ったといいます。
     瓶には「サクラビール」や「大日本麦酒鉱泉株式会社」などの浮き文字があり、大正時代のハイカラな文化がこの山奥にも入って来たことが伺えます。ビールは一般家庭ではまだ贅沢品な飲み物で、大衆向けの日本酒や焼酎の瓶が見当たらないことから工事に関わった方の贅沢な生活が垣間見えます。また小さな瓶には「神薬資生堂」の文字の入った瓶や「ホーカー液」と刻まれた小瓶があり、調べてみると美白化粧水を謳ったモダンガールの必需品でした。
     内山氏の話では、他にも化粧瓶や子供の玩具があったとのことで、女性や子供も一緒に生活していたことが伺えます。こういった嗜好品や食料は注文をすれば配給所まで届き、代金は給料から天引きされていたとの記録もあります。
     厳しい労働の後には癒しの時間もあったようで、一生懸命稼いだ金を女性たちに巻き上げられ、その日暮らしの人夫の姿が目に浮かぶようです。また、前倉の飯場跡でも畑を耕すと瓶がたくさん出てきたということなので、当時の生活を知る上で貴重なものを頂きました。

    2024年6月29日号

  • 「故郷から『本物』を創る」

    シュンスケ フクザキさん

     俳優であり、映像作家であり、ミュージシャンデビューするなど、多彩な活動を行っている十日町市在住のシュンスケフクザキさん(33、エスディーコーポレーショ所属)。出演とプロデュースを兼ねたオール十日町ロケ映画『十日と永遠』(倉田健次監督)が今月、アジア最大級の短編映画祭「ショートショートフェスティバル&アジア2024」で『ホッピーハッピーアワード』を受賞するなど注目を集める。一方で、ミュージシャンとして初楽曲となる『Teru Teru Bouzu』を今年3月16日に各種音楽配信サービスでリリース。作詞作曲、さらに監督を兼ねミュージックビデオを撮影。ドバイ国際映画祭などヨーロッパや中近東、アジアなど15映画祭にノミネートされ、うち7優秀賞と3特別賞を獲得するなど関心を呼んでいる。「作らなきゃいけないではなく、いま作りたいなと思うアイデアや作品を純粋に楽しみながら制作していきたい」と話す。

    2024年6月29日号

  • 宿泊拠点、その求められる行政の戦略

     観光産業のポイントの一つは「宿」だろう。先の十日町市議会一般質問で観光客入込数が公表された。2022年282万人余、昨年2023年は246万人。一方、宿泊数は公表の2022年は21万人という。観光来訪者の宿泊は1割余りだ。地域に宿泊受入れキャパが少ない実態が分かる。一方、津南町の2023年は観光来訪者39万人余、うち宿泊数は未公表だが、宿泊拠点のニュー・グリーンピア津南は5万4千人余と先週の株主総会で公表された。この津南町の観光拠点が来年9月末、現経営者との10年間の業務委託契約が満了になる。どうする津南町、である。
     「まだまだ、やれることがある。ようやくコロナ前に戻りつつあるが、新たな取り組みが求められている」。この観光拠点は津南町が所有し、地元関係者などの共同出資の現地法人・津南高原開発が経営する。いわゆる「公設民営」。ファミリー層の利用はようやくコロナ前の状態に少しずつ回復しつつあるというが、「新たな取り組み、誘客戦略が必要」という。自立を選択した津南町、その町所有の観光拠点施設は、いわば津南町の「営業戦略拠点」でもある。外部への「町としての営業」が手薄ではないか。
     インバウンドを取り組むなら25年前に友好交流締結している韓国・ヨジョ市との関係性の密度を濃くする戦略が必要だ。『頼もしき応援団・日本食研』との連携もさらに太くできる。特に日本食研・大沢一彦会長は東京農大の名誉教授。農業立町の津南町にとって、東京農大との連携は大きな意義がある。大沢会長の存在は津南町にとって重要な意味を持つ。東京・世田谷区の保坂区長は津南町と縁深い。祖父が町内大井平出身となれば、世田谷区との関係性、さらに連携事業が見えてくる。
     可能性の要素はある。どう動くか、動く気があるのか、ここだろう。

    2024年6月29日号

  • 降水ゼロ30日超、深刻度増す

    干ばつ懸念、津南町大谷内ダム断水も

     水不足が深刻だ。例年ならば梅雨時期に入っているにも関わらず6月は10日間以上降水確認がなく、久しぶりに18日は少しまとまった降水があったが「まだ全然足りない」と農家は悲鳴を上げる。田植えを終えたばかりの水田に水が入れられず、水不足で苗が枯れ始めている場所が散見。特に天水田作の松之山や松代の棚田は深刻。昨年の干ばつでできたヒビが埋まらず水漏れし作付けできないケースが続出しており、水不足と合わせ24㌶以上の天水田が作付けできていない状況が判明している。十日町市は水稲渇水被害応急対策事業を17日からスタート。補助対象者は農業者個人や団体。渇水対策で水路掘削、ポンプ・発電機のリース、ポンプ等運転の電気料など、水田面積5㌶以上で最大40万円の支援を始めている。対象期間は12日から。ただ農業者から「棚田はポンプで水を上げたくとも水源がない場所が多いので使いにくい。水不足が続きまた夏に干ばつになると、2年連続で農家に大打撃となる」危機感が高まっている。(関連記事2面)

    2024年6月22日号

  • 五感、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚を刺激

    一粒のレーズンを10分かけ食べる

    Vol 100

     「新潟で雪が降っている匂いがする」。埼玉で大学時代を過ごしていた私が、雪国育ちなんだなぁと実感した瞬間でした。私が過ごしていた埼玉は、最寄り駅には数時間に1本ディーゼル車が通り、森の中の神社の境内で流鏑馬が行われるような所でした。 
     でも、田舎といえどそこは埼玉、年に数回しか降らない雪にみんなてんてこまいでした。そこにいると、はっきりと新潟で雪が降っている匂いが分かるのです。十日町から離れて初めて知った感覚でした。そして、「今日は雪」という天気予報で心配している同級生に「大丈夫、降らないよ。雪になる匂いがしないもん」と言って当てるため、びっくりされたものでした。
     最近自分が元気でいるため、そして自分を忘れないために何が必要かを考えたとき、自分の五感を刺激することが重要ではないかと思いました。
     まず視覚(見る)。意識的に見るのです。自分の好きなもの、美しいと感じるもの、そこに多くの色彩とそれを輝かせる光があることを脳みそ全体で感じます。
     そして聴覚(聴く)。早朝散歩がマイブームの私は、あえて車通りの無い方へ向かいます。靴底が土をとらえる音、木々の梢を風が揺らす音、田んぼに引かれる水の流れる音、鳥のさえずり、大きな欅の木の声など。静寂すらそれも音。外に出る時はイヤホンで音楽を聴かないのが私は好きです。
     味覚(味わう)。長年の癖で早食いになってしまうので、ひとりでご飯を食べる時ほどゆっくりと味わって食べたいと思っています。
     嗅覚(嗅ぐ)。職場の同僚がある日、「玄関を出てクサッ! と思ったら、栗の花がすごかった」と。自分が感じ切れていない匂いはまだまだあるのだなと思いました。四季を感じる匂い、これを読んでいる皆さんの方がたくさん知っているのではないでしょうか。
     触覚(皮膚で感じる)。私は「土に触れる」、これをしたいがために田舎に戻ってきたと言っても良いくらいです。昨日、今年初めて我が家の猫の額ほどの家庭菜園できゅうりの収穫をしました!やったー。
     米国のある博士が仏教の瞑想を医療の分野に持ち込み、宗教的要素を取り除いて科学的に効果を実証させたものに、マインドフルネスがあります。マインドフルネスにはレーズンを食べる瞑想があるのですが、手の上の一粒のレーズンを見て耳元で音を聴いて匂いを嗅いで唇で触って、そして口に入れしばらく舌の上で転がした後に噛むのです。(一口で食べられるものなら何でもよく、甘納豆や焼き甘栗などで代用可)。
     レーズンがどんなところでどんな人の想いで作られ自分のところにやってくる過程を想像し、また自然の恵みに感謝する気持ちを巡らす、そうすると幸福感で満たされる、と。
     まさに五感を刺激する食べ方です。一粒食べきるのに最低10分はかかるでしょう。たかき医院にも五感を刺激する工夫が沢山あります。診察が無くても是非体と心を休めにお立ち寄りください。
     (たかき医院・仲栄美子院長)

    2024年6月22日号

  • 大地の芸術祭、メッセージを感じる

     アートの力を信じたい。先駆けの大地の芸術祭は回を重ねるごとに関心を集め、いまや全国300以上の芸術祭的なアートイベントがある。その本家本元、大地の芸術祭は来週13日、第9回展の開幕だ。本紙先週号のトップ、芸術祭・総合ディレクターの北川フラム氏の言葉が、9回展までの歴史を端的に物語っている。『…バスで空気を運んでいると言われた時代から、ここまで来た…』。第1回展の2000年以降、2回、3回と重ねるまでは、作品巡りバスは「空気を運んでいる」と揶揄された。それがコロナ禍の厳しい時期を経験しつつも、大地の芸術祭は世界ブランドに育ち、開幕の9回展では外国から多くの来訪者が、ここ妻有をめざすだろう。「アートの力」を感じる。
     注目はロシア侵攻が続くウクライナの作家たちの出展だろう。アートの力は、「過疎と過密」、「都市と山間地」のキーワードから、2000年の第1回展から変わらない理念『人間は自然に内包される』が、いま世界で起こる紛争につながり、そこには「平和」への強いメッセージが込められ、越後妻有から世界に向けて、さらに強く打ち出される9回展になるだろう。
     87日間の大地の芸術祭。アーティスト275組は41の国と地域から妻有で作品展開する。野外アート、空き家や閉校舎活用のアートなど、その作品が発するメッセージを、目で、耳で、皮膚で、嗅覚で、心で、まさに5感で体感してほしい。その地に居る自分と、その地に存在する作品、この関係性こそ越後妻有からのメッセージだろう。 
     「ここはどこ、私はだれ、どこから来て、どこへ行くのか…」、その先の視野にウクライナがあり、ガザがあり、アフリカがある。
     来訪者数が芸術祭の成否になる時代ではない、と考える。最終日11月10日、ここ越後妻有から世界に向け、どんなメッセージが発せられるのか。

    2024年7月6日号

  • 「21世紀の美術、妻有から」

    第9回大地の芸術祭 来月13日開幕

    311作品、ウクライナウィーク、秋山郷アート関心

     「日本の文化は極東の島国であり、吹き溜まりのような場所に世界からいろんなモノが入って来たから面白い。21世紀の美術は越後妻有から始まっているかもしれないと言われている。関わった地域の方、先人の努力、手伝ってくれる方の繋がりで、バスで空気を運んでいると言われた時代からここまで来た」。
     大地の芸術祭を構想段階から30年余、牽引し続けてきた北川フラム総合ディレクターはこれまでを振り返り、そしてこれから始まる第9回展(7月13日~11月10日のうち87日間)のメイン作品を参集の関係者170人余に説明。「歓待する美術」「感幸」「五感全開で楽しめる芸術」などキーワードを語った。

    2024年6月29日号

  • 核ごみ処分適地「ない」

    「脱原発が一番の安全策」と大野隆一郎氏

    十日町・津南地域 自治研究所講座

     再稼働をめざす動きが加速化している柏崎刈羽原発。今月13日は7号機で燃料装填に伴う検査を全て終えたと東京電力は発表。原子炉機動の準備を進めるが、「地元同意」が再稼働の最大の焦点。柏崎市や刈羽村は再稼働に前向きな意向を示すが、県は複合災害時の避難に懸念を示しており、花角知事は「県民に信を問う」姿勢を崩していない。

    2024年6月29日号

  • 『女将への道、高まる食への関心』

    伊藤 萌さん(2000年生まれ)

     運命は、どう動くか分からない。長野・松本市で大学生活を送るが、コロナ禍でオンライン授業が多くなり、そんな時、「なにか違う」と感じた。佐渡にある実家が営む旅館を手伝うなかで、父がSNSで懐石料理店の人材募集を見つけ「こんなのがあるよ」と見せられ、行こうと即決。その地が十日町市。
     あれから2年、この地で運命の出会い。今年2月、地元の消防士と結婚。それも「初めての地でしたから、飲み友だちがほしい…」と、妻有地域限定のマッチングアプリに登録、そこで出会ったのが消防士。とんとんと、結婚にまで至った。

     佐渡・真野湾に面した地で両親が営む『伊藤屋旅館』。父で6代目の老舗宿だ。「小さい頃から海に潜っていました。仕入れに行く父や、山野に行く母にいつもついて行き、海も山も好きになり、特に食べることが大好きで、それは今も変わっていません」。
     幼少期から「女将」として動き回る母の姿を見て育ち、「かっこいい。私も女将になりたい」と小学生の頃から口に出し始めた。その思いは、中学、高校、そして大学に至るなかで、次第に「将来的な予感」となり、料理の世界に入り、それは「確信」に変わった。その決定打が十日町市での出会いだった。
     飲み友だちを求めた結果が、人生のパートナーに至った。「私は条件を出しました。食で好き嫌いが全く無い人、一緒にコーヒーとお酒を飲んでくれる人」。でも、「実は私は結婚できないんじゃないかと思っていました。我が強いので。私の意見を受け入れてくれ、どんな時も支えになると約束してくれました。それに誠実さでしょうか」。これこそ運命の導きか。

     「食」への探求心は人一倍強い。「美味しいものが好き過ぎて、食材への関心がいまも高まっています」。特に「きのこ」。佐渡には松林があり「高校時代、よく松茸を採っていましたし、世界三大きのこのトリュフ、ポルチーニなども佐渡では採れます」。当然きのこ料理にも関心深い。昨年12月の誕生日祝いには、結婚前の彼に分厚い『きのこ図鑑』をリクエスト、念願の大図鑑を手に入れた。きのこは今の仕事にも通じる。十日町から八箇峠越えで六日町の雪国まいたけに通勤している。
     「佐渡は食材が豊かです。海のもの、山のもの、さらにフルーツも豊富で、りんご・みかん・ぶどう・さくらんぼなど、いろいろ採れます」。父は旅館と併設の「レストランこさど」のシェフでありパティシエとしてスイーツも担当する。「十日町も山菜など豊富ですね。この時期もきのこが出ますよ。ウスヒラタケなど。休日には山へよく行きます」。植物知識は母との山野遊びからだ。

     この行動力の原動力は「思い立ったらすぐに動きます」。大学在学中、「やりたいことは出来ました」。それは外国への留学。コロナ直前の2019年8月、夏休みを使い1ヵ月間、オーストラリアのニューカッスル大学に短期留学、ホームスティしながら外国体験。この留学でも食への関心が増した。「様々な料理方法の食材を食べました。勉強になりました」。

     振り返ると体験のすべてが「女将」への道につながる。小学時代は水泳に取り組み、中学ではバレーボールと陸上・駅伝。高校では一転、書道と茶道、吹奏楽部ではクラリネットを。「茶道は15年ほど続けました。美味しいお菓子が食べられるから、と始めましたが、もともと抹茶が好きでしたから」。
     いまも水泳は毎週1時間ほど泳ぎ、スポーツジムで筋トレやランニングをする。先月の新潟市ハーフマラソンに出場。体力づくり、体形づくり、さらに健康維持と、これもすべて「女将」につながっている。
     「そうですね、30歳までには佐渡に戻ります。彼が佐渡の消防士に入るための準備期間も必要ですから」。経営を引き継ぐと7代目になる。「食にはこだわりたいです。佐渡でしか食べられないものを提供したい。まだまだ知らないことが多く、皆さんから教えて頂いています」。
     何年か後、佐渡の伊藤屋旅館で「萌女将」に会えるだろう。

    ▼バトンタッチします。
    伊藤隆汰さん

    2024年6月29日号

  • 「日本軍は決して島民を守ってはくれなかった」

    沖縄から恐山、父を思う

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     6月23日は、沖縄での組織的戦闘が終わった日で、のちに沖縄慰霊の日と定められた。79回目だ。
    父はその日までは生きていなかった。とは言えあの激戦が続き、何もかも焼き尽くされ、破壊尽くされたなかで、よく記録が残されていたなーと正直思う。
     命日とされる日・場所等は定かでなくとも当然だ。ただ沖縄で戦死したのだけは事実だろう。
     記念の日前後の、島民インタビューでは、幼くして戦争を体験した人々の声が聞かれた。私と同年齢の人々の声。「日本軍は決して島民を守ってはくれなかった」、この声が痛かった、父は軍人であったから。
     島民から食料を奪い、より安全な場所から島民を追いやり、軍人の安全を図ったのだろう。
     80年近く経った今、同じことを思う。米軍は決して日本を守るために、沖縄に基地を多く持っている訳ではない。都合の良いように、日本を利用しているだけだと確信している。
     現在は禁止されているドローン撮影映画を、九条の会の学習会で見た。冊子も見た。沖縄本島から繋がる先島諸島は、琉球弧として、台湾・中国に合い対峙している。その先島諸島に軍事基地が既に完成している。
     中国・台湾が何かのきっかけで紛争が起きれば、近距離にある沖縄は巻き込まれると、島民は恐れ、かつての戦前の状態に似ていると懸念し戦々恐々の様子だった。
     よく夢に死んだ人が出てきて、思いを聞いたことがあるというが、私は未だかつて一度も経験がない。父も母も他の人も、どんなに会いたいと思っていても、夢で会った試しがない。
     父とも幼くして分かれたので、どんなことを考え、話す人なのかさっぱりわからない。「おとーたん」と呼び、たばことマッチ・灰皿をそろえて父の所へ持っていく子どもだったと母から聞いたことはある。
     敗戦末期、極限状態の中でどんな事を考えていたのか。飢えと下痢の日々、何も考えられない状態だったのか。部下を持つ大尉として指揮をしなければという使命感が残っていたのか…。
     青森県下北半島には、霊感のあるイタコと言われる人々が居て、死者の声を聞かせてくれるという。なんとか聞いてみたいと願っているが、実現できるだろうか。
     父を失うということは、単に大黒柱を失うだけでなく、社会的な立場も失い、世の中の端っこへ押しやられ、人間扱いされなくなるという感じだった。
     沖縄だけで二十万人、大戦中では三百万人の戦死者がいる。戦争は敗者ばかりで勝者はいない。戦争を止められる人が勝者だという言葉もある。

    2024年6月29日号

  • 高野山でモガとビール?

    小林 幸一(津南案内人)

     県営妙法育成牧場で土の中から出てきた古いビール瓶を持っているという大割野の内山孝行さんを訪ね、収集した経緯をお聞きし、実物まで頂いて来ました。
     内山さんは昭和40年代に妙法牧場の工事に入り、道路脇の牧草地の中から出てきたビール瓶などを見たところ、知らない銘柄だったので持ち帰ったといいます。
     瓶には「サクラビール」や「大日本麦酒鉱泉株式会社」などの浮き文字があり、大正時代のハイカラな文化がこの山奥にも入って来たことが伺えます。ビールは一般家庭ではまだ贅沢品な飲み物で、大衆向けの日本酒や焼酎の瓶が見当たらないことから工事に関わった方の贅沢な生活が垣間見えます。また小さな瓶には「神薬資生堂」の文字の入った瓶や「ホーカー液」と刻まれた小瓶があり、調べてみると美白化粧水を謳ったモダンガールの必需品でした。
     内山氏の話では、他にも化粧瓶や子供の玩具があったとのことで、女性や子供も一緒に生活していたことが伺えます。こういった嗜好品や食料は注文をすれば配給所まで届き、代金は給料から天引きされていたとの記録もあります。
     厳しい労働の後には癒しの時間もあったようで、一生懸命稼いだ金を女性たちに巻き上げられ、その日暮らしの人夫の姿が目に浮かぶようです。また、前倉の飯場跡でも畑を耕すと瓶がたくさん出てきたということなので、当時の生活を知る上で貴重なものを頂きました。

    2024年6月29日号

  • 「故郷から『本物』を創る」

    シュンスケ フクザキさん

     俳優であり、映像作家であり、ミュージシャンデビューするなど、多彩な活動を行っている十日町市在住のシュンスケフクザキさん(33、エスディーコーポレーショ所属)。出演とプロデュースを兼ねたオール十日町ロケ映画『十日と永遠』(倉田健次監督)が今月、アジア最大級の短編映画祭「ショートショートフェスティバル&アジア2024」で『ホッピーハッピーアワード』を受賞するなど注目を集める。一方で、ミュージシャンとして初楽曲となる『Teru Teru Bouzu』を今年3月16日に各種音楽配信サービスでリリース。作詞作曲、さらに監督を兼ねミュージックビデオを撮影。ドバイ国際映画祭などヨーロッパや中近東、アジアなど15映画祭にノミネートされ、うち7優秀賞と3特別賞を獲得するなど関心を呼んでいる。「作らなきゃいけないではなく、いま作りたいなと思うアイデアや作品を純粋に楽しみながら制作していきたい」と話す。

    2024年6月29日号

  • 宿泊拠点、その求められる行政の戦略

     観光産業のポイントの一つは「宿」だろう。先の十日町市議会一般質問で観光客入込数が公表された。2022年282万人余、昨年2023年は246万人。一方、宿泊数は公表の2022年は21万人という。観光来訪者の宿泊は1割余りだ。地域に宿泊受入れキャパが少ない実態が分かる。一方、津南町の2023年は観光来訪者39万人余、うち宿泊数は未公表だが、宿泊拠点のニュー・グリーンピア津南は5万4千人余と先週の株主総会で公表された。この津南町の観光拠点が来年9月末、現経営者との10年間の業務委託契約が満了になる。どうする津南町、である。
     「まだまだ、やれることがある。ようやくコロナ前に戻りつつあるが、新たな取り組みが求められている」。この観光拠点は津南町が所有し、地元関係者などの共同出資の現地法人・津南高原開発が経営する。いわゆる「公設民営」。ファミリー層の利用はようやくコロナ前の状態に少しずつ回復しつつあるというが、「新たな取り組み、誘客戦略が必要」という。自立を選択した津南町、その町所有の観光拠点施設は、いわば津南町の「営業戦略拠点」でもある。外部への「町としての営業」が手薄ではないか。
     インバウンドを取り組むなら25年前に友好交流締結している韓国・ヨジョ市との関係性の密度を濃くする戦略が必要だ。『頼もしき応援団・日本食研』との連携もさらに太くできる。特に日本食研・大沢一彦会長は東京農大の名誉教授。農業立町の津南町にとって、東京農大との連携は大きな意義がある。大沢会長の存在は津南町にとって重要な意味を持つ。東京・世田谷区の保坂区長は津南町と縁深い。祖父が町内大井平出身となれば、世田谷区との関係性、さらに連携事業が見えてくる。
     可能性の要素はある。どう動くか、動く気があるのか、ここだろう。

    2024年6月29日号

  • 降水ゼロ30日超、深刻度増す

    干ばつ懸念、津南町大谷内ダム断水も

     水不足が深刻だ。例年ならば梅雨時期に入っているにも関わらず6月は10日間以上降水確認がなく、久しぶりに18日は少しまとまった降水があったが「まだ全然足りない」と農家は悲鳴を上げる。田植えを終えたばかりの水田に水が入れられず、水不足で苗が枯れ始めている場所が散見。特に天水田作の松之山や松代の棚田は深刻。昨年の干ばつでできたヒビが埋まらず水漏れし作付けできないケースが続出しており、水不足と合わせ24㌶以上の天水田が作付けできていない状況が判明している。十日町市は水稲渇水被害応急対策事業を17日からスタート。補助対象者は農業者個人や団体。渇水対策で水路掘削、ポンプ・発電機のリース、ポンプ等運転の電気料など、水田面積5㌶以上で最大40万円の支援を始めている。対象期間は12日から。ただ農業者から「棚田はポンプで水を上げたくとも水源がない場所が多いので使いにくい。水不足が続きまた夏に干ばつになると、2年連続で農家に大打撃となる」危機感が高まっている。(関連記事2面)

    2024年6月22日号

  • 五感、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚を刺激

    一粒のレーズンを10分かけ食べる

    Vol 100

     「新潟で雪が降っている匂いがする」。埼玉で大学時代を過ごしていた私が、雪国育ちなんだなぁと実感した瞬間でした。私が過ごしていた埼玉は、最寄り駅には数時間に1本ディーゼル車が通り、森の中の神社の境内で流鏑馬が行われるような所でした。 
     でも、田舎といえどそこは埼玉、年に数回しか降らない雪にみんなてんてこまいでした。そこにいると、はっきりと新潟で雪が降っている匂いが分かるのです。十日町から離れて初めて知った感覚でした。そして、「今日は雪」という天気予報で心配している同級生に「大丈夫、降らないよ。雪になる匂いがしないもん」と言って当てるため、びっくりされたものでした。
     最近自分が元気でいるため、そして自分を忘れないために何が必要かを考えたとき、自分の五感を刺激することが重要ではないかと思いました。
     まず視覚(見る)。意識的に見るのです。自分の好きなもの、美しいと感じるもの、そこに多くの色彩とそれを輝かせる光があることを脳みそ全体で感じます。
     そして聴覚(聴く)。早朝散歩がマイブームの私は、あえて車通りの無い方へ向かいます。靴底が土をとらえる音、木々の梢を風が揺らす音、田んぼに引かれる水の流れる音、鳥のさえずり、大きな欅の木の声など。静寂すらそれも音。外に出る時はイヤホンで音楽を聴かないのが私は好きです。
     味覚(味わう)。長年の癖で早食いになってしまうので、ひとりでご飯を食べる時ほどゆっくりと味わって食べたいと思っています。
     嗅覚(嗅ぐ)。職場の同僚がある日、「玄関を出てクサッ! と思ったら、栗の花がすごかった」と。自分が感じ切れていない匂いはまだまだあるのだなと思いました。四季を感じる匂い、これを読んでいる皆さんの方がたくさん知っているのではないでしょうか。
     触覚(皮膚で感じる)。私は「土に触れる」、これをしたいがために田舎に戻ってきたと言っても良いくらいです。昨日、今年初めて我が家の猫の額ほどの家庭菜園できゅうりの収穫をしました!やったー。
     米国のある博士が仏教の瞑想を医療の分野に持ち込み、宗教的要素を取り除いて科学的に効果を実証させたものに、マインドフルネスがあります。マインドフルネスにはレーズンを食べる瞑想があるのですが、手の上の一粒のレーズンを見て耳元で音を聴いて匂いを嗅いで唇で触って、そして口に入れしばらく舌の上で転がした後に噛むのです。(一口で食べられるものなら何でもよく、甘納豆や焼き甘栗などで代用可)。
     レーズンがどんなところでどんな人の想いで作られ自分のところにやってくる過程を想像し、また自然の恵みに感謝する気持ちを巡らす、そうすると幸福感で満たされる、と。
     まさに五感を刺激する食べ方です。一粒食べきるのに最低10分はかかるでしょう。たかき医院にも五感を刺激する工夫が沢山あります。診察が無くても是非体と心を休めにお立ち寄りください。
     (たかき医院・仲栄美子院長)

    2024年6月22日号