秋山郷和山集落の対岸にあった「もっきりや」は昨年から和山集落に引っ越しましたが、冬季間の行き来は中津川にワイヤーを渡し、小さな籠を吊るした籠渡し「野猿」でした。
2025年2月15日号
1月27日に津南町立上郷小学校で大井平和紙の紙漉きが行われた。小学生たちは自分の卒業証書を自分で漉くことで思い出も残り、大井平和紙の文化継承に一役かっている。
2025年2月8日号
昨年の11月初め、栄村の知人からクロメンガタスズメという蛾の幼虫(写真)を譲り受けた。お尻にある尾角と呼ばれる部分が湾曲し細かい突起がつくのが可愛い。
2025年1月25日号
見玉不動尊に初詣を兼ねて新年初撮影に出かけました。境内は雪に覆われ滝の音だけが響き渡ります。雪を踏みしめ7段の滝の一番滝を拝み、今年も素敵な発見と出逢い、そして良い写真が撮れることを祈りました。
2025年1月18日号
雪国の生活で驚いたことはどんなに雪が降っても学校は休校にならないし、電車もバスも普通に動いていることだ。東京で10センチの降雪があれば公共交通のダイヤは乱れ、更に降り積もれば物流も何もかもがストップする。
2025年1月11日号
少し暖かい日の雪の上にはいろんな昆虫を見かける事がある。写真はカマドウマのカゲロウの仲間だが、なぜ雪の上にいるんだろうか…
蜘蛛の仲間も晴れている雪の上にはよく見かけるが、もちろん雪の上だから動きは相当遅い。
2025年1月4日号
秋も深まった頃、草やぶの中で着衣にいろんな植物の果実や種子がくっついてくる。それらの愛称を「ひっつきむし」と呼ぶ。
その中でもお馴染みさんがアメリカセンダングサである。名のとおり北アメリカ原産の外来種だ。
田畑の周りや道端など身近で見られ、群生することが多い。
果実はそう果と呼ばれ(写真左)、扁平で先に2本の突起がつく。その突起に逆刺があってそれでくっつくのだ。釣り針の返しみたいで取るのに厄介だが、子供達には「バカ」の名で人気の遊び相手である。
それに似た果実をつけるのがコセンダングサだ。こちらも北アメリカ原産の外来種で、関東以西に多いが、苗場山麓でも見かけるようになった。
そう果(写真右)には2~4本の突起がつくが、それに逆刺があるところは前者と同じ。
どちらも一年草で、たくさんの種子を蒔き散らし勢力拡大に余念がない。
2024年12月21日号
反里口から中津川に降りる川原の崖にポッカリと開いた隧道の出口付近は土砂の崩壊で完全に埋まっていますが、その先に軌道の痕跡が残っているかと斜面を探索していると、なんと反里口頭首工の直ぐ傍に軌道跡の盛り土と、併設された灌漑用水路の石組がしっかりと残っていました。
この辺りは今でも斜面が崩落し中津川まで押してきますので、当時も軌道や水路の確保に大変な場所だったと思います。その原因となるのが太古の昔、笹葉峰の大崩落により、幅2.5キロ長さ4.5キロ、落差300㍍で太田新田・見玉方面へ押し出し、大量の土砂が中津川を堰き止めた地域といわれております。
その崩落地形に大正8年に中津川発電所工事の輸送路として軌道が敷かれ、穴藤のダムから正面ヶ原開田地業に引く中津川幹線水路も開通しましたが、昭和24・25年の台風で地山もろとも大崩落し農家を落胆させました。
現在の頭首工は昭和43年に完成し広大な圃場を潤していますが、その傍に残された稲作への熱い想いを忘れてはなりません。
2024年12月14日号
ロータリ除雪車やタイヤショベルを乗りこなし、私たちが朝出かけるまでの間に町中の道路を通れるようにしてくれている「豪雪地帯のヒーロー」除雪隊。
全国の除雪隊の始まりは北海道札幌市が始まりとされ、青森空港の除雪隊は『ホワイトインパルス』と呼ばれ、滑走路などの冬季でも滞りなく飛行機が離発着できるよう完璧なまでの除雪を行い全国的にも有名だ。
この地域の除雪は北の雪とは違い、重く湿っていて、扱いが難しいが、これだけキレイに除雪されている地域はほとんどない。
私が初めて目にした津南・十日町の冬道はスノータイヤじゃなくても走れるのではないかと思うほどきれいだった。
この地域に住んでいると当たり前の光景かもしれないが、民家の前やすぐ近くの道にあんな大きな重機が走り回って、大量の雪を退けていく。
私はそんな除雪隊がカッコイイなぁと早朝の作業を見るのがこれからの日課。
人口減少問題の中、除雪隊の人手不足も深刻な問題となっているが、昼夜問わず、生活に欠かせない必要不可欠な仕事に冬のヒーローとして、次の世代の除雪隊が増えることを切に願っている。
2024年12月7日号
秋山郷和山集落の対岸にあった「もっきりや」は昨年から和山集落に引っ越しましたが、冬季間の行き来は中津川にワイヤーを渡し、小さな籠を吊るした籠渡し「野猿」でした。
2025年2月15日号
1月27日に津南町立上郷小学校で大井平和紙の紙漉きが行われた。小学生たちは自分の卒業証書を自分で漉くことで思い出も残り、大井平和紙の文化継承に一役かっている。
2025年2月8日号
昨年の11月初め、栄村の知人からクロメンガタスズメという蛾の幼虫(写真)を譲り受けた。お尻にある尾角と呼ばれる部分が湾曲し細かい突起がつくのが可愛い。
2025年1月25日号
見玉不動尊に初詣を兼ねて新年初撮影に出かけました。境内は雪に覆われ滝の音だけが響き渡ります。雪を踏みしめ7段の滝の一番滝を拝み、今年も素敵な発見と出逢い、そして良い写真が撮れることを祈りました。
2025年1月18日号
雪国の生活で驚いたことはどんなに雪が降っても学校は休校にならないし、電車もバスも普通に動いていることだ。東京で10センチの降雪があれば公共交通のダイヤは乱れ、更に降り積もれば物流も何もかもがストップする。
2025年1月11日号
少し暖かい日の雪の上にはいろんな昆虫を見かける事がある。写真はカマドウマのカゲロウの仲間だが、なぜ雪の上にいるんだろうか…
蜘蛛の仲間も晴れている雪の上にはよく見かけるが、もちろん雪の上だから動きは相当遅い。
2025年1月4日号
秋も深まった頃、草やぶの中で着衣にいろんな植物の果実や種子がくっついてくる。それらの愛称を「ひっつきむし」と呼ぶ。
その中でもお馴染みさんがアメリカセンダングサである。名のとおり北アメリカ原産の外来種だ。
田畑の周りや道端など身近で見られ、群生することが多い。
果実はそう果と呼ばれ(写真左)、扁平で先に2本の突起がつく。その突起に逆刺があってそれでくっつくのだ。釣り針の返しみたいで取るのに厄介だが、子供達には「バカ」の名で人気の遊び相手である。
それに似た果実をつけるのがコセンダングサだ。こちらも北アメリカ原産の外来種で、関東以西に多いが、苗場山麓でも見かけるようになった。
そう果(写真右)には2~4本の突起がつくが、それに逆刺があるところは前者と同じ。
どちらも一年草で、たくさんの種子を蒔き散らし勢力拡大に余念がない。
2024年12月21日号
反里口から中津川に降りる川原の崖にポッカリと開いた隧道の出口付近は土砂の崩壊で完全に埋まっていますが、その先に軌道の痕跡が残っているかと斜面を探索していると、なんと反里口頭首工の直ぐ傍に軌道跡の盛り土と、併設された灌漑用水路の石組がしっかりと残っていました。
この辺りは今でも斜面が崩落し中津川まで押してきますので、当時も軌道や水路の確保に大変な場所だったと思います。その原因となるのが太古の昔、笹葉峰の大崩落により、幅2.5キロ長さ4.5キロ、落差300㍍で太田新田・見玉方面へ押し出し、大量の土砂が中津川を堰き止めた地域といわれております。
その崩落地形に大正8年に中津川発電所工事の輸送路として軌道が敷かれ、穴藤のダムから正面ヶ原開田地業に引く中津川幹線水路も開通しましたが、昭和24・25年の台風で地山もろとも大崩落し農家を落胆させました。
現在の頭首工は昭和43年に完成し広大な圃場を潤していますが、その傍に残された稲作への熱い想いを忘れてはなりません。
2024年12月14日号
ロータリ除雪車やタイヤショベルを乗りこなし、私たちが朝出かけるまでの間に町中の道路を通れるようにしてくれている「豪雪地帯のヒーロー」除雪隊。
全国の除雪隊の始まりは北海道札幌市が始まりとされ、青森空港の除雪隊は『ホワイトインパルス』と呼ばれ、滑走路などの冬季でも滞りなく飛行機が離発着できるよう完璧なまでの除雪を行い全国的にも有名だ。
この地域の除雪は北の雪とは違い、重く湿っていて、扱いが難しいが、これだけキレイに除雪されている地域はほとんどない。
私が初めて目にした津南・十日町の冬道はスノータイヤじゃなくても走れるのではないかと思うほどきれいだった。
この地域に住んでいると当たり前の光景かもしれないが、民家の前やすぐ近くの道にあんな大きな重機が走り回って、大量の雪を退けていく。
私はそんな除雪隊がカッコイイなぁと早朝の作業を見るのがこれからの日課。
人口減少問題の中、除雪隊の人手不足も深刻な問題となっているが、昼夜問わず、生活に欠かせない必要不可欠な仕事に冬のヒーローとして、次の世代の除雪隊が増えることを切に願っている。
2024年12月7日号