8月31日号の、長谷川好文さんの原稿を読んで、思わず共感を覚えた。辛うじて『コクル』、『セカチュウー』は想像できたと思った。でもあとは早速PCで検索、フーン? そうなんだ!短縮、省略さっぱりわからん。
言葉はその時代時代に生きている文化だから、時の流れと共に変化するのは当然なのは、頭ではわかっているが…こう何もかも短縮・省略、もう一つアルファベット・カタカナでは伝わらないのでは。いや私のような世代だけか。
そもそも言葉はコミュニケーション(意思疎通)のツール(手段)では?
意思の疎通ができているとは言い難い。
過ぎてきた歴史の中では無かった出来事・無かった文化があふれかえっていて、それを言い表すのに言葉・文字が格段に増え、一字一句、正確に話していては、埒が明かぬのかもしれない。
不確かだが昔、聖書の中の逸話として『バベルの塔』を聞いたことがある。奢り高ぶった人間は、天に届く塔を作り神々に近づこうとした。それを諫めるために、神々は、塔作りをしている人間の言葉をめちゃめちゃにし、話が通じなくした、ということであった。その結果、世界中の言語が、大いに別れ、各国の言語が出来たという。
人間は頭脳を駆使し、より便利に、より快適に、労することなく、手軽に・楽に何かを手にしようとする。こんなことを続けていると、どんな報いを受けるのだろう。昨今の異常気象も、その一つではないのか。
バベルの塔同様、天の諫めに思えて仕方がない。現代とは格段に、時の流れが緩やかだった昔が好きだなと思う。
今年の大河ドラマの平安時代とまではいわないが、明治大正の時代は、人々の行いが穏やかに思える。
乱暴な言葉を使えば、自ずと行動・暮らし方が乱暴になる。戦中戦後のすさんだ時代は、言葉も荒んでいた。言葉の使い方で、暮らしぶりも、品性も変わる。
つい先日〈サクッと〉〈もふもふ〉〈まったり〉を使う人が多くなってきたと紙上にあった。世界がどんどん広がるのだから、表現も広がるということか?時の流れに乗れるとは到底思えない。
唱歌〈椰子の実〉がこよなく好きだ。同じ情感を覚えるのは〈演歌〉の歌詞が胸を打つ。流行語は使えなくても、美しい日本語を大切に、心豊かに暮らしたいと思う。
昔人間の時間は、ゆっくり流れているものね。
2024年9月21日号
日本人男性の平均寿命は81・41歳、健康寿命は72・68歳だそうです。後期高齢者間近の筆者にとっては毎日の健康が関心事ですし、やはり気になるのは健康寿命です。厚生労働省の定義では、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」とのこと。今のところ健康診断でいくつかイエローカードを出されてはいますが、日常生活が制限されることなく生活できています。
健康寿命を延ばすには、「①バランスの良い食事を意識する②運動習慣を持つ③検診で生活習慣病の早期発見・重症化予防に努める④喫煙をやめる⑤適正な体重を保つ⑥ストレスの少ない生活を目指す⑦社会的なつながりを構築する」だそうです。
筆者はタバコを吸わないのでその点だけは問題ないですが、どれもこれも簡単にできそうにもなく、それだけでストレスです。特に難しいのが、運動習慣を持つこと。簡単そうに見えるウォーキングは、1日1万歩やらないと効果はないとこれまで言われており、そう思うだけで一歩が踏み出せません。ジムはお金がかかるし。
そんな中で出会ったのが「ウォーキングの科学」という本です。信州大学元教授の著者・能勢博氏は前書きで「ウォーキングは健康に良い、ということは誰でも知っているが、どれぐらいの速度で、どれぐらいの頻度で、どれくらいの時間行えば、どんな効果が得られるのか、という疑問について明確に答えられる方は少ない」と述べています。詳しくは本書に譲るとして、「普通」に歩く1万歩はほとんど効果が得られない、という衝撃の事実も証拠に基づいて語られています。
「インターバル速歩」とはごく大雑把に言うと3分間速足で歩き、そのあとゆっくりと3分間歩く、これを繰り返すこと。1日30分でいいのです。毎日でなくても構いません。著書の研究によれば「インターバル速歩」を行えば短時間で、体の負担も少なく、さほどお金もかけずに筋力の向上(体力の向上)が可能だそうです。
著者は松本市と提携して「インターバル速歩」を実施群と非実施群に分け、1年以上の実証実験を行い、「インターバル速歩」が生活習慣病の防止に役立つことを証明しています。
秋田県の由利本荘市では平成27年から「歩いてのばそう!! 健康寿命」を合言葉に「インターバル速歩」を導入し、その実施状況は由利本荘市のホームページで詳しく紹介されています。何でも三日坊主になりがちな筆者ですが、続けられるような気がします。
2024年9月14日号
前回に続き、新潟県三条市に設立された三条市立大学に関連して、「大学とまちづくり」について、書いてみたいと思います。
三条市立大学は「ものづくり」に特化した大学で、入学の倍率が5倍を超える人気となっています。自治体や企業からの支援がいくつかあり、学生が三条市の旧市街地に住む場合は、自治体からの家賃援助があります。
私は燕三条に出張で行く際、その三条市の旧市街地にあるホテルを定宿としているのですが、周りは高齢化が進んでいるのでしょう、年々お店の閉店や空き地が増え、その流れはまだ変わっていないかもしれないのですが、今年くらいから、明らかに道を歩いたり自転車に乗ったりしている若者の姿が目立って増えてきました。それによって、まちに少しずつ活気が出てきたように感じます。
学生たちは、町内会の消防団やお祭りなどのイベントにも参加しているとのことでした。そのような経験がしたくてもできない都会出身の若者たちなど、積極的に経験をしてみたいと希望する若者も一定割合いると想像します。
まちの方々に聞くと、最近の若者は挨拶もして礼儀正しいと、うれしそうに語っていらっしゃったのが印象的でした。
私の定宿としているホテルは老舗で、燕三条の歴史をずっと見てきたホテルです。燕三条の全盛期は多くのバイヤーで溢れ、それはすごい活気だったと思います。それに比べると、訪問者は減り、最近のコロナも経営の打撃となったはずです。
そのような状況を乗り越えようと、市内に大学ができ、先に紹介した学生への支援が始まったこともあり、ホテルの一部を学生寮にするという判断をされました。
今までのホテルの部屋をなるべくそのまま活かし、無理なリフォームをせず、必要な設備は自治体の既存のチャレンジ補助金などを活用しコインランドリーを増強するなどして、工夫をされています。平日の朝と晩の美味しい食事も提供されます。
そして、目には見えない点ですが、ホテルの従業員の方が、学生との日常のやりとりのなかで、旧市街地での生活に馴染めるようにフォローをしている様子が、ところどころに窺えました。
ホテルの建物の活用に加え、ホテルのもつホスピタリティが、そのようなところに、さりげなく発揮されていることは素晴らしいと思いました。 そして、「大学とまちづくり」において、まちの拠点となり、まちと学生をつなぐ重要な役割を果たされていると感じました。
2024年9月7日号
昔になるが、山口県の友人と広島県尾道で落ち合い瀬戸内海に浮かぶ小さな島を訪ねた。その時、尾道で居酒屋に入って久しぶりに思い出話に花を咲かせていた。
酔った勢いで若いアルバイトのお姉さんに「あの、寅次郎って知ってる」と余計なことを聞いた事があった。思えば失礼な話だが、お姉さんは「しらない」と答えた。おどろいて「男はつらいよのフーテンの寅だよ」と聞き直したが、やはり知らないという。
少しおどろいた。今時の人は常識がないなと感じながらホテルに帰った。いま思うとあれは知っていても答えるのが面倒で知らない人と関わりたくないと云うことだと気がつくのだが、ジジババが入った今の私は逆に若い人の常識的な知識がまったくわからない。
飲み屋に座って隣から聞こえてくる(レベチもコクるもセカチューもマグルも)分からない。オタクというのは分かるが、そこから進化した新しい言葉が分からない。オタクという人たちが話す漫画の名前も鉄腕アトムやウルトラマンあたりまでは分かるが、逆に「おじいさん レベチって分かる」と聞かれたら答えようがない。
事ほどさように時代の変化を実感することになる。「勉強してなかったからな〜」。
もっとも私の若かった時、夢中になって覚えたこむずかしい知識などは、今の多くの人にとっては関心がなく、急速に進む時代に取り残されているのは、ジジババが入った私だったのかと感じてしまった。
夢中になって競争するように覚え読んだのだがそれら作家の名前や作品、映像の記憶や美術館で見た絵画などは、今の人達にとってはどうでもよいことで、それを大切に知識や常識だと思っている私がすでに無知識、非常識なのだと感じるようになった。
パソコンやスマホの知識だって、今時の小学生より劣っている。こうして時代は進んで行き、ページがめくられて高齢者たちは別人格としてくくられていくのだろう。
もっとも時代が進んで若者に私と同じようなジジババが入ってくるときに、ページがめくられて終わった人たちとして、ひとかたまりにくくられて行く。
世代間のギャップは常時更新されて行くのは当たり前のことで、そうなると今のジジババたちは旧世代人として、より古いものを抱え込んでいくしかないのだろう。
面白いもので私の親の世代も自動車が身近になっておどろき、各家庭に電話がひけておどろき、パソコンの出現におどろきしたのだ。
ただ残念なのはノーベル文学賞の川端康成も大江健三郎も知識として残るだけで、文体もその生き方も記憶の外にはみ出して行ってしまうことだ。
おもえばずいぶんと呑気な時代を過ごさせてもらった。私としてはコクる、レベチ、セカチューも知らない世代の中に耽溺して平和な時代が続くことを願いつつ、死神が脇に立って「お前の番だよ」と告げられて、最後の時を迎えた方がストレスがなくて十分幸せということだと思い至った。 池波正太郎やつげ義春や海音寺潮五郎の小説本を引っ張り出して、老眼鏡を杖に、その時まで酒もタバコも再開して生きてやるしかないだろう。
ときに「コクる」は告白することだって!
2024年8月31日号
清津川流域では、台風のたびに上流の電源開発二居ダムの放流と降雨量が相まって、下流集落の川沿いの家は自主避難する。この増水濁流の流れを変えるため? 湯沢砂防事務所は集落周辺の護岸床固と本流にスリットが入った堰堤をセットで造る計画を進めている。
スリットが入ったダムや穴あきダムは近年全国で多く造られて、堆砂しない流水型構造物とされているが本当にそうなのか? つくば市の日本工営には30分の1の清津川の模型が作られていて、そこに砂と水を流して実験し、「この通り集落のあるところは水流が変わって安全になる」と言う説明だが、私は堰堤より上流の土砂の堆砂が多くなることを懸念している。
清津川はすさまじく土砂供給量が多い川だからだ。この欄でも以前書いたが湯沢の山中、東電の取水施設がある清津川上流では、旧建設省が造った堰堤の上流1・5㌔に渡り砂利が溜まり河原砂漠になっている。
そのため河床が上がり山脚が削られて、今ではテトラポットを並べたり、蛇篭でピラミッドを造ったりして山崩れを押さえざるを得ない。東電の取水ダムも深く砂利に埋まっている。
川の流れを止めるものを造ると、それより上流はたちまち砂利で埋まる。溜まるのは砂利だけではい。写真①は山形県庄内市の土内川砂防ダムだが、溜まった泥の悪臭で住民が楽しみにしていた芋煮会ができなくなったそうだ。県はダムにスリットを切ったが悪臭はほとんど改善されず水が淀んでいる。上流には景勝地があったが埋まって価値が損なわれたということ。
次の写真②は先月の山形水害直後の小国川ダム(流水型穴あきタイプ)のものだが、水が穴に押し寄せ、水圧が高くなり流木や木の葉を吸い寄せて詰まり、そのため上流部で膨らんだ水で被害が出ている。堰堤があるために流速が落ちるので、普通は溜まらない細かな泥が道路を埋めている(写真③)。
人が考えるように都合よく川は流れてくれない。清津川にスリット堰堤を造ると同じように上流は河床が上がり、市の大切な収入源になっているアート作品も泥んこになるのかなと思っている。
清津峡は国立公園特別地域に指定されていて、自然公園法20条では「河川、湖沼等の水位又は水量に増減を及ぼさせること」をするときは環境大臣の許可が必要になる。
たとえ堰堤の位置が国立公園外でもそれを造ることで、今までなかった影響が特別地域に及ぶ可能性があるなら湯沢砂防事務所は一考しなければならない。(実際、私たち住民は建物の色や材質、自動販売機の色まで細かな制約を受けていて、そうして風致を守っているのだから)。この問題、また続報を書こう。
2024年8月24日号
8月は鎮魂の月。今年の広島市の平和記念式典と長崎市の平和祈念式典では大きな違いが出た。広島市は、イスラエルを招待し、パレスチナを招待しなかった。長崎市はその逆である。その結果日本を除くG7とEUの駐日大使は長崎市の平和祈念式典に出席せず、格下の公使らを送った。
長崎市の鈴木市長は、政治的な理由ではない、抗議活動など不測の事態が起きる可能性を考え招待しなかったと説明した。長崎市は6月に「即時停戦」を求める書簡をイスラエルに送り、状況が改善すれば招待すると伝えていたという。
イスラエルのガザ攻撃は今も続いている。学校や病院などへの攻撃もやまず、4万人に上る犠牲者の大半は子どもや女性である。イスラエルが主張する「自衛権」を逸脱しており、国連事務総長も「明確な国際人道法違反」と強く非難している。
長崎市の平和祈念式典は、この地を人類最後の戦争被爆地にと誓い、市民を無差別に殺りくする核兵器の非人道性を訴えてきた。市民を虐殺している国は招待しないという長崎市の判断は筋が通っている。
ロシアを非難する一方でイスラエルを擁護・支持する米欧の姿勢こそが二重基準で、中東諸国を含む「グローバル・サウス」との間には大きな溝が生じている。それは、米欧が望むウクライナに対する国際協力を困難にするともいわれている。
ロシアもイスラエルも分け隔てなく招待すべきだったという意見、米欧の対応は大人げないという意見、せめて原爆を投下した米国大使からは出席してもらいたかったという声など、町の声も様々だった。
私は、主催者である長崎市や長崎市民の意向が最優先されるべきと思う。情けないのが日本政府だ。外務省は水面下で長崎市に、イスラエルを招待するよう働きかけていたという。
昨年9月、国連総会で「核軍縮は、被爆地広島出身の私のライフワークです」と演説した岸田首相、あなたは、お友達のG7の6カ国とEUに大使出席を働きかけるべきではなかったか。
ついでに一言。一昨年9月の国連総会一般討論演説で「日本は、国際社会における法の支配を推進する国連の実現に尽力する」と述べた岸田首相、あなたが「国際社会における法の支配」と言うのは、ロシア非難、中国牽制の場面だけのような気がします。イスラエルによるパレスチナ入植、ガザ侵攻の文脈の中でも使ってみませんか。
2024年8月17日号
六月のオピニオン担当では沖縄戦のことを書いた。そして八月六日は広島、九日は長崎に原爆が投下された。十五日は敗戦の日。いずれも七十九年前。特別な行動をするわけでもない。
かつては平和集会に出かけたり、署名運動に参加したりもしたが、昨今は何ら行動していないのを面目ない思いでいる。只々、毎年毎年、鎮魂の思いで八月の日々を書き続けている。
私が何をしなくても各地で鎮魂の供養を一年一年続けていくうちに、七十九年は『戦』のない世の中が続いている。戦争体験世代が少なくなっていくのは自明の理だが、精いっぱい『戦』はだめだ、と言い続けることを止めてはならないと強く思っている。
いろんな形で記録は積み重なっていく。時の政府に都合が悪くても、報道されなくても、新聞記事として、映画や文学・音楽・演劇あらゆる手段で記録は残される。
残された記録を次の世代がどう学び、どう生かして行くのかが問われる。
体験した者として、折に触れて書き残し、語り継いだつもりだが、どこまで伝わったのだろう。
戦火の中を逃げまどい、幸い生き残った我々も、戦地で無念の死を迎えた父たちも、願ったことはただ一つ『戦』の無い世の中に一日も早くなってほしいと願っただけだった。
欲望を言い募るときりがないが、ただただ、穏やかな日々が続くことだけだった。ささやかで健気な願いだ。それでいて、とてつもなく大変な願いであることがよくわかる。
いまも大きな戦争が世界中に少なくない。皆どうして? なぜ止められない? と思っているのに、エスカレートしている。世の中は高度に進化し、便利な世の中になっているはずなのに、どんどん悪くなっていくのは何故?
朝ドラを見ている。新しい憲法が発布され、今日よりは明日、よりよい日になるような気がしていた時代。自分の来し方とダブる。ささやかな喜びを見つけては、幸せを実感していた。無いない尽くしの日々、思いがけず手に入ったキャラメルを娘さんと、大切に大切に味わうシーンで、宝石でも扱うがごとき幸せな表情、よくわかる。
なんでも比較的たやすく手に入る現代では味わえない本当の幸せかも!
細やかで健気な幸せは、一人一人がしっかり守り育てて、少しずつお隣にひろげていくしか無いのかもしれない。
2024年8月10日号
新聞拾い読み。国外では米トランプ共和党大統領候補狙撃事件、それに続く現職バイデン大統領の民主党大統領候補辞退、パリオリンピック開催、国内に目を転じれば佐渡金山の世界文化遺産登録決定、地元では大地の芸術祭第9回展開催、と先月は各紙の一面をにぎわす様々なできことがありました。
米バイデン大統領の立候補辞退は一部で予想はされていたとはいえ、驚きました。事実上後継指名されたハリス副大統領は副大統領としての実績のなさが懸念されていましたが、その後民主党の有力者が次々と支持を表明し、候補者としてほぼ確定です。アメリカでは大統領を選ぶ過程で対立候補をバカ呼ばわりし、下品な演説をする人(個人の感想です)でも候補者として選ばれます。
地球を何回も破滅させるだけの核の発射ボタンを手にするかもしれない人が、小学生レベルの罵り合いを繰り広げるのは、まったく理解に苦しみます。
そしてさらに驚くのが、あのような国を二分するような大騒ぎを何ヵ月も続ける大統領選挙の投票率はせいぜい60%なんだそうです。日本と違い、投票するには自ら登録しなければならない制度のせいでしょうか。
それはさておき、ハリスと聞いた瞬間「ハリスの旋風(かぜ)」を思い出した御同輩は多かろうと思います(笑)。ハリスの旋風の国松少年のような猛進ぶりを発揮して風を起こし、アメリカ大統領まで上り詰めるか、大いに見ものです。
かたや日本の地方議会でのこと。せこい話といわないでほしい。日本人はここまで劣化してしまったのかと嘆くばかりです。宮城県の某町議会、校外学習で議会見学に来た小学生の感想文から、議事進行中にスマホゲームをしていたのがバレ、辞職勧告を受けて議員辞職したという話。その議員が筆者とほぼ同年配というのも更に驚きました。
いい年をして議事進行中にスマホゲームとは!まったく情けない限りです。おそらくいつもやっているので何の気もなくスマホに手を伸ばしてしまったのでしょう。
地方議会の議案は事前に委員会などで結論が出ていることが多く、スマホを見ていようが、居眠りしていようが、質問者以外は採決の時に意思表示できれば仕事になる?
ついスマホを見てしまうスマホ依存症は高齢世代にも広がっているようです。筆者も用もないのにスマホを見てしまうことがあるので、要注意。家族との食事中についスマホに手を伸ばしている読者の皆様、スマホ依存症は決して他人事ではありません。
2024年8月3日号
新潟県三条市に設立された三条市立大学に先日行ってきました。地域の特徴を活かした「ものづくり」に特化した工学系の公立大学です。
上越新幹線の停車駅・燕三条駅から徒歩で約10分、整備中の土地の一画に、今までの大学のイメージをくつがえす開放的で明るい雰囲気の建物が建っています。
大学には一般開放されている食堂があり、美味しそうな定食やカレーなどが並び、地元ボランティアの方がお手伝いをされていました。食堂に女子学生の姿が多いと感じたところ、同じ屋根の下、隣は三条看護•医療•歯科衛生専門学校とのことでした。
三条市立大学の1学年の学生数は80名。全員が一同に集まれるホールは前面がガラス張りで、その先に弥彦山の全貌が一枚の絵画のように現れ、ホール名に地元企業の経営者だった方の名前が付けられていました。地元のためにと多額の寄付をされたそうです。
校内に、天井が高く、実習用の大きな機械がいくつも設置されている広い空間があり、上の方から、その空間を見渡せられるようになっていました。そこは、先生や学生から〝劇場〟と呼ばれており、機械を扱う際、危険がないように緊張感を持って動きに注意を払い、かつ美しく振る舞うことを学ぶのだそうです。
個々の教室が並ぶ廊下を歩くと、教室との壁が半透明となっており、学生が熱心に講義を聞いたりディスカッションをしたりしている様子が感じられます。情報処理を学ぶ教室の机やパソコンの配置などにも細かい工夫がなされていました。
今年で4年生まで揃い、毎年の入学の倍率は5倍を超えているとのことです。この数字は、少子化で受験生が減っているなか、全国的にみてもたいへん高い数字です。
人気の理由は、やはり地域の特徴を活かした学び舎であることで、ここでしか実現できない教育を実施していることだと思います。
「ものづくり」が盛んな地域という特徴を活かしていることから、地元企業からの期待も大きく、様々な協力を得られています。学生の実習の受け入れに協力している地元企業が百社を超えていることは驚きですし、学生奨学金の支援をしている地元企業もあります。
来春、大学は初めての卒業生を送り出す予定で、それまでに学生時代にできる経験の多くの機会を得られ、そして、なるべく多くの学生が地元での就職を希望することを地域は望んでいることでしょう。
これからも、学生と大学と地元とのよき関係をつくりながら歩んでほしいと思いました。
2024年7月27日号
自民党内の裏金問題が発覚して、補選で全敗したのは数ヵ月前のことで、記憶に新しい。その後も大手企業での不正が続いていているが、その報道も知事選やらウクライナ戦争、ガザでの無差別攻撃のニュースの陰になったようで、これ幸いとばかりニュースに上らなくなって来ている。
もっとも、多くの企業の起こす事件はいつも中途半端な幕切が多いようだ。日本の社会を支える企業や報道は余計なことは突っ込んで問題視しないようにしているのだろう。江戸時代から続くお家芸ということか?
本来この国では、まじめで優しく、正直な国民が多くきちんとルールを守って社会を保って来たと思う。近頃のインバウンドで訪れる外国人は、異口同音に日本人の優しさや正直さを讃える映像を見るのだが、一般国民と選民意欲の強い政治家や大企業の特権サラリーマンとは大きな乖離があるようだ。もっとも政治を志していた頃や、就職戦線でしのぎを削っていた若かった頃の人間は、青雲の志に溢れていたり、良い仕事をして社会に貢献しようと思っていたはずである。
それが政治においても、企業人となっていく間に何となく牙を抜かれて、政党や大企業のお仕着せを脱げなくなってしまうものだ。
自己主張を続けると政党では公認をもらえなくなったり、大企業では転勤や減給などの仕打ちを受けるようになる。それならばと仲間になってしまう。結果、裏金問題であったりモラルを欠いた経営による公害まで引き起こす事件に連座することになる。
原子力発電などでは電力会社は一団となって安全を標榜するが、福島の事故はまだまだ解決には程遠い状況だ。建設会社では談合が行われ、疑問を呈すると「いつ迄も青ちょろいこと言ってるのではない」と怒られたようである。
こんなことは権力の集中する国などでは当たり前で、世界中で見られることだと思うのだが、独裁者が生まれる国の怖さは誰もが知っているだろう。警察や検察が自分達の判断を覆すことはせず、自身の権力を守るシステムは強靭である。一度逮捕してしまえば何が何でもそれを押し通す。大川原化工の冤罪事件では逮捕された3人の起訴を取り消す訴えには耳を貸すこともせず、一人の被疑者に病状の悪化がみられたにもかかわらず、勾留を続けた。その後、亡くなってしまった。
またスリランカ人の女性が名古屋出入国管理事務所で体調を壊して治療を求めたが、適切な手当を受けられず病死してしまう事件もあった。一度起訴してしまえば有罪が決まってしまうようで、病気になっても釈放することは稀なのだという。 国民の正義感に比べ力を持つ機関の目に見えない所での横暴さを注意深く見ておかなければならない。
これからも公権力の横暴は続くのだ。もちろん外国の権力とは違っているだろうがこの国においても似通ったことがある。ただ無関係だと、たかを括っていると権力は増長して戦前の日本帝国のようになってしまいそうだ。一般国民市民がゆるい人とばかり思われないように、礼儀正しく正直だが、しっかりした意見を持つ視野がある国民にならなければ日本の先は細っていくだろう。国民の権利を行使しつつ尚且つ困っている人に寄り添っていく国民市民でありたい。
ただ、私は少し多く歳を取ったせいで、警察や検察の恫喝には耐えられないことも分かっている。すぐに日和ることにしている。すみません!
2024年7月20日号
8月31日号の、長谷川好文さんの原稿を読んで、思わず共感を覚えた。辛うじて『コクル』、『セカチュウー』は想像できたと思った。でもあとは早速PCで検索、フーン? そうなんだ!短縮、省略さっぱりわからん。
言葉はその時代時代に生きている文化だから、時の流れと共に変化するのは当然なのは、頭ではわかっているが…こう何もかも短縮・省略、もう一つアルファベット・カタカナでは伝わらないのでは。いや私のような世代だけか。
そもそも言葉はコミュニケーション(意思疎通)のツール(手段)では?
意思の疎通ができているとは言い難い。
過ぎてきた歴史の中では無かった出来事・無かった文化があふれかえっていて、それを言い表すのに言葉・文字が格段に増え、一字一句、正確に話していては、埒が明かぬのかもしれない。
不確かだが昔、聖書の中の逸話として『バベルの塔』を聞いたことがある。奢り高ぶった人間は、天に届く塔を作り神々に近づこうとした。それを諫めるために、神々は、塔作りをしている人間の言葉をめちゃめちゃにし、話が通じなくした、ということであった。その結果、世界中の言語が、大いに別れ、各国の言語が出来たという。
人間は頭脳を駆使し、より便利に、より快適に、労することなく、手軽に・楽に何かを手にしようとする。こんなことを続けていると、どんな報いを受けるのだろう。昨今の異常気象も、その一つではないのか。
バベルの塔同様、天の諫めに思えて仕方がない。現代とは格段に、時の流れが緩やかだった昔が好きだなと思う。
今年の大河ドラマの平安時代とまではいわないが、明治大正の時代は、人々の行いが穏やかに思える。
乱暴な言葉を使えば、自ずと行動・暮らし方が乱暴になる。戦中戦後のすさんだ時代は、言葉も荒んでいた。言葉の使い方で、暮らしぶりも、品性も変わる。
つい先日〈サクッと〉〈もふもふ〉〈まったり〉を使う人が多くなってきたと紙上にあった。世界がどんどん広がるのだから、表現も広がるということか?時の流れに乗れるとは到底思えない。
唱歌〈椰子の実〉がこよなく好きだ。同じ情感を覚えるのは〈演歌〉の歌詞が胸を打つ。流行語は使えなくても、美しい日本語を大切に、心豊かに暮らしたいと思う。
昔人間の時間は、ゆっくり流れているものね。
2024年9月21日号
日本人男性の平均寿命は81・41歳、健康寿命は72・68歳だそうです。後期高齢者間近の筆者にとっては毎日の健康が関心事ですし、やはり気になるのは健康寿命です。厚生労働省の定義では、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」とのこと。今のところ健康診断でいくつかイエローカードを出されてはいますが、日常生活が制限されることなく生活できています。
健康寿命を延ばすには、「①バランスの良い食事を意識する②運動習慣を持つ③検診で生活習慣病の早期発見・重症化予防に努める④喫煙をやめる⑤適正な体重を保つ⑥ストレスの少ない生活を目指す⑦社会的なつながりを構築する」だそうです。
筆者はタバコを吸わないのでその点だけは問題ないですが、どれもこれも簡単にできそうにもなく、それだけでストレスです。特に難しいのが、運動習慣を持つこと。簡単そうに見えるウォーキングは、1日1万歩やらないと効果はないとこれまで言われており、そう思うだけで一歩が踏み出せません。ジムはお金がかかるし。
そんな中で出会ったのが「ウォーキングの科学」という本です。信州大学元教授の著者・能勢博氏は前書きで「ウォーキングは健康に良い、ということは誰でも知っているが、どれぐらいの速度で、どれぐらいの頻度で、どれくらいの時間行えば、どんな効果が得られるのか、という疑問について明確に答えられる方は少ない」と述べています。詳しくは本書に譲るとして、「普通」に歩く1万歩はほとんど効果が得られない、という衝撃の事実も証拠に基づいて語られています。
「インターバル速歩」とはごく大雑把に言うと3分間速足で歩き、そのあとゆっくりと3分間歩く、これを繰り返すこと。1日30分でいいのです。毎日でなくても構いません。著書の研究によれば「インターバル速歩」を行えば短時間で、体の負担も少なく、さほどお金もかけずに筋力の向上(体力の向上)が可能だそうです。
著者は松本市と提携して「インターバル速歩」を実施群と非実施群に分け、1年以上の実証実験を行い、「インターバル速歩」が生活習慣病の防止に役立つことを証明しています。
秋田県の由利本荘市では平成27年から「歩いてのばそう!! 健康寿命」を合言葉に「インターバル速歩」を導入し、その実施状況は由利本荘市のホームページで詳しく紹介されています。何でも三日坊主になりがちな筆者ですが、続けられるような気がします。
2024年9月14日号
前回に続き、新潟県三条市に設立された三条市立大学に関連して、「大学とまちづくり」について、書いてみたいと思います。
三条市立大学は「ものづくり」に特化した大学で、入学の倍率が5倍を超える人気となっています。自治体や企業からの支援がいくつかあり、学生が三条市の旧市街地に住む場合は、自治体からの家賃援助があります。
私は燕三条に出張で行く際、その三条市の旧市街地にあるホテルを定宿としているのですが、周りは高齢化が進んでいるのでしょう、年々お店の閉店や空き地が増え、その流れはまだ変わっていないかもしれないのですが、今年くらいから、明らかに道を歩いたり自転車に乗ったりしている若者の姿が目立って増えてきました。それによって、まちに少しずつ活気が出てきたように感じます。
学生たちは、町内会の消防団やお祭りなどのイベントにも参加しているとのことでした。そのような経験がしたくてもできない都会出身の若者たちなど、積極的に経験をしてみたいと希望する若者も一定割合いると想像します。
まちの方々に聞くと、最近の若者は挨拶もして礼儀正しいと、うれしそうに語っていらっしゃったのが印象的でした。
私の定宿としているホテルは老舗で、燕三条の歴史をずっと見てきたホテルです。燕三条の全盛期は多くのバイヤーで溢れ、それはすごい活気だったと思います。それに比べると、訪問者は減り、最近のコロナも経営の打撃となったはずです。
そのような状況を乗り越えようと、市内に大学ができ、先に紹介した学生への支援が始まったこともあり、ホテルの一部を学生寮にするという判断をされました。
今までのホテルの部屋をなるべくそのまま活かし、無理なリフォームをせず、必要な設備は自治体の既存のチャレンジ補助金などを活用しコインランドリーを増強するなどして、工夫をされています。平日の朝と晩の美味しい食事も提供されます。
そして、目には見えない点ですが、ホテルの従業員の方が、学生との日常のやりとりのなかで、旧市街地での生活に馴染めるようにフォローをしている様子が、ところどころに窺えました。
ホテルの建物の活用に加え、ホテルのもつホスピタリティが、そのようなところに、さりげなく発揮されていることは素晴らしいと思いました。 そして、「大学とまちづくり」において、まちの拠点となり、まちと学生をつなぐ重要な役割を果たされていると感じました。
2024年9月7日号
昔になるが、山口県の友人と広島県尾道で落ち合い瀬戸内海に浮かぶ小さな島を訪ねた。その時、尾道で居酒屋に入って久しぶりに思い出話に花を咲かせていた。
酔った勢いで若いアルバイトのお姉さんに「あの、寅次郎って知ってる」と余計なことを聞いた事があった。思えば失礼な話だが、お姉さんは「しらない」と答えた。おどろいて「男はつらいよのフーテンの寅だよ」と聞き直したが、やはり知らないという。
少しおどろいた。今時の人は常識がないなと感じながらホテルに帰った。いま思うとあれは知っていても答えるのが面倒で知らない人と関わりたくないと云うことだと気がつくのだが、ジジババが入った今の私は逆に若い人の常識的な知識がまったくわからない。
飲み屋に座って隣から聞こえてくる(レベチもコクるもセカチューもマグルも)分からない。オタクというのは分かるが、そこから進化した新しい言葉が分からない。オタクという人たちが話す漫画の名前も鉄腕アトムやウルトラマンあたりまでは分かるが、逆に「おじいさん レベチって分かる」と聞かれたら答えようがない。
事ほどさように時代の変化を実感することになる。「勉強してなかったからな〜」。
もっとも私の若かった時、夢中になって覚えたこむずかしい知識などは、今の多くの人にとっては関心がなく、急速に進む時代に取り残されているのは、ジジババが入った私だったのかと感じてしまった。
夢中になって競争するように覚え読んだのだがそれら作家の名前や作品、映像の記憶や美術館で見た絵画などは、今の人達にとってはどうでもよいことで、それを大切に知識や常識だと思っている私がすでに無知識、非常識なのだと感じるようになった。
パソコンやスマホの知識だって、今時の小学生より劣っている。こうして時代は進んで行き、ページがめくられて高齢者たちは別人格としてくくられていくのだろう。
もっとも時代が進んで若者に私と同じようなジジババが入ってくるときに、ページがめくられて終わった人たちとして、ひとかたまりにくくられて行く。
世代間のギャップは常時更新されて行くのは当たり前のことで、そうなると今のジジババたちは旧世代人として、より古いものを抱え込んでいくしかないのだろう。
面白いもので私の親の世代も自動車が身近になっておどろき、各家庭に電話がひけておどろき、パソコンの出現におどろきしたのだ。
ただ残念なのはノーベル文学賞の川端康成も大江健三郎も知識として残るだけで、文体もその生き方も記憶の外にはみ出して行ってしまうことだ。
おもえばずいぶんと呑気な時代を過ごさせてもらった。私としてはコクる、レベチ、セカチューも知らない世代の中に耽溺して平和な時代が続くことを願いつつ、死神が脇に立って「お前の番だよ」と告げられて、最後の時を迎えた方がストレスがなくて十分幸せということだと思い至った。 池波正太郎やつげ義春や海音寺潮五郎の小説本を引っ張り出して、老眼鏡を杖に、その時まで酒もタバコも再開して生きてやるしかないだろう。
ときに「コクる」は告白することだって!
2024年8月31日号
清津川流域では、台風のたびに上流の電源開発二居ダムの放流と降雨量が相まって、下流集落の川沿いの家は自主避難する。この増水濁流の流れを変えるため? 湯沢砂防事務所は集落周辺の護岸床固と本流にスリットが入った堰堤をセットで造る計画を進めている。
スリットが入ったダムや穴あきダムは近年全国で多く造られて、堆砂しない流水型構造物とされているが本当にそうなのか? つくば市の日本工営には30分の1の清津川の模型が作られていて、そこに砂と水を流して実験し、「この通り集落のあるところは水流が変わって安全になる」と言う説明だが、私は堰堤より上流の土砂の堆砂が多くなることを懸念している。
清津川はすさまじく土砂供給量が多い川だからだ。この欄でも以前書いたが湯沢の山中、東電の取水施設がある清津川上流では、旧建設省が造った堰堤の上流1・5㌔に渡り砂利が溜まり河原砂漠になっている。
そのため河床が上がり山脚が削られて、今ではテトラポットを並べたり、蛇篭でピラミッドを造ったりして山崩れを押さえざるを得ない。東電の取水ダムも深く砂利に埋まっている。
川の流れを止めるものを造ると、それより上流はたちまち砂利で埋まる。溜まるのは砂利だけではい。写真①は山形県庄内市の土内川砂防ダムだが、溜まった泥の悪臭で住民が楽しみにしていた芋煮会ができなくなったそうだ。県はダムにスリットを切ったが悪臭はほとんど改善されず水が淀んでいる。上流には景勝地があったが埋まって価値が損なわれたということ。
次の写真②は先月の山形水害直後の小国川ダム(流水型穴あきタイプ)のものだが、水が穴に押し寄せ、水圧が高くなり流木や木の葉を吸い寄せて詰まり、そのため上流部で膨らんだ水で被害が出ている。堰堤があるために流速が落ちるので、普通は溜まらない細かな泥が道路を埋めている(写真③)。
人が考えるように都合よく川は流れてくれない。清津川にスリット堰堤を造ると同じように上流は河床が上がり、市の大切な収入源になっているアート作品も泥んこになるのかなと思っている。
清津峡は国立公園特別地域に指定されていて、自然公園法20条では「河川、湖沼等の水位又は水量に増減を及ぼさせること」をするときは環境大臣の許可が必要になる。
たとえ堰堤の位置が国立公園外でもそれを造ることで、今までなかった影響が特別地域に及ぶ可能性があるなら湯沢砂防事務所は一考しなければならない。(実際、私たち住民は建物の色や材質、自動販売機の色まで細かな制約を受けていて、そうして風致を守っているのだから)。この問題、また続報を書こう。
2024年8月24日号
8月は鎮魂の月。今年の広島市の平和記念式典と長崎市の平和祈念式典では大きな違いが出た。広島市は、イスラエルを招待し、パレスチナを招待しなかった。長崎市はその逆である。その結果日本を除くG7とEUの駐日大使は長崎市の平和祈念式典に出席せず、格下の公使らを送った。
長崎市の鈴木市長は、政治的な理由ではない、抗議活動など不測の事態が起きる可能性を考え招待しなかったと説明した。長崎市は6月に「即時停戦」を求める書簡をイスラエルに送り、状況が改善すれば招待すると伝えていたという。
イスラエルのガザ攻撃は今も続いている。学校や病院などへの攻撃もやまず、4万人に上る犠牲者の大半は子どもや女性である。イスラエルが主張する「自衛権」を逸脱しており、国連事務総長も「明確な国際人道法違反」と強く非難している。
長崎市の平和祈念式典は、この地を人類最後の戦争被爆地にと誓い、市民を無差別に殺りくする核兵器の非人道性を訴えてきた。市民を虐殺している国は招待しないという長崎市の判断は筋が通っている。
ロシアを非難する一方でイスラエルを擁護・支持する米欧の姿勢こそが二重基準で、中東諸国を含む「グローバル・サウス」との間には大きな溝が生じている。それは、米欧が望むウクライナに対する国際協力を困難にするともいわれている。
ロシアもイスラエルも分け隔てなく招待すべきだったという意見、米欧の対応は大人げないという意見、せめて原爆を投下した米国大使からは出席してもらいたかったという声など、町の声も様々だった。
私は、主催者である長崎市や長崎市民の意向が最優先されるべきと思う。情けないのが日本政府だ。外務省は水面下で長崎市に、イスラエルを招待するよう働きかけていたという。
昨年9月、国連総会で「核軍縮は、被爆地広島出身の私のライフワークです」と演説した岸田首相、あなたは、お友達のG7の6カ国とEUに大使出席を働きかけるべきではなかったか。
ついでに一言。一昨年9月の国連総会一般討論演説で「日本は、国際社会における法の支配を推進する国連の実現に尽力する」と述べた岸田首相、あなたが「国際社会における法の支配」と言うのは、ロシア非難、中国牽制の場面だけのような気がします。イスラエルによるパレスチナ入植、ガザ侵攻の文脈の中でも使ってみませんか。
2024年8月17日号
六月のオピニオン担当では沖縄戦のことを書いた。そして八月六日は広島、九日は長崎に原爆が投下された。十五日は敗戦の日。いずれも七十九年前。特別な行動をするわけでもない。
かつては平和集会に出かけたり、署名運動に参加したりもしたが、昨今は何ら行動していないのを面目ない思いでいる。只々、毎年毎年、鎮魂の思いで八月の日々を書き続けている。
私が何をしなくても各地で鎮魂の供養を一年一年続けていくうちに、七十九年は『戦』のない世の中が続いている。戦争体験世代が少なくなっていくのは自明の理だが、精いっぱい『戦』はだめだ、と言い続けることを止めてはならないと強く思っている。
いろんな形で記録は積み重なっていく。時の政府に都合が悪くても、報道されなくても、新聞記事として、映画や文学・音楽・演劇あらゆる手段で記録は残される。
残された記録を次の世代がどう学び、どう生かして行くのかが問われる。
体験した者として、折に触れて書き残し、語り継いだつもりだが、どこまで伝わったのだろう。
戦火の中を逃げまどい、幸い生き残った我々も、戦地で無念の死を迎えた父たちも、願ったことはただ一つ『戦』の無い世の中に一日も早くなってほしいと願っただけだった。
欲望を言い募るときりがないが、ただただ、穏やかな日々が続くことだけだった。ささやかで健気な願いだ。それでいて、とてつもなく大変な願いであることがよくわかる。
いまも大きな戦争が世界中に少なくない。皆どうして? なぜ止められない? と思っているのに、エスカレートしている。世の中は高度に進化し、便利な世の中になっているはずなのに、どんどん悪くなっていくのは何故?
朝ドラを見ている。新しい憲法が発布され、今日よりは明日、よりよい日になるような気がしていた時代。自分の来し方とダブる。ささやかな喜びを見つけては、幸せを実感していた。無いない尽くしの日々、思いがけず手に入ったキャラメルを娘さんと、大切に大切に味わうシーンで、宝石でも扱うがごとき幸せな表情、よくわかる。
なんでも比較的たやすく手に入る現代では味わえない本当の幸せかも!
細やかで健気な幸せは、一人一人がしっかり守り育てて、少しずつお隣にひろげていくしか無いのかもしれない。
2024年8月10日号
新聞拾い読み。国外では米トランプ共和党大統領候補狙撃事件、それに続く現職バイデン大統領の民主党大統領候補辞退、パリオリンピック開催、国内に目を転じれば佐渡金山の世界文化遺産登録決定、地元では大地の芸術祭第9回展開催、と先月は各紙の一面をにぎわす様々なできことがありました。
米バイデン大統領の立候補辞退は一部で予想はされていたとはいえ、驚きました。事実上後継指名されたハリス副大統領は副大統領としての実績のなさが懸念されていましたが、その後民主党の有力者が次々と支持を表明し、候補者としてほぼ確定です。アメリカでは大統領を選ぶ過程で対立候補をバカ呼ばわりし、下品な演説をする人(個人の感想です)でも候補者として選ばれます。
地球を何回も破滅させるだけの核の発射ボタンを手にするかもしれない人が、小学生レベルの罵り合いを繰り広げるのは、まったく理解に苦しみます。
そしてさらに驚くのが、あのような国を二分するような大騒ぎを何ヵ月も続ける大統領選挙の投票率はせいぜい60%なんだそうです。日本と違い、投票するには自ら登録しなければならない制度のせいでしょうか。
それはさておき、ハリスと聞いた瞬間「ハリスの旋風(かぜ)」を思い出した御同輩は多かろうと思います(笑)。ハリスの旋風の国松少年のような猛進ぶりを発揮して風を起こし、アメリカ大統領まで上り詰めるか、大いに見ものです。
かたや日本の地方議会でのこと。せこい話といわないでほしい。日本人はここまで劣化してしまったのかと嘆くばかりです。宮城県の某町議会、校外学習で議会見学に来た小学生の感想文から、議事進行中にスマホゲームをしていたのがバレ、辞職勧告を受けて議員辞職したという話。その議員が筆者とほぼ同年配というのも更に驚きました。
いい年をして議事進行中にスマホゲームとは!まったく情けない限りです。おそらくいつもやっているので何の気もなくスマホに手を伸ばしてしまったのでしょう。
地方議会の議案は事前に委員会などで結論が出ていることが多く、スマホを見ていようが、居眠りしていようが、質問者以外は採決の時に意思表示できれば仕事になる?
ついスマホを見てしまうスマホ依存症は高齢世代にも広がっているようです。筆者も用もないのにスマホを見てしまうことがあるので、要注意。家族との食事中についスマホに手を伸ばしている読者の皆様、スマホ依存症は決して他人事ではありません。
2024年8月3日号
新潟県三条市に設立された三条市立大学に先日行ってきました。地域の特徴を活かした「ものづくり」に特化した工学系の公立大学です。
上越新幹線の停車駅・燕三条駅から徒歩で約10分、整備中の土地の一画に、今までの大学のイメージをくつがえす開放的で明るい雰囲気の建物が建っています。
大学には一般開放されている食堂があり、美味しそうな定食やカレーなどが並び、地元ボランティアの方がお手伝いをされていました。食堂に女子学生の姿が多いと感じたところ、同じ屋根の下、隣は三条看護•医療•歯科衛生専門学校とのことでした。
三条市立大学の1学年の学生数は80名。全員が一同に集まれるホールは前面がガラス張りで、その先に弥彦山の全貌が一枚の絵画のように現れ、ホール名に地元企業の経営者だった方の名前が付けられていました。地元のためにと多額の寄付をされたそうです。
校内に、天井が高く、実習用の大きな機械がいくつも設置されている広い空間があり、上の方から、その空間を見渡せられるようになっていました。そこは、先生や学生から〝劇場〟と呼ばれており、機械を扱う際、危険がないように緊張感を持って動きに注意を払い、かつ美しく振る舞うことを学ぶのだそうです。
個々の教室が並ぶ廊下を歩くと、教室との壁が半透明となっており、学生が熱心に講義を聞いたりディスカッションをしたりしている様子が感じられます。情報処理を学ぶ教室の机やパソコンの配置などにも細かい工夫がなされていました。
今年で4年生まで揃い、毎年の入学の倍率は5倍を超えているとのことです。この数字は、少子化で受験生が減っているなか、全国的にみてもたいへん高い数字です。
人気の理由は、やはり地域の特徴を活かした学び舎であることで、ここでしか実現できない教育を実施していることだと思います。
「ものづくり」が盛んな地域という特徴を活かしていることから、地元企業からの期待も大きく、様々な協力を得られています。学生の実習の受け入れに協力している地元企業が百社を超えていることは驚きですし、学生奨学金の支援をしている地元企業もあります。
来春、大学は初めての卒業生を送り出す予定で、それまでに学生時代にできる経験の多くの機会を得られ、そして、なるべく多くの学生が地元での就職を希望することを地域は望んでいることでしょう。
これからも、学生と大学と地元とのよき関係をつくりながら歩んでほしいと思いました。
2024年7月27日号
自民党内の裏金問題が発覚して、補選で全敗したのは数ヵ月前のことで、記憶に新しい。その後も大手企業での不正が続いていているが、その報道も知事選やらウクライナ戦争、ガザでの無差別攻撃のニュースの陰になったようで、これ幸いとばかりニュースに上らなくなって来ている。
もっとも、多くの企業の起こす事件はいつも中途半端な幕切が多いようだ。日本の社会を支える企業や報道は余計なことは突っ込んで問題視しないようにしているのだろう。江戸時代から続くお家芸ということか?
本来この国では、まじめで優しく、正直な国民が多くきちんとルールを守って社会を保って来たと思う。近頃のインバウンドで訪れる外国人は、異口同音に日本人の優しさや正直さを讃える映像を見るのだが、一般国民と選民意欲の強い政治家や大企業の特権サラリーマンとは大きな乖離があるようだ。もっとも政治を志していた頃や、就職戦線でしのぎを削っていた若かった頃の人間は、青雲の志に溢れていたり、良い仕事をして社会に貢献しようと思っていたはずである。
それが政治においても、企業人となっていく間に何となく牙を抜かれて、政党や大企業のお仕着せを脱げなくなってしまうものだ。
自己主張を続けると政党では公認をもらえなくなったり、大企業では転勤や減給などの仕打ちを受けるようになる。それならばと仲間になってしまう。結果、裏金問題であったりモラルを欠いた経営による公害まで引き起こす事件に連座することになる。
原子力発電などでは電力会社は一団となって安全を標榜するが、福島の事故はまだまだ解決には程遠い状況だ。建設会社では談合が行われ、疑問を呈すると「いつ迄も青ちょろいこと言ってるのではない」と怒られたようである。
こんなことは権力の集中する国などでは当たり前で、世界中で見られることだと思うのだが、独裁者が生まれる国の怖さは誰もが知っているだろう。警察や検察が自分達の判断を覆すことはせず、自身の権力を守るシステムは強靭である。一度逮捕してしまえば何が何でもそれを押し通す。大川原化工の冤罪事件では逮捕された3人の起訴を取り消す訴えには耳を貸すこともせず、一人の被疑者に病状の悪化がみられたにもかかわらず、勾留を続けた。その後、亡くなってしまった。
またスリランカ人の女性が名古屋出入国管理事務所で体調を壊して治療を求めたが、適切な手当を受けられず病死してしまう事件もあった。一度起訴してしまえば有罪が決まってしまうようで、病気になっても釈放することは稀なのだという。 国民の正義感に比べ力を持つ機関の目に見えない所での横暴さを注意深く見ておかなければならない。
これからも公権力の横暴は続くのだ。もちろん外国の権力とは違っているだろうがこの国においても似通ったことがある。ただ無関係だと、たかを括っていると権力は増長して戦前の日本帝国のようになってしまいそうだ。一般国民市民がゆるい人とばかり思われないように、礼儀正しく正直だが、しっかりした意見を持つ視野がある国民にならなければ日本の先は細っていくだろう。国民の権利を行使しつつ尚且つ困っている人に寄り添っていく国民市民でありたい。
ただ、私は少し多く歳を取ったせいで、警察や検察の恫喝には耐えられないことも分かっている。すぐに日和ることにしている。すみません!
2024年7月20日号