地元紙の1面に十日町市の新年度予算の記事が掲載されていました。見出しは「子育て・教育に細かく展開」とありました。私立保育園・こども園の支援、子育て支援の充実、学校教育の充実、特色ある教育活動の推進、などです。馬場小学校が来年度末で閉校になるため、閉校支援予算もありました。筆者がかつて通ったT小学校も地域の役員の話では、新1年生の入学がついに30人を切り、1クラスになるそうです。半世紀以上も前の話ですが、1学年に250人以上もいましたので、少子化が加速してまるで別の国のはなしを聞いているような気がします。
過日「十日町市立中学校のあり方についての提言」が公表され、小学校に次いで中学校も改廃論議の現実味が増してきました。今回の予算案に戻ると、校舎の整備・更新などに次ぐ予算額で目を引いたのが、「学校生活や適切な学びの場をサポートする教育支援員を8名増やし54人を配置」という項目です。予算額約1億2千万円。市の公開資料には教育支援員は50人に満たず、中々応募がなくて大変だ、との記述があります。そんな状況の中で8人増やす(増やせる)というのは何か秘策でもあるのでしょうか。
支援が必要な子供が増えている(これも公開情報より)中で教育支援員を増やすという計画なのでしょうが、1億2千万円を54人で割ると1人当たり約220万円です。コロナ禍の時期に話題になったエッセンシャルワーカーという言葉がありますが、教育支援員も学校教育のエッセンシャルワーカーではないかと思います。
エッセンシャルワーカーには非正規社員(職員)が多く、賃金も低いという報道もよく目にしました。なぜ大切な仕事をしている人の賃金が低いのか、低賃金は当然なのでしょうか。昨今賃上げが好調だと報道されていますが、非正規のエッセンシャルワーカーの待遇改善は置き去りにされているような気がします。
十日町市の正規職員は500人余りで、平均給与は550万円前後。非正規職員の人数もほぼ同数。この教育支援員の予算からわかるように、市の非正規職員の待遇はとても良くない上に、採用期間も1年区切りです。 正規職員が頑張ればいいじゃないかと皮肉の一つも言いたくなりますが、非正規職員のなり手がいなくなれば、正規職員も働き方改革どころではありません。市として非正規職員の待遇改善に大きく力を入れるべきではないでしょうか。
そして誰もいなくなった、となりませんように。
2024年3月30日号
地域経済政策には、産業的な政策と福祉的な政策があり、産業的な政策は企業誘致、地場企業振興など、福祉的な政策は公共事業、生活関連サービスの充実などです。
生活関連サービスは医療、介護、子育て、住宅、防災、まちづくり、学習などで、あらゆる市区町村に、おおよそ人口に比例した数の事務所が存在します。
産業的な政策と福祉的な政策は、車の両輪の関係で、例えば、企業誘致の場合、少子化と高齢化が同時進行している現在、地域で働く人が少なくなっているため生活環境の整備が重視されます。人材不足は、地域社会を守る要の警察や消防、医療や介護の分野でもとなれば深刻です。
話はとびますが、先日、日銀が17年ぶりに利上げを行い、その幅は大きくないですが、円高にふれるのが普通と思われたところ、会見で、当面、緩和的な金融環境が継続する旨の発言があり、逆に円安になりました。 会見での日銀総裁の発言は、円安になることを意図してのことだったのでしょうか? 日本経済にとって、円安はよいのか? 悪いのか? 世の中の意見は真っ二つです。
円安がよいとした場合、その理由は、輸出企業のメリット、日本の土地代や人件費が相対的に安くなるので工場などの国内回帰が進むのではないかがあげられます。
先ほどの話に戻って、もし、国内回帰で地方に工場が増えた場合、今の状況では働く人の取り合いが起きることが懸念されます。売り手市場が加速し賃金上昇につながるのだからよいという意見もあります。
上記は一例ですが、今後の地域経済政策において、色々なことを想定しながら、いかにバランスのとれた政策を行なっていくか、そして、人口が減少する世の中になっても、安心して生活し子育てすることのできる地域を再構築できるのか…。
分野的に再構築が進んでいるのは地域交通の分野だと思います。最近、国の審議会に出席すると、その話題が多く出るようになりました。デマンドバスやデマンドタクシーの運営は? 前より不便になるかもしれないが必要なルートと時間帯は? 地域全体での協力は? ボランティア的なものは? デジタルとアナログは? など、妻有地域では早くから挑戦を続けてこられていると思います。
うまくいっていること、失敗したこと、悩んでいること、他の市区町村から情報共有を求められる機会が増えるのではないかと思います。
2024年3月23日号
子どもだった頃、肥溜めに落ちたことがあった。10歳くらいだった。戦時中から都会の空地には多くの素人畑があって、南瓜や芋を植えて飢えをしのいでいたのだろう。近くには防空壕の残がいや工場の鉄骨が焼けただれて残っていて、小さな畑も同じ時代の哀しみを映していた。同時期の大通りには馬が曳く長い荷車に肥桶が満載されていたことを覚えている。
そのうちに肥桶を積んだ長い荷車も無くなり、各自の便所にはバキュームカーが横付けされて僕らの糞尿は運び去れ、少し時代が進んだように感じたものだ。母親は汲み取りの人にタバコを手渡してお愛想をいっていたような記憶もある。
その後、津軽を歩いた時のことだが、夏になる頃だったと思うが、うねるように広がる畑に、今まかれただろう糞尿がいいにおいをさせていた。抜けるような青空と人糞のコントラストが今でも忘れられない。
現代では糞尿は環境省の指導でやたらに廃棄も出来なくなったが、昔は東京湾に糞尿を積んだ船が出て、そこで汚泥を捨てていたことがあった。いま汚物はほとんどが水洗式となって海に投棄されることはないが、その分、東京湾の栄養価が下がってイワシなどの資源が減ったとも聞く。
秋山でも人糞を肥しとしてまいたのかと長老の方に訊いてみると、「あ~、お金がないのだから肥料は人糞で、肥溜めを作る余裕もなく直ぐに畑にまいたものだ、ナスなどは小便を掛けるとよく育ったよ!」と笑った。 私が落ちた肥溜めはそりゃ汚らしかったが、においはなかったように覚えている。続けて長老は「人糞をまくと回虫が出て来る。それには困った」と話した。私の小学校では朝礼の時に虫下し用チョコレートの配布もあった。私の尻からは回虫は顔を出さなかったが、多分多くの小学生は腹のなかで回虫を養殖していたのだろう。
正月に起こった能登半島地震で被災された方々が身を委ねた避難所では水がなくトイレが使えず不便をしているという。洋式便器にビニール袋をかぶせ、自身の糞尿をゴミとして出すという。都会ではそんなビニール袋が品薄となったと聞く。 時代が進んで汲み取り便器に腰を下ろした経験のない人にしてみれば、それもしょうがないのだろうが、そんな経験が出来る所がないようになったのだろう。
生きていれば腹が空いて、食べれば排泄するのはセットとして当然のことでもある。そんな当たり前のことを日本中の大人が忘れてはいけないと思った。
自分の糞尿が野菜を作り、海の魚を育て、それをうまいと思って口にすることから、つまり一からもう一度、生き方の復習が来るべき大きな災害に備えることになる。ペットボトルの本数やら非常食の備えやら忙しくなるのだが、それで解決する訳もないとしても、それなりの準備も必要なのだろう。
昔、チベットの安宿で塔のような便所まで階段を上り、そこの二つの互い違いに置かれた便器にしゃがんでいると、反対の便器に西洋人のご婦人が外連げもなくしゃがんで、そのご婦人と競争するように用を足した記憶がある。三階ほどの便所から落ちた糞尿は下に蠢いていた豚がそれを食べていた。その豚をチベットの住人がうまそうに食べるのだろう。
資源とは面白いものでそれを生かすのも捨てるのも、その時代の人間の感性なのだ。生きることは奇麗ごとではなく、生き延びる知恵と力が無くてはならないのだと考える。
例えば灯油ストーブ、とりわけお湯がわせる型のものやプロパンガス、テーブルボンベなど使い方を知って置かなければならないのだ。行政が火災の危険や爆発の予防と言ったとしても、今回の能登地震のような寒さのなかで、どう生きるかを考えなければいけない。
汚いと嫌われる糞尿が研究を重ねることで立派な肥料になる事などを考えないでSDGsのバッジを胸につけても意味は無いじゃないか。ここのような小さな集落でこそ堆肥作りの研究を行うべきなのだと考える。
2024年3月16日号
自営業の我が家では確定申告の作業がなかなか進まない。事務作業は苦手だからしょうがないけど、こんなにやる気になれない年はなかったなぁ…としぶしぶ伝票入力を始めると、TVで総理が「法に則り適切に申告・納税をお願いしたい」って国民に呼びかけていて手が止まる。
おいおい、連日ニュースになっているのはそちらの閣僚の脱税問題じゃないの? 衆院政治倫理審査会に出席した議員が4人とも不記載について「存じませんでした」と言うので、また手が止まる。使い道は「不明」と書いて「秘書がやりました」と言うのでまたまた手が止まる。元文科大臣は(裏金について)「納税するつもりはございません」と言うので、はい?それでいいの? 国民は期限までに申告・納税しないと追徴課税されるのに? みんなそう思いながら申告作業しているよね。
この政倫審で「議員は説明責任を果たしてない」とする国民は86%に達している。(JNN世論調査)「国税庁が税務調査をする必要がある」と思う人は90%、みんな不公平だと怒っていても国民の義務だからちゃんと納税してるんだよ。
こんな「政治と金」の茶番劇と同時進行なのは、防衛装備移転と言い換えての武器輸出。英伊と共同開発する次期戦闘機について、「輸出を可能とした方が市場が大きくなり効率化する(儲かる)」と総理が国会答弁する国になった。
憲法に抵触することをこんなに軽々と言う政権は今までなかったのに、平和三原則はどこ行った? 防衛力強化を議論する有識者会議には〇菱重工の現職会長がメンバーに入っている。多額の献金で高額契約? もうこの国は完全に死の商人。はあ…(溜息)
更に国会ですら議論されず閣議決定でこっそり決められたのは有事に国の「指示権」創設を柱とする地方自治法改正。つまり解釈次第で有事だと言えば地方議会も知事も国の指示に従うということ。(これも憲法で定める地方自治の本旨を踏みつけている) 軍事基地も原発再稼働も国の指示でできるということ? もう歯止めが効かない暴走状態。ふう…(溜息)
心配した通り2ヵ月た
っても能登半島被災地の壊れた町の風景は何も変わっておらず放置されている。株価は史上最高の4万円を超えても、ほとんどの国民は景気回復を実感しないと答えている。
選挙で裏金議員を落とせばいいだろと言われても、それだけでこの現状が変わるのか? 官僚も財界も教育も報道もすべておかしくなっている国が戻れるのだろうか?
2024年3月9日号
これを書いている2月28日、自民党の裏金問題をめぐる衆院政倫審が全面公開で開かれることになった。出席者は6人。森、二階、萩生田、下村各氏の出番はない。
1人1時間くらいの言い訳をさせて、何も明らかにならずに、予算案がスーと通るようになったら、この国ダメだわ。
今回の政倫審は派閥パーティー裏金に限っているが、茂木氏後援会では2016年~19年の使途不明金が1億2千万円以上、20年~22年の使途不明金が9400万円との報道もある(2月26日『毎日』)。
茂木氏の資金管理団体から後援会に多額の寄付が流れ、その先が使途不明となっている。資金管理団体と後援会の住所、会計責任者は同一であっても、後援会は政治資金規正法で言う「国会議員関係政治団体」でないから、法的にはお金の使途を明らかにする必要はない。「脱法的行為で悪質だ」と専門家は言う。
これは、茂木氏だけではなく、自民党だけでもないような気がする。誰か、ぜんぶ調べて明らかにしてもらえないものか。ダメな奴はぜんぶ落としてやる。ことは単純だ。落としてやればいいのだ。
ロシアのウクライナ侵攻から2年。ウクライナの苦戦は続き、西側諸国の支援疲れも表面化してきた。もしロシアが勝ったら、また、プーチンは核使用をチラつかせており、日本もオンブしている核抑止力という約束事が吹き飛んだら、今の国際秩序は崩壊してしまう。
もう一つの戦争、イスラエルのパレスチナ自治区侵攻にあたって、アメリカのイスラエル寄りの態度が事態をややこしくしている。
2つの戦争を前に、日本はどうすべきか。だが、日本の政府与党にそんな力はない。では、私たちはどうしたらよいのか。いくらニュース番組の解説を聞いても、本を読んでも、議論をしても、簡単に答えは出ない。悶々とする毎日だ。
「お前が心配する必要はない」とそしられるのは承知の上だ。でも、私たちのあらゆる生活場面は政治と関わりがあり、地方政治と中央政治、国内政治と国際政治はつながっているというのが私の考えだ。心配せずにはいられない。
答えの出ない中、右か左か、簡単で分かりやすい言説に流されるのはやめようと思う。「多様性」にカヅケて「誰がどう考えたっていいじゃないか」と開き直り、思考を停止し、分断を容認することもだ。今は毎日悶々としているのが、私には似合っている。
2024年3月2日号
最近、幼子への虐待のニュースが痛ましい。毒を飲ませたとか、冬の浴室に水を浴びせて閉じ込めたとか! 改めてここに書くのもおぞましい。宝物である子どもに、よくもまあ酷い事が出来るなあと思う。
でも思い出してみると、自分も我が子に手を挙げたことがあった。一人っ子で育ち、幼くして共に育った経験がない。訳も解らず泣き叫ぶ子どもに、どう対応してよいか分からず理性を失う。長女はお父さん子で、父親が居ないと不安になるらしくむずかしかった。
当時は戦後の高度成長期で、企業戦士と言われ、男親はろくに家にいない。家庭は母親が守るのが当然とされた。夫は兄の事業を手伝うべく、十日町への転職を進めていたので、月の半分を東京と十日町を掛け持ちしていた。
幼児期の娘は父親が留守になると、途端に体調を崩しぐずり出す。自家中毒との事。未熟だった私は、娘より私の方が泣きたい位で、思わず頬を平手打ちした。娘も痛かっただろうが、打った私のほうも嫌な思いと痛みが心に残っている。
次女はもう少し成長した頃、三~四年生頃だったろうか、普段から食べ物に関しては特に厳しくしていた。ある日、その次女が思わず一言「食うものがねぇ」といったのだ。即座に平手打ちをした。そんなに強くしたつもりは無かったのに、次女はすとんと尻もちをついて座り込んだ。これには私も驚いたし、傍にいた姉・兄ともにびっくりして恐れおののいた。
何十年もたったある時、次女が話した。自分でもすぐにまずい!! と思ったが、即、平手が飛んできたとか。当人もそばにいた姉・兄も決して食べ物には不平を以前にもまして言わなくなった。
女の子に挟まれた息子は、悪さをしなかったわけでもなく、叱られるようなことも言ったにも拘わらず、罰を与えられなかった。いたずら盛りの頃、空手を習っていた息子は、私が頬を打とうとしても、拳を握った手をさっと自分の顔と頭をかばうように私の手を遮った。さすがに頭や顔は打ってはいけないと思って、彼のお尻に手を回すとその手首を握って押さえつけられた。目的は果たせないままだった。
そのうえ今は、パソコンだ、スマホだと、何かにつけて彼に頼っていて、叱られるのはこちらばかり。ついこの間も「そんな暗いところで小さな字を見ていると、目を悪くするよ」と注意すると、さっそくスマホ開いて【そんなことはない、読めてさえいれば明るさは関係ない】とのたまう。
昭和の常識、現代の非常識だそうだ。時代も変わったものだ。
2024年2月24日号
2024年が始まってから一ヶ月、節分が過ぎ立春を迎え、新しい年が本格的に動き出しました。
4月の入学や就職に向け、大学に進学しようとする高校生は入試で希望する先を決めて個別試験に、小学校に上がるお子さんのいるご家庭では、ランドセルを何色にしようか選び始めている頃と思います。
節分(毎年2月3日)は、各季節の始まりの前日のことを指し、今は一般的に、春の節分のことをいうようになりました。
この日に神社などでは、「節分祭」と称するお祓いの行事が行われ、一緒に豆撒きも行われます。「♪ 鬼わーそと ふくわーうち」「♪ ふくわーうち ふくわーうち」と豆を投げ、最近は家庭で恵方巻きを食することとセットで行われるようになりました。豆撒きをすると、気分が高揚するようで、大人も子供も大声を出して盛り上がります。
節分祭のほかにも、6月30日に半年分のケガレをとる「夏越(なごし)のお祓い」があります。神社の境内に、茅(ちがや)という草で編んだ「茅の輪」が準備され、それをくぐると、和気あいあいとした雰囲気となります。
和気あいあいと言えば、家族や友達と食事をしながら楽しめる花火大会も、もともとは「火」によるお祓いの意味合いを含むことが多くあります。花火にお祓いの意味があるのを知らなかったとしても、花火が終わったあと、周りの空気に清々しさを感じるのは私だけでしょうか。
おそらく世界のなかをみても、このように日常の行事のなかに「お祓い」があり、埃やケガレを祓い、清々しさを感じる空間が広がっているのは、日本が群を抜いてのことかもしれません。
外国の方が初めて日本に来たとき、成田空港や羽田空港の施設を〝ピカピカ〟と表現するくらいにきれいと言い、掃除が行き届いていることに驚きの声があがっていると聞きます。
空港をあとにして街に出ても、行き交う道のほとんどにごみは落ちておらず、奇跡と思うようなレベルとして映っているようです。
実際には、日本でも上下水道などのインフラが整備されてからのことかもしれませんが、このように気持ちのよい空間を共有し維持がされていることは、素晴しいことだと思います。
私たちはそれを教え込まれるというわけではなく、日常生活のなかで、行事などに触れ、自然と身に付いているところがあるように感じます。
最近よくないニュースを耳にすることが増えるなか、原点に戻って、よいなと思う話をしました。
2024年2月10日号
大寒の翌日、中津川に水が出て、川岸の雪を払って下って行った。本来なら1月の20日ということは まだ春浅く集落の廻り全体が雪に埋もれている時であり、秋山では2月の12日頃が最も寒い時期で、一番荒れると云い伝えられている。
ここ数十年に渡る地球環境の変化によって気候も予測がつかなくなってしまったようだ。
昨年の冬も左程雪が降ったという記憶はない。その代わり暑い春夏秋を過ごした。今年の冬にしたって雪は、降るには降るのだが地球の気温上昇のためか例年のような冬の寒さは少ない。春夏秋冬の四季も変わってしまい暑い時期と寒い時期の二極化で1年が過ぎるのではないかと余計なことを心配してしまう。
樹木にも意志があるというレポートを見た。大木は立っているだけではなく、陽の指す方向に向けて年に1㍉でも移動している。人間と同じで目立ちたがり屋の木もあればおっとりした性格の木もあるのだろう。
師走に飯山の千曲川土手に数本、桜が恥らいながらも咲いていたし、上野の桜も花をつけているのを見た。今年の冬はちょっと違うなと感じていた頃に見た中津川大寒の日の大水だった。
そう云えば昨年は秋山で夏場に水が減って困ったことがあった。その後も水の量は増えていない。作物の生産者にしても、都市で暮らす人間にしても水が無くなることは暮らしに直結することでもある。
能登半島地震で被災した人たちが身を寄せる避難所で、水不足に苦しんでいる映像を見る。そんなことが日本中何処でも起こるのかも知れない。
平凡な暮らしがだんだん難しくなって、当たり前に感じていることが出来なくなるのじゃないだろうか。
地球環境の変化が日々の日常のなかで実感できる現実になって飛び込んで来る。小雪だった冬の付けが夏に押しかけて来ないためにも、やはり冬は寒く、雪が積もり春になって暖かい日差しが雪を融かし、水に変えて流れなければ地球のリズムが狂うことになる。地球環境を今守らなければこれからの私達の先が見えなくなってしまう。
そんな差し迫った状況でもある世界には、長くなりそうな戦争が続き、大国の権威主義的な指導者は同じように自国の正当性を主張し、自国が滅びでもすれば世界が滅んでも構わないと言わんばかりだ。
日本でも政治をつかさどる保守党議員は二世議員ばかり目立つようになって、順々と親がやって来た政治を踏襲するだけのように見える。
環境を心配する農業者や学者達の心配をよそに「な~に冬の餅代、夏の氷代を止める」と言って派閥を解散すれば裏金問題をやり過ごし、当座をしのげると思っているだけなのだろうか? 今この時、世界で起こっている問題は根が深く、こうなればしようがない国民が舵を取るしかない、次の選挙の結果でだ!
樹木に意志があると云うのなら、地球にこそ意志があって80億にも増えた人類が、戦争や開発の名目で勝手に地球を荒らし廻る行為に対して怒っているはずだ。地殻変動やエイズ、コロナなど新種のウイルスで人間に反省を求め、環境を厳しく変えて人類に猛省を促しているようだ。
私が生きて来た時代が問題で、それに加担した責任をどうしたらいいのか分らないのだ。
何となればこれからを生きる現在の文明にさらされていない新しい世代を信じて、もう少し息を詰めて暮らすしかない…。
2024年2月3日号
能登の地震災害ではっきり分かったことがある。一つはこの国では原発との共存はできないということ。志賀原発や柏崎刈羽原発が運転停止していて、放射能災害が起こらなかったことは私は奇跡に近いと思っている。4㍍も隆起する地殻変動では冷却水すら得られない。運転期間60年に延長する原発推進法など以ての外、政府は自然の脅威を福島の災害から何も学んでいない。能登半島の道路は寸断され、港が隆起して船も近づけず、住民の避難が困難なこともよく分かった。
二つ目は政府の災害対応がとにかく遅く、何としても国民を救うという当たり前の動きが止まっていたこと。元日というタイミングだったが災害に正月休みなどあるわけなく、後手後手の逐次投入だった。政財界の新年会が大事だった? 検察が入る前の隠蔽が忙しかった? つまり災害時も自助ってこと? と邪推したくなるほどイライラした。今後どんな災害が起こってもこの機能停止に近い状態が起こるから国民は覚悟しなければならない。
ここからどう復興支援するかという難題をこの政権はクリアできるのだろうか。人口減少が急速に進み元通りにはならない。移住を選択する人もいるし、能登で暮らすことが幸せという人もいる。東北の災害後より難しいと感じるのは、復興についても政府の中に能登は裏日本の辺鄙な過疎地といった偏りが垣間見えるからだ。
「あれれ? 日本列島が逆さまだよ」と思う地図がある。写真は富山県が制作した環日本海諸国図というもの。だから富山県が中心で南北は逆だけどこの向きで正しい。これを見ていると表日本・裏日本という言い方はおかしいなと思う。現に戦前は日本海側と太平洋側は人口も経済も大差はなく、もっと昔の北前船交易の頃は太平洋側より日本海側が主たる物流を担っていて、能登や加賀には豪商もあり文化交流盛んな表側だった。今でも大阪名物は北海道産の昆布の佃煮だし、輪島や佐渡、山形には上方の風習が残り、航路が見えるようだ。政府は近い将来起こると言われる南海トラフ地震で、太平洋沿岸に壊滅的被害を想定している。であればこの機に日本海物流の港湾整備をしておくのが重要だと思う。首都圏に電力を送るために原発を並べるだけが日本海側の役目ではない。
それにこの地図を見ていると日本は近隣諸国と仲良くすることが大切と感じざるを得ない。ロシア・中国・北朝鮮・韓国と日本列島は手をつないで輪のように並んでいる…と思えるのは私だけだろうか?
2024年1月27日号
11日、自民党は派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受け、政治刷新本部の初会合を開きました。メンバー38人の中で主要派閥の会長が要職を占め、「ドリル優子」や、問題の安倍派議員が10人も含まれているあたり、本気で「刷新」する気がないことが見え見えです。
12月16日付けの本紙社説では、国民のさらなる政治不信の増大を憂い、「自民党支持の皆さん、なぜ怒らないのか」と書いています。
2万9千人ほどの市区町村議会議員の所属党派を見ると、自民党が2千人余で、無所属が2万人余(令和4年12月31日現在、総務省)。私は、無所属のほとんどが自民党籍を持つか、自民党支持者なのではないかと思っています。地方議員の皆さん、なぜ怒らないのか。その気があれば、議会としての態度表明だってできるのに。
まあ、怒らないのも分かります。「政治とカネ」の問題は自民党に伝わる伝統芸能みたいなもの。政治資金パーティーは十八番ですからね。
私たちは人を愛するとき、その人の良いところも悪いところも全部ひっくるめて、愛してしまいます。自民党を愛している人もそうなのです。きっと、「またしくじっちゃったね」と笑って許してる。「いいのよ。私の愛は変わらない。今度はもっとうまくやろうね」と思ってる。
そうじゃないとしたら、すごく忘れっぽい人たちなのでしょう。自民党の偉い人は、仲間が失敗するたびに「調査する」、「丁寧に説明をさせる」と言ってきました。しかし、私は丁寧な説明を受けた覚えがありません。偉い人は、経験的に「そうこうしているうちに国民は忘れてくれる」と思っています。
刷新本部の設置によって国民の関心は自民党の派閥解消に移ってしまいましたが、今やるべきは実態の解明ではないでしょうか。安倍派だけでなく、自民党全体の裏金作りの実態を明らかにするのが先では。
検察のリーク頼りのマスコミも本気を出してもらいたい。検察は安倍派幹部の立件を断念したとか。だとしたら、真相は闇の中に消えます。
そして、刷新本部では、パーティー券収入を裏金でない合法的な金にするためのルール改正が進められるのでしょうか。
でも、自民党支持でない国民は忘れません。モリ、カケ、サクラ、旧統一教会……。年配の人は、ロッキード、リクルート、東京佐川急便……。今後もお忘れなきよう。
2024年1月20日号
地元紙の1面に十日町市の新年度予算の記事が掲載されていました。見出しは「子育て・教育に細かく展開」とありました。私立保育園・こども園の支援、子育て支援の充実、学校教育の充実、特色ある教育活動の推進、などです。馬場小学校が来年度末で閉校になるため、閉校支援予算もありました。筆者がかつて通ったT小学校も地域の役員の話では、新1年生の入学がついに30人を切り、1クラスになるそうです。半世紀以上も前の話ですが、1学年に250人以上もいましたので、少子化が加速してまるで別の国のはなしを聞いているような気がします。
過日「十日町市立中学校のあり方についての提言」が公表され、小学校に次いで中学校も改廃論議の現実味が増してきました。今回の予算案に戻ると、校舎の整備・更新などに次ぐ予算額で目を引いたのが、「学校生活や適切な学びの場をサポートする教育支援員を8名増やし54人を配置」という項目です。予算額約1億2千万円。市の公開資料には教育支援員は50人に満たず、中々応募がなくて大変だ、との記述があります。そんな状況の中で8人増やす(増やせる)というのは何か秘策でもあるのでしょうか。
支援が必要な子供が増えている(これも公開情報より)中で教育支援員を増やすという計画なのでしょうが、1億2千万円を54人で割ると1人当たり約220万円です。コロナ禍の時期に話題になったエッセンシャルワーカーという言葉がありますが、教育支援員も学校教育のエッセンシャルワーカーではないかと思います。
エッセンシャルワーカーには非正規社員(職員)が多く、賃金も低いという報道もよく目にしました。なぜ大切な仕事をしている人の賃金が低いのか、低賃金は当然なのでしょうか。昨今賃上げが好調だと報道されていますが、非正規のエッセンシャルワーカーの待遇改善は置き去りにされているような気がします。
十日町市の正規職員は500人余りで、平均給与は550万円前後。非正規職員の人数もほぼ同数。この教育支援員の予算からわかるように、市の非正規職員の待遇はとても良くない上に、採用期間も1年区切りです。 正規職員が頑張ればいいじゃないかと皮肉の一つも言いたくなりますが、非正規職員のなり手がいなくなれば、正規職員も働き方改革どころではありません。市として非正規職員の待遇改善に大きく力を入れるべきではないでしょうか。
そして誰もいなくなった、となりませんように。
2024年3月30日号
地域経済政策には、産業的な政策と福祉的な政策があり、産業的な政策は企業誘致、地場企業振興など、福祉的な政策は公共事業、生活関連サービスの充実などです。
生活関連サービスは医療、介護、子育て、住宅、防災、まちづくり、学習などで、あらゆる市区町村に、おおよそ人口に比例した数の事務所が存在します。
産業的な政策と福祉的な政策は、車の両輪の関係で、例えば、企業誘致の場合、少子化と高齢化が同時進行している現在、地域で働く人が少なくなっているため生活環境の整備が重視されます。人材不足は、地域社会を守る要の警察や消防、医療や介護の分野でもとなれば深刻です。
話はとびますが、先日、日銀が17年ぶりに利上げを行い、その幅は大きくないですが、円高にふれるのが普通と思われたところ、会見で、当面、緩和的な金融環境が継続する旨の発言があり、逆に円安になりました。 会見での日銀総裁の発言は、円安になることを意図してのことだったのでしょうか? 日本経済にとって、円安はよいのか? 悪いのか? 世の中の意見は真っ二つです。
円安がよいとした場合、その理由は、輸出企業のメリット、日本の土地代や人件費が相対的に安くなるので工場などの国内回帰が進むのではないかがあげられます。
先ほどの話に戻って、もし、国内回帰で地方に工場が増えた場合、今の状況では働く人の取り合いが起きることが懸念されます。売り手市場が加速し賃金上昇につながるのだからよいという意見もあります。
上記は一例ですが、今後の地域経済政策において、色々なことを想定しながら、いかにバランスのとれた政策を行なっていくか、そして、人口が減少する世の中になっても、安心して生活し子育てすることのできる地域を再構築できるのか…。
分野的に再構築が進んでいるのは地域交通の分野だと思います。最近、国の審議会に出席すると、その話題が多く出るようになりました。デマンドバスやデマンドタクシーの運営は? 前より不便になるかもしれないが必要なルートと時間帯は? 地域全体での協力は? ボランティア的なものは? デジタルとアナログは? など、妻有地域では早くから挑戦を続けてこられていると思います。
うまくいっていること、失敗したこと、悩んでいること、他の市区町村から情報共有を求められる機会が増えるのではないかと思います。
2024年3月23日号
子どもだった頃、肥溜めに落ちたことがあった。10歳くらいだった。戦時中から都会の空地には多くの素人畑があって、南瓜や芋を植えて飢えをしのいでいたのだろう。近くには防空壕の残がいや工場の鉄骨が焼けただれて残っていて、小さな畑も同じ時代の哀しみを映していた。同時期の大通りには馬が曳く長い荷車に肥桶が満載されていたことを覚えている。
そのうちに肥桶を積んだ長い荷車も無くなり、各自の便所にはバキュームカーが横付けされて僕らの糞尿は運び去れ、少し時代が進んだように感じたものだ。母親は汲み取りの人にタバコを手渡してお愛想をいっていたような記憶もある。
その後、津軽を歩いた時のことだが、夏になる頃だったと思うが、うねるように広がる畑に、今まかれただろう糞尿がいいにおいをさせていた。抜けるような青空と人糞のコントラストが今でも忘れられない。
現代では糞尿は環境省の指導でやたらに廃棄も出来なくなったが、昔は東京湾に糞尿を積んだ船が出て、そこで汚泥を捨てていたことがあった。いま汚物はほとんどが水洗式となって海に投棄されることはないが、その分、東京湾の栄養価が下がってイワシなどの資源が減ったとも聞く。
秋山でも人糞を肥しとしてまいたのかと長老の方に訊いてみると、「あ~、お金がないのだから肥料は人糞で、肥溜めを作る余裕もなく直ぐに畑にまいたものだ、ナスなどは小便を掛けるとよく育ったよ!」と笑った。 私が落ちた肥溜めはそりゃ汚らしかったが、においはなかったように覚えている。続けて長老は「人糞をまくと回虫が出て来る。それには困った」と話した。私の小学校では朝礼の時に虫下し用チョコレートの配布もあった。私の尻からは回虫は顔を出さなかったが、多分多くの小学生は腹のなかで回虫を養殖していたのだろう。
正月に起こった能登半島地震で被災された方々が身を委ねた避難所では水がなくトイレが使えず不便をしているという。洋式便器にビニール袋をかぶせ、自身の糞尿をゴミとして出すという。都会ではそんなビニール袋が品薄となったと聞く。 時代が進んで汲み取り便器に腰を下ろした経験のない人にしてみれば、それもしょうがないのだろうが、そんな経験が出来る所がないようになったのだろう。
生きていれば腹が空いて、食べれば排泄するのはセットとして当然のことでもある。そんな当たり前のことを日本中の大人が忘れてはいけないと思った。
自分の糞尿が野菜を作り、海の魚を育て、それをうまいと思って口にすることから、つまり一からもう一度、生き方の復習が来るべき大きな災害に備えることになる。ペットボトルの本数やら非常食の備えやら忙しくなるのだが、それで解決する訳もないとしても、それなりの準備も必要なのだろう。
昔、チベットの安宿で塔のような便所まで階段を上り、そこの二つの互い違いに置かれた便器にしゃがんでいると、反対の便器に西洋人のご婦人が外連げもなくしゃがんで、そのご婦人と競争するように用を足した記憶がある。三階ほどの便所から落ちた糞尿は下に蠢いていた豚がそれを食べていた。その豚をチベットの住人がうまそうに食べるのだろう。
資源とは面白いものでそれを生かすのも捨てるのも、その時代の人間の感性なのだ。生きることは奇麗ごとではなく、生き延びる知恵と力が無くてはならないのだと考える。
例えば灯油ストーブ、とりわけお湯がわせる型のものやプロパンガス、テーブルボンベなど使い方を知って置かなければならないのだ。行政が火災の危険や爆発の予防と言ったとしても、今回の能登地震のような寒さのなかで、どう生きるかを考えなければいけない。
汚いと嫌われる糞尿が研究を重ねることで立派な肥料になる事などを考えないでSDGsのバッジを胸につけても意味は無いじゃないか。ここのような小さな集落でこそ堆肥作りの研究を行うべきなのだと考える。
2024年3月16日号
自営業の我が家では確定申告の作業がなかなか進まない。事務作業は苦手だからしょうがないけど、こんなにやる気になれない年はなかったなぁ…としぶしぶ伝票入力を始めると、TVで総理が「法に則り適切に申告・納税をお願いしたい」って国民に呼びかけていて手が止まる。
おいおい、連日ニュースになっているのはそちらの閣僚の脱税問題じゃないの? 衆院政治倫理審査会に出席した議員が4人とも不記載について「存じませんでした」と言うので、また手が止まる。使い道は「不明」と書いて「秘書がやりました」と言うのでまたまた手が止まる。元文科大臣は(裏金について)「納税するつもりはございません」と言うので、はい?それでいいの? 国民は期限までに申告・納税しないと追徴課税されるのに? みんなそう思いながら申告作業しているよね。
この政倫審で「議員は説明責任を果たしてない」とする国民は86%に達している。(JNN世論調査)「国税庁が税務調査をする必要がある」と思う人は90%、みんな不公平だと怒っていても国民の義務だからちゃんと納税してるんだよ。
こんな「政治と金」の茶番劇と同時進行なのは、防衛装備移転と言い換えての武器輸出。英伊と共同開発する次期戦闘機について、「輸出を可能とした方が市場が大きくなり効率化する(儲かる)」と総理が国会答弁する国になった。
憲法に抵触することをこんなに軽々と言う政権は今までなかったのに、平和三原則はどこ行った? 防衛力強化を議論する有識者会議には〇菱重工の現職会長がメンバーに入っている。多額の献金で高額契約? もうこの国は完全に死の商人。はあ…(溜息)
更に国会ですら議論されず閣議決定でこっそり決められたのは有事に国の「指示権」創設を柱とする地方自治法改正。つまり解釈次第で有事だと言えば地方議会も知事も国の指示に従うということ。(これも憲法で定める地方自治の本旨を踏みつけている) 軍事基地も原発再稼働も国の指示でできるということ? もう歯止めが効かない暴走状態。ふう…(溜息)
心配した通り2ヵ月た
っても能登半島被災地の壊れた町の風景は何も変わっておらず放置されている。株価は史上最高の4万円を超えても、ほとんどの国民は景気回復を実感しないと答えている。
選挙で裏金議員を落とせばいいだろと言われても、それだけでこの現状が変わるのか? 官僚も財界も教育も報道もすべておかしくなっている国が戻れるのだろうか?
2024年3月9日号
これを書いている2月28日、自民党の裏金問題をめぐる衆院政倫審が全面公開で開かれることになった。出席者は6人。森、二階、萩生田、下村各氏の出番はない。
1人1時間くらいの言い訳をさせて、何も明らかにならずに、予算案がスーと通るようになったら、この国ダメだわ。
今回の政倫審は派閥パーティー裏金に限っているが、茂木氏後援会では2016年~19年の使途不明金が1億2千万円以上、20年~22年の使途不明金が9400万円との報道もある(2月26日『毎日』)。
茂木氏の資金管理団体から後援会に多額の寄付が流れ、その先が使途不明となっている。資金管理団体と後援会の住所、会計責任者は同一であっても、後援会は政治資金規正法で言う「国会議員関係政治団体」でないから、法的にはお金の使途を明らかにする必要はない。「脱法的行為で悪質だ」と専門家は言う。
これは、茂木氏だけではなく、自民党だけでもないような気がする。誰か、ぜんぶ調べて明らかにしてもらえないものか。ダメな奴はぜんぶ落としてやる。ことは単純だ。落としてやればいいのだ。
ロシアのウクライナ侵攻から2年。ウクライナの苦戦は続き、西側諸国の支援疲れも表面化してきた。もしロシアが勝ったら、また、プーチンは核使用をチラつかせており、日本もオンブしている核抑止力という約束事が吹き飛んだら、今の国際秩序は崩壊してしまう。
もう一つの戦争、イスラエルのパレスチナ自治区侵攻にあたって、アメリカのイスラエル寄りの態度が事態をややこしくしている。
2つの戦争を前に、日本はどうすべきか。だが、日本の政府与党にそんな力はない。では、私たちはどうしたらよいのか。いくらニュース番組の解説を聞いても、本を読んでも、議論をしても、簡単に答えは出ない。悶々とする毎日だ。
「お前が心配する必要はない」とそしられるのは承知の上だ。でも、私たちのあらゆる生活場面は政治と関わりがあり、地方政治と中央政治、国内政治と国際政治はつながっているというのが私の考えだ。心配せずにはいられない。
答えの出ない中、右か左か、簡単で分かりやすい言説に流されるのはやめようと思う。「多様性」にカヅケて「誰がどう考えたっていいじゃないか」と開き直り、思考を停止し、分断を容認することもだ。今は毎日悶々としているのが、私には似合っている。
2024年3月2日号
最近、幼子への虐待のニュースが痛ましい。毒を飲ませたとか、冬の浴室に水を浴びせて閉じ込めたとか! 改めてここに書くのもおぞましい。宝物である子どもに、よくもまあ酷い事が出来るなあと思う。
でも思い出してみると、自分も我が子に手を挙げたことがあった。一人っ子で育ち、幼くして共に育った経験がない。訳も解らず泣き叫ぶ子どもに、どう対応してよいか分からず理性を失う。長女はお父さん子で、父親が居ないと不安になるらしくむずかしかった。
当時は戦後の高度成長期で、企業戦士と言われ、男親はろくに家にいない。家庭は母親が守るのが当然とされた。夫は兄の事業を手伝うべく、十日町への転職を進めていたので、月の半分を東京と十日町を掛け持ちしていた。
幼児期の娘は父親が留守になると、途端に体調を崩しぐずり出す。自家中毒との事。未熟だった私は、娘より私の方が泣きたい位で、思わず頬を平手打ちした。娘も痛かっただろうが、打った私のほうも嫌な思いと痛みが心に残っている。
次女はもう少し成長した頃、三~四年生頃だったろうか、普段から食べ物に関しては特に厳しくしていた。ある日、その次女が思わず一言「食うものがねぇ」といったのだ。即座に平手打ちをした。そんなに強くしたつもりは無かったのに、次女はすとんと尻もちをついて座り込んだ。これには私も驚いたし、傍にいた姉・兄ともにびっくりして恐れおののいた。
何十年もたったある時、次女が話した。自分でもすぐにまずい!! と思ったが、即、平手が飛んできたとか。当人もそばにいた姉・兄も決して食べ物には不平を以前にもまして言わなくなった。
女の子に挟まれた息子は、悪さをしなかったわけでもなく、叱られるようなことも言ったにも拘わらず、罰を与えられなかった。いたずら盛りの頃、空手を習っていた息子は、私が頬を打とうとしても、拳を握った手をさっと自分の顔と頭をかばうように私の手を遮った。さすがに頭や顔は打ってはいけないと思って、彼のお尻に手を回すとその手首を握って押さえつけられた。目的は果たせないままだった。
そのうえ今は、パソコンだ、スマホだと、何かにつけて彼に頼っていて、叱られるのはこちらばかり。ついこの間も「そんな暗いところで小さな字を見ていると、目を悪くするよ」と注意すると、さっそくスマホ開いて【そんなことはない、読めてさえいれば明るさは関係ない】とのたまう。
昭和の常識、現代の非常識だそうだ。時代も変わったものだ。
2024年2月24日号
2024年が始まってから一ヶ月、節分が過ぎ立春を迎え、新しい年が本格的に動き出しました。
4月の入学や就職に向け、大学に進学しようとする高校生は入試で希望する先を決めて個別試験に、小学校に上がるお子さんのいるご家庭では、ランドセルを何色にしようか選び始めている頃と思います。
節分(毎年2月3日)は、各季節の始まりの前日のことを指し、今は一般的に、春の節分のことをいうようになりました。
この日に神社などでは、「節分祭」と称するお祓いの行事が行われ、一緒に豆撒きも行われます。「♪ 鬼わーそと ふくわーうち」「♪ ふくわーうち ふくわーうち」と豆を投げ、最近は家庭で恵方巻きを食することとセットで行われるようになりました。豆撒きをすると、気分が高揚するようで、大人も子供も大声を出して盛り上がります。
節分祭のほかにも、6月30日に半年分のケガレをとる「夏越(なごし)のお祓い」があります。神社の境内に、茅(ちがや)という草で編んだ「茅の輪」が準備され、それをくぐると、和気あいあいとした雰囲気となります。
和気あいあいと言えば、家族や友達と食事をしながら楽しめる花火大会も、もともとは「火」によるお祓いの意味合いを含むことが多くあります。花火にお祓いの意味があるのを知らなかったとしても、花火が終わったあと、周りの空気に清々しさを感じるのは私だけでしょうか。
おそらく世界のなかをみても、このように日常の行事のなかに「お祓い」があり、埃やケガレを祓い、清々しさを感じる空間が広がっているのは、日本が群を抜いてのことかもしれません。
外国の方が初めて日本に来たとき、成田空港や羽田空港の施設を〝ピカピカ〟と表現するくらいにきれいと言い、掃除が行き届いていることに驚きの声があがっていると聞きます。
空港をあとにして街に出ても、行き交う道のほとんどにごみは落ちておらず、奇跡と思うようなレベルとして映っているようです。
実際には、日本でも上下水道などのインフラが整備されてからのことかもしれませんが、このように気持ちのよい空間を共有し維持がされていることは、素晴しいことだと思います。
私たちはそれを教え込まれるというわけではなく、日常生活のなかで、行事などに触れ、自然と身に付いているところがあるように感じます。
最近よくないニュースを耳にすることが増えるなか、原点に戻って、よいなと思う話をしました。
2024年2月10日号
大寒の翌日、中津川に水が出て、川岸の雪を払って下って行った。本来なら1月の20日ということは まだ春浅く集落の廻り全体が雪に埋もれている時であり、秋山では2月の12日頃が最も寒い時期で、一番荒れると云い伝えられている。
ここ数十年に渡る地球環境の変化によって気候も予測がつかなくなってしまったようだ。
昨年の冬も左程雪が降ったという記憶はない。その代わり暑い春夏秋を過ごした。今年の冬にしたって雪は、降るには降るのだが地球の気温上昇のためか例年のような冬の寒さは少ない。春夏秋冬の四季も変わってしまい暑い時期と寒い時期の二極化で1年が過ぎるのではないかと余計なことを心配してしまう。
樹木にも意志があるというレポートを見た。大木は立っているだけではなく、陽の指す方向に向けて年に1㍉でも移動している。人間と同じで目立ちたがり屋の木もあればおっとりした性格の木もあるのだろう。
師走に飯山の千曲川土手に数本、桜が恥らいながらも咲いていたし、上野の桜も花をつけているのを見た。今年の冬はちょっと違うなと感じていた頃に見た中津川大寒の日の大水だった。
そう云えば昨年は秋山で夏場に水が減って困ったことがあった。その後も水の量は増えていない。作物の生産者にしても、都市で暮らす人間にしても水が無くなることは暮らしに直結することでもある。
能登半島地震で被災した人たちが身を寄せる避難所で、水不足に苦しんでいる映像を見る。そんなことが日本中何処でも起こるのかも知れない。
平凡な暮らしがだんだん難しくなって、当たり前に感じていることが出来なくなるのじゃないだろうか。
地球環境の変化が日々の日常のなかで実感できる現実になって飛び込んで来る。小雪だった冬の付けが夏に押しかけて来ないためにも、やはり冬は寒く、雪が積もり春になって暖かい日差しが雪を融かし、水に変えて流れなければ地球のリズムが狂うことになる。地球環境を今守らなければこれからの私達の先が見えなくなってしまう。
そんな差し迫った状況でもある世界には、長くなりそうな戦争が続き、大国の権威主義的な指導者は同じように自国の正当性を主張し、自国が滅びでもすれば世界が滅んでも構わないと言わんばかりだ。
日本でも政治をつかさどる保守党議員は二世議員ばかり目立つようになって、順々と親がやって来た政治を踏襲するだけのように見える。
環境を心配する農業者や学者達の心配をよそに「な~に冬の餅代、夏の氷代を止める」と言って派閥を解散すれば裏金問題をやり過ごし、当座をしのげると思っているだけなのだろうか? 今この時、世界で起こっている問題は根が深く、こうなればしようがない国民が舵を取るしかない、次の選挙の結果でだ!
樹木に意志があると云うのなら、地球にこそ意志があって80億にも増えた人類が、戦争や開発の名目で勝手に地球を荒らし廻る行為に対して怒っているはずだ。地殻変動やエイズ、コロナなど新種のウイルスで人間に反省を求め、環境を厳しく変えて人類に猛省を促しているようだ。
私が生きて来た時代が問題で、それに加担した責任をどうしたらいいのか分らないのだ。
何となればこれからを生きる現在の文明にさらされていない新しい世代を信じて、もう少し息を詰めて暮らすしかない…。
2024年2月3日号
能登の地震災害ではっきり分かったことがある。一つはこの国では原発との共存はできないということ。志賀原発や柏崎刈羽原発が運転停止していて、放射能災害が起こらなかったことは私は奇跡に近いと思っている。4㍍も隆起する地殻変動では冷却水すら得られない。運転期間60年に延長する原発推進法など以ての外、政府は自然の脅威を福島の災害から何も学んでいない。能登半島の道路は寸断され、港が隆起して船も近づけず、住民の避難が困難なこともよく分かった。
二つ目は政府の災害対応がとにかく遅く、何としても国民を救うという当たり前の動きが止まっていたこと。元日というタイミングだったが災害に正月休みなどあるわけなく、後手後手の逐次投入だった。政財界の新年会が大事だった? 検察が入る前の隠蔽が忙しかった? つまり災害時も自助ってこと? と邪推したくなるほどイライラした。今後どんな災害が起こってもこの機能停止に近い状態が起こるから国民は覚悟しなければならない。
ここからどう復興支援するかという難題をこの政権はクリアできるのだろうか。人口減少が急速に進み元通りにはならない。移住を選択する人もいるし、能登で暮らすことが幸せという人もいる。東北の災害後より難しいと感じるのは、復興についても政府の中に能登は裏日本の辺鄙な過疎地といった偏りが垣間見えるからだ。
「あれれ? 日本列島が逆さまだよ」と思う地図がある。写真は富山県が制作した環日本海諸国図というもの。だから富山県が中心で南北は逆だけどこの向きで正しい。これを見ていると表日本・裏日本という言い方はおかしいなと思う。現に戦前は日本海側と太平洋側は人口も経済も大差はなく、もっと昔の北前船交易の頃は太平洋側より日本海側が主たる物流を担っていて、能登や加賀には豪商もあり文化交流盛んな表側だった。今でも大阪名物は北海道産の昆布の佃煮だし、輪島や佐渡、山形には上方の風習が残り、航路が見えるようだ。政府は近い将来起こると言われる南海トラフ地震で、太平洋沿岸に壊滅的被害を想定している。であればこの機に日本海物流の港湾整備をしておくのが重要だと思う。首都圏に電力を送るために原発を並べるだけが日本海側の役目ではない。
それにこの地図を見ていると日本は近隣諸国と仲良くすることが大切と感じざるを得ない。ロシア・中国・北朝鮮・韓国と日本列島は手をつないで輪のように並んでいる…と思えるのは私だけだろうか?
2024年1月27日号
11日、自民党は派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受け、政治刷新本部の初会合を開きました。メンバー38人の中で主要派閥の会長が要職を占め、「ドリル優子」や、問題の安倍派議員が10人も含まれているあたり、本気で「刷新」する気がないことが見え見えです。
12月16日付けの本紙社説では、国民のさらなる政治不信の増大を憂い、「自民党支持の皆さん、なぜ怒らないのか」と書いています。
2万9千人ほどの市区町村議会議員の所属党派を見ると、自民党が2千人余で、無所属が2万人余(令和4年12月31日現在、総務省)。私は、無所属のほとんどが自民党籍を持つか、自民党支持者なのではないかと思っています。地方議員の皆さん、なぜ怒らないのか。その気があれば、議会としての態度表明だってできるのに。
まあ、怒らないのも分かります。「政治とカネ」の問題は自民党に伝わる伝統芸能みたいなもの。政治資金パーティーは十八番ですからね。
私たちは人を愛するとき、その人の良いところも悪いところも全部ひっくるめて、愛してしまいます。自民党を愛している人もそうなのです。きっと、「またしくじっちゃったね」と笑って許してる。「いいのよ。私の愛は変わらない。今度はもっとうまくやろうね」と思ってる。
そうじゃないとしたら、すごく忘れっぽい人たちなのでしょう。自民党の偉い人は、仲間が失敗するたびに「調査する」、「丁寧に説明をさせる」と言ってきました。しかし、私は丁寧な説明を受けた覚えがありません。偉い人は、経験的に「そうこうしているうちに国民は忘れてくれる」と思っています。
刷新本部の設置によって国民の関心は自民党の派閥解消に移ってしまいましたが、今やるべきは実態の解明ではないでしょうか。安倍派だけでなく、自民党全体の裏金作りの実態を明らかにするのが先では。
検察のリーク頼りのマスコミも本気を出してもらいたい。検察は安倍派幹部の立件を断念したとか。だとしたら、真相は闇の中に消えます。
そして、刷新本部では、パーティー券収入を裏金でない合法的な金にするためのルール改正が進められるのでしょうか。
でも、自民党支持でない国民は忘れません。モリ、カケ、サクラ、旧統一教会……。年配の人は、ロッキード、リクルート、東京佐川急便……。今後もお忘れなきよう。
2024年1月20日号