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オピニオン一覧

  • この道はいつか来た道 …

    ドヤ顔に頭がクラクラ

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     先週、岸田首相は米国で首脳会談と議会での演説をして拍手に得意満面だった。「国際社会は歴史的な転換点にある。今こそ日米両国がグローバルパートナーとして真価を発揮すべき時である」「米国は一人ではない、なすべき準備はできている」「戦争可能な正常国家(一流国家)になる」とドヤ顔だったけど私は頭がクラクラした。
     これはもうどう解釈しても憲法違反で、こんなこと自国の国会で討論されましたか? 憲法改正する国民投票ありましたか? バイデン大統領は「我々はともに、防衛・安全保障協力を強化するための重要なステップを踏み、指揮・統制を現代化する」と発言。これね、米軍と自衛隊の情報共有システムを構築して共に行動する(自衛隊が米軍の指揮下にもなり得る)ということですよ。自衛隊は軍隊ではない!
     戦後平和憲法下の77年、歴代自民党首相が戦地を紛争当事国と言い換え自衛隊を派遣し、安保3文書を備えて集団的自衛権行使を規定した。専守防衛原則から逸脱して詭弁を重ね敵基地攻撃能力まで可能とし、武器輸出を防衛装備品移転と言い換え平和憲法は無力化した。岸田首相の訪米は、米国と一緒に喜んで戦争に参加します! と宣言したようなものだと私は思った。
     だからロシアは米日同盟強化のこの宣言にすぐ反応し「米日はすでに事実上軍事同盟関係だ」と発言。これで日本全土が反米側の標的になる。再稼働の地元合意もないまま燃料を装填した柏崎刈羽原発は、ウクライナのザポリージャ原発と同様に常に爆撃やサイバー攻撃に怯えなければならない。私には岸田首相が言う「歴史的な転換点」とは国民や国土を新たな危険に晒す転換点としか思えない。
     イラン、イスラエルの攻撃の応酬で世界大戦の始まりを感じるきな臭いこんな時に、わざわざ渦中に飛び込むとは…この後どんな未来があるのか想像してみてください。私の予想では疫病や地震など災害を期に危機感を煽り、国民の考える力を押さえて同じ方向を向くようにするでしょう。
     敵国の脅威を言い、より強力な武器(核兵器)の保有を正当化。私のように異を唱える人は非国民で、国防・国益優先で人権や言論の自由は無くなる。自衛隊、志願兵、徴兵… この道はいつか来た道… そう、3百万人が犠牲になった過去の日本だ。
     決して戦争をしてはいけない。近いうちに解散総選挙になるでしょう。今はまだこの国の主権者は私たち国民です。選ぶことができます。どうか戦争の道だけは歩まないように。

    2024年4月20日号

  • 何も進んでいない「核のゴミ」

    あれから13年、原発問題

    斎木 文夫 (年金生活者)

     3月30日付け本紙の社説の見出しは『3月議会、なぜなかった原発論議』であった。確かに東電は原発再稼働の準備を着々と進めている。その間、十日町市・津南町議会は何をしていたのか。
     共産党市議団・富井氏は24年度予算案に対する反対討論の冒頭で「柏崎刈羽原発の再稼働に反対し、廃炉を求める」と訴えた。ほかに何かあったのだろうか。
     本紙新年号の名士の「新年のご挨拶」も柏崎刈羽原発再稼働問題に触れたものはなかった。2人の県議には期待していなかったが、原発から30㌔圏内に入る十日町市の市長、隣接する津南町長からは、住民の生命・生業をどう守るのか、何らかのメッセージをいただきたかった。
     能登半島地震後、専門家の話を聞いて、心配になったことがある。
     1つは、今回の地震では4枚の活断層が滑ったことで津波が発生したが、佐渡沖の2枚の活断層はほとんど動かず、今後大きな揺れを引き起こすおそれがあるということ。この活断層の位置は佐渡の西側で、上越沖と言った方が分かりやすい。
     2つ目は、海陸境界の断層は、調査のいわばエアポケットみたいな状態で、調査が進んでいないということ。柏崎刈羽原発敷地内・周辺に活断層があるかどうか、専門家の間で意見が分かれるのも無理はない。
     柏崎刈羽原発再稼働をどう考えたらいいか、事前学習として4月2・3日に福島第1原発事故13年後の姿を見てきた。
     復興庁によると、原発事故による避難者は約2万9千人(2月1日現在)。この中に「自主避難者」は含まれていない。
    帰還困難区域では、部分的に放射能除染をした「特定帰還居住区域」で新しい街づくりが始まっていた。しかし、原発が立地する大熊町の居住者数は646人(事故前の5・6%)、双葉町が102人(同1・4%)しかいない。
     「街」には東電社宅、原発作業員宿舎、町営住宅が並び、人がいなくなった土地には汚染土の袋と太陽光パネルが並ぶ。
     福島第1原発のデブリの取出し、廃炉の工程は見通せず、汚染水は海洋放出に近い量が新たに流入していた。避難者も帰還者も多くが生業を奪われ、厳しい生活が続いている。福島第1原発事故は現在も進行中で、決して過去の出来事ではない。
     今後も想定外の地震や津波が起きる。核のごみを安全に処分する技術はない。そして、ヒトは必ずミスをする。やっぱり、原発の再稼働はダメだ。

    2024年4月13日号

  • 「ご近所付き合いの大切さ」力説

    「激震お見舞い」を考える

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     能登大地震から程なく四ヵ月になろうとした頃、やっと電話がかけられた。
     元日に起きた能登地震、わが長男の嫁さんの実家も小松市にあって、大騒ぎになった。彼女を通じて小松の皆様は、とりあえずはご無事である事はすぐわかった。
     もう一人案じた人が居た。十日町在住の昔から親交のあった知人が能登七尾市にお住まいだ。携帯番号は知らない。TVに映し出される様子は、目を覆うばかり。電話すべきではない状況と判断し、しばらく経ってからと思った。一向に状況は良くならない。もし電話が通じても、どう話したらよいのか? どんな状況なのか? とても聞けそうもない。折に触れてのカンパをする位しか出来なかった。
     後ろめたさにつぶされそうになりながら、時だけは容赦なく過ぎた。三月末、恐る恐る電話した。それでも明るい元気そうな声で奥様が出て下さった。ご主人は農業をなさっているので、夜七時半位だったが既に床に就かれたとか。
     奥様は少し興奮気味で、状況を少しずつ話して下さった。避難所から帰宅したばかり。未だ家は壊れたままの所もあり、不自由な事ばかりだとか。近所で助け合ってなんとか暮らしています。ご近所の有難さを実感しています。とおっしゃった。
     電話を切って、ほっとする部分があり、結局は自分の気休めである事に気が付き、また後ろめたさに責められている。
     阪神淡路の時は友人知人が大勢いるので本当に心配した。メディアは盛んに〈不要不急の電話は掛けるな〉と声を大にする。が、絶対必要なのだからと言い訳しつつ、かけまくった。全く繋がらない。
     次は中越地震。十日町にも友人知人ばかり、電話を掛けまくったがやはりダメ。ある瞬間、繋がった。あまりに寒いので防寒具を取りに来たところよ、みんな無事だから安心してと言われた。その次は熊本地震。娘婿さんの実家。娘夫婦を通じて皆さんの無事を知る事ができホッとした。
     阪神淡路大震災の後、ボランティア元年と言われ、いろんな事が少しずつ定義づけられるようになった。ボランティア活動はわが身の事は全部我が身で処し、被災者に迷惑をかけない事を大前提とする。年を重ねた今となっては、お見舞いに行く事も差し控えねばならない。
     全国あちこちで地震が起き、無事・安全な地域はないみたい。いつ我が身に降りかかるかもしれない。七尾の奥様はご近所付き合いの大切さを力説。千葉も揺れているみたいだから気を付けてね、と反対に注意された。現在の当地は、ご近所付き合いが希薄。大問題だ。

    2024年4月6日号

  • 正規職員と非正規職員、待遇格差の改善を

    教育支援員54人?

    村山 朗 (会社員)

     地元紙の1面に十日町市の新年度予算の記事が掲載されていました。見出しは「子育て・教育に細かく展開」とありました。私立保育園・こども園の支援、子育て支援の充実、学校教育の充実、特色ある教育活動の推進、などです。馬場小学校が来年度末で閉校になるため、閉校支援予算もありました。筆者がかつて通ったT小学校も地域の役員の話では、新1年生の入学がついに30人を切り、1クラスになるそうです。半世紀以上も前の話ですが、1学年に250人以上もいましたので、少子化が加速してまるで別の国のはなしを聞いているような気がします。 
     過日「十日町市立中学校のあり方についての提言」が公表され、小学校に次いで中学校も改廃論議の現実味が増してきました。今回の予算案に戻ると、校舎の整備・更新などに次ぐ予算額で目を引いたのが、「学校生活や適切な学びの場をサポートする教育支援員を8名増やし54人を配置」という項目です。予算額約1億2千万円。市の公開資料には教育支援員は50人に満たず、中々応募がなくて大変だ、との記述があります。そんな状況の中で8人増やす(増やせる)というのは何か秘策でもあるのでしょうか。
     支援が必要な子供が増えている(これも公開情報より)中で教育支援員を増やすという計画なのでしょうが、1億2千万円を54人で割ると1人当たり約220万円です。コロナ禍の時期に話題になったエッセンシャルワーカーという言葉がありますが、教育支援員も学校教育のエッセンシャルワーカーではないかと思います。
     エッセンシャルワーカーには非正規社員(職員)が多く、賃金も低いという報道もよく目にしました。なぜ大切な仕事をしている人の賃金が低いのか、低賃金は当然なのでしょうか。昨今賃上げが好調だと報道されていますが、非正規のエッセンシャルワーカーの待遇改善は置き去りにされているような気がします。
     十日町市の正規職員は500人余りで、平均給与は550万円前後。非正規職員の人数もほぼ同数。この教育支援員の予算からわかるように、市の非正規職員の待遇はとても良くない上に、採用期間も1年区切りです。 正規職員が頑張ればいいじゃないかと皮肉の一つも言いたくなりますが、非正規職員のなり手がいなくなれば、正規職員も働き方改革どころではありません。市として非正規職員の待遇改善に大きく力を入れるべきではないでしょうか。
     そして誰もいなくなった、となりませんように。

    2024年3月30日号

  • 市町村で必要な情報共有に機会

    地域経済政策を考える

    清水 裕理 (経済地理学博士)

     地域経済政策には、産業的な政策と福祉的な政策があり、産業的な政策は企業誘致、地場企業振興など、福祉的な政策は公共事業、生活関連サービスの充実などです。
     生活関連サービスは医療、介護、子育て、住宅、防災、まちづくり、学習などで、あらゆる市区町村に、おおよそ人口に比例した数の事務所が存在します。
     産業的な政策と福祉的な政策は、車の両輪の関係で、例えば、企業誘致の場合、少子化と高齢化が同時進行している現在、地域で働く人が少なくなっているため生活環境の整備が重視されます。人材不足は、地域社会を守る要の警察や消防、医療や介護の分野でもとなれば深刻です。
     話はとびますが、先日、日銀が17年ぶりに利上げを行い、その幅は大きくないですが、円高にふれるのが普通と思われたところ、会見で、当面、緩和的な金融環境が継続する旨の発言があり、逆に円安になりました。  会見での日銀総裁の発言は、円安になることを意図してのことだったのでしょうか? 日本経済にとって、円安はよいのか? 悪いのか? 世の中の意見は真っ二つです。
     円安がよいとした場合、その理由は、輸出企業のメリット、日本の土地代や人件費が相対的に安くなるので工場などの国内回帰が進むのではないかがあげられます。
     先ほどの話に戻って、もし、国内回帰で地方に工場が増えた場合、今の状況では働く人の取り合いが起きることが懸念されます。売り手市場が加速し賃金上昇につながるのだからよいという意見もあります。
     上記は一例ですが、今後の地域経済政策において、色々なことを想定しながら、いかにバランスのとれた政策を行なっていくか、そして、人口が減少する世の中になっても、安心して生活し子育てすることのできる地域を再構築できるのか…。
     分野的に再構築が進んでいるのは地域交通の分野だと思います。最近、国の審議会に出席すると、その話題が多く出るようになりました。デマンドバスやデマンドタクシーの運営は? 前より不便になるかもしれないが必要なルートと時間帯は? 地域全体での協力は? ボランティア的なものは? デジタルとアナログは? など、妻有地域では早くから挑戦を続けてこられていると思います。
     うまくいっていること、失敗したこと、悩んでいること、他の市区町村から情報共有を求められる機会が増えるのではないかと思います。

    2024年3月23日号

  • 立派な肥料、SDGsの胸バッジの意味は?

    「糞尿について考える」

    長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)

     子どもだった頃、肥溜めに落ちたことがあった。10歳くらいだった。戦時中から都会の空地には多くの素人畑があって、南瓜や芋を植えて飢えをしのいでいたのだろう。近くには防空壕の残がいや工場の鉄骨が焼けただれて残っていて、小さな畑も同じ時代の哀しみを映していた。同時期の大通りには馬が曳く長い荷車に肥桶が満載されていたことを覚えている。
     そのうちに肥桶を積んだ長い荷車も無くなり、各自の便所にはバキュームカーが横付けされて僕らの糞尿は運び去れ、少し時代が進んだように感じたものだ。母親は汲み取りの人にタバコを手渡してお愛想をいっていたような記憶もある。
     その後、津軽を歩いた時のことだが、夏になる頃だったと思うが、うねるように広がる畑に、今まかれただろう糞尿がいいにおいをさせていた。抜けるような青空と人糞のコントラストが今でも忘れられない。
     現代では糞尿は環境省の指導でやたらに廃棄も出来なくなったが、昔は東京湾に糞尿を積んだ船が出て、そこで汚泥を捨てていたことがあった。いま汚物はほとんどが水洗式となって海に投棄されることはないが、その分、東京湾の栄養価が下がってイワシなどの資源が減ったとも聞く。
     秋山でも人糞を肥しとしてまいたのかと長老の方に訊いてみると、「あ~、お金がないのだから肥料は人糞で、肥溜めを作る余裕もなく直ぐに畑にまいたものだ、ナスなどは小便を掛けるとよく育ったよ!」と笑った。 私が落ちた肥溜めはそりゃ汚らしかったが、においはなかったように覚えている。続けて長老は「人糞をまくと回虫が出て来る。それには困った」と話した。私の小学校では朝礼の時に虫下し用チョコレートの配布もあった。私の尻からは回虫は顔を出さなかったが、多分多くの小学生は腹のなかで回虫を養殖していたのだろう。
     正月に起こった能登半島地震で被災された方々が身を委ねた避難所では水がなくトイレが使えず不便をしているという。洋式便器にビニール袋をかぶせ、自身の糞尿をゴミとして出すという。都会ではそんなビニール袋が品薄となったと聞く。 時代が進んで汲み取り便器に腰を下ろした経験のない人にしてみれば、それもしょうがないのだろうが、そんな経験が出来る所がないようになったのだろう。
     生きていれば腹が空いて、食べれば排泄するのはセットとして当然のことでもある。そんな当たり前のことを日本中の大人が忘れてはいけないと思った。
     自分の糞尿が野菜を作り、海の魚を育て、それをうまいと思って口にすることから、つまり一からもう一度、生き方の復習が来るべき大きな災害に備えることになる。ペットボトルの本数やら非常食の備えやら忙しくなるのだが、それで解決する訳もないとしても、それなりの準備も必要なのだろう。
     昔、チベットの安宿で塔のような便所まで階段を上り、そこの二つの互い違いに置かれた便器にしゃがんでいると、反対の便器に西洋人のご婦人が外連げもなくしゃがんで、そのご婦人と競争するように用を足した記憶がある。三階ほどの便所から落ちた糞尿は下に蠢いていた豚がそれを食べていた。その豚をチベットの住人がうまそうに食べるのだろう。
     資源とは面白いものでそれを生かすのも捨てるのも、その時代の人間の感性なのだ。生きることは奇麗ごとではなく、生き延びる知恵と力が無くてはならないのだと考える。
    例えば灯油ストーブ、とりわけお湯がわせる型のものやプロパンガス、テーブルボンベなど使い方を知って置かなければならないのだ。行政が火災の危険や爆発の予防と言ったとしても、今回の能登地震のような寒さのなかで、どう生きるかを考えなければいけない。
     汚いと嫌われる糞尿が研究を重ねることで立派な肥料になる事などを考えないでSDGsのバッジを胸につけても意味は無いじゃないか。ここのような小さな集落でこそ堆肥作りの研究を行うべきなのだと考える。

    2024年3月16日号

  • はあ…(溜息)この国はどうなっているの

    裏金国会劇、地方自治法改正

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     自営業の我が家では確定申告の作業がなかなか進まない。事務作業は苦手だからしょうがないけど、こんなにやる気になれない年はなかったなぁ…としぶしぶ伝票入力を始めると、TVで総理が「法に則り適切に申告・納税をお願いしたい」って国民に呼びかけていて手が止まる。
     おいおい、連日ニュースになっているのはそちらの閣僚の脱税問題じゃないの? 衆院政治倫理審査会に出席した議員が4人とも不記載について「存じませんでした」と言うので、また手が止まる。使い道は「不明」と書いて「秘書がやりました」と言うのでまたまた手が止まる。元文科大臣は(裏金について)「納税するつもりはございません」と言うので、はい?それでいいの? 国民は期限までに申告・納税しないと追徴課税されるのに? みんなそう思いながら申告作業しているよね。 
     この政倫審で「議員は説明責任を果たしてない」とする国民は86%に達している。(JNN世論調査)「国税庁が税務調査をする必要がある」と思う人は90%、みんな不公平だと怒っていても国民の義務だからちゃんと納税してるんだよ。
     こんな「政治と金」の茶番劇と同時進行なのは、防衛装備移転と言い換えての武器輸出。英伊と共同開発する次期戦闘機について、「輸出を可能とした方が市場が大きくなり効率化する(儲かる)」と総理が国会答弁する国になった。
     憲法に抵触することをこんなに軽々と言う政権は今までなかったのに、平和三原則はどこ行った? 防衛力強化を議論する有識者会議には〇菱重工の現職会長がメンバーに入っている。多額の献金で高額契約? もうこの国は完全に死の商人。はあ…(溜息)
     更に国会ですら議論されず閣議決定でこっそり決められたのは有事に国の「指示権」創設を柱とする地方自治法改正。つまり解釈次第で有事だと言えば地方議会も知事も国の指示に従うということ。(これも憲法で定める地方自治の本旨を踏みつけている) 軍事基地も原発再稼働も国の指示でできるということ? もう歯止めが効かない暴走状態。ふう…(溜息)
     心配した通り2ヵ月た
    っても能登半島被災地の壊れた町の風景は何も変わっておらず放置されている。株価は史上最高の4万円を超えても、ほとんどの国民は景気回復を実感しないと答えている。
     選挙で裏金議員を落とせばいいだろと言われても、それだけでこの現状が変わるのか? 官僚も財界も教育も報道もすべておかしくなっている国が戻れるのだろうか?

    2024年3月9日号

  • 言説に流されず、だめはダメ

    内憂と外患、今日も悶々と

    斎木 文夫 (年金生活者)

     これを書いている2月28日、自民党の裏金問題をめぐる衆院政倫審が全面公開で開かれることになった。出席者は6人。森、二階、萩生田、下村各氏の出番はない。
     1人1時間くらいの言い訳をさせて、何も明らかにならずに、予算案がスーと通るようになったら、この国ダメだわ。
     今回の政倫審は派閥パーティー裏金に限っているが、茂木氏後援会では2016年~19年の使途不明金が1億2千万円以上、20年~22年の使途不明金が9400万円との報道もある(2月26日『毎日』)。
     茂木氏の資金管理団体から後援会に多額の寄付が流れ、その先が使途不明となっている。資金管理団体と後援会の住所、会計責任者は同一であっても、後援会は政治資金規正法で言う「国会議員関係政治団体」でないから、法的にはお金の使途を明らかにする必要はない。「脱法的行為で悪質だ」と専門家は言う。
     これは、茂木氏だけではなく、自民党だけでもないような気がする。誰か、ぜんぶ調べて明らかにしてもらえないものか。ダメな奴はぜんぶ落としてやる。ことは単純だ。落としてやればいいのだ。
     ロシアのウクライナ侵攻から2年。ウクライナの苦戦は続き、西側諸国の支援疲れも表面化してきた。もしロシアが勝ったら、また、プーチンは核使用をチラつかせており、日本もオンブしている核抑止力という約束事が吹き飛んだら、今の国際秩序は崩壊してしまう。
     もう一つの戦争、イスラエルのパレスチナ自治区侵攻にあたって、アメリカのイスラエル寄りの態度が事態をややこしくしている。
     2つの戦争を前に、日本はどうすべきか。だが、日本の政府与党にそんな力はない。では、私たちはどうしたらよいのか。いくらニュース番組の解説を聞いても、本を読んでも、議論をしても、簡単に答えは出ない。悶々とする毎日だ。
     「お前が心配する必要はない」とそしられるのは承知の上だ。でも、私たちのあらゆる生活場面は政治と関わりがあり、地方政治と中央政治、国内政治と国際政治はつながっているというのが私の考えだ。心配せずにはいられない。
     答えの出ない中、右か左か、簡単で分かりやすい言説に流されるのはやめようと思う。「多様性」にカヅケて「誰がどう考えたっていいじゃないか」と開き直り、思考を停止し、分断を容認することもだ。今は毎日悶々としているのが、私には似合っている。

    2024年3月2日号

  • 「昭和の常識」、現代の非常識だそうだが…

    我が子育てを想う

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     最近、幼子への虐待のニュースが痛ましい。毒を飲ませたとか、冬の浴室に水を浴びせて閉じ込めたとか! 改めてここに書くのもおぞましい。宝物である子どもに、よくもまあ酷い事が出来るなあと思う。
     でも思い出してみると、自分も我が子に手を挙げたことがあった。一人っ子で育ち、幼くして共に育った経験がない。訳も解らず泣き叫ぶ子どもに、どう対応してよいか分からず理性を失う。長女はお父さん子で、父親が居ないと不安になるらしくむずかしかった。
     当時は戦後の高度成長期で、企業戦士と言われ、男親はろくに家にいない。家庭は母親が守るのが当然とされた。夫は兄の事業を手伝うべく、十日町への転職を進めていたので、月の半分を東京と十日町を掛け持ちしていた。 
     幼児期の娘は父親が留守になると、途端に体調を崩しぐずり出す。自家中毒との事。未熟だった私は、娘より私の方が泣きたい位で、思わず頬を平手打ちした。娘も痛かっただろうが、打った私のほうも嫌な思いと痛みが心に残っている。
     次女はもう少し成長した頃、三~四年生頃だったろうか、普段から食べ物に関しては特に厳しくしていた。ある日、その次女が思わず一言「食うものがねぇ」といったのだ。即座に平手打ちをした。そんなに強くしたつもりは無かったのに、次女はすとんと尻もちをついて座り込んだ。これには私も驚いたし、傍にいた姉・兄ともにびっくりして恐れおののいた。
     何十年もたったある時、次女が話した。自分でもすぐにまずい!! と思ったが、即、平手が飛んできたとか。当人もそばにいた姉・兄も決して食べ物には不平を以前にもまして言わなくなった。
     女の子に挟まれた息子は、悪さをしなかったわけでもなく、叱られるようなことも言ったにも拘わらず、罰を与えられなかった。いたずら盛りの頃、空手を習っていた息子は、私が頬を打とうとしても、拳を握った手をさっと自分の顔と頭をかばうように私の手を遮った。さすがに頭や顔は打ってはいけないと思って、彼のお尻に手を回すとその手首を握って押さえつけられた。目的は果たせないままだった。
     そのうえ今は、パソコンだ、スマホだと、何かにつけて彼に頼っていて、叱られるのはこちらばかり。ついこの間も「そんな暗いところで小さな字を見ていると、目を悪くするよ」と注意すると、さっそくスマホ開いて【そんなことはない、読めてさえいれば明るさは関係ない】とのたまう。
    昭和の常識、現代の非常識だそうだ。時代も変わったものだ。

    2024年2月24日号

  • 日本が群を抜いているかも

    「お祓い」という行事

    清水 裕理 (経済地理学博士)

     2024年が始まってから一ヶ月、節分が過ぎ立春を迎え、新しい年が本格的に動き出しました。
     4月の入学や就職に向け、大学に進学しようとする高校生は入試で希望する先を決めて個別試験に、小学校に上がるお子さんのいるご家庭では、ランドセルを何色にしようか選び始めている頃と思います。
     節分(毎年2月3日)は、各季節の始まりの前日のことを指し、今は一般的に、春の節分のことをいうようになりました。
     この日に神社などでは、「節分祭」と称するお祓いの行事が行われ、一緒に豆撒きも行われます。「♪ 鬼わーそと ふくわーうち」「♪ ふくわーうち ふくわーうち」と豆を投げ、最近は家庭で恵方巻きを食することとセットで行われるようになりました。豆撒きをすると、気分が高揚するようで、大人も子供も大声を出して盛り上がります。
     節分祭のほかにも、6月30日に半年分のケガレをとる「夏越(なごし)のお祓い」があります。神社の境内に、茅(ちがや)という草で編んだ「茅の輪」が準備され、それをくぐると、和気あいあいとした雰囲気となります。
     和気あいあいと言えば、家族や友達と食事をしながら楽しめる花火大会も、もともとは「火」によるお祓いの意味合いを含むことが多くあります。花火にお祓いの意味があるのを知らなかったとしても、花火が終わったあと、周りの空気に清々しさを感じるのは私だけでしょうか。
     おそらく世界のなかをみても、このように日常の行事のなかに「お祓い」があり、埃やケガレを祓い、清々しさを感じる空間が広がっているのは、日本が群を抜いてのことかもしれません。
     外国の方が初めて日本に来たとき、成田空港や羽田空港の施設を〝ピカピカ〟と表現するくらいにきれいと言い、掃除が行き届いていることに驚きの声があがっていると聞きます。
     空港をあとにして街に出ても、行き交う道のほとんどにごみは落ちておらず、奇跡と思うようなレベルとして映っているようです。
     実際には、日本でも上下水道などのインフラが整備されてからのことかもしれませんが、このように気持ちのよい空間を共有し維持がされていることは、素晴しいことだと思います。
     私たちはそれを教え込まれるというわけではなく、日常生活のなかで、行事などに触れ、自然と身に付いているところがあるように感じます。
     最近よくないニュースを耳にすることが増えるなか、原点に戻って、よいなと思う話をしました。

    2024年2月10日号

  • この道はいつか来た道 …

    ドヤ顔に頭がクラクラ

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     先週、岸田首相は米国で首脳会談と議会での演説をして拍手に得意満面だった。「国際社会は歴史的な転換点にある。今こそ日米両国がグローバルパートナーとして真価を発揮すべき時である」「米国は一人ではない、なすべき準備はできている」「戦争可能な正常国家(一流国家)になる」とドヤ顔だったけど私は頭がクラクラした。
     これはもうどう解釈しても憲法違反で、こんなこと自国の国会で討論されましたか? 憲法改正する国民投票ありましたか? バイデン大統領は「我々はともに、防衛・安全保障協力を強化するための重要なステップを踏み、指揮・統制を現代化する」と発言。これね、米軍と自衛隊の情報共有システムを構築して共に行動する(自衛隊が米軍の指揮下にもなり得る)ということですよ。自衛隊は軍隊ではない!
     戦後平和憲法下の77年、歴代自民党首相が戦地を紛争当事国と言い換え自衛隊を派遣し、安保3文書を備えて集団的自衛権行使を規定した。専守防衛原則から逸脱して詭弁を重ね敵基地攻撃能力まで可能とし、武器輸出を防衛装備品移転と言い換え平和憲法は無力化した。岸田首相の訪米は、米国と一緒に喜んで戦争に参加します! と宣言したようなものだと私は思った。
     だからロシアは米日同盟強化のこの宣言にすぐ反応し「米日はすでに事実上軍事同盟関係だ」と発言。これで日本全土が反米側の標的になる。再稼働の地元合意もないまま燃料を装填した柏崎刈羽原発は、ウクライナのザポリージャ原発と同様に常に爆撃やサイバー攻撃に怯えなければならない。私には岸田首相が言う「歴史的な転換点」とは国民や国土を新たな危険に晒す転換点としか思えない。
     イラン、イスラエルの攻撃の応酬で世界大戦の始まりを感じるきな臭いこんな時に、わざわざ渦中に飛び込むとは…この後どんな未来があるのか想像してみてください。私の予想では疫病や地震など災害を期に危機感を煽り、国民の考える力を押さえて同じ方向を向くようにするでしょう。
     敵国の脅威を言い、より強力な武器(核兵器)の保有を正当化。私のように異を唱える人は非国民で、国防・国益優先で人権や言論の自由は無くなる。自衛隊、志願兵、徴兵… この道はいつか来た道… そう、3百万人が犠牲になった過去の日本だ。
     決して戦争をしてはいけない。近いうちに解散総選挙になるでしょう。今はまだこの国の主権者は私たち国民です。選ぶことができます。どうか戦争の道だけは歩まないように。

    2024年4月20日号

  • 何も進んでいない「核のゴミ」

    あれから13年、原発問題

    斎木 文夫 (年金生活者)

     3月30日付け本紙の社説の見出しは『3月議会、なぜなかった原発論議』であった。確かに東電は原発再稼働の準備を着々と進めている。その間、十日町市・津南町議会は何をしていたのか。
     共産党市議団・富井氏は24年度予算案に対する反対討論の冒頭で「柏崎刈羽原発の再稼働に反対し、廃炉を求める」と訴えた。ほかに何かあったのだろうか。
     本紙新年号の名士の「新年のご挨拶」も柏崎刈羽原発再稼働問題に触れたものはなかった。2人の県議には期待していなかったが、原発から30㌔圏内に入る十日町市の市長、隣接する津南町長からは、住民の生命・生業をどう守るのか、何らかのメッセージをいただきたかった。
     能登半島地震後、専門家の話を聞いて、心配になったことがある。
     1つは、今回の地震では4枚の活断層が滑ったことで津波が発生したが、佐渡沖の2枚の活断層はほとんど動かず、今後大きな揺れを引き起こすおそれがあるということ。この活断層の位置は佐渡の西側で、上越沖と言った方が分かりやすい。
     2つ目は、海陸境界の断層は、調査のいわばエアポケットみたいな状態で、調査が進んでいないということ。柏崎刈羽原発敷地内・周辺に活断層があるかどうか、専門家の間で意見が分かれるのも無理はない。
     柏崎刈羽原発再稼働をどう考えたらいいか、事前学習として4月2・3日に福島第1原発事故13年後の姿を見てきた。
     復興庁によると、原発事故による避難者は約2万9千人(2月1日現在)。この中に「自主避難者」は含まれていない。
    帰還困難区域では、部分的に放射能除染をした「特定帰還居住区域」で新しい街づくりが始まっていた。しかし、原発が立地する大熊町の居住者数は646人(事故前の5・6%)、双葉町が102人(同1・4%)しかいない。
     「街」には東電社宅、原発作業員宿舎、町営住宅が並び、人がいなくなった土地には汚染土の袋と太陽光パネルが並ぶ。
     福島第1原発のデブリの取出し、廃炉の工程は見通せず、汚染水は海洋放出に近い量が新たに流入していた。避難者も帰還者も多くが生業を奪われ、厳しい生活が続いている。福島第1原発事故は現在も進行中で、決して過去の出来事ではない。
     今後も想定外の地震や津波が起きる。核のごみを安全に処分する技術はない。そして、ヒトは必ずミスをする。やっぱり、原発の再稼働はダメだ。

    2024年4月13日号

  • 「ご近所付き合いの大切さ」力説

    「激震お見舞い」を考える

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     能登大地震から程なく四ヵ月になろうとした頃、やっと電話がかけられた。
     元日に起きた能登地震、わが長男の嫁さんの実家も小松市にあって、大騒ぎになった。彼女を通じて小松の皆様は、とりあえずはご無事である事はすぐわかった。
     もう一人案じた人が居た。十日町在住の昔から親交のあった知人が能登七尾市にお住まいだ。携帯番号は知らない。TVに映し出される様子は、目を覆うばかり。電話すべきではない状況と判断し、しばらく経ってからと思った。一向に状況は良くならない。もし電話が通じても、どう話したらよいのか? どんな状況なのか? とても聞けそうもない。折に触れてのカンパをする位しか出来なかった。
     後ろめたさにつぶされそうになりながら、時だけは容赦なく過ぎた。三月末、恐る恐る電話した。それでも明るい元気そうな声で奥様が出て下さった。ご主人は農業をなさっているので、夜七時半位だったが既に床に就かれたとか。
     奥様は少し興奮気味で、状況を少しずつ話して下さった。避難所から帰宅したばかり。未だ家は壊れたままの所もあり、不自由な事ばかりだとか。近所で助け合ってなんとか暮らしています。ご近所の有難さを実感しています。とおっしゃった。
     電話を切って、ほっとする部分があり、結局は自分の気休めである事に気が付き、また後ろめたさに責められている。
     阪神淡路の時は友人知人が大勢いるので本当に心配した。メディアは盛んに〈不要不急の電話は掛けるな〉と声を大にする。が、絶対必要なのだからと言い訳しつつ、かけまくった。全く繋がらない。
     次は中越地震。十日町にも友人知人ばかり、電話を掛けまくったがやはりダメ。ある瞬間、繋がった。あまりに寒いので防寒具を取りに来たところよ、みんな無事だから安心してと言われた。その次は熊本地震。娘婿さんの実家。娘夫婦を通じて皆さんの無事を知る事ができホッとした。
     阪神淡路大震災の後、ボランティア元年と言われ、いろんな事が少しずつ定義づけられるようになった。ボランティア活動はわが身の事は全部我が身で処し、被災者に迷惑をかけない事を大前提とする。年を重ねた今となっては、お見舞いに行く事も差し控えねばならない。
     全国あちこちで地震が起き、無事・安全な地域はないみたい。いつ我が身に降りかかるかもしれない。七尾の奥様はご近所付き合いの大切さを力説。千葉も揺れているみたいだから気を付けてね、と反対に注意された。現在の当地は、ご近所付き合いが希薄。大問題だ。

    2024年4月6日号

  • 正規職員と非正規職員、待遇格差の改善を

    教育支援員54人?

    村山 朗 (会社員)

     地元紙の1面に十日町市の新年度予算の記事が掲載されていました。見出しは「子育て・教育に細かく展開」とありました。私立保育園・こども園の支援、子育て支援の充実、学校教育の充実、特色ある教育活動の推進、などです。馬場小学校が来年度末で閉校になるため、閉校支援予算もありました。筆者がかつて通ったT小学校も地域の役員の話では、新1年生の入学がついに30人を切り、1クラスになるそうです。半世紀以上も前の話ですが、1学年に250人以上もいましたので、少子化が加速してまるで別の国のはなしを聞いているような気がします。 
     過日「十日町市立中学校のあり方についての提言」が公表され、小学校に次いで中学校も改廃論議の現実味が増してきました。今回の予算案に戻ると、校舎の整備・更新などに次ぐ予算額で目を引いたのが、「学校生活や適切な学びの場をサポートする教育支援員を8名増やし54人を配置」という項目です。予算額約1億2千万円。市の公開資料には教育支援員は50人に満たず、中々応募がなくて大変だ、との記述があります。そんな状況の中で8人増やす(増やせる)というのは何か秘策でもあるのでしょうか。
     支援が必要な子供が増えている(これも公開情報より)中で教育支援員を増やすという計画なのでしょうが、1億2千万円を54人で割ると1人当たり約220万円です。コロナ禍の時期に話題になったエッセンシャルワーカーという言葉がありますが、教育支援員も学校教育のエッセンシャルワーカーではないかと思います。
     エッセンシャルワーカーには非正規社員(職員)が多く、賃金も低いという報道もよく目にしました。なぜ大切な仕事をしている人の賃金が低いのか、低賃金は当然なのでしょうか。昨今賃上げが好調だと報道されていますが、非正規のエッセンシャルワーカーの待遇改善は置き去りにされているような気がします。
     十日町市の正規職員は500人余りで、平均給与は550万円前後。非正規職員の人数もほぼ同数。この教育支援員の予算からわかるように、市の非正規職員の待遇はとても良くない上に、採用期間も1年区切りです。 正規職員が頑張ればいいじゃないかと皮肉の一つも言いたくなりますが、非正規職員のなり手がいなくなれば、正規職員も働き方改革どころではありません。市として非正規職員の待遇改善に大きく力を入れるべきではないでしょうか。
     そして誰もいなくなった、となりませんように。

    2024年3月30日号

  • 市町村で必要な情報共有に機会

    地域経済政策を考える

    清水 裕理 (経済地理学博士)

     地域経済政策には、産業的な政策と福祉的な政策があり、産業的な政策は企業誘致、地場企業振興など、福祉的な政策は公共事業、生活関連サービスの充実などです。
     生活関連サービスは医療、介護、子育て、住宅、防災、まちづくり、学習などで、あらゆる市区町村に、おおよそ人口に比例した数の事務所が存在します。
     産業的な政策と福祉的な政策は、車の両輪の関係で、例えば、企業誘致の場合、少子化と高齢化が同時進行している現在、地域で働く人が少なくなっているため生活環境の整備が重視されます。人材不足は、地域社会を守る要の警察や消防、医療や介護の分野でもとなれば深刻です。
     話はとびますが、先日、日銀が17年ぶりに利上げを行い、その幅は大きくないですが、円高にふれるのが普通と思われたところ、会見で、当面、緩和的な金融環境が継続する旨の発言があり、逆に円安になりました。  会見での日銀総裁の発言は、円安になることを意図してのことだったのでしょうか? 日本経済にとって、円安はよいのか? 悪いのか? 世の中の意見は真っ二つです。
     円安がよいとした場合、その理由は、輸出企業のメリット、日本の土地代や人件費が相対的に安くなるので工場などの国内回帰が進むのではないかがあげられます。
     先ほどの話に戻って、もし、国内回帰で地方に工場が増えた場合、今の状況では働く人の取り合いが起きることが懸念されます。売り手市場が加速し賃金上昇につながるのだからよいという意見もあります。
     上記は一例ですが、今後の地域経済政策において、色々なことを想定しながら、いかにバランスのとれた政策を行なっていくか、そして、人口が減少する世の中になっても、安心して生活し子育てすることのできる地域を再構築できるのか…。
     分野的に再構築が進んでいるのは地域交通の分野だと思います。最近、国の審議会に出席すると、その話題が多く出るようになりました。デマンドバスやデマンドタクシーの運営は? 前より不便になるかもしれないが必要なルートと時間帯は? 地域全体での協力は? ボランティア的なものは? デジタルとアナログは? など、妻有地域では早くから挑戦を続けてこられていると思います。
     うまくいっていること、失敗したこと、悩んでいること、他の市区町村から情報共有を求められる機会が増えるのではないかと思います。

    2024年3月23日号

  • 立派な肥料、SDGsの胸バッジの意味は?

    「糞尿について考える」

    長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)

     子どもだった頃、肥溜めに落ちたことがあった。10歳くらいだった。戦時中から都会の空地には多くの素人畑があって、南瓜や芋を植えて飢えをしのいでいたのだろう。近くには防空壕の残がいや工場の鉄骨が焼けただれて残っていて、小さな畑も同じ時代の哀しみを映していた。同時期の大通りには馬が曳く長い荷車に肥桶が満載されていたことを覚えている。
     そのうちに肥桶を積んだ長い荷車も無くなり、各自の便所にはバキュームカーが横付けされて僕らの糞尿は運び去れ、少し時代が進んだように感じたものだ。母親は汲み取りの人にタバコを手渡してお愛想をいっていたような記憶もある。
     その後、津軽を歩いた時のことだが、夏になる頃だったと思うが、うねるように広がる畑に、今まかれただろう糞尿がいいにおいをさせていた。抜けるような青空と人糞のコントラストが今でも忘れられない。
     現代では糞尿は環境省の指導でやたらに廃棄も出来なくなったが、昔は東京湾に糞尿を積んだ船が出て、そこで汚泥を捨てていたことがあった。いま汚物はほとんどが水洗式となって海に投棄されることはないが、その分、東京湾の栄養価が下がってイワシなどの資源が減ったとも聞く。
     秋山でも人糞を肥しとしてまいたのかと長老の方に訊いてみると、「あ~、お金がないのだから肥料は人糞で、肥溜めを作る余裕もなく直ぐに畑にまいたものだ、ナスなどは小便を掛けるとよく育ったよ!」と笑った。 私が落ちた肥溜めはそりゃ汚らしかったが、においはなかったように覚えている。続けて長老は「人糞をまくと回虫が出て来る。それには困った」と話した。私の小学校では朝礼の時に虫下し用チョコレートの配布もあった。私の尻からは回虫は顔を出さなかったが、多分多くの小学生は腹のなかで回虫を養殖していたのだろう。
     正月に起こった能登半島地震で被災された方々が身を委ねた避難所では水がなくトイレが使えず不便をしているという。洋式便器にビニール袋をかぶせ、自身の糞尿をゴミとして出すという。都会ではそんなビニール袋が品薄となったと聞く。 時代が進んで汲み取り便器に腰を下ろした経験のない人にしてみれば、それもしょうがないのだろうが、そんな経験が出来る所がないようになったのだろう。
     生きていれば腹が空いて、食べれば排泄するのはセットとして当然のことでもある。そんな当たり前のことを日本中の大人が忘れてはいけないと思った。
     自分の糞尿が野菜を作り、海の魚を育て、それをうまいと思って口にすることから、つまり一からもう一度、生き方の復習が来るべき大きな災害に備えることになる。ペットボトルの本数やら非常食の備えやら忙しくなるのだが、それで解決する訳もないとしても、それなりの準備も必要なのだろう。
     昔、チベットの安宿で塔のような便所まで階段を上り、そこの二つの互い違いに置かれた便器にしゃがんでいると、反対の便器に西洋人のご婦人が外連げもなくしゃがんで、そのご婦人と競争するように用を足した記憶がある。三階ほどの便所から落ちた糞尿は下に蠢いていた豚がそれを食べていた。その豚をチベットの住人がうまそうに食べるのだろう。
     資源とは面白いものでそれを生かすのも捨てるのも、その時代の人間の感性なのだ。生きることは奇麗ごとではなく、生き延びる知恵と力が無くてはならないのだと考える。
    例えば灯油ストーブ、とりわけお湯がわせる型のものやプロパンガス、テーブルボンベなど使い方を知って置かなければならないのだ。行政が火災の危険や爆発の予防と言ったとしても、今回の能登地震のような寒さのなかで、どう生きるかを考えなければいけない。
     汚いと嫌われる糞尿が研究を重ねることで立派な肥料になる事などを考えないでSDGsのバッジを胸につけても意味は無いじゃないか。ここのような小さな集落でこそ堆肥作りの研究を行うべきなのだと考える。

    2024年3月16日号

  • はあ…(溜息)この国はどうなっているの

    裏金国会劇、地方自治法改正

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     自営業の我が家では確定申告の作業がなかなか進まない。事務作業は苦手だからしょうがないけど、こんなにやる気になれない年はなかったなぁ…としぶしぶ伝票入力を始めると、TVで総理が「法に則り適切に申告・納税をお願いしたい」って国民に呼びかけていて手が止まる。
     おいおい、連日ニュースになっているのはそちらの閣僚の脱税問題じゃないの? 衆院政治倫理審査会に出席した議員が4人とも不記載について「存じませんでした」と言うので、また手が止まる。使い道は「不明」と書いて「秘書がやりました」と言うのでまたまた手が止まる。元文科大臣は(裏金について)「納税するつもりはございません」と言うので、はい?それでいいの? 国民は期限までに申告・納税しないと追徴課税されるのに? みんなそう思いながら申告作業しているよね。 
     この政倫審で「議員は説明責任を果たしてない」とする国民は86%に達している。(JNN世論調査)「国税庁が税務調査をする必要がある」と思う人は90%、みんな不公平だと怒っていても国民の義務だからちゃんと納税してるんだよ。
     こんな「政治と金」の茶番劇と同時進行なのは、防衛装備移転と言い換えての武器輸出。英伊と共同開発する次期戦闘機について、「輸出を可能とした方が市場が大きくなり効率化する(儲かる)」と総理が国会答弁する国になった。
     憲法に抵触することをこんなに軽々と言う政権は今までなかったのに、平和三原則はどこ行った? 防衛力強化を議論する有識者会議には〇菱重工の現職会長がメンバーに入っている。多額の献金で高額契約? もうこの国は完全に死の商人。はあ…(溜息)
     更に国会ですら議論されず閣議決定でこっそり決められたのは有事に国の「指示権」創設を柱とする地方自治法改正。つまり解釈次第で有事だと言えば地方議会も知事も国の指示に従うということ。(これも憲法で定める地方自治の本旨を踏みつけている) 軍事基地も原発再稼働も国の指示でできるということ? もう歯止めが効かない暴走状態。ふう…(溜息)
     心配した通り2ヵ月た
    っても能登半島被災地の壊れた町の風景は何も変わっておらず放置されている。株価は史上最高の4万円を超えても、ほとんどの国民は景気回復を実感しないと答えている。
     選挙で裏金議員を落とせばいいだろと言われても、それだけでこの現状が変わるのか? 官僚も財界も教育も報道もすべておかしくなっている国が戻れるのだろうか?

    2024年3月9日号

  • 言説に流されず、だめはダメ

    内憂と外患、今日も悶々と

    斎木 文夫 (年金生活者)

     これを書いている2月28日、自民党の裏金問題をめぐる衆院政倫審が全面公開で開かれることになった。出席者は6人。森、二階、萩生田、下村各氏の出番はない。
     1人1時間くらいの言い訳をさせて、何も明らかにならずに、予算案がスーと通るようになったら、この国ダメだわ。
     今回の政倫審は派閥パーティー裏金に限っているが、茂木氏後援会では2016年~19年の使途不明金が1億2千万円以上、20年~22年の使途不明金が9400万円との報道もある(2月26日『毎日』)。
     茂木氏の資金管理団体から後援会に多額の寄付が流れ、その先が使途不明となっている。資金管理団体と後援会の住所、会計責任者は同一であっても、後援会は政治資金規正法で言う「国会議員関係政治団体」でないから、法的にはお金の使途を明らかにする必要はない。「脱法的行為で悪質だ」と専門家は言う。
     これは、茂木氏だけではなく、自民党だけでもないような気がする。誰か、ぜんぶ調べて明らかにしてもらえないものか。ダメな奴はぜんぶ落としてやる。ことは単純だ。落としてやればいいのだ。
     ロシアのウクライナ侵攻から2年。ウクライナの苦戦は続き、西側諸国の支援疲れも表面化してきた。もしロシアが勝ったら、また、プーチンは核使用をチラつかせており、日本もオンブしている核抑止力という約束事が吹き飛んだら、今の国際秩序は崩壊してしまう。
     もう一つの戦争、イスラエルのパレスチナ自治区侵攻にあたって、アメリカのイスラエル寄りの態度が事態をややこしくしている。
     2つの戦争を前に、日本はどうすべきか。だが、日本の政府与党にそんな力はない。では、私たちはどうしたらよいのか。いくらニュース番組の解説を聞いても、本を読んでも、議論をしても、簡単に答えは出ない。悶々とする毎日だ。
     「お前が心配する必要はない」とそしられるのは承知の上だ。でも、私たちのあらゆる生活場面は政治と関わりがあり、地方政治と中央政治、国内政治と国際政治はつながっているというのが私の考えだ。心配せずにはいられない。
     答えの出ない中、右か左か、簡単で分かりやすい言説に流されるのはやめようと思う。「多様性」にカヅケて「誰がどう考えたっていいじゃないか」と開き直り、思考を停止し、分断を容認することもだ。今は毎日悶々としているのが、私には似合っている。

    2024年3月2日号

  • 「昭和の常識」、現代の非常識だそうだが…

    我が子育てを想う

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     最近、幼子への虐待のニュースが痛ましい。毒を飲ませたとか、冬の浴室に水を浴びせて閉じ込めたとか! 改めてここに書くのもおぞましい。宝物である子どもに、よくもまあ酷い事が出来るなあと思う。
     でも思い出してみると、自分も我が子に手を挙げたことがあった。一人っ子で育ち、幼くして共に育った経験がない。訳も解らず泣き叫ぶ子どもに、どう対応してよいか分からず理性を失う。長女はお父さん子で、父親が居ないと不安になるらしくむずかしかった。
     当時は戦後の高度成長期で、企業戦士と言われ、男親はろくに家にいない。家庭は母親が守るのが当然とされた。夫は兄の事業を手伝うべく、十日町への転職を進めていたので、月の半分を東京と十日町を掛け持ちしていた。 
     幼児期の娘は父親が留守になると、途端に体調を崩しぐずり出す。自家中毒との事。未熟だった私は、娘より私の方が泣きたい位で、思わず頬を平手打ちした。娘も痛かっただろうが、打った私のほうも嫌な思いと痛みが心に残っている。
     次女はもう少し成長した頃、三~四年生頃だったろうか、普段から食べ物に関しては特に厳しくしていた。ある日、その次女が思わず一言「食うものがねぇ」といったのだ。即座に平手打ちをした。そんなに強くしたつもりは無かったのに、次女はすとんと尻もちをついて座り込んだ。これには私も驚いたし、傍にいた姉・兄ともにびっくりして恐れおののいた。
     何十年もたったある時、次女が話した。自分でもすぐにまずい!! と思ったが、即、平手が飛んできたとか。当人もそばにいた姉・兄も決して食べ物には不平を以前にもまして言わなくなった。
     女の子に挟まれた息子は、悪さをしなかったわけでもなく、叱られるようなことも言ったにも拘わらず、罰を与えられなかった。いたずら盛りの頃、空手を習っていた息子は、私が頬を打とうとしても、拳を握った手をさっと自分の顔と頭をかばうように私の手を遮った。さすがに頭や顔は打ってはいけないと思って、彼のお尻に手を回すとその手首を握って押さえつけられた。目的は果たせないままだった。
     そのうえ今は、パソコンだ、スマホだと、何かにつけて彼に頼っていて、叱られるのはこちらばかり。ついこの間も「そんな暗いところで小さな字を見ていると、目を悪くするよ」と注意すると、さっそくスマホ開いて【そんなことはない、読めてさえいれば明るさは関係ない】とのたまう。
    昭和の常識、現代の非常識だそうだ。時代も変わったものだ。

    2024年2月24日号

  • 日本が群を抜いているかも

    「お祓い」という行事

    清水 裕理 (経済地理学博士)

     2024年が始まってから一ヶ月、節分が過ぎ立春を迎え、新しい年が本格的に動き出しました。
     4月の入学や就職に向け、大学に進学しようとする高校生は入試で希望する先を決めて個別試験に、小学校に上がるお子さんのいるご家庭では、ランドセルを何色にしようか選び始めている頃と思います。
     節分(毎年2月3日)は、各季節の始まりの前日のことを指し、今は一般的に、春の節分のことをいうようになりました。
     この日に神社などでは、「節分祭」と称するお祓いの行事が行われ、一緒に豆撒きも行われます。「♪ 鬼わーそと ふくわーうち」「♪ ふくわーうち ふくわーうち」と豆を投げ、最近は家庭で恵方巻きを食することとセットで行われるようになりました。豆撒きをすると、気分が高揚するようで、大人も子供も大声を出して盛り上がります。
     節分祭のほかにも、6月30日に半年分のケガレをとる「夏越(なごし)のお祓い」があります。神社の境内に、茅(ちがや)という草で編んだ「茅の輪」が準備され、それをくぐると、和気あいあいとした雰囲気となります。
     和気あいあいと言えば、家族や友達と食事をしながら楽しめる花火大会も、もともとは「火」によるお祓いの意味合いを含むことが多くあります。花火にお祓いの意味があるのを知らなかったとしても、花火が終わったあと、周りの空気に清々しさを感じるのは私だけでしょうか。
     おそらく世界のなかをみても、このように日常の行事のなかに「お祓い」があり、埃やケガレを祓い、清々しさを感じる空間が広がっているのは、日本が群を抜いてのことかもしれません。
     外国の方が初めて日本に来たとき、成田空港や羽田空港の施設を〝ピカピカ〟と表現するくらいにきれいと言い、掃除が行き届いていることに驚きの声があがっていると聞きます。
     空港をあとにして街に出ても、行き交う道のほとんどにごみは落ちておらず、奇跡と思うようなレベルとして映っているようです。
     実際には、日本でも上下水道などのインフラが整備されてからのことかもしれませんが、このように気持ちのよい空間を共有し維持がされていることは、素晴しいことだと思います。
     私たちはそれを教え込まれるというわけではなく、日常生活のなかで、行事などに触れ、自然と身に付いているところがあるように感じます。
     最近よくないニュースを耳にすることが増えるなか、原点に戻って、よいなと思う話をしました。

    2024年2月10日号