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オピニオン一覧

  • 言説に流されず、だめはダメ

    内憂と外患、今日も悶々と

    斎木 文夫 (年金生活者)

     これを書いている2月28日、自民党の裏金問題をめぐる衆院政倫審が全面公開で開かれることになった。出席者は6人。森、二階、萩生田、下村各氏の出番はない。
     1人1時間くらいの言い訳をさせて、何も明らかにならずに、予算案がスーと通るようになったら、この国ダメだわ。
     今回の政倫審は派閥パーティー裏金に限っているが、茂木氏後援会では2016年~19年の使途不明金が1億2千万円以上、20年~22年の使途不明金が9400万円との報道もある(2月26日『毎日』)。
     茂木氏の資金管理団体から後援会に多額の寄付が流れ、その先が使途不明となっている。資金管理団体と後援会の住所、会計責任者は同一であっても、後援会は政治資金規正法で言う「国会議員関係政治団体」でないから、法的にはお金の使途を明らかにする必要はない。「脱法的行為で悪質だ」と専門家は言う。
     これは、茂木氏だけではなく、自民党だけでもないような気がする。誰か、ぜんぶ調べて明らかにしてもらえないものか。ダメな奴はぜんぶ落としてやる。ことは単純だ。落としてやればいいのだ。
     ロシアのウクライナ侵攻から2年。ウクライナの苦戦は続き、西側諸国の支援疲れも表面化してきた。もしロシアが勝ったら、また、プーチンは核使用をチラつかせており、日本もオンブしている核抑止力という約束事が吹き飛んだら、今の国際秩序は崩壊してしまう。
     もう一つの戦争、イスラエルのパレスチナ自治区侵攻にあたって、アメリカのイスラエル寄りの態度が事態をややこしくしている。
     2つの戦争を前に、日本はどうすべきか。だが、日本の政府与党にそんな力はない。では、私たちはどうしたらよいのか。いくらニュース番組の解説を聞いても、本を読んでも、議論をしても、簡単に答えは出ない。悶々とする毎日だ。
     「お前が心配する必要はない」とそしられるのは承知の上だ。でも、私たちのあらゆる生活場面は政治と関わりがあり、地方政治と中央政治、国内政治と国際政治はつながっているというのが私の考えだ。心配せずにはいられない。
     答えの出ない中、右か左か、簡単で分かりやすい言説に流されるのはやめようと思う。「多様性」にカヅケて「誰がどう考えたっていいじゃないか」と開き直り、思考を停止し、分断を容認することもだ。今は毎日悶々としているのが、私には似合っている。

    2024年3月2日号

  • 「昭和の常識」、現代の非常識だそうだが…

    我が子育てを想う

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     最近、幼子への虐待のニュースが痛ましい。毒を飲ませたとか、冬の浴室に水を浴びせて閉じ込めたとか! 改めてここに書くのもおぞましい。宝物である子どもに、よくもまあ酷い事が出来るなあと思う。
     でも思い出してみると、自分も我が子に手を挙げたことがあった。一人っ子で育ち、幼くして共に育った経験がない。訳も解らず泣き叫ぶ子どもに、どう対応してよいか分からず理性を失う。長女はお父さん子で、父親が居ないと不安になるらしくむずかしかった。
     当時は戦後の高度成長期で、企業戦士と言われ、男親はろくに家にいない。家庭は母親が守るのが当然とされた。夫は兄の事業を手伝うべく、十日町への転職を進めていたので、月の半分を東京と十日町を掛け持ちしていた。 
     幼児期の娘は父親が留守になると、途端に体調を崩しぐずり出す。自家中毒との事。未熟だった私は、娘より私の方が泣きたい位で、思わず頬を平手打ちした。娘も痛かっただろうが、打った私のほうも嫌な思いと痛みが心に残っている。
     次女はもう少し成長した頃、三~四年生頃だったろうか、普段から食べ物に関しては特に厳しくしていた。ある日、その次女が思わず一言「食うものがねぇ」といったのだ。即座に平手打ちをした。そんなに強くしたつもりは無かったのに、次女はすとんと尻もちをついて座り込んだ。これには私も驚いたし、傍にいた姉・兄ともにびっくりして恐れおののいた。
     何十年もたったある時、次女が話した。自分でもすぐにまずい!! と思ったが、即、平手が飛んできたとか。当人もそばにいた姉・兄も決して食べ物には不平を以前にもまして言わなくなった。
     女の子に挟まれた息子は、悪さをしなかったわけでもなく、叱られるようなことも言ったにも拘わらず、罰を与えられなかった。いたずら盛りの頃、空手を習っていた息子は、私が頬を打とうとしても、拳を握った手をさっと自分の顔と頭をかばうように私の手を遮った。さすがに頭や顔は打ってはいけないと思って、彼のお尻に手を回すとその手首を握って押さえつけられた。目的は果たせないままだった。
     そのうえ今は、パソコンだ、スマホだと、何かにつけて彼に頼っていて、叱られるのはこちらばかり。ついこの間も「そんな暗いところで小さな字を見ていると、目を悪くするよ」と注意すると、さっそくスマホ開いて【そんなことはない、読めてさえいれば明るさは関係ない】とのたまう。
    昭和の常識、現代の非常識だそうだ。時代も変わったものだ。

    2024年2月24日号

  • 日本が群を抜いているかも

    「お祓い」という行事

    清水 裕理 (経済地理学博士)

     2024年が始まってから一ヶ月、節分が過ぎ立春を迎え、新しい年が本格的に動き出しました。
     4月の入学や就職に向け、大学に進学しようとする高校生は入試で希望する先を決めて個別試験に、小学校に上がるお子さんのいるご家庭では、ランドセルを何色にしようか選び始めている頃と思います。
     節分(毎年2月3日)は、各季節の始まりの前日のことを指し、今は一般的に、春の節分のことをいうようになりました。
     この日に神社などでは、「節分祭」と称するお祓いの行事が行われ、一緒に豆撒きも行われます。「♪ 鬼わーそと ふくわーうち」「♪ ふくわーうち ふくわーうち」と豆を投げ、最近は家庭で恵方巻きを食することとセットで行われるようになりました。豆撒きをすると、気分が高揚するようで、大人も子供も大声を出して盛り上がります。
     節分祭のほかにも、6月30日に半年分のケガレをとる「夏越(なごし)のお祓い」があります。神社の境内に、茅(ちがや)という草で編んだ「茅の輪」が準備され、それをくぐると、和気あいあいとした雰囲気となります。
     和気あいあいと言えば、家族や友達と食事をしながら楽しめる花火大会も、もともとは「火」によるお祓いの意味合いを含むことが多くあります。花火にお祓いの意味があるのを知らなかったとしても、花火が終わったあと、周りの空気に清々しさを感じるのは私だけでしょうか。
     おそらく世界のなかをみても、このように日常の行事のなかに「お祓い」があり、埃やケガレを祓い、清々しさを感じる空間が広がっているのは、日本が群を抜いてのことかもしれません。
     外国の方が初めて日本に来たとき、成田空港や羽田空港の施設を〝ピカピカ〟と表現するくらいにきれいと言い、掃除が行き届いていることに驚きの声があがっていると聞きます。
     空港をあとにして街に出ても、行き交う道のほとんどにごみは落ちておらず、奇跡と思うようなレベルとして映っているようです。
     実際には、日本でも上下水道などのインフラが整備されてからのことかもしれませんが、このように気持ちのよい空間を共有し維持がされていることは、素晴しいことだと思います。
     私たちはそれを教え込まれるというわけではなく、日常生活のなかで、行事などに触れ、自然と身に付いているところがあるように感じます。
     最近よくないニュースを耳にすることが増えるなか、原点に戻って、よいなと思う話をしました。

    2024年2月10日号

  • 人類に猛省を促すこの地球

    季節が変わり環境が壊れゆく

    長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)

     大寒の翌日、中津川に水が出て、川岸の雪を払って下って行った。本来なら1月の20日ということは まだ春浅く集落の廻り全体が雪に埋もれている時であり、秋山では2月の12日頃が最も寒い時期で、一番荒れると云い伝えられている。
     ここ数十年に渡る地球環境の変化によって気候も予測がつかなくなってしまったようだ。
    昨年の冬も左程雪が降ったという記憶はない。その代わり暑い春夏秋を過ごした。今年の冬にしたって雪は、降るには降るのだが地球の気温上昇のためか例年のような冬の寒さは少ない。春夏秋冬の四季も変わってしまい暑い時期と寒い時期の二極化で1年が過ぎるのではないかと余計なことを心配してしまう。
     樹木にも意志があるというレポートを見た。大木は立っているだけではなく、陽の指す方向に向けて年に1㍉でも移動している。人間と同じで目立ちたがり屋の木もあればおっとりした性格の木もあるのだろう。
     師走に飯山の千曲川土手に数本、桜が恥らいながらも咲いていたし、上野の桜も花をつけているのを見た。今年の冬はちょっと違うなと感じていた頃に見た中津川大寒の日の大水だった。
     そう云えば昨年は秋山で夏場に水が減って困ったことがあった。その後も水の量は増えていない。作物の生産者にしても、都市で暮らす人間にしても水が無くなることは暮らしに直結することでもある。
     能登半島地震で被災した人たちが身を寄せる避難所で、水不足に苦しんでいる映像を見る。そんなことが日本中何処でも起こるのかも知れない。
     平凡な暮らしがだんだん難しくなって、当たり前に感じていることが出来なくなるのじゃないだろうか。
     地球環境の変化が日々の日常のなかで実感できる現実になって飛び込んで来る。小雪だった冬の付けが夏に押しかけて来ないためにも、やはり冬は寒く、雪が積もり春になって暖かい日差しが雪を融かし、水に変えて流れなければ地球のリズムが狂うことになる。地球環境を今守らなければこれからの私達の先が見えなくなってしまう。
     そんな差し迫った状況でもある世界には、長くなりそうな戦争が続き、大国の権威主義的な指導者は同じように自国の正当性を主張し、自国が滅びでもすれば世界が滅んでも構わないと言わんばかりだ。
     日本でも政治をつかさどる保守党議員は二世議員ばかり目立つようになって、順々と親がやって来た政治を踏襲するだけのように見える。 
     環境を心配する農業者や学者達の心配をよそに「な~に冬の餅代、夏の氷代を止める」と言って派閥を解散すれば裏金問題をやり過ごし、当座をしのげると思っているだけなのだろうか? 今この時、世界で起こっている問題は根が深く、こうなればしようがない国民が舵を取るしかない、次の選挙の結果でだ! 
     樹木に意志があると云うのなら、地球にこそ意志があって80億にも増えた人類が、戦争や開発の名目で勝手に地球を荒らし廻る行為に対して怒っているはずだ。地殻変動やエイズ、コロナなど新種のウイルスで人間に反省を求め、環境を厳しく変えて人類に猛省を促しているようだ。
     私が生きて来た時代が問題で、それに加担した責任をどうしたらいいのか分らないのだ。 
     何となればこれからを生きる現在の文明にさらされていない新しい世代を信じて、もう少し息を詰めて暮らすしかない…。

    2024年2月3日号

  • 表日本・裏日本? 能登地震が教える視点

    富山県制作の環日本海諸国図

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     能登の地震災害ではっきり分かったことがある。一つはこの国では原発との共存はできないということ。志賀原発や柏崎刈羽原発が運転停止していて、放射能災害が起こらなかったことは私は奇跡に近いと思っている。4㍍も隆起する地殻変動では冷却水すら得られない。運転期間60年に延長する原発推進法など以ての外、政府は自然の脅威を福島の災害から何も学んでいない。能登半島の道路は寸断され、港が隆起して船も近づけず、住民の避難が困難なこともよく分かった。
     二つ目は政府の災害対応がとにかく遅く、何としても国民を救うという当たり前の動きが止まっていたこと。元日というタイミングだったが災害に正月休みなどあるわけなく、後手後手の逐次投入だった。政財界の新年会が大事だった? 検察が入る前の隠蔽が忙しかった? つまり災害時も自助ってこと? と邪推したくなるほどイライラした。今後どんな災害が起こってもこの機能停止に近い状態が起こるから国民は覚悟しなければならない。
     ここからどう復興支援するかという難題をこの政権はクリアできるのだろうか。人口減少が急速に進み元通りにはならない。移住を選択する人もいるし、能登で暮らすことが幸せという人もいる。東北の災害後より難しいと感じるのは、復興についても政府の中に能登は裏日本の辺鄙な過疎地といった偏りが垣間見えるからだ。
     「あれれ? 日本列島が逆さまだよ」と思う地図がある。写真は富山県が制作した環日本海諸国図というもの。だから富山県が中心で南北は逆だけどこの向きで正しい。これを見ていると表日本・裏日本という言い方はおかしいなと思う。現に戦前は日本海側と太平洋側は人口も経済も大差はなく、もっと昔の北前船交易の頃は太平洋側より日本海側が主たる物流を担っていて、能登や加賀には豪商もあり文化交流盛んな表側だった。今でも大阪名物は北海道産の昆布の佃煮だし、輪島や佐渡、山形には上方の風習が残り、航路が見えるようだ。政府は近い将来起こると言われる南海トラフ地震で、太平洋沿岸に壊滅的被害を想定している。であればこの機に日本海物流の港湾整備をしておくのが重要だと思う。首都圏に電力を送るために原発を並べるだけが日本海側の役目ではない。
     それにこの地図を見ていると日本は近隣諸国と仲良くすることが大切と感じざるを得ない。ロシア・中国・北朝鮮・韓国と日本列島は手をつないで輪のように並んでいる…と思えるのは私だけだろうか?

    2024年1月27日号

  • 自民党の裏金問題、実態解明を

    政治とカネ

    斎木 文夫 (年金生活者)

     11日、自民党は派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受け、政治刷新本部の初会合を開きました。メンバー38人の中で主要派閥の会長が要職を占め、「ドリル優子」や、問題の安倍派議員が10人も含まれているあたり、本気で「刷新」する気がないことが見え見えです。
     12月16日付けの本紙社説では、国民のさらなる政治不信の増大を憂い、「自民党支持の皆さん、なぜ怒らないのか」と書いています。
     2万9千人ほどの市区町村議会議員の所属党派を見ると、自民党が2千人余で、無所属が2万人余(令和4年12月31日現在、総務省)。私は、無所属のほとんどが自民党籍を持つか、自民党支持者なのではないかと思っています。地方議員の皆さん、なぜ怒らないのか。その気があれば、議会としての態度表明だってできるのに。
     まあ、怒らないのも分かります。「政治とカネ」の問題は自民党に伝わる伝統芸能みたいなもの。政治資金パーティーは十八番ですからね。
     私たちは人を愛するとき、その人の良いところも悪いところも全部ひっくるめて、愛してしまいます。自民党を愛している人もそうなのです。きっと、「またしくじっちゃったね」と笑って許してる。「いいのよ。私の愛は変わらない。今度はもっとうまくやろうね」と思ってる。
     そうじゃないとしたら、すごく忘れっぽい人たちなのでしょう。自民党の偉い人は、仲間が失敗するたびに「調査する」、「丁寧に説明をさせる」と言ってきました。しかし、私は丁寧な説明を受けた覚えがありません。偉い人は、経験的に「そうこうしているうちに国民は忘れてくれる」と思っています。
     刷新本部の設置によって国民の関心は自民党の派閥解消に移ってしまいましたが、今やるべきは実態の解明ではないでしょうか。安倍派だけでなく、自民党全体の裏金作りの実態を明らかにするのが先では。
     検察のリーク頼りのマスコミも本気を出してもらいたい。検察は安倍派幹部の立件を断念したとか。だとしたら、真相は闇の中に消えます。
     そして、刷新本部では、パーティー券収入を裏金でない合法的な金にするためのルール改正が進められるのでしょうか。
     でも、自民党支持でない国民は忘れません。モリ、カケ、サクラ、旧統一教会……。年配の人は、ロッキード、リクルート、東京佐川急便……。今後もお忘れなきよう。

    2024年1月20日号

  • せめてお正月ぐらいは、と思ったが…

    人知を超える天災

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

    気持ちよく晴れ上がって、すがすがしい新年の幕開けであった。年越しを一緒に過ごした子ども・孫たちとお祝いを済ませて初詣に出かけた。何事もなくこんな穏やかな時間がありがたいねと言いつつ。 
     せめてお正月はこれが一番と思っていたところ、けたたましい携帯の緊急メール。マナーモードにしていない人の分が鳴り出した。ゆらーん、ゆらーんと揺れている。結構長く感じるほど揺れた。テレビが石川県能登地方の激震を叫んでいる。
     長男のお嫁さんは石川県小松の人。皆で青くなった。何とか連絡が取れて、被害はあったものの、命の支障はないとの事でホッとはした。いつまでもいつまでも緊急地震速報ばかり、十日町は大丈夫か? あの人この人と次々心配になる。電話に飛びつきたいが、回線を塞ぐ事になるのもやってはいけない。
     2004年10月の中越地震が甦る。30年近く前の阪神淡路大地震、次々思い出される。神戸で育ち、離れてから40年近く経っているとはいえ生まれ故郷だ。当時は携帯などなく電話をかけ続けるが、全然繋がらない。公衆電話がつながりやすいと聞いて、近くのNTTへ飛んで行ったりした。
    能登半島の形が竜の頭に見え、しっぽのあたりであろう千葉でも大ゆれだ。竜神さまは何にお怒りなのだろう⁉、不遜傲慢な人間どもに鉄槌を下されたのか? 我が身を振り返っても、ずいぶん楽な生き方をしていると気になってはいた。つつましさに欠けた昨今だと自覚はしている。では鉄槌は私に下されなければならない。今回の地域の人に下されるのは理不尽だ。
     世の中を不幸にする原因は多々ある。大別してみると、天災と人災に分けられるかも。人災のトップは何といっても戦争だ。何時までも無くなることなく、むしろ広がっている。世界中で平和を希求しているというのに。人災に比べて天災は人知の及ぶところでない。
     一番怖いのは地震であろう。地震がなければ津波はないのでは? それだけではない風水害、異常気象、数えていると呼び込みそうで怖くなる。 心配で心配での筈なのに、時間が経つと談笑している。翌日は箱根駅伝で山の妖精と呼ばれている評判の山本さんを応援している有様。
     成人になったばかりの孫は、東日本大震災のことを話す。戦後の情景が身に沁みついている私は、全国国中が壊滅状態だった当時より、支援ができる地域のほうが多いことを救いだと思っている。

    2024年1月13日号

  • ライドシェア? 自動運転? まだまだ

    どうする地域の「足」

    村山 朗 (会社員)

     飯山線の一部区間の乗客が極端に少なく、廃止の可能性が取りざたされています。筆者は昨夏、一日2本しかない只見線直通列車を半日かけて、始発駅・会津若松から終着駅の小出まで乗車しました。平日でしたが、2両編成の車両はほぼ満員。 
     只見線は景色の良さが知られていますが、絶景と称される場所でも列車から見る視点と外から撮影した景色が全然違うこともありました。まあ、その辺は大目に見るとして(笑)。
     のんびりとした時間が流れ、とてもいい旅でした。飯山線も只見線に劣らず素晴らしい景色が沢山あります。酒蔵もあります。工夫次第でいくらでも全国の乗り鉄、撮り鉄、飲み鉄の皆さんを呼べるのではないでしょうか?
     一方、現実には筆者も旅行にでも出ない限り、普段は鉄道に乗ることはありません。先日の新聞に、日常の交通手段について専門家の調査結果が載っていました。コロナ前の令和元年度の全国輸送人員の27%が鉄道、バスが5%、タクシーが1%、自家用車が67%、それが過疎化の進む四国では鉄道が3%で、バスとタクシーがそれぞれ各1%、全体の94%が自家用車だったそうです。この四国地域の調査結果は、当地域の実態とほぼ一致するのではないでしょうか。地方では自家用車がないと移動が不自由な現実を、数字が物語っています。
     近ごろは高齢者の交通事故が大きく報道されます。実際の事故率は高齢者だからといって特に多いわけではなく、偏見を助長するような報道には一高齢者として怒りを覚えます。マスコミを含め周りから免許を返上しろ、と圧力がかかるわけですね。
     免許を返上した高齢者は運転する同世代の人と比べると、認知症になりやすいという研究報告もあります。自由に外出し行動できるかどうかは、すべての世代で健康の維持に大きくかかわってきます。
     また、新しい交通手段としてライドシェアや車の自動運転があります。ライドシェアとは、自家用車を所有者自身が空き時間を利用して、アプリに登録した乗客を運ぶことを言い、海外ではかなり普及しています。我が国では白タクと呼んで不安視し、業界団体の反対もあってすぐには格安な交通手段にはなりそうにありません。
     自動運転は地方の交通量の少ない地域に馴染みやすいと思いますが、コストと運転精度の問題を克服するにはまだ時間がかかりそうです。
     当地での交通手段は、まだまだ自家用車が一番。自分がいつまで運転できるか、切実な問題です。

    2024年1月6日号

  • 国民生活の安定や安全は

    今年を振り返って

    清水裕理 (経済地理学博士)

     今年も寒くなり年末が近づいてきました。2023年はどのような一年でしたでしょうか。時代が変化し、その具体的な動きが見え始めてきた、そんな一年でもありました。コロナ、ウクライナや中東の紛争をきっかけに、80〜100年単位と言われる新時代を迎える前の変化が、加速したようにも思います。
     コロナによって加速したことの一つは、少子高齢化と働き方への影響です。例えば、地元の個人商店の閉店が増えました。地元には長年にわたって愛されてきた食堂やお菓子屋さんなどがあります。なかには、店主が高齢となってきて、今後お店をどうしようかと考えていた方々がいたと思います。 
     それがコロナをきっかけに、お店を閉める判断を早められた方々がいらっしゃるように見えました。お店のファンからすると、コロナがなければ、お店をもう少し続けてくれていたかもしれない…後継者が出てきたかもしれない…と思ってみたりして残念に感じてしまいます。
     ウクライナや中東の紛争によって加速したことの一つは、それまでのグローバル化の進展が青信号から黄色信号になったことです。
     グローバル化とは、国境を超えた資本や労働力の移動および貿易や海外への投資が活発となることで、世界との経済的な結びつきが深まることを指します。
     今後も世界との経済的な結びつきがなくなることはありませんが、今回の紛争で地政学リスクが高まり、小麦などの食糧や石油・ガスなどのエネルギーを輸入していた国々に深刻な事態が生じました。製造業においても、海外から部品の調達が従来通りできなくなり工場で製品が作れなくなるという影響がありました。
     地政学リスク(紛争などの緊張の高まりが、その地域や世界経済に与える影響のこと)という言葉は、少なくともここ30年は使われることがなかったと記憶していますが、最近はよく使われるようになりました。
     私たちが海外旅行をする際も、世界で起きている或いは起きるかもしれない紛争を、ここまで意識することはなかったと思います。
     来年の世界は選挙の年と言われ、1月に台湾総統選、3月にロシア大統領選、4月に韓国総選挙とインド総選挙、11月に米国大統領選があり、日本への影響が注目されます。
     日本国内は、今まで先伸ばしにしていた、建物や設備の更新が増えるなどして景気がよくなるとも言われています。そして、それが国民生活の安定や安全に繋がるかどうか…重要なことだと思います。

    2023年12月23日号

  • 日大闘争とアメフト事件、JRの居丈高な恫喝

    憂さ晴らしスイッチオン

    長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)

     移転工事が終わって、引越しが一応済み、その片付けは暖かくなってからだと決めている。それまでは冬ごもりの熊よろしく疲れた身体の回復を待つだけだ。これといって病状が出て来たというこではないが、ただ気力が無いのだ。ふらつく、転ぶ、忘れる、震える、こぼす、漏らすといった老人特有のだらしなさがグンと多くなったと云うことなのだ。
     そんななか、どうにか中津川右岸のひとつの家に紛れこむことが出来ただけでその集落の一員として地歩を得た。
     長い間一軒家に暮らしていたせいか、自分がこのような集落に住んで、その集落を自立させるためのシステムに慣れていないことにも気が付いた。何も分からないのである。 
     ただ75歳老人だけれど、一番若い青年部員として少しずつ地域の事を覚えて行かなければならない事の面倒にも立ち至るのだ。
     師走になり少しずつ冬らしくなって2㌢10㌢5㌢と白いものがこちらの気持ちを試すように厚みを変えて行く。雪踏み支援員という制度もあって、お上からそれを頼まれたりして、朝早くトイレに起きたついでに電灯のスイッチを探しながら積雪の状況なんぞを確認したりすることから一日が始るようになった。
     そんなことひとつとっても、集落を維持するとはなかなか大変なんだとつくづく気付いた。左岸でひとり暮らしていた頃が天国だったなぁ~とあらためて感じもした。
     今年、師走の天気は何となく穏やかで、そうなると周りを見回す余裕が出来たのだろう、少しずつ飯山線の話だとか日大アメフト部の事件だとか、大阪の万博の状況やそれを映すNHKテレビのことなどに目が行くようにもなった。みんなどうでもいいようなことなのだけれど、ひとつ気散じのつもりで見て感じてみようと思った。
     ずいぶん昔だが、日大闘争の頃、そこにいた者として思えばこの学校は何もその後、学習していないのだなと思った。もっとも7万人の学生の授業料が生み出す巨額な資金の上であぐらをかいて、上手い汁を吸っていた人間にとっては、昔の儘のおとなしい日大生でなければならないのだろう。 
     作り出される資金でうまい汁を吸っている人間にとっては面倒が一番の敵で、中間管理職向きの学生をつくる日大でなければならないのだろう。 経営者達は押し詰められれば、デモ隊の頭に鉄アレーも平気で投げ下ろして来たのだから、アメフト部の大麻騒動もまだまだ大したことではないと云うことなのだ。
     先日の本誌で飯山線が全線での運行が危なくなったという話を読んだ。津南から戸狩野沢間の営業赤字がとんでもないということでJRはひとつの告示をしたようである。 
     つまり地域国民に対して、このままでは廃線になるよ! そうならないために何かいい案を出せという! 出なければこの区間の列車を止めることになるという。私には、文句がある奴はかかってこいとばかりに居丈高な恫喝に聞こえた。
     でも、その区間には「足滝」というとんでもないめずらしい不思議な駅もある。だれも下りない乗らない伝説的な駅でもあるのだ。そりゃ今でこそ誰でも車を持つ時代だから、足滝から乗車しろとは言わないが、そもそもJRは旧国有鉄道時代には多くの乗客も乗ったのだ。そして高度成長の頃は多くの若者がここから金のタマゴとして日本を支えたのだ。外国の鉄道ファンがこぞって飯山線の「足滝」を、カメラを持って訪れる要素はきっとあるはずである。
     JRという会社はそもそもこの国の税金で造られ、国の基盤を支えた会社の支線なのだ。今の新幹線の技術や列車運行システムもそこから出発している。ただ赤字だからと地域を捨てるような会社であるならば、そのうち在来線を全廃して、新幹線を在来線化し、リニアを新新幹線として生き残ろうとしているのではないかと、うがった見方も出て来てしまう。そんなことをしていたら元国有鉄道のJRは倒産の憂き目に逢うのじゃないだろうか!
     もっとも万博の現状やら、NHKのBSプレミアムが消えたりとこの国の大きな会社はJRと似たもので何だか右往左往しているようだ。
     この国はなかなか良い国なのだけれど、上に立つ人たちに必死さが見えないようだ!
     ここまで言いたい事を書いたけれど、みんな思っていることは言った方が疲れが消える。病院で処方される薬が病気を直すのではないと、何となく気が付いた!

    2023年12月16日号

  • 言説に流されず、だめはダメ

    内憂と外患、今日も悶々と

    斎木 文夫 (年金生活者)

     これを書いている2月28日、自民党の裏金問題をめぐる衆院政倫審が全面公開で開かれることになった。出席者は6人。森、二階、萩生田、下村各氏の出番はない。
     1人1時間くらいの言い訳をさせて、何も明らかにならずに、予算案がスーと通るようになったら、この国ダメだわ。
     今回の政倫審は派閥パーティー裏金に限っているが、茂木氏後援会では2016年~19年の使途不明金が1億2千万円以上、20年~22年の使途不明金が9400万円との報道もある(2月26日『毎日』)。
     茂木氏の資金管理団体から後援会に多額の寄付が流れ、その先が使途不明となっている。資金管理団体と後援会の住所、会計責任者は同一であっても、後援会は政治資金規正法で言う「国会議員関係政治団体」でないから、法的にはお金の使途を明らかにする必要はない。「脱法的行為で悪質だ」と専門家は言う。
     これは、茂木氏だけではなく、自民党だけでもないような気がする。誰か、ぜんぶ調べて明らかにしてもらえないものか。ダメな奴はぜんぶ落としてやる。ことは単純だ。落としてやればいいのだ。
     ロシアのウクライナ侵攻から2年。ウクライナの苦戦は続き、西側諸国の支援疲れも表面化してきた。もしロシアが勝ったら、また、プーチンは核使用をチラつかせており、日本もオンブしている核抑止力という約束事が吹き飛んだら、今の国際秩序は崩壊してしまう。
     もう一つの戦争、イスラエルのパレスチナ自治区侵攻にあたって、アメリカのイスラエル寄りの態度が事態をややこしくしている。
     2つの戦争を前に、日本はどうすべきか。だが、日本の政府与党にそんな力はない。では、私たちはどうしたらよいのか。いくらニュース番組の解説を聞いても、本を読んでも、議論をしても、簡単に答えは出ない。悶々とする毎日だ。
     「お前が心配する必要はない」とそしられるのは承知の上だ。でも、私たちのあらゆる生活場面は政治と関わりがあり、地方政治と中央政治、国内政治と国際政治はつながっているというのが私の考えだ。心配せずにはいられない。
     答えの出ない中、右か左か、簡単で分かりやすい言説に流されるのはやめようと思う。「多様性」にカヅケて「誰がどう考えたっていいじゃないか」と開き直り、思考を停止し、分断を容認することもだ。今は毎日悶々としているのが、私には似合っている。

    2024年3月2日号

  • 「昭和の常識」、現代の非常識だそうだが…

    我が子育てを想う

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     最近、幼子への虐待のニュースが痛ましい。毒を飲ませたとか、冬の浴室に水を浴びせて閉じ込めたとか! 改めてここに書くのもおぞましい。宝物である子どもに、よくもまあ酷い事が出来るなあと思う。
     でも思い出してみると、自分も我が子に手を挙げたことがあった。一人っ子で育ち、幼くして共に育った経験がない。訳も解らず泣き叫ぶ子どもに、どう対応してよいか分からず理性を失う。長女はお父さん子で、父親が居ないと不安になるらしくむずかしかった。
     当時は戦後の高度成長期で、企業戦士と言われ、男親はろくに家にいない。家庭は母親が守るのが当然とされた。夫は兄の事業を手伝うべく、十日町への転職を進めていたので、月の半分を東京と十日町を掛け持ちしていた。 
     幼児期の娘は父親が留守になると、途端に体調を崩しぐずり出す。自家中毒との事。未熟だった私は、娘より私の方が泣きたい位で、思わず頬を平手打ちした。娘も痛かっただろうが、打った私のほうも嫌な思いと痛みが心に残っている。
     次女はもう少し成長した頃、三~四年生頃だったろうか、普段から食べ物に関しては特に厳しくしていた。ある日、その次女が思わず一言「食うものがねぇ」といったのだ。即座に平手打ちをした。そんなに強くしたつもりは無かったのに、次女はすとんと尻もちをついて座り込んだ。これには私も驚いたし、傍にいた姉・兄ともにびっくりして恐れおののいた。
     何十年もたったある時、次女が話した。自分でもすぐにまずい!! と思ったが、即、平手が飛んできたとか。当人もそばにいた姉・兄も決して食べ物には不平を以前にもまして言わなくなった。
     女の子に挟まれた息子は、悪さをしなかったわけでもなく、叱られるようなことも言ったにも拘わらず、罰を与えられなかった。いたずら盛りの頃、空手を習っていた息子は、私が頬を打とうとしても、拳を握った手をさっと自分の顔と頭をかばうように私の手を遮った。さすがに頭や顔は打ってはいけないと思って、彼のお尻に手を回すとその手首を握って押さえつけられた。目的は果たせないままだった。
     そのうえ今は、パソコンだ、スマホだと、何かにつけて彼に頼っていて、叱られるのはこちらばかり。ついこの間も「そんな暗いところで小さな字を見ていると、目を悪くするよ」と注意すると、さっそくスマホ開いて【そんなことはない、読めてさえいれば明るさは関係ない】とのたまう。
    昭和の常識、現代の非常識だそうだ。時代も変わったものだ。

    2024年2月24日号

  • 日本が群を抜いているかも

    「お祓い」という行事

    清水 裕理 (経済地理学博士)

     2024年が始まってから一ヶ月、節分が過ぎ立春を迎え、新しい年が本格的に動き出しました。
     4月の入学や就職に向け、大学に進学しようとする高校生は入試で希望する先を決めて個別試験に、小学校に上がるお子さんのいるご家庭では、ランドセルを何色にしようか選び始めている頃と思います。
     節分(毎年2月3日)は、各季節の始まりの前日のことを指し、今は一般的に、春の節分のことをいうようになりました。
     この日に神社などでは、「節分祭」と称するお祓いの行事が行われ、一緒に豆撒きも行われます。「♪ 鬼わーそと ふくわーうち」「♪ ふくわーうち ふくわーうち」と豆を投げ、最近は家庭で恵方巻きを食することとセットで行われるようになりました。豆撒きをすると、気分が高揚するようで、大人も子供も大声を出して盛り上がります。
     節分祭のほかにも、6月30日に半年分のケガレをとる「夏越(なごし)のお祓い」があります。神社の境内に、茅(ちがや)という草で編んだ「茅の輪」が準備され、それをくぐると、和気あいあいとした雰囲気となります。
     和気あいあいと言えば、家族や友達と食事をしながら楽しめる花火大会も、もともとは「火」によるお祓いの意味合いを含むことが多くあります。花火にお祓いの意味があるのを知らなかったとしても、花火が終わったあと、周りの空気に清々しさを感じるのは私だけでしょうか。
     おそらく世界のなかをみても、このように日常の行事のなかに「お祓い」があり、埃やケガレを祓い、清々しさを感じる空間が広がっているのは、日本が群を抜いてのことかもしれません。
     外国の方が初めて日本に来たとき、成田空港や羽田空港の施設を〝ピカピカ〟と表現するくらいにきれいと言い、掃除が行き届いていることに驚きの声があがっていると聞きます。
     空港をあとにして街に出ても、行き交う道のほとんどにごみは落ちておらず、奇跡と思うようなレベルとして映っているようです。
     実際には、日本でも上下水道などのインフラが整備されてからのことかもしれませんが、このように気持ちのよい空間を共有し維持がされていることは、素晴しいことだと思います。
     私たちはそれを教え込まれるというわけではなく、日常生活のなかで、行事などに触れ、自然と身に付いているところがあるように感じます。
     最近よくないニュースを耳にすることが増えるなか、原点に戻って、よいなと思う話をしました。

    2024年2月10日号

  • 人類に猛省を促すこの地球

    季節が変わり環境が壊れゆく

    長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)

     大寒の翌日、中津川に水が出て、川岸の雪を払って下って行った。本来なら1月の20日ということは まだ春浅く集落の廻り全体が雪に埋もれている時であり、秋山では2月の12日頃が最も寒い時期で、一番荒れると云い伝えられている。
     ここ数十年に渡る地球環境の変化によって気候も予測がつかなくなってしまったようだ。
    昨年の冬も左程雪が降ったという記憶はない。その代わり暑い春夏秋を過ごした。今年の冬にしたって雪は、降るには降るのだが地球の気温上昇のためか例年のような冬の寒さは少ない。春夏秋冬の四季も変わってしまい暑い時期と寒い時期の二極化で1年が過ぎるのではないかと余計なことを心配してしまう。
     樹木にも意志があるというレポートを見た。大木は立っているだけではなく、陽の指す方向に向けて年に1㍉でも移動している。人間と同じで目立ちたがり屋の木もあればおっとりした性格の木もあるのだろう。
     師走に飯山の千曲川土手に数本、桜が恥らいながらも咲いていたし、上野の桜も花をつけているのを見た。今年の冬はちょっと違うなと感じていた頃に見た中津川大寒の日の大水だった。
     そう云えば昨年は秋山で夏場に水が減って困ったことがあった。その後も水の量は増えていない。作物の生産者にしても、都市で暮らす人間にしても水が無くなることは暮らしに直結することでもある。
     能登半島地震で被災した人たちが身を寄せる避難所で、水不足に苦しんでいる映像を見る。そんなことが日本中何処でも起こるのかも知れない。
     平凡な暮らしがだんだん難しくなって、当たり前に感じていることが出来なくなるのじゃないだろうか。
     地球環境の変化が日々の日常のなかで実感できる現実になって飛び込んで来る。小雪だった冬の付けが夏に押しかけて来ないためにも、やはり冬は寒く、雪が積もり春になって暖かい日差しが雪を融かし、水に変えて流れなければ地球のリズムが狂うことになる。地球環境を今守らなければこれからの私達の先が見えなくなってしまう。
     そんな差し迫った状況でもある世界には、長くなりそうな戦争が続き、大国の権威主義的な指導者は同じように自国の正当性を主張し、自国が滅びでもすれば世界が滅んでも構わないと言わんばかりだ。
     日本でも政治をつかさどる保守党議員は二世議員ばかり目立つようになって、順々と親がやって来た政治を踏襲するだけのように見える。 
     環境を心配する農業者や学者達の心配をよそに「な~に冬の餅代、夏の氷代を止める」と言って派閥を解散すれば裏金問題をやり過ごし、当座をしのげると思っているだけなのだろうか? 今この時、世界で起こっている問題は根が深く、こうなればしようがない国民が舵を取るしかない、次の選挙の結果でだ! 
     樹木に意志があると云うのなら、地球にこそ意志があって80億にも増えた人類が、戦争や開発の名目で勝手に地球を荒らし廻る行為に対して怒っているはずだ。地殻変動やエイズ、コロナなど新種のウイルスで人間に反省を求め、環境を厳しく変えて人類に猛省を促しているようだ。
     私が生きて来た時代が問題で、それに加担した責任をどうしたらいいのか分らないのだ。 
     何となればこれからを生きる現在の文明にさらされていない新しい世代を信じて、もう少し息を詰めて暮らすしかない…。

    2024年2月3日号

  • 表日本・裏日本? 能登地震が教える視点

    富山県制作の環日本海諸国図

    藤ノ木信子 (清津川に清流を取り戻す会)

     能登の地震災害ではっきり分かったことがある。一つはこの国では原発との共存はできないということ。志賀原発や柏崎刈羽原発が運転停止していて、放射能災害が起こらなかったことは私は奇跡に近いと思っている。4㍍も隆起する地殻変動では冷却水すら得られない。運転期間60年に延長する原発推進法など以ての外、政府は自然の脅威を福島の災害から何も学んでいない。能登半島の道路は寸断され、港が隆起して船も近づけず、住民の避難が困難なこともよく分かった。
     二つ目は政府の災害対応がとにかく遅く、何としても国民を救うという当たり前の動きが止まっていたこと。元日というタイミングだったが災害に正月休みなどあるわけなく、後手後手の逐次投入だった。政財界の新年会が大事だった? 検察が入る前の隠蔽が忙しかった? つまり災害時も自助ってこと? と邪推したくなるほどイライラした。今後どんな災害が起こってもこの機能停止に近い状態が起こるから国民は覚悟しなければならない。
     ここからどう復興支援するかという難題をこの政権はクリアできるのだろうか。人口減少が急速に進み元通りにはならない。移住を選択する人もいるし、能登で暮らすことが幸せという人もいる。東北の災害後より難しいと感じるのは、復興についても政府の中に能登は裏日本の辺鄙な過疎地といった偏りが垣間見えるからだ。
     「あれれ? 日本列島が逆さまだよ」と思う地図がある。写真は富山県が制作した環日本海諸国図というもの。だから富山県が中心で南北は逆だけどこの向きで正しい。これを見ていると表日本・裏日本という言い方はおかしいなと思う。現に戦前は日本海側と太平洋側は人口も経済も大差はなく、もっと昔の北前船交易の頃は太平洋側より日本海側が主たる物流を担っていて、能登や加賀には豪商もあり文化交流盛んな表側だった。今でも大阪名物は北海道産の昆布の佃煮だし、輪島や佐渡、山形には上方の風習が残り、航路が見えるようだ。政府は近い将来起こると言われる南海トラフ地震で、太平洋沿岸に壊滅的被害を想定している。であればこの機に日本海物流の港湾整備をしておくのが重要だと思う。首都圏に電力を送るために原発を並べるだけが日本海側の役目ではない。
     それにこの地図を見ていると日本は近隣諸国と仲良くすることが大切と感じざるを得ない。ロシア・中国・北朝鮮・韓国と日本列島は手をつないで輪のように並んでいる…と思えるのは私だけだろうか?

    2024年1月27日号

  • 自民党の裏金問題、実態解明を

    政治とカネ

    斎木 文夫 (年金生活者)

     11日、自民党は派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受け、政治刷新本部の初会合を開きました。メンバー38人の中で主要派閥の会長が要職を占め、「ドリル優子」や、問題の安倍派議員が10人も含まれているあたり、本気で「刷新」する気がないことが見え見えです。
     12月16日付けの本紙社説では、国民のさらなる政治不信の増大を憂い、「自民党支持の皆さん、なぜ怒らないのか」と書いています。
     2万9千人ほどの市区町村議会議員の所属党派を見ると、自民党が2千人余で、無所属が2万人余(令和4年12月31日現在、総務省)。私は、無所属のほとんどが自民党籍を持つか、自民党支持者なのではないかと思っています。地方議員の皆さん、なぜ怒らないのか。その気があれば、議会としての態度表明だってできるのに。
     まあ、怒らないのも分かります。「政治とカネ」の問題は自民党に伝わる伝統芸能みたいなもの。政治資金パーティーは十八番ですからね。
     私たちは人を愛するとき、その人の良いところも悪いところも全部ひっくるめて、愛してしまいます。自民党を愛している人もそうなのです。きっと、「またしくじっちゃったね」と笑って許してる。「いいのよ。私の愛は変わらない。今度はもっとうまくやろうね」と思ってる。
     そうじゃないとしたら、すごく忘れっぽい人たちなのでしょう。自民党の偉い人は、仲間が失敗するたびに「調査する」、「丁寧に説明をさせる」と言ってきました。しかし、私は丁寧な説明を受けた覚えがありません。偉い人は、経験的に「そうこうしているうちに国民は忘れてくれる」と思っています。
     刷新本部の設置によって国民の関心は自民党の派閥解消に移ってしまいましたが、今やるべきは実態の解明ではないでしょうか。安倍派だけでなく、自民党全体の裏金作りの実態を明らかにするのが先では。
     検察のリーク頼りのマスコミも本気を出してもらいたい。検察は安倍派幹部の立件を断念したとか。だとしたら、真相は闇の中に消えます。
     そして、刷新本部では、パーティー券収入を裏金でない合法的な金にするためのルール改正が進められるのでしょうか。
     でも、自民党支持でない国民は忘れません。モリ、カケ、サクラ、旧統一教会……。年配の人は、ロッキード、リクルート、東京佐川急便……。今後もお忘れなきよう。

    2024年1月20日号

  • せめてお正月ぐらいは、と思ったが…

    人知を超える天災

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

    気持ちよく晴れ上がって、すがすがしい新年の幕開けであった。年越しを一緒に過ごした子ども・孫たちとお祝いを済ませて初詣に出かけた。何事もなくこんな穏やかな時間がありがたいねと言いつつ。 
     せめてお正月はこれが一番と思っていたところ、けたたましい携帯の緊急メール。マナーモードにしていない人の分が鳴り出した。ゆらーん、ゆらーんと揺れている。結構長く感じるほど揺れた。テレビが石川県能登地方の激震を叫んでいる。
     長男のお嫁さんは石川県小松の人。皆で青くなった。何とか連絡が取れて、被害はあったものの、命の支障はないとの事でホッとはした。いつまでもいつまでも緊急地震速報ばかり、十日町は大丈夫か? あの人この人と次々心配になる。電話に飛びつきたいが、回線を塞ぐ事になるのもやってはいけない。
     2004年10月の中越地震が甦る。30年近く前の阪神淡路大地震、次々思い出される。神戸で育ち、離れてから40年近く経っているとはいえ生まれ故郷だ。当時は携帯などなく電話をかけ続けるが、全然繋がらない。公衆電話がつながりやすいと聞いて、近くのNTTへ飛んで行ったりした。
    能登半島の形が竜の頭に見え、しっぽのあたりであろう千葉でも大ゆれだ。竜神さまは何にお怒りなのだろう⁉、不遜傲慢な人間どもに鉄槌を下されたのか? 我が身を振り返っても、ずいぶん楽な生き方をしていると気になってはいた。つつましさに欠けた昨今だと自覚はしている。では鉄槌は私に下されなければならない。今回の地域の人に下されるのは理不尽だ。
     世の中を不幸にする原因は多々ある。大別してみると、天災と人災に分けられるかも。人災のトップは何といっても戦争だ。何時までも無くなることなく、むしろ広がっている。世界中で平和を希求しているというのに。人災に比べて天災は人知の及ぶところでない。
     一番怖いのは地震であろう。地震がなければ津波はないのでは? それだけではない風水害、異常気象、数えていると呼び込みそうで怖くなる。 心配で心配での筈なのに、時間が経つと談笑している。翌日は箱根駅伝で山の妖精と呼ばれている評判の山本さんを応援している有様。
     成人になったばかりの孫は、東日本大震災のことを話す。戦後の情景が身に沁みついている私は、全国国中が壊滅状態だった当時より、支援ができる地域のほうが多いことを救いだと思っている。

    2024年1月13日号

  • ライドシェア? 自動運転? まだまだ

    どうする地域の「足」

    村山 朗 (会社員)

     飯山線の一部区間の乗客が極端に少なく、廃止の可能性が取りざたされています。筆者は昨夏、一日2本しかない只見線直通列車を半日かけて、始発駅・会津若松から終着駅の小出まで乗車しました。平日でしたが、2両編成の車両はほぼ満員。 
     只見線は景色の良さが知られていますが、絶景と称される場所でも列車から見る視点と外から撮影した景色が全然違うこともありました。まあ、その辺は大目に見るとして(笑)。
     のんびりとした時間が流れ、とてもいい旅でした。飯山線も只見線に劣らず素晴らしい景色が沢山あります。酒蔵もあります。工夫次第でいくらでも全国の乗り鉄、撮り鉄、飲み鉄の皆さんを呼べるのではないでしょうか?
     一方、現実には筆者も旅行にでも出ない限り、普段は鉄道に乗ることはありません。先日の新聞に、日常の交通手段について専門家の調査結果が載っていました。コロナ前の令和元年度の全国輸送人員の27%が鉄道、バスが5%、タクシーが1%、自家用車が67%、それが過疎化の進む四国では鉄道が3%で、バスとタクシーがそれぞれ各1%、全体の94%が自家用車だったそうです。この四国地域の調査結果は、当地域の実態とほぼ一致するのではないでしょうか。地方では自家用車がないと移動が不自由な現実を、数字が物語っています。
     近ごろは高齢者の交通事故が大きく報道されます。実際の事故率は高齢者だからといって特に多いわけではなく、偏見を助長するような報道には一高齢者として怒りを覚えます。マスコミを含め周りから免許を返上しろ、と圧力がかかるわけですね。
     免許を返上した高齢者は運転する同世代の人と比べると、認知症になりやすいという研究報告もあります。自由に外出し行動できるかどうかは、すべての世代で健康の維持に大きくかかわってきます。
     また、新しい交通手段としてライドシェアや車の自動運転があります。ライドシェアとは、自家用車を所有者自身が空き時間を利用して、アプリに登録した乗客を運ぶことを言い、海外ではかなり普及しています。我が国では白タクと呼んで不安視し、業界団体の反対もあってすぐには格安な交通手段にはなりそうにありません。
     自動運転は地方の交通量の少ない地域に馴染みやすいと思いますが、コストと運転精度の問題を克服するにはまだ時間がかかりそうです。
     当地での交通手段は、まだまだ自家用車が一番。自分がいつまで運転できるか、切実な問題です。

    2024年1月6日号

  • 国民生活の安定や安全は

    今年を振り返って

    清水裕理 (経済地理学博士)

     今年も寒くなり年末が近づいてきました。2023年はどのような一年でしたでしょうか。時代が変化し、その具体的な動きが見え始めてきた、そんな一年でもありました。コロナ、ウクライナや中東の紛争をきっかけに、80〜100年単位と言われる新時代を迎える前の変化が、加速したようにも思います。
     コロナによって加速したことの一つは、少子高齢化と働き方への影響です。例えば、地元の個人商店の閉店が増えました。地元には長年にわたって愛されてきた食堂やお菓子屋さんなどがあります。なかには、店主が高齢となってきて、今後お店をどうしようかと考えていた方々がいたと思います。 
     それがコロナをきっかけに、お店を閉める判断を早められた方々がいらっしゃるように見えました。お店のファンからすると、コロナがなければ、お店をもう少し続けてくれていたかもしれない…後継者が出てきたかもしれない…と思ってみたりして残念に感じてしまいます。
     ウクライナや中東の紛争によって加速したことの一つは、それまでのグローバル化の進展が青信号から黄色信号になったことです。
     グローバル化とは、国境を超えた資本や労働力の移動および貿易や海外への投資が活発となることで、世界との経済的な結びつきが深まることを指します。
     今後も世界との経済的な結びつきがなくなることはありませんが、今回の紛争で地政学リスクが高まり、小麦などの食糧や石油・ガスなどのエネルギーを輸入していた国々に深刻な事態が生じました。製造業においても、海外から部品の調達が従来通りできなくなり工場で製品が作れなくなるという影響がありました。
     地政学リスク(紛争などの緊張の高まりが、その地域や世界経済に与える影響のこと)という言葉は、少なくともここ30年は使われることがなかったと記憶していますが、最近はよく使われるようになりました。
     私たちが海外旅行をする際も、世界で起きている或いは起きるかもしれない紛争を、ここまで意識することはなかったと思います。
     来年の世界は選挙の年と言われ、1月に台湾総統選、3月にロシア大統領選、4月に韓国総選挙とインド総選挙、11月に米国大統領選があり、日本への影響が注目されます。
     日本国内は、今まで先伸ばしにしていた、建物や設備の更新が増えるなどして景気がよくなるとも言われています。そして、それが国民生活の安定や安全に繋がるかどうか…重要なことだと思います。

    2023年12月23日号

  • 日大闘争とアメフト事件、JRの居丈高な恫喝

    憂さ晴らしスイッチオン

    長谷川 好文 (秋山郷山房もっきりや)

     移転工事が終わって、引越しが一応済み、その片付けは暖かくなってからだと決めている。それまでは冬ごもりの熊よろしく疲れた身体の回復を待つだけだ。これといって病状が出て来たというこではないが、ただ気力が無いのだ。ふらつく、転ぶ、忘れる、震える、こぼす、漏らすといった老人特有のだらしなさがグンと多くなったと云うことなのだ。
     そんななか、どうにか中津川右岸のひとつの家に紛れこむことが出来ただけでその集落の一員として地歩を得た。
     長い間一軒家に暮らしていたせいか、自分がこのような集落に住んで、その集落を自立させるためのシステムに慣れていないことにも気が付いた。何も分からないのである。 
     ただ75歳老人だけれど、一番若い青年部員として少しずつ地域の事を覚えて行かなければならない事の面倒にも立ち至るのだ。
     師走になり少しずつ冬らしくなって2㌢10㌢5㌢と白いものがこちらの気持ちを試すように厚みを変えて行く。雪踏み支援員という制度もあって、お上からそれを頼まれたりして、朝早くトイレに起きたついでに電灯のスイッチを探しながら積雪の状況なんぞを確認したりすることから一日が始るようになった。
     そんなことひとつとっても、集落を維持するとはなかなか大変なんだとつくづく気付いた。左岸でひとり暮らしていた頃が天国だったなぁ~とあらためて感じもした。
     今年、師走の天気は何となく穏やかで、そうなると周りを見回す余裕が出来たのだろう、少しずつ飯山線の話だとか日大アメフト部の事件だとか、大阪の万博の状況やそれを映すNHKテレビのことなどに目が行くようにもなった。みんなどうでもいいようなことなのだけれど、ひとつ気散じのつもりで見て感じてみようと思った。
     ずいぶん昔だが、日大闘争の頃、そこにいた者として思えばこの学校は何もその後、学習していないのだなと思った。もっとも7万人の学生の授業料が生み出す巨額な資金の上であぐらをかいて、上手い汁を吸っていた人間にとっては、昔の儘のおとなしい日大生でなければならないのだろう。 
     作り出される資金でうまい汁を吸っている人間にとっては面倒が一番の敵で、中間管理職向きの学生をつくる日大でなければならないのだろう。 経営者達は押し詰められれば、デモ隊の頭に鉄アレーも平気で投げ下ろして来たのだから、アメフト部の大麻騒動もまだまだ大したことではないと云うことなのだ。
     先日の本誌で飯山線が全線での運行が危なくなったという話を読んだ。津南から戸狩野沢間の営業赤字がとんでもないということでJRはひとつの告示をしたようである。 
     つまり地域国民に対して、このままでは廃線になるよ! そうならないために何かいい案を出せという! 出なければこの区間の列車を止めることになるという。私には、文句がある奴はかかってこいとばかりに居丈高な恫喝に聞こえた。
     でも、その区間には「足滝」というとんでもないめずらしい不思議な駅もある。だれも下りない乗らない伝説的な駅でもあるのだ。そりゃ今でこそ誰でも車を持つ時代だから、足滝から乗車しろとは言わないが、そもそもJRは旧国有鉄道時代には多くの乗客も乗ったのだ。そして高度成長の頃は多くの若者がここから金のタマゴとして日本を支えたのだ。外国の鉄道ファンがこぞって飯山線の「足滝」を、カメラを持って訪れる要素はきっとあるはずである。
     JRという会社はそもそもこの国の税金で造られ、国の基盤を支えた会社の支線なのだ。今の新幹線の技術や列車運行システムもそこから出発している。ただ赤字だからと地域を捨てるような会社であるならば、そのうち在来線を全廃して、新幹線を在来線化し、リニアを新新幹線として生き残ろうとしているのではないかと、うがった見方も出て来てしまう。そんなことをしていたら元国有鉄道のJRは倒産の憂き目に逢うのじゃないだろうか!
     もっとも万博の現状やら、NHKのBSプレミアムが消えたりとこの国の大きな会社はJRと似たもので何だか右往左往しているようだ。
     この国はなかなか良い国なのだけれど、上に立つ人たちに必死さが見えないようだ!
     ここまで言いたい事を書いたけれど、みんな思っていることは言った方が疲れが消える。病院で処方される薬が病気を直すのではないと、何となく気が付いた!

    2023年12月16日号