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妻有新聞掲載記事一覧

  • 地域経済を牽引する企業育成を

     地域経済の低迷が続く。元気のなさが地元商店街や観光誘客の温泉施設などに見られる。シャッター通り化が進む十日町市本町通りと津南町中央商店街。深刻度は空き家問題と共に大きな地域課題になっている。
     「民間企業が元気な時代は、空き店舗や閉館した観光施設を受け継ぎ、地域を元気にしたものだ」。経済成長期の時代を知る世代から聞こえる声だ。きもの産業の隆盛期は、地元企業主導の地域づくりだった。だが、その勢いが鈍り出した頃から行政による「まちづくり」が台頭し、国・県・市町村という繋がりの補助金まちづくりが急増。その流れは今も続くが、その活動財源は我々住民が納めた税である。これでは真の元気は出ないし、「枠をはみ出す」熱きエネルギーは育たない。
     気になる存在の一つ、津南町の日帰り温泉施設「竜ヶ窪温泉・龍神の館」。昨年9月閉館後、再開の動きは見えない。だが国道117号の観光案内板には、方向矢印と共に竜ヶ窪温泉は明記され、休館中の表記もない。このお盆期間中、「ひまわり広場」へ行き、竜ヶ窪温泉に向かい「閉館」で引き返した人は多い。なにもメッセージがない取り組み不足、対応の鈍さはそのまま元気のなさに通じる。地元で経営者募集の動きがあるが具体化していない。
     集客スポットの拠点の閑散さは、地域経済のバロメーターでもある。地域の民間企業、そこにリーディング・カンパニーが育っていれば、見える地域経済の景色は変ってくるだろう。行政のまちづくり、その要は賑わい空間創出と共に地域経済のテコ入れ。「特定の企業支援はできない」と行政は言うが、企業を育てることは人材を育てること、地域納税を増やすこと、牽引する企業の存在が地域の元気印になる。
     2024年度も早や半期。農業産業が基盤なら、それも地域経済。強いテコ入れ、これも待ったなしだ。

    2024年8月24日号

  • 「訴訟は避けたい」、合意模索

    新潟市と損害賠償額折り合わず

    大地の芸術祭作品破損から2年

     「できればしっかり合意していきたい。市と市の間の訴訟は避けたいと思っている」。2年前、修学旅行中の新潟市の中学生が大地の芸術祭作品を破損した問題で、新潟市と協議が未だ続いている現状だが、関口芳史市長は両市合意での解決を望んでいる姿勢を改めて示している。今月5日の定例会見で本紙の質問に答えた。

    2024年8月17日号

  • JBS・牧田社長「チャレンジすべき」

    妻有の四十路会 記念講演会

    「好きを大切に」とデザイナー・杉浦氏

     「地域に少しでも恩返しを」―。毎年、十日町市で行っている「四十路会」。今期の実行委員会(里見翔委員長)は、育ててくれた地域に感謝と恩返しをと、テーマを価値の見出し方とし、記念講演会を11日、越後妻有文化ホール段十ろうで開催。松代出身で売上高1100億円余、社員2500人余の日本ビジネスシステムズ(JBS)の牧田幸弘社長、3年前に十日町移住し着物リメイク商品など手がけるMitsuyoshi Design Studioの杉浦充宜代表の2講師を招き、一般開放の特別講演会を行った。里見委員長は「四十路会は地域の先輩が始めたもの。少しでも自分たちを育ててくれた地域に恩返しできるよう講演会を企画した。価値の創造はいつでも重要なテーマ。挑戦し続ける方の話が、新しい気付きに繋がれば」と話している。

    2024年8月17日号

  • 「大好きなミシンで大好きな犬の服を」

    山田 由美子さん(1967年生まれ)

     「なにがしてやん? っ
    てよく周りから言われるんです」。笑いながら話す『だいにんぐ遊らく』の女将で、『刺しゅうミシン工房8.(エイト・ドット)』を営む山田由美子さん(57)。幼少期、祖母から編み物を教わり、「編み物や手芸は生活の一部。自然と好きになりました。だから高校も家政科のある小千谷西高校を選びました」。
     夏休みには、婦人服のサンプルや芸能人の衣装を外注制作している関東在住の叔父・叔母の元で生地の裁断からミシン縫製で洋服ができる過程を学んだ。「縫うっていいな。芸能人が着るような服を作りたい」と、縫製の道を選んだ。

     「縫製工場の仕事をしながら文化服装学院で洋服を学べる道を選びました。でも工場は流れ作業で面白くなかったんです。やっぱり一から洋服を縫い上げたかった」と退職。洋服サンプル縫製会社に入り、芸能人やファッションショーで着るような服のサンプルを作った。
     「当初は思い通り縫えず怒られてばかりでしたが、作ることが楽しくて、朝から晩までミシンと向き合っていました。アフターファイブなんてなかったです」。
     その頃、同じく十日町市出身で都内で働いていた中学の同級生、山田健一さんと再会し結婚。「子どもを授かった頃、料理人の主人も十日町からオファーがあって、帰りたくなかったけど、いつか東京に戻ってくるぞと思い、十日町に帰ってきました」。工業用ミシンやアイロンと共に帰省。勤めていた会社から外注を受け、「子どもはミシンの音をきいて眠っていましたね。お腹の中にいた時から聞いていたからかな」。しかし、ネット社会になり、外注で仕事をするのが難しく働きに出た。
     健一さんの独立に合わせ由美子さんと共に二人三脚の日々が始まった。「趣味でミシンは触っていましたがオープン当初は忙しくて、子育てややらなきゃいけないことがありすぎてミシンは一度『封印』しました」。
     ミシン『封印』を解いたのはコロナ禍の最中。「コロナで店が暇になり、昼間の時間帯に遊休時間が生まれ自分にできるミシンで何か仕事ができないか」と健一さんに話したが、ミシンで商売することになかなか首を縦に振ってくれなかった。「他ではあまりやってない刺繍を取り入れたらどうだろうって言ったら、縦に振ってくれましたね」。
     刺繡をバッグなどに縫い入れたり、刺繍アクセサリーを作り初めて長岡の大きなイベントに出店。「自信を持って行ったのに、初めての参加でもあって思ったほど手に取ってもらえませんでした。ただ、隣の人が私の作品を見て犬のイベントで出してみたら?って言ってくれたんです」。由美子さんは犬が好きで愛犬『太(うず)』、『雪(ゆき)』がいる。その日の作品にもバッグに犬の刺繍ワッペンなどを施していた。「心折れたけどいいアドバイスがもらえて収穫のある出店でした」。
     その後、犬のイベントに出店。「求めてくれる人が居てリピーターも今
    はできています。直接対面で大好きな犬に触れながら販売できるので嬉しいですね」。さらに「犬服やグッズをイベントで販売。オーダー希望のお客様には名前刺繍や、うちの子ワッペン、セミオーダー服などを受注制作しています」。
     由美子さんは『だいにんぐ遊らく』の女将も務めながら刺繡業やイベント、とおか市にも出店し日々忙しい。「ゆっくり好きな事をして暮らしたいと思っていたのに、逆に忙しくなってしまいました。常に動いていたいんでしょうね。やりたいことがありすぎて何がしてやんって言われます。大きな夢は十日町にないドッグラン&カフェ併設のミシン工房作りかな」。

    ▼バトンタッチします。
     綱大介さん

    2024年8月17日号

  • 垣間みえた日本の立ち位置

    長崎・平和式典で

    斎木 文夫 (年金生活者)

     8月は鎮魂の月。今年の広島市の平和記念式典と長崎市の平和祈念式典では大きな違いが出た。広島市は、イスラエルを招待し、パレスチナを招待しなかった。長崎市はその逆である。その結果日本を除くG7とEUの駐日大使は長崎市の平和祈念式典に出席せず、格下の公使らを送った。
     長崎市の鈴木市長は、政治的な理由ではない、抗議活動など不測の事態が起きる可能性を考え招待しなかったと説明した。長崎市は6月に「即時停戦」を求める書簡をイスラエルに送り、状況が改善すれば招待すると伝えていたという。
     イスラエルのガザ攻撃は今も続いている。学校や病院などへの攻撃もやまず、4万人に上る犠牲者の大半は子どもや女性である。イスラエルが主張する「自衛権」を逸脱しており、国連事務総長も「明確な国際人道法違反」と強く非難している。
     長崎市の平和祈念式典は、この地を人類最後の戦争被爆地にと誓い、市民を無差別に殺りくする核兵器の非人道性を訴えてきた。市民を虐殺している国は招待しないという長崎市の判断は筋が通っている。
     ロシアを非難する一方でイスラエルを擁護・支持する米欧の姿勢こそが二重基準で、中東諸国を含む「グローバル・サウス」との間には大きな溝が生じている。それは、米欧が望むウクライナに対する国際協力を困難にするともいわれている。
     ロシアもイスラエルも分け隔てなく招待すべきだったという意見、米欧の対応は大人げないという意見、せめて原爆を投下した米国大使からは出席してもらいたかったという声など、町の声も様々だった。
     私は、主催者である長崎市や長崎市民の意向が最優先されるべきと思う。情けないのが日本政府だ。外務省は水面下で長崎市に、イスラエルを招待するよう働きかけていたという。
     昨年9月、国連総会で「核軍縮は、被爆地広島出身の私のライフワークです」と演説した岸田首相、あなたは、お友達のG7の6カ国とEUに大使出席を働きかけるべきではなかったか。
     ついでに一言。一昨年9月の国連総会一般討論演説で「日本は、国際社会における法の支配を推進する国連の実現に尽力する」と述べた岸田首相、あなたが「国際社会における法の支配」と言うのは、ロシア非難、中国牽制の場面だけのような気がします。イスラエルによるパレスチナ入植、ガザ侵攻の文脈の中でも使ってみませんか。

    2024年8月17日号

  • 旅路の無事を願う観音様と道標

    照井 麻美(津南星空写真部)

     JR飯山線足滝駅周辺を散策していると、どこかへ続くであろう山道を見つけた。
     特に看板もなく、どこに続くかもわからないまま険しくはないが誰もいない道を歩いていくと一枚の看板を見つけた。
     そこには「足滝・穴山トレッキングコース」と書かれていた。
     この道の終着点を見つけ少しほっとしながら、本当に穴山集落まで続くのか確かめたくなり、登り続けることにした。
     歩き続けると写真の石像にたどり着く。
     よく見ると観音様とその両側には「左ハやま道」「右ハせん光し松之山」と彫られているように見えた。
     帰ってから少し調べるとこれは馬頭観音道標というようで、旅人が道に迷わないよう、旅の無事を祈る街道によくある石仏らしいことが分かった。
     津南町から松之山、もしくはそれ以上歩いていたことを想像すると昔の人はすごいなと感心するとともに、自動車に頼りすぎていることに反省した。
     この後私は無事穴山集落にたどり着き、このトレッキングコースは穴山から足滝駅に向かう道だということを教えてもらい、またひとつ津南町を知ることができた喜びを感じながら帰路につくのでした。

    2024年8月17日号

  • お盆の「情報」、市町村で共有を

     人口がいつもの2倍、3倍に増えたお盆シーズン。それだけ「情報」も数多、交わされたことだろう。聞き流すにはもったいない情報もあっただろう。「流動人口」、「関係人口」というなら、情報の「流動・関係」もあり、ここ妻有地域にとって有益な情報も多かったろう。さて、どう情報収集するかだ。
     「うちのゼミの教授が、大地の芸術祭に関心があり、アートという判断が一つではない分野に、どう住民が関わっているか知りたがっている」、どうぞどうぞ、いつでもお越しください。「そういえば、うちの会社の営業担当が十日町や津南の農産物を取り入れたいと話していたなぁ。上越新幹線で東京に直送できるというじゃないか」、そうなんです、JR東との連携が深まり、このパイプをもっと太くしたいんです。
     「人口が減っていると聞くが、それは東京以外、全国どこも同じこと。問題は人口が減ることより、そこに暮らす人たちの満足度というのか、ここで暮らしていて良かったと思う気持ちが強いかどうかでしょ」、そうですね、人口減少を嘆いていても問題解決に至りませんね。ここに暮らす人たちの満足度、まさにここが課題です。「自然豊かというが、そんなの全国の農山村、山間地に行けば皆同じことを言う。それより、これからは水だ。あの豪雪が湧水となって湧き出るわけで、この水こそ、この地域の最大資源ではないのか」、その通りです。豪雪は大変ですが、その雪が大切な水資源を生み出しています。
     企業進出の話も、移住希望の話も、妻有地域の特産品の活用の話も、大学や研究機関の進出の話も、さらにさらに「情報」は数多く溢れたであろう。
     繰り返すが、それを聞き流したのではもったいない。どう情報を集め、どう共有できるか、この人口倍増のお盆シーズン対策だ。先ずは行政だろう。その感度のボリュームは上がっているだろうか。「情報」は資源である。

    2024年8月17日号

  • コーヒーの健康維持の効果

    過剰摂取はカフェイン依存症に

    Vol 103

     ついに今月1日に梅雨明けして、急に暑くなり夏らしい天気が続いていますね。8月になって梅雨明けするのは4年ぶりらしいです。暑くなると冷たいものを飲みたくなりますよね。たかき医院の隣りにある喫茶店でも、コーヒーフロートやクリームソーダの注文が8月に入ってからは多いそうです。
     小学校のころ、ごくたまに休日の午後に母がアイスカフェオレを作ってくれたのがとても楽しく美味しい思い出です。ですが、今その思い出から40年近く経ちコーヒーを飲むと、飲んでいる時は美味しいと思うのですが、数時間すると胸やけがしてしまうようになってしまいました。
     なぜコーヒーを飲むと胸やけをするのでしょうか。食事の最後に珈琲が出てきますが、それはコーヒーが消化を促すための胃酸の分泌量を増やすからです。つまり胃酸が増えすぎると胃粘膜が刺激されて胸やけがする、というのが胸やけの理由の一つです。また、コーヒーに含まれているカフェインが食道と胃の境目の筋肉を緩める働きがあるため、胃酸が食道に逆流して胸やけがするというのがもう一つの理由になります。
     私にとっては胸やけの原因になるコーヒーですが、およそ1千年ほど前から薬として飲まれていたのが始まりです。それもあってかコーヒーと健康については多くの研究がなされています。たとえば、コーヒーを習慣的に飲んでいる人の方が糖尿病になるリスクが低い、コーヒーによって子宮体がんや肝臓がんのリスクが低下する可能性がある、コーヒーを飲んでいる人では原因を問わないすべての死亡リスクが低下する、心疾患・脳血管疾患・呼吸器疾患による死亡リスクが低下する、などです。
     また、1日の時間の中で座っている時間の長い人の方が心血管疾患での死亡のリスクが高いことが分かっていますが、中国の蘇州大学医学院の研究では、コーヒーを飲んでいると、座っている時間が長い人でも心血管疾患での死亡リスクが上がらないなどの結果が出てきていますし、オランダの研究ではコーヒーのカフェインや、コーヒーを飲むことで体内で作られる物質が神経を保護する働きを持ち、パーキンソン病リスクを低下させる可能性がある、という結果が出ています。
     私が大学生の時に、試験前にカフェインの錠剤を飲んで眠気覚ましをしながら勉強をしていた男の子がいました。コーヒーは薬なんだ! と習慣的に過剰摂取をするとカフェイン依存症になって、頭痛・不安・吐き気・大量の発汗といったカフェインの血中濃度が下がることによる症状が出るようになります。カフェインは元気の前借りをしているだけなので、一度にとりすぎると後から反動で強い疲労なども感じるかもしれません。一日の摂取許容量は決まっていないのですが、とっても1日3~4杯にとどめておきましょうね。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です!!
     あとは、コーヒーに関わらず冷たいものをとりすぎるとお腹が痛くなりますので、気をつけてください。コーヒーを飲んでも元気の出ない人は是非お気軽にご相談くださいね。(たかき医院院長)

    2024年8月10日号

  • 「300㌔のトップスピードに魅かれ」

    早川 紅音さん(1999年生まれ)

     「自分でも、こんなにもはまっちゃうとは思いませんでした」。時速300㌔余で疾走するレーシングカー。
     先週4日、静岡・富士スピードウェイでレース観戦した。観戦だけではなく、そのスピード感た
    っぷりのレ
    ースをカメラ撮影する。「良い場所を取るため
    に前日深夜
    に出て、帰
    ったのは日曜深夜でした。あのスピード感と臨場感は、TVや動画で見ても、間近でレースを見ないと実感が湧かないでしょうね」。
     これほどモータースポーツに熱中するきっかけは、ちょっとした後輩との話だった。県立津南中等教育学校・吹奏楽部の後輩たちの演奏会を段十ろうへ聴きに訪れた時だ。「後輩からモータースポーツ観戦の話を聞き、その動画を見せられ、面白そうだと。そこからですね」。
     YouTubeなど視聴する
    なかで、ちょ
    っと気になる
    レーサーを見
    つける。20
    22年5月、その選手の出場レースを観戦するため富士スピードウェイへ。その選手・大湯都史樹(としき)レーサーは同世代の20代。「すごい、最高、このひと言でした。あの音、目の前をトップスピードで疾走する臨場感、もう、とりこになりましたね」。
     その翌年から始めたカメラ撮影。単に走るマシンを撮るだけではない。事前にコースを調べ、ベストショットを狙うためのポジショニングなど下調べは欠かせない。
     レース会場は広く、場所探しはひたすら歩くしかない。ベストスポットを足で探す。「先日の日曜のレースでは、歩いた距離は20㌔ほどになるでしょうか。多い時は40㌔ほど歩きます」。レース観戦とカメラ撮影は体力勝負でもある。だが、それを上回るレースの醍醐味がある。
     類は友を呼ぶの通り、レース好き、レーシングカー好きが集まる。会場やSNSで出会った仲間の同世代7人ほどで共有サイトを設け、撮った写真をSNSにアップ、批評し合っている。「この写真いいねぇ、なんて言ってもらえると嬉しいですね」。同じ場所で撮っても違うショットになる。その奥深さも魅力でまさに『一瞬の傑作』を狙う。 
     「自前のカメラですから、プロのような機材はないので、連射よりベストショットを狙って撮っています」。疾走感を出すためカメラを動かし背景を流す手法や、迫るマシンをアップで撮るなど様々なイメージで狙う。マシンの疾走を求め鈴鹿サーキットや栃木・モビリティリゾートもてぎ、などにも行く。

     激しいモータースポーツは非日常の世界。一方で本職は臨床検査技師。南魚沼市の齋藤記念病院に勤務。小学時代、手塚治虫作品「ブラックジャック」を全巻読み、小学時代に医療系への道を決め、そのまま県立津南中等、北里大学保健衛生専門学院に進み地元医療機関に就いた。「そうですね、仕事とモータースポーツ、このギャップが生活のメリハリ感を創り出しています」。小学4年から取り組む吹奏楽。津南中等でも吹奏楽部。いまは十日町市民吹奏楽団のメンバー。小学生から一貫してテナーサックスを奏でる。12月の市吹50周年記念演奏会に向け練習の日々が続く。

     「目で見て、音を感じ、五感で体感する、これがモータースポーツの醍醐味です。トップスピードで直線を疾走し、コーナリングや追い越しのテクニックなど、そのドライバーの性格が出ます。ここも面白いところですね。この非日常感がたまりませんね」。

    ▼バトンタッチします。
     山田由美子さん

    2024年8月10日号

  • 一年一年積み重ね、「健気な幸せ」を

    七十九年を考える

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     六月のオピニオン担当では沖縄戦のことを書いた。そして八月六日は広島、九日は長崎に原爆が投下された。十五日は敗戦の日。いずれも七十九年前。特別な行動をするわけでもない。
     かつては平和集会に出かけたり、署名運動に参加したりもしたが、昨今は何ら行動していないのを面目ない思いでいる。只々、毎年毎年、鎮魂の思いで八月の日々を書き続けている。
     私が何をしなくても各地で鎮魂の供養を一年一年続けていくうちに、七十九年は『戦』のない世の中が続いている。戦争体験世代が少なくなっていくのは自明の理だが、精いっぱい『戦』はだめだ、と言い続けることを止めてはならないと強く思っている。
     いろんな形で記録は積み重なっていく。時の政府に都合が悪くても、報道されなくても、新聞記事として、映画や文学・音楽・演劇あらゆる手段で記録は残される。
     残された記録を次の世代がどう学び、どう生かして行くのかが問われる。
     体験した者として、折に触れて書き残し、語り継いだつもりだが、どこまで伝わったのだろう。
     戦火の中を逃げまどい、幸い生き残った我々も、戦地で無念の死を迎えた父たちも、願ったことはただ一つ『戦』の無い世の中に一日も早くなってほしいと願っただけだった。
     欲望を言い募るときりがないが、ただただ、穏やかな日々が続くことだけだった。ささやかで健気な願いだ。それでいて、とてつもなく大変な願いであることがよくわかる。 
     いまも大きな戦争が世界中に少なくない。皆どうして? なぜ止められない? と思っているのに、エスカレートしている。世の中は高度に進化し、便利な世の中になっているはずなのに、どんどん悪くなっていくのは何故?
     朝ドラを見ている。新しい憲法が発布され、今日よりは明日、よりよい日になるような気がしていた時代。自分の来し方とダブる。ささやかな喜びを見つけては、幸せを実感していた。無いない尽くしの日々、思いがけず手に入ったキャラメルを娘さんと、大切に大切に味わうシーンで、宝石でも扱うがごとき幸せな表情、よくわかる。
     なんでも比較的たやすく手に入る現代では味わえない本当の幸せかも!
    細やかで健気な幸せは、一人一人がしっかり守り育てて、少しずつお隣にひろげていくしか無いのかもしれない。

    2024年8月10日号

  • 地域経済を牽引する企業育成を

     地域経済の低迷が続く。元気のなさが地元商店街や観光誘客の温泉施設などに見られる。シャッター通り化が進む十日町市本町通りと津南町中央商店街。深刻度は空き家問題と共に大きな地域課題になっている。
     「民間企業が元気な時代は、空き店舗や閉館した観光施設を受け継ぎ、地域を元気にしたものだ」。経済成長期の時代を知る世代から聞こえる声だ。きもの産業の隆盛期は、地元企業主導の地域づくりだった。だが、その勢いが鈍り出した頃から行政による「まちづくり」が台頭し、国・県・市町村という繋がりの補助金まちづくりが急増。その流れは今も続くが、その活動財源は我々住民が納めた税である。これでは真の元気は出ないし、「枠をはみ出す」熱きエネルギーは育たない。
     気になる存在の一つ、津南町の日帰り温泉施設「竜ヶ窪温泉・龍神の館」。昨年9月閉館後、再開の動きは見えない。だが国道117号の観光案内板には、方向矢印と共に竜ヶ窪温泉は明記され、休館中の表記もない。このお盆期間中、「ひまわり広場」へ行き、竜ヶ窪温泉に向かい「閉館」で引き返した人は多い。なにもメッセージがない取り組み不足、対応の鈍さはそのまま元気のなさに通じる。地元で経営者募集の動きがあるが具体化していない。
     集客スポットの拠点の閑散さは、地域経済のバロメーターでもある。地域の民間企業、そこにリーディング・カンパニーが育っていれば、見える地域経済の景色は変ってくるだろう。行政のまちづくり、その要は賑わい空間創出と共に地域経済のテコ入れ。「特定の企業支援はできない」と行政は言うが、企業を育てることは人材を育てること、地域納税を増やすこと、牽引する企業の存在が地域の元気印になる。
     2024年度も早や半期。農業産業が基盤なら、それも地域経済。強いテコ入れ、これも待ったなしだ。

    2024年8月24日号

  • 「訴訟は避けたい」、合意模索

    新潟市と損害賠償額折り合わず

    大地の芸術祭作品破損から2年

     「できればしっかり合意していきたい。市と市の間の訴訟は避けたいと思っている」。2年前、修学旅行中の新潟市の中学生が大地の芸術祭作品を破損した問題で、新潟市と協議が未だ続いている現状だが、関口芳史市長は両市合意での解決を望んでいる姿勢を改めて示している。今月5日の定例会見で本紙の質問に答えた。

    2024年8月17日号

  • JBS・牧田社長「チャレンジすべき」

    妻有の四十路会 記念講演会

    「好きを大切に」とデザイナー・杉浦氏

     「地域に少しでも恩返しを」―。毎年、十日町市で行っている「四十路会」。今期の実行委員会(里見翔委員長)は、育ててくれた地域に感謝と恩返しをと、テーマを価値の見出し方とし、記念講演会を11日、越後妻有文化ホール段十ろうで開催。松代出身で売上高1100億円余、社員2500人余の日本ビジネスシステムズ(JBS)の牧田幸弘社長、3年前に十日町移住し着物リメイク商品など手がけるMitsuyoshi Design Studioの杉浦充宜代表の2講師を招き、一般開放の特別講演会を行った。里見委員長は「四十路会は地域の先輩が始めたもの。少しでも自分たちを育ててくれた地域に恩返しできるよう講演会を企画した。価値の創造はいつでも重要なテーマ。挑戦し続ける方の話が、新しい気付きに繋がれば」と話している。

    2024年8月17日号

  • 「大好きなミシンで大好きな犬の服を」

    山田 由美子さん(1967年生まれ)

     「なにがしてやん? っ
    てよく周りから言われるんです」。笑いながら話す『だいにんぐ遊らく』の女将で、『刺しゅうミシン工房8.(エイト・ドット)』を営む山田由美子さん(57)。幼少期、祖母から編み物を教わり、「編み物や手芸は生活の一部。自然と好きになりました。だから高校も家政科のある小千谷西高校を選びました」。
     夏休みには、婦人服のサンプルや芸能人の衣装を外注制作している関東在住の叔父・叔母の元で生地の裁断からミシン縫製で洋服ができる過程を学んだ。「縫うっていいな。芸能人が着るような服を作りたい」と、縫製の道を選んだ。

     「縫製工場の仕事をしながら文化服装学院で洋服を学べる道を選びました。でも工場は流れ作業で面白くなかったんです。やっぱり一から洋服を縫い上げたかった」と退職。洋服サンプル縫製会社に入り、芸能人やファッションショーで着るような服のサンプルを作った。
     「当初は思い通り縫えず怒られてばかりでしたが、作ることが楽しくて、朝から晩までミシンと向き合っていました。アフターファイブなんてなかったです」。
     その頃、同じく十日町市出身で都内で働いていた中学の同級生、山田健一さんと再会し結婚。「子どもを授かった頃、料理人の主人も十日町からオファーがあって、帰りたくなかったけど、いつか東京に戻ってくるぞと思い、十日町に帰ってきました」。工業用ミシンやアイロンと共に帰省。勤めていた会社から外注を受け、「子どもはミシンの音をきいて眠っていましたね。お腹の中にいた時から聞いていたからかな」。しかし、ネット社会になり、外注で仕事をするのが難しく働きに出た。
     健一さんの独立に合わせ由美子さんと共に二人三脚の日々が始まった。「趣味でミシンは触っていましたがオープン当初は忙しくて、子育てややらなきゃいけないことがありすぎてミシンは一度『封印』しました」。
     ミシン『封印』を解いたのはコロナ禍の最中。「コロナで店が暇になり、昼間の時間帯に遊休時間が生まれ自分にできるミシンで何か仕事ができないか」と健一さんに話したが、ミシンで商売することになかなか首を縦に振ってくれなかった。「他ではあまりやってない刺繍を取り入れたらどうだろうって言ったら、縦に振ってくれましたね」。
     刺繡をバッグなどに縫い入れたり、刺繍アクセサリーを作り初めて長岡の大きなイベントに出店。「自信を持って行ったのに、初めての参加でもあって思ったほど手に取ってもらえませんでした。ただ、隣の人が私の作品を見て犬のイベントで出してみたら?って言ってくれたんです」。由美子さんは犬が好きで愛犬『太(うず)』、『雪(ゆき)』がいる。その日の作品にもバッグに犬の刺繍ワッペンなどを施していた。「心折れたけどいいアドバイスがもらえて収穫のある出店でした」。
     その後、犬のイベントに出店。「求めてくれる人が居てリピーターも今
    はできています。直接対面で大好きな犬に触れながら販売できるので嬉しいですね」。さらに「犬服やグッズをイベントで販売。オーダー希望のお客様には名前刺繍や、うちの子ワッペン、セミオーダー服などを受注制作しています」。
     由美子さんは『だいにんぐ遊らく』の女将も務めながら刺繡業やイベント、とおか市にも出店し日々忙しい。「ゆっくり好きな事をして暮らしたいと思っていたのに、逆に忙しくなってしまいました。常に動いていたいんでしょうね。やりたいことがありすぎて何がしてやんって言われます。大きな夢は十日町にないドッグラン&カフェ併設のミシン工房作りかな」。

    ▼バトンタッチします。
     綱大介さん

    2024年8月17日号

  • 垣間みえた日本の立ち位置

    長崎・平和式典で

    斎木 文夫 (年金生活者)

     8月は鎮魂の月。今年の広島市の平和記念式典と長崎市の平和祈念式典では大きな違いが出た。広島市は、イスラエルを招待し、パレスチナを招待しなかった。長崎市はその逆である。その結果日本を除くG7とEUの駐日大使は長崎市の平和祈念式典に出席せず、格下の公使らを送った。
     長崎市の鈴木市長は、政治的な理由ではない、抗議活動など不測の事態が起きる可能性を考え招待しなかったと説明した。長崎市は6月に「即時停戦」を求める書簡をイスラエルに送り、状況が改善すれば招待すると伝えていたという。
     イスラエルのガザ攻撃は今も続いている。学校や病院などへの攻撃もやまず、4万人に上る犠牲者の大半は子どもや女性である。イスラエルが主張する「自衛権」を逸脱しており、国連事務総長も「明確な国際人道法違反」と強く非難している。
     長崎市の平和祈念式典は、この地を人類最後の戦争被爆地にと誓い、市民を無差別に殺りくする核兵器の非人道性を訴えてきた。市民を虐殺している国は招待しないという長崎市の判断は筋が通っている。
     ロシアを非難する一方でイスラエルを擁護・支持する米欧の姿勢こそが二重基準で、中東諸国を含む「グローバル・サウス」との間には大きな溝が生じている。それは、米欧が望むウクライナに対する国際協力を困難にするともいわれている。
     ロシアもイスラエルも分け隔てなく招待すべきだったという意見、米欧の対応は大人げないという意見、せめて原爆を投下した米国大使からは出席してもらいたかったという声など、町の声も様々だった。
     私は、主催者である長崎市や長崎市民の意向が最優先されるべきと思う。情けないのが日本政府だ。外務省は水面下で長崎市に、イスラエルを招待するよう働きかけていたという。
     昨年9月、国連総会で「核軍縮は、被爆地広島出身の私のライフワークです」と演説した岸田首相、あなたは、お友達のG7の6カ国とEUに大使出席を働きかけるべきではなかったか。
     ついでに一言。一昨年9月の国連総会一般討論演説で「日本は、国際社会における法の支配を推進する国連の実現に尽力する」と述べた岸田首相、あなたが「国際社会における法の支配」と言うのは、ロシア非難、中国牽制の場面だけのような気がします。イスラエルによるパレスチナ入植、ガザ侵攻の文脈の中でも使ってみませんか。

    2024年8月17日号

  • 旅路の無事を願う観音様と道標

    照井 麻美(津南星空写真部)

     JR飯山線足滝駅周辺を散策していると、どこかへ続くであろう山道を見つけた。
     特に看板もなく、どこに続くかもわからないまま険しくはないが誰もいない道を歩いていくと一枚の看板を見つけた。
     そこには「足滝・穴山トレッキングコース」と書かれていた。
     この道の終着点を見つけ少しほっとしながら、本当に穴山集落まで続くのか確かめたくなり、登り続けることにした。
     歩き続けると写真の石像にたどり着く。
     よく見ると観音様とその両側には「左ハやま道」「右ハせん光し松之山」と彫られているように見えた。
     帰ってから少し調べるとこれは馬頭観音道標というようで、旅人が道に迷わないよう、旅の無事を祈る街道によくある石仏らしいことが分かった。
     津南町から松之山、もしくはそれ以上歩いていたことを想像すると昔の人はすごいなと感心するとともに、自動車に頼りすぎていることに反省した。
     この後私は無事穴山集落にたどり着き、このトレッキングコースは穴山から足滝駅に向かう道だということを教えてもらい、またひとつ津南町を知ることができた喜びを感じながら帰路につくのでした。

    2024年8月17日号

  • お盆の「情報」、市町村で共有を

     人口がいつもの2倍、3倍に増えたお盆シーズン。それだけ「情報」も数多、交わされたことだろう。聞き流すにはもったいない情報もあっただろう。「流動人口」、「関係人口」というなら、情報の「流動・関係」もあり、ここ妻有地域にとって有益な情報も多かったろう。さて、どう情報収集するかだ。
     「うちのゼミの教授が、大地の芸術祭に関心があり、アートという判断が一つではない分野に、どう住民が関わっているか知りたがっている」、どうぞどうぞ、いつでもお越しください。「そういえば、うちの会社の営業担当が十日町や津南の農産物を取り入れたいと話していたなぁ。上越新幹線で東京に直送できるというじゃないか」、そうなんです、JR東との連携が深まり、このパイプをもっと太くしたいんです。
     「人口が減っていると聞くが、それは東京以外、全国どこも同じこと。問題は人口が減ることより、そこに暮らす人たちの満足度というのか、ここで暮らしていて良かったと思う気持ちが強いかどうかでしょ」、そうですね、人口減少を嘆いていても問題解決に至りませんね。ここに暮らす人たちの満足度、まさにここが課題です。「自然豊かというが、そんなの全国の農山村、山間地に行けば皆同じことを言う。それより、これからは水だ。あの豪雪が湧水となって湧き出るわけで、この水こそ、この地域の最大資源ではないのか」、その通りです。豪雪は大変ですが、その雪が大切な水資源を生み出しています。
     企業進出の話も、移住希望の話も、妻有地域の特産品の活用の話も、大学や研究機関の進出の話も、さらにさらに「情報」は数多く溢れたであろう。
     繰り返すが、それを聞き流したのではもったいない。どう情報を集め、どう共有できるか、この人口倍増のお盆シーズン対策だ。先ずは行政だろう。その感度のボリュームは上がっているだろうか。「情報」は資源である。

    2024年8月17日号

  • コーヒーの健康維持の効果

    過剰摂取はカフェイン依存症に

    Vol 103

     ついに今月1日に梅雨明けして、急に暑くなり夏らしい天気が続いていますね。8月になって梅雨明けするのは4年ぶりらしいです。暑くなると冷たいものを飲みたくなりますよね。たかき医院の隣りにある喫茶店でも、コーヒーフロートやクリームソーダの注文が8月に入ってからは多いそうです。
     小学校のころ、ごくたまに休日の午後に母がアイスカフェオレを作ってくれたのがとても楽しく美味しい思い出です。ですが、今その思い出から40年近く経ちコーヒーを飲むと、飲んでいる時は美味しいと思うのですが、数時間すると胸やけがしてしまうようになってしまいました。
     なぜコーヒーを飲むと胸やけをするのでしょうか。食事の最後に珈琲が出てきますが、それはコーヒーが消化を促すための胃酸の分泌量を増やすからです。つまり胃酸が増えすぎると胃粘膜が刺激されて胸やけがする、というのが胸やけの理由の一つです。また、コーヒーに含まれているカフェインが食道と胃の境目の筋肉を緩める働きがあるため、胃酸が食道に逆流して胸やけがするというのがもう一つの理由になります。
     私にとっては胸やけの原因になるコーヒーですが、およそ1千年ほど前から薬として飲まれていたのが始まりです。それもあってかコーヒーと健康については多くの研究がなされています。たとえば、コーヒーを習慣的に飲んでいる人の方が糖尿病になるリスクが低い、コーヒーによって子宮体がんや肝臓がんのリスクが低下する可能性がある、コーヒーを飲んでいる人では原因を問わないすべての死亡リスクが低下する、心疾患・脳血管疾患・呼吸器疾患による死亡リスクが低下する、などです。
     また、1日の時間の中で座っている時間の長い人の方が心血管疾患での死亡のリスクが高いことが分かっていますが、中国の蘇州大学医学院の研究では、コーヒーを飲んでいると、座っている時間が長い人でも心血管疾患での死亡リスクが上がらないなどの結果が出てきていますし、オランダの研究ではコーヒーのカフェインや、コーヒーを飲むことで体内で作られる物質が神経を保護する働きを持ち、パーキンソン病リスクを低下させる可能性がある、という結果が出ています。
     私が大学生の時に、試験前にカフェインの錠剤を飲んで眠気覚ましをしながら勉強をしていた男の子がいました。コーヒーは薬なんだ! と習慣的に過剰摂取をするとカフェイン依存症になって、頭痛・不安・吐き気・大量の発汗といったカフェインの血中濃度が下がることによる症状が出るようになります。カフェインは元気の前借りをしているだけなので、一度にとりすぎると後から反動で強い疲労なども感じるかもしれません。一日の摂取許容量は決まっていないのですが、とっても1日3~4杯にとどめておきましょうね。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です!!
     あとは、コーヒーに関わらず冷たいものをとりすぎるとお腹が痛くなりますので、気をつけてください。コーヒーを飲んでも元気の出ない人は是非お気軽にご相談くださいね。(たかき医院院長)

    2024年8月10日号

  • 「300㌔のトップスピードに魅かれ」

    早川 紅音さん(1999年生まれ)

     「自分でも、こんなにもはまっちゃうとは思いませんでした」。時速300㌔余で疾走するレーシングカー。
     先週4日、静岡・富士スピードウェイでレース観戦した。観戦だけではなく、そのスピード感た
    っぷりのレ
    ースをカメラ撮影する。「良い場所を取るため
    に前日深夜
    に出て、帰
    ったのは日曜深夜でした。あのスピード感と臨場感は、TVや動画で見ても、間近でレースを見ないと実感が湧かないでしょうね」。
     これほどモータースポーツに熱中するきっかけは、ちょっとした後輩との話だった。県立津南中等教育学校・吹奏楽部の後輩たちの演奏会を段十ろうへ聴きに訪れた時だ。「後輩からモータースポーツ観戦の話を聞き、その動画を見せられ、面白そうだと。そこからですね」。
     YouTubeなど視聴する
    なかで、ちょ
    っと気になる
    レーサーを見
    つける。20
    22年5月、その選手の出場レースを観戦するため富士スピードウェイへ。その選手・大湯都史樹(としき)レーサーは同世代の20代。「すごい、最高、このひと言でした。あの音、目の前をトップスピードで疾走する臨場感、もう、とりこになりましたね」。
     その翌年から始めたカメラ撮影。単に走るマシンを撮るだけではない。事前にコースを調べ、ベストショットを狙うためのポジショニングなど下調べは欠かせない。
     レース会場は広く、場所探しはひたすら歩くしかない。ベストスポットを足で探す。「先日の日曜のレースでは、歩いた距離は20㌔ほどになるでしょうか。多い時は40㌔ほど歩きます」。レース観戦とカメラ撮影は体力勝負でもある。だが、それを上回るレースの醍醐味がある。
     類は友を呼ぶの通り、レース好き、レーシングカー好きが集まる。会場やSNSで出会った仲間の同世代7人ほどで共有サイトを設け、撮った写真をSNSにアップ、批評し合っている。「この写真いいねぇ、なんて言ってもらえると嬉しいですね」。同じ場所で撮っても違うショットになる。その奥深さも魅力でまさに『一瞬の傑作』を狙う。 
     「自前のカメラですから、プロのような機材はないので、連射よりベストショットを狙って撮っています」。疾走感を出すためカメラを動かし背景を流す手法や、迫るマシンをアップで撮るなど様々なイメージで狙う。マシンの疾走を求め鈴鹿サーキットや栃木・モビリティリゾートもてぎ、などにも行く。

     激しいモータースポーツは非日常の世界。一方で本職は臨床検査技師。南魚沼市の齋藤記念病院に勤務。小学時代、手塚治虫作品「ブラックジャック」を全巻読み、小学時代に医療系への道を決め、そのまま県立津南中等、北里大学保健衛生専門学院に進み地元医療機関に就いた。「そうですね、仕事とモータースポーツ、このギャップが生活のメリハリ感を創り出しています」。小学4年から取り組む吹奏楽。津南中等でも吹奏楽部。いまは十日町市民吹奏楽団のメンバー。小学生から一貫してテナーサックスを奏でる。12月の市吹50周年記念演奏会に向け練習の日々が続く。

     「目で見て、音を感じ、五感で体感する、これがモータースポーツの醍醐味です。トップスピードで直線を疾走し、コーナリングや追い越しのテクニックなど、そのドライバーの性格が出ます。ここも面白いところですね。この非日常感がたまりませんね」。

    ▼バトンタッチします。
     山田由美子さん

    2024年8月10日号

  • 一年一年積み重ね、「健気な幸せ」を

    七十九年を考える

    松崎 房子 (元ゆずり葉編集委員)

     六月のオピニオン担当では沖縄戦のことを書いた。そして八月六日は広島、九日は長崎に原爆が投下された。十五日は敗戦の日。いずれも七十九年前。特別な行動をするわけでもない。
     かつては平和集会に出かけたり、署名運動に参加したりもしたが、昨今は何ら行動していないのを面目ない思いでいる。只々、毎年毎年、鎮魂の思いで八月の日々を書き続けている。
     私が何をしなくても各地で鎮魂の供養を一年一年続けていくうちに、七十九年は『戦』のない世の中が続いている。戦争体験世代が少なくなっていくのは自明の理だが、精いっぱい『戦』はだめだ、と言い続けることを止めてはならないと強く思っている。
     いろんな形で記録は積み重なっていく。時の政府に都合が悪くても、報道されなくても、新聞記事として、映画や文学・音楽・演劇あらゆる手段で記録は残される。
     残された記録を次の世代がどう学び、どう生かして行くのかが問われる。
     体験した者として、折に触れて書き残し、語り継いだつもりだが、どこまで伝わったのだろう。
     戦火の中を逃げまどい、幸い生き残った我々も、戦地で無念の死を迎えた父たちも、願ったことはただ一つ『戦』の無い世の中に一日も早くなってほしいと願っただけだった。
     欲望を言い募るときりがないが、ただただ、穏やかな日々が続くことだけだった。ささやかで健気な願いだ。それでいて、とてつもなく大変な願いであることがよくわかる。 
     いまも大きな戦争が世界中に少なくない。皆どうして? なぜ止められない? と思っているのに、エスカレートしている。世の中は高度に進化し、便利な世の中になっているはずなのに、どんどん悪くなっていくのは何故?
     朝ドラを見ている。新しい憲法が発布され、今日よりは明日、よりよい日になるような気がしていた時代。自分の来し方とダブる。ささやかな喜びを見つけては、幸せを実感していた。無いない尽くしの日々、思いがけず手に入ったキャラメルを娘さんと、大切に大切に味わうシーンで、宝石でも扱うがごとき幸せな表情、よくわかる。
     なんでも比較的たやすく手に入る現代では味わえない本当の幸せかも!
    細やかで健気な幸せは、一人一人がしっかり守り育てて、少しずつお隣にひろげていくしか無いのかもしれない。

    2024年8月10日号