6月23日は、本紙前号の本欄で松崎さんが書いていたように、「沖縄慰霊の日」です。
今年の6月23日、私が代表を務める十日町・津南地域自治研究所では「第20回エネルギー問題連続講座」を開催しました。福島原発事故の現地調査報告会、柏崎刈羽原発再稼働を考える講演会、福島の写真展の3点セット。詳細は本紙前号をご覧になってください。
講演会講師・大野隆一郎氏は、①柏崎刈羽原発は軟弱地盤の上に建っていること、②柏崎刈羽原発の核のごみはすでに満杯に近いこと、③日本は地震国、地下水が豊富で、核のごみの地層処分に適した土地はないこと、④能登半島地震でも見られた電力会社の隠ぺい体質を挙げ、柏崎刈羽原発は再稼働させるべきではないと訴えました。
講演後、会場から「このような学習会も大事だが、原発を再稼働させない運動をする段階ではないか」とのお声をいただきました。私は「原発の危険性や問題点について学ぶ機会を提供するのが当研究所の役割」とお答えしました。
歯切れの悪い答えに、当研究所の小林理事が「十日町市まちづくり基本条例はそうした運動の武器になるので、活用してほしい」とフォローしてくれました。皆さまもこの条例をぜひお読みになってください。議員さん、使えますよ。
花角知事は、柏崎刈羽原発を稼働するかどうかの判断にあたり「県民の信を問う」と繰り返し、その手法については明らかにしていません。
「県議会で決めれば」という人は、福島原発の過酷事故から何を学んだのでしょうか。出直し県知事選は、党派性や人格などが混じって、純粋に原発再稼働の是非を問うことにはなりません。
大野氏は、東北電力巻原発を止めた旧・巻町の住民投票を例に、「県民投票」を提案されました。私も同意見です。
4月に福島県楢葉町の宝鏡寺を訪ねました。寺の境内には「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」があり、世界の原子力災害の資料が展示されています。
入口に貼られた短冊に目が留まりました。「這うことも/できなくなったが/手にはまだ/平和を守る/一票がある」。この歌を残したのは八坂スミさん。1982年、90歳のときの歌です。
運動には色々な形があります。投票も大切な意思表示であり、闘いです。
私たちは、県民投票の実現に向けて、反原発運動に「進み切れない」方々の背中を押す活動を続けていきたいと思います。
2024年7月6日号
6月23日は、沖縄での組織的戦闘が終わった日で、のちに沖縄慰霊の日と定められた。79回目だ。
父はその日までは生きていなかった。とは言えあの激戦が続き、何もかも焼き尽くされ、破壊尽くされたなかで、よく記録が残されていたなーと正直思う。
命日とされる日・場所等は定かでなくとも当然だ。ただ沖縄で戦死したのだけは事実だろう。
記念の日前後の、島民インタビューでは、幼くして戦争を体験した人々の声が聞かれた。私と同年齢の人々の声。「日本軍は決して島民を守ってはくれなかった」、この声が痛かった、父は軍人であったから。
島民から食料を奪い、より安全な場所から島民を追いやり、軍人の安全を図ったのだろう。
80年近く経った今、同じことを思う。米軍は決して日本を守るために、沖縄に基地を多く持っている訳ではない。都合の良いように、日本を利用しているだけだと確信している。
現在は禁止されているドローン撮影映画を、九条の会の学習会で見た。冊子も見た。沖縄本島から繋がる先島諸島は、琉球弧として、台湾・中国に合い対峙している。その先島諸島に軍事基地が既に完成している。
中国・台湾が何かのきっかけで紛争が起きれば、近距離にある沖縄は巻き込まれると、島民は恐れ、かつての戦前の状態に似ていると懸念し戦々恐々の様子だった。
よく夢に死んだ人が出てきて、思いを聞いたことがあるというが、私は未だかつて一度も経験がない。父も母も他の人も、どんなに会いたいと思っていても、夢で会った試しがない。
父とも幼くして分かれたので、どんなことを考え、話す人なのかさっぱりわからない。「おとーたん」と呼び、たばことマッチ・灰皿をそろえて父の所へ持っていく子どもだったと母から聞いたことはある。
敗戦末期、極限状態の中でどんな事を考えていたのか。飢えと下痢の日々、何も考えられない状態だったのか。部下を持つ大尉として指揮をしなければという使命感が残っていたのか…。
青森県下北半島には、霊感のあるイタコと言われる人々が居て、死者の声を聞かせてくれるという。なんとか聞いてみたいと願っているが、実現できるだろうか。
父を失うということは、単に大黒柱を失うだけでなく、社会的な立場も失い、世の中の端っこへ押しやられ、人間扱いされなくなるという感じだった。
沖縄だけで二十万人、大戦中では三百万人の戦死者がいる。戦争は敗者ばかりで勝者はいない。戦争を止められる人が勝者だという言葉もある。
2024年6月29日号
齢七十をすでに超え、後期高齢者となる日がすぐそこまで近づいている筆者としては、定期的な健康診断の結果がとても気になります。でも、はて? と首をひねる基準があります。
ボディーマス指数、通称BMIというものがあります。筆者はその数値が19前後で、特に肥満もしていません。ですが腹囲が85㌢を少し超えただけでいわゆるメタボと判定されました。この腹囲の数字は身長を全く考慮していないように見え、身長が180㌢近くある筆者としては大いに疑問のある数値です。
血圧も最高血圧が140台前半で高血圧症と判定されました。同年代にはいわゆる降圧剤を処方されている友人が多く、血圧がいくつぐらいになったら薬を処方されたん? と尋ねると130超えたぐらいから、と複数の人から答えが返ってきました。
七十歳前後で、最高血圧が130や140ってほんとに薬を飲まなければならないほどのことでしょうか。中性脂肪などもわずかに基準より高く、これも高脂血症との判定です。糖尿病の疑いもありということで「健康診断のお知らせ」はめでたくD判定をいただき、早く医者に診てもらって治療を開始しなさいとのご託宣でした。
念のためお医者さんに診てもらうと、食生活に注意、と一言だけ。転ばぬ先の杖は必要だと思いますが、転ばぬように身動きできないようにしているのではないのではないでしょうか。
数値は数値として結果を示していただければいいのであって、あとは余計なお世話というものです。健康のためにあれはダメこれはダメと苦心をし、呑みたい、呑んじゃダメと家人とけんかをし(笑)、挙句の果てはサプリに頼ってかえって病気になってしまう、という笑えない現象も起きています。
家族や周りに迷惑をかけるような生活をし、暴飲暴食をグルメと称するような生活にはまったく賛成できませんが、ちょっとした数値のオーバーで治療せよ、というのではたまったものではありません。
日本の平均寿命は世界一で84・1歳です。国民全体のBMIは20台前半で世界でも最もスリムな国の一つだそうです。スリムな体型を国を挙げて推奨するのはよいとして、筆者も含め何でもかんでもお医者さんに駆け込むという過剰な反応を生み出しているのではないでしょうか。
日本の保健医療費の大半が高齢者に費やされています。医者に通う回数はスウェーデンの4倍にもかかわらず、平均寿命はほぼ同じです。数値基準は年代に合わせた、きめ細かなものにすべきです。
2024年6月22日号
前回のオピニオンで、最近の経済の動きが気になると書きましたが、その続きです。
景気は、良い方向に上がると次に下がり、下がるとまた上がってと循環を繰り返します。その高低差が急であったり、長すぎたりすることがないように、考えます。
景気には「気」という言葉が入っているように、人々の気持ちが経済に影響を与えます。不安が広がると一気に景気が悪くなることがよくあります。そのため、経済金融政策はタイミングよく打つ必要があります。
さて、それでは今現在の日本の景気はどうかというと、数字的に、景気後退時期に入ったと言える状況になってきました。四半期毎の実質の国内総生産(GDP)が、前期比で連続3期プラスになっていないからです。3期といわず2期でも景気後退期に入ったと判断するのが、経済関係者の間で通説となっています。
その判断と公表は、米国では民間の専門機関が、日本では政府が行います。実際には、数字より、生活者として買物をしているときや、人の流れが分かるタクシーの運転手さんの方が、景気の変化を早く感じとることがあります。
そして、その対策として行う経済金融政策の手段に税や金利水準の調整などがあり、どの分野にそれらを適用するのが効果的であるかは、国の特徴により異なります。
例えば、米国は、経済における消費の割合が大きいのでその分野を中心に、中国は土地建物などの資産の分野、日本は、他国に比べて生産に占める割合が大きいのでその分野に適用するのが効果的と考えられると思います。
そして、日本における生産の分野を牽引しているのは、なんと言っても自動車産業です。
しかし、先週、気になるニュースが飛び込んできました。国土交通省は、国の定める自動車の型式認証制度について不正があったと発表し、それを受けて国内三大自動車メーカーのトップが揃って謝罪会見を行う事態が生じました。行政処分がなされるかもしれません。メーカーは「国の基準より厳しい条件で実施しており安全性に問題はない」という話もしています。
今回の問題の詳細がまだ分からず、どれだけ生産に影響を与えるのか分からないのですが…実際に、乗っていて国内メーカーの車の性能は優れていると感じることが多いです。それを実現してきたのは、積み重ねられてきた技術や技能があってであり、日々よい製品を届けようと切磋琢磨している現場があってこそ。その大切さは、忘れてはならないと思います。
2024年6月15日号
面白いもので年齢を重ねると、不意に若かった時のことを思い出すことが多くなるようだ。
先日、津南中等教育学校の脇を抜けて秋山へ向かっていた時のことだが、 ちょうど下校時間だったようで、三々五々、学生が校門を出て来るのにぶつかった。きちんと制服を着た真面目そうな学生だった。私服の学生は見当たらなかったが、おとなしそうで純粋なタイプのように感じた。そんな時に笑っちゃうが、60年も前の自分の通学姿が目に浮かんで来た。
通った学校は男子校だった。学生たちは制服を自分の好みに合わせて、学帽を油でテカテカに固めたり学生服の第一ボタンを外したりして、校門をくぐると少し与太った歩き方で国電の最寄りの駅までよく歩いた。近くに大学もあったせいか、駅までの道すがら古本屋とかラーメン屋、喫茶店も多く、路地裏には映画館やレコード店まであった。友達とワイワイ話しながら必ず寄り道をして帰った。
ぼくは中学からそのまま高校へ上がったのだが、その都市にある大学の継続校になったせいか、公立の有名校を落ちた学生の滑り止めになったようで、勉強のできる学生が入学して来た。それがなかなか面白い連中で、外から来た学生と馬が合ったのだろう、よく遊んだものである。
そんな友人達はとにかく変わった連中で、英語で教師に食ってかかる奴がいたり、ジャズやクラシックに詳しかったり、暇さえあれば美術館に通い、小説が好きで作家の癖をよく知っていた。演劇に狂っていたり、旅に目がなかったり、泳いだり、山を駆けたりと私の知らない世界を飛び回っているようだった。
その内に学校を抜け出し、落語や映画を見に塀を越えたものである。私は帰宅して勉強などしなかったから、いつまでも下から数えたほうが早い成績だったが、彼らは何時もそれなりの成績なのだ。
あの頃のぼく等はどちらかというと不良学生で、一見ちゃらんぽらんなことばかりして面白がっていた。ぼくにしてみればそんな不良っぽさが新鮮だったし、知らない世界を教えてもらった。不良であってもよいが、非行少年にはならないし、成績はいつもトップクラスなのだ。
何と云うのか生き方、暮らし方の強弱を彼等はわきまえていたのだろう。青春は好きなことに向かって狂っていればよかった時代だった。ただ授業中にちゃんと集中して、ちゃっかり復習までしていたのだろうことは想像できた。
今の津南の学生は近辺には映画館もない、レコード屋もありゃしない、喫茶店や書店すらないのだから せめてスマホのなかに潜り込んでSNSを駆使して超現実にワープしているのかも知らん。ぼくの時代にはそれぞれの好きなことに特化した不良学生が学校を、社会を面白くしてくれた。
今時の学生がきちんと制服を着て登下校する姿を見ると、学校の勉強だけで個性は作られるものではないのだがな~と昔を思い出した。
昨年だったか同窓会があって、元気でいる当時の担任の教師に聞いてみたことがある。現在あの学校はどうなっているのかと…。
「君らの時はいろんな学生がいて一番面白い時代だったが、今は学校が少し有名になったせいなのか、勉強が出来る学生ばかりになってしまった。親が子供に勉強しろ、勉強しろとばかり言うようになったのだろう」。
校則が金科玉条になってそれを破ると退学だ! 推薦は出来ない、と学校が現代の管理社会のモデルのようになってしまったとは思いたくはないが、まだ固まっていない若い学生たちというのは、いろんな個性が集まって不良でも出来が悪くても、良くても玉石混交で、それが交じり合って議論をして、喧嘩をして面白がって幅の厚い社会を支えられるものだと思う。だから教師にも個性豊かな学生を陰に回って支えて欲しいものだ!
昔の頃の元気はないが少し知恵を出して、今時の学生に不良老人からのエールでも送ってみたら面白いかなと思いつつ、布団をかぶった!
2024年6月8日号
内閣官房の国民保護ポータルサイトには武力攻撃から身を守る事態への対処として全国の緊急時避難施設が載っている。例えば私の住んでいる集落なら清津峡小学校になっていて、ミサイルなどの飛来時には避難することになる。う~ん… これって戦争の準備じゃないの? でも地下構造物と違って、校舎は窓が多い造りで危なくない? と一人でブツブツ…
他にも化学物質や生物兵器、核兵器の対処法も書いてあるが、どれも同じ口と鼻をハンカチでふさいで逃げ、避難した部屋で窓を目張りするイラストが描いてある。国民の命を守る方法としてこれで大丈夫? つまり命を守る具体策を国は自治体に丸投げして予算をつけてないのではないか? 一方で今年度の防衛費と防衛力強化関連経費の合計額は約8兆900億円(GDP比で約1・6%)に上る。【ありたけの金を御国へ捧げませう】 【黙って働き笑って納税】 先週、国会衆院本会議では有事で食料危機に陥ったとき、農家に増産を指示する食料供給困難事態対策法が可決した。これも戦争の準備では?今まで減反や農作物輸入や種苗法など農家をいじめて食料自給率を落としておいて、今度は生産計画に従わないと氏名を公表して罰金ですよ。いやはや既に戦争は始まっているのかもしれない。【増産は土の戦士の殊勲甲】
27日の夜、沖縄県では「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中や地下に避難して下さい」とJアラートが響いた。2日前に予め北朝鮮から海上保安庁に対し、人工衛星を打ち上げると通報があった。冷静に見ればミサイルと人工衛星が同じ警報? わざと戦争の危機感を煽ってない? と思う。警報慣れしてしまうよ。【敵より怖い心のゆるみ】
憲法改正をめぐって岸田総理は、「緊急事態・混乱の中で、国会などの機能を維持できるのかは、今まさに国民に問うべきテーマ。時代にそぐわない部分、不足している部分については、果断に見直しを行っていかなければならない」と言う。いやいや緊急時には現行法でも対処できる。緊急事態条項を含む憲法改変は必要ない。憲法遵守義務を負う立場の総理が拙速に改変を言い出すのは戦争準備のため? 緊急時となれば国民の権利や自由は制限され、権限は政府に集められる。【進め一億火の玉だ】
このところのニュースを見ていると昔の戦争標語が頭の中をグルグル回って開戦前夜みたいな気分になってしまう。さて一杯飲んで気分転換しようかなあ…【酒で乱すな銃後の護り】
2024年6月1日号
5月18日本紙の社説見出しは「6月議会、どうする原発問題」だった。
昨年末から柏崎刈羽原発の再稼働手続きが再開され、今後は地元同意の可否が焦点となる。
3月には刈羽村・柏崎市議会で、早期再稼働を求める請願が採択されている。県は3月24日、6、7号機を再稼働した場合の経済効果は10年間で4396億円と公表した。廃炉時、稼働停止時を大きく上回る。
知事は「自身の見解を表明して、県民に信を問う」との考えを変えず、今はその時期ではないと言う。でも、経済効果公表など「前のめり」をアピールしている。
社説の話に戻って、12・14日付け『新潟日報』は、県内市町村長、県議会議員、県選出国会議員への再稼働アンケート結果を載せた。概要は日報社ホームページでも見ることができる。
ざっと見たところ、県議は全体として東電への信頼度が低く、「現時点での再稼働に慎重」。一方、市町村長、特に原発から30㎞圏外の方は「他人事」という印象だ。
ほかに、「知事の『県民の信を問う』手法はどうすべきと考えるか?」の設問に対して、30市町村長のうち津南町を含む8市町長が「議会提案」と答えている。はて?
「日本は議会制民主主義」(柏崎市)、「県民代表の県議会での議決による判断によるべき」(津南町)の建て前は正しい。8人の首長は普段から地元議会の判断を大いに尊重しているのだろう。
だが、福島第一原発事故の過酷さを知った以上、議会だけで決めるというのはいかがか。
地方自治は国政と同様に間接民主制だが、その中には直接請求制度のような直接民主主義的な手法が組み込まれている。そして、地方自治の本旨は住民自治のはず。
1996年に旧・巻町で原発立地の是非を問う住民投票が行われ、「反対」60%余で原発建設は回避された。ここに学ぶべきことはないだろうか。
福島には今も帰還困難区域がある。住んでいた方々は、避難命令であれ、「自主避難」であれ、家も家財も家畜も、生業(なりわい)も、それまでの人生もそこに残して、身一つで避難した。そのとき誰もが原発は安全でないと悟った。
能登半島地震、尾身県議の会見以来、大地震への懸念、事故時の避難路確保が話題になる。だが、忘れてはいけないのが「核のごみ」だ。課題・問題だらけの原発再稼働。
住民の生命、財産を守るのは政治の一番大切な役目。さあ、6月議会で丁々発止とやってほしい。
2024年5月25日号
この春、三番目の孫が社会人になった。先年就職した初孫も、二番目もそれぞれらしい職に就くことができ、じじ・ばばも一安心した。近頃のニュースを聞くと、最近は短期間で就職した企業を辞し、転職する傾向が強いとか? しかも、その手続きを代行する企業もあるという。
本人はもちろん、代行する企業も、退職を告げられる企業も、あれこれ斟酌することなく、極めてビジネスライクに手続するのみ。これには唖然とした。更に一度ご縁のできた企業に、定年まで勤め上げるなーんて考えている人は殆どいない。
そんな折、四六時中つけているラジオから『ああ、上野駅』の歌が流れてきた。♬どこかに故郷の香りを乗せて、入る列車の懐かしさ…♬
〈金の卵〉ともてはやされ、その実、安い労働力として使い捨てられた中卒の子どもたち。
中学生の頃、同級生が夜勤明けで倒れ亡くなった。義務教育も終えぬうちから、多くの弟妹や、病身の母親のために働いていたのだそうだ。
そして私自身の就職は、戦後15年位は経ってはいたが、まだまだ厳しい状況だった。それでもどの企業も経営状態の如何にかかわらず、新卒はたとえ一人でも採用して育て上げる風潮だった。おかげで片親だった私も採用してくれた会社があった。
電話を取るのは新入社員の仕事と決まっていたのに、家に電話はなかったので、電話が怖くて取れなかった。事ある毎に厳しく躾けられ、その上司に当てつけで、目の前で首を吊ってやる! と思ったほど。でも直後上司はショックでもそのうち忘れ去る。片や私は死んでしまう。そんなことはダメだ、ダメだ。ものになったかどうかは疑問だが、その後は何かにつけて色々任せていただいた。
我慢と耐え忍ぶのが精一杯であった昔。世の中が大きく変化し、いろんなノウハウがある。我々世代には想像すらできない方法で、働き方も大きく変わった。新入社員だけでなく、大人たちも副業が認められている企業が少なくないとか。
生涯をかけて会社を支える社員もいない、生涯をかけて面倒を見てくれる企業もない、いや出来なくなったのだろう。
数十年経ったとはいえ、やりたくない事、避けたい事をしないで済むのは、不要なエネルギーを使わないことのほうが、今どきなのかな? 昔人間には首をかしげることばかりだ。
2024年5月18日号
好天に恵まれたきものまつり。まだコロナが2類から5類に移行する直前だった昨年に比べると人出が何倍も増した気がします。往時にくらべ着物姿はほんとに少なくなった感があります。1970年代後半にきものまつりが誕生した時の「着物を着て楽しむ祭り」の趣旨は薄れても、キッチンカーや様々な飲食スタンド、各所で行われた音楽演奏など家族づれで楽しめる春の一大イベントに変身したことは歓迎すべきことだと思います。着物姿が殆どいないじゃないか、などと野暮なことは言いっこなし。
閑話休題、5月3日は憲法記念日。ある調査では憲法を変えたほうが良い、という意見がかつてより増えてきたという結果が出ていましたが、よくわからない、どちらともいえない、という答えも多数を占めていました。
日本の憲法は世界の中でも、戦争放棄をしているまれな憲法だ、と言われてきましたが、この平和条項は世界の憲法でも大多数の国が採用しているそうです。わが国でも憲法解釈で自衛権としての戦争は認められるということらしいです。らしいというのは明記されていないからです。自衛隊の存在も明記されていません。
こんな不完全な憲法を77年も放置してきた立法府の怠慢の原因は国民の多数を占める「よくわからない、どちらともいえない」という無関心層のせいではないでしょうか。災害となれば自衛隊を頼るくせに、明記していない憲法を変えるな、と叫ぶ一部の人たちも同様です。
自民党が自壊しているというのに、護憲派の立憲民主党の支持率は一向に上向きません。改憲であれ、護憲であれ、国会で議論もしないというのはとてもおかしな話しです。各政党の案を公開し議論したうえで国民投票をする、という手順を早急に踏んでもらいたいです。議論に入るのをサボタージュしている政党は、国民投票で負けるからとでも思っているのでは、と勘繰りたくなります。
そうはいっても改憲派がドイツは何回も改憲した、と引き合いに出す同じ敗戦国のドイツ基本法と日本国憲法の建付けはまったく違うので、同じ土俵に上がるのは無理があります。
アメリカの占領下にバタバタと作られたわが国の現行憲法は、改憲が難しい憲法です。しかしながら、現在の我が国を取り巻く安全保障環境は20世紀とは比較できないほど厳しさを増しています。少なくとも入隊に際して「命を賭してでも国を守る」と誓った人たちの存在を、憲法に明記すべきではないでしょうか。
2024年5月11日号
今年もゴールデンウィ
ークを迎え、気温差がまだあるものの、草木が芽吹き、一緒に桜の開花も楽しめる妻有の風景を想像しています。新潟県や長野県の中山間地域では、桜の花のピンクがより色濃く、美しさを増しているように感じます。
そのようなゴールデンウィークのさなか、国内の政治経済に目を向けると、衆議院補欠選挙が3地域で行われ、その全てで与党・自民党が議席を得ることができませんでした。この結果を受けて、岸田政権はどうなっていくのでしょうか。東京と長崎の選挙区は自民党議員の不祥事による補欠選挙だったため、候補者をたてられませんでしたが、島根は自民党と立憲民主党の一騎打ちに。
島根出身とすぐに思い浮かぶ苗字の自民党の錦織氏と、地元での政治活動を熱心に行ってきた立憲民主党の亀井氏との戦いで、応援の大物政治家が現地入りする様子がニュースでさかんに流れました。自民党王国の島根での敗北を自民党がどう総括するか注目されます。
今年も変わらない美しい春の訪れを自然は見せてくれていますが、政治経済の話になると、気になることが頭をよぎります。
もう一つの気になることに、4月末に開かれた日本銀行の金融政策決定会合があります。世界の水準に合わせる方向で利上げが示されるのか示されないのか、どのようなメッセージが出されるのか注目されましたが、現状維持とのことでした。
中央銀行の金融政策の目的は、どの国においても「物価の安定」です。それと一緒に「景気対策」を目的に加えるか否かは国によって、或いはその時の状況によって異なります。
「物価の安定」と「景気対策」は、効果を発揮するまでの期間も違いますし、効果を図る指標も違うので、それらを両立する金融政策をいかに実施するかは、まるで複雑な方程式を解くことのように思います。果たして、そのような複雑な方程式を解くことができるでしょうか…。
そのせいか分かりませんが、最近は日本銀行も米国の中央銀行も、分析に基づいた方向性を示すことが少なくなり、その代わりに、時々の情勢により判断する、という言い方が多くなっているような気がします。
いま、対ドルなどの円の為替相場の動向に、人々の関心が大きく向いており、円安がどこまで進むのか、その議論の際に、国際金融のトリレンマ(国は自由な資本移動、金融政策の独立性、為替相場の安定の3つを同時に実現することはできず、2つしか実現できないこと)が言われています。今後の行方を気にしてゆきたいと思います。
2024年5月4日号
6月23日は、本紙前号の本欄で松崎さんが書いていたように、「沖縄慰霊の日」です。
今年の6月23日、私が代表を務める十日町・津南地域自治研究所では「第20回エネルギー問題連続講座」を開催しました。福島原発事故の現地調査報告会、柏崎刈羽原発再稼働を考える講演会、福島の写真展の3点セット。詳細は本紙前号をご覧になってください。
講演会講師・大野隆一郎氏は、①柏崎刈羽原発は軟弱地盤の上に建っていること、②柏崎刈羽原発の核のごみはすでに満杯に近いこと、③日本は地震国、地下水が豊富で、核のごみの地層処分に適した土地はないこと、④能登半島地震でも見られた電力会社の隠ぺい体質を挙げ、柏崎刈羽原発は再稼働させるべきではないと訴えました。
講演後、会場から「このような学習会も大事だが、原発を再稼働させない運動をする段階ではないか」とのお声をいただきました。私は「原発の危険性や問題点について学ぶ機会を提供するのが当研究所の役割」とお答えしました。
歯切れの悪い答えに、当研究所の小林理事が「十日町市まちづくり基本条例はそうした運動の武器になるので、活用してほしい」とフォローしてくれました。皆さまもこの条例をぜひお読みになってください。議員さん、使えますよ。
花角知事は、柏崎刈羽原発を稼働するかどうかの判断にあたり「県民の信を問う」と繰り返し、その手法については明らかにしていません。
「県議会で決めれば」という人は、福島原発の過酷事故から何を学んだのでしょうか。出直し県知事選は、党派性や人格などが混じって、純粋に原発再稼働の是非を問うことにはなりません。
大野氏は、東北電力巻原発を止めた旧・巻町の住民投票を例に、「県民投票」を提案されました。私も同意見です。
4月に福島県楢葉町の宝鏡寺を訪ねました。寺の境内には「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」があり、世界の原子力災害の資料が展示されています。
入口に貼られた短冊に目が留まりました。「這うことも/できなくなったが/手にはまだ/平和を守る/一票がある」。この歌を残したのは八坂スミさん。1982年、90歳のときの歌です。
運動には色々な形があります。投票も大切な意思表示であり、闘いです。
私たちは、県民投票の実現に向けて、反原発運動に「進み切れない」方々の背中を押す活動を続けていきたいと思います。
2024年7月6日号
6月23日は、沖縄での組織的戦闘が終わった日で、のちに沖縄慰霊の日と定められた。79回目だ。
父はその日までは生きていなかった。とは言えあの激戦が続き、何もかも焼き尽くされ、破壊尽くされたなかで、よく記録が残されていたなーと正直思う。
命日とされる日・場所等は定かでなくとも当然だ。ただ沖縄で戦死したのだけは事実だろう。
記念の日前後の、島民インタビューでは、幼くして戦争を体験した人々の声が聞かれた。私と同年齢の人々の声。「日本軍は決して島民を守ってはくれなかった」、この声が痛かった、父は軍人であったから。
島民から食料を奪い、より安全な場所から島民を追いやり、軍人の安全を図ったのだろう。
80年近く経った今、同じことを思う。米軍は決して日本を守るために、沖縄に基地を多く持っている訳ではない。都合の良いように、日本を利用しているだけだと確信している。
現在は禁止されているドローン撮影映画を、九条の会の学習会で見た。冊子も見た。沖縄本島から繋がる先島諸島は、琉球弧として、台湾・中国に合い対峙している。その先島諸島に軍事基地が既に完成している。
中国・台湾が何かのきっかけで紛争が起きれば、近距離にある沖縄は巻き込まれると、島民は恐れ、かつての戦前の状態に似ていると懸念し戦々恐々の様子だった。
よく夢に死んだ人が出てきて、思いを聞いたことがあるというが、私は未だかつて一度も経験がない。父も母も他の人も、どんなに会いたいと思っていても、夢で会った試しがない。
父とも幼くして分かれたので、どんなことを考え、話す人なのかさっぱりわからない。「おとーたん」と呼び、たばことマッチ・灰皿をそろえて父の所へ持っていく子どもだったと母から聞いたことはある。
敗戦末期、極限状態の中でどんな事を考えていたのか。飢えと下痢の日々、何も考えられない状態だったのか。部下を持つ大尉として指揮をしなければという使命感が残っていたのか…。
青森県下北半島には、霊感のあるイタコと言われる人々が居て、死者の声を聞かせてくれるという。なんとか聞いてみたいと願っているが、実現できるだろうか。
父を失うということは、単に大黒柱を失うだけでなく、社会的な立場も失い、世の中の端っこへ押しやられ、人間扱いされなくなるという感じだった。
沖縄だけで二十万人、大戦中では三百万人の戦死者がいる。戦争は敗者ばかりで勝者はいない。戦争を止められる人が勝者だという言葉もある。
2024年6月29日号
齢七十をすでに超え、後期高齢者となる日がすぐそこまで近づいている筆者としては、定期的な健康診断の結果がとても気になります。でも、はて? と首をひねる基準があります。
ボディーマス指数、通称BMIというものがあります。筆者はその数値が19前後で、特に肥満もしていません。ですが腹囲が85㌢を少し超えただけでいわゆるメタボと判定されました。この腹囲の数字は身長を全く考慮していないように見え、身長が180㌢近くある筆者としては大いに疑問のある数値です。
血圧も最高血圧が140台前半で高血圧症と判定されました。同年代にはいわゆる降圧剤を処方されている友人が多く、血圧がいくつぐらいになったら薬を処方されたん? と尋ねると130超えたぐらいから、と複数の人から答えが返ってきました。
七十歳前後で、最高血圧が130や140ってほんとに薬を飲まなければならないほどのことでしょうか。中性脂肪などもわずかに基準より高く、これも高脂血症との判定です。糖尿病の疑いもありということで「健康診断のお知らせ」はめでたくD判定をいただき、早く医者に診てもらって治療を開始しなさいとのご託宣でした。
念のためお医者さんに診てもらうと、食生活に注意、と一言だけ。転ばぬ先の杖は必要だと思いますが、転ばぬように身動きできないようにしているのではないのではないでしょうか。
数値は数値として結果を示していただければいいのであって、あとは余計なお世話というものです。健康のためにあれはダメこれはダメと苦心をし、呑みたい、呑んじゃダメと家人とけんかをし(笑)、挙句の果てはサプリに頼ってかえって病気になってしまう、という笑えない現象も起きています。
家族や周りに迷惑をかけるような生活をし、暴飲暴食をグルメと称するような生活にはまったく賛成できませんが、ちょっとした数値のオーバーで治療せよ、というのではたまったものではありません。
日本の平均寿命は世界一で84・1歳です。国民全体のBMIは20台前半で世界でも最もスリムな国の一つだそうです。スリムな体型を国を挙げて推奨するのはよいとして、筆者も含め何でもかんでもお医者さんに駆け込むという過剰な反応を生み出しているのではないでしょうか。
日本の保健医療費の大半が高齢者に費やされています。医者に通う回数はスウェーデンの4倍にもかかわらず、平均寿命はほぼ同じです。数値基準は年代に合わせた、きめ細かなものにすべきです。
2024年6月22日号
前回のオピニオンで、最近の経済の動きが気になると書きましたが、その続きです。
景気は、良い方向に上がると次に下がり、下がるとまた上がってと循環を繰り返します。その高低差が急であったり、長すぎたりすることがないように、考えます。
景気には「気」という言葉が入っているように、人々の気持ちが経済に影響を与えます。不安が広がると一気に景気が悪くなることがよくあります。そのため、経済金融政策はタイミングよく打つ必要があります。
さて、それでは今現在の日本の景気はどうかというと、数字的に、景気後退時期に入ったと言える状況になってきました。四半期毎の実質の国内総生産(GDP)が、前期比で連続3期プラスになっていないからです。3期といわず2期でも景気後退期に入ったと判断するのが、経済関係者の間で通説となっています。
その判断と公表は、米国では民間の専門機関が、日本では政府が行います。実際には、数字より、生活者として買物をしているときや、人の流れが分かるタクシーの運転手さんの方が、景気の変化を早く感じとることがあります。
そして、その対策として行う経済金融政策の手段に税や金利水準の調整などがあり、どの分野にそれらを適用するのが効果的であるかは、国の特徴により異なります。
例えば、米国は、経済における消費の割合が大きいのでその分野を中心に、中国は土地建物などの資産の分野、日本は、他国に比べて生産に占める割合が大きいのでその分野に適用するのが効果的と考えられると思います。
そして、日本における生産の分野を牽引しているのは、なんと言っても自動車産業です。
しかし、先週、気になるニュースが飛び込んできました。国土交通省は、国の定める自動車の型式認証制度について不正があったと発表し、それを受けて国内三大自動車メーカーのトップが揃って謝罪会見を行う事態が生じました。行政処分がなされるかもしれません。メーカーは「国の基準より厳しい条件で実施しており安全性に問題はない」という話もしています。
今回の問題の詳細がまだ分からず、どれだけ生産に影響を与えるのか分からないのですが…実際に、乗っていて国内メーカーの車の性能は優れていると感じることが多いです。それを実現してきたのは、積み重ねられてきた技術や技能があってであり、日々よい製品を届けようと切磋琢磨している現場があってこそ。その大切さは、忘れてはならないと思います。
2024年6月15日号
面白いもので年齢を重ねると、不意に若かった時のことを思い出すことが多くなるようだ。
先日、津南中等教育学校の脇を抜けて秋山へ向かっていた時のことだが、 ちょうど下校時間だったようで、三々五々、学生が校門を出て来るのにぶつかった。きちんと制服を着た真面目そうな学生だった。私服の学生は見当たらなかったが、おとなしそうで純粋なタイプのように感じた。そんな時に笑っちゃうが、60年も前の自分の通学姿が目に浮かんで来た。
通った学校は男子校だった。学生たちは制服を自分の好みに合わせて、学帽を油でテカテカに固めたり学生服の第一ボタンを外したりして、校門をくぐると少し与太った歩き方で国電の最寄りの駅までよく歩いた。近くに大学もあったせいか、駅までの道すがら古本屋とかラーメン屋、喫茶店も多く、路地裏には映画館やレコード店まであった。友達とワイワイ話しながら必ず寄り道をして帰った。
ぼくは中学からそのまま高校へ上がったのだが、その都市にある大学の継続校になったせいか、公立の有名校を落ちた学生の滑り止めになったようで、勉強のできる学生が入学して来た。それがなかなか面白い連中で、外から来た学生と馬が合ったのだろう、よく遊んだものである。
そんな友人達はとにかく変わった連中で、英語で教師に食ってかかる奴がいたり、ジャズやクラシックに詳しかったり、暇さえあれば美術館に通い、小説が好きで作家の癖をよく知っていた。演劇に狂っていたり、旅に目がなかったり、泳いだり、山を駆けたりと私の知らない世界を飛び回っているようだった。
その内に学校を抜け出し、落語や映画を見に塀を越えたものである。私は帰宅して勉強などしなかったから、いつまでも下から数えたほうが早い成績だったが、彼らは何時もそれなりの成績なのだ。
あの頃のぼく等はどちらかというと不良学生で、一見ちゃらんぽらんなことばかりして面白がっていた。ぼくにしてみればそんな不良っぽさが新鮮だったし、知らない世界を教えてもらった。不良であってもよいが、非行少年にはならないし、成績はいつもトップクラスなのだ。
何と云うのか生き方、暮らし方の強弱を彼等はわきまえていたのだろう。青春は好きなことに向かって狂っていればよかった時代だった。ただ授業中にちゃんと集中して、ちゃっかり復習までしていたのだろうことは想像できた。
今の津南の学生は近辺には映画館もない、レコード屋もありゃしない、喫茶店や書店すらないのだから せめてスマホのなかに潜り込んでSNSを駆使して超現実にワープしているのかも知らん。ぼくの時代にはそれぞれの好きなことに特化した不良学生が学校を、社会を面白くしてくれた。
今時の学生がきちんと制服を着て登下校する姿を見ると、学校の勉強だけで個性は作られるものではないのだがな~と昔を思い出した。
昨年だったか同窓会があって、元気でいる当時の担任の教師に聞いてみたことがある。現在あの学校はどうなっているのかと…。
「君らの時はいろんな学生がいて一番面白い時代だったが、今は学校が少し有名になったせいなのか、勉強が出来る学生ばかりになってしまった。親が子供に勉強しろ、勉強しろとばかり言うようになったのだろう」。
校則が金科玉条になってそれを破ると退学だ! 推薦は出来ない、と学校が現代の管理社会のモデルのようになってしまったとは思いたくはないが、まだ固まっていない若い学生たちというのは、いろんな個性が集まって不良でも出来が悪くても、良くても玉石混交で、それが交じり合って議論をして、喧嘩をして面白がって幅の厚い社会を支えられるものだと思う。だから教師にも個性豊かな学生を陰に回って支えて欲しいものだ!
昔の頃の元気はないが少し知恵を出して、今時の学生に不良老人からのエールでも送ってみたら面白いかなと思いつつ、布団をかぶった!
2024年6月8日号
内閣官房の国民保護ポータルサイトには武力攻撃から身を守る事態への対処として全国の緊急時避難施設が載っている。例えば私の住んでいる集落なら清津峡小学校になっていて、ミサイルなどの飛来時には避難することになる。う~ん… これって戦争の準備じゃないの? でも地下構造物と違って、校舎は窓が多い造りで危なくない? と一人でブツブツ…
他にも化学物質や生物兵器、核兵器の対処法も書いてあるが、どれも同じ口と鼻をハンカチでふさいで逃げ、避難した部屋で窓を目張りするイラストが描いてある。国民の命を守る方法としてこれで大丈夫? つまり命を守る具体策を国は自治体に丸投げして予算をつけてないのではないか? 一方で今年度の防衛費と防衛力強化関連経費の合計額は約8兆900億円(GDP比で約1・6%)に上る。【ありたけの金を御国へ捧げませう】 【黙って働き笑って納税】 先週、国会衆院本会議では有事で食料危機に陥ったとき、農家に増産を指示する食料供給困難事態対策法が可決した。これも戦争の準備では?今まで減反や農作物輸入や種苗法など農家をいじめて食料自給率を落としておいて、今度は生産計画に従わないと氏名を公表して罰金ですよ。いやはや既に戦争は始まっているのかもしれない。【増産は土の戦士の殊勲甲】
27日の夜、沖縄県では「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中や地下に避難して下さい」とJアラートが響いた。2日前に予め北朝鮮から海上保安庁に対し、人工衛星を打ち上げると通報があった。冷静に見ればミサイルと人工衛星が同じ警報? わざと戦争の危機感を煽ってない? と思う。警報慣れしてしまうよ。【敵より怖い心のゆるみ】
憲法改正をめぐって岸田総理は、「緊急事態・混乱の中で、国会などの機能を維持できるのかは、今まさに国民に問うべきテーマ。時代にそぐわない部分、不足している部分については、果断に見直しを行っていかなければならない」と言う。いやいや緊急時には現行法でも対処できる。緊急事態条項を含む憲法改変は必要ない。憲法遵守義務を負う立場の総理が拙速に改変を言い出すのは戦争準備のため? 緊急時となれば国民の権利や自由は制限され、権限は政府に集められる。【進め一億火の玉だ】
このところのニュースを見ていると昔の戦争標語が頭の中をグルグル回って開戦前夜みたいな気分になってしまう。さて一杯飲んで気分転換しようかなあ…【酒で乱すな銃後の護り】
2024年6月1日号
5月18日本紙の社説見出しは「6月議会、どうする原発問題」だった。
昨年末から柏崎刈羽原発の再稼働手続きが再開され、今後は地元同意の可否が焦点となる。
3月には刈羽村・柏崎市議会で、早期再稼働を求める請願が採択されている。県は3月24日、6、7号機を再稼働した場合の経済効果は10年間で4396億円と公表した。廃炉時、稼働停止時を大きく上回る。
知事は「自身の見解を表明して、県民に信を問う」との考えを変えず、今はその時期ではないと言う。でも、経済効果公表など「前のめり」をアピールしている。
社説の話に戻って、12・14日付け『新潟日報』は、県内市町村長、県議会議員、県選出国会議員への再稼働アンケート結果を載せた。概要は日報社ホームページでも見ることができる。
ざっと見たところ、県議は全体として東電への信頼度が低く、「現時点での再稼働に慎重」。一方、市町村長、特に原発から30㎞圏外の方は「他人事」という印象だ。
ほかに、「知事の『県民の信を問う』手法はどうすべきと考えるか?」の設問に対して、30市町村長のうち津南町を含む8市町長が「議会提案」と答えている。はて?
「日本は議会制民主主義」(柏崎市)、「県民代表の県議会での議決による判断によるべき」(津南町)の建て前は正しい。8人の首長は普段から地元議会の判断を大いに尊重しているのだろう。
だが、福島第一原発事故の過酷さを知った以上、議会だけで決めるというのはいかがか。
地方自治は国政と同様に間接民主制だが、その中には直接請求制度のような直接民主主義的な手法が組み込まれている。そして、地方自治の本旨は住民自治のはず。
1996年に旧・巻町で原発立地の是非を問う住民投票が行われ、「反対」60%余で原発建設は回避された。ここに学ぶべきことはないだろうか。
福島には今も帰還困難区域がある。住んでいた方々は、避難命令であれ、「自主避難」であれ、家も家財も家畜も、生業(なりわい)も、それまでの人生もそこに残して、身一つで避難した。そのとき誰もが原発は安全でないと悟った。
能登半島地震、尾身県議の会見以来、大地震への懸念、事故時の避難路確保が話題になる。だが、忘れてはいけないのが「核のごみ」だ。課題・問題だらけの原発再稼働。
住民の生命、財産を守るのは政治の一番大切な役目。さあ、6月議会で丁々発止とやってほしい。
2024年5月25日号
この春、三番目の孫が社会人になった。先年就職した初孫も、二番目もそれぞれらしい職に就くことができ、じじ・ばばも一安心した。近頃のニュースを聞くと、最近は短期間で就職した企業を辞し、転職する傾向が強いとか? しかも、その手続きを代行する企業もあるという。
本人はもちろん、代行する企業も、退職を告げられる企業も、あれこれ斟酌することなく、極めてビジネスライクに手続するのみ。これには唖然とした。更に一度ご縁のできた企業に、定年まで勤め上げるなーんて考えている人は殆どいない。
そんな折、四六時中つけているラジオから『ああ、上野駅』の歌が流れてきた。♬どこかに故郷の香りを乗せて、入る列車の懐かしさ…♬
〈金の卵〉ともてはやされ、その実、安い労働力として使い捨てられた中卒の子どもたち。
中学生の頃、同級生が夜勤明けで倒れ亡くなった。義務教育も終えぬうちから、多くの弟妹や、病身の母親のために働いていたのだそうだ。
そして私自身の就職は、戦後15年位は経ってはいたが、まだまだ厳しい状況だった。それでもどの企業も経営状態の如何にかかわらず、新卒はたとえ一人でも採用して育て上げる風潮だった。おかげで片親だった私も採用してくれた会社があった。
電話を取るのは新入社員の仕事と決まっていたのに、家に電話はなかったので、電話が怖くて取れなかった。事ある毎に厳しく躾けられ、その上司に当てつけで、目の前で首を吊ってやる! と思ったほど。でも直後上司はショックでもそのうち忘れ去る。片や私は死んでしまう。そんなことはダメだ、ダメだ。ものになったかどうかは疑問だが、その後は何かにつけて色々任せていただいた。
我慢と耐え忍ぶのが精一杯であった昔。世の中が大きく変化し、いろんなノウハウがある。我々世代には想像すらできない方法で、働き方も大きく変わった。新入社員だけでなく、大人たちも副業が認められている企業が少なくないとか。
生涯をかけて会社を支える社員もいない、生涯をかけて面倒を見てくれる企業もない、いや出来なくなったのだろう。
数十年経ったとはいえ、やりたくない事、避けたい事をしないで済むのは、不要なエネルギーを使わないことのほうが、今どきなのかな? 昔人間には首をかしげることばかりだ。
2024年5月18日号
好天に恵まれたきものまつり。まだコロナが2類から5類に移行する直前だった昨年に比べると人出が何倍も増した気がします。往時にくらべ着物姿はほんとに少なくなった感があります。1970年代後半にきものまつりが誕生した時の「着物を着て楽しむ祭り」の趣旨は薄れても、キッチンカーや様々な飲食スタンド、各所で行われた音楽演奏など家族づれで楽しめる春の一大イベントに変身したことは歓迎すべきことだと思います。着物姿が殆どいないじゃないか、などと野暮なことは言いっこなし。
閑話休題、5月3日は憲法記念日。ある調査では憲法を変えたほうが良い、という意見がかつてより増えてきたという結果が出ていましたが、よくわからない、どちらともいえない、という答えも多数を占めていました。
日本の憲法は世界の中でも、戦争放棄をしているまれな憲法だ、と言われてきましたが、この平和条項は世界の憲法でも大多数の国が採用しているそうです。わが国でも憲法解釈で自衛権としての戦争は認められるということらしいです。らしいというのは明記されていないからです。自衛隊の存在も明記されていません。
こんな不完全な憲法を77年も放置してきた立法府の怠慢の原因は国民の多数を占める「よくわからない、どちらともいえない」という無関心層のせいではないでしょうか。災害となれば自衛隊を頼るくせに、明記していない憲法を変えるな、と叫ぶ一部の人たちも同様です。
自民党が自壊しているというのに、護憲派の立憲民主党の支持率は一向に上向きません。改憲であれ、護憲であれ、国会で議論もしないというのはとてもおかしな話しです。各政党の案を公開し議論したうえで国民投票をする、という手順を早急に踏んでもらいたいです。議論に入るのをサボタージュしている政党は、国民投票で負けるからとでも思っているのでは、と勘繰りたくなります。
そうはいっても改憲派がドイツは何回も改憲した、と引き合いに出す同じ敗戦国のドイツ基本法と日本国憲法の建付けはまったく違うので、同じ土俵に上がるのは無理があります。
アメリカの占領下にバタバタと作られたわが国の現行憲法は、改憲が難しい憲法です。しかしながら、現在の我が国を取り巻く安全保障環境は20世紀とは比較できないほど厳しさを増しています。少なくとも入隊に際して「命を賭してでも国を守る」と誓った人たちの存在を、憲法に明記すべきではないでしょうか。
2024年5月11日号
今年もゴールデンウィ
ークを迎え、気温差がまだあるものの、草木が芽吹き、一緒に桜の開花も楽しめる妻有の風景を想像しています。新潟県や長野県の中山間地域では、桜の花のピンクがより色濃く、美しさを増しているように感じます。
そのようなゴールデンウィークのさなか、国内の政治経済に目を向けると、衆議院補欠選挙が3地域で行われ、その全てで与党・自民党が議席を得ることができませんでした。この結果を受けて、岸田政権はどうなっていくのでしょうか。東京と長崎の選挙区は自民党議員の不祥事による補欠選挙だったため、候補者をたてられませんでしたが、島根は自民党と立憲民主党の一騎打ちに。
島根出身とすぐに思い浮かぶ苗字の自民党の錦織氏と、地元での政治活動を熱心に行ってきた立憲民主党の亀井氏との戦いで、応援の大物政治家が現地入りする様子がニュースでさかんに流れました。自民党王国の島根での敗北を自民党がどう総括するか注目されます。
今年も変わらない美しい春の訪れを自然は見せてくれていますが、政治経済の話になると、気になることが頭をよぎります。
もう一つの気になることに、4月末に開かれた日本銀行の金融政策決定会合があります。世界の水準に合わせる方向で利上げが示されるのか示されないのか、どのようなメッセージが出されるのか注目されましたが、現状維持とのことでした。
中央銀行の金融政策の目的は、どの国においても「物価の安定」です。それと一緒に「景気対策」を目的に加えるか否かは国によって、或いはその時の状況によって異なります。
「物価の安定」と「景気対策」は、効果を発揮するまでの期間も違いますし、効果を図る指標も違うので、それらを両立する金融政策をいかに実施するかは、まるで複雑な方程式を解くことのように思います。果たして、そのような複雑な方程式を解くことができるでしょうか…。
そのせいか分かりませんが、最近は日本銀行も米国の中央銀行も、分析に基づいた方向性を示すことが少なくなり、その代わりに、時々の情勢により判断する、という言い方が多くなっているような気がします。
いま、対ドルなどの円の為替相場の動向に、人々の関心が大きく向いており、円安がどこまで進むのか、その議論の際に、国際金融のトリレンマ(国は自由な資本移動、金融政策の独立性、為替相場の安定の3つを同時に実現することはできず、2つしか実現できないこと)が言われています。今後の行方を気にしてゆきたいと思います。
2024年5月4日号