Category

オピニオン一覧

  • 地域課題、セーフティ機能や継続の芽を

    コロナ後の夏まつりの復活

    清水裕理 (経済地理学博士)

     日の入りが早くなり、夏の終わり、秋の始まりを感じるこの頃です。今夏は特別な猛暑で、それまでとは一線を越え、30度あるいは35度を超えても驚かなくなるのは初めてでした。
     お米は、山梨県では収穫時期が1週間早くなる程度の影響でしたが、妻有地域の棚田は、災害級の高温障害が深刻と聞き、心配をしています。
     そして、今年は、コロナの行動制限が緩和されて初めての夏ということで、地元の夏まつりが復活するかどうかが気になりました。全国の各地域の結果をみると、今まで通りに復活、縮小して復活、中止のいずれかに分かれたように思います。
    私の田舎の集落では、夏まつりが今年から中止となってしまいました。アンケートにより、中止を希望する地元住民の方が多かったとのことです。 夏祭りは、家族を含めて約100人が集まる規模で、会費を払い、多くのご馳走と飲み物、司会が盛り上げるカラオケ大会、盆踊りやよさこい踊り、子供のじゃんけん大会など楽しかったのですが、準備は大変だったと思います。私は普段は東京にいて時々しか戻らないため、準備には参加していませんでした。
     コロナをきっかけに、中止の話が加速したことは否めず、個人的には、年1回、地元住民が集まって顔を合わせて話をする機会がなくなってしまい残念です。
     まちづくりの視点からは、例えば、地域公共交通の維持についてそうであるように、集落単位で協議会が開かれ、そこでの議論がベースとなり、また、運営主体もそこから誕生したりして、今後のあり方が決められる傾向にあります。
     私の知る事例では、福島県会津地域でそのような活動が活発で、国もその方向に、地域のことは地域で責任を持って、という意味合いも含めた政策になってきています。
     今後、交通問題に限らず、集落という単位をベースとして地域課題を把握し解決していくケースが多くなってくると思いますが、一方現実には、話は少し飛びますが、今まで集落に近い単位で活動していた郵便局や農協や交番などの拠点が減るニュースが増えており、その動きがもしも大きく進んでしまうなら、せっかく現場を大切にして築いてきたものがなくなってしまう…その動きはコロナ後に加速しているようにも感じられ、色々と事情があると思いつつ、複雑な気持ちです。
     ここにきての急な変化というものは不安を生じさせ、もしもがあったとしても、そうならないようなセーフティ機能や継続的な取り組みの芽に受け継がれれば…と思います。

    2023年9月30日号

  • 思い出ポロポロ、積もり上がるチリのように

    『旅宿 もっきりや』

    秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

     先日の連休、助っ人の方々が現れ引っ越しを順々と続けてくれました。長年溜め込んだ「いろいろな物」を捨てられずにいたせいで、とにかく荷物が多すぎるわけで、そうなると、ここでの引っ越しは私のような年寄りでは到底無理だと気付くことになるのです。
     そんな時に、2組の援軍でした。ひと組は引っ越しを手伝っていただいて、もうひと組のご婦人は2人して『旅宿 もっきりや』の壁面に、べんがら色のキシリトール塗料を塗ってくれたのでした。 
     なんという幸運と思いながら、連休が去った今、思い出したようにこの原稿を書き出しました。
     このひと月、少しずつ荷物を移動させて、だんだん山のように積み重ねられた私の思い出の書籍や映像を眺めていると、長年のチリや埃にまぎれて、どうもいけません。何だか雑然と散らばって、ほっぽりだされているようで、今日までの月日が何だかとてつもなく馬鹿げて埃くさいように感じてしまいます。
     いや80億にも増えた地球上の人間のひとりとして、私などは全く小さなゴミなのですが、それでもそう簡単には納得してはいけないとも、その書籍や額から顔を覗かせているそれらの寂しげな表情を感じます。積み上げられつつある荷物の山を眺めて肩を落として、ため息ばかりついてもいられないわけで、どうにか起死回生の対応をしなくてはいかんと、背を伸ばして荷物の山を眺めるのです。
     時代が変わり、秋山郷の姿も変わりますが、ここで暮らした私の歴史は私の中に残さなければなりません。ひとり者のジイさんが寂しさのあまり寝室の壁に所狭しと貼り付けた、死んでしまった兄や親たち、多くの友人の姿や戦地に引っ張り出されて亡くなり、会うことも出来なかった2人の伯父たちの姿に、毎朝声をかけて過ごした日々は、写真の中でホコリまみれになってしまったけれど、若かった頃、感動した演劇のチラシその一つひとつを貼りながら時間の経過と共に増え続けた私の歴史を探しているのです。 
     だけれども、外されたそれらは25年の間、私を支えたお札のようなものでしかないのだろう。今それらを外しながら自分の身体が、だんだん希薄になっていくようにも感じているのでした。何だか、また生まれた時に戻ってしまって、またゾロ生まれ変わって行く思い出作りのよすがとなって私を助けたり、寂しい時に涙した日々の生活のひとつひとつのシーンを、ホコリと共に思い出して支えられていくのだろうと…感じるのです。
     一枚一枚外していったあとの壁に残ったシミが過ぎてきた時間への哀愁になるのでしょう。そんなこんなを、これからここへ来る若い人たちに一言でも伝えていくことが、これからの私の仕事になりそうです。
     ただゆっくり時間をかけて降り積もる雪のなかで気持を濾過して、願いまして~はとそろばんを弾いてから『旅宿 もっきりや』を改めて始めるかと感じているのです。

    2023年9月23日号

  • 「おかしい」、議論は尽くされているか

    農協の広域合併

    斎木文夫(年金生活者)さん

     9月30日に魚沼各地で農協臨時総代会が開かれる。来年2月に十日町ほか3農協が合併する、その是非を問う会だ。私が代表を務める十日町・津南地域自治研究所は、農協広域合併には様々な問題があると感じ、「農協の広域合併を考えるシンポジウム」を開催した。その発言については2日付本紙に紹介されている。
     シンポ後、たくさんのお声をちょうだいした。その多くが「この合併は組合員のためでなく、農協の都合によるものだ」というものだった。
     十日町農協だけではない。なぜ農協は合併したがるのか。それは、経営が行き詰りつつあるからだ。農家の高齢化・減少と農産物の輸入増加によって農業・農家そのものが弱体化し続けている。そこにマイナス金利政策が続き、金融事業を悪化させた。で、合併して「経営基盤の強化」を図ろうというわけだ。
     では、合併してどうなるのか。よく言われるのがスケールメリット(規模拡大の利点)である。経営の効率化、コストの削減、生産・販売量の増大などが考えられる。十日町農協は「合併を通じて実現をめざすこと」として、①コシヒカリ・園芸農産物の販売強化、②コスト低減と効率化、③サービスの維持と地域活性化への貢献、の3点を挙げている。
     だが、これを本当にどこまでやれるのか。その前に、すでに農業・農家そのものが弱体化している現実に対してどう取り組むのかが見えない。
     合併予定の4農協の経常収支のトップは十日町農協。弱いところだけの足し算の結果は、市町村合併を見れば明らかだ。
    金融事業が盛り返すあてもない中、農協が生き残るためには、本業である農業関連事業の収益を改善するしかない。ビジョンのない支店の統廃合や職員削減だけの合併では、リストラ→サービス低下→農協離れの悪循環を生むだろう。そして、更なる大合併に突き進むことになるだろう。
     組合員を忘れ、農協組織とそこによりかかる人たちを守る広域合併は、財界と政府が望む農協つぶしに手を貸すものだ。
    シンポの後段、会場から「問題は今の農政にある。農協も農家も国の農政のいいなりだ。そのことが農協と農業をダメにした」という指摘があった。それは正しいと思う。
     ただ、たった今「広域合併をどうする」が問われている。「合併は4年間の議論の結果だ」と言う方もあろうが、少しでも「おかしい」と考える方は声を上げるべきだ。遅すぎることはない。

    2023年9月9日号

  • 地域課題、セーフティ機能や継続の芽を

    コロナ後の夏まつりの復活

    清水裕理 (経済地理学博士)

     日の入りが早くなり、夏の終わり、秋の始まりを感じるこの頃です。今夏は特別な猛暑で、それまでとは一線を越え、30度あるいは35度を超えても驚かなくなるのは初めてでした。
     お米は、山梨県では収穫時期が1週間早くなる程度の影響でしたが、妻有地域の棚田は、災害級の高温障害が深刻と聞き、心配をしています。
     そして、今年は、コロナの行動制限が緩和されて初めての夏ということで、地元の夏まつりが復活するかどうかが気になりました。全国の各地域の結果をみると、今まで通りに復活、縮小して復活、中止のいずれかに分かれたように思います。
    私の田舎の集落では、夏まつりが今年から中止となってしまいました。アンケートにより、中止を希望する地元住民の方が多かったとのことです。 夏祭りは、家族を含めて約100人が集まる規模で、会費を払い、多くのご馳走と飲み物、司会が盛り上げるカラオケ大会、盆踊りやよさこい踊り、子供のじゃんけん大会など楽しかったのですが、準備は大変だったと思います。私は普段は東京にいて時々しか戻らないため、準備には参加していませんでした。
     コロナをきっかけに、中止の話が加速したことは否めず、個人的には、年1回、地元住民が集まって顔を合わせて話をする機会がなくなってしまい残念です。
     まちづくりの視点からは、例えば、地域公共交通の維持についてそうであるように、集落単位で協議会が開かれ、そこでの議論がベースとなり、また、運営主体もそこから誕生したりして、今後のあり方が決められる傾向にあります。
     私の知る事例では、福島県会津地域でそのような活動が活発で、国もその方向に、地域のことは地域で責任を持って、という意味合いも含めた政策になってきています。
     今後、交通問題に限らず、集落という単位をベースとして地域課題を把握し解決していくケースが多くなってくると思いますが、一方現実には、話は少し飛びますが、今まで集落に近い単位で活動していた郵便局や農協や交番などの拠点が減るニュースが増えており、その動きがもしも大きく進んでしまうなら、せっかく現場を大切にして築いてきたものがなくなってしまう…その動きはコロナ後に加速しているようにも感じられ、色々と事情があると思いつつ、複雑な気持ちです。
     ここにきての急な変化というものは不安を生じさせ、もしもがあったとしても、そうならないようなセーフティ機能や継続的な取り組みの芽に受け継がれれば…と思います。

    2023年9月30日号

  • 思い出ポロポロ、積もり上がるチリのように

    『旅宿 もっきりや』

    秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

     先日の連休、助っ人の方々が現れ引っ越しを順々と続けてくれました。長年溜め込んだ「いろいろな物」を捨てられずにいたせいで、とにかく荷物が多すぎるわけで、そうなると、ここでの引っ越しは私のような年寄りでは到底無理だと気付くことになるのです。
     そんな時に、2組の援軍でした。ひと組は引っ越しを手伝っていただいて、もうひと組のご婦人は2人して『旅宿 もっきりや』の壁面に、べんがら色のキシリトール塗料を塗ってくれたのでした。 
     なんという幸運と思いながら、連休が去った今、思い出したようにこの原稿を書き出しました。
     このひと月、少しずつ荷物を移動させて、だんだん山のように積み重ねられた私の思い出の書籍や映像を眺めていると、長年のチリや埃にまぎれて、どうもいけません。何だか雑然と散らばって、ほっぽりだされているようで、今日までの月日が何だかとてつもなく馬鹿げて埃くさいように感じてしまいます。
     いや80億にも増えた地球上の人間のひとりとして、私などは全く小さなゴミなのですが、それでもそう簡単には納得してはいけないとも、その書籍や額から顔を覗かせているそれらの寂しげな表情を感じます。積み上げられつつある荷物の山を眺めて肩を落として、ため息ばかりついてもいられないわけで、どうにか起死回生の対応をしなくてはいかんと、背を伸ばして荷物の山を眺めるのです。
     時代が変わり、秋山郷の姿も変わりますが、ここで暮らした私の歴史は私の中に残さなければなりません。ひとり者のジイさんが寂しさのあまり寝室の壁に所狭しと貼り付けた、死んでしまった兄や親たち、多くの友人の姿や戦地に引っ張り出されて亡くなり、会うことも出来なかった2人の伯父たちの姿に、毎朝声をかけて過ごした日々は、写真の中でホコリまみれになってしまったけれど、若かった頃、感動した演劇のチラシその一つひとつを貼りながら時間の経過と共に増え続けた私の歴史を探しているのです。 
     だけれども、外されたそれらは25年の間、私を支えたお札のようなものでしかないのだろう。今それらを外しながら自分の身体が、だんだん希薄になっていくようにも感じているのでした。何だか、また生まれた時に戻ってしまって、またゾロ生まれ変わって行く思い出作りのよすがとなって私を助けたり、寂しい時に涙した日々の生活のひとつひとつのシーンを、ホコリと共に思い出して支えられていくのだろうと…感じるのです。
     一枚一枚外していったあとの壁に残ったシミが過ぎてきた時間への哀愁になるのでしょう。そんなこんなを、これからここへ来る若い人たちに一言でも伝えていくことが、これからの私の仕事になりそうです。
     ただゆっくり時間をかけて降り積もる雪のなかで気持を濾過して、願いまして~はとそろばんを弾いてから『旅宿 もっきりや』を改めて始めるかと感じているのです。

    2023年9月23日号

  • 「おかしい」、議論は尽くされているか

    農協の広域合併

    斎木文夫(年金生活者)さん

     9月30日に魚沼各地で農協臨時総代会が開かれる。来年2月に十日町ほか3農協が合併する、その是非を問う会だ。私が代表を務める十日町・津南地域自治研究所は、農協広域合併には様々な問題があると感じ、「農協の広域合併を考えるシンポジウム」を開催した。その発言については2日付本紙に紹介されている。
     シンポ後、たくさんのお声をちょうだいした。その多くが「この合併は組合員のためでなく、農協の都合によるものだ」というものだった。
     十日町農協だけではない。なぜ農協は合併したがるのか。それは、経営が行き詰りつつあるからだ。農家の高齢化・減少と農産物の輸入増加によって農業・農家そのものが弱体化し続けている。そこにマイナス金利政策が続き、金融事業を悪化させた。で、合併して「経営基盤の強化」を図ろうというわけだ。
     では、合併してどうなるのか。よく言われるのがスケールメリット(規模拡大の利点)である。経営の効率化、コストの削減、生産・販売量の増大などが考えられる。十日町農協は「合併を通じて実現をめざすこと」として、①コシヒカリ・園芸農産物の販売強化、②コスト低減と効率化、③サービスの維持と地域活性化への貢献、の3点を挙げている。
     だが、これを本当にどこまでやれるのか。その前に、すでに農業・農家そのものが弱体化している現実に対してどう取り組むのかが見えない。
     合併予定の4農協の経常収支のトップは十日町農協。弱いところだけの足し算の結果は、市町村合併を見れば明らかだ。
    金融事業が盛り返すあてもない中、農協が生き残るためには、本業である農業関連事業の収益を改善するしかない。ビジョンのない支店の統廃合や職員削減だけの合併では、リストラ→サービス低下→農協離れの悪循環を生むだろう。そして、更なる大合併に突き進むことになるだろう。
     組合員を忘れ、農協組織とそこによりかかる人たちを守る広域合併は、財界と政府が望む農協つぶしに手を貸すものだ。
    シンポの後段、会場から「問題は今の農政にある。農協も農家も国の農政のいいなりだ。そのことが農協と農業をダメにした」という指摘があった。それは正しいと思う。
     ただ、たった今「広域合併をどうする」が問われている。「合併は4年間の議論の結果だ」と言う方もあろうが、少しでも「おかしい」と考える方は声を上げるべきだ。遅すぎることはない。

    2023年9月9日号